カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 7日目

    「鵞足」

    左膝の内側を重心軸としてとらえて診ると、その内側とは、どの位置で、どの部位に相当するのか?興味深いところだ。膝蓋骨より内側の脛骨骨頭のスグそばにガソクがある。このガソクを調べてみると、「ここが重心軸だよ」と判断しうる材料がそろっている。まず、ガソクに関与している筋肉は、一つは薄筋、二つめは半腱様筋、そして縫工筋である。タテにハミング(ラセン)している。これを診る限り、重心軸のポイントが鵞足にあることが検証できる。

    僕は岡村君のように生体の解剖学も生理学も病理学も免疫学もあまり知らない。必要に迫られ知るため、最低限の範囲のことしか知らないから困ったものだが、「この鵞足が重心軸と判明すれば」と思い、いろいろと情報を集め、集めた情報を照らし合わせていくと、ピーンとヒビクものがある。

    ヒビクことは、一つの直感の積み重ねによるものだが、あまりハズレたことはない。

     

    わかってくると、みかた、とらえ方がガラリと変わる。

    重心軸を従来どおり、膝の正中にとらえていたら、鵞足の存在には、生涯、気づかずであっただろう。

    まさに、「わかる」と「かわる」のだ。

    からだの垂直中軸(正中)の丹田を重心だととらえている限り、鵞足とは縁がなかったことである。

    左母趾球を重心点とし、その重心を支える軸が鵞足(点)で、この二点が左恥骨外側につながっていた。この恥骨についている筋肉が鵞足と密接に関与していたということ。それが大腿—坐骨結節—恥骨の“ホットライン”と連結している。

    重心点の母趾球そのものも、進化の過程の中(退化も進化のプロセス)で、足底筋とアキレス腱と連結した存在だったようだ。

    膝窩に存在する足底筋は、膝外側側に起始部があり、下腿の内側を通る腱が、踵骨隆起まで伸びている。

    この鵞足と足底筋の存在は、あやしいかほりが、私のなかでただよっている。妙理なのだ。

    足底筋の位置と鵞足の位置は、最大にしても3㎝のスキ間に存在しているようだ。非対称だな。

    一週間、ありがとうございました。

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    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

    テーマは「上手い下手について」

  • 6日目

    近日わかったことは、皮膚も非対称性のバランス感覚なんだなア〜ということだ。よく僕が皮膚への問いかけで「接触」と「刺激」について話をするけれど、その中で「皮膚のアソビ」と口にするだろう?この「接触」と「刺激」のスキ間の非対称性が、わかってきたのだ。

    皮膚のアソビは、最大2,5㎝のスキマの範囲内が「接触」であり、2,5㎝を越えると「刺激」として受信してしまうのではないか、ということなんだ。

    皮膚も感覚的意識のバイブレーションをもっているということだ。少しだけコアな話になったなア。

    皮膚と筋骨格系も非対称的な動きなんだ。

    皮膚は全体を包む、器なんだからネ。

     

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    チベットのシンギングボウル。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

    テーマは「上手い下手について」

  • 5日目

    「非対称性のバランス感覚」

    すべての現象物(ヒト、人間)は、非対称性である。地球(地軸)だって23,4度の傾きがあって成り立っているから、この大宇宙だって、非対称性のバランスで調和がとれているのかもしれない。(かもではなく、私はそう思う。)

     

    近頃、僕はつねに生体の動き(運動)から、生体の構造(つくり)を検証しつづけ、非常(とても)にこの非対称性の妙理に感心しているんだネ。非対称が、けっしてアンバランスな調和じゃないと実感しているってことだ。非対称性こそ、全体一体一つの総和(愛と調和の意志)であると思う。

     

    息診法ということに気づいて、数年ほどになる。これも非対称性の時空間の物理なんだよ。この非対称性にはスキ間がある。このスキ間の時空間によって現象が、かわるんだ。このスキマが非対称のバランスなんだね。つまりテキセイに定まるということなのだ。

     

    自分(テメエ)のことしか頭が回転していない自分の思考では、まとまりがつかなくなってくる。この思考が対称性のもの、つまり比較対象のもの、ジゲンの低いものだから、迷路に落ち込んでしまう。

     

    対称性の成り立ちじゃないと、性相は同じである。つまり、男女、オス、メス、メシベ、オシベの性別が分類できないんだ。分類できないと分析不能だ。カミさまは、自分一人じゃ淋しすぎると、自分に似せて、人間を創造したと…その上で、男だけじゃつまらないと思ったはずで、この世に、うめよ、ふやせよの創造にはほど遠い、性相のちがう女を創造してみせた。すべてのいのちをそのように分けたのであろう。まず創造にあたっては生命をうみだせるモノから創造した。女からである。カミからみれば、「私をうみだせるもの」は尊いのである。そして、そのもの、こと、なりのハジメは言霊(ロゴス)であった。このカミゴトに相対語はありえなかった。すべてが「善(よ)」しであった。罪とか悪という対称語はもちろんない。愛そのものの実相がカミだから。

     

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    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

    テーマは「上手い下手について」

     

     

  • 4日目

    今、編集しているのは、身体運動のコアなところ、「般若身経」の改定である。かなりしつこく書き込んでいるので、斬新で、興味のある方にとっては、橋本先生からの最良のご褒美になるんじゃないかと思うよ。

    編集が完成したら、「新般若身経」として公表します。

     

    般若身経(般若心経ではない。からだの使い方、動かし方の法則を、世界で一番短い経典、般若心経になぞらえたもの)

     

    この編集が今年の頭からスタートできたことは、幸せである。

    今年1年でみれば、あと9か月残してあるってことだからネ。

    だからネ、急ぐけれど、巡る。急いでは、まわる。このくりかえしができるから、(編集の)味がしみこむんだよ。

     

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    秋保(あきう)大滝を見おろす

  • 3日目

    「マヒトツの真時」

    これは私の時空間のこと。

    私のやるべきことをやる、時間のことである。

     

    今、私のやることをやる。

    今、何をやっているのかだが、定義、定説がくつがえった後の、新たな編集をしている。1月、秋保郷の塩沼大阿闍梨さまにお会いした時から、毎日、取り組んで、今日で50日間連続し、つづけている。

     

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     ★秋保大滝。塩沼大阿闍梨様のお寺、慈眼寺の近くにある。

     

    「私のやることをやる」とは、「私にしかできない、この編集のこと」である。

    この編集工程をクリアにしていくためにも、「マヒトツ真時の時空間」が必要なのである。

     

    たっぷりと時間をとれる日は、12時間も編集に集中しているのだから、とてつもなく、ありがたいなァ〜と感謝する。

    定義や定説がくつがえったということは、かわること、変化することが、当然起こってくる。ごく一部が変わるという単純なことではない。とらえ方が360度、ひっくりかえってしまうことなのだ。

    編集に取り組んでいたら、ホントに360度ひっくりかえってしまったから、愉快であった。ますますこの勉強は、愉快そのものである。

    行程、編集を重ねて原稿にペンが入る。ペンが入り、まとめ上げられると、さらに原稿は2、3日塩づけにして(寝かせて)、再度、目をとおし、箇所の修正を入れる。なぜそうするかというと、ベストに近い表現を引き寄せたいからである。原稿の枚数は気にしない。そのまま表現したいから、ペンが走りつづけて止るまで、原稿用紙を重ねていく。

    アッというマに、帯でくくられている100枚綴じの原稿用紙が切れてしまった。400字づめ100枚。40000字である。

     

    今までに10冊あまり、本の出版を重ねてきたが、一体どれほどの原稿用紙を埋め尽くしてきのであろうか。僕はモノ書きじゃないから、書くことができることをとてもありがたいと思っている。ベストセラーにはなりえないけど、ロングセラーには手が届くよ。

    そうそう、処女作は39才当時の作品だから、30年間、書店に並べられ、読まれつづけている。

     

    操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

    操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

     

     

     

  • 2日目

    わかったからといって妥協してしまえば、それっきりのことだよ。

    わかった先には、深い、深い妙理がある。それを味わわずして、わかったなんて、私ごとの趣味にすぎない。あさはか(浅学)すぎるんだよ。ただ学んでいるだけに過ぎないんだよ。ただ学んでいるだけでは、学問にはできないんだ。学問していないんだ。

    僕は、松岡先生のこのメッセージ(「わかる」は「かわる」だ)を受け取った時、この本に目を通さなくてもいいと思った。(そう感じるぐらい、このメッセージには価値があった)このメッセージ1つで、本代の元は取れてしまったのだ。

    本は、手軽に手に入る。本代もBMWに比べれば、千円札が1,2枚で事足りる。BMWが薄れるほど、私にとっては、感動的なメッセージであった。

     

    この講座も、「僕にはどの程、理解できるのだろう」と思いつつ、足を運んだけれど、かなり自分相応にスーッ、スーッと理解でき、よくわかるので、妙なる後味であった。

     

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  • 1日目

    本日から一週間、三浦が担当します。よろしくお願いいたします。

    先日、新宿高島屋で「インタースコア」の公開講座があるということで、チケットを求め、足を運ぶことにした。松岡氏×田中氏×佐々木氏の対談である。僕がこのような「ば」にいるってことが、過去の私には信じがたいことである。よく上野の美術館にも足を運ぶし、巻上氏×佐藤氏のライブにも頻繁に足を突っ込んでいる。シャミセンの本條氏のコアな公演(ライブ)にも足をむけている。先月は仙台、秋保郷まで足をむけ、塩沼大阿闍梨さまに面会し、1時間半あまり話を交わすことができた。

    そういえば、今年に入って、お寺関係、僧侶の方、3人とご縁があったのは、妙である。

     

    ところで公開講座だが、前列の一番前の席で120分聴講することができた。松岡先生はきっと、「三浦のヤツ、また顔を出しているな」とほほ笑んでいたことだろう。私にとって、松岡正剛氏の世界観は、異次元の世界であって、チンプンカンプンだけれど、それでも、松岡先生の話は聴いていられるんだな。なにかネ、自分が学んできたこと、理解していることの中で、自分がどう表現して、どうとらえていいのかわからないことを、松岡先生はヒモ解いてくれていそうなんだ。(高級すぎて、わからないことだらけだけれど。)

     

    このインタースコアの本を、僕はまだ1ページも目を通してはいないが…この本のオビ、松岡先生が書き添えた活字に目が留まった。

    「ああ、松岡さんも…」僕の腑に落ちるメッセージを残してくださっていたことに感動してしまったのだ。

    本のオビに、どのようなメッセージが残されていたのかと云えば、

    「わかる」は「かわる」だ!

    「変化だ」

    わかったーかわるー変化

    自分が学びつづけてきた50年間の積み重ねは、まさに、このこと。

    私は、自分の中で認識(りかい)しつづけていたのだ。

     

     

    インタースコア: 共読する方法の学校

    インタースコア: 共読する方法の学校

     

     

     

  • 最終日

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    陰と陽とは、性相の異差である。

     

     

    陰と陽は、メンズマスターとレディーオナーである。

     

     

    陰と陽とは、男女のヒトづくりである。

     

     

    陰と陽とは、ギブ アンド ギブ アンド ギブである。

  • 六日目

    陰と陽は、ヒトから数えて第六の天である。

     

     

    陰と陽とは、ノミのフンとオシッコである。

     

     

    陰と陽とは、細胞の発酵と腐敗であり、死生である。

     

     

    陰と陽とは、根の木の元気イサキである。

     

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  • 五日目

     陰と陽とは、感と謝である。

     

     

    陰と陽とは、生命現象のはからいごとである。

     

     

    陰と陽とは、上昇、下降の環である。

     

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