投稿者: karib_sotai

  • 桂枝加芍薬湯

    漢方薬の世界では、桂枝湯は、「衆方の祖」と呼ばれ、様々な薬方の基礎となるもの、とされています。

     

    この方は、元来は、虚弱な体質のタイプの人が風邪を引いた時の初期に飲む薬です。病邪が体表近くの比較的浅い部位に在る場合に使われます。

    その桂枝湯の中の芍薬の量を倍加すると、お腹がひきつり痛む、しぶり腹や下痢の薬となるところが興味深いです。

    ちょっと冷えたり、寒い風に当たると、すぐお腹をこわす人や消化器系の弱い子供などに適用されます。

    外界の変化が、すぐに内界に影響するケースです。
    皮膚は、消化器と繋がっていることを物語っています。

  • 四季と四時

    温帯モンスーン気候の日本においては、一年に四季があります(最近、それも少し怪しくなって来ましたが)。

    それと同じ様に、一日の中にも四時というものがあって特定の臓腑の活動が活発になったり、低調になったりする時間帯があります(子午流注)。

    最近、睡眠の問題で体内時計が取り上げられますが、原始時代に戻る事は出来ないまでも、今一度、体内環境(宇宙と同調している)について考えてみる必要があると思います。

  • エピジェネティクス

    遺伝子に刻まれた情報が、そのまま翻訳されるのではなく、環境要因によって動的に変化する、という考え方です。

     

    ほど良いストレスが加わる環境があれば、遺伝子の働きが少し修飾されて、体や心の働きの変化として現れる、というものです。

     

    東洋医学では、先天の天気、後天の天気という考え方があります。

    先天の天気は変えられないけれども、後天の天気で補えます。

    後天の天気をつくるものは、息・食・動・想と環境の選び方です。即ち、生き方の問題です。

     

  • 土地柄

    ※ブログテーマは引き続き「環境」です。

    人間は、気候・風土の産物です。

    そこから、言語、文化、習俗が生まれます。

    それらは、いかに社会が変化しても、身体の中に染み込んでいるものです。

     

    お互いに相手をよく知り、認め合いたいものです。

    育った環境をよく学ぶことが、理解を助けると思います。

     

    相手の話を聞く力、自分を表現する力が増々要求される時代だと思います。

    日々の生活において、良好な人間関係は、自然に勝るとも劣らない環境です。

  • 「環境に適応していくために 7」

    「本日で最終日になりますが、今回のブログを書きながら「なぜからだは歪みを作るのか?」ということを考えていました。

     

    今まではずっと息・食・動・想の4つの命の営みのバランスが崩れた結果がからだに歪みを作っていると認識していたのですが、最近はまた別の捉え方をしています。

     

     

    「からだの歪み」→環境に応じたからだの姿、形

     

     

    歪みに触れた時に「なぜ歪みはこんなに表情を変えるのか?」といつも疑問に感じていましたが、それはからだを介して環境や空間が見せている表情なのではないかと思っています。

     

    からだが歪みをあるのは決して悪いことだけではなく、何か動きにしても心の面においても自身のからだに足りていないものを補っているもののように見える時があるのです。

     

     

    そんなことを今回のブログで強く感じたので最後に書いておきました。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「環境に適応していくために 6」

    からだの学習を重ねていく中で最近変わってきたことがあります。

     

     

    それは臨床空間と生活空間の境界線が消えてきたことです。

     

     

    今までは仕事に入る時のようなスイッチを入れて臨床に望んでいましたが、そういったことをしなくても自然に臨床に入ることが出来るようになりました。

     

     

    理由も幾つかありますが、一番は日常生活も臨床の時と同じように「からだが要求していること」を素直に応えることが出来ていることが大きな要因のように感じています。

     

     

    からだが要求している呼吸、からだが要求している動き、からだが要求している自分自身の在り方があるということ。

     

     

    そんなからだが要求していることに応えることが出来れば自分の物差しで環境と反発することがなく生きていけるようにも思います。

  • 「環境に適応していくために 5」

    先日からだを診させて頂いた方が面白いことを言っていました。

     

    「雨や台風が来る数日前から体調が悪くなる。そして当日になると首と膝が痛くなる。

    痛くなると分かっているのに対処の仕方がわからない」

     

    その患者は一年前から知っている方ですが、確かに天候や気温によって体調の変化の波が大きいように見えます。

     

     

    その患者以外の人でも天候によって首や膝の調子が悪いという人がいますが、この原因が何なのかは未だわからないことが多いです。

     

    しかし一つ確かなことは「からだが事前にキャッチしていることに対し、その対処法を本人がわからない」ということが問題であるように思います。

     

     

    その対処法は読んでいる皆様が日々の生活の中でその環境と空間と自身のからだを繋いでいる呼吸とからだの動きを通じて体感し考えてみてほしいです。

     

     

    私から言える一つのヒントは、呼吸と動きを体感する中でそれらに対し「ありがたいな」と感じられれば、それはからだの声に応えているということです。

  • 「環境に適応していくために 4」

    最近は人と話している時や自分の好きな空間にいる時は最初に呼吸を味わうようにしています。

     

     

    その時、その状況の「間」を味わいながら、自分から何かアクションを起こすのではなく、まずはその環境から発せられるメッセージを呼吸と共に受け取ってからリアクションをするようにしています。

     

     

    呼吸に意識を置くこと、呼吸を感覚することで変わることは自分と環境の間にからだという人格がクッションになりリアクションが取れるということです。

     

     

    何をするにしても自分が主語になってしまうと不平不満ばかり出てしまうが、そんな先走ってしまう自分を消してくれるのが呼吸という感覚のように思います。

     

     

    そういう「間」と「呼吸」の味わい方は臨床においても必要なことのように思います。

     

     

    臨床に向かう時にはどうしても自分からアプローチしてしまうことが多く、時に臨床が複雑になってしまうこともあります。

     

    それをまずはからだからのメッセージを受けとり、呼吸という感覚を介してアプローチしていくと臨床もとてもシンプルなものとなります。

     

     

    人が生きることにおいて常に環境とのアプローチとメッセージの繰り返しの中で生活していると思いますが、それを逆にしてみるとまた違う世界が見えてくれのではないでしょうか?

  • 「環境に適応していくために 3」

    日々の生活の中でいつもと違う空間に身を置いた時に疑問に思っていることがあります。

     

     「環境の変化に対応し、順応しているのは果たして誰なのか?」ということです。

     

     

    当然、その状況に応じて自身が培ってきた経験や知識というもので人は対応しているのですが、それ以前にからだがその環境から何かをキャッチし私達に伝えていることがあるように思います。

     

     

    視覚や聴覚、嗅覚等の五感以前に私達が思考レベルでは実感出来ないレベルで皮膚や細胞が環境から何かをキャッチし、順応する術を知っているように感じています。

     

     

    そんな「からだが知っていること」に意識を向け委ねてみることも環境に適応していくことにおいて必要なことではないでしょうか?

     

     

    からだがキャッチしている情報には環境に適応していくエッセンスが沢山あります。

     

     

    まずは自身の置く様々な環境(空間)とからだの間で行われていることをキャッチし、そこから行動していくことが環境に反発せずに適応していく為には大切なのかなと感じています。

  • 「環境に適応していくために 2」

    昨日のマスクの話にも繋がることですが、最近は「自然体」について考えることがあります。

     

    人がありのままの自分で素直に生きることが健康に生きる一つの秘訣になる。

     

     

    そんな思いを日々の生活や臨床の中で強く感じているので、本日は「自然体」について少し書いていこうと思います。

     

     

    操体でもよく「自然体」という言葉をよく使いますが、一体どういった状態が人間にとっての自然なのでしょうか?

     

     

    からだに歪みがない状態なのか?

     

    またはからだが過不足のない状態のことをいうのか?

     

    病気のない状態のことをいうのか?

     

    一人の臨床家としていつもこのことについて考えていますが、はっきりとした明確な答えはまだ出ていません。

     

    しかし最近はからだと向き合う時に感じていることがあります。

     

    それは私が操体の臨床の中でからだに問いかけていることは様々な「器」作りをしているのだということです。

     

    「からだ」という器。「感覚」という器。「呼吸」という器。

     

    こういった無形の様々な器をその人のからだに合うように作るお手伝いをしている。

     

    それが結果的にその人なりの自然体になり、からだの声と共に環境に適応しながら様々な変化をしていく。

     

    そんな自然体を臨床や自身の生活の中でデッサンしていくことが出来れば素敵なだなと思っています。