カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • わたしのセルフケア7

    からだの治せる治癒力が大いに、のびのびと振舞ってもらえるように、

    そのきっかけになることはどんなことだろうか。

    日常のなかの当たり前のこと、そんな焦点の当て方で、今回のブログと向き合ってきましたが、実はとても重要な要素を最後に残していました。

     

    それは、「日常のなかの当たり前のこと」の最たる営みであり、

    同時に、今回テーマとなっている「セルフケア」にも深く関与しています。

    同じように大切なものはたくさんあると思いますが、私がいま一番興味を抱いているのは「呼吸」です。

     

    この「呼吸」は「からだの治せる治癒力」とも大いに関わっていると言えるでしょう。

    からだが悦ぶことってなんだろうか、それをからだにききわけるときの「間」。

    日中の活動時、また飲食のひととき。

    そして、生活時間を終えて、床につき、頭とからだを休めているときの睡眠時。

    そのすべての営みの時間と空間に呼吸は触れています。

     

    実際に、操体の臨床のなかでも、この「呼吸」というのは本当に大切な情報のひとつです。

    この普段「無意識」に営まれている呼吸に、まず「意識」を向けること。

    このことは、時を選ばず、場所を選ばず、また基本的には人を選ばない。

    まさに、究極のセルフケアの糸口なのではないかと感じています。

     

    操体(操体法)は、創始者の橋本敬三先生の時代から始まり、その時代時代でこの「呼吸」と「セルフケア」に、眼差しを向けてきました。「呼吸」の捉え方も、「セルフケア」の指導の仕方も、歴史を振り返ると、時代の変化と、そこに息づく人間の姿に呼応するようにどんどん変わり続けているんです。

     

    でも、具体的に呼吸とセルフケアに一体どんな繋がりがあるの?と、気になった方は

    まもなく4月29日にオンラインで開催される「2021春季東京操体フォーラム」に是非ご参加ください。

     

    ちょうど、この2つのキーワードがテーマに組み込まれている2021春季。そして、今回も当日は非常識な話題がてんこ盛りになることが必至ですが、操体がいま呼吸に対してどんな眼差しを向けているのか、また描いているのかなど、最新の情報が語られるのではないかと思います。

     

    画面越しのオンラインでの開催となりますが、この「呼吸」を介して、当日はご参加いただいたみなさまと交流したいと思います。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日から友松実行委員のバトンを渡します。どうぞ、おたのしみに。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

    www.tokyo-sotai.com

    「発表者からひとこと」「実行委員からひとこと」

    随時アップデートされています。

    www.tokyo-sotai.com

     

    www.tokyo-sotai.com

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  • わたしのセルフケア6

    わたしのセルフケアを考えるときに、「わたし」の範囲を拡げてみるというのも面白いと思って実践しています。

     

    例えば、わたしのこころとからだから一歩離れて、「身の回り」に目を向けて掃除をする。

    掃除の効用について説かれている方は多々いらっしゃいますが、こころやからだは自身の身の回りの環境から良い影響も良くない影響も受け取っていると思います。

     

    自身が疲れているときは、身の回りにもその「疲れ」が表現されているはず。

    そんな風に少し離れたところから手をかけていくことも、結構面白いと思います。

     

    最近、玄関の前を箒で掃いていてこんな興味深いことがありました。

    ・毎日掃いていても、次の日には必ず落ち葉や誰かの忘れ物のゴミなど、道端は何かしらが溜まっている。

    ・一見すると、そんなに埃がたまっていないように見えても、箒で掃いてみると、結構ちりとりに埃がたまる。

    ・そんなに埃がたまっていないと、思っていたところを掃除をしたあとに見てみると、その前と後でたしかに何かが違うことがわかる。

     

    「今日はケアをしなくてもいいかなと」思っていても、日々の生活のなかで、この「見えない埃」のようなものが、こころとからだにもたまっているのではないかと思います。

    そういう「目に見えないもの」や「わずかな変化」も含めてケアしてければ、かなり有効なセルフケアに繋がる様に感じています。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

     

    「発表者からひとこと」「実行委員からひとこと」

    それぞれアップデートされました。

     

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  • わたしのセルフケア5

    昨日のブログに書いたような「セルフキュア」を大切に思うようになると、

    俄然興味が沸いてくるのが「睡眠」のことです。

     

    日常生活のなかで、わたしたちが「からだの治せる治癒力」と接しているタイミングは

    この睡眠の時間なのではないでしょうか。睡眠はセルフキュアの有力な場となっているとも言い換えられると思います。

     

    一方で、睡眠の「質」。これが先述のセルフキュアの働きにも大いに影響するように感じます。

     

    睡眠の質をより良いものにするのは、どんな方法があるのか。

    これは私もいろいろと試していますが、布団に入って横になってから仰臥位、伏臥位、側臥位でできる動診と操法を通して、感覚のききわけをおこない、十分に味わいながら安らかに寝落ちする、ということもできるでしょう。これは直前の入眠儀式として、とても有効な方法だと思います。

     

    また、もう少し拡張してみて、その日一日の過ごし方が、その日の睡眠の質に影響していると考えてみるとこれも面白いと思います。これは、布団に休む以前から始まっていることです。先に挙げた食べ過ぎ飲みすぎなど、内臓に余計な負担をかけることも、そうでしょう。

     

    色々なことが挙げられると思いますが、特別なことをしなくても、生活時間と睡眠時間の関係に少し意識を向けてみる。そのひとつひとつが、良質のセルフキュアにつながるセルフケアとなりうるように感じています。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

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  • わたしのセルフケア4

    いわゆる「セルフケア」というと、「わたし」がわたしのこころとからだについて「ケア」できることを指しているような印象を受けます。

     

    今回のテーマの中でも、語られていること、またこれからも語られることだと思いますが、「操体」では、その背景に「からだの治せる治癒力」が働いていることを大切にしています。

     

    このからだに備わっている「自然治癒力」の働きは、こういう言い方が正しいかわかりませんが「セルフキュア」とも呼べるのではないかと思います。

     

    ※脱線しますが「キュア」といえば、どうしても想起せずにはいられないバンド。

    youtu.be

     

    からだには「セルフキュア」の働きが備わっている。その働きがのびのびと活躍するように、わたしにできるケア(しないケア)は何だろう、という眼差しが操体の指導者・実践者の語るセルフケアにはあるように思います。

     

    からだの「キュア」と、わたしにできる「ケア」の関係。

    「からだ」と「わたし」のバランス。

    そのなかで提案されるケアというのが、

    操体のセルフケアが面白い所以であると思います。

     

    ※操体の提案する「セルフケア」をオンラインで体感できる機会が4月にあります。

     ご興味のある方は2021春季東京操体フォーラムを覗いてみてください。下記参照

    ※一般の方もオンラインで「全編」でも、「一部分」でも参加できます!詳しくは下記フォームページをご参照ください。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

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  • わたしのセルフケア3

    昨日に引き続き、とある日の「食」に関する、私の「しないケア」エピソードについて。

    先日のブログ「セルフケアだけど6」で実行委員の瀧澤氏も似たような投稿をしてくれているので興味深かったのですが、

    blog.tokyo-sotai.com

    私もお昼休みなど、よく「何を食べようかな」と近所のお店を物色することがあります。そして、迷って探している時というのは、なかなか、「あ、これ食べたい」というものに出会えないことが多いです。

     

    これは最近気が付いて面白いなと思っているのですが、そんな状態で例えばスーパーなどに入ると、(ちょっと品のない話で恐縮ですが)まだ何も口にしていないのになぜか「げっぷ」が出ることがあります。「あれ?」と思ってちょっとお腹の具合を確認してみると、たしかに、腹心地はなんとなく満ちているように感じます。

     

    そういうときは、あ、これは「ハラワタさん」が「待った」を教えてくれているんだなと思うようにしてみています。食べるより、食べない方がからだは悦ぶんだなと感じる瞬間です。最初はそのからだの要求を素直に受け取ることができていませんでしたが、最近は「何かを食べる」という意識のスイッチをオフにして、「しないケア」のスイッチを入れるようにしています。

     

    以前、「食」については、「げっぷが出るまで食べるない」といったことを操体の講習で耳にしたことがありました。それが例えば、食べるという行為の前段階からも言える事なのではないかと興味深く感じています。

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
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  • わたしのセルフケア2

    「セルフケア」というと、どんなことをすればいいんだろう、といったことを連想しますが、一呼吸おいて「からだが悦ぶことってどんなことだろうか」と想いを馳せてみると、寧ろ「しないこと」がケアになってるんじゃないかとハッとさせられることがあります。

     

    「するケア」があれば、時には「しないケア」もあっていいと思うのです。

    一番わかりやすい例でいうと、他の実行委員のブログでも語られてきたことですが「食」に関する、「食べすぎ飲みすぎ」でしょうか。これは、私自身にとっても生活のなかで度々感じる身近なテーマとなっています。

     

    食べ過ぎない、飲みすぎないというのは「しないケア」に当てはまると思います。適切な指導者の下で「断食」を試してみる、というのも時にはいいかもしれません。

     

    空腹時にお腹からひびくあの「腹音」。また「空腹感」として認識している感覚も、とても分かりやすい内臓からのダイレクトなメッセージだと思います。これもじっくり味わってみると意外ときもちがよかったりするものです(ある意味、最も確実にからだから感覚をききわけることができる方法なんじゃないかと思います)。

     

    なんだか当たり前すぎる話のようではありますが、「食」以外のこと以外にも

    余計な事をしすぎてからだに負荷を与え続けていることが多いように感じます。

     

    例えば、他にどんなことが思い浮かぶでしょうか?

    自分なりに「しないケア」を考えてみるのは、特別なことを学ばなくてもからだが悦んでくれることに繋がることではないかと思います。

     

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    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
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  • わたしのセルフケア

    おはようございます。

    瀧澤さん一週間のブログ担当ありがとうございました。

    本日から一週間、テーマ「私のセルフケア」を引きついで寺本が担当致します。

    どうぞ、よろしくお願い致します。

     

    今回の主題「セルフケア」という言葉は、身体(からだ)と心(こころ)とその両面に対して使われていて、今ではインターネット、テレビ、書籍などのなかでも馴染みの深い概念になっているように感じます。

     

    今回毎日投稿されているブログを読まれた方の中には、操体の指導者や実践者が紹介する「セルフケア」は、今まで見たこと、聞いたことのあるものとはまた違って、独特だなあと感じていらっしゃる方もいるかもしれません。このブログを読んでいる方にとって、そんな独特な捉え方の中から、何か参考になるものや生活に生かしていけるヒントが見つかればいいなと思います。

     

    私も「セルフケア」については、日々感じ、考えています。

    どんなことがケアにつながるか、というのはとても興味深いことです。

     

    操体は「からだの治せる治癒力」をとても大切に、また「頼り」にしています。

    この治癒力なるものがのびのびと発揮・発現されるにはどのようなことが必要になってくるでしょうか。

    私たちができることのひとつは「からだが悦ぶこと」はどんなことだろうかと思いを巡らせることだと思います。これは意外と簡単なようで、奥が深いです。

     

    生活時間のなかで、思い出した時で構わないので、一呼吸おいてから、からだに意識を向けてちょっとからだのことを「感じてみるモード」に切り替えてみる。

    シンプルですが、こんな一呼吸の間を生活のなかに取り入れるだけでも、十分なセルフケアに繋がると感じています。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

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  • 私のズッコケ操体クロニクル~転んでもタダでは起きるな~

    「ズッコケクロニクル」として私の操体のいままでを振り返ってきました。

    こうして思い出してみると、私にとってのズッコケ経験は

    大切なことに気付かせてくれる、質的変化のきっかけになっていたことを感じます。

     

    操体になくてはならないキーワード「いいか悪いか、やってみて、どうか」

    を信念に進めば、いいズッコケに巡り合える。そんなイメージを今は感じます。

     

    加えて操体の先師からいただいた私の好きな言葉に、

    「転んでも、タダでは起きるな」があります。

    このメッセージは本当にありがたかった。

     

    日々の中で大小様々なつまずき事はありますが、

    ことあるごとにこの言葉に助けられています。

     

    「操体」はからだの未知も含んだ学問で、

    答えの出ていない領域について学ぶことができる面白さがあります。

    そこに、極上のズッコケと、タダでは起きない気概、

    そして素直な感覚が宿ることで、

    この操体の学びは、よりたのしみ深い経験となるのではと感じています。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員のクロニクルがスタートします。

    どうぞ、おたのしみに。

  • 私のズッコケ操体クロニクル~間の抜けた日常に~

    ズッコケクロニクルというか、いまも油断するとズッコケていることは多々あります。

    私がつまずきやすいのは「間」が抜けることです。

     

    操体の臨床では、運動分析から感覚分析、そして、皮膚に至るまで

    (そして、その先まで)様々なアプローチをもって

    からだと向き合う場でありますが、

    どれもある種の「間」を提供しているのだと思います。

    操法を通す「操者」として立っているときは、

    そういう意識にスッとスイッチが入る感覚があります。

     

    そんな「間」の演出をしているような役割の操者(私)の日常。

    これを振り返ってみると、「忙しさ」に振り回されて

    この「間」が無くなっていることのなんと多いことか。

     

    自分自身にどう還元されているか、というのは、

    勉強を続けていて、未だ反省の尽きないズッコケポイントとなっています。

  • 私のズッコケ操体クロニクル~〇〇の言葉に一喜一憂~

    操体を学び始めて数年ほどたった頃から、少しずつですが講習以外の場でもからだに触れる機会が増えていきました。

     

    チャンスが増えるごとに、臨床におけるリアルなことに直面するようにもなりました。

    最初、一番動揺したのは、被験者の方の言葉でした。

     

    感受性のある方は、操体を受けているときの感覚を豊かにモニターしてくれます。

    これはとても嬉しい。

    受け取った感覚をさぐりさぐりでも言葉で伝えてくださる被験者の声というのは、

    感覚分析を学んでいる自分にとって、とても得難い瞬間です。

     

    一方で、一番堪えるのは、操体を受けて「何も変化を感じない」という声。

    こういう感想を持つ方ももちろんたくさんいます。

    この手の言葉を受け取るたびに、正直内心では相当がっくりしたりしていました。

     

    被験者の方の言葉に一喜一憂していた時期がしばらく続いて、

    前日も書きましたが、からだに触れることでまた別の大事なことを学びました。

    被験者の言葉ももちろん大事。

    そして操者として、被験者のからだから感じているもの、

    「からだの声」のようなものも大事なんだと感じるようになりました。

    (こういったことは、ずいぶん最初の頃から講習で教えていただいていたはずなのに、

    身をもって体感しないと、わかれないことなんだと改めて感じます) 

     

    これは操体の持つ数種類の分析法によって、

    多様な切り口から、様々な変化として受け取ることができることだと思いますが、

    そういう「情報」がなんとなくでもからだからキャッチできると、

    被験者の方が「変化を感じていない」というのも重要な声だというように感じるようになりました。

     

    被験者の方は「いや、何も変わった感じがしないなぁ」と言っていても、

    たしかにからだの方で変化していたことが伝わってくる。

    そういう実感をちょっとずつ重ねることで、この手の言葉に不必要に惑わされる必要はないんだと思えるようになりました。