圧
人間の臓器の中には、再生するものとしないものがあります。
これって不思議ですよね。
なんで再生するものとしないものがあるんだろう。
この辺りの差はなんなんだろう。
とか、不思議ですよね。
このことを考えていると、映画「Repo」を必ず思い出します。
近未来、再生医療が進化して、人はどこか悪くなっても人工臓器に取り換え可能。しかし、お金が払えないと、臓器を強制的に削除される(合法的に抹殺される)という世界の話です。この合法的抹殺を行うのが「レポ・マン」、映画のタイトルにもなっています。
パリス・ヒルトンや、サラ・ブライトマンが出ています。私は確かこの映画、映画館で観た記憶がありますが、好きな映画です。
橋本敬三先生がおっしゃっていたように、治癒と治癒に至らない、の差は「治癒するまでに至らず、肉体が追いつかなかった」のかな、とも思います。
1週間ありがとうございました。
明日からは、強靱な?治癒力の持ち主、三浦寛先生が担当します。

5月、鉄のドアに小指を挟みました。
切れたというか、押しつぶされたような血豆が破れました。
最近のばんそうこうは「モイストヒーリング」というのがあります。
子供の頃、どこか切ったりすると、まずは消毒して絆創膏、みたいな感じでした。
従来の傷のケアは「ドライヒーリング」と言って、
傷→空気に触れた体液(滲出液)と、血液が乾いてかさぶたになる
かさぶたの下に新しい皮膚ができる、という順番。
モイストヒーリングは、傷口をぴったりふさぐ。滲出液が出て、治りを早める
みたいな感じです。
この絆創膏は高いのですが、水仕事をしてもお風呂に入っても剥がれません。
この二つの一番の違いは「乾かしてかさぶたを作るか」「かさぶたを作らないか」ということなのだそうです。
そういえば、かさぶたって、かゆくなりますよね。
で、剥がしたくなりますよね。
何で剥がしたくなるんだろう?って思ったことはありませんか?
あれをはがしちゃうと、また血が出て治りがおそくなるのに。。
あるドクターによると「それは、そこにかさぶたがあるからだ」なんだそうです。

たまに、第三分析、皮膚へのアプローチ「渦状波®」をみて、「気功ですか」と言われることがあります。
以前からありますが、最近でもかなり言われます。
気功と渦状波の一番のおおきな違いは「触れないか・触れているか」ですが、最近では「触れない操体臨床」(言葉の誘導のみ、あるいは言葉の誘導もなしとか)もあるので、なおさらかもしれません。
私自身はこの違いをかなり明確に捉えています(両方使い分けるからです)。
しかし、結局は「治癒への道案内」になるわけで、そのプロセスが少しばかり違うだけなんです。

「きもちいい」ちびちゃん。
ちなみに、猫がゴロゴロ言うのは、未だによくわかっていないそうなんですが、あの「ゴロゴロ」という音には「癒し」の効果があると言われています。
具合の悪い猫がゴロゴロ言うことがあるそうですが、セルフケアしているのではとも言われています。
そして、これは本当に不思議ですが、飼い主さんが風邪を引いたり調子が悪かったりすると、横に来てくれたりします。
因みに、飼い主が寝坊とかで寝ている場合は、猫さんたちは容赦なく「起きろ!ご飯くれ」とアタックしてきます。
これは余談になりますが、先日、私のクライアントの方が、ジェネリック薬品の治験に参加して「結構稼いだ」という話を聞きました。
しばらくして、私も治験関係のモニターに登録してみましたが、すぐに連絡がありました。
「コロナワクチン(モデルナ)二回打った方対象」というヤツです。
私は職域接種でモデルナを二回打っていて、3回目はまだです。
ダメ元で応募してみたら「来て下さい」と言われました。
こういう時、易でも立てればいいんでしょうが、立てる前に師匠に聞いてみました。
「先生、どうですかね」
「息診したけど、やめとけ。(詳細は略)」
と言われました(汗)。
「お金は貰えるけど、やめとけ」
というわけで、今回はお断りすることにしました(汗)。
その後「膝が痛い方向けのサプリの治験」というのがありましたが、私はBMI(ボディマス指数)が少なくて(やせてるってことです)対応外でした。

以前にもどこかで書いた記憶があるのですが、「治癒」という言葉を聞くと、思い出す映画があります。
「マイノリティ・レポート」というトム・クルーズ主演のSF映画です。
映画自体は
「殺人犯になると予言された男が、近未来世界で決死の逃避行を繰り広げるSFサスペンス!」なのですが、タイトルの「マイノリティ・レポート」とは、治らないと診断されていたがんや重病の患者が、奇蹟的に快癒するという現象をどうとらえるか、という話しになります。
マイノリティ・レポートとは「ごく少数の報告例」と理解していいでしょう。
つまり、治るはずがないような重度の病気の患者が快癒するようなことは、本来あり得ないので、仮にそのようなことが起こった場合は「マイノリティ・レポート」として。医学的な報告書や症例集からは除外されるのです。
平たく言えば「そんなことあるわけないから、除外」という話です。
しかし「マイノリティ・レポート」という言葉があること自体が「あるわけないことがある」ことを示しているのです。
そうなってくると、その「ありえない治癒」は、どうやって起こるのだろうと考えます。
これを年に一度か二度は考えてみるのですが、何だかよくわからない「ちから」が働いたとしか思えません。そしてそれは、怪しいものとかではなく「治癒力」の「すげぇやつ」なのではと思っています。
どうも、操体はそういうところにも関わっているような気がしています。
