カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • ワルモノ

    おはようございます。

    昨日までのモノガタリを辿っていて、

    何だかまだ続きのある絵本の世界に入り込んでいるような気持になりましたよ。

    瀧澤さん一週間ありがとうございました。

     

    さて本日から一週間は寺本が担当します。

    テーマは引き続き「正義」です。どうぞ宜しくお願いします。

     

    操体」の世界に足を踏み入れると、

    今まで考えてみたことのなかった

    ものの「見方」、「捉え方」に遭遇する。 

     

    勉強し始めた頃、講習に参加する度に、静かなる衝撃の連続だった。

    (そしてそれは6年目の今でも、螺旋階段を昇るように、未だに続いていることではあるのですが・・・)

     

    中でも「症状」や「疾患」、「からだの不調」、「病名」といったものに関してのこと。

    操体に触れるまでは、これらのことが自分のなかで単なる「マイナスイメージ」でしかなかったように記憶している。

     

    頭痛がすれば、

    「何でまた頭が痛くなるんだろう。。。やだなー。」と思い、

    消してしまいたい

    蓋をしてしまいたい

    それとも、

    我慢するか、

    無視するか、

    または、

    やっつけてしまうか。

     

    20数年間生きてきて、そんな風にしか思えていなかったことに、 

     

    「いやいや、そんなことないんだ。

    こいつらは、そんなニクい奴らじゃないんだ・・・」

    と語りかける言葉(診方・捉え方)が操体にはあった。

     

    今まで「陰」になって見えていなかったところに

    光を当てられているような気がして、

    その時に、「あぁ、こういうことが知りたかったんだ」と感じたことを覚えている。

     

    「ワルモノ」だと思い込んでいたものは、

    瞬く間に変化してしまった。

    これも一種の正義なのだと思う。

     

    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です。

  • 響き続ける

    「あの世」があって、「この世」がある。

    イノチあるものはいずれ、あちらの世界へ旅立っていかねばならない。

     

    この世を生きていると、

    「この人に出会いたかったのかもしれない」

    と思うような人との出会い、ご縁に遭遇することがある。

     

    そういった「生」を辿っていった先には、

    当然、「別れ」に出会うことにもなる。

     

    自分勝手な願いではあるけれども、

    そういった自分にとって大切な人のことを想う時、

    「この世からいなくなってほしくないな」

    「あわよくば、健康できもちよく、長生きしていただきたいな」

    なんていう願いを心のどこかで感じている自分がいる。

     

    「永遠に生き続けていただくことはできないだろうか」、などと考えていて

    それは随分と「他人事」の考え方なのかもしれないと、思い至った。

     

    その人の言葉や姿勢、生き様を通して

    自分を変えるような何かを受け取った。

    その受け取ったものは、言い換えれば「響き」のようなものだ。

     

    放っておけば、気が付かないうちに消えてしまうかもしれないが、

    自分自身のなかで響き続けることができれば繋いでいくことはできる。

    そして、それを増幅していくことも、然るべき転調をさせていくことも。

     

    響きは「イノチ」でもあろう。

    ということは、目に見えるイノチは消えてしまっても

    目に見えないイノチを伝えていくことはできる。

    受け取った人間にも、できることが残されている。

     

    勿論、簡単なことではない。

    けれども、自分事として響き続けることも

    「感謝」を現わし続ける、

    ひとつのカタチではないかと感じている。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員の「感謝」の空間です。

    どうぞ、おたのしみに。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • つかうか、くばるか

    「気をつかう」のと

    「気を配る」のは、

    似ているようで、中身が全然違う。

     

    気を使われるのは、こちらも疲れるが、

    気を配られて悪い気はしない。

     

    また「つかう」にも、

    「使う」と「遣う」があるようで。

    以前から、この違いはなんなのか、気にかかっていた。

     

    「相手に気を使って」いるときは、

    「相手に」と言っていても、

    心の奥底にある真の目的のようなものは、

    実は自分のためだったりするような気がする。

     

    「相手に気を配って」というときは、

    先ほどの「魂胆」の部分は見えてこない。

    目的のなかに「自分」という項目が見当たらない。

    「気を遣う」の方もこちらの意味合いに近いようだ。

     

    以前から、自分は気を使ってしまうことが多く、

    気を配るようなことは苦手だと感じていた。

     

    最近になって少し思い当たることがあった。

    気を配っているときの行動の背景にはあって、

    気を使っているときの行為の背景にはないものがある。

     

    「感謝」もそのひとつ。

     行動の背景に、大切なものが抜けていたのではないかと思う。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • 目の前にいない人のことを

    手紙を書いたり、

    贈り物を贈ったり、

    どちらも、いま目の前にいない人のことについて

    想いを巡らせ、意識を向けながら行うこと。

     

    最近、こういうことについて考えることが増えてきた。

    何故なら、自分はこういったことが

    きっと苦手なんだろうな、と改めて感じるからだ。

     

    「目の前のこと」には、一所懸命に取り組んでいる。

    怠けているつもりもなく、ベストを尽くしているかのように思える。

    けれどもそれは、「目の前のことだけ」で終わってはいないだろうか。

    そういうことを考える必要が、やってきているような気がしてならない。

     

    想いもよらずに誰かから便りをもらうとき

    贈り物をいただいたくとき

    また些細なことでも、気を配っていただいていたことを感じるとき。

     

    そういうときに、

    離れたところにいる相手が、自分のために意識を巡らせながら

    言葉を紡いだり、何かを選んでくれたり、

    行動してくれたりしたことの、

    それまでに至る想いや心遣いの軌跡が

    瞬間的に感じられる(入ってくる)ことがある。

     

    結果だけではなく、そのプロセスが伝わる。

    これはまったく、時間と空間を越えていると感じる。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • 支えられている感覚

    「みんなは呼吸をどのくらい止めていられる?」

    忘れもしない。
    講習に参加して間もないころ、座学の時間に師匠から受講生に問われたことだ。

     

    「(1分半くらいならいけるかな)」
    当時はそのようなことを考えていたと思う。

     

    普通の人は意識的に呼吸を止めていようとしても、せいぜい数十秒くらいだろうか。
    ギネスに載るような超人的な人や、ヨガのマスターは別として。

     

    「じゃあさ、人間は何故呼吸を止めていられないんだと思う?」

     

    また飛んでもないことを聞いてくるな、と思った。
    そんなことは考えたこともなかった。

     

    この問い掛けに対する、ひとつの回答はもらった。
    なるほどなぁ、と感じた。
    ただ、いまだにこの問い掛けは思い出すし、その度に考えている。

     

    当たり前すぎることは、
    何かに支えられて、成り立っている。

     

    その支えられている感覚に意識を向ける習慣は
    目に見えるもののことを考えるよりも
    よっぽど豊かで、途方もなく未知なことなのだと思う。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • 見透かされている

    操体を通してからだのことを勉強していると、

    臨床家というものは

    いかにからだから見透かされているかを

    痛いほど実感する。

     

     

    特に、

    「オレが治してやろう」といった操者の作為。

    そういう情報でいっぱいになり、

    肝心なからだへの信頼感が薄れてしまっている状態では

    からだの方はそっぽを向いてしまう。

     

    からだへの信頼感とはどんなものなのか。

    まだまだ勉強中のことではあるが、

    これを言い換えれば、

    からだに対する感謝でもあると感じている。 

     

    からだも「感謝」をキャッチしているのだと思う。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • 臨床という空間の中で

    「臨床」を受けに来る人は様々なものを抱えて訪れているのだろう。
    「~が痛くて…」という、わかりやすい痛みを抱えている人もあれば
    「なんか調子が悪くて…」と自分自身でもつかみどころのない愁訴を抱えてくる人もいる。
    また言葉にはしなくても、心の部分で何かしらの悩みを抱えている人もいる。

     

    その人それぞれで、いろいろな状況がある。
    その「いろいろ」のなかにも「共通している部分」もあるようで、
    それは何かしらを「抱えている」ということではないかと思う。

     

    臨床を受けていただいた後、その人の口から
    「からだって、すごいですね…」
    といった言葉が聴こえてくることに、

    決して多くはないけれども遭遇することがある。
    その聴こえてくる言葉は、誰に向けられたものでもないような
    半分、独り言のようでもある。

     

    そんなとき、あぁこの人は
    臨床という空間のなかで、

    からだと向き合っていたのだなと感じる。

     

    からだと向き合っているときは、

    自然と、抱えているものから手を放している状態ではないだろうか。

    操体の臨床にはそういう不思議さが詰まっている。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム開催!

  • 見当たらないとき

    おはようございます。

    瀧澤さん一週間のモノ語り、ありがとうございました。
    本日から寺本が担当します。
    テーマは「感謝」です。
    宜しくお願いします。

     

    余裕のない時、または調子の良くないときというのは
    自分自身のなかに「感謝」という言葉がどこにも見当たらない。
    面白いほど忘れてしまっている。
    とても不思議だと思う。

     

    見当たらなければ、例えば「パソコン」のソフトウェアを

    改めて「インストール」し直す時のように、

    「感謝」という言葉を
    敢えて自分自身に「再インストール」する。
    するとアタマの中で蠢いていたものが、急に静かになることがある。

     

    静かになって、今まで息詰まっているような感じだったところに
    スーッと風が通るような感じを味わえる。
    抱えていたものの重みが、軽くなっていることに気付く。

    人間は複雑さのなかに生きているようでいて

    思いのほか、シンプルで肝心なことに

    左右されているのだと、しみじみと感じる。

     

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム速報

  • 日誌

    操体の世界に足を踏み入れてから

    ひとつの「習慣」が増えた。

    それは「日誌」を書くことだ。

     

    この日誌は、日々少しでもいいから書き、

    また書き続けることを師匠から勧められてきた。

     

    それを勧める師匠自身のノートは

    日々書き込まれ続けてきた結果膨らんで、

    通常の厚みの何倍も分厚くなっている。 

     

    言葉よりも態度で伝わるもの。

    そんな姿勢を目の当たりにしながら

    続けてきたことだ。

     

    (恐らく操体に関しては、銀河一学んでいる

    スーパーバイザーに「ヂカアタリ」してみたい方、

    ちょうどいい機会がやってきます)

    2017年 新規操体法特別講習会開催「40周年記念特別養成コース」

    www.sotai-miura.com

     

    日誌を書くことを通して、

    日々の「自分」と向き合い、

    また微妙な違いの様に感じられるかもしれないが

    「自分自身」と向き合うことができる。

     

    ノート一冊に、ペン一本。

    そして空間。

     

    このシンプルな存在が

    大切なミタテの場を与えてくれている。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    明日からは操体の「吟遊詩人」友松実行委員の「ミタテ」が始まります。

    おたのしみに。

  • 「だけ」のリスク

    「当たり前」なこと。

    「普通」なこと。

     

    日常を何気なく支えているこうした存在へ

    少しだけでも意識を向けてみれば、

    いまのこの状況は「当たり前」でも「普通」でも ないのではないかと感じられてくる。

     

    「そんなことは『当たり前』であり、『普通』である」

     

    と断言できるのは、

    恐らく、目に見えるモノだけを材料にして

    判断しているからではないかと思う。

     

    一方で、

    「目に見えるモノだけ」は

    「自分の目に見えているモノだけ」なので、

    ほんの一部の材料から見立てていることになる。

     

    本当の支えになっている素材の

    こぼれてしまっている状況で

    見立てをしなければならないのは、

    もしかしたら、相当のリスクを

    自分に背負わせていることなのではないかと思う。