カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 四日目

    陰と陽とは、重力と重心のバランスである。

     

     

    陰と陽とは、歪みと不正の相対である。

     

     

    陰と陽とは、潜象の診立てと現象の診立てである。

     

     

    陰と陽とは中重の対称ではなく、左重の非対称である。

     

     

    陰と陽とは、波動の量と質の回転である。

     

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  • 三日目

    陰と陽とは、性エネルギーと生エネルギーの対象である。

     

     

    陰と陽とは、(-)(+)未分の一なる対極の意思であり、愛と調和の発動である。

     

     

    陰と陽とは、陰 極まれば 陽、陽 極まれば 陰、 見えざるものの如きである。

     

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  • 二日目

    陰と陽とは、ものことなりの非対象性である。

     

     

    陰と陽とは、主体と対称の調和である。

     

     

    陰と陽とは、あからさまのまんまの影である。

     

     

    陰と陽とは、無双相似である。

     

     

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  • 初日

    ブログがスタートします。

     

    テーマが「陰と陽」ということでした。

     

    余り難しくとらえてもつまらないので、くだいた文章も残しておきました。

     

    中にはそれはどうかなと思える点もあろうかと思いますが、ナルホドと思えることもあるでしょう。

     

    「どうかな、なぜかな」という問いかけをもつことは大切ですね。

     

     

    陰と陽とは、操体法の表と裏である。

     

    陰と陽とは、般若の心と身の経である。

     

    陰と陽とは、自力と他力の所存なり。

     

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  • 七日目。

    操体操体法は、
    愛のキャッチングボールである。

    「愛」とは「調和」であり、調和の「総体」(そうたい)は
    「快」である。

    快は拡張のリズムであり、不快は収縮のリズムであり、
    生命の恒常性のバランスである。

    生命の力、とはこの波動である、
    この波動は、マイナスのエントロピーである。
    消耗ではなく、活性活力である。

    消費しても消耗しないエネルギーである。
    愛とはそういう姿である。

    枯れ朽ちるものではない
    生命力だからです。

    溺愛、愛欲と言われる愛は、
    他の生き物にはみられづ、
    人間のみの意識行動欲のようである。

    ただ、人類愛とか人間愛をとなえるのなら
    それはエゴの愛、個人欲である。

    つまり人間のことしか考えていないからです。
    ですから、自分のまわりに他者をつくり
    敵対者を生みだしてしまうのです。

    楽は患者とのキャッチングボールであり
    快はからだとのキャッチングボールである。

    三浦寛

    一週間ありがとうございました。

    明日からは三浦寛幸の担当です。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  •  六日目。唯物論と唯心論での愛のゆくえ

    弁証法は、陰陽の起源について
    矛盾であるという。

    矛盾とは、つまり「わからない」ということである。
    陰陽未分の一なる存在は、わからないと・・・・。

    弁証法とは、唯物論のことである。
    弁証法では愛は語れないってことなのか、
    愛は矛盾に満ちていて、わからない。
    いのちとは、生命の総和力である。
    つまり、愛と調和の変化であり、安定である。
    変化と安定は、動的である。

    唯心論者と唯物論者の大きな違いはなんだろうか。

    唯心論の基本原則は、自分のまわりに他者をつくらない、
    ということではないのかな。

    唯物論者は、愛については、無関心をよそおって
    意味がないように、ふるまっている、
    愛のセンスがない存在者なのかもしれない。

    三浦寛

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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  • 五日目。万華鏡

    私の治療室には、いくつかの万華鏡がある。

    この万華鏡をみていると、人体(生体)の構造も、
    その運動も光のリズムに感じる。

    リズムは変化であり、バランスである。
    バランスとは動きである。
    それは、愛ならんとする調和である。

    からだには、カガミがある。
    ヒカガミは私達がよく耳にするカガミ。
    僕はまだ、鏡があるように思う。
    たとえば、ヒジカガミ(肘窩)、
    ワキカガミ(腋窩)です。
    この三つは、からだを照らす万華鏡だと思っています。

    このカガミは光の交合性によって変化する。
    変化に対応して安定するものだと見ています。
    変化は愛です。

    三浦寛

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  • 四日目。火鏡と水鏡

    火と水は分離を示すものではなく、融合である。
    一にして二、二にして一の、総合的親和である。

    古代文明人は、この火と水をカミにたとえた。
    神である。
    もの、こと、なりの潜象(物理)を照らしている存在である。
    水も火も、固体ー液体ー気体の三還元である。

    それは神の創造性、つまり、全智、全能ー全愛の全てである。
    それは愛と調和が貫通しているものの、
    生命のことなりの、バランスである。
    バランス現象とバランス感覚の総合総和、
    その一なるものの変化が、愛と調和である。

    鏡の「か」も神を示す。
    照らし写しだすものに
    火と水を最良の対象となしている。
    それが生み出す力、
    愛である。

    三浦寛

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    4月29日(祝)に開催いたします。
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  • 三日目。あたりまえにうけとっていることが愛

    今回は愛がテーマのようですが、
    愛という言葉を使わずに、
    それを表現することの大切さがあります。

    私はみんなが知っているように、
    日誌をつけています。
    ノート一冊分は一ヶ月ももちません。
    日々、毎日あきもせづ、
    自分と向かい合い、自身を書き続けている。

    自分にあって、忘れることもなく実行していることが
    愛じゃないかと思っています。

    とばりがおり、
    眠り、そして朝を迎えて、起きる。
    それも愛の日課です。
    それが自他共の愛です。

    快・不快なる生命(いのち)の感覚も、愛です。
    生きている、ということは、生かしてくれている
    ものに触れているという、
    慈悲の生命相関の連続性です。
    それが愛といえます。

    愛とは照らし写すもの・・。

    三浦寛

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  • 二日目。愛は言葉より重い

    愛は言葉より重い。
    口で言うほど、うすっぺらいものではない。
    愛をアイという一言で表現できるだろうか。

    ゲーテにしても、アインシュタインにしても、
    愛とは永遠の呪文だったのかもしれない。
    愛とは干渉すればするほど、醒める。
    神は愛である、と言う。
    しかし、その神は決して干渉はしない。
    干渉してくるような、うるさい存在ではない。

    シンは良心に働きかけ、
    光をはなつ。
    愛とは、その良心に放たれ動く光かもしれない。
    干渉しない、いのちの尊さ、
    いつくしみが愛なのか。

    ヒトは、いい加減を口実にして
    いかに己れを正当化し、ごまかしてきたのか。

    そのたびに、自分に謝罪してきたのであろうか。
    それでも、許されている。
    許しは愛である。

    三浦寛

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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