カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 自分の本質度

    毎日の日々が学びの場である。日々毎日が人生の本業、
    日々一貫したテーマをもって、学び続けている。

    すると、自分自身の本質度に変化がみえる。
    一年の積み重ねによって、どれほど変化を見せるのであろう。

    その変化の中で、朝露にぬれたハスの葉から、
    一滴の水滴が水面におどりこぼれるように、
    突然、唐突に、一度に、すべてがつながって、
    わかりかけてくることがある。

    わかりかけてくることを、日々毎日くり返す。

    コツ、コツと、
    赤ん坊のハイハイのように。
    腹歩行する言葉にならぬ声を発して、
    そして六ヶ月、一年、ハスの水玉に朝光がこぼれ、
    ポチャンと水面におつる。
    水面は輪を描く。
    そして広がっていく。
    また気づきが生まれ、
    一つ一つがつながり、真理の証に近づいていく
    そうしたプロセスを愉しみながら、
    日々の無意識の習慣として
    くりかえし、くりかえし
    練って磨いていく。
    88歳になる寿司職人の名人が
    「この年になっても頂上がみえない」と言った。
    本物である。

    自分の本質度が変わる・・・
    それは、自分自身でもわかる。
    周りをみる。周りも変化する。
    どのような変化かと言えば、例えばメンバーが替わるとか
    相手自身が変わる。

    相手を変えようとする手間暇を考えれば、
    自分自身の本質度を少しでも向上していく方が
    建設的である。
    これは自己責任である。

    自身が真実に近づくことである。

  •  からだの像

    人体の像を、からだの構造(つくり)と、その動きから、
    直接力学的な像の歪みとして、見いだす。

    これは「病が内に発して外表に応じてくる」という見方ではなく、
    「外から見て、これは病気になるぞ」と気づく点を見つける理由が
    ここになければならない。

    からだは、歪みを写す像である。それを運動系(ボディ)の歪みという。

    健康傾斜の歪体化とは、病が内に発して外表に応じてくるのではなく、
    外からみて、これはおかしいぞ、放っておくと、病気になるぞ、という
    プロセスである。

    内からこわれるのではなく、外からくずれていく。
    どのような症状疾患を診てもボディーに歪みがないことはないのである。

    その歪みはどこからくるのか。
    それは、からだが病気をつくりだすのではなく、
    思考が病気を生みだしているのだ。
    その思考は、生き方にある。生き方に間違いがある。
    操者の役割は、治すことに没頭するのではなく、
    本人に「自己責任をまっとうさせること」にある。

    操者は腕自慢であってはならない
    (治すことに夢中になってはならない)。
    とは加療であり、自己責任をまっとうさせる指導の場である。

    一発で治そうとすると、ケガをする。
    それは、手柄を立てようとする欲である。
    臨生は腕自慢を競う場ではないのだ。

    療術、治療はどうしても診る側の世界である。
    自分が主語ー主体である。
    しかし操体はからだ、身心(みこころ)をとほしての
    生命(いのち)が主語、主体である。

  •  吸気の溜時(タメジ)

    肋骨を介しての胸部(胸郭)に注目してみる。

    もの、という視点に立ってのことである。
    とくに背筋(赤筋)の吸気は特記すべきことである。
    吸気に際して、腹の吸気ではなく、背筋に吸気をとほしていく、
    という試みである。動軸の芯軸(Th-12)を中心として、
    背筋を菱形に拡張する吸気法である。
    また、骨盤呼気とは、吐く息を、臍(さい)からL3とL4の中心にとほし
    そのまま背骨を介して、肛門から陰茎にとほしていく方法である。

    「吸気の溜時(タメジ)のもう、ホッ ホッ ホッ、ひとひねり」

    これは、動きの流れのなかで、呼吸が吸気にかわったら、吸気をそのまま溜めて、
    もうひとひねり、吸気をとりこむ。
    すると、そのふくらみ(胸部ー背筋の拡張によって、からだの連動性が生まれてくる。
    それを何回か続けてみる(二〜三回ほど)。
    特に首が無理なく連動してくる。
    さらに言えば、首のさらなる動きに伴い、肩甲骨が開き、解放されてくるのが
    わかる。
    ここが従来と違うところだ。

    呼気の溜時のもうひとひねりでは、こうはいかない。
    呼気は風船玉が収縮する有様で、全身がかたまってしまうのだ。
    私はこの吸気の溜時のもうひとひねりの吸気のとほし方に、
    味つけを試みた。

    これを「吸気の溜時のホッホッほ」と名づける。
    息を吸い込みながら吸気のあとに鼻腔にホッホッホッと「ホ」をとほして
    いくのである。
    吸気のあとにホッホッホとホをとほし、また吸気の後にホッホッホを
    鼻腔にとほしていくのである。

    なお、ちなみに呼気は「お」です。
    お試しあれ。

  •  息気(イキ)

    からだの動軸(運動軸)が、腰椎主動説から胸椎主動説に変化したことで、
    息気(イキ)の通し方にも驚くべき変化が生まれてきた。

    息気(イキ)とは、呼吸と吸気の法である。
    その呼吸も。呼気主動説から吸気優位説が重視されつつある。
    それは、従来の腹式深呼吸をなぞるのではなく、背筋吸気と、骨盤呼気に
    重点を置いた息気のとほし方である。

    それは、からだの動きと、動きにともなう全身形態の連動性は、
    胸椎の動軸による、背筋吸気に関係する。

    呼気より、吸気時の動きが、ふくらむ、拡張、拡大することに目をつけている。
    吸気の可能性を、動診ー操法に、いかに生かしていくかということである。
    呼気ではなく、吸気である。

    間違いではないのかと問われそうだが、間違いなく吸気である。

    従来の逆説だが、それがどうも正しい予感がするのだ。
    呼気にこだわるなら、吸気にこだわってみることだ。

  •  最終回。操体法は場所を選ばず。

    おはようございます。

    快晴の冬空です。

    一月も、ゆっくりと日々の時が流れ、いよいよ二月に入りました。
    出版の進み具合の順調そのもので、一つ一つ丹念に、めんこく仕上げています。
    出版社編集部との打ち合わせにより、三部作のシリーズとして出版の予定です。

    週刊プレイボーイ編集長、島地勝彦先生の臨床はターミナルビルで、週一回の間隔です。
    先日で四回目の通院です。
    日を追うごとに回復し、日常生活には殆ど差し支えないほどです。
    今後は健康維持増進の為、週一度通院される予定です。

    素晴らしい回復力で、診ごたえのある見事な臨床でした。
    また、その後の経過などもメールマガジンで紹介して下さるとのことです。

    先日、伊勢丹デパートメンズ館8階にある、サロン・ド・シマジに顔を出してきました。
    丁度居合わせたお客様の中に、若手のペインクリニックの院長先生がいまして、島地先生と同じように、頸椎症で、背中に激痛をかかえているとか。
    スパイシー・ハイボールを飲みながら、院長先生の右側の背中に点の渦状波を15分ほど試みたんです。

    そうしますとネ、先生の顔から大粒の汗が噴き出して来たんです。ハンカチで汗をふくほど発汗しているのです。
    これも、からだに変化があったのだと受け止めますが、何せカウンターのサロンなので、立ちっぱなしで服の上からの接触、それでも反応があったのですから、やってみなきゃわからんことですね。

    躊躇してたんでは、はじまらない。

    操体法は場所を選ばず、どんな条件下であってもOKなのですから、ありがたいことです。
    院長先生曰く、「ペインクリニックの医者でありながら、自分の痛みが治せない。何をやってもダメ。なさけないよ」と、こぼしていました。



    一週間ありがとうございました。明日からは三浦寛幸が担当します。

  •  使命は元気、正義です。

    去年11月に、医道の日本社と正式に出版が決まり、正月を返上で執筆に励む毎日である。

    どうしてもやり残していることに気づき、数年前から原稿を集めていた。
    今日はからだの動きに対応する、操者側の介入「介助、補助のかけ方、与え方」がテーマとなっている。
    操者側に立って、見落としていたところの検証である。

    特に、からだの動きに関与する操者の介助、補助は、特に見落とせないテーマの一つである。
    私が48年前に習ったのは「患者の動きに抵抗を与える」であった。
    これは二者択一の選択、つまりどちらが「楽か辛いか」の診断と操法の問いかけの時代である。
    現在は、快適感覚の快に問いかけ、それに従った診断と操法に移行しつつある。
    その移行にそって、新たな問いかけが生まれるのも当然である。
    患者の動きにかわり「からだの動き」に変化し、抵抗が介助、補助に言語統制され「からだの動きをサポートする」という意味にかわった。

    からだの動きの極限安定率を考慮すれば、基本8つの動きに適(かな)う、介助法、補助法が必要になる。

    これは、その動きに適った、全身形態の合目的連動性にも関与してくる。そして、動診の要(かなめ)である、快感覚のききわけにもかかわってくるのだ。

    その動きに適うことが、この操者への介入なのだ。
    それを満たすのが、介助補助ということになる。
    この介助、補助のかけ方、与え方は、日々の臨生(りんしょう)の中で習得したことであるが、40数年前に手ほどきを受けたことはなかった。

    臨生をとおしてのお土産だった。
    私はその介助、補助のかけ方、与え方を一つ一つデッサンして、残しておいた。
    今にして役立っている。

    神が創造した、被造物である。身心(みこころ)に触れる学問は愉しいことだ。

    私は感謝している。
    「神をデザインする」気持で、からだの動きをデッサンし、デザインする。とても愉しいと思う。
    今、数百枚あるデッサンに手をくわえて、修正中である。

    ついに目に疲労がたまり、充血してしまった。
    右手の中指のペンダコも、何度もそぎ落とした。
    ペンダコがもり上がってくると、神経をハリでつついたような激痛が走るのだ。

    この出版も、操体にかかわる私の使命です。
    使命は元気、正義です。

  • 五日目。編集と変集。松岡正剛氏

    おはようございます。

    先日1月24日、ホテルオークラの仕事を終えて、松岡正剛氏の古稀のお祝いに顔を出した。

    私は生まれてこの方、文化、文学とは縁のない風来坊である。
    本に親しみを覚え、本の豊かさを知ったのは、ごくごく最近のこと。
    シェークスピア、枕草子源氏物語といってもまともに完読したことはない。

    松岡先生の講演を聴きに行っても、ほとんど頭に入らない。
    入らないんだけど、私のこの右脳が「わからんでも聴け!!」と話しかけている。
    わからないことだらけだけど、かなり真剣に聴いている自分がいる。
    なにか冬眠し続けてきた神経回路にスイッチが入り、線香花火のように、チリチリ、パチパチとはじけているんだ。

    松岡先生の「編集工学」という名称、そのヒビキがとってもいいことに気づく。
    とくに「編集」がいい。
    私はもじって、へんか、の変に変えて変集と心得た。
    変集とは、自在するものの、普遍なる現象の変化である。
    それは、あふれでる生命(いのち)の起源である。
    ヒトはそれに親神を描き、心に唄ってきた。

    「人間とは、神の意志の編集である」
    ヒトはそれを書籍に残す。書籍とは、その再生フィードバックである。

    松岡正剛は、まさに書籍をとおして、人間は神の意志の編集者であることを示している。
    彼は神の言葉の証(あかし)を多くの人、書籍を介し紹介しているのだと思っている。

    そしてさらに興味をそそるのは、私が学ぶ身心(みこころ)の生命工学につながっていることだ。
    言葉を変えれば、わが師、橋本敬三医師が生涯原究しづつけてきた、自然法則の応用貢献を成そうとしていた姿に、松岡正剛がだぶってくるのだ。

    だから、私は松岡氏の姿に感動してしまうのだ。
    私の師も、私も、そして松岡氏も、きっと「神の声」を聞いている人達なのだ。

    自身を越えた世界をもっている、それを使命として受け取り、愉しまれている。
    そして、自分と、この使命にはまったく境界線がなく、使命のままに自分を使って愉しんでいる人達なのだ。

  •  四日目。元気こそは正義。

    おはようございます。

    新年に入って、これはイイと実感し、続けていることがある。
    「相棒」には以前から何度も勧められていたこと・・・・・。

    年末から鼻と喉に変化があって、なかなか症状が抜けきらないでいた。
    私はインフルエンザにかかったことはないが、軽い風邪をもらってくる。

    そこでプラ注とビタ注を打ちに、とある医院に足を向ける。
    プラチュウ、ビタチュウとはショウチュウの銘柄のようだが、注射の意味だ。
    これは確かに効いている。からだがよろこんでいるのがはっきりわかる。
    この年齢になると、末梢の循環も行き届かず、冬の時期は足が冷える。
    そして執筆、イラスト、デッサンが毎日のように続いて、ついに目が悲鳴をあげてしまった。

    漢方薬も処方していただく。ツムラの107番「牛車腎気丸」が目の疲労にいいようだ。風邪は91番の「竹茹温胆湯」。

    プラ注を打って、すぐ変化したのは足の血行が良くなりだしたこと。今回三度目のプラ注だが、足の冷えは確実に良くなってきている。
    それに、皮膚にハリを感じること。

    ヤリイカの皮膚」を思い出した。皮膚にハリを感じるというのは、内臓系にも効いているはづである。
    少しは自分の身心(みこころ)に気を配りたいものだ。

    プラ注とビタ注、漢方薬の処方は、日課のように続けてゆきたい。
    毒をもって毒を制す、とも言う。イイ言葉を聴き、第一線で活躍されている人達の生(なま)の声を嗅ぎ、日々幹時の芯時の時をとおし、最眠をむさぼり、モクモクとシガーをふかす。
    皮膚脳はセロトニンドーパミンを吹き出す。

    「元気こそは正義」と島地勝彦先生が、週刊のメールマガジンの第三号で、私に送ってくれた言葉である。

  •  三日目。

    昨年から、元週刊プレイボーイの編集長、島地勝彦先生がバーマスターをつとめる、新宿三丁目伊勢丹メンズ館8階にある、サロン・ド・シマジにお邪魔する機会が増えた。

    月二回は必ずお客として顔を出し、元気をいただいている。
    サロンにはカウンターのバーがあって、土曜日曜の午後、島地先生がバーのカウンターに立ち、シェイカーを振り、お客の接待をなさっている。

    一月の五日土曜日、島地先生の来店スケジュールをチェックしたら、サロンに出勤マークがついているので、講習後、新年のご挨拶に新宿に向かう。
    地下鉄で三茶から渋谷に、渋谷から地下鉄を乗り継ぐと、五分足らずで新宿三丁目、地下街を歩くと伊勢丹デパートに直結だ。
    とにかく交通網が充実して便利になったものである。
    池袋にも、横浜中華街にも直通なのだから、ありがたい。

    サロンに顔を出すと、先生の様子がおかしい。身動きがとれずに、からだがかたまっている。顔色も悪く、いつものぶっとい声も出ない。
    首にカラーをつけている。ただごとじゃない。場が緊張し、張りつめて、サロンの客も、先生同様元気がない。
    年末に、ゴルフに誘われ、コースを回っている最中「魔女の一突き」ばりに、ポッキリ首を痛めてしまったらしい。

    普段先生は、カウンターに立ちっぱなしである。
    が、この日は丸椅子に腰掛け、ションボリしている。何も知らずに行ったにしては、あまりにタイミングがいい。

    先生、ちょっと診せてもらえますか、と声をかける。
    よっぽど辛かったのか、診ることになった。

    丸椅子に腰掛けてもらったままで、客のいる前で、20分ほどの即興的独演会となった。
    皆興味津々、固唾をのんで見ている。

  •  二日目。

    すでに同社(医道の日本社)から三冊目を出版して七年目に入る。
    初出版から数えて12年目、去年の11月には三冊共重版が決まり、第七版目となっている。
    それなりの隠れた愛読者に見守られているのだなと感動さえも覚える。
    ありがたいことですネ。

    今回は操者が、からだの各動きに介入する際の介助、補助のかけ方、与え方を図解解説集として出版する。
    この介助、補助に関しては、どうしても出版仏に残しておきたいことであった。
    なぜなら、橋本先生の時代から、只今この時代まで、誰も手をつけていないことでありながら、とても重要なことなのである。
    当初、当時は患者の動きに抵抗を与える、と習った。
    今は、楽な動きを操法にとおす時代ではなく、快適感覚の快に問いかけた臨生の時代に入っている。

    この只今の臨生は、からだの動きに介助、補助である。からだの動きをサポートすることに、操者の役割分担がある。
    それは、橋本先生のメッセージと重複する。
    つまり、動きよりも感覚を重視しなさいというメッセージである。
    動きの感覚を重視する故に、今までの抵抗では間に合わないのである。
    サポートする側の、介助・補助のかけ方、与え方が、ますます重視されてくるのだ。

    二十数年前、柏樹社から操体法写真解説集が出版され、小生も先生の指示を受け、出版に関与したのであるが、臨床家の視線でみると、臨床家の要求を満たしていない、と思うことが多い。

    操体法写真解説集

    操体法写真解説集

    (現在絶版)

    操体法写真解説集

    操体法写真解説集

    (現在はたにぐち書店から発売)

    臨床家の目線で、その要求を少しでも満たせるような、解説集を手がけてみたいと思い続けていたのである。
    その願いが叶った、今回の出版となる。
    一冊で済むと考えてはいない。完結するまでには二年ほど、かかるのではないかと・・。

    それでも、願いが叶うのであれば、書き続けていくことは当然の本業である。

    しっかり,腹を決め、精進します。