カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • 臨床と生活にいかす操体法

    瀧澤さん、一週間ありがとうございました。

    本日から直近に開催される春季フォーラムのテーマ「臨床と生活にいかす操体法」を引き継いで寺本が担当します。

    どうぞ、よろしくお願い致します。

     

    これは10数年前の私自身の話になりますが、当時は慢性的な片頭痛がひどかったり、

    肩こりが気になったり、つねにからだがだるかったりと、日常生活のなかで不調を感じることが多くありました。

     

    それで、間に合わなくなってくると、足裏マッサージやタイ古式マッサージ、また仲間うちで評判のいい手技療法を受けに行ったりして、助けてもらって、なんとかバランスを取り戻すというのを繰り返していました。

     

    その時の私は、自分自身ではどうすることもできない気持ちを抱えながら日々を送っていたことを思い出しました。操体の門を叩いたのも、そのことがずっと気になっていて、わたしにできることは何かないのか、ということが大きな動機となっていました。

     

    学んでいくうちに、この疑問点に応えてもらっているような感覚を味わいました。

    他人にからだを施術してもらう「臨床」と、私の普段の日常生活が、分断されたものではないことが感じられたのです。

     

    瀧澤さんのブログでも触れられていましたが、操体法の法は「法則」。

    臨床と生活に貫通しているものを、たしかに学んでいるんだと感じられた瞬間でした。

     

    www.tokyo-sotai.com

  • からだがききわけていることば7

    ことばは「言葉」。

    用いられている漢字が言の「葉」となっている。

    本来の語源や意味からは離れていくかもしれないが、

    ことばにまつわることは「植物的」な営みなのかもしれないなと思う。

     

    普段頭のなかには様々な思考意識があふれている。

    それは言葉になっているものもあれば、言葉になる以前のもやもやした状態のものも含んで実に目まぐるしく動いている。

     

    植物的にイメージするなら、ふとしたきっかけで、頭のなかに言葉の「種」がポロポロとこぼれ、ところどころ言葉の「芽」が伸び始めているような状況が浮かぶ。

    そのままその芽を放置していると、頭のなかが言葉のジャングルになっていく。

     

    頭のなかにある思考意識を発声・発音すれば、自身の周囲にひとつの現象を生みだす。

    頭のなかの言葉の状況が自身の周囲にも投影され始める。

     

    操体の創始者である橋本敬三先生も「言葉(ことば)」の統制について言及されされているが、これは言葉(ことば)のもっている可能性について深く思うところがあったからではないかと感じる。

     

    言葉を統制するというのは、頭のなかに生い茂る言葉を手入れしたり、口にする言葉を選んだりして、言葉を使うことについて気を向けることではないかと思う。

     

    そのひとの中に宿っていることばが変化し、ことばが描く景色が変わっていく。

    からだはそういった変化を空間を介してききわけているのではないだろうか。

     

    一週間ありがとうございました。明日から友松実行委員が登場です。

    どんなテーマに引き継がれるか、おたのしみに。

  • からだがききわけることば6

    今回はからだとことばについてブログをすすめてきましたが、少し視点を変えて、こんなこともことばに通じるのではないかと思うことを挙げてみます。

     

    私たちが「間」と呼んでいるものも、ことばを用いることの延長にあるように感じます。

     

    操体の動診・操法のなかでとても大切にしていることばのなかに「ゆっくり」という問いかけがあります。この問いかけは魔法のような言葉で、からだの動き(うごき)を介助・補助するうえで欠かせないものです。

     

    そして、「ゆっくり」ということばをもってからだに問いかけることによって、ほどよい「間」が生まれていくことにもつながっています。

     

    からだがことばをききわけているように、ことばとことばの間の「間」、またことばのなかに含まれているような「間」、そしてことばを介して生まれる「間」もからだはききわけているように感じます。

     

    操体を学んでいると、ことばを通じて実はからだがききわけている「間」のことについて学習しているのではないかと感じます。

  • からだがききわけることば5

    ことばについての学習は、どんな言葉を選んで使っているのか

    ということ以外にも、波及します。

     

    操体臨床の操法のなかで、ことばを使う。

    その際に、操法を介助、補助している操者の発することばが、

    どんな対象に向けての問いかけなのか、というのも重要になってきます。

     

    通常言葉を用いる際、言葉は「相手」に向って発せられるものだと思います。

    操体では「相手」としている対象が「被験者本人」と「被験者のからだ」の両方を含んでいます。

     

    被験者本人に向けて問いかけた場合と、からだに向けて問いかけた場合とで、

    その結果は変化します。

     

    ことばをどんな風に用いるか。

    その目的が変われば、臨床空間も変化します。

    ことばひとつとってみても、学ぶことは尽きないのを感じます。

  • からだがききわけていることば4

    ことばが変われば、からだの動き(うごき)も変化します。

    そのことを学習することも操体を学ぶ醍醐味です。

     

    私たちの日常生活は、個々人の身につけてきた様々な習慣によって形作られています。

    その習慣によって、その人がつくられているといっても、言い過ぎではないようにも思います。

     

    何か理由があって習慣を見直すと言ったときに、それまで身につけてきたことを変えるのはなかなかなことです。

     

    スッと動き出せることもあれば、古い習慣から新しい習慣への糸口が見つからないようなときもあります。

     

    そんな時に、ひとつの切り口として自分の普段使っていることばに着目してみるというのは面白いです。

     

    ノートに日誌のようなかたちで書き出してみるのもいいですし、普段自分の頭のなかを巡っている言葉がどんなものか、確認してみると、よく出てくる言葉があったり、何か気付くことがあるかもしれません。

     

    ※ちなみに最近面白いなと感じた書く習慣のモデルは岡田斗司夫さんのスマートノートです。

    『スマホじゃなくて、スマノでしょ』という帯の語りかけが、なんだかたまらなく響いてきます。

     

    ことばも目には見えずらいですが、習慣化されたうごきのひとつだと思います。

    自分の使っていることばを確認していくのは、結果的に習慣化された色々なことに影響を与えるのではないかと感じます。

     

  • からだがききわけていることば3

    からだというのは、空間から実に素直に情報をうけとっていると感じます。

     

    ことばを発することは空間に変化を与えます。

    発せられることばによって、空間を共有しているからだは様々な影響を受け取ります。

     

    からだがこわばるようなことばを使えば、からだは素直にそれをうけとります。

    そういうことばをできるだけ使わないようにことばを選ぶことも学習です。

     

    からだのうごきにも大きく関わってくるのが面白いです。

    からだを動かして診る、動診(どうしん)という分析法を大切にしている操体にとって、ことばに関しての学習が欠かせないひとつの理由です。

     

    ことばによって、うごきが変化する。

    からだを介して感じられる、興味深い学問です。

  • からだがききわけていることば2

    操体臨床の際に、操者が用いることば。

    それは空間を介して、伝わっていきます。

    相手に。からだに。操者自身に。

     

    操法の際に、介助を与え、接触しているからだ。

    皮膚に触れているその様子からも、

    からだがたしかにことばに反応しているのが感じられてきます。

     

    操体を学んでいる私たちは、操法の中でつかわれることばのひとつひとつについて

    確認しながら学んでいきます。

    からだがどんなことばに、どんな反応をするのかを学習しています。

     

    この学習は臨床のなかでも大きな影響を与えることですが、

    その枠を越えて、操者自身の日常生活の変化にもつながります。

     

    ことばを、からだを、空間を介して、つながっているのを感じます。

  • からだがききわけていることば

    瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。

    バトンをうけとって本日より一週間寺本が担当致します。

    今回、テーマは無題とのことですので、最近自身のテーマとなっていることを中心に書いてみたいと思います。

    宜しくお願い致します。

     

    操体を学ぶようになり、またその実技として操体法のイロハを学習するようになると、そこで用いられる「ことば」についても、いろいろ指導を受けることになります。これが結構、細かいことにまで及んでいるのが印象的です。

     

    操体法の魅力はなんですか?と問われれば、そののひとつとして、道具を使わなくても身ひとつで臨床が可能である、ということが挙げられると思います。

    一方で、目にみえる道具は使わなくても、実は目にみえないこの「ことば」は実に巧みに応用しながら、その恩恵のなかで臨床空間は展開されています。

    操体法は「ことば」とともに進化し、変化してきたとも言えるでしょう。

     

    創始者の橋本敬三先生も「言葉は運命のハンドル」という有名な一言を遺されています。このことばも改めて、味わい深いものだと思います。

     

    想念(精神活動)への影響として、私たちが用いることばは大きく関与しています。

    同時に想念と深く関わっている「からだ」にもその範囲は及んでいます。

     

    わたしたちは普段からことばの影響を受けながら生活をしています。

    同時に、からだもことばのひびきに常にさらされて生命活動を営んでいます。

     

    目にはみえなくても、からだはことばをききわけている。

    操体法を学んでいると、そういったことを感じます。

  • から だから かさなる6

    からだからのメッセージは

    からだがききわけているメッセージ。

     

    からだはことばをもたない。

    代わりに感覚を介していろいろな情報を伝えてくれる。

    体調の急な変化など、時にはっきりとした情報として伝えてくれることもあるけれど、

    基本的には、しずかなしずかな語りかけである。

     

    私は音楽が好きだけれども、

    静寂にいやされていることも多い。

     

    もしからだが言葉をもっていて、

    ど根性ガエルのピョン吉のようにいろいろと話しかけてきたらと想像すると、

    とても愉快な生活が送れそうではあるが、

    とてもエネルギーを消耗してしまいそうでもある。

     

    しずかなままでいてくれて

    刺激によらず何かが伝わってくるというのは

    なんともありがたい。

     

    しずけさをあじわう。

     

    からだがききわけている。

    感覚が通り抜けていて、

    わたしもききわけている。

     

    からだ と わたし は かさなっている。

    ふれあっている

    感覚を介して。

     

    なにをききわけていますか。

     

    一週間ありがとうございました。

    明日から友松実行委員の「からだからのメッセージ」です。

    よろしくおねがいします。

  • から だから かさなる5

    からだからのメッセージは

    からだがききわけているメッセージ。

     

    休みの日にぼーっとしていると、

    「今日は何もしていないなぁ」と感じることがあるけれど、

    からだからみれば、何もしていない日は一日もない。

    生命活動に「お休み」はない。

     

    しずかにしていても、からだの外側がうごいていなくても

    からだのなかではうごきがとまることはない。

     

    そして、わたしたちはありがたいことに、

    天体の自転や公転などの本来であれば吹き飛んでしまいそうな動きのなかに

    さらされていても、目にみえないさまざまな因子によって、

    のどかな日常を過ごすことができている。

    もしくは日常をのどかに感じることができている。

     

    こののどかさや普通であることを味わうことに興味を抱いている。

    刺激的な出来事よりも、

    実のところ、この普通さという間のなかに、特別さが潜んでいるのではないか。

    からだがききわけていることのなかに。