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  •  一緒に味わいましょう

    今日で10月も終わり、いよいよ11月です。

    11月といえば秋の操体フォーラム!

    今回のフォーラムは柳生心眼流の島津兼治先生、南画家の田中稲翠先生という

    特別講師をお迎えして、更にパワーアップすること間違いなしです。

    発表される実行委員の方々のバッテリーも既にビンビンだと思われます。

    (ワタシだけエンスト気味?)

    そして、フォーラムではぜひ三浦先生を感じて下さい。

    ホンモノの臨床家は存在感が違います。

    もちろん三浦先生もその1人であり、

    その三浦先生から橋本先生を感じることも、

    フォーラムの醍醐味だとワタシは思っています。

    さぁ、みんなで母なる自然法則を味わおうではありませんか!

    ぜひ、お待ち致しております。

    1週間ありがとうございました。来週はハマの色男、西田さんです。

    中谷之美

  •  立場

    「整体と操体って、どう違うのでしょうか?」。

    患者さんから、たまに聞かれます。

    操者の立場からすれば、あれこれといろいろな考えがあると思いますが、

    自然法則という立場から考えれば、どっちも同じではないでしょうか。

    大した違いはないと思います。

    そもそも操体とは単なる商品名であって、

    治療法(技術・テクニック)ではないのです。

    操体そのものが自然法則の応用貢献なのですから。

    山野実行委員は「操体とは何でも入る器」だと教えてくれました。

    本当に試されるのはその器を使いこなす、操者の器だと思います。

    注) 「操体とは何でも入る器」 ・・・ 元々は三浦先生の言葉です

    中谷之美

  •  流れ

    今日は仕事が休みですので、自宅でぼ〜としながらコーヒーなどすすっております。

    窓からは川がよく見えます。

    川の流れを見ていると、蛇行したり、瀬があったり、深みがあったり、

    底の形状や魚の泳ぐ姿までイメージ出来るような気がしてワクワクしてきます。

    滞りなく流れているところは水に動きがあります。

    動きがあるところは酸素の量も多く、水も生き生きとしています。

    一方、流れに滞りのあるところは、澱んでいてあまり動きがありません。

    そして、流れを完全に止めてしまえば川が死んでしまいます。

    流れているところには動きがあり、

    動きがなくなったということは死んだということです。

    当たり前のことですが。

    また、川の周りにも流れがあります。

    風の流れ、空気の流れ、時間の流れ ・・・ 目に見えなくても流れています。

    目に見える流れと見えない流れ。

    これが理解出来ると臨床の質も格段に変わるのかもしれません。

    中谷之美

  •  内なる波動

    「・・・すべての治癒力、あらゆる種類の治癒力とは、

    内なる波動を変えることである。

    すなわち身体の生きた組織の中にある聖なるものを

    創造的なエネルギーへと同調させることである。

    それだけが治癒となる。

    たとえ薬を使用しても、または手術によって治癒したとしても、

    あるいは他のなんらかの方法で治癒したとしても、

    生きている細胞の諸力の原子構造を、

    その霊的資質に同調させることによって治癒しているのである」(健康ハンドブックより)。

    これは「眠れる預言者」と呼ばれる

    エドガー・ケイシーが行ったリーディングの一節らしいです。

    内なる波動を変えること。

    ケイシーのような特別な能力がなくても、

    臨床家であればその方向へ何とか導いていきたいものです。

    その為の方法は何でも構わないのかもしれませんが、

    カギはきっと自然法則(息・食・動・想)にあるはずです。

    精進しなくてはなりませんな。

    中谷之美

  •  あの世とこの世 2

    橋本先生はあの世について

    「みんなが行くところだから気持ちのいいところ」と言われていたそうです。

    こんなにありがたくって、安心できる言葉はありませんね。

    更に、死ぬ瞬間も最高に気持ちがいいらしい。

    でも、あの世とこの世は表裏一体ですから、厳密には死なんてものはなく、

    肉体という仕事着を脱いで、我が家へ帰っていくだけなのかもしれません。

    元へ戻る(家へ帰る)ということは気持ちがいいものであり、

    これは操体臨床そのものだと思います。

    夕焼け 小焼けで 日が暮れて

    山のお寺の 鐘がなる

    おててつないで みなかえろう

    からすと いっしょに かえりましょ 

    (夕焼け小焼け 作詞 中村雨紅 作曲 草川信)

    幸いな吾が家に、母なる自然法則の懐に 〜 橋本敬三先生 山寺の晩餐より

    中谷之美

  •  あの世とこの世 1

    ワタシはたまにあの世とこの世について、ぼや〜と考えます。

    天外伺郎氏は著書(宇宙の根っこにつながる生き方)の中で

    あの世とこの世を電磁界とテレビの画像として例えているのですが、

    「なるほどなぁ」と思いました。

    第一に電磁界は目に見えないけれど確実に存在している。あの世も同じ。

    第二に電磁界とテレビ画像は一対一に対応している。

    電磁界がなければテレビ画像も映らない。あの世とこの世も同じ。

    第三にテレビ画面の中の物体はあらゆる空間に広がる電磁界全体のなかに

    たたみ込まれていて分離できない。あの世とこの世も同じ。

    ワタシ達がこの世に生まれてくるのはテレビのスイッチを入れた状態だということで、

    スイッチを切れば消えてしまう。ですが、スイッチを切っても電磁界はなくならない。

    つまり、もう一人の根源的な自分は、生死と無関係にあの世に存在しつづけるわけで、

    あの世もこの世も分け隔てはないということです。

    ワタシ達は今、この世で生きていると同時にあの世でも生きている。

    更に、あの世には時間という概念もなく、この世の全てがたたみ込まれている。

    わかるようでわかりませんが、この微妙なところが楽しいのです。

    操体も同じようなものではないでしょうか。

    中谷之美

  •  夢

    今週は中谷が担当させていただきます。よろしくお願い致します。

    昨日みた夢です。

    既に亡くなったある治療法の先生がニッコリ微笑んでワタシに言いました。

    骨盤に3つの矢印を書き込んで「このベクトルだよ」と。

    ワタシはすかさず「治療を見学させて下さい」と言いました。

    先生は「着いてきなさい」と言って歩き出し

    4、5人の見たことがあるような、ないような人達と一緒に海辺に到着しました。

    海辺には何件かの宿があり、その中で真っ暗の宿の中にみんなで入りました。

    中に入って大きな窓を開けると、白いレースのカーテンが風になびき

    そのカーテンの中に丸い棒状のようなモノが次々と突き刺さってきました。

    「これは何だ」と思っているうちに、真っ暗だった辺りが一気に明るくなり

    みんなが笑いながら何かを話しています。

    「ψ×ШЁ♂Ωξ・・・???」。

    でも、何故かその内容は聞こえないのです。

    目覚めた後は何かがわかったような、わからないような。

    今日みた夢です。

    白い着物のようなものを着た人達が、

    足に薄いオレンジ色をした布のようなものを着けて、ゆっくりと歩いています。

    ワタシはその足の運びを、じ〜と観察しています。

    その足の運びは地面をするように前から外へ流れるような動きです。

    その動きはどこかで見たことあるような、ないような。

    周りにいる人も見たことがあるような、ないような。

    夢は何らかのメッセージみたいなことを聞いたことがありますが、

    内容は意味不明なことも多く、毎度のように憶えているとも限りません。

    でも、こんな所からも何らかの臨床のヒントが見つかれば楽しいものです。

    次は橋本先生のご登場を期待しております。

    中谷之美

  • 妙義山 2。

    昨日の続きです。
    中之嶽の駐車場にバイクを停め、中之嶽神社に行ってきました。
    この神社、4年ぐらい前に、日本一大きな大黒様の像が出来ました。
    高さ20メートル、重さ8.5トン、そしてこの大黒様は右手に剣をもっている。
    福を招き、厄を祓う大黒様だという。

    大黒様の前をとおり、小さな橋を渡っていくと正面に進むと大国神社。
    妙義神社のような豪華さはありませんが、屋根のつくりを見ても解るように
    いにしえから真面目に粛々と伝統を引き継いでいる様が伝わってきます。

    小さな橋を渡って右に行くと中之嶽神社につづく階段があります。
    けっこう急で段差もまちまちで、慎重に登っていきます。

    30代の頃、この階段を登りきると脚はガクガク、息もゼェゼェだったのですが
    40代の今は、それほど疲れを感じなくなりました。
    気持ちだって少年のように感動しやすい。
    操体に感謝。

    階段を登りきると、中之嶽神社の拝殿があります。

    もう少し全体像を写したかったのですが、手前が崖になっていて、これ以上は無理でした。
    この神社は後ろにそびえる轟岩を御神体としている為、本殿はなく、拝殿のみとなっています。
    御神体である轟岩がそうさせているのか、とにかく静かな、静寂な時が流れている場所です。

    神社でお参りをして、駐車場まで降りてくると、空がもう夕焼け空に変わっていました。

    遠くに見えるのが荒船山
    荒船山に関しては、3順目のブログ担当の時に少し紹介しましたが、今度は妙義山から見た写真です。
    一ヶ月前、クレヨンしんちゃんの作者である臼井儀人さんが、崖の上から写真撮影をしていて、誤って転落して亡くなられてしまうという、不幸な事故が起きてしまいました。
    謹んでご冥福をお祈りいたします。


    今回、写真撮影に同行してくれているCB君です。満11歳になります。
    遠くで先ほどの大黒様が写っていますが、あんな感じで立っています。
    手前が2階建ての建物ですから、だいたいその倍ぐらいの高さです。

    帰る途中、日が暮れるなか、麓で一枚撮りました。

    なんだか鬼でも出てきそうな雰囲気です。
    悪い子は、いねぇがぁ〜。

    とっぷり日も暮れてしまいました。

    日が暮れると急に冷え込んできましたが、無事、家にたどり着きました。

    今日はおつかれさまでした。 乾杯。 気分が良いのでちょっと贅沢にプレミアムモルツ
    11歳のCB君には後でハイオク満タン。

    金曜日、土曜日と写真ばかりの内容となってしまいました。当初は3枚か4枚ぐらいのつもりでしたが、写真を撮るのもけっこう難しく、位置取りとか色々工夫しているうちに、なんだか面白くなってきて、60〜70枚撮ってしまっていました。
    40枚ぐらいはボツになってしまいましたが、そのほとんどが逆光によるものと逆に光のあたらない状態によるものでした。
    光と闇に逆らわず、仲良く調和できる位置にいかないと、うまく写らない。
    調和でき、うまく写った時は、喜びも大きかった為、写真を多用させていただきました。
    光と闇。 お蔭様で気持ちよく写させていただきました(素人写真ですが)。

    一週間、どうもありがとうございました。
    おかげさまで無事に最終日を迎えることができました。
    秋も日一日と深まるなか、約一ヵ月後の11月22日(日)、11月23日(月)には
    秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    この頃には会場である、千駄ヶ谷津田ホールの銀杏も十分に色づき、秋のやさしい光を浴びて、黄金色に輝いていると思います。
    もちろん、会場内もやさしい光と空気に満ちていて、参加していただいた人たちの顔も輝いていると思います。
    夜の懇親会も楽しみです。

    それではこのへんで、中谷さんにバトンを渡したいと思います。
    来週もどうぞよろしくお願いします。

    友松誠

  • 妙義山 1。

    先日、上毛三山の一つであり、日本三大奇勝の一つである妙義山に行ってきました。
    妙義山とは、いくつもの山の峰々の総称で、今回は表妙義と称される金鶏山金剛山、白雲山をバイクで周ってみました。妙義山道路を松井田方面から下仁田方面へ、白雲山の麓から金剛山の一番高いところまでというルートです。


    左から金鶏山、真ん中のギザギザして見えるのが金剛山、右が白雲山。

    麓から少し行くと妙義神社があります。
    道の駅の駐車場にバイクを停めて、坂道と階段を上っていくと総門があります。入り口の両側で仁王様が邪気の入るのを防いでいます。私は入れてくださいね。


    青銅の大鳥居まで、またまた階段を上がる。


    そこからまた、古い階段を上がり妙義神社の社殿に入るわけですが、写真を見てもわかる様に入り口の門が工事用の看板でふさがれています。
    これは去年の台風による被害によるもので、現在はこれより先に入ることができません。
    細やかな彫刻の黒漆塗り権現作りの国重要文化財を紹介できないのは残念ですが、現在は大鳥居からすぐ入ったところにある旧本社の波巳曽社でお参りすることができます。こちらも県重要文化財です。

    波巳曽社。


    大鳥居から総門をみたところ。

    最近は大河ドラマのロケがよく行われているようで、「義経」の時の鞍馬寺、今年の「天地人」の雲洞庵のシーンは妙義神社で撮影されたのだという。古い階段など見覚えがあるような気がする。

    また少し行くと妙義ふるさと美術館があります。

    コスモスが咲いていました。 後ろに見えるのは白雲山です。

    ワインディングの途中で写真を撮ってみました。

    11月の半ばぐらいになれば、紅葉で真っ赤になり、また違った風景が楽しめると思います。
    も=「もみじに映える妙義山」と群馬県民なら誰でも知っている上毛カルタにあるように,その美しさは格別です。


    道端から白雲山を振り返って写す。


    道端から金剛山を写す。

    さくらの里まで上ってきました。
    ここはソメイヨシノや八重桜が5000本ぐらい植わっており、4月中旬からゴールデンウィークあたりが見頃です。

    車やバイクで来れる一番高いところにある中之嶽の駐車場まで上ってきました。
    金剛山のゴツゴツした感じと岩肌が間近に感じられます。左の方に小さく赤い鳥居が写っているのが中之嶽神社の鳥居で、その上の金色の像は大黒様です。


    アップで見てみると、チラホラ紅葉していて少しずつ秋が深まってきているのがわかります。


    もっと上に目をやれば、雲がゆったりと流れています。
    ふと、止まっているものなんてなにもないんだな〜と感じます。
    固定観念に縛られてはいけない。みんな流動的なんだ。
    現に地球を包んでいる生命の源だって、こうして動いている。


    駐車場から見た金鶏山

    う〜ん空気が美味い。  フリ〜ダム。   気持ち良い。
    中之嶽神社にもお参りし、写真も撮ってきたのですが
    長くなってきたので、続きは明日にしたいと思います。

    友松誠

  • コスモス。

    昨日のテレビのニュースでは、隣の県の埼玉県の鴻巣市では、今がコスモスの見ごろを迎えているとのことでしたが、私が住んでいる地域では9月末から10月はじめに見ごろを迎えるところが多いです。
    これも10月のはじめにに撮った写真なのですが、車で20分ぐらい行ったところに、希望の丘という小高い丘があり、秋の桜コスモスが、たくさん咲いていました。
     

    コスモスの原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀の末にスペイン、マドリード
    植物園に送られた際にコスモスと名付けられたそうです。
    また、コスモスはギリシャ語で秩序、飾り、美しいを意味する「kosmos」
    「cosmos」に由来し、星が並んで輝く宇宙や秩序ある調和のとれた宇宙を指す
    「cosmos」同様に、整然と並んで咲く花をコスモスと呼んだといわれています。
     
    自分的には雰囲気でなにか可憐な感じを受け、そのなにか優しい気持ちにさせてくれるような感じが好きで、その感じを味わうだけだったのですが、あらためて花そのものをまじまじと良く見てみると、名前をつけた人がそう感じたのもわかるような気がしてきます。
    花びらは8枚で十字をかさねた様に上と下、右横と左横、右斜め上と左斜め下、左斜め上と右斜め下、と規則正しく並んでいます。

    メキシコからスペインにコスモスを送る際、当時は船で運んでいて、方位を知る羅針盤や、天体の位置測定から現在位置の緯度を測定する八分儀が必需品だったでしょうから、船に乗る人にとって天体を観測し、親しむことは必然的なことであり、そんな中でコスモスの花を見て、羅針盤のように整然と花が咲いているとか、八分儀のように円の中で花びらが8等分されている様から、必然的に関わっている、星が並んで輝く宇宙を想像したのかな? とか思いました。
    また上下の花びらの輪郭をなぞっていくと数字の8になります。
    右横と左横の花びらの輪郭をなぞっていくと無限大の記号∞になります。
    極限安定率である8と無限大の記号∞の記号が十字にかさなったらどういう意味になるのだろうか?
    更にもう一つ8と∞が重なったものがかさなり、この2つの十字が一つの丸い花になっていると考えれば、なにか秩序ある調和のとれた宇宙とつながってくるかな? とも思いました。
    色々想像してみると面白いです。

    まぁ なにはともあれ、このポワ〜ンとした感じがなんとも良い。
    なにか生活のなかでの諸々がスッポリ抜け落ちて、素のままでいる自分に気がつく。
    ありがたい。

    友松誠