投稿者: karib_sotai

  • 人間のシテンとからだのシテン6

    日常生活には様々な生命活動が溶け込んでいる。

    普段、意識されることもなく、流れる様に営まれているこの活動に人間は支えられている。

     

    呼吸もその一つ。

    目に見えない、当たり前のように人生を包んでいるリズム。

    この営みの重要さに気がついた先人は、様々な方法でこの生命活動に向かい合ってきた。「呼吸法」が様々存在しているのが、その証拠だろう。

     

    操体も呼吸には目を向けて来た。

    呼吸との歴史がある。

     

    人間が呼吸をコントロールすることと、からだの方で呼吸を営んでくれていること。

    からだが主語の呼吸について学ぶ。

    こんなに身近な呼吸でも、人間が主語の眼差しからでは、遠い。

  • 人間のシテンとからだのシテン5

    からだにおける生命活動は、人間の意識の及ばないところでも絶えず営まれている。

    その営みと人間の日常生活とのブレンドがその人のいまを生み出している。

     

    人間の創り出した時間感覚のうち、一日の中で4分の1くらいは「眠り」の時間がやってくる。この時間、人間の生活としてはOFFの営みとなり、ある種の「委ね」の時間に入り込む。

     

    先の「ブレンド」の割合が変化するこの「間」は、非常に大事なのではないかと感じられる。

     

    人間が目を閉じている時に行われている生命活動。

    そして、朝、目が覚めたときに感じられる生命感覚情報の変化。

     

    毎日、眠りの時間があることで、どれだけ人間は助けられていることだろうか。

    この「間」が足りなくなってくると、人間は間に合わなくもなってくる。

     

    でも、安心してほしい。

    夜の眠りの時間以外にも、「間」は在る事をお伝えするのも操体の役目である。

  • 人間のシテンとからだのシテン4

    「痛み」という現象にはネガティヴな印象が付きまとっている。

     

    からだが痛んで、不快が続くのだから仕方はない。

    一方で、「痛み」を感じていることは、からだからのメッセージを受信している確たる証拠でもある。

    先天性由来の例外を除く、ほぼすべての人間がこの「痛み」を介してのからだとのコミュニケーションを体験したことがあるはずだ。

     

    この「痛み」という現象を通じて、からだは何を表現しているのか。

    頭で創りあげるネガティヴな印象の前の、生命現象としての「いたみ」。

     

    「いたみ」にことばを与える。

    からだのことばを受け取って、一方通行でないコミュニケーションが始まる糸口がみえてくる。

  • 人間のシテンとからだのシテン3

    「生活習慣を見直す」、ということがよく言われている。

    これは人間の営む生活の話。

     

    もし見直すことを根本的にトライしてみたいなら、

    「生命活動」の領域に意識をむけてみるのがいいのではないかと思う。

    からだの方で営まれている活動の方に少し意識を向けていき、

    その生命活動のリズムに人間の生活を合わせていく。

     

    人間の活動を見直すこと、その工夫はアウトプットが主体となりがちだ。

    こういうことをすればいい、もしくはしなければいい。

    そういった人間由来の「有益な」情報によって日々の行動を変化させる。

     

    生命活動情報をいただいて、生活が変わっていくことは、まずインプットからはじまり、また情報の質も異なるといった点で、上記の見直しとは大きく流れが違ってくる。

     

    人間が頭だけで考えていては、間に合わない。

    必要な情報は、身近に在る。

  • 人間のシテンとからだのシテン2

    からだの設計にミスはない。

    と、操体・操体法の創始者の橋本先生は言う。

     

     

    こういった捉え方の基に、操体の哲学、臨床観は成り立っている。

    『病気』に対する捉え方も「からだの設計にミスはない」という言葉と深く向き合っているうちに、変化せざるをえない。

     

    次第に、人間の捉え方の方に、根本的なブラッシュアップが起こり始める。

    それは、からだとの信頼関係が深まっている証拠でもある。

     

  • 人間のシテンとからだのシテン

    瀧澤さん(からだ)、一週間のメッセージありがとうございました。

    本日からつながる寺本がテーマ『治癒」を受け取って投稿します。

    よろしくお願い致します。

     

    からだの要求に適うこと。

    これは人間が「治癒力」と呼んでいる生命現象につながっています。

     

    「病む」、そして「治る」といったプロセスは、人間からみた色をつけた捉え方。

    からだからみれば味付けのない、そのままの生命現象として営まれています。

     

    わたしの要求を満たしていくことと、からだの要求に適うことはまったく別のこと。

    わたしが何かを施して、治しているのとは違うのだなと、改めて思います。

     

    普段、「わたし」という存在に当てているスポットライトの照明の方を落としていくと、わたしの見かた、捉え方というのは一旦弱まっていく。

     

    すると自然と、「からだ」という生命体が静かに営んでいる生命現象の方に光があたっている。

     

    視点から支点に移行して、その間(ま)のなかで、入ってきているもの、いただいているもの、いままで感じられなかったこと。

     

    生命感覚情報をいただきながら、ことばをもたないからだのことを学習していくことはできるのです。

  • 素(そ)のまま臨む生命現象の間(ま)で⑦

    操者はあくまできっかけで、操者という意識すらなくなってくる。

    からだでいい。

    からだがいい。

    からだという生命現象が、空間という生命現象と重なっている。

    その間(ま)で味わい、変化していくことに委ねていたい。

    からだは必要なプロセスを生命現象として表現してくれるから。

    間(ま)は感謝。

    明日からつながる寺本さんです。
    よろしくお願い致します。

  • 素(そ)のまま臨む生命現象の間(ま)で⑥

    からだに委ねていると、皮膚も内臓も内部感覚はどれも有難い。



    どうしたらいいのか、教えてくれる。




    感覚は感謝そのものだということも素直に入ってくる。



    からだが主語になる基準が在る。



    今も体感し続けている。

  • 素(そ)のまま臨む生命現象の間(ま)で⑤

    色をつけずにからだから感覚をいただく。

    感覚に不快や恐怖や記憶、色々な色がつくのも生命現象。

    けれども、それらが外れてすきとおった感覚としていただけるのも生命現象。

    からだが主語になれば、ウソじゃないと感じられるのも生命現象。

    ほんとうに息がからだに入ってくるから。

  • 素(そ)のまま臨む生命現象の間(ま)で④

    意識が更新すると、からだからいただく感覚も更新する。

    何一つ無駄な感覚はないと感じられる。

    それでいて、ほんとうに必要な感覚も感じられる。

    からだを前に、ときに畏怖の念が湧くことがある。

    「わたし」の想像を超えた生命現象がからだそのもの。