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  • あかりの日。

    今日10月21日は、あかりの日。
    ウィキペディアを見ると、1879年の10月21日に、トーマス・エジソンが京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて白熱電球を完成させたことにちなんで、日本電気協会・日本電球工業会など4団体が1981年に制定。あかりのありがたみを認識する日。となっている。
    これを読むと、文章に誤りはないが、私みたいな単純な人間はエジソン白熱電球を発明したと思ってしまう。
    確か自分が小学校の時は、エジソンが発明したと習った記憶もある。
    しかし、白熱電球を発明したのはイングランドの物理学者であり科学者であったジョセフ・スワンという人だという。
    スワンは1848年頃には既に白熱電球の実験に取り組んでおり、1860年までには発光に成功し、イギリスにおいて特許が認められ、その後技術的な面や素材面で改良を重ね、1878年12月には白熱、発光の寿命を40時間に延ばし特許もイギリスで認可されていたという。
    エジソンも1878年には本格的に白熱電球の研究に取り組んでおり、最初に作った白熱電球は45時間の寿命であったが、1879年10月21日に京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて完成させた白熱電球は1000時間以上も白熱、発光したといいます。
    これは日数に直すと40日以上ということになり、単に先に発明し特許を取ったという面ではなく、人々の実用に適したという面でみれば、エジソン白熱電球を発明したと広まっても仕方のないことかもしれません。
    また、エジソンは寿命の長い電球を完成させただけでなく、これを広く家庭にまで普及させる為の電気事業システムも考案しました。
    電球のあかりを灯すには、その家庭に電気がなければなりませんから、発電所を作り、送電線を引き、各家庭の電気工事をする必要があり、そのシステムに必要な発電機やら絶縁物やら、細々としたところではソケットやスイッチ類までの新たな発明や、電気関係以外でも水力発電所のダムのセメントまでも発明したそうです。

    なんだか、「あかり」について何か書こうと思っていたのに、またなぜか脱線し、エジソンについて色々と調べてしまっていました。
    なぜなら文献によっては発明の年代が違っていて、あかりの日の由来とくいちがってきてしまう内容であったりするため、上記の白熱電球に関する事柄は自分なりに色々調べて、あかりの日の由来に基づき簡単に整理したものですので、本によっては年代が違っていると思いますので、ご了承ください。

    しかし、こういうことを色々と調べるのも結構面白く、勉強になるものです。
    エジソンの場合、子供向けの伝記として書かれたものと大人向けのビジネス書的に書かれたものでも、もちろん内容が違ってきますし、エジソンが言っていた言葉を訳し解説を入れたものも面白かったです。

    でも興味をもったのは最初に読んだウィキペディアにあったもので、そこではオカルト研究という項目の編集文の中でこんな文章がありました。
    エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていた」に過ぎないのだという(自分的にはオカルト研究という項目にはしてほしくないのですが)
    また「天才は1%のひらめきと99%のあせ」の真意という編集文の中では、この言葉は当時エジソンを取材した若い記者が、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまったもので、実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だったと後年になって語っていて、自身を自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していたというエピソードの後に、

    最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よいアイデアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった。とありました。

    そして、操体法の創始者である橋本敬三先生は、心の調和―「救い」と「報い」−と題した文章の中で、
    自分は「救い」と「報い」の区別がはっきりわかったので、「救い」の信念に安住し得たのであるが、「報い」の現象の変化性については後年大いに谷口哲学の心の法則の説明によって啓発された。 実相は久遠にして不変の大生命、人類は神の子、というのを縦の真理とするなら、三界は唯心の所現といって、有限現象界においては、人の心の持ちようによって、万象が発展変化するという横の真理があり、人は縦と横の真理の交叉点に位しているのだという。 人類の表在意識において、或ることを心に描き、強くそのことを思い、然り、かくの如く成るべし、と発言すれば、萬象はそのように具現するという精神界の自然法則があるのだという。 思念宣言の質と量との強度によって発現の速度に差があるが、とにかく事態はそのように形成されている。 そのメカニズムは、表在意識は心の極く表面に現れている氷山の一角にすぎないのだが、心の大部分は外からはわからない大きな体(たい)をなして、無数の記憶と経験を包蔵している。 これを潜在意識という。 これが表在意識の活動(心の振動)によって共鳴を起こしてくる。 この振動は初めは弱くとも、次第に表在意識より大きく強く動く。 この潜在意識は単独自己のみならず全人類をふくむ宇宙意識と根底において連なっているのだそうで、潜在意識の振動は宇宙意識の振動(活動)を呼び起こす。 これが自己以外に人や物の活動を発起合成してきて、初めに思い立った個人の周辺に物事をそのように具現化してくるのであるという。 現象の発現というのは、このような機序によって行われるものだそうである。ずいぶんと思い当ることがある。 と書いています。
    これも全体の文章の中ほどの一部を抜粋しておりますので、是非「生体の歪みを正す」という本をお手に取り、文章全体に目を通すことをお勧めします。
    また、橋本先生の書いたこの 心の調和―「救い」と「報い」―の全体の文章を読んでいただくことで、読んだ人にとって、違う意味での、あかりの日になるのではと思います。

    友松誠

  • 稲の実り.

    実るほど頭を垂れる稲穂かな。

    雨にも負けず、風にも負けず、台風18号にも負けませんでした。

    米は八、十、八、手間かかるとされていて、春先に種もみから苗作り、それから夏前に田植え、夏のあいだは小まめな水管理と雑草取り、秋に収穫を向かえ稲刈り、脱穀と数ヶ月間、手間ひまかけて米となり、それを水と一緒に炊いてご飯となります。
    春先から数ヶ月間の、手間ひまがかかり秋の収穫を迎えますが、その間の天候によって収穫高は左右され、天変地異が起これば田んぼそのものがダメになってしまう事もあります。
    10月8日に台風18号が上陸し、私の住んでいる群馬県でも真夜中過ぎから、明け方まで突風と豪雨で安心して寝てられない状態でしたが、稲の方は大丈夫だったようです。
    もっとも、稲妻という言葉もあるぐらいですから、雨や風には強いみたいで、雷の落ちた田んぼの稲は良く育つと言われているそうです。
    稲穂を実らせるまでが稲の一生だとすれば(栽培上は一年生植物)、天と地の縦軸の恵を受け、稲としての天命を全うすることの出来たものを、人間が鎌で横からスパッと切って往生させ、その恵をいただく。
    秋もこの時期になると、各地で収穫を祝う祭りが行われますが、先人達は自然を崇拝し、そこに神の存在を見出し、自然の中で生かされているということを感じ、感謝し、自らの中にも神性を感じ、また感謝するということをしていたのではと思います。
    そして、それぞれの個々の感謝の念がつながり、波及していき、新しい文化を生んでいったのかもしれません。
    また、米などの穀物は保存が利き、この人間の手で一から育てる保存食が出来るということは、不安定な狩猟、採取中心の生活から開放され、時間的にも建物を建てたり、新たに道具を開発、工夫していくことが出来てきて、それが文明に発展していったのではないかと思います。
    しかし、この文明は持てる者と持たざる者、階級制など負の面も生んでしまいました。
    そして動物としてのカン、いつなんどき、どんなものを食べれば良いかという食の自然本能を鈍らせてしまった面もあるかと思います。
    私達はこの文明の発展の恩恵の中で生まれ、生活していますが、この文明の始まる前の先人達がどのような生活を営み、稲作の伝来をどのように受け入れたのか、このあたりのところを学ぶ必要があるのかもしれません。
    1192つくろう鎌倉幕府と暗記したりするだけが歴史の勉強ではないはずです。
    保存食の知恵や技術もあったでしょうが、自然からの恵の恩恵だけを中心にしていた時代の生活習慣と、そこから自らの手で食物を育てて食べることが出来るようになった時の、その人たちの想念(自然へのいたわり、畏敬、他)を知るということは、物質文明の中にあって、本来の自分がどこに位置しているのかということが解る手がかりとなり、感謝の念の中で生きていくことができるかもしれません。
    欲張って、上をみればキリがない、下をみてもキリがない、横に逸れていたら早めに気づいて修正して、また進めばいい、ただただ快の方向へ。
    ありがたいという気持ちは快に通じる。
    ご飯を食べる時も、八十八手間かけて作った人への感謝の気持ちの他に、なにかまた違ったありがたさを感じることができるかもしれません。
    すべてに感謝、感謝。
    実るほど頭を垂れる稲穂かな。
    また一つ快の予感。

    友松誠

  • 彼岸花=曼珠紗華。

    一ヶ月前のことで恐縮ですが、今年も私の仕事場の周りには彼岸花が咲き誇っていました。
    田んぼのあぜ道、線路沿いの土手、お彼岸の頃には決まって、知らず知らずのうちに咲き誇っています。
    いつも、気がつけばもう咲き誇っているという感じなので、今年はどの様に咲いていくのか観察してみようと思いました。
    写真はその時の様子です。

    9月14日、茎が伸びて蕾になっているのを発見しました。右下の方にもニョキッと一本出てきています。


    9月18日、開花しました。右下の方のも随分丈が伸びました。


    9月22日、田んぼの畦の様子。

    今年は割りと涼しかった為か、フライング気味に何本か早くから咲きはじめた仲間もいたようですが、お彼岸の中日にはいつもどうり、みんなで咲き誇っていました。

    彼岸花というと、死人花とか幽霊花とか地獄花とか、関西では持って帰ると家が火事になるとか言われていたりするそうで、不吉な花と思われる反面、別名、曼珠紗華とも呼ばれていて、これは天上の花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに天から赤い花がふってくるとも言われているそうです。
    またこの花の球根には毒があり、これを食べると彼岸に行ってしまう(死んでしまう)と言われる反面、この毒は水に晒せば無毒化する為、食糧難の時には救飢植物として食用にされていたり、石蒜という生薬として利用しているところもあるという。
    しかし、そのまま食べると激しい下痢や嘔吐、ひどい場合には中枢神経の麻痺から死に至る場合もあるというのに、よくこれを工夫して食べようとしたものだと感心してしまう。
    すりつぶして、数日間良く水に晒して、水の底に沈殿した白いデンプンを乾燥させると、片栗粉や馬鈴薯澱粉コーンスターチのようなものが出来、それを水で溶いて練り込んで平べったい饅頭のようにして形作り、タレをつけながら焼いて食べたという(良い子は絶対に真似してはいけません)。
    こんな芸当は他の動物には出来ないことであり、事実ネズミやモグラはこの球根がある田んぼのあぜ道や墓場には近づけないのだという。
    他の食べ物でもそうですが、人間の場合、彼岸に行った先人の知恵と勇気によって食が支えてられている面が多分にあると思います。
    先人に感謝です。

    友松誠

  •  友達になっちゃう。

    ブロブロブログーも5巡目となりました。
    おはようございます。友松です。
    一週間よろしくお願いします。

    先日、プリンターのインクが切れたので家電量販店に買いにいったところ、たまたま、小学校の時の同級生に会いました。
    頭の毛も随分と白髪が混じり、目じりの辺りも深いシワが刻まれているが全体の雰囲気でパッと解った。
    なんだか急いでいるようなので、挨拶程度の会話しか出来なかったが家に帰ってから、ふと小さい時の記憶がよみがえってきた。
    この同級生は、M ちゃんと呼ばれていて、保育園の頃から一緒だったのですが、内気でおとなしく、何かあるとすぐに泣いてしまうような男の子だった。
    しかし、小学校の2年生ぐらいから何かちょっと変わった感じとなり、今まではこちらから話しかけなければ、ずっと黙っているという感じだったのですが、物静かな口調ながらも自分から話しかけてくれるようになりました。
    いつだったかその理由みたいなのを話してもらったことがあった。

    学校帰りの帰り道に、

    「俺さぁ もうお化けが怖くなくなったんだぁ」
    「へぇ〜」
    「なんでかわかる?」
    「わかんねぇ」
    「それはさぁ 怖ぇと思うと怖ぇからさぁ 友達になっちゃおうと思ったんだぁ」
    「ふぅ〜ん」
    「だってさ〜 友達になっちゃえば怖くねぇじゃん 友達になっちゃえば喋ったりしてさぁ 今みたいに楽しいと思うんだ〜」
    「うん」
    「お化けだって怖がられたくって、怖がられてるんじゃねぇかもしれねぇしさぁ〜」
    「うん」
    「本当は良い奴かもしれねぇど〜」
    「うん」
    「だからさぁ 俺ぁ もう怖ぇもんがなくなったんさ〜」
    「うん」
    「みんなさぁ 友達になっちゃえば良いんだよなぁ そうすりゃあさぁ みんな楽しいんだよな〜」
    「うん そぅだな〜」
    「そうさぁ〜」
    この考え方は、ある意味最強の考え方なのかもしれない。
    事実、Mちゃんは保育園の頃から随分と明るく向上的になった。
    学校帰りの帰り道、彼の話が面白かったものだから、ランドセルの中の筆箱をカタカタ鳴らしながら、自然と二人して遠回りに遠回りをかさねて家に帰ったことが思い出された。

    操体法の創始者である橋本敬三先生の著書の中の一文を取り上げさせていただくと
    現象以前の理念の人間には、大生命そのものというタテの真理と、現象界は唯心の所現というヨコの真理とがある由である。人間はその交叉点にある。潜在意識というものには、あらゆる人間関係の現象を具体化してゆく力がある由である。暗黒面を心に印象づけておれば、わが身の周囲には自ずからそのような事態が展開してくる。光明面を思念して潜在意識に印象づけておれば、自然と周囲は光明化されてくる。恐るるものが現れ、泣面に蜂、笑う門には福、というようなことは、この精神界の一つを言い表したものであろう
    「生体の歪みを正す」という著書の中の健康に関する四つの場という項目の文章の一部を抜粋しました。
    この一文にも前があり、後があるので、よろしかったらお手にとって文章全体を読んでいただければと思います。

    再びMちゃんを引き合いに出すと、夜寝る時に「お化けが出たらどうしよう」と怖がりながら床に就くのと、「お化けが出てきたら友達になっちゃおう」という意識で床に就くのとでは潜在意識に随分と差が出てくると思います。
    また、以前三軒茶屋に勉強に行ったとき、創始者の意志を継ぐ御師匠は、夜寝る前に笑顔をつくってから寝るようにしなさいと仰っていました。

    友松誠

  • 小さい秋

    10年程前だったか、友人から一枚のCDを借りた。
    矢野顕子の「Oui Oui」だった。

    もちろん名前くらいは知っていたが、ちゃんと聴いたことはなかった。

    それまではユニークな歌詞の歌が多かった印象があった。
    「ラーメンたべたい」とかシチューのCMの曲とか。
    はなまるカフェの曲とかもあったか。

    その友人も人から勧められたらしいのだが、その人の話によると、彼女は、日本を代表する天才ミュージシャンだという。
    「ふ〜ん、そんなもんか」と、その場は話半分に聞いていたのだが。
    それから、ハマった。
    食わず嫌いだったのだろうか。

    実際、プロのミュージシャンの間でも、天才との評価は少なくないようだ。
    素人よりも玄人受けするのかも。
    いわゆるミュージシャンズミュージシャンというものだろうか。

    彼女のレパートリーの中には、カバー曲や、民謡を題材にした曲等もあるが、うまく取り入れて自分のものにしている。

    彼女が取り上げた時点で、それらは矢野顕子の音楽になる。

    中には、別の曲かと思うくらいにアレンジされているが、原曲の原点というか、発露みたいなところは大事にされてるなと思う。

    ただ、カバーとはいえ、他の人間には歌えないものになっているのは面白い。
    ジャンル、矢野顕子


    (ラーメンたべたい 矢野顕子http://www.youtube.com/watch?v=SWq5ayuXXrw


    (ばらの花 くるりhttp://www.youtube.com/watch?v=lSF8acaXgpE


    (小さい秋みつけた 童謡)http://www.youtube.com/watch?v=oZkxLaVRrgE

  • クマソからハヤトへ 3

    熊襲ヤマトタケルに征伐されたことになっている。

    「西の方に熊曾建二人有り。是れ伏はず禮なき人等なり。故、其の人等を取れ」(古事記)

    熊襲反むきて朝貢らず」(日本書紀)

    時の景行天皇ヤマトタケルをして、各地の中央政府に仇なす賊を討伐させている。

    記紀によると、ヤマトタケルもまた、粗暴な性質を父に恐れられていた。
    物語でも征討の旅の途中に倒れることになる。

    鹿児島県大隅半島に曽於(そお)の地名がある。曾(そ)を連想させる名前である。
    曾は後に贈於(そお)と呼ばれた。

    だが、古代の曾はもう少し北へ移動した地域にあった。
    ヤマト王権の南征に激しく抵抗したが、大軍の前に屈せざるをえなかった。

    曾は中央側からはあるいは襲と呼ばれていた。おぞましさを連想させる語をあえて選んでいたようだ。

    「彼梟帥(たける)どものいと建(たけ)かりし故に熊曾とは云なり、熊鰐、熊鷲、熊鷹なども皆、猛きを云称なり」(古事記伝 本居宣長)

    クマ・ソである。

    ヤマト王権に組み込まれた後は、警護の役につく。吠声や歌舞の呪術性も魅力的だったらしい。
    そしてクマソの名は史書から消える。
    吠人(はいと)南風(はえ)朱雀(隼)、諸説あるが、彼らはハヤトと呼ばれるようになる。

    参考文献
    「隼人の古代史」(中村明蔵)
    熊襲・隼人の原像」(北郷泰道)
    「鬼の研究」(馬場あき子」 他

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 2

    橋本敬三師の論想集に、天地創造のくだりがある。
    アメノミナカヌシ・タカミムスビカミムスビを太極・陰陽になぞらえてある。

    この本は残念ながら現在絶版のようである。

    天孫降臨の物語は、タカミムスビがニニギを地上に遣わすところから始まる。

    「彼の国に、多に蛍火の光(かかや)く神、及び蠅声(さばへ)なす邪しき神あり。復、草木ことごとくに能く言語(ものいふこと)あり。(中略)吾れ葦原の邪しき鬼(もの)を撥(はら)ひ平(む)けしめむと欲(おも)ふ」(日本書紀)

    つまり、ニニギは「諸(もろもろ)の順(まつろ)はぬ鬼神(かみ)を誅(つみな)ひ」に降りるのである。


    霧島ドットコムより)

    記紀編纂の当時、ヤマト王権は、九州(筑紫)の北部までその勢力を延ばしていた。

    そして、南九州や南島の異民族に並々ならぬ興味を示していたようなのだ。

    南九州の有力な豪族に曾君(そのきみ)と阿多君(あたのきみ)がいた。
    大隅隼人と阿多隼人(薩摩隼人)である。

    古代の日向(ひむか)は、宮崎県・鹿児島県熊本県にまたがる南九州一帯を指す言葉であった。

    ニニギは日向の襲(そ、曾)の高千穂(宮崎・鹿児島県境の霧島山系)に降りると西へ向かう。
    そこで出会った、山の神の娘カムアタツヒメ(神阿多都比売、コノハナサクヤヒメ)と結婚する。
    その長子がホデリ(海幸彦、阿多君の祖)、末子がヒコホホデミ(山幸彦、大王の祖)である。
    土地の末子相続の習俗に従って、ヒコホホデミは山(地上)の神の相続権を得ることになる。

    ある日、ヒコホホデミは兄の大切にしていた釣針を失くしてしまう。
    困った弟は、海神ワタツミのもとを訪ねる。
    そこで山幸彦はワタツミの娘トヨタマヒメと結ばれる。
    この時、山幸彦は天・地・海を制する力を持つことになった。

    以後、海幸彦(隼人)は山幸彦(大王)に従うことになる。

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 1

    この頃、隼人の歴史について調べる機会を得た。

    東京では、鹿児島出身というと、九州男児だねと言われることが多い。
    もう少し詳しい人だと、薩摩隼人だ、と言われる。

    実はこの二つの差は大きいものなのである。
    地元で暮らしている時は、九州男児という言葉を使われることなどまず無い。
    それに対して、薩摩隼人の名称は地元の人々の間でも使われるものである。むしろ誇らしげにである。

    とはいえ、隼人の歴史についてそれほど深く理解している訳ではなかった。
    古代の原住民の呼称である事を僅かに知る程度であった。

    先日、三軒茶屋のとある店での飲み会に参加した際に、隼人や古代史の話題が出た。
    雑学的なものではあるが、非常に興味深いものであった。

    もともと歴史は好きなのであるが、興味を持ったきっかけが、幼少の頃に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」や、時代劇の「三匹が斬る」であった為、その知識の大半が封建時代のものに限られていた。

    隼人は朝廷で天皇の守護人として宮門警護の任についたと云われている。

    隼人の語源は、
    「隼人は波夜毘登(はやびと)と訓(よむ)べし」「隼人と云者は、今の大隅薩摩二國の人にて、其國人は、絶(すぐ)れて敏捷(はや)く猛勇(たけ)きが故に、此名あるなり」(古事記伝 本居宣長)

    また、四神思想において南方を守護する朱雀(鳥隼)に由来する。

    記紀によると、天孫ニニギは筑紫の日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂へ降りる。(天孫降臨)

    天孫降臨とは、朝廷と天皇誕生の物語である。
    なぜ畿内ではなく日向なのか。
    いずれ東征するにしてもである。

    日向という文字の為、てっきり宮崎県を指すものだと思っていたのだが、どうやら、古代の日向(ひむか)と近代の日向(ひゅうが)とは別物らしいのである。

    ここには、朝廷と隼人の因縁が隠されていた。

    辻知喜

  • おいしいお茶が飲みたい

    実家の隣の道路を挟んで、お寺の敷地になっている。
    子供時代のいい遊び場だった。
    地元の人は感応寺と呼んでいるが、正式には、鎮国山感應禅寺臨済宗のお寺である。

    築年数は比較的新しく、数十年以内のこぢんまりしたところだ。
    実際には歴史は古く、開山は800年以上前のこと。
    栄西禅師によるもので、日本最古の禅寺の一つだという。
    薩摩入りし、出水を最初の拠点とした島津氏の菩提寺となり、やがて大寺院となる。

    しかし、現在の姿から想像するのは難しい。
    幕末から明治初期の廃仏毀釈により、藩内1600余りの寺院は全て取り壊される。
    菩提寺の福昌寺や感応寺も免れなかったようだ。

    栄西臨済宗を日本に伝えたが、同時に喫茶の習慣をもたらした。

    意外と知られていないが、鹿児島はお茶どころである。
    全国の生産量の三割近くを占める。

    実家の庭にも茶の木がいくつかあり、僅かではあるが製茶して貰っていた。
    幼い頃、祖母に連れられ訪れた先でよくお茶を飲んでいたことを今でも覚えている。
    お茶が好きだった。
    成長してからは、お茶の代わりに焼酎が出るようになったのだが。

    1191年、
    宋から帰国した栄西は、すぐには都に戻らず、九州の各地に禅宗の寺院を開く。
    と同時に茶の栽培も伝えられた。

    茶者養生之仙薬也
    延齢之妙術也
    山谷生之其地神霊也
    人倫採之其人長命也
    喫茶養生記

    橋本先生は井ヶ田の一号芽茶がお好きだったそうだが(今先生の奥様談)、ここの喜久福は絶品である。
    仙台出身の友人のお土産でよく貰っていた。
    去年操体バランス運動研究会で初めて仙台へ行ってきたが、迷わずこれを選んだ。

    この夏、お茶が飲みたくなって鹿児島のお茶を手に入れた。

    国内で生産される品種は殆どがやぶきた、それも深蒸しにされることが多いらしい。
    深い緑の水色で、カルキ臭を緩和し、手軽に入れられ、煎がきく。

    いいことづくめのようだが、お茶本来の香味は犠牲になる。
    その為、他品種とのブレンドで香りを補っているようだ。

    近年は、やぶきた一辺倒の弊害もあり見直される傾向にあるとのこと。
    消費者にとって選択肢が増えるのは喜ばしいことだと思う。
    良いものを見分ける目は必要になるのだが。

    今回ブレンドした物や単品種でいくつか飲んでみたが、個人的な好みではあるが、ゆたかみどりの普通蒸しが気にいった。
    今後変わってくるかも知れないがいろいろ味わってみようと思う。

    おいしいお茶を出せるようにしたい。

    辻知喜

  • 操体セミナーを終えて

    こんにちは。
    今日から一週間辻が担当させていただきます。

    先月は東京操体フォーラムとしては初の東京以外の地でのセミナーを行いました。
    千葉県の行徳と近場ではありますけどね。
    ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

    これから少しずつ活動の場を広げていきたいと思います。

    次回は12月13日の日曜に開催で、同じゴールドジムにて行います。
    お楽しみに。

    さて、前回は場所柄、普段から運動している方が多く、スムースに動いていただいたので、進行側としては非常に助かりました。
    一つ気になった点は、般若身経の動きの際に腰が反っている参加者が多かったこと。
    この場合、操体では、腰は反らせません。
    床がマットで柔らかかったせいもあるかも知れませんが、膝を緩めて足の親趾の付け根に体重をのせた場合、腰の弯曲はゆるやかになり、上半身は適度にリラックスした状態になります。

    途中で解説がありましたが、この辺を最初でもう少し説明しておけば良かったと反省しました。

    膝を緩めた状態で腰を反らせると(骨盤の後弯曲)、膝を伸ばした時よりも窮屈に感じるのではないかと思います。


    (骨盤の後弯曲。背面の緊張が目立ちます。)

    これでは、自身の動きに制限がかかり、操者(施術者)の立場においても、相手の動きを制限してしまい、尚且つ、動きについていけない事にもなります。

    下半身はしっかり、上半身はゆったり(上虚下実)した状態が理想です。


    (骨盤の前弯曲。腰の中心が安定した形。)

    体操でもなく、鍛錬でもないので力んでやる必要はありません。
    無理せず、頑張り過ぎないことが大事です。

    第一回目ということで、身体運動の法則としての紹介に留めましたが、本来は感覚をききわけながら行うものなので、力んでしまっては、わかりにくいものになってしまうのです。

    次回は般若身経を使ったメンテナンスのコツなども紹介されると思います。
    近いうちに詳細をお知らせします。

    それでは一週間よろしくお願いします。

    辻知喜

    ・・・参考として

    (レポート 臨床家による操体セミナー 佐伯惟弘)
    http://d.hatena.ne.jp/tokyo_sotai/20090928

    (上手に立つ 平直行
    http://www.youtube.com/watch?v=bK907i4YOZI

    (重心安定の法則 辻知喜
    http://tomotaro.satsumablog.com/Entry/10/