投稿者: karib_sotai

  • 間(マ)に合うように⑥

     

    「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」。

     

    それぞれの間(マ)を生かすうえで、これは大事だなと感じていることがあります。

     

    それは、「意識操作」を減らしていくことです。

     

    今わたしたちが学んでいる重心の適性にかなった「呼吸」や「うごき」では、以前ほど「意識操作」を用いなくなってきています。

     

    直接「呼吸」に意識を置かなくても、「息が入りやすい」と感じられたり、直接「うごき」に意識を置かなくても、「ながれで表現できている」と感じられる。

     

    それは、「からだのリズム」で表現されていることを意味します。

     

    「からだのリズム」で表現されているときは、「からだ」と「じぶん」の間に摩擦が起こらないんです。

     

    故に、消耗しないんです。

     

    操体臨床の場ではもちろんですが、それ以外の仕事や生活の場でも実感する機会が増えてきました。

     

    そして不思議なのは、「からだ」と「じぶん」との関係性がそのようになってくると、周囲との関係においても摩擦が少なくなる実感があることです。

     

    社会との関わり、人との関わりを特別意識しなくても、そこに何か接点を見いだしたり、その接点にある間(マ)を大事にできている感触があるんです。

     

    「からだ」と「じぶん」の関係性は、周囲との関係性にも直結している。

     

    二つの「くうかん」との関わりを自覚することは、よりよく生きることにつながっている。

     

    「意識操作」を外すと、もともとある間(マ)を生かして、新たな間(マ)を生みだしていくことができる。

     

    こんなふうに実感できるのも、「重心の学習」の基本となる立ち方と間(マ)の生かし方のお蔭なんです。

     

    明日に続きます。

     

     

    2024年秋季東京操体フォーラム「もっと丸ごと操体法」を開催致します。

    www.tokyo-sotai.com

     

  • 間(マ)に合うように⑤

     

    「あっ、なんかいい風」。

     

    「からだ」の外側の「くうかん」からのメッセージをキャッチするときって、こんな感じなんです。

     

    「感じよう、感じよう」と気負わなくても、ふっと意識が向くような間(マ)があります。

     

    こういうときは、「感覚」と「意識」の基準が「じぶん」から「からだ」に変わっているのを感じます。

     

    「感覚」と「意識」の基準が「からだ」になると、「からだ」と「じぶん」の間の摩擦が消えて、「重さ」がなくなってくる感触があります。

     

    なんの引っかかりもなく、水がすうっと流れていくような感じを、「からだ」の内側の「くうかん」からのメッセージとしてキャッチすることができる。

     

    「息がしやすい」とか、「飲み込みやすい」とか、「動き(行動)が軽い」とか、「まずやってみる(迷わない)」とか、具体的な変化として現象化してくる間(マ)がある。

     

    環境との関わりと、自己最小限責任生活である息・食・動・想において、人間はもっと「からだ」を信頼していいし、「生命」を自覚していい。

     

    「からだ」の外側と内側の二つの「くうかん」がメッセージを届けてくれるからです。

     

    けれども、わたしたちは現状、思考が先行する社会で、どうしたって「からだ」にとって「不自然」なことや「無理」なことを強いたり、強いられたりすることがあります。

     

    社会との関係において、人間関係において、「からだ」との関係において、摩擦が生じることの方が多いかもしれません。

     

    それでも、その現状との接点において、「からだ」にとって「自然」な方向に快転していける感覚-原始感覚-を、わたしたちは「からだ」と共有していくことができる。

     

    目には見えないけれど、確かに感じられる間(マ)はあります。

     

    その間(マ)を生かしていくこと、それは、今わたしたちが学んでいる重力と重心のバランスにおいて、健康維持増進を可能にする大切な要素だと感じています。

     

    現在、その学びの中で特に感じていることについて、続きは明日にします。

     

     

    2024年秋季東京操体フォーラム「もっと丸ごと操体法」を開催致します。

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  • 間(マ)に合うように④

     

    「ゆっくり」には、時間的に感じられる間(マ)と空間的に感じられる間(マ)がある。

     

    確かにそう感じたできごとがありました。

     

    先日、野菜を洗浄し、選別する作業の機会をいただいたのですが、流れ作業の速度はけっこう速く、とても「ゆっくり」とはいえないものでした。

     

    ただ、初めての作業であるにもかかわらず、周りがよく見えていたり、流れを断ち切らずにタイミングよく動けていたり、「速い」けれども、余裕をもって対応できている感覚があったんです。

     

    そして、からだのどこか一部に負荷がかかっているという感じや疲労感が無かったことが、なにより不思議でした。

     

    この感じをひとことで言い表すなら、「摩擦がない」。

     

    「からだ」の外側にある「くうかん」と、内側にある「くうかん」との間に摩擦がない。

     

    「からだ」と「じぶん」との間に摩擦がない。

     

    作業場にいた人たちとの間に摩擦がない。

     

    どうしてこういうことが起こるのか、改めて考えてみると、思考につながる「自分の意識・無意識」が消えて、automaticに「からだの意識・無意識」が対応してくれていたとおもうんです。

     

    決して「からだ」にとって自然とはいえないような速さや、「からだ」に無理がかかるような作業でも、「からだ」がその場の「くうかん」を感じとって、「からだ」の「くうかん」を消耗しないように表現してくれていた。

     

    そうすると、目に見える動きは速くても、目に見えない「ながれ」は「ゆっくり」で、時間的ではない空間的な広がりを「ゆっくり」と感覚意識できる間(マ)にあったのだとおもいます。

     

    このようなことをどうキャッチしていくかが、健康維持増進につながっていくとおもうのですが、続きは明日にします。

     

  • 2024年10月の予定

    TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

    なんだかすっかり「施術+ベーシック講習開催可能」月間予定の更新を忘れていましてすみません。

     

    www.teizan.com

     

    今年の10月は割と予定が空いておりますので、ご希望に添える日も多いかと思います。

     

    www.teizan.com

  • 2024年秋季東京操体フォーラム(案内)

    こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

    何だか気がついたらもう9月も半分過ぎましたね。まだ暑いけど。

    先日秋のフォーラムについての打合せがあり、秋のテーマは「もっと丸ごと操体法」になりました。

     

    2024年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

     

    簡単そうに見えるのが、操体です。

    橋本敬三医師は、患者さんには「操体は簡単だヨ。ちょこちょこっとやってごらんなさい」と言っていました。

    一方、弟子達には
    「よくこんな大変なことに足をつっこんだな。でも、操体は面白いぞ。一生たのしめるからな」と。

     

    これはどういうことかというと、操体はじめ、物事には「その土台となる考え方」と「テクニック」の2つが存在することが原則だと考えてください。

    操体の実践者(弟子達、つまり我々も含まれます)は、「操体の土台となる考え方」をしっかり学ぶ必要があります。
    一方、患者さんは、操体の実践者、指導者が「操体の土台」を代わりに理解しているので「簡単」なんですよ。

     

    ★それを理解せずに「テクニック」だけかじってもうまく行かないということなんです。

     

    我々操体法東京研究会では、両手両足関節からの連動を用います。

    橋本敬三先生の時代は「腰から」動きが始まるものが多かったのですが(足関節の背屈のように、末端からのものもあります)、橋本敬三先生がある時三浦先生に「連動は腰からじゃなくて、末端からだ」と、ぼそっとおっしゃったことが発端となり、手関節、足関節から連動を誘導する介助法が生まれました。

     

    実は操体における「快・きもちよさ」は、からだの中心腰からの動きではなく、手足関節(末端)からの介助から起こる連動から誘導した方が「被験者が快をききわけやすい」のです。これが第二分析です。

     

    つまり、従来の橋本敬三先生時代の「第一分析」は、多くが「腰から動く」ものですから「快」をききわけにくいのです。
    なぜかというと、末端への介助法に特徴があるからです。

     

    今回は、末端への介助法および補助法をご紹介いたします。

     

    足趾の操法の体験コーナーもありますので「操体で意識が飛ぶ」というのを未体験の方は、是非体験なさってください。操体の癒しの底力をお見せ致します。

     

    そして昨年からご好評を頂いている「おしえて!三浦先生」のコーナーも続投予定です。

    参加者の皆さんから寄せられた質問に、三浦寛先生が回答します。

  • 間(マ)に合うように③

     

    普段の生活の中でやっている一つ一つの動作を「ゆっくり」にしてみる。

     

    患者さんにこのようにお伝えすることがあります。

     

    子供の頃に大人に急かされたり、仕事で効率化を求められたり、頭の中が考えごとでグルグルしていたり、いつの間にか速くすることが当たり前になってしまっていることって多いとおもうんです。

     

    「ゆっくり」からだのうごきを表現すると、感覚を「からだ」にききわけられやすいけれど、速く動くと途端に感覚がわからなくなってしまう。

     

    それと同じように、普段の生活の中から「ゆっくり」が無くなってしまうと、感覚という「からだからのメッセージ」に気づけなくなってしまう。

     

    どうしても、思考優位になってしまい、「からだ」と「じぶん」の間にずれができて、「からだ」や「心」に歪み(ヒズミ)が生じやすくなる。

     

    そこで、「ゆっくり」という間(マ)を日常に取り入れて、思考優位な状態から感覚優位な状態にスイッチを切り替えます。

     

    「ゆっくり」を味わっていると、呼吸が深くなったり、心が落ち着いたりしますが、その現象の裏では、「ゆっくり」という間(マ)の味わいに「からだ」が反応し、「からだ」と「じぶん」のずれを修復してくれているように感じます。

     

    そういったことに気づいていくと、何が「からだ」にとって自然な間(マ)なのか、ということにも意識が向いてくる。

     

    そして、「ゆっくり」という間(マ)にある時間の間(マ)と空間の間(マ)について、続きは明日にします。

     

  • 間(マ)に合うように②

     

    ゆっくり。

     

    操体の動診・操法において大切なこと。

     

    感覚分析(一つ一つのうごきをとおして、快適感覚の有無をからだにききわける)では、「ゆっくり」からだのうごきを表現することで、感覚をからだにききわけやすくなる。

     

    このような学習の始まりがあり、初めは、「ゆっくり」って時間的なことだと理解していました。

     

    「感覚をからだにききわける」という目的のために、からだのうごきはこのくらいの速度で表現するという、「速い」に対しての「ゆっくり」。

     

    けれども、ある時期から、「ゆっくり」って時間的なことだけではないんだな、というふうに理解するようになりました。

     

    「ゆっくり」とからだのうごきを表現し、そのうごきの中で快適感覚をききわけて、味わっているときは、時間の感覚が消えたように感じることがあったんです。

     

    そして、今改めて「ゆっくり」ということを体感していると、「ゆっくり」には、時間的に感じられる間(マ)と、空間的に感じられる間(マ)があるということを、間(マ)は教えてくれているのですが、続きは明日にします。

     

  • 間(マ)に合うように①

     

    岡村さん、一週間のメッセージありがとうございます。

     

    原初の間(マ)よりつながるわたしたちの「生命」。

     

    人間はもっと「からだ」を信頼していいし、「生命」を自覚していい。

     

    もともとある間(マ)を生かしながら、新たな間(マ)を生みだしていけるのですから。

     

    そんなことを感じながら、今週は瀧澤が担当致します。

     

    一週間よろしくお願い致します。

     

     

    ここのところずっと、「操体」で学んでいることを臨床やそれ以外の仕事を含めた様々な生活の場面で、「からだ」と答え合わせしているように感じているんです。

     

    「からだ」と「じぶん」の関係性はどうなっているのか。

     

    その理解を深めていくことが、健康維持増進につながっていく実感があります。

     

    その手がかりになるのが、「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」です。

     

    どちらも、「からだ」にとっても、「じぶん」にとっても、とっても大切な間(マ)なんです。

     

    その間(マ)から届いてくるメッセージが、どんなふうに健康維持増進につながっていくのか。

     

    今回は、そこにふれていきたいとおもいます。

     

  • It’s automatic.⑦

    近年の研究によれば、人間の脳は並外れて可塑性が高い事実を報告されている。

     

    通説に反して、ある種の脳細胞は失われても補充されることが明らかになった。

     

    人間の脳のうち、一番新しく進化した前頭前野は、新しい経験に反応し回路を作り直す作業を、なんと、死ぬまで続けることもわかってきた。

     

     

    環境適応した足趾を軽視しないこと。

     

    足の親趾にある流れを無視しないこと。

     

    情報を介し頭や思考、意識、理性は追求することをしても、却下照顧に欠ける。

     

    そんな哲学思想は、操体になりえない。

     

    足裏を介し一体化する全身体性力学。

     

    足底・母趾種子骨に母趾球はある。

     

    足底感覚は世界思想史を変えていく。

    また新しき創造を生むスイッチとなる。

     

    以上をもちまして今週のブログは終了になります、お付き合い頂き有難うございました。

     

    明日からは、滝澤副実行委員長の登場です。

    おたのしみに!

  • It’s automatic.⑥

    現代人はネオテニー(幼形成熟)の類人猿霊長類である、という説を支持したい。

     

    様々な未熟・成熟により、人間の脳は巨大化していったその理由とは何か。

     

    なぜ未成熟な状態で生まれるか。

    環境に適応するにはその方が有利だったからである。

     

    元を正せば足の親趾こそH OX遺伝子の鍵変化スイッチで、歩き走れる突然変異のせいだと思われる。

     

    人間の赤ん坊は全くと言っていいほど自分では何もできない。脳は小さく未発達で、腕や脚、手足の指は成熟した骨というより軟骨に近い。

     

    生まれた時はほとんど目が見えず、脳神経系も完全には程遠い。神経系は人生の3分の1をかけて成長を続けていく。

     

    頭蓋骨の継ぎ目は生後徐々に閉じるが、なかには30歳でも閉じない例もあり90歳を過ぎて閉じていな痛み例もわずかながら報告されている。

                 (続く)