カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • 消しゴムの有り難さ

    寺本雅一です。今日から一週間ブログを担当させていただきます。
    どうぞよろしくお願い致します。

    早速ですが、みなさんに質問です。
    持ち物の中に入っている筆記用具入れ。「ふでばこ」や「ペンケース」を想像してみてください。
    その中に「消しゴム」や「修正液」は入っているでしょうか?

    ちなみに、僕のふでばこには、今どちらも入っていて、毎日大活躍しています。
    実は、以前はこのどちらもほとんど使うことなく、ご縁のない存在でしたが、操体をとおして学ぶ愉しさ、その味わいを知ってしまってからは欠かせない「相棒」のような存在となっています。
    そんな相棒的文具について、今日は書きたいと思います。

    ふと気になって、改めて、その理由を考えてみたところ、
    大きくわけて、二つのことが浮かびました。

    1、一度「わかった」と思ったことを繰り返し学ぶようになったこと
    2、間違っているとわかっているものをそのままにしておけなくなったこと

    この二つです。

    1については、学ぶということの「極意」だと感じています。
    言葉にすると、至極当たり前なのですが、でも実践し、継続してみるとその妙味を味わうことができると思います。

    例えば、仕事のノウハウや、勉強していることや興味のあること。
    「わかった」と思い、書き留めた記録を、時間が経ってからもう一度見てみる。からだに入れて、感じてみる。すると、必ず「あれ?」という点が見つかるはずです。「ここは、こんなことにも繋がってくるんじゃなかろうか」というプチ発見や「あ、ここ間違っているかもしれない…」と見えてくるものがあると思うのです。どうでしょうか?

    また2については学ぶ人間の「自己責任」にも繋がってくると思います。「ここ、なんかしっくりきてないんだよな…」というような点。その違和感に「気付いている自分自身」をふと感じること、ないでしょうか。もし感じているならば、それは宝物です。その場で、その声に従う必要がある。

    なぜならその場で、そのことを知らんぷりしても、まわりまわって結局また同じことをちゃんと考える必要が生じて、もう一度向き合わなければいけなくなるからです。ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、そんな経験はないでしょうか?僕はそのことを、ようやく身にしみて、学び知りました。

    そんな時に、必要になってくる「消しゴム」や「修正液」。
    線で消したり、もじゃもじゃっと黒く塗りつぶすのもいいですが、僕はあえて「消す」ようにしています。適当に消すんじゃなくて、「ちょっと姿勢を正して消す」という気持ちで。

    最初は抵抗もあるかもしれないけれど、思いきって消す。そして、今感じていることへと更新する、追加する。

    これがなかなかクセになってきます(笑)。
    言い方を変えれば、書いたり消したりというのは、自分自身との正直な対話でもあるはずです。
    不思議と、「書き直した部分」というのは愛着が生まれます。しかし、それもまた、必要を感じたら消して、更新していく。変化を受け入れていく。

    そんな、「消しゴム」&「修正液」というのは、「時間を越えてしまうツール」のようにも思えて来ます。
    なぜなら「記録」を消して、新たに書くという行為は、「過去」と「現在」が繋がることであり、もっと言ってしまえば、「いま」という次元で学びと向き合えるツールであるように思えてくるからです。

    そして例えば、「修正液」というものは特に面白くて、書いたことを消してしまったように見えますが、その裏側から見ればむかし書いたこともちゃんと読めてしまう(笑)。
    「時間」もいったり、きたり出来てしまう次元越えツールでもあるのです。

    
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!
    
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


    テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

    是非お越し下さい。

  • 皮膚のこと

    操体と出会い、学ぶようになり「皮膚」のことを想う時間が増えた。
    こどもの頃からアトピーがあり、治ったかと思ったら大人になってまた現れたり。
    夏も冬も関係なく、「波」のように手の荒れや皮膚の荒れを繰り返す。
    振り返ると自分の皮膚に対して、無意識に、あまりいい印象を持てていなかったように思う。

    操体の講習や実技を通して、言葉や体感をもって。
    「皮膚」とあらためて出会ったように思った。
    今まで気が付かなかったことに気付き
    「包まれている」ことの凄さ、有り難さを体感した。

    当たり前だと思っていることは、決して当たり前ではない。
    当たり前が、当たり前でなくなった時の衝撃というのは
    なかなか想像できるものじゃない。
    いかに、頭の中に「常識」というレールが敷かれているかを認識する。
    そういうことを「皮膚」との新しい関係から、教えてもらっているように感じる。

    例えば、冬の寒さと乾燥。
    お風呂上がりにはなかなか堪える。
    「ひりひり」したり「じんじん」したり
    様々な表情を見せる。

    「いままで」を振り返ると
    そのことはとってもおっくうで、ただただ保湿クリームをぬり込むばかりだった。
    皮膚からの「声」に耳を塞いでいたなぁと思う。

    「いま」はこの風呂上がりのひとときが、大切な時間になっている。
    感覚してみたり、触れてみたり。
    色々試してみるなかで
    皮膚からの「声」が変化しているのに気付く。

    思考ではなかなか捉えられない「感覚の世界」が始まると
    どこまでも可能性があるのではないかと感じさせてくれる。
    そのことが、無性に有り難い。
    「皮膚」は、「細胞」は、たしかに生きている。
    ちゃんとみている。みられているんだと。。。

    穏やかで、静かで、充実した時間のなか
    「いままで、ごめんなさい」と
    いつの間にか、眠っている。

    一週間ありがとうございました。

    ここで一寸、告知をさせて下さい。
    来年2014年4月に春季東京操体フォーラムが開催されます!
    今回は4月26日(土)、27日(日)の2日間です。
    26日は三軒茶屋ターミナルビル、27日はいつもの千駄ヶ谷津田ホールにて行われる予定です。
    2daysの詳細は東京操体フォーラムHP等で追ってお知らせする予定です。
    気になっている方、いましばらくお待ち下さい。

    明日からのブログは友松さんが担当されます。お愉しみに!

  • 黄金螺旋

    からだのことを学んでいるうちに、「螺旋」というキーワードに対する興味が出てきた。
    このキーワード、あらゆる現象に密接に関わっている気配がする。
    「螺旋」は3次元曲線。
    これを2次元の平面に投影すると「渦巻」という2次元曲線になる。

    「螺旋」と一口に言っても、さまざまな種類があるらしい。
    インターネットで検索するだけでも「〜螺旋」と名のついたものが沢山でてくる。どれもその表情が違って見えて面白い。

    臨床に話を移して、介助/補助を受けている際のからだの動きのイメージ。ここにもこの軌跡が重なることがある。
    「植物的な動き」は言い換えれば螺旋の動きとも言えると思う。

    からだの動きの安定、充実感。
    操者として、また被験者として。
    動診、操法の中でいまいち充実感が足りないと感じる時。
    また、介助に「隙間」があるなと感じる時、抜けているなと感じる時がある。
    そういう時に目に見える動きも、目に見えない動きも。
    そのどちらも含めて、「螺旋」の軌跡が関わり、さらにその「質」を吟味するのが大切なのではと感じている。

    話はまた変わって漫画の話。
    中学生の頃から愛読している漫画に「ジョジョの奇妙な冒険」という作品がある。
    20数年続いている名作であるが、そのうちの第7部「スティール・ボール・ラン」にハッとする内容が書かれている。

    登場人物の中に「鉄球の回転」を扱う人物が登場する。
    この回転を駆使して、あらゆる現象を生み、妙技をもって目の前の出来事に向き合っていく。
    その物語の後半、回転の「質」に関わるやり取りが描かれるシーンがある。
    今までの回転とは違う、さらに質の高い回転を模索する必要性がでてくる。

    そのとき、その人物は「黄金比の長方形」から生み出される回転の存在に気付く。
    その「黄金長方形」から描き出される回転の軌跡は「黄金螺旋」である。

    すごいなと思ったのは、この人物が「黄金比の回転」を生み出す時。
    その原型となる「黄金比の長方形」を「自然界に存在するもの」から見出すことだ。
    それは時に、舞い降りる「雪の結晶」からも見出される。

    漫画の世界、フィクションの世界とあなどってはいられない。
    操体を学ぶことに大いに役立つ情報が詰まっているように感じている。

  • コーヒーの渦

    勉強するとき、独りの時間を過ごすとき、最近はもっぱらコーヒーを飲んでいる。
    以前はブラック派だったのが、日に何杯か口にするようになり、ミルクを入れるようになった。

    朝のぼんやりとしたひととき。
    コーヒーにミルクを入れ、スプーンでかきまぜる。

    ある朝、あまりにぼんやりしすぎて、ミルクを入れてからしばらくぽかーんとしてしまう。
    朝の新鮮な日差しが入り込んでいる。静かなひととき。
    ふと、放置していたコーヒーを見ると、ミルクがくるくると渦を巻いている。
    混ぜなくても勝手にミルクはコーヒーと溶け込む。当たり前のことだよなぁと思って見ている。

    とは言いつつも、その渦の感じ。
    お?
    当たり前だと思って漫然と見ていたけれど、なんだか面白く見えてくる。
    コーヒーの水面には次々に底の方からミルクが湧いてくる。
    それが大小さまざまな螺旋を描き、それぞれのスピードでくるくるしている。
    勝手な動きのように見えて、見えない歯車がかみ合っているように。
    全体一体の流れのごとく刻々と変化している。繊細でダイナミック。
    昔、美術の授業で習ったマーブリングのようなミルクの動態。

    なんとなく「脳の皺」のようにも見えてくる。
    あぁそういえば、脳のあの「皺」も熱対流が原動力になってできあがるという説を聞いたことがあった。
    ミルクの渦と脳の皺。まさに宇宙の神秘。

    そんな風に、ちょっと感動を味わった後、「ではそろそろ飲もうかな」と思った時。
    「水面下」に揺らめいているものを発見する。
    ずっとコーヒーの水面ばかり見ていたけれど、カップの中の目に見えない底の世界にも流れがあることを知る。

    ここにも渦があったのか。しかもこっちのはだいぶ立体的。
    この見えない流れがあって、水面の渦が見せてくれる世界があるのか。
    水面の渦は「氷山の一角」。
    コーヒー然り、裏側の世界にはさらなる神秘が隠されていることをここでも思い知る。

    コーヒーの世界では、わざわざかき混ぜなくても、ミルクとコーヒーはゆったりと調和していく。
    飲む人はミルクを入れただけだ。
    からだの世界でもそう。「からだ」と「快」が出会うきっかけを演出することだけ。
    あとはからだにおまかせすること。

    そうは言いながら、からだを前に「必要以上」のこと。
    例えば、スプーンでかき混ぜる様なことを自分はしていないだろうか。
    コーヒーとミルクが描くのびのびした螺旋の渦が、一際美しく見える。

  • 万感のクリスマス

    今日はクリスマス。
    クリスマスと言えば、先日、23日に代官山UNITで行われたイベント「ヒカシュー結成35周年記念 万感のクリスマス」に行ってきました。

    もう、最高の時間を堪能して来ました。
    気が付いたらどんどん前に移動して、最終的にはカブリつきで体感(笑)。
    極上の音に包まれて、からだの細胞もなんだか悦んでいるんじゃないかというような、そんな感覚。
    そう、この日会場に流れていた音はどれも本当にいい音ばかりで。幸せなひとときを味わいました。

    ひとときと言っても、4時間近かったと思います。本当にあっという間で、2回のアンコールの後も、拍手が鳴り止まず。客席の電気がついて会場側からの「もうアンコールはありませんよ」という、無言の合図にも関わらず、拍手は止まらず。気付くと手が動いていて「フォー!」とか言って、アンコールの渦の一部になっていました。

    最後の最後にその熱烈なアンコールに応えて、ヒカシューリーダーの巻上公一さんが独り出てきて、改めて感謝の言葉を口にしているのを聞いて、何度も何度もライブを見ながら感じていた「今日は本当に来て良かった」という気持ちが丸くおさまったようで。
    今でもあの空間で体験したことを、反芻しているような感覚があります。

    実はこのイベント、前日も含めての2days。本当は両方とも行きたいくらい、ともに超豪華な顔ぶれでした。いろんな方が感想をブログに書いているようです。
    不思議なのが、なんだか初対面なのにライブを観ているうちに客席に親しみが生まれているような感じがすること。これはヒカシューのライブならではなんじゃないかと思います。単なる音楽のライブに終わらない、空間丸ごとが開いている感じ。こういうバンドが、日本で、現役で活動していることが本当に嬉しい。新譜も出たそうです。今回のライブを通して聴かせてもらいましたが、最高でした!ジャケもカッコいいです。

    万感

    万感

    毎年クリスマスの時期にヒカシューはライブをされているようです。行ってみて思ったのは、これは完全に「クリスマスプレゼント」だということ。無形のプレゼントは人生の宝物。そんなことを改めて感じた一夜でした。

    そして、大切なことを言い忘れていました(笑)。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、このヒカシューリーダーの巻上公一さんは当東京操体フォーラムの相談役をされています。このご縁、本当に有り難いなと感じています。

    早速調べたところによると、ヒカシューは来年の2月20日(木)に吉祥寺のStar pine’s Cafeでワンマンライブをするそうですね。この日もいい夜になるだろうな。からだが味わいたいようなので、吉祥寺に行こうと思っています。

  • 言葉の誘導

    動診と操法において、「介助/補助」と同じく奥深いと感じているものに「言葉の誘導」がある。ともに、からだの動きの安定・充実感を促すことに大きく関わる。前者が「見える手」で触れていると捉えるなら、後者は「言葉」という「見えない手」で相手に触れているようなもの。熟練の操者の方の動診、操法を受けると、静かな「千手観音」のイメージが浮かんでくる。

    「言葉」という字のなかに、「葉」という漢字が当てられているのは面白い。「植物的」な要素を含んでいるということだろうか。植物的な要素を含んでいるならば、言葉にも実は「根っこ」が生えているかもしれない。

    どんな「根っこ」がどこまで伸びているか。それは使う人に委ねられている、言葉を育てる面白さだと思う。表面的には同じ「言葉」でも口にする人、使う人によってその響き方がまったく変わってくることも、なんとなく頷ける。そんなことを考えていると、言葉にイノチがあってもおかしくはないように思えてくる。

    言葉の「根っこ」や「源泉」。そういった目には見えないかもしれないが、感じることはできるものを、からだは素直に受け取っているのではないだろうか。
    「言葉」というイノチあるものを生かしていく「言葉の誘導」。操者ができること、磨いていけることはまだまだ在るような気がしている。

  • 介助/補助

    講習で師の第二分析の動診/操法を受けている際、「植物の動き」のようなイメージが想起されることがある。
    「芽が天に向かって成長し、つぼみから花が開く」
    「タケノコがスーっと伸びていく」
    「蔓が支柱に巻き付いていく」

    日常の意識感覚では、捉えきれないほのかな変化の積み重ね。幾日かビデオカメラをまわして動画を撮影し、それを高速再生することで一連の流れを見ることができる様な、そんな植物の動き。

    動物である人間の動きの中にこういった「植物的」な動きが内包されている不思議。そんなイメージを味わっている時は、「からだのうごきはじめ」から動きの充実感、安定感に包まれていて、思考もおさまり静かな時間の中にいる。
    「充実感、安定感」という感覚の「質」にも幅が在る。そこに大きく影響するのは操者の「介助/補助」の質だと思う。

    しかし、植物は生きている中で、誰からも「介助/補助」を受けていないように見える。いや見えていない、認識できていないだけで、何らかの「介助/補助」を受けているのだろうか。もしそうだとするならば、その本質はなんなのだろうか。

    今、学ばせていただいている操体の学びは、「介助/補助」のかけ方、与え方ひとつとってもは、こういった生命の神秘に触れるようなことまで及んでいるように感じる。長年の吟味を重ねて育まれてきた、言わば操体の極意の数々。そんな原始感覚、生命感覚の学びを味わうほどに、何とも言えず有り難い気持ちに包まれる。これは操体の醍醐味だと思う。

    もしかしたら、植物が太陽の下で味わっている「安定感、充実感」というものを人間が味わうことも出来るかもしれない。いや、実際すでにそれに近い様な感覚を、講習の中で、師の臨生を通して実感させていただいていた。
    誰もがそういった「包まれている感覚」を、いまこのときに味わうことができると感じる。ただ日常の生活において、なかなかその大切なことに意識が向けられないだけで。
    「介助/補助」を学び、通していくなかで、そのことに気付くきっかけのようなものに触れられたらと思っている。

  • 全日本フィギュアスケート選手権「男子ショート」

    おはようございます。寺本雅一です。本日から7日間、ブログを担当します。
    どうぞ宜しくお願い致します。

    昨日、12月21日の夜。テレビで放送されていた全日本フィギュアスケート選手権2013「男子ショート」。
    見ていた方も多いのではないかと思います。
    一日目、このホットな話題から始めます。

    唐突だが昨日の夜、27歳の高橋大輔選手の滑りを見て、言葉にできず思わず涙してしまった。
    年齢が近いから、ということもあるのかもしれない。
    結果的には、得点的には、第四位。でもそんなこと関係ないよ、と思えるくらい
    見ている者の「芯」に訴える滑りだった。不思議なもので、彼がスケートリンクにスタンバイし
    ピアノの音から伴奏が流れ始め、「舞い」始めたその瞬間から、目頭が熱くなり、からだにスイッチが入ってしまった。
    なぜなんだろう。そのことが意識から離れず、しばらくその感覚を味わっていた。

    後から知ったことだが、彼は怪我をしていたこともあり、今回の大会に決して万全といえるからだの状態で臨んでいない。
    また、そのこともあり十分な練習も行えていなかったという想いがあったそうだ。
    そんな心境を抱えながらも、彼は舞った。色々な状況をすべて受け止めた上で、「いま」という瞬間に生きる人間の姿。
    言い訳など一切感じられなかった。「我」という意識も彼の滑りからは感じなかった。
    気付くと氷上で表現されるからだの動きに呼吸を重ねていた。

    スケートの評価基準のことはよくわからない。でも昨日の彼の滑りにはひと味違う「底光り」した魅力
    太い「軸」を感じ、点数では評価しきれない競技としてのスケートの「先」に在るものを魅せてくれたようにも感じた。
    月並みだが、その有り様が強く、美しく見えたのだと今は思う。

    最後に、ショートを終えた後のインタビューで彼は「自分自身」という言葉を使っていたのが印象的だった。
    「あぁ、やはり高橋大輔は『自分自身』と日々向き合っているのか」と思う。
    一番油断ならないのは「自分」なのだ。誰もみていないところでも「自分自身」はちゃんと見ている。
    思えば、「自分」ばかりに気を取られ、「自分自身」と対話することを忘れ
    外側を磨くことにばかり頭を働かせてはいないだろうか。
    彼のスケート、「生き様」を魅せてもらって、背筋が伸びる想いがする。

  • 宝物を磨く

    操体と出会い、色々なことを教えていただく中で
    「感覚」はひとりひとりの人が持っている宝物だと思うようになりました。
    人の持っている宝物を、私が磨いていくことはできない。
    逆もまた然りで
    私の持っている宝物を他人に代わりに磨いてもらうこともできない。
    でも、自分自身にしか磨けない宝物が在るということは、本当に嬉しいことだと思います。

    橋本敬三先生の著作「からだの設計にミスはない(たびぐち書店)」を初めて読んだとき
    「まあウソかホントかやってみな」
    という言葉がとても印象に残りました。
    私の「からだ」を通して
    「感覚」を通して
    私自身が本当に納得できているのかどうか。
    そういった問いかけを後世に学ぶ人たちに
    今もなお、言葉を通して伝えてくださっているように感じます。

    またこの言葉はもうひとつ
    「やりながら、動きながら」感じることも教えてくださいました。
    それは私にとっては一歩踏み出す「勇気」にも繋がるものだったと思います。

    それまでは勇気がなくて
    「動かず」に悶々と考えて、止まってしまっている自分がいて
    肝心なところで「動けない」自分がいました。

    やりながら、動きながらでないとわからない感覚がある。
    そういうことを教えていただいたことで
    「とりあえずやってみながら、感じていけばいいんだ」と
    今ある自分を、素直に受け止めることも教えていただいたように思います。

    一歩ずつゆっくり、愛しみながら
    自分自身の宝物である感覚を
    これからも磨いていきたいと思っています。

           ***

    「感覚」つながりでもうひとつだけお伝えしたいことがあります!
    実は私は「音」好きで、数年前から南シベリアのトゥバ共和国
    ホーメイ」という歌唱法に魅せられています。皆さんご存知でしょうか?

    この「ホーメイ」という歌唱法は
    「1人でいくつもの音を同時に出せる超絶歌唱法」なんて言われることもあります。
    私も初めて見た時に大自然に育まれたその「声の魅力」に
    完全にノックアウトされてしまいました。
    そしてその不思議な音の世界観に「いったい何がおこっているんだ…」と
    人間の可能性のようなものも強く感じ
    気付いた時には私も唸る練習をしていました(笑)

    そんなトゥバのホーメイ歌手の方がなんと9月に来日します。
    メンバーの1人は今年現地で開催された
    「国際ホーメイフェスティバル」の優勝者の方です。
    超多忙でなかなか日本に来日できない「ホーメイジ」です。
    *「ホーメイジ」はトゥバ語で「ホーメイ歌手」のことです。

    そしてトゥバのお隣にはアルタイ共和国という国があり
    そこにも「カイ」という超絶歌唱法があります。
    「風の谷」のモデルになった国とも言われている秘境アルタイ共和国から
    これまた「国民栄誉歌手」の方も同じ時期に来日します。

    それだけでも嬉しいことなのに、この度奇跡的なことが起こり
    なんとこのお二方を含めた言わば「スーパースター」達が共演する機会が「日本」であります!
    日本すごいです。

    その奇跡的な機会を演出してくださったのは
    実は東京操体フォーラムの相談役もされている
    「超歌唱家」の巻上公一さんです。
    このスーパースターの共演は、まさに巻上さんのご縁の賜物だと思います。
    むしろ日本だから実現したといっても過言ではないと思います。ファンとしては本当に有り難いです(涙)
    関東では高円寺や六本木、横浜で公演があるそうです。
    ちなみに私は全て行くと思います(笑)

    ご紹介させていただいたのは、「ホーメイ」も「カイ」も耳だけではなく
    からだで味わうものだなあと日々感じるからです。
    私自身はホーメイを歌うとき、自分の声をモニターしながら
    まさにからだ全体で感覚を磨いているような気持ちになります。

    普段とはちょっと違う体験してみたいなあ
    もしくはいつもと違った方面から感覚を磨いてみようかなあ
    と思っていらっしゃる方には絶好のチャンスだと思います。
    ご興味を持たれたみなさま、詳しくは巻上さんのHPの「topics」から
    「アルタイとトゥバ 9月は喉歌の祭典だ。」をご覧下さい!
    写真もあって、わかりやすく魅力を紹介してくださっています。
    http://www.makigami.com/

    最後は随分長文になってしまいました。。。失礼致しました。

    一週間お付き合いありがとうございました。
    明日からは友松さんが担当されます。どうぞお愉しみに!

    寺本雅一

  • 自分自身の中にある図書館

    今週のブログの中で、何度も言葉を変えて書いてきましたが
    操体操体法を学んでいて私が感じるのは
    「道具」も何も必要としない
    「身ひとつ」の有り難さ。
    それは「学ぶ」時も同様
    「身ひとつ」で学んでいけることの有り難さです。

    その代表的なものが私は「般若身経」だと思っています。
    「般若身経」は使われている漢字にもあるように
    からだの中に在る「経典」のようなもののように感じます。
    私のからだの中に、生まれた時から「経典」が在る。
    そしてその経典を自分自身で紐解いていくことが
    「学ぶ」ということだと思うからです。

    「経典」がどれほどの厚みがあり、何冊くらい在るのか。

    私はそのことを考えると、「考古学」の世界に想いを馳せるような気持ちになり
    一種のロマンを感じます。
    師匠も、そして操体をともに学ぶ先輩や同志も
    日夜、この経典の発掘、研究、解読に取り組んでいるように
    私には感じられます。
    そしてその最先端の研究の成果を共有して学ばせていただけることも
    私にとっての操体の学びの醍醐味です。

    先ほどは「経典」と例えましたが
    もしかしたら「図書館」くらいのヴォリュームがあるかもしれません。
    私にはこんなイメージがあります。

    イノチに関する図書館が自分のからだに備わっていて
    訪ねていけばいつでもどこでも
    学びたい時に学ぶことができる。
    そして、その図書館は誰でもない
    「自分自身」にだけ開かれている学びの場である。

    そんなことを思うと無性に有り難い気持ちになります。

    ただ一点
    この図書館に入館するためには「鍵」が必要なようです。
    年中無休で入館料もとらないけれども
    「タダ」では扉が開かない。

    その鍵の存在も操体の学びで
    しっかり教えていただきました。
    そして私は現在進行形で
    今もその「鍵」を磨いています。
    それは
    誰でも生まれながらに持っている「宝物」

    そうです!
    「感覚」です。

    明日に続きます。