※東京操体フォーラム実行委員ブログ、テーマは引き続き「治癒」です。
人はどういう時に「癒された」と感じるのであろうか。
それは、生命力が減衰した状態から、賦活された時ではないか。
海へ行って潮騒を聴き、潮風に吹かれた時。
山に入って、樹木の気に包まれた時。
など、人それぞれにあるのだろう。
そんな時、人は、「元気をもらった。」という。
※東京操体フォーラム実行委員ブログ、テーマは引き続き「治癒」です。
人はどういう時に「癒された」と感じるのであろうか。
それは、生命力が減衰した状態から、賦活された時ではないか。
海へ行って潮騒を聴き、潮風に吹かれた時。
山に入って、樹木の気に包まれた時。
など、人それぞれにあるのだろう。
そんな時、人は、「元気をもらった。」という。
本日で最終日になりますが、時代の流れもあり現在の人々は自身のからだの状態を自分で判断することが出来なくなっているように思います。
現在コロナ第七波が訪れ、日を追うごとに感染者数が増え医療機関がパンクしている現状だと聞きます。
これらを目にするとウイルスだけでなく、人々の健康に対する不安と環境との向き合い方に狂いが生じこのような時代の流れを作ってしまっている一つの要因のように見えます。
私も含めての話ですが、いざという時に医者頼みにしてしまう自分、自身の健康を脅かされた時にやるべきことを自分で判断出来ない自分。
そんな自分が健康が脅かされると顔を出す。
それは「からだ」とその声を置き去りにしてしまっているから起ることなのだと思います。
現在は一人一人が健康で生きていくことに非常に困難な時代になってきたのは確かなことです。
しかしそんな時代だからこそ今一度「自己責任」と「環境との向き合い方」を自身のからだと共に見つめ直す必要があるように感じています。
その先にはからだの自然治癒力という形で応えてくれる。
それはからだとの信頼関係によって成り立つものである。
一週間お付き合い頂きありがとうございました。
明日からは半蔵さんが担当致します。
操体を学んできて良かったと思うことの一つが自力自療が出来ることです。
風邪や熱が出る前のからだの変化は呼吸と動きが教えてくれる。
その流れと循環が滞っていると何らかの症状が顔を出す。
それが結果的にからだの歪みとなり、その歪みを取っていくことで症状は改善されるという捉え方で昔の操体の臨床は成り立っていました。
しかしそれだけでは一時的な改善は見られても直ぐに元に戻るということが度々見られたのです。
その理由は歪みが改善されたからだという「うつわ」に患者は何を入れてよいのか分からなかったからです。
現在となってはその「うつわ」の歪みを正すことよりも、それに何を入れるのか?ということを問いかけています。
呼吸を入れ方、抜き方、そして正当なからだの使い方。
そしてその先にある「からだがききわけてくれる」こと。
それらによって自然治癒力はからだの無意識が自ずと発揮してくれるのです。
からだの自然治癒力を引き出すために臨床家として必要なことがあります。
一つはからだの意識とからだの無意識、そして患者自身の意識を識別することです。
この3つの世界の違いをしっかり認識し、結果的にからだの無意識が発揮する自然治癒力へと導くことが出来れば、からだは想像を絶する治癒力を発揮してくれる。
問題はそのからだの無意識にどのようにスイッチを入れるかで、そのヒントは呼吸と皮膚とからだの動きが教えてくれる。
それらに触れ感覚することで日常生活そのものが臨床空間になる。
人が生きるために命あるものを頂くのと同じように、からだの自然治癒力に必要な「快」もこの空間から頂いているように感じています。
今まで快の捉え方としては動きや呼吸の中でからだの内側から自発的に生み出しているものではないかと思っていました。
しかし最近は臨床の空間と日常生活との境界線がなくなってきたことで何か特別なことをしなくても常に快を受け取りながら生きていれている感覚があるのです。
そういった感覚と共に生きていると、快にもその受け取り方の作法というものがあるように思います。
その作法とはまずはからだの声を聞くこと、そしてそのメッセージに応えること。
そのキャッチボールは呼吸とからだの動きで行われる。
大事なのは自分の色で見ないこと、色を付けないこと。
そうすればからだはどんな状況でも応えてくれる。
からだの自然な治癒力の個人差は一体何によって生じるのかと考えていました。
例えば同じ位の年齢で同じような体格、そして症状をも似た2人でも片方の人は治るのに膨大な時間がかかるのに対し、もう片方の人は瞬時に治る人もいます。
人に個人差、個体差があるのは当たり前なのだと思いますが、もともと持ち合わせるからだの治癒力に違いはないので、これらには決定的な違いがあるのだと思います。
その違いの一つは「痛み」との向き合い方で、これに対し素直に受け入れるか否かで治癒力にも大きな差が出るように見えます。
そしてもう一つは発する言葉です。
言葉には「からだが受け入れてくれる言葉」と「からだが反発する言葉」があり、この2つは日常の動きや食にも何らかの影響を与えている。
こういったことを踏まえると人の自然治癒力には心の持ち方、想念が大きく関わっているのは確かなことです。
痛み等のからだが示してくれること、見せてくれることに対し、否定せずに受け入れること。
そして治すことを自己責任として持ることが治癒力を高めることにおいて大切なことのように思います。
これまで操体の臨床を通じて何度か信じられないようなからだの治癒力を目にしてきました。
ずっと立てなかった年配の人が急に立てるようになったり、歩行困難の人が歩けるようになったり、うつ病が改善したこともあります。
なぜそのような現象が起こるのと常に問いかけていますが、最近はこれらは大げさなものではないように感じています。
歳を重ねるに連れて失われていくからだの感覚。
また痛みによってそれに捉われてしまう心。
そういったものから解放され、本人の意識がからだに向けられた時に信じられない治癒力が発揮されているのだと思います。
操体の臨床は治すことではなく、そういった「からだへの気付き」を問いかけているのです。
三浦先生、ありがとうございました。
今週からは三浦寛幸が担当致しますのでよろしくお願い致します。
今回のテーマは「治癒」です。
最近では「治療」という言葉をあまり使わなくなりました。
その理由の一つに臨床の中でからだを治すことではなく、からだと向き合うためのお手伝いをしているという実感があるからです。
他の実行委員のブログでも記載してありますが、操体を実践するものとして念頭に置かなければいけないことは「治すことはからだに任せる」ことで、そのために必要なことの一つはからだが持ち合わせる自然治癒力を引き出すことでもあります。
そのからだが持ち合わせる自然治癒力を引き出すためには、まずはからだからのメッセージを受け取ること。
そしてそのメッセージに応えること。
それはからだの動きの感覚と呼吸を感覚する中で行われる。
それらの感覚をキャッチすることが出来ればからだは自ずと本来持ち合わせている「治癒力」を発揮してくれるのだと思います。