カテゴリー: 友松 誠(ともまつ まこと)

  • 私のセルフケア・・・5

    おはようございます。

     

    朝の時間を大切にする。

    忙しない中に自分を埋没させる事なく、生まれ変わった自分自身を感じてみる。

    想念さえも、昨日の夜に想っていた事と違う想いが生じている事が多々ある。

    まるで「こういう考え方もあるけど、どう?」と、からだから新たな提案を受けているような気もする。

    物事の考え方も、一辺倒だと煮詰まって進まなくなる事があるが、ちょっと観方を変えてみるとスムースになったり、そこから広がりをもつようになったりする。

    からだによって身がリフレッシュすれば、心にも新たな陽射しが差すという事だろうか。

      

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

    www.tokyo-sotai.com

    「発表者からひとこと」「実行委員からひとこと」

    随時アップデートされています。

    www.tokyo-sotai.com

     

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  • 私のセルフケア・・・4

    おはようございます。

     

    日々の生活の中に、操体で長年研究されてきた身体の使い方、動かし方を取り入れていく。

    どう取り入れていくかは、自分次第。

     

    朝、眠りから覚めて、そこから起き上がる動作一つとっても、身体の使い方、動かし方の学びを生かし、からだにききわけながら、ゆっくりと行ってみるとスムースで負担なく起き上がれる動きと、そうでない動きとがある。

    ゆっくり行ってみるという事が肝要であり、早く動いてしまえば感覚のききわけが出来なくなる。

     

    朝は忙しい、ゆっくりなんかしてられない、という人も多いと思う。

    我場ッと起きて「今日は、あれしなきゃ、これしなきゃ」と何かに追い立てられるような自分の思惑中心の一日が始まってしまう。

    そこに、からだと向き合うリッチな時間をつくってみる。

     

    からだからしてみれば、睡眠中に一生懸命にバランスを調整し、疲労が残らないようにしているのに、目覚めた途端に壊すような動きをされたのでは、たまったものじゃないだろう。

    また、睡眠の質によってはバランスの調整が十分でない時もあるだろう。

    そんな時、我場ッとでは、どこかを痛めてしまう事もある。

     

    いたわりの気持ちを向けて、からだと向き合う余裕を持つ。

    からだにききわけながら、ゆっくり動きをとおす。そして、からだが悦ぶ気持ちよさを感じる。

     

    からだが悦ぶ気持ちよさを感じる。自分だけで生きているわけではないのですから、大切な事だと思います。

     

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
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  • 私のセルフケア・・・3

    おはようございます。

     

    自らの動きの感覚を、からだにききわけていく。

    どんな人でも実行できるし、どんな人でもセルフケアにつなげられる。

     

    とはいっても、具体的にどうするのか教えてくれなければ、その奥のことができないだろう。そんな声が聞こえてきそうです。

    ですので、身体の使い方、動かし方のルールである身体運動の法則が、橋本敬三先生の時代から研究され、研鑽が重ねられてきたのです。

     

    この身体運動の法則は橋本先生の時代から何度も更新がされています。

    法則と銘打つ限り普遍性が求められるからです。

    特定の人しか出来ない、特定の設定状況でなければ成り立たないのであれば、それは法則とは呼べません。

    ですので、身体運動の法則は臨床にも応用できるし、セルフケアにも応用できるのです。

     

    セルフケアとして、日常生活の中でいつも行っている動作をルールに則って行ってみる。

    茶碗を洗う、雑巾をゆすいだり絞ったりする、など応用範囲は多岐にわたります。

    これは、いかに疲労なく能率的に行うかという事につながりますが、ルールに照らし合わせながら行うには、からだの感覚のききわけは必須です。

    日々の取り組みによって、本来のからだの動きが呼び覚まされてくれば、所作の美しさにもつながります。

     

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
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  • 私のセルフケア・・・2

    おはようございます。

     

    腰痛に効く動きはありますか?

    ○○病を治すには、どんな動きをすればいいですか?

     

    橋本敬三先生の現役時代から現在まで、こういう質問は多いと思います。

    ですが、操体には特定の症状、疾患に対する動きというのは無いのです。

     

    仮にそういう動きがあったとして、その動きを忠実に再現できるでしょうか?

    概念的には、そのように動けるでしょう。

    しかし、その内容、動きの質としてはどうでしょうか?

    動きというのは、からだと共にあり、歪みがあれば当然からだの動きも変わってきます。

    生きている限り、歪みと無縁でいるわけにもいかない。

    症状、疾患をかかえている人ほどボディの形態にも大きな影響を及ぼし、からだ本来の動きを妨げてしまっている。

    そのような状態で、決めつけの動きをとおそうと思っても、自分の思惑通りにいかないのは当然であり、無理をからだに強要すれば、かえってバランスを崩し、良からぬ結果を招いてしまう。

     

    治すのは自分のからだであり、からだに備わる治癒能力を高めるには、バランスを調えていく事の方が重要なのです。

    その為に、からだにききわける必要があり、バランスを崩していれば、なおのこと動きの感覚は快、不快を基準に顕在化しているのです。

    快適感覚をききわけ、快適感覚によって調和を密にし、バランスを向上させていく。

    そこに、どの動きが何に良いとか、そういう決まりごとはないのです。

    それよりも快適感覚の質が求められる。

    意欲と追及の仕方次第で、どんな人でも実行できるし、どんな人でもセルフケアにつなげられる。

     

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  • 私のセルフケア・・・1

    おはようございます。

     

    実行委員ブログ、今日からは友松が担当いたします。

    どうぞ宜しくお願いいたします。

    今回のテーマは「私のセルフケア」となります。

     

    セルフケアと聞いて、思い浮かんだのが「自力自療」という言葉でした。

    操体は、動診をはじめ自力自療だと昔から言われています。

    これは、他力ではなく、自分で動いて治すから自力自療と考える人もいるかと思います。

    しかし、それだと短略的すぎて大切な事が抜け落ちてしまいます。

    動きの感覚を、からだにききわけて、はじめて自療につながるのです。

    これは、動診だけでなくセルフケアにもつうじるものがあります。

     

    自分が動くという事は、からだの動きも加わって、流れが生じる事であり、部分の動きも全体に波及し、空間を巻き込んだ循環が生じる。

    そして、その循環は調和を求めている。

    調和に向くうえで大切なのは感覚であり、からだは快、不快を識別する原始感覚を元に、調和に向けて結びついている。

    調和に向けたからだの結びつきは、動いている自分にも感覚をとおして調和を求めてくる。

     

    私は、はじめの頃、快か不快かを選択的にききわけ、不快であれば「それ以上やるな」という事に意識が向きがちだった。

    しかし、継続してからだへのききわけをとおしていくうち、不快のサインも「これは不快だからやるな」ではなく「これをやるのだった、こういう使い方、動かし方をしてほしい」というような、からだの快に基づいた快に向けてのサインと感じられるようになっていった。

     

    不快からは逃げていい。はじめのうちはそれで良いと思うが、逃げてばかりもいられないだろう。

    感覚的フィードバックに基づいた工夫も大切であり、不快に感じたことも気持ちよく感じられるよう快を膨らませていく前向きさも必要だと思う。

    これは、セルフケアにおいても大事だと思うし、生き方にも関わっていると思う。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
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  • 私のズッコケ操体クロニコル7

    おはようございます。

     

    一部が分かったところで、勝手に全部をわかったとしてしまう早とちり。

    誰でもそういうところはあるものだし、それでズッコケても自分の間違いに気付けるのだから、まだいいと思う。

    しかし、自分の思い込みが強すぎて、固定観念で凝り固まってしまっていると、なかなか自分の間違いに気づけず、自分自身を変えていく事が出来なくなってしまう。

    こちらの方が問題だと思う。

     

    黒いものだって、光の当たり方次第で、白く見えたりもする。

    メッキを施した綺麗な装飾品も、手入れせずに放っておけば、時間の経過とともにメッキは剥がれ、中身の金属も錆びついてくるだろう。

    存在には、必ず時間、空間の関わりがある。

    固定されたものなんてない。常に動いて状況に応じて何かしら変化している。

    だから、その変化に対応して自分自身も、より良く変わっていく必要がある。

    その過程では、ズッコケる事もあるだろうが、様々な関わりによって有難く生かされて生きているという想いがあれば、そんなに大きな失敗にはつながらないのではと思う。

     

     

    話は変わりますが、年末から大型の寒気が襲来するようです。

    雪が降ってなくても、朝方は路面が凍っていることもあります。

    慌てていて、ツルッと滑ってズッコケないようにしたいものです。

    寒いと布団から出るのも億劫になりますが、時間に余裕をもって生活空間の変化に対応していきましょう。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    来週は畠山裕美先生の担当となります。

    明日からも、おたのしみに。

  • 私のズッコケ操体クロニコル6

    おはようございます。

     

    今回のテーマは「私のズッコケ操体クロニコル」ですが、ズッコケと聞いてからブログの執筆にあたっていると、子供の頃によく口ずさんだオバケのQ太郎のテーマ曲が、度々浮かんくる。

     

    ♪あのねQ太郎はネ~、から始まるこの曲の2番目の歌詞の中。

    ♪ズッコケなんだ あわてん坊なのさ

     いつも 失敗ばっかりしてるんだよ~

     だけど カッコいいつもりなんだってさ~♪

     

    私などは、何か親近感を憶えてしまうが、あわてん坊や早とちりだと、ズッコケやすくなったり、失敗しやすくなるのは確かだろう。

    ズッコケや失敗も周囲の許容範囲であれば、ご愛敬とも成り得る。
    しかし、同じようなミスを繰り返してばかりでは呆れられるし、許容範囲を越えた失敗は時に周囲に迷惑をかける事となってしまう。

     

    特に注意しなければならないのが早とちりだ。

    早とちりとは、一部が分かったところで、勝手に全部がわかったと思い込むことをいうようだ。

    これは、相手の言わんとしている事を理解しようともせず、自分の知識や考え方のみで相手の言っていることを勝手に決めつけて、行動してしまう事にもつうじる。

    これでは失敗や間違いにつながりやすいし、からだとの関わりも含めれば勘違いにもつうじる。

    まずは、相手やからだの事を尊重する気持ちが大切と思う。これは、操体の学びにもつうじる事でもある。

     

    橋本敬三先生は、よく「野次馬でなければダメだ、嘘か本当かまずやってみよ」と言われていたと聞く。

    しかし、野次馬見物も己の経験や知識からの上から目線で見てしまうと、その人の行っている事の真意は解りづらくなってしまう。

    まずは、己の知ったかぶりを捨て去り、尊敬する気持ちが大切と思う。その上でやってみる。

     

    オバケのQ太郎の歌は3番で、こう締めくくっている。

    ♪わんぱくなんだ かわいいやつさ

     いつも とぼけちゃっているんだよ

     だけど とっても立派なオバケなんだってさ~♪

  • 私のズッコケ操体クロニコル5

    おはようございます。

     

    先日行われた秋季東京操体フォーラムでは、橋本敬三先生の現役時代のビデオの後に、三浦寛先生の20年以上前のビデオも上映されていました。

     

    その中の「操体臨床の要妙」のビデオの一部を見ていて、思い返されたことがある。

    操体臨床の要妙のビデオには、名医と名高かった耆婆や扁鵲の如くに先生が竹竿を持ち、視聴者に分りやすいように被験者の軸を診断するシーンがある。

    その竹竿が、私がはじめて講習を受けていた時には、まだ講習所の隅に置かれてあった。

    そして、その竹竿は違うシーンで活躍することとなる。

     

    はじめて参加した講習会も、何か月か過ぎた頃だったろうか。

    私たち感覚分析診断操法士の受講メンバーも、教えを受けるだけでなく、内容のチェックを受けながら修練を重ねる段階に進んでいた。

    その時、活躍したのが件の竹竿だった。

     

    介助、補助の練習の時に、座禅の警策の如くに竹竿で打っていただく。

    「ふん」という声とともに「ピシィー」と大きな音がするものだから、傍から見ていると凄く痛そうにみえる。

    しかし、実際に打たれてみると痛みは感じられない。そのかわり気持ちはシャキッとなる。

    「ふん」「ピシィー」…「早い、もっとゆっくりと」

    「ハイッ」…返事も濁りのない素直な返事が自然と出来、落ち着いて励めるようになる。

     

    これも不思議な感じを受けたが、それだけ全身全霊を込めて真剣に指導にあたっているという事なのだろう。

    中途半端な気持ちでやっても、あれほど大きな音は出ないだろうし、からだに痛みを与えることにもなると思う。

    からだの事を大事に想い、上達を後押しする気持ちがしっかり篭るから、からだに痛みやダメージを与える事なく精神をシャンとさせる事ができるのだと思う。

     

    はじめの頃は、どうしても技術的な面にばかり目がいきがちとなってしまうが、それ以上に大切な事を色々教えていただいていたのだと、今更ながら感じる。

  • 私のズッコケ操体クロニコル4

    おはようございます。

     

    はじめて講習に参加した頃は、それまでの日常では体験した事がないような事が多く感じられました。

     

    その当時、講習が始まる前に一分間の瞑想が必ず行われていた。

    私は、一人で瞑想するのは苦手だったが、三浦寛先生の「はい、それでは一分間瞑想」という号令の下、みんなで静かに目を閉じている時間は、何だか自分でカサカサさせてしまっている自分自身をリセットさせ、潤いを与えているような感じがして、好きな時間だった。

     

    週一で通っていて2か月くらい経った頃だったろうか。

    その日は講習が終わった後に、何年かぶりに整体の専門学校で同期だった人たちとの飲み会の約束があった。

    講習前の瞑想に集中できず、いろいろ考えを巡らせている自分が居た。

    「今日の飲み会は7時からだったよなぁ・・・

     久しぶりだけどみんな元気かなぁ・・・

     まずは生ビールで乾杯して・・・

     今の時期うまいんだよなぁ、へっへっへっ・・・」

     

    そのうち、先生の細く長い独特の呼気の音が聞こえてくる。

    正座して目を閉じていた私は、背スジにビクビクッと衝撃が走った。

    そして「瞑想やめ」の声が聞こえてくる。

    今のは、何だったのだろう?とキョロキョロしていると、先生と目が合う。

    こちらを見据えている。

    私は、何もかも見透かされているような気持ちになり「すみませんでした」と頭を下げる。

    先生は「ゥン」と一言だけ頷かれた。

    私は、ただただ恐縮するばかりだった。

  • 私のズッコケ操体クロニコル3

    おはようございます。

     

    決めつけや否定から入らない。これは操体を学んでいく上で非常に大事だと思います。

    操体臨床には、他の治療行為のような禁忌というものがない。

    そのかわり、からだの感覚というものを重視している。

    からだの感覚をききわけるから、バランスを崩して病んでしまったからだに、更に痛みを与えるようなことはしない。

     

    そして、からだの感覚をききわけるから、気持ちよさを原動力としてバランス制御に向くからだの要求に応え、最小エネルギーで最大の効果をもたらす事が出来る。

    からだを治すのは、紛れもなくからだなのだから理に適ったやり方だと思う。

     

    日々刻々と行われている、からだのバランス制御に向けた働きというのは凄いものであり、その働きはまだまだ未知の可能性を秘めている。

    その可能性にノルカソルカは自分次第。

     

    はじめて講習に参加した頃「出来ない」とか「無理」といったニュアンスの言葉は使わないようにと言われた。

    それでも私は、実技で上手くいかない時など、つい「あ~、無理だ」とか軽口をついて、注意を受けた事が何度かあった。

    今、思い返すと、からだに対して失礼であり、自分で自分のからだの可能性を否定する事にもつながるのだと思う。

     

    今、出来ていなくとも、からだと伴に在る限り、必ず出来るようになる。

    人によって、そこまでに要す時間は違うだろうが、長くかかってもよいと思う。

    その分、そのプロセスには基本の見直しや様々な気づきがあり、からだに対する意識感覚の変化があったり、何よりからだの尊重を元に感覚をとおした信頼関係は深まっていくだろう。

    上辺だけすぐに出来て、その奥にある学びの深さと有難さを知らないより、質の良い様々な引出しを持つ事にもつながる、とズッコケな私は思う。