カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • MASSA

    大好きなミュージシャンにMASSAというグループがあります。

    ご存知ヒカシューのメンバーとしても活躍している佐藤正治さん(パーカッション/ボーカル/ギター)と細井豊さん(キーボード/ピアノ/アコーディオンクロマチックハーモニカ)、太田恵資(バイオリン、ボイス)の三人組バンドです。

     

    最近ではNHKスペシャルで放映された「大アマゾン 最後の秘境」の音楽を佐藤さん率いるこのメンバーを中心に録音し話題になりました。

     

    www.nhk.or.jp

     

    ジャズ、ラテン、ロック、ポップ。

    そういった音楽のジャンル分けの通用しない、どこか彼方にあるようなサウンドを生みだすバンドです。

     

    紡ぎだされるサウンドの極上さは勿論ですが、MASSAのライブを観に行くと、「あぁ、からだも聴いているんだな」と感じます。

    そういう反応に意識の向く不思議な時間と空間。

    今では「私が聴きたいから行く」という気持ちと、「からだが聴きたいから足を運ぶ」という両方の目的を感じながらライブに通っています。 

     

    私自身、中学時代からずっと「音楽」好き。

    演奏活動もコツコツ続けて今に至ります。

    MASSAの生みだす時空間を体感していると、この長年好きだった「音楽」というものと、学んでいる「操体」を繋ぐヒントを見せてもらっているような。

    そんな気がしてきます。

     

    そして、今更ながら

    「音楽」って一体何なのだろう、という素朴な疑問が沸いてきます。

     

    2016年11月23日(水)勤労感謝の日

    秋季東京操体フォーラム開催!

    今季のテーマは「膝と進化した操体」です

     

  • 秋竜山

    大好きなマンガ家に秋竜山(1942〜)という方がいます。

    日本が誇るナンセンスマンガの巨匠。知ってるヒトは知っている存在です。

     

    定置網漁の漁師や郵便局員の仕事を経て、マンガ家になった興味深い経歴の持ち主でもあります。

     

    秋竜山の作品に「無人島1枚漫画」や「ナンセンスマンガ」という一コマ仕様の漫画があります。

    正確には「一枚の漫画」に「題」と「ひとコト」で構成されているマンガです。

     

    最初、「1枚マンガって何だ?一枚の絵じゃないのか?」と不思議に感じていましたが、なぜこの作品は「マンガ」なのか。そのことを朧げながらですが感じ始めています。

     

    氏は一枚の絵のなかに「動き」を含ませて作品にしているのではないかと思っています。

    一枚の絵をきっかけに、動き出す。

     

    その「動き」というのは、それを観た人のアタマのなかに起こるもの。

    氏は観る人のなかに起こるこの「変化」の存在を、最初から作品の重要な一要素に含めながら創作をしているのではないかということです。

     

    敢えて最小限度のコマ数と、ヒントだけを残して、あとは委ねるという姿勢。

    こういうことは、「できている」ようでいて、実はなかなかできないことなのではないかと思います。

     

    そして、氏の作品から感じるこの創作姿勢の根っこには、「からだを診る」という姿勢に相通ずる部分があるように感じるのです。

     

    現在も現役バリバリ。週一のペースで新作が更新され続けています。

    秋竜山マンガ館

     

    2016年11月23日(水)勤労感謝の日

    秋季東京操体フォーラム開催!

    今季のテーマは「膝と進化した操体」です

     

  • エドガー・エンデ

    大好きな画家にエドガー・エンデ(1901〜1965)という方がいます。

    日本でも非常に馴染みの深い児童文学作家ミヒャエル・エンデのお父さんです。

     

    日本で原画を観られる機会はなかなかないようですが、名前で検索をするといくつか作品を観ることができます。

     

     彼の絵に触れると、初めて目にする世界観であるはずなのに

    「あぁ、これだ」という不思議な「しっくり感」を感じたり、

    また同時に、いままで触れられずにいた領域を覗いている、もしくは覗くきっかけをもらっているような感覚になります。

     

    ミヒャエル・エンデ著作「エンデのメモ箱(岩波書店)」のなかに、父親の創作過程に関する興味深い内容が書かれています。

     

     

    エンデのメモ箱 (岩波現代文庫)

    エンデのメモ箱 (岩波現代文庫)

     

     

     作品を描く前段階として、

     

    アトリエに閉じこもり

    その空間を真っ暗にしてソファーに横になる

    意図や思考を沈黙させ

    無に気を集中する

     

    その結果、

    通常とは異なる意識感覚のなか

    以上に覚めた意識で

    ただただ「絵」がやってくるのを待つ。

     

    そんな一種の儀式のような方法で作品の元になるスケッチを描き溜めることをしていたようです。

    息子のミヒャエルにこの過程における「気を集中させる難しさ」を話していたようですが、たしかに、無に気を集中することを意図のない状態で行なうことは、容易ではないでしょう。

     

    時々、エドガー・エンデの作品を前にして、

    もし、彼が渦状波®や現在の操体の臨床を受けたら、どんな感想を持つだろう、というようなことを考えます。

     

    2016年11月23日(水)勤労感謝の日

    秋季東京操体フォーラム開催!

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  • スイッチ オン

    「何か」を前にして「センスがあるなぁ」と感じること。

     

    それは、目の前の対象に文字通り「センス」を感じているのと同時に、

    自分自身のなかの「何か」も反応し、動いている瞬間なのではないかと思っています。

     

    どんなことにセンスを感じるか。

    それは人それぞれの、おたのしみポイント。

     

    これは私だけのことかも知れませんが、

    「センスがあるなぁ」と感じる人やモノに出会ったとき、

    自然と「自分も何かをやってみたくなる衝動」に駆られます。

     

    その瞬間というのは、たまらなく豊かなものに触れている、

    時空間にすっぽりと包まれているような感覚になります。

     

    それにしても、決して積極的に勧められているわけでもないのに、

    動き出したくなる衝動にスイッチが入るのは、不思議なことです。

    これは「センス」のもつ見えない魔力なのでしょうか。

     

    2016年11月23日(水)勤労感謝の日

    秋季東京操体フォーラム開催!

    今季のテーマは「膝と進化した操体」です

  • 受け継がれるもの

    おはようございます。

     

    青から黄色へ。瀧澤実行委員に続いて、「おそ松さん」の中では、俄然「十四松」推しの寺本が一週間担当致します。

    テーマは「感性・センス」です。

    よろしくお願いします。

     

    操体と「感性・センス」には、どうやら密接な関係があるようです。

     

    何故そう思うのか。

    それは、師匠をはじめ、先輩や実行委員の同志を見渡してみると「センスいいなぁ」と感じる人に囲まれていることに気付くからです。

     

    そして何よりも、創始者の橋本敬三先生。

    著作や写真をご覧になった方のなかには、橋本先生の文章、モノゴトの捉え方、またその姿からどこか年齢を感じさせない感性を感じた方もいらっしゃるのではないでしょか。

     

    操体法東京研究会の講習の場には、橋本先生の写真が数枚安置されています。

    どれも、なんとも言えないセンスが漂い、香り、何かを放っているように感じられる。 

     

    そんな空間のなかで、私たちは操体の「知識」や臨床の「テクニック」を吸収すること以上に、創始者から脈々と受け継がれているセンスを吸収しているような気がします。

     

    2016年11月23日(水)勤労感謝の日

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    今季のテーマは「膝と進化した操体」です

     

  • 「シンカ」の味わい

    今年の9月から操体法東京研究会の新しい講習が開講する。

    このブログの末尾に静かに添えられているリンク先。

    アンテナに触れた方は、そっと覗いてみてもらいたい。

     

    いつからか、本定例講習の名称は「新創生期」という名前に変化していた。

     

    まだ操体の「そ」の字もしらなかった頃。

    わけもわからないままに、最初に門を叩いたとき

    目の前に提示された「第77回 操体指導者養成コース」という名前に

    わからないながらも惹かれるものを感じ、半歩踏み出したときのこと。

     

    その半歩から数年。

    それまでは好奇心の赴くまま。熱しやすく、冷めやすくもあった。

    あのワタシは一体どこへ行ったのか。

     

    いや、どこにも行ってはいない。

    ただ、気付いたら、定例講習は4循環。

    それに平行して個人レッスンは3循環。

     

     

    そして「新創生期」。

    今まで描いてきた螺旋の道筋。

    それをもう一度スタートラインから辿ってみるようなイメージ。

     

    でも「最初からやり直し」とは、ひと味もふた味も違う。

    「シンカ」を味わいながら、再び歩む。

    そういう地点に、いま立っているような感じだ。

     

    あの操体のベテラン、畠山先生でさえも、

    自身のブログ「操体法大辞典」のなかでこれから始まる「新創生期」を前に驚くべきことを、さらりと言っている。

     

    blog.teizan.com

     

    操体というアンパンをかじっていて、やっとあんこの部分にきたぞ、という感じです』

     

     え、まだこれから「あんこ」の部分が待っているの!?

     

    …いや、そのことに心底驚きつつも、

    素直に「納得」もしている自分自身がいる。

     

    たしかに、そうだ。

    いまだから感じられたスタート地点を前にして、

    「シンカ」した操体の「そ」の字のことに、触れるタイミングに来ていると感じています。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    明日からは友松実行委員の「シンカ」、始まります。

    お愉しみに。

     

    2016年9月新規開講のご案内

  • わからない

    学んでいて「わからない」ことに気付く。

    これは「深化」を後押ししてくれる機会になります。

     

    一方で、「わからない」という状況というのは

    「不安」や「不信」につながっていくこともあります。

     

    特に、自分自身に対しての「わからなさ」

    角度を変えて、自分に対しての不安感に姿を変える。

    そういう経験を、何度となくしてきたように感じます。

     

    繰り返しのなかで、やがて発見するのは

    「わからなくていい」ということ。

     

    たとえ「わかった」と感じたことにも、

    その「先」が在る。

    その先を知れば、さっきまでの「わかった」は

    「わかっていなかった」「わかったつもりだった」に変わってしまう。

    そういうものなのだと知りました。

     

    まっすぐに学んでいて、素直に「わからない」ことを見つける。

    それはまだ見ぬ、その「先」に、 すでに触れている瞬間。

    「シンカ」に触れている瞬間なのだと思います。

     

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  • 遠慮

    やっていることの質的変化を起こす。

    その為に必要なことはなんでしょうか。

     

    何かを一途に学ぶ、そういったことに足を踏み入れて数年。

    質的変化のプロセスには、それなりの「時間」と「空間」をかける必要のあることを実感するようになりました。

     

    師匠からも「手っ取り早いものなんて、ない」と

    何度も言われ続けてきました。

     

    そういったことの意味も、少しずつ。

    「こういうことなのかな」と感じる瞬間の積み重ね。

     

    「自分」に対しての新鮮な印象も感じ始めています。

    もしかしたら「自分」は、意外とこの「時間」と「空間」を「ケチって」いたのかもしれない。

    ちょっと不思議な感覚ですけれど、最初からそういう風に決め込んでいたところがあるかも知れない。

    もしくは、「時間」と「空間」の使い方が良くわからないまま、

    なんとなく真面目に勉強していた、のかも知れない。

     

     

    自分自身に充分な余白を持ちながら学び続けているだろうか。

    学んでいることは、学び続けていくことで「変化する」。

    そう、そのことは、実感しつつある。

     

    その「変化」は「自分」の想い描いた「変わる」というイメージを、

    遥かに超えて変わり続けていくもの。

    果たして、そういうものに対峙し続ける姿勢はあっただろうか。

     

    「いいか、自分自身に遠慮する必要はないんだよ」

    そんな風に言われているような気がします。

     

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  • からだとの距離感

    操体を勉強していると、今まで気にしてこなかった、身の回りのことへ

    だんだんと意識を向けるようになっていきます。

    そういった変化の積み重ね、を感じます。

     

    そのマイナーチェンジを経て、

    「身の回り」のなかに、自分自身の「からだ」も含まれていることに気付く。

    そんな瞬間もやってきます。

     

    操体を始める前、私は「自分の体のことをもっと知ることはできないだろうか」と漠然と感じていました。

    しかし、その時の自分は「体は自分のもの」、という実感を強く感じていたのだと、今になってみれば感じます。

     

    「自分」が「体」にピッタリとくっついている。

    故に、アソビがない。そんなイメージ。

     

    操体を通して、この意識はやがて変化します。

    「体」は「からだ」なんだと気付き、 だんだんと、「自分のもの」と思っていたことを見直したくなってくる。

    気が付くと、自分とからだとの間に 程よい「距離感」のようなものが生まれている。

     

     

    この「間(マ)」の変化。

    操体ならでは、と感じるポイントです。

     

    そして、連日のように出てくるキーワード。

    そうです、操体は「シンカ」しています。

    何よりも、この「間」がまるで変わってしまった。

     

    「シンカ」した「距離感」のなかで、

    今まで慣れ親しんできたはずの「からだ」から

    見せてもらたったことのない生命感覚のようなものを感じる瞬間。

    「からだ」にはイノチが在る、とはっきり感じます。

     

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  • 操体まんだら

    おはようございます。

     

    昨日は「操体まんだら」(恒例の色紙では、今年はひらがな表記でした)に参加してきました。

    三連休の最終日にも関わらず、あの空間を選んで足を運んでいただいたみなさま、ありがとうございました。

    朝から晩まで、細胞の悦ぶ、愉しい一日。

    あっという間の「間」を堪能してきました。

     

    この「操体まんだら」や、年に二回開催される「東京操体フォーラム」など、イベントごとの前と後というのは、豊かな時間がやってきます。

    例えば、学ぶにしても、不思議とアンテナに触れるような情報が、周囲やひらめきを経由して次々に降りてきたりします。

     

    こういうことが起こることを、師匠から聞いていましたが

    今ではたしかにそういう意識の変化は起こるものだと感じています。

     

    具体的な内容には触れませんが

    昨日の操体まんだらではサラリと「操体のシンカ」に関わる、最新の情報が語られました。

    はっきりと聞いてしまった。

    その場に居合わせてしまった。

    それを体感してしまった。

    そして、すっきりもした。

     そんな印象です。

     

    昨晩家に帰って、鞄を置いた後、気が付いたら操体バイブル的存在 「生体の歪みを正す」を手に取っていました。

     

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

     

     

    いま無性にこのバイブルに、一から目を通してみたい。

    そして、体感した「シンカ」の内容を踏まえて、

    橋本先生に聞いてみたい、一緒に勉強してみたい。

    そう感じています。

     

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