投稿者: karib_sotai

  • 五日目 日焼け

    皮膚は操体臨床家にとってはとても大切なモノです。

     

    というわけで、日焼けはしないようにしています。これは操体臨床家でなくとも日焼けはしないほうがいいですよね。

     

    男性でも、若い頃日焼け止めを塗らずにゴルフ三昧で、60歳越したら顔がシミだらけになったとか、1960年代に日焼けが流行り、結構焼いたんだけど、年とってからやっぱりシミだらけになっちゃったのよ、というお姉様の話も聞いたりします。

    最近は、男性向けの日焼け止め効果があるBBクリームが出たり、スキンケアにかなり気をつかう男子も増えてきましたが、これはいいことだと思っています。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

  • 四日目 カバリストの部屋

     “Messy, not dirty.”

    というのは、日本における西洋魔術の大家の先生の講座で聞いた話です。

     

    「雑多であるが、汚いのではない」とでも訳せば良いでしょうか。

    今回「カバリストの部屋」とタイトルに書きましたが、カバリストとは、カバラを行う人、分かりやすく言えば、魔法使いだと思って下さい。(はしょりすぎでしょうか)

     

    わたくし、現在は「仏弟子」ですが、昔は英文学を勉強しており、カバラとか魔術とか、そんなのに興味を持っていた時代もありました(今でも好きですけどね)。

     

    そして、想像してください。

    魔法使い(例えばダンブルドア校長とか)の部屋って、いろんなものがあるような気がしません?

    錬金術師でもいいですよ。

     

    本とか秘薬とか道具とか。

    何だか色々モノがあって、雑然としているけれども、汚いわけではない。

    (モノが多い)というのが「カバリストの部屋」なのです。

     

     

    先日「ファンタビ3」(ダンブルドアの秘密)を見てきまして、思い出しました。

     

     

  • 三日目 環境適応

    猫も人間もそうですが、今現在生きている種は、環境に適応して生き延びてきたんだよね、と思うと何だか感慨深いものがあります。

     

    先代猫、シモン兄ちゃん(2017年19歳で大往生)は、アメリカン・ショートへアのハーフでした。アメリカン・ショートヘアは、アメリカの土着猫で、砂漠に住んでいたので、柄がガラガラ蛇に似ており、ガラガラ蛇に噛まれても命を失うリスクを少なくするために、お腹の皮がたるたるしているのです。で、もともと砂漠にいたので、高いところには登らない。確かにシモン兄ちゃんはそうでした。

     

    一方、ベンガルまーちゃんと呼ばれている真魚君は、多分ベンガルが混ざっています。よく喋るし甘えん坊だし、高い所が大好きです。遠い祖先は、ジャングルの木の上で暮らしていたのかも。

     

     

    こちらは、小十郎君こと、ちびちゃんですが、彼は「日本的なキジトラ」です。高いところにあまり登らないのは、小さいころシモン兄ちゃんにくっついていたからかもしれません。

    ちびちゃんは、もぐるのが大好きです。先祖は森の洞穴に住んでいたんだろうな。

     

     

     

  • 二日目 猫様と環境

    知りあいに、「猫好きなんだけど、留守番させるのが可哀想で」という人がいました。

    いや、猫って留守番好きですよ。

     

    もしかすると、人間様が留守の間、テレビのチャンネルとか回してるかもしれない(笑)

     

    それにしても、ここ20数年でペットの環境は変わりましたね。

    私の家には昔犬がいましたが、当時にしては珍しく?家の中で育てており、また、犬のためにクーラーを買ったという家だったので「座敷犬」とか言われたような。

    昔は、わんこは番犬という名目で外飼いが殆どでした。

    今、わんこを外に繋いで飼っているという家、私の周囲では殆ど聞きません。

    知りあいの家の犬は、幼稚園?に行ってるという話ですし。。

     

    また、猫も昔は外に出すのが普通でしたが、最近は避妊去勢手術をして室内飼育(私もこちらを推奨しています)が多いですね。

    さすがに猫の幼稚園は聞いたことがありませんが(とってもカオスな気がします)。。

    猫はもともと夜行性ですが、人間と暮らしていると、生活リズムが人間と同じになり、夜寝て朝起きるという生活になってきているのだそうです。

     

    さて、どうしたら、猫様にとってベストな環境なのでしょう。

     

     

    じゃれあう猫様達

     

  • 初日(恵まれた環境)

    こんにちは。畠山裕美です。

    一週間よろしくお願い致します。

     

    長いこと、師匠三浦寛先生や、東京操体フォーラムの同志達と一緒に活動していますが、たまに別の環境に自分を置いてみると、自分は本当にありがたい恵まれた環境にいるんだなと思います。

     

    そして最近なのですが、フィールドワークと実益?を兼ねて、ちょっとアルバイトをしています。

    操体の世界とも、大学の世界とも違う世界です。

     

    下は大学生(自分も大学生の頃は若くてとんがってたぜい、と思う)から、同年代くらいまで、幅広い年代の人がいます。

     

    ある企業が、東京都から請け負っている事業の一つなのですが、言わば「ご相談センター」的なところです。

     

    私はたまたま「リーダー業務をやってくれませんか」と、頼まれ(普通の人と殆ど変わらず、取り纏め的なことをやって欲しいと言われ、取り纏めはいつもやってるよね、と)気軽に「いいですヨ」と請け負ったわけです。

     

    しかしながら、私には本業がありますので、そんなに出るわけではありませんし、最初から「そんなに出られませんよ」というのが私の条件でした。

     

    しかししかし、その事業には、複数の派遣会社が人員を投入しており、私が所属しているところとは別の会社から来ている「Aさん」というリーダー職の方が、

     

    「あいつはちょっとしか出て来ないのにリーダーとはけしからん」というわけで、ありとあらゆる手を使って私に意地悪(笑)を仕掛けてくるわけです。

     

    ちなみに、私は「人を呪わば穴二つ」ということを知っているので、人に呪い?をしかけたりはしません(しかけられたらそのままお返ししますけどね)

     

    相手は50歳くらいの女性です。

    • 忙しそうなフリをしているが、客観的に観察していると、フリをしているだけ
    • 自分の言うことを聞きそうなスタッフを子分にしている

    この他にも詳細をシャーロック並み?にプロファイリングしましたが、ここではこれくらいにしておきます。

     

    どんなことを仕掛けてくるかというと

     

    例えば

    「言っていない事を言ったと吹聴する」

    「あいつは居眠りしている」と告げ口する

    「他の人の前で露骨に怒鳴って注意する」

    「上長の前で、聞こえよがしに悪口を言う」

    書いたらキリがないので、この辺りでやめておきますが、これだけ悪質なのは、久しぶりです(笑)。

     

    など、とにかく人の一挙一動に難癖をつけてきます。

     

    また、自分と同じ会社の人や、子分には甘いけれど、他の人のことは大層細かく見ており、私よりはライトですが、かなり厳しく(そんなことまで言うかよ的な)注意しています。また、一瞬でも居眠りしたりミスがあると、自分のお気に入りはスルーしますが、それ以外は上長にチクっています。

     

    あまりに面ので(人間観察としては最高に面白い)、私は客観的に観察しているのですが、泣いたり落ち込んだりしないので、それも気に食わないようです(笑)

     

    たまに観察が面白くて「くすっ」とかしてしまうので、尚更ムカつくのかもしれません(笑)。

     

    そして、私の他にももう1人ターゲットになっている人がいるのですが、この方は「かわいい肝っ玉母さん」な感じの方で、賑やかで面白そうな家庭なんだろうな、的なしっかりとした軸がある方です。

     

    ここで私が気がついたのは、この「Aさん」というのは、軸がないんだな、私や「かわいい肝っ玉母さん」のように、「帰るところ」や「軸」がないんだなということでした。

     

    そういえば、某企業に在席していた際も

    「手に職がある」(他にもいくつか理由はあったのですが)という理由だけで、いじめられたことがあったことを思い出しました。

     

    軸や人生の目標がない人は、妬むのです。

     

    こうやって考えると、私が普段暮らしている操体の世界とは、なんと素敵な環境なのだろうと思います。

     

    「行ってきます」「お帰り」

     

    改めてありがたやなのでした。師匠はじめ実行委員の皆さん、いつもありがとうございます。

     

    しみじみ。

     

     

     

  • 環境・・・7

    おはようございます。

     

    私たちが生きていく為には、何が必要か考えてみる。

    そうすると、人によって様々な物が思い浮かぶと思います。

    しかし、生命が生存していく為に何が必要かを突き詰めていくと、空気とか水とか大地とか、この地球を母体とする自然環境の恩恵によって齎されているものに至ると思います。

     

    産まれた時から文明の利器の恩恵を受けていると、生かされている本質というものがみえずらくなりますが、自然環境の絶妙の妙の織り成す調和の有難さは、頭の理屈で考える以上のものがあると感じられます。

    それが自然であり、自然は無限の可能性を秘めている。

    この地球を母体とする自然環境も宇宙の影響を受けており、宇宙にしても有限の現象界に過ぎず、有限の枠の外には無限がある。

    その無限の可能性から生じているのが調和の妙であり、調和の妙から有限の自然界が生じ、私達のからだも生じている。

    調和の妙というのは偶然から生じるのではなく、一つの必然から生じて積み重なっていく。

    一つの必然、それが神であり、必然の積み重ねには神の意志が貫通しているという事。

     

    だから、私達をとり巻くこの環境を構成する一つ一つには神様が宿り、私達一人一人にも神様は宿っている。

    それぞれが無駄には出来ない有難い命であり、より良くなる可能性を持った命なのだと思います。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

    友松 誠。

     

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  • 環境・・・6

    おはようございます。

     

    今日、4月29日の昭和の日は、春季東京操体フォーラムの開催日です。

    最近は、昭和の日というと春季東京操体フォーラムというように、恒例行事のようになってきた感があります。

    今回の春季東京操体フォーラムは実技を中心に、オンライン参加も含めて行う予定となっております。

     

    操体の実技は、症状・疾患を治すという発想ではなく、元々環境への適応能力を有しバランス制御に向く、からだの要求を満たす事にあります。

    だから、症状・疾患の治し方のテクニックが知りたいという人が、操体臨床の実技を見ても「何をやっているんだろう?」という感じかもしれません。

    そもそも、なぜ治療と環境への適応能力が関係あるんだ?という人もいると思います。

     

    操体の創始者、橋本敬三先生はこう書いています。

    『 生命体が自然環境に適応すること、これは生命の至上命令であるから、この絶対原理は自然の救いになっているのである 』

     

    本人が自覚していなくとも、からだが自然環境に適応してくれているから生きていられる。

    生きるにしても、環境適応が十分で、健康で快適に生命活動を営めているのか?

    それとも、環境適応が不十分で、バランスを崩して不快症状を抱えながら生命活動を営んでいるのか?

     

    自然環境への適応の在り方によって、生命現象は変わるという事であり、症状・疾患を抱え込んだ状態であるならば、環境適応は当然不十分であり、その時点で症状・疾患が治まったとしても再発の虞れは付きまとうし、違う症状の発症の可能性も高くなります。

     

    生身の身体は、自然環境とエネルギーの入出力を繰り返して生存しているわけですから、バランスを崩して症状・疾患を抱えた状態であっても、からだの自然環境への適応能力を呼び覚ます事で、バランス制御が可能となり、症状・疾患を抱えた状態からの回復につながるのです。

     

    これは、本来は自力自療が可能です。

    しかし、ボディの歪みをはじめとするバランスの崩れが大きければ、本来のからだの動きの発動は難しく、本人は指導されたとおりに行っているつもりでも、普段の勝手都合のよい動きをとおしてしまい、効果につながらない場合が多いのです。

    だから、操者のサポートが必要という事なのです。

     

    被験者本人は、自分がどういう症状・疾患を抱えているかは知っていても、どの様にバランスを崩し、その症状・疾患が引き起こされているかについては知らない。

    また、からだが自然環境の構成要素の素と接しながら、無意識のうちにもバランスを保とうとしている事など無頓着でありましょう。

    この、からだの有難い営みがより良く機能する様にサポートするのが、操体臨床なのであり、より良く機能するようになればバランス制御に向き、結果的に症状・疾患からの回復があるのです。

     

    ですから、操者は被験者のからだを尊重し、負担や不快を与える事無く、最大限の効果が導き出せるよう、からだに配慮しています。

    相手のからだへの配慮は、自分自身のからだへの配慮でもあります。

    操者が自分のからだへの配慮を欠いた行いで、動きをとおせば、相手のからだにもそれは伝わってしまい、効果は低くなってしまいます。

    自分のからだへの配慮が、相手のからだ本来の動きをより良く導き出す事につうじ、臨床効果も高めます。

    そうした特徴も、操体の実技の良いところだと思うのです。

     

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  • 環境・・・5

    おはようございます。

     

    今回のブログは「環境」をテーマにリレーしていますが、環境という字を見ていると、みんな巡っているんだな、という想いが膨らみます。

     

    「環」は、そのまま循環が連想されるし「境」はさかいでもあるが、ものとものとが接する所でもある。

    接するという前提があるならば、ものとものとは同一ではない筈。同一であれば、境など無いであろう。

    個体としての、ものとものとは何かしら違いがある。

    その違いを分ける意味での境ならば、何か分断を感じてしまう。

    しかし、境の前に「環」があることで、違うものどうしでも空間を介した接点が生じて、つながりを持ち、それがまたつながりを持ち、連鎖が生じ、巡って、めぐり合って、調和して、その調和がより良く膨らんでいく。

    そうやって出来てきたのが、今の私達はじめ生体系を生かしてくれている環境なのかもしれない。

     

    その辺に転がっている無機的な石ころさえも環境要素であり、その環境要素は他の環境要素と接し、巡り巡って私達の構成要素にもなるだろう。

    今生きている私達も構成要素を環境にお返ししながら、やがては石ころのような存在となっていく。

    巡り巡って、生かし生かされ、その調和の元に私達は今、生かされて生きている。

    有難く出来ていると思うし、良いお返しもしなければ(物質的な面だけでなく)とも思う。

     

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  • 環境・・・4

    おはようございます。

     

    私が操体臨床を営む店舗のまわりは、田んぼや畑ばかりです。

    道路も舗装されてはいますが、農道がちょっと拡がったような道で、車の往来はほとんどありません。

    その為か、犬の散歩コースにしている人も多い。

     

    そこで問題となるのが犬の糞。これも環境問題ではないでしょうか。

    最近はそれ程でもないのですが、以前は酷かった。

    最初のうちは、出物腫れ物所嫌わずだからしょうがない、という気持ちで掃除していました。

    しかし、来院者の車を止めるところに糞が落ちていたり、玄関の前に落ちていたりで「何で、わざわざこんなところにさせるんだ」と怒り心頭の時もありました。

     

    見つけたら文句を言ってやろうと、いつしか犬の散歩をしている人を、犯人捜しみたいな目で見る事も多くなってしまいました。

    自分でも、そういうのは嫌な気持ちになるのですが、腹の虫が納まらないという気持ちもある。

     

    そんな時、一匹の野良猫が駐車スペースで用を足しているのを見かけた。

    これを見て、私は何故か凄く「ほっ」としてしまいました。

    飼い主が居て、飼っている動物にそうさせて、他人の迷惑かえりみず糞も放置したままならば、それは頭にくる。

    しかし、自然に生きている動物が生理現象としてやってしまったのなら、それは仕方がない。

    野良猫を捕まえて文句を言ってもしょうがないし、手間でも綺麗に掃除するしかない。

     

    掃除するのは面倒だが、それでも私の心は晴れ晴れしていた。

    被害妄想を拡大させていた事にも気づけたし、疑心暗鬼になっていた事にも気づけた。

    この一場面で、心底が「ほっ」と安心出来たのを感じた。

    人間の妄想苦ほど怖ろしいものはないのだから。

     

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  • 環境・・・3

    おはようございます。

     

    普段はあまり意識していなくとも、私たちは自然環境によって生かされて、生きている。

    この自然環境が著しく汚染されたり、破壊されたりすれば、生身の私たちは生命活動を営み得ない状況に陥ってしまう。

     

    かつて日本でも公害問題が、大きな社会問題となっていた時期もあった。

    利己的な側面だけで、皆で共有すべき自然環境を著しく汚染、破壊する。

    そのような事をするのは人間だけであり、他の生物はしない。

     

    人為による自然環境の汚染や破壊。これは公害問題だけでなく、戦争はその最たるものだと思う。

    刀と鉄砲で人間どうしドンパチしていた時代だったら、他の生物からしてみても「また人間がバカな事をしている」で済んだかもしれない。

    しかし、今はもう地球そのものが存続の危機を迎えてしまう。

     

    アインシュタインは「第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからない。だが、第四次世界大戦が起こるとすれば、その時に人類が用いる武器は石とこん棒だろう」と言っていたと聞く。

    もし、もう一度大きな戦争が起これば、人間が今まで築いてきたものは勿論、空気や水、大地は汚染、汚濁され、国と国がどうこうではなく全ての生体系が破滅するかもしれない。

    そこで生き残れたとしても、まわりには破壊の残骸として残る石ころやこん棒ぐらいしか存在しないだろう。
    材料がないのであれば、どんな知識をもっていても武器など作れない。

    また、そんなもの作っている場合ではないだろう。

     

    今ある自然環境だから、様々な物が作れ、便利な暮らしが出来ている。

    しかし、それは人間の考え方、行い一つで脆くも崩れ去る危険も孕んでいる。

    人間どうしで殺し合う戦争などしてはいけないのは勿論だが、自然環境によって有難く生かされて生きているという事も忘れてはいけないと思う。

     

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