
投稿者: karib_sotai
-
それ、逆効果?(5)
” data-en-clipboard=”true”>例の「エレベーターの呼吸」を1ヶ月続けた人の話です。確かに気持ちが変わってきたそうなんですが、その方は英語の勉強を熱心にやっていらっしゃる。英語を話せるという理想の自分に近づきたいのです。右脳のトレーニングをしていると「このままで、今のままで幸せ」ということが分かってきた。そうなると「英語の勉強は逆効果なんじゃないか?」と思っちゃったらしいんです。これ、かなりの「あるある」ですよね。その答えですが、「学びたい!」というのは左脳の良質な働きです。っていうか、この「学びたい」というのがなければ、未だに我々は縄文時代の(ただし気持ち的にはとっても幸せな)ような暮らしをしていたかもしれません。文明の恩恵はこのお陰です。むしろ「勉強したら逆効果なんじゃないか」というのが、「左脳ぐるぐるの『自動思考』」なのです。2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。 -
坐る(4)
「逆襲」というのは何かと言うと、ぐるぐる思考(自動思考)で栄養を得ていた左脳が、ぐるぐる思考をストップし始めたために、栄養不足になり、力を振り絞って「ぐるぐる思考(自動思考)」をしろ~!ということです。本で読んであらかじめ分かっていましたが、私にも「逆襲」がやってきました。2024年8月21日、夏期禅学会最終日、私は駒場東大の研究室で、愛知県からやってくる高校生の「研究室見学」のお手伝いをするため、本堂での朝の「暁天坐禅(きょうてんざぜん)」と、略朝課(朝のお勤め。今回は一般の方もいたので、ガッツリ朝課ではなく、般若心経と舎利礼文の略朝課でした)を終え、奥の院でのご祈祷の後、帰路につきました。帰った当時は、まだ「いい気分」が抜けませんでした。家族や面倒を見ている人がいる場合、家事とか人の世話とかから解放されるには、坐禅合宿に参加するか入院するくらいしかないですからね。実際。これは、プチ出家と言って良いでしょう。しばらくしてから、それは突然やって来ました。・そんなこと(呼吸など)やっても時間の無駄じゃん?・もっと先のことを心配しなよと、「いかにもぐるぐる思考」が襲ってきたのです。あらかじめ「逆襲が来る」というのは分かっていたのですが「いや~、ホントに来た!」と思いました。左脳ぐるぐる思考は、「私」の思考のクセを知っているので、そこをビミョーに巧妙につついてきます。「ああっ!やめてくれ~」状態です。が、対応策を知っていたので、対応しました。今は比較的安定している状態です。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。 -
坐る(3)
さて、例の呼吸を続けていると、著者(ネドじゅんさん)曰く「左脳さんの逆襲」というのがやってきます。ちなみに「エレベーターの呼吸」は、一万回くらいで右脳回路にシフトするらしいです。何故左脳が「逆襲」するか。それは、脳は使えば使うほど、血流が良くなり、栄養が回るんだそうです。つまり、左脳(言語を操り、現在よりも過去未来を気にし、今ここにいない人の気持ちを考えちゃうような)「ぐるぐる思考」【自動思考】をすると、左脳に栄養がいくんだそうです。・他人が自分のことをどう思っているか気になる・他人と自分を比べてしまう・未来に対する不安がある・過去のことを思い出してぐるぐるする・寝る前に一人反省会をして眠れなくなるというのは、左脳がやっていることなんですが、これをやると、左脳に血液が流れて、左脳に栄養が行くんです。例えば電車で座っていた時、隣に座っていた人が立ち上がって別の席に移った、としましょう。これを「なんでこの人は席を移動したんだろう。私、なんか変な人だと思われた?嫌われた?」と、ぐるぐる考えるのが自動思考です。右脳は「隣に座っていた人が席を移動した」で、終わりです。で「左脳の逆襲」、来ましたよ。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
-
坐る(2)
二泊三日の坐禅合宿の際、私は特殊?な呼吸を試していました。それは「エレベーターの呼吸」というヤツ。ネドじゅんさんの「右脳さん」が教えてくれたんだそうです。深呼吸とともに、おなかのなかにエレベーターの丸い床が上下することをイメージします。床はイメージでできていて、透明でも光の床でも、ふつうの金属質の床でもなんでもオッケーです。自然に思い浮かぶもので行ってください。エレベーターの床はペットボトルのフタほどで、鼻から息を吸う。エレベーターの床が下がります。腹腔にそって大きくなっていきます。口から息を吐くと、エレベーターの床が上がります。吸ったり吐いたりするのはからだにききわけて、でいいそうです。エレベーターの床をリアルにイメージして、おなかの内側の壁を、エレベーターの床が撫でるように。これは、意識の焦点をお腹に下ろし、おなかを意識するための呼吸です。自律神経を意識で刺激します。円盤のフチが体内(私は脊柱と神経をゴリゴリする感じにしている)に触れるように。ちなみに、これを坐禅会の最中にずっとやっていたんですが、これがきもちいいのです。電車の中とか、ふとんの中とか。電車の中は特に集中できます。悟る、というのは、神経回路が「右脳」に切り替わり「今、ここ」というスタンスに至ることらしいです。悟ったお坊さんというのは、多分坐りながら神経回路が右脳に切り替わり、その後、左脳(お経の勉強や教義の学びや、修行のスケジュールとか)を自由に呼び出すことができたのでは??悟った、というのは、右脳の神経回路をメインにして、左脳の回路も自由に呼び出せる、ということなんですね。多分。考えて考えて考えまくって悟るのではないんですね。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。 -
坐る(1)
こんにちは。畠山裕美です。2024年8月に小田原の大雄山最乗寺の夏期禅学会に参加しました。もう、1度行って下さい(笑)。操体を勉強していると、骨盤が反っているか反っていないかということは、かなり気になります。我々は、骨盤の「前弯曲」「後弯曲」と言うが、これは橋本敬三先生の言い方に倣っています。今は「骨盤の前傾」「骨盤の後傾」と言ったりもします。ややこしいので、書いてみると★出っ尻状態骨盤の後弯曲(恥骨が後に下がっている)恥骨を基点骨盤の前傾(前上腸骨棘や、腸骨稜が前に傾いている)前上腸骨棘など骨盤上部を基点腰椎の前弯(腰椎の弯曲が強いので腰が反っている状態)たまに「座骨が立っている」という言い方を聞くこともありますね(我々は言いません)★出っ尻ではない状態骨盤の前弯曲(恥骨が前に来ているので腰が反っていない)骨盤の後傾(前上腸骨棘が後方に傾いているので、腰が反っていない)注意すべきは、現在使われている「骨盤の前傾・後傾」と、我々が使っている「骨盤の前弯・後弯」は、全く逆方向です。(橋本先生に倣っているので、ここはご容赦いただきたい)
骨盤の前弯曲・後弯曲と、前傾後傾。操体においてはとっても大事です 我々が普段保っているポジションは「出っ尻ではない状態」。尻を出さずに、背筋は伸ばす。ここで、お尻を出さずに、背筋が伸びる条件を考えると膝のちからをホッとゆるめることになります。そうなのだよ。橋本敬三先生がおっしゃっている、自然体立位に近いのだよ。背筋は軽く伸ばして目線は正面の一点に据える(坐禅では半眼で一メートル位先の床を見る)膝の力をホッとゆるめる。膝の力をゆるめるということは、腰を反らさない、ということ。立位で試すとわかるけれど、膝の裏筋に力を入れると、腰は反ります。2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。 -
秋の空より・・・7
おはようございます。
秋の夕暮れは、日が暮れるのも早く、日が暮れてから真っ暗な闇夜になるのも早い。
俗に、秋の日は釣瓶落としと形容されるように、夜のとばりが降りるのが早くなる。
先月までは、遅くまで空の色が藍色に見えていたが、早いうちに真っ暗になってしまう。
しかし、真っ暗になっても、今度は月が照らしてくれる。
明けたかと思ふ夜長の月明り
夏目漱石が俳句に詠んでいるように、この時季の月は、よりその存在感を増している。
読書の秋、芸術の秋といわれるが、人間の文化にとって、秋の夜長に月明りの果たしてきた役割というのは非常に大きいと思う。
ハッキリ、クッキリ見える電灯が灯る今の時代になっても、月明りと朋に紡いできた文化というのは色褪せないと思うし、逆にそれを求める精神性もあると思う。
文化的側面もさることながら、もし月が無かったらどうなのだろうか。
地球の地軸の傾き、潮の満ち引きなどがガラリと変わってくる。
今生きている私達をはじめ、様々な生きものは生じていなかったと思われる。地軸の傾きは、太陽系の全惑星間の重力の相互作用によって生じており、他の惑星では傾きの変化の度合いがもっと大きいといわれる。
しかし、地球の場合は、衛星として類のない大きさの月の重力の影響で、永い間安定的な地軸の傾きを保っているという。
その御蔭で、予測可能な四季が生じる環境となり、その中で生物の進化も可能となったとされている。
特に人間の場合は、捕って食べるだけでなく、作物を植えて収穫して食べてもいるのだから、予測可能な四季が生じる環境というのは、知性や智慧を育む事にもつながり、今日の文明、文化にもつながったと思える。
今を生きる私達は、宇宙規模の絶妙なバランスでも、生かされて生きている。
今ここに居るだけで凄い事なのであり、もっと有難く生かされている事に自信をもって、生きていっても良いのではと思う。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。 -
秋の空より・・・6
おはようございます。
秋は夕暮、夕日のさして山の端いと近うなりたるに・・・。
清少納言の歌にもあるように、この時季の夕暮れ時というのは、空間とそこに漂う優しい光と合わさりながら、様々な美しい情景を醸し出していると感じる。
山の端もそうだが、木々や丘、四角いビル、電信柱、生きもの・・・。
そこに感じるのは、優しさであり、普段は忘れているが心の奥底にある、優しくしてもらった記憶を甦らせてくれるような、ほんのりとしみじみした懐かしい感じ。
風情があるとか、趣があるとか、一言で表現していいだろうが、その元になるのは、この情景の場合は優しさなのではと思う。
清少納言は、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり、と続けて書いている。
あはれなり、つまり趣があるとする前に、烏が日が暮れないうちに安心できる寝所に帰ろうとする描写。
それは一匹ではなく、3,4匹の集まり、2,3匹の集まりというのは、親子をはじめ様々な関係性の集まりを表現しているように思える。
そして、それぞれの集まりに絆や優しさがある。
どんな偉い人でも、強がった人でも、赤ん坊の頃、幼い頃を経ている。
誰だって赤ん坊の頃は、一人では何にも出来ない。
まわりに優しくしてもらわなければ、どうにもならない。
逆に、今、こうして生きているという事は、しっかり誰かしらの優しさや愛情を受けているという事でもある。
赤ん坊の頃、幼い頃の事は、大抵の人は憶えていないであろう。
はっきり頭の記憶としては憶えてはいないが、受けた愛情や優しさ、そのぬくもりというのはからだやそのくうかんに記憶されているのだと思う。
それが秋の美しい夕暮れの空間に包まれ、幸せな懐かしさのような趣で呼び起こされているのかもしれない。
-
秋の空より・・・5
おはようございます。
最近は、午後の5時を過ぎたあたりから窓の外の暗がりを感じる。
窓を空けて空を見上げれば、時折綺麗な夕日に巡り合うことがある。
オレンジと黄金が絶妙のトーンを醸し出し、何かぼんやりと輝く。
山や木々との相性も良く、浮世のしがらみも忘れ、時を気にせずずっと見ていたくなる。
鎮静、リラックス、放下、からだと心の深層に響く懐かしさ。
そして、リフレッシュ。
操体の創始者・橋本敬三先生は、操体の良さを医学界にも広めようと、様々な医学系の雑誌に投稿したり、医師会にも手紙を書いていたと聞く。
しかし、そのほとんどは見向きもされなかったという。
もう、これで最後と筆を断つ覚悟で書かれたのが、「山寺の晩鐘」という文章だったという。
「山寺の晩鐘」の最後の方には、下記のような一文が添えられている。
ここで人生の終着駅に近い著者は、「般若身経」を行じながら、中村雨紅作詞 ・草川信作曲の童謡を思い浮かべて涙ぐむ。
夕やけこやけで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
お手々つないで皆帰ろ
烏といっしょに帰りましょ
幸いな吾が家に、母なる自然法則の懐に。創始者のやりきれない想いと夕やけ。
しかし、そんな創始者の想いと裏腹に、操体法は医学界ではなく、身心の不調に悩む民間からの要望によって広まっていく事となる。
-
秋の空より・・・4
おはようございます。
高く青い空に、ポツポツポツっと広がるイワシ雲。
この、ポツポツポツっは氷の結晶からできた雲であり、上空に冷たい空気が入ってきているのが予想でき、雷雨になる前ぶれだともいわれている。
すがすがしい青空から一転して、雲に覆われて雷雨となれば慌てふためいてしまう。
晴れは好きなもの、雨は嫌なもの。
ほとんどの人の共通認識であり、普段の挨拶でも「今日は晴れて良かったですね」とか声を掛け合ったりする。
しかし、雨も必要。
仏様が現れる時というのは、大きな雲がわき起こり、その大きな雲は全世界を覆うよう慈悲の心が覆い、等しく一切を仏となす教えが注がれるという話を聞いたことがある。
この大地には、大、中、小、様々な草木が生い茂っている。
そこに空いっぱいに雲が広がり、平等に雨を降らす。
その雨を受け、様々な草木が生長する。
降り注ぐ同じ雨でも、様々な草木の受取り方は多様であり、それでもそれぞれが生長し、花を咲かせ、実を結ぶ。
仏様の教えも、元々は一相一味で、本質的には一つだという。
しかし、教えを受ける人達は、一人一人に違いがあり、そのままでは理解できない人も当然でてくる。
そこで、方便も必要になってくる。
しかし、方便は方便であり、その人が理解しやすくする為のものであり、方便を本質と捉えてしまうと、おかしなことになってくる。
操体は、健康学である。
症状疾患に対する治療学の枠を超えた健康学である。
症状疾患は様々であり、治療学ではそれぞれに対応する手段を講じるだろうが、操体は症状疾患現象の元から正して全体的な調和につなげ、生じている症状疾患も結果的に治まりがついてくる。
元から正し全体的な調和に導く発想なくして、症状疾患に対する方法ばかり模索していると、おかしくなってくる。
-
秋の空より・・・3
おはようございます。
昨日は、イワシの群れの集団行動について少し書いたが、個々の魚や鳥が、最低限どのような能力をもっていれば、秩序だった集団行動が可能となるのか。
こうした研究は、私達の細胞などの集団にも当てはまるという。
魚や鳥、私達の細胞の共通点は、自ら動く自己駆動の能力と周囲と相互作用する能力を併せ持っている事。
このような性質を持つものを、総称してアクティブマターと呼ぶのだそう。
アクティブマターでは、それまでバラバラに動いていた個体同士の距離が近くなることで、相互作用が強くなり、一種の相転移が起こるという。
例えば、大腸菌や枯草菌のようなバクテリアを使ったアクティブマターの実験では、バラバラに動き回り無秩序だったバクテリアが、遠心分離機で濃縮状態にすると隣あったバクテリアたちの向きが揃い、全体として不思議な乱流運動が生まれたという。
こうした研究は、もっと細かな物質を構成する粒子にも及び、自分自身で動き回る粒子を、生き物がどのように活用しているのか、生命現象の観察から解明へとつなげられているという。
素晴らしい研究だと思う。
しかし、観点を変えれば、個々の動き、個々の生命現象には、必ず空間が係わっているという事実がある。
空間があっての集団だから様々な相転移のような現象が起きるといえるのではないかと思う。空間がなくギスギス状態であれば、何も生まれないのだとも感じさせられる。
そして、空間には重力が生じており、この引きつける力は個々の場合では非常に弱く無視できるほどでも、大きな集団になるほど強くなっていくのではないかとも思える。
それを生きものは、どう無意識の内にも活用しているのかといった学びも必要だと思う。
