カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • まるごと操体②

    日常生活は学ぶことの宝庫。

    この営みのなかにも生命活動は満ちている。

    まるごと操体。

     

    いろいろ試してみて、自身のからだからのメッセージを受け取る。

    それを第一の情報として、自身の学びの種とする。

     

    学んだことを、からだを通して学習している同志と共有していると、

    同じ様なことばがかえってくることがある。

    学んでいることが重なっていると感じることがある。

     

    小さな「気付き」が、様々なことばによって少しずつ膨らんでいく。

    それは学ぶことの熱量に繋がっていると感じさせてくれる。

     

    この熱量を支えてくれているのは、からだからいただいている

    静かなしずかなメッセージ。

     

    開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

     

  • まるごと操体①

    瀧澤さん、一週間の「まるごと操体」メッセージ、ありがとうございました。

    本日から寺本が引き継いで投稿致します。

     

    ブログのテーマは引き続き「まるごと操体」です。

    よろしくお願い致します。

     

    操体を学んでいて感じるのは、この学びは『からだ』からの様々な気付きを通して行われているという実感です。

     

    例えば、健康についての有益な知識をメディアや書籍の情報から得ることができたとしても、自身のからだを通して、実際やってみてどうなのかということがうんと大事です。

     

    この「からだ」からの情報をいただいてはじめて、学ぶプロセスはすすみます。

     

    もしも操体から何かを学ぶとすれば、操体独自の有益な情報そのものだけではなく、

    その背景にある、からだから学んでいるその姿勢も、まるごと学ぶ。

     

    そういったことが今度の秋季のフォーラム「まるごと操体体験」でもお伝えできたらと思っています。

     

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  • さわる が ふれる になるとき7

    物に触れる、からだに触れる、いのちにふれる。

    手や足をうごかして、またはからだそのものを介して何かに接触する。

     

    そういった目にみえる「ふれる」もあり、

    発声などの目にみえない動きを通して

    ふれているようなことも、普段の生活には溢れています。

     

    楽器を演奏する方などは、奏でる音を介してふれているのかもしれません。

     

    目にみえなくても、ふれているなぁと感じることに、

    「意識を向ける」という動きも含まれているように感じます。

     

    普段、様々な刺激的な情報にさらされている私たちですが、

    自分自身のからだに意識を向けることは、わたしにとっても、からだにとっても

    一味異なった情報が生まれる場となります。

     

    そして、こういった意識を向けている時間、空間の「間(ま)」というのは、

    刺激的な情報群から少しの間、解放されているようなひとときとなるのではないでしょうか。

     

    「動き(うごき)」にともなう「さわる」と「ふれる」には、まだ多くの切り口、解き明かされていない秘密のようなものが隠されているようですが、

    からだの要求していることは、特別なことが必要なことでもなく、実に身近なところにヒントが転がっているように感じるのです。

     

    身近なことから学ぶことに興味がある方は、是非一度フォーラムにご参加ください。

    今回は久しぶりのオンサイト開催にて、ご来場をお待ちしています。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員の「ふれる」がはじまります。

    どうぞ、おたのしみに。

     

    www.tokyo-sotai.com

     

    秋季東京操体フォーラム開催決定

    2023年11月23日(勤労感謝の日)

     

    今季は久しぶりのルーテル市ヶ谷センターにて開催予定です。

    プログラムの詳細等は追ってお知らせ致します。

  • さわる が ふれる になるときは6

    「さわる」のか「ふれる」のかという捉え方の違いは、

    私たちが普段何気なく行っている「動き(うごき)」全般に関わることです。

     

    例えば、実際に、手足を使って何かを行うときはもちろんのこと、

    会話や言葉のやりとりにも「声(発声)」を介した

    「さわる」と「ふれる」があるように感じます。

     

    舞台や演奏会、ライブの場で、音が突き刺さってくるのではなく、

    音に触れられているように感じることがあります。

    これは音の大小やマイク、スピーカーを使っているかどうかにも関係がないように感じられるところが興味深いです。

     

    そして、普段の何気ない会話でも、声やことばにふれられていると感じられることがあります。逆に、刺激的な会話も多いですが。

     

    このあたりの違いがなぜ生まれてくるのか、不思議なことですが、

    これはからだに対しての操者の姿勢にも関わってくることです。

     

    からだのうごきにとって、

    手や足のほかに、「ことば」も大切な介助・補助になりうる

    といった臨床の捉え方があります。

     

    その点に関して、操体では幾重にも工夫や検討を重ねています。

    それだけ、からだは空間を介して素直に情報をキャッチしてしまうということだと感じています。

     

     

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  • さわる が ふれる になるときは5

    (つづき)

     

    人間のように言葉をもたない生命体。

    からだもそんな生命体のひとつだと思います。

     

    「言葉」は通じなくても伝わるものはあります。

    「さわる」で伝わるものが、

    「ふれる」では伝わらない。

     

    また、

     

    「さわる」で伝わらないものが、

    「ふれる」では伝わっていく。

     

    もし「言葉」の代わりに、こういったからだに伝わる「ことば」を介して

    からだとの信頼関係を育てようとするならば、

    からだにとって、「さわる」と「ふれる」は

    まったく異なる「ことば」なのだと感じます。

     

     

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  • さわる が ふれる になるときは4

    (つづき)

    「ふれる」ということばには、「感じる」という要素がそのことばの背景にしっかりと根付いているように感じます。

     

    ふれようとするときに自ずと「ゆっくり」になることも、不思議ではありますが、ある意味では、とても納得できるのです。

     

    「発信」と「受信」という捉え方では、限りなく「受信」よりのことば。

     

    ふれる 

     

    この意識の違いを、空間を介してからだは素直に受け取っているようです。

     

    「さわる」というのも、「ふれる」というのも、

    動作が始まる前から、何かが伝わってます。

     

    目にみえないところで、

    すでに、情報の授受は行われているのではないでしょうか。

     

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  • さわる が ふれる になるときは3

    (つづき)

    「さわる」と「ふれる」では、様々な違いがあらわれます。

     

    昨日は「間(ま)」のことについて、お伝えしました。

    このことに関係して、

    「さわる」と「ふれる」ではその動作のスピード感にも変化が生まれます。

     

    何かにさわろうとするときは、反射的に「パッ」と動作が生じますが、

    何かにふれようとすると、自ずと「ゆっくり」になります。

     

    なんで、こんなにも変わってくるのでしょうか。

     

    大変不思議に感じますが、

    「さわる」と「ふれる」では、その動作の背景にある目的のようなものが、

    ガラリと変わってしまうのを感じます。

     

    例えば、「感じる」ということば。

     

    「さわる」と「ふれる」、

    どちらに馴染む感じがするでしょうか?

     

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  • さわる が ふれる になるときは2

    「さわる」と「ふれる」。

    本人の意識が変わるだけで、大きな違いが生まれてくることがあります。

     

    「さわられた」、もしくは「ふれられた」対象にとっても、

    まったく異なる情報として伝わります。

     

    わたし自身、その違いとして興味深く感じているのは、

    「さわる」から「ふれる」へ意識が変化すると、

    「ふれる」のときには、それに伴ううごきに、

    ほどよい「間(ま)」が生まれることです。

     

    普段、何かと忙しくしていると、

    この「間」というものが

    どんどん切り詰められてしまうところがあります。

     

    一日のなかで、例えば植物でも、かわいがっている生きものでも、

    大好きなモノでもいいでしょう。

     

    何かに「ふれる」習慣を取り入れると、

    「間」にもふれることにつながると感じています。

     

    生活のなかのそういった「間」が、

    からだにとってもわたしにとっても、

    うんと大事なのではないかと思うのです。

     

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  • さわる が ふれる になるときは

    瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。

    バトン「タッチ」で本日から寺本が担当致します。

    テーマは引き続き「ふれる」です。

    よろしくお願いいたします。

     

    普段意識することもなければ、気にもならないことですが、

    私たちは実に様々なものに接しながら生きています。

     

    物、人、言葉、生き物、情報、自然、環境、空間、重力

     

    挙げればキリがありませんが、常に何かに接しながら生きているので、

    言い換えれば常に何らかの情報の影響を受け続けているのでしょう。

     

    それは、わたしにとって、またはからだにとって、

    どんな作用をもたらしているのか気になるところです。

     

    「情報」にもいろいろな質があると思います。

    操体では「ふれる」と「さわる」は似ているけれど、

    全然違うものとして識別しています。

    漢字にすると「触れる」と「触る」で、近しいもののように感じられますけれどもね。

     

    わたしたちが普段接し続けている情報も、実に「ふれる」と「さわる」の入り混じっている状態だと感じています。

    そして、私たち自身が日常生活で接しているものに「ふれて」いるのか、「さわって」いるのかというのも、多くは意識すされることもなく行われているように思います。

     

    でも、このあたりのことが、私たちの健康、そして健康維持増進にとっても、

    決して無関係ではないように思うのです。

     

    (つづく)

     

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  • 何を学んでいるのか

    空間というひとつの「間」を介して、

    様々な情報の授受が行われていることが少しでも感じられれば、

    納得できるものもまた拡がっていくと感じます。

     

    新重心理論を学んでいて、目がみえているものはほんの一部の世界のこと。

    本当のところはみえないものから、みえるものが生まれていくというイメージなのではないかと感じられてきます。

     

    からだのうごきも目にみえないものから生まれています。

    ゆっくりとしたからだのうごきに伴って、

    からだと自分が重なって、感じられたことが少しづつ言葉になっていく。

     

    からだが変化すれば、自分も変化している。

    自分が変化すれば、からだも変化している。

     

    それまで重さとして感じられていたものが、軽さとして感じられてくる。

    何かが解放されていることの一つの現われだと感じます。

     

    学んでいくにつれて、解放されていくものがあり、

    解放されていくことで、シンプルになっていく。

     

    ありのままの自然に宿っているイノチについて、

    学ぶということは、こういうことなのではないかと、

    新重心理論の学びから見せていただいているように感じています。

     

    www.sotai-miura.com

     

    今回は「何を学んでいるのか」をテーマにブログをお届けしています。

    明日からバトンを渡して友松実行委員のブログが始まります。

    一週間のお付き合いありがとうございました。