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  • 歴史上人物考

    私と言えば取りあえず歴史なので、山中鹿介に続き今回は毎度取り上げています龍馬伝にフォーカスしたいと思っております・・・
     ありがたいことに私はフォーラムの中では呼称が幾つかありまして、畠山先生からは“画伯”と呼んで戴き、三浦先生からは“竜馬”と呼んで戴いております。画伯は単純にお絵かき好きだからという理由で呼んで戴いており、実力から言えば恥ずかしい限りです・・・
    三浦先生に呼んで戴いている竜馬に関しては、数年前に三浦先生に出させて戴いた年賀状に竜馬の有名な写真の頭だけを私の写真と合成して、竜馬もどき写真にして出させて戴いてから“竜馬”になった様な記憶があります。

     前のブログにも書いた様に私の歴史マニアに関しては時代限定マニアであり、奈良時代〜鎌倉後期まではサッパリですし、平和になってからの江戸期に関しては全く興味なしです。
    混乱大好き!『戦国・幕末限定マニア』という特性を持っており、一番人間が人間臭い時代が好きなのです。
     特に世間は大河の影響で“竜馬”関係が非常に盛り上がっている様で、京都・高知・長崎は軒並み観光客UP!市内の渋滞もUP!しているようで、地元の人は微妙に迷惑しているようです・・・
     私は職業柄、夜、家族団欒食事という機会が殆どありません・・唯一、家族が集合するのが日曜夜8時からのNHK大河ドラマなのです。
    何だかサザエさん系、昭和の匂いがする話しですが、私が結婚して16年これだけは変わらないルーティーンといいますか、コミュニケーションになっております・・これだけはNHKに感謝。。
    基本、親父さんが歴史好きなので、男二人は割に内容を理解しつつ盛り上がっているのですが、女性陣二人はかなり微妙な中でドラマとして楽しんでいる体です・・嫁に至っては何度言っても理解出来ず、人物名は全て俳優名として覚えているという有様です・・・「先週の渡辺いっけいがぁ」みたいな感じです・・・
     
    しかし、ホントに日本人は竜馬が好きです・・アンケートで好きな歴史上の人物なんてのを企画すると必ずベスト3に入ってくるのが坂本竜馬です。
    何で皆、竜馬が好きなんでしょうか?一番の理由は司馬遼小説の影響だとしても、それ以外の理由は何でしょうか?
    男として考えると、一番の理由は竜馬が男の夢と言いますか男の浪漫を体現していることでしょうか。

    現代日本で考えれば、特に男性にとっては会社という、ある意味守られた世界から抜け出し、自分の力だけで社会の荒波の中をくぐり抜け、成功者と成りたいという野望を一度は抱いたことがあると思います。
    残念ながら野望を抱きながらも現実は厳しく、今の生活を捨てることが難しいと考える人達が殆どだと思います。
    それを更に今よりも厳しい条件だったであろう時代に、国を捨て見知らぬ土地へ飛び出し、地位も金も無い一介の浪人がやがては日本を動かしていくという壮大な物語に男であれば心揺さぶられるであろうと思います。
     
    そんな、今では総理大臣の名前は分からなくても竜馬の名前は知っているという位までに有名になった竜馬ではありますが、当初は全くと言っていいほど無名の人でした。冷静に考えれば当たり前のことだと思うのです。
    薩長同盟の仲介大政奉還の仲介など、まさしくブローカー業が竜馬の仕事だったので、歴史の表舞台に出ることも無く、地元土佐においても明治初年頃は坂本竜馬などと言う輩は一般の人達は知る人も無く、全く無名の存在でした。
    忘れ去られた竜馬が再度、スポットライトを浴びたのは明治16年の頃であり、土佐の地元新聞に於いて竜馬を主人公にした「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」という小説が掲載されてから俄に名前を知られる様になりました。
    遅ればせながらそれから8年後の明治24年に明治維新に功績のあった志士達に送られた官位である正四位(しょうしい)が送られました。

     時には政争の具として竜馬が使われたこともありました。明治維新により政治の表舞台へと薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥後)の雄藩が実権を握るようになりました。
    しかし、日露戦争前位になると土佐閥は急速に政府での発言権を失うこととなり、その打開策として当時、宮内大臣であった田中光顕(土佐出身・陸援隊出身)が当時の皇后の名前を使い、竜馬を日露戦争の海軍における軍神に祭り上げ土佐閥の内閣での地位を再度、向上させる為に利用したこともありました。
    皮肉にもこれが新聞の全国紙で扱われたことから全国的に坂本竜馬の名前が知られることと成りました。

     しかし、竜馬にしても私の尊敬する高杉晋作にしても100年以上経っている今だからこそ冷静に凄いとか、尊敬する!とか言えますけど、現代日本でこんな人達がいたらトンでもないことではあるんですけどねぇ・・・
    例えば・・・『民○党みたいなぬるい外交政策をしていたら、神国日本が諸外国の食い物にされる!草莽決起して今の政府をぶっつぶすんだ!そのためには地方が立ち上がらなければならない!九州連合と中四国連合で同盟を組んで、民○党政権をぶっつぶすぞ!先ずは○○国の大使館に火を付けて狼煙を上げるぞぉお!!っ』て、今そんなことをしたら即、内乱罪かなんかで鎮圧されますけど、当時はそれを未だ20代や30代そこそこの若者がした訳ですから、その個々人のエネルギーや気概たるや想像も出来ませんけど・・・

    そんな現代人には無い、国を真剣に思いやる気持ちや、ハートの強さが未だに沢山の人達の心を掴んで話さないのだと思いますけど・・・
    幸いにもと言いますか私は自分の人生をかけて取り組めるものと出会ったので、幸運だと思っています。
    世の中にはやりたいことが見つからないと迷い、嘆いている人達が沢山いますが、人が此の世に生まれ落ちたことに於いては全て意味があり、無意味なものなど何もないのです。やりたいことが明確に分かってやっている人なんて一握りしかいないのです。
    でも思います、分からなくても良い!今、目の前にあるものを命がけで取り組むことで道は開けてくるのですから。道は無限にあり無限の広がりもある、いつも歩いてる道が明日は違う道に広がって行くこともあるのですから、出会いと可能性を信じることが明るい明日への鍵です。
    止まない雨の日は無く、明けない夜はないのですから。

    福田勇治

  • 経口補水液

    今年の夏はエルニーニョだかラニーニャだか、イタリアセリエAの選手の様な名前の現象のせいで毎日とにかく暑い日々が続いております
    ・・・このブログがアップされる頃には涼しくなりましたねぇ〜などと呑気に話しをしたいと思ってはおりますが、如何でしょうか・・・
     今年の夏にどんな言葉が一番多くテレビで取り上げられたか?と問われると、先ず間違いなく熱中症だと思います。
    現実、今年の夏は熱中症による死亡例も数多くあり、年配の方だけに限らず若者ですら熱中症で亡くなった今年の夏でした。
    私も日中に二階でパソコンの前にでも座ろうものなら、キーボードの上にポタポタと汗が滴り落ち。。
    思わず「むぅおぉお!」とキーボードを投げそうになりました・・・早朝野球も朝8:00位には30℃に気温が上がるといった具合で、
    いくら夏生まれで暑いの大好きぃ!って普段言っている私でも今年は笑いました。

    水分摂れ!水分摂れ!ってテレビでも五月蠅いですし、今年はペットボトル飲料馬鹿売れで人気飲料は軒並み売り切れだそうです。
    コンビニにアイス(ガリガリ君)を買いに行っても中はガラガラですし、定員に聞くと業者が持って来ないとのこと・・・
     但し、勘違いしてはならないのは、水分補給を額面通り、水分だけ摂ればよいと考えるのは危険だということです。
    これは何も熱中症対策というだけではなく、運動をする方にとっては年中必要なことであり、
    脱水状態とはただ単に体内から水がなくなっている状態ではなく、体内のミネラル分が無くなっていると理解することが必要です。
    ですからお茶とか水分だけをガブガブ摂っていると、逆に体内塩度が下がり、ミネラル不足となる可能性が有り、
    今年の夏は水分を摂っているのに熱中症といったケースも少なくなかったようです。

    市販のスポーツドリンクは糖度が高く喉の渇きを助長することもあり、喉が渇くから又飲むといった
    悪循環のスパイラルを生む可能性も有り、カロリーオーバーとミネラル不足のダブルパンチはキツイものが有ります。

    そこで、酵素に始まり手作り大好きな私としては、今年の夏は手作りスポーツドリンクを作ってみました。
    最近、テレビでも紹介されているのでご存じの方もいるでしょうが、経口補水液 ORS(Oral Rehydration Solution)』
    なるものを、せっせと製造しております。     
     この手作りORSの特徴としては市販のスポーツドリンクよりも、ナトリウム系の含有量が多いです。
    これは脱水症状がみられる乳幼児にスポーツドリンクを安易に与えると、低ナトリウム症を引き起こし思わぬ事態を招くこともあり、
    寧ろ手作りで作る方がよい場合もあるのです。
     レシピも非常に簡単なのでご紹介しておきます。水1リットルに対して砂糖40gの塩3gをよくかき混ぜ、飲むだけです。
    因みにナトリウムを摂る場合はカリウムの摂取も積極的に行う必要があるので、バナナを一緒に食べるとか、
    レモンを搾ってみるなど、創意工夫をすることで更に腸での水分吸収率が上がります。
     もはや自分の身は自分で守る!顔の見える食卓を目指すのなら、手作りほど安心なものはありません!合い言葉はViva手作り!です!!

    福田勇治

  • 熱闘甲子園その2

    同じタイトルにブログアップを間違えたのか?と思われた方、残念ながら今日も昨日の延長戦で野球の話しになります・・・
     昨日はテクニカル(技術的)な部分から気付いたことを話しましたが、本日はメンタルな部分について話したいと思います。
     ご存じの通りスポーツ界は昨今、メンタル・トレーニングブームでして、先のワールドカップ南アフリカ大会でも、奇跡の勝利を見せた侍ジャパンも、このメンタルトレーニングを行ったお陰で勝利出来たと、マスコミもこぞって報道しました。
    まぁ全てがメンタルトレーニングのお陰だと言うのは言い過ぎであり、JAROに訴えなければならなくなりますが、少なからずとも勝負の世界とメンタルは切っては切れないものであり、メンタルを制するものは世界を制すと言われた所以でもあります。

     では勝負の世界に必要なメンタルとはどの様なものでしょうか?キーワードは『平常心』です。普通に今、家で寝転がってる心理状態でピッチやグランドに立てるかどうかが、この平常心であり、常に心が静まりかえった山奥の堤のように波紋一つたてない状態であれば人は誰しも、イチローであり本田になれるのです。
    但し、緊張がなさ過ぎても駄目で、“真っ赤に燃える炎”と言うよりは“刀剣の切っ先の様に青白く燃え上がる炎”が理想ではないでしょうか。
    気合いだ!気合いだ!気合いだぁ!だけでは逆にメンタルのコントロールは不安定となり、自分より明らかに弱い相手と闘うのであれば、勢いに負けて相手もびびるのでしょうが、同等の能力若しくは上の相手では逆に負け犬の遠吠えにしか聞こえず、足下をすくわれる結果となります。
    本当の名人とはゼロから一気に1,000%の力が出せる人のことではないのでしょうか。一瞬にして場を変えたり、自分を変えることが出来る人こそ、メンタルコントロールの達人ではないかと。車で言えばランボルギーニ系とかフェラーリ系の様な(スイマセン・・スーパーカー世代なもので)

    またまた話しが大きく逸れそうなので本題に戻しますが、昨今の球児にはこのメンタル(心)が弱い子が非常に多く見受けられ、テレビを見ながら思わず「ごるぅあぁ!」と怒鳴ったことも幾度となくありました。
    それが一番よく分かる場面は試合が終盤に差し掛かった時です。表の攻撃のチームが相手に負けている場面で、信じられないのは8回の表とかにも関わらず、泣きながらベンチで声を出している選手が居ることです。9回の1アウトでも取られようものなら、殆どの選手が目に涙を浮かべ或いは嗚咽している選手も見受けられます。
    試合は未だ終わってないのです、野球は2アウトからなどと言うこともありますが、現実今回の大会も終盤に4〜5点差をひっくり返して勝利しているチームも多数あるのです。
    泣くということは試合を放棄したのと同じです。勝負の最中に感情を露わにし自分の弱い部分を人に見せるなどというのは勝負以前の問題であり、小っちゃな子供が欲しい物が手に入らず泣いているのと同じ状態です。
    この話をすると選手に同情的な人達は、三年間の厳しい練習や思い出が駆け巡り、感極まっているんだろうと・・・
    まぁ同情的な人は思い入れがありますので、ありがたい限りですが、これが同じベンチにいる選手だったらどうでしょうか?
    片や野球は2アウトからだ!やるぞ!と思っているのにもかかわらず、同じベンチの中で泣いている選手が居れば・・・
    怖いのは弱気やマイナスイメージは強烈な伝染力を持っていることです。
    よく心が折れるという言い方をされることがありますが、涙を流し感情を露わにするということは自ら心を折るという行為に他なりません。
    本人は気持ちいいのでしょうが、回りにいる人間はたまったモンじゃありません。

    話しは飛躍しますが、軍隊で最前線にいる兵士が極限状態に追い込まれると、メンタルが弱い兵士は気が触れてしまい、見えない敵に怯え言動や行動が不安定になり、他の兵士の士気に関わるので、最前線から後方部隊へと回されてしまいます。
    軍隊といった究極の集団生活の中だからこそ、たった一人の人間の言動が、隊全体の士気と命に関わるからこそ、厳しい規律の中で管理をするのです。
     勝負の世界はプレイボールから始まりゲームセットの声を聞くまで終わりではないのです。選手の中にはベンチにすら入ることが出来ずに、スタンドで応援している部員だっているのです。必死で声を枯らしてゲームセットの瞬間まで勝負をしている選手にとって、途中で試合を投げてしまうのは、失礼極まりない行為なのです。
     人生だって勝負です。仕事で追い込まれることや辛い人間関係など様々な障害が現れます。一度逃げる癖を付けてしまうと、人間は楽な方へ逃げてしまいます。辛いからと途中で泣いたって誰も助けてくれませんし、仕事を投げ出し逃げることも出来ません。
    勝負の世界は必ず勝者と敗者が決まります。この事実をしっかりと受けとめ、負けた時は次へのステップとし、勝った時は奢らず更なる上を目指す心構えと人間形成が必要なのではないでしょうか。
    だって人生にはゲームセットはないんですから!球児達よ!真の心の強さを磨け!!

    福田勇治

  • 熱闘甲子園

    熱い夏が終わった・・私にとっての夏とはまさに野球の夏です、自身の野球は未だ続きますが、7月の中旬から8月中旬の1ヶ月は高校野球との夏であり、
    島根県予選から始まり、甲子園決勝までの期間はドップリ野球漬けと成ります。
    私がみている選手が出場するからということもありますが、それはほぼ後付けで、単純に「野球が好きだかだぁあ(チャンドンゴン風)」ってことで・・
    甲子園って野球経験者にとってはまさに聖地であり、私の近所にも甲子園出場経験者が数人居らっしゃいますが、一緒に飲むと延々甲子園の素晴らしさを語ろう!
    みたいな状況になり、ややゲッソリと成りますが、それにしても羨ましい限りです・・・

    今年の夏の大会はご存じの通り沖縄県勢初興南高校の優勝で終了深紅の大優勝旗は沖縄へと渡りました・・・
    島根県は残念ながら春夏共に甲子園での優勝経験は無く、最高位は平成15年の江の川高校(現 石見智翠館高校)のベスト4が最高であり、
    島根県民としては悲しい限りでございます・・・優勝経験が無い県としては中国地方では鳥取県岡山県と三校だけとなっています・・・
    因みに実行委員で野球経験者の佐伯さんの出身地、四国は全県優勝経験があるという強豪地方です・・・更に優勝回数が最も多いのは10回の大阪みたいです。
    しかし、私が現役の高校球児として地味に活動していた以前と違い、近年は実力の地方格差は徐々に狭まりつつあります。
    その証拠に以前は弱小地区の代表とされていた新潟県がここ数年は目覚ましい活躍を見せており、昨年夏の日本文理高等学校の準優勝は記憶に新しいですし、
    今年の夏も新潟明訓はベスト8に入る活躍をしています。

    その大きな要因として指導者は当然のことながら、施設を含めた環境整備の充実が大きく、変化球も含め160Km近い速球が投げられるような
    一台数百万もするピッチングマシンや雨天練習場など、ソフト面とハード面、両方が都市部と地方部格差が無くなってきたということでしょうか。
    しかし、予算が少ない公立高校では環境整備も中々難しく、今年の夏の大会でもベスト8に入った学校は全て私立というのが現実です。
    そこで、今回の甲子園も含め近年の球児達の気になる点が幾つかあったので、挙げてみたいと思います。
    先ず感じたのは条件付ではありますが、確実に全体のレベルは上がっているということです。
    投手の球種の多さに関してはほぼプロ並みに多く、ストレート・スライダー・チェンジアップを基本として、カーブに2シームやら落ち系で言えば
    フォークにSFFと百花繚乱まぁ見事なモンです。
    インサイドワークも対戦相手の心理状況など研究し、裏をかくなど優勝した興南高校のバッテリーなどはプロ顔負けの素晴らしさです。

    バッティングに関しても、先程言ったように非常に高性能なピッチングマシンや飛びやすいボールも関係してか、素晴らしいバッターが多数存在します。
    コースの打ち分けやパワー、スイングスピードも早く、将来が楽しみです。
     
    その一方で感じたのは明らかにレベルが落ちているのではと感じた部分でした。それは『基本の大切さ』といった部分です。
    特に基本中の基本である筈の守備面での荒さが全体的に目立ち、その一球で試合の流れが変わり、負けに繋がったという試合が幾つも見られました。
    守備の基本はキャッチボールであり、相手が取りやすいところへ投げることが必要なのですが、ランダウンプレー(挟殺プレー)での暴投など、
    他の練習と違って地味な練習が必要なプレーでのミスが数多く有りました。

    野球は確かに点取りゲームなので、点を取らなければゲームに勝つことが出来ないので、点を取るのに必要なバッティング練習に力を入れるのは分かるのですが、
    取ったら取り返すといった大ざっぱな点取りゲームに終始していると、本来、日本人が長い野球の歴史の中で培ってきた繊細なプレーが忘れられ、
    アメリカMajor Leagueの様な力こそ全てのPower Baseballとなってしまい、日本人が勝てない領域での戦いを挑むこととなってしまいます。
     
    話が大きくそれてしまったので元に戻しますが『奇跡のプレー』とは結局は普段行っている、練習での基本の積み重ねでしかなく、
    普段やってないことは切羽詰まった土壇場では出て来ないと言うことです。
     野球に限らず全ての物事は基本の中に全てがあり、基本の応用が新しい発見に繋がり、次へのステップとなるのです。
    基本が出来てないのに格好だけを見て真似しても所詮、真似でしか無く、本質には辿り着けません。
    地道に基本・基礎を静かな汗をかきながら出来るかどうかが運命の分かれ道であり、栄光か挫折かのターニングポイントではないでしょうか。

    福田勇治

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 大徳寺とそのご縁

    ご無沙汰致しております、動けば来電の如くと言われたい島根の福田です・・只今、東京操体フォーラムin京都の真っ最中であり、
    ブログがアップ出来ているかどうかも不安ですが、今週一週間お付き合い宜しくお願い致します・・・
     
    今回のフォーラムはフォーラム初の関西開催プラス寺院開催と言うダブルお初と成りました・・
    玉林院さんにはただただ感謝でございます・・
    縁とは不思議なもので、今回フォーラムを開催させて戴いた大徳寺塔頭 玉林院さんは私が住む出雲地方では有名な
    山中鹿介幸盛(1545?〜1578年)墓所がある寺院でもあり、感涙ものです。
    いわゆる全国的に見れば、マイナー武将ではありますが地元では代表的な戦国武将の一人です。
    陰陽十一州の太守と言われ出雲地方のみならず、広島・岡山方面にまで勢力を伸ばし、我が世の春を謳歌した尼子氏の重臣で、
    台頭してきた毛利家に主家を滅ばされた後も、お家再興の為に何度も反旗を翻し、主家再興に生涯を捧げ、最後は毛利家によって謀殺された武将です。

     ど〜しても日本人の特性と言いますか、判官贔屓で敗軍の将への美学と申しましょうか、負けた方への愛情が深いんですよねぇ・・
    しかも山中鹿介に至っては、今の日本人がスッカリ忘れてしまった、会社(主家)への深い愛情と言いますか、現代で言えば勤めている会社が乗っ取られて、
    倒産しても尚、会社の再興を夢見て、一人ベンチャー企業を興して、乗っ取り先に立ち向かうなんて、織田裕二が泣いて喜びそうなドラマのような話しです・・・
    主家の再興を夢見て三日月に向かい「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と願った逸話は有名で、その願い通り何度も何度も毛利家に挑みながらも、
    遂には夢叶わなかったその悲運の武将の姿は日本人のメンタリティに響き、江戸時代には講談でより美化され忠義の士として、
    戦中・戦前には国威発揚に使われ小学校の教科書に取り上げられたりもしました。

    この日本人特有のロマンチシズムとでも言うべき心情は今週のブログには何度となく出てくるとは思いますが、日本人の本質とでも言うべき部分ですのでご容赦を・・・
    とまぁ、そんなこんなで話しが、ズレまくりますが、個人的にも私が歴史に興味を持つように成った切っ掛けも、鹿介の主家“尼子氏”なので、
    特に今回の玉林院さんには妙なご縁を感じます。
    特に山中鹿介は確認出来るだけでも首塚やら胴塚やら墓所っぽいものが、中国地方各地に約7カ所もあり、中国地方以外では唯一、
    京都の玉林院さんに鹿介の長男であった鴻池財閥の始祖 鴻池直文(山中幸元)が位牌堂などを建立されたこともあり、これで私の鹿介墓所巡りはコンプリートと成りました・・・
     因みにこのブログを書いている時は未だ、玉林院さんにはお邪魔しておりませんので、是非、お墓参りに行きたいと願っております・・
    それでは1週間宜しくお願い致します。

    福田勇治

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 2010年東京操体フォーラム in 京都

    今日は東京操体フォーラム in 京都初日だ。まず昨日の事から書き留めておこう。

    昨日は朝5時に起床して6時半の新幹線で京都に向かった。。三浦先生と東京駅から新幹線に乗り、新横浜で岡村理事と合流、東京駅で買った駅弁を食べながら色々打ち合わせをしているうちに、あっという間に京都に到着した。京都駅で待っていた福田理事、佐伯実行委員、山本(京都フォーラム)実行委員長と合流し、佐伯氏に大徳寺での前準備をお願いし、近鉄に乗って奈良へ向かった。奈良にはやっぱり鹿がいる。


    奈良に向かう電車の中で。

    近鉄奈良では北村翰男先生と奈良操体の方々が待っておられ、それから東大寺へタクシーで移動した。北村先生のご縁で東大寺の大仏の膝元までご案内していただけることになっており、一同で東大寺に移動した。


    左横から見た大仏殿を見上げたところ。

    その後、大仏殿の中に入り、急な階段を上って大仏様のお膝元で若いお坊さんの説明を聞いた。それから三浦先生や岡村さんが大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴の空いた柱をくぐったりしてから、大徳寺を後にして興福寺へ。興福寺の国宝館で阿修羅像はじめ、八部衆に再会した。去年は東京で二回、太宰府で一回拝観したのだが、東京と九州博物館では一人だけ(?)ステージに立っていた阿修羅様は、ここでは他の仲間の八部衆と一緒に並んでいた。これもなかなかいい並び方だった。残念ながら薬王菩薩、薬上菩薩のお二人は一般公開していない時期で、会えなかったのだが、また来るよと心に誓った。ここの話は長くなるので、自分のブログに書こうと思う。

    それからお昼を食べて、北村先生も一緒に京都へ向かった。ホテルにチェックインしてから会場である大徳寺塔頭(たっちゅう)玉林院へ明日の準備に向かった。佐伯実行委員、小松実行委員、川嶋さんが玉林院で準備をしてくれており、パソコンのセッティング、配布資料のチェックなどをした。今回同行していただいたカメラマンの白井智氏が男性陣の写真を撮影した。

    ★書き忘れていたが、奈良も京都も暑い(笑)。玉林院に向かうタクシーを途中で止めてもらって、下駄を買った。私は長いワンピースを着ていたのだが、ワンピースに下駄が意外と合うのは面白かった。


    玉林院で準備


    玉林院の廊下で。


    写真撮影をする白井氏

    準備が終わってからホテルに戻り、ホテル併設のスパ(このスパは素晴らしい)で温泉を堪能してから、ホテル近くの居酒屋で前夜祭となった。

    今朝は朝5時に起床し、祇園と御所にタクシーで写真撮影に向かった。早朝の祇園をロングドレスを着たキャバ嬢が歩いており、いかにもホスト、という男性が若い女性と歩いていたりした。白井氏に撮っていただくのは二度目だが、やはり慣れてくる?のだろうか。前よりは緊張しなくなった。

    その後、イノダコーヒーで名物のモーニングを食べ、玉林院に向かった。


    玉林院の庭


    講義中の北村先生

    今、フォーラムの真っ最中である。詳細はまた追ってということでお許しを。明日からは島根の福田画伯の担当である。何故かフォーラムの時にブログの順番にぶつかるよね、といつも呟いている我々であった(笑)。

    1週間ありがとうございました。

    畠山裕美

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 操体プラクティショナー(Sotai Practitioner)

    実は今、新幹線の中でパソコンに向かっている。のぞみ5号だ。今、品川を出たところだ。新横浜で岡村氏(フォーラム実行委員長)と合流予定。

    ***

    1995年に私が開業した時、屋号は『貞山療術院』と言った。ご存じの通り、貞山公とは伊達政宗公の諡号だ。操体の発祥の地であり、私も縁深い仙台のご縁で有難く使わせていただいている。仙台を訪れる時は必ず瑞鳳殿に向かい、お名前を貸していただき、ありがとうございます、とお礼を言うのが私の習慣でもある。その後、1999年、全国操体バランス運動研究会に前日の打合せから参加させていただき、これを機会に三浦先生とも親しいご縁を持つことができた(私が先生に師事するのはその直後である)。新たな気分で、屋号を以前から温めていた『操体プラクティショナー TEI-ZAN』に変えたのである。

    整体をやる人を整体師という。しかし私はどうもそれにならった『操体師』という言葉が好きではなかった。それで1998年辺りから何かいいのはないかと考えていた。
    鍼灸師にせよ、いくら操体を勉強しているといっても「鍼灸師」という肩書きが「操体」を邪魔することもある。三浦先生は1995年位から『操体スーパーバイザー』を名乗っておられたが、何かこのような感じでいい名称はないかと思っていたのである(流石に「操体スーパーバイザー」を名乗るのは憚られたので、未だ以て「操体スーパーバイザー」は三浦先生只一人である)。
    つまり、「操体プラクティショナー」の上に「操体スーパーバイザー」が存在するイメージだ。

    この頃丁度海外に行く機会があり、ショッピングセンターのドラッグストアで、ビタミン剤を手に取って箱を眺めたとき、偶然に「Practitioner」という単語が目に入った。確か「あなたのHealth Practitionerに相談して下さい」という事が書かれていたのである。これにピンときた私は早速辞書で調べてみた。この言葉には『専業者』『専門家』という意味がある。医療関係の専門家という意味もある。そこでこの言葉を採用することにしたのだ。

    それから何年か経って、東京操体フォーラムが発足した。
    現在の体制になったのは2003年からだが、その後フォーラムは着実に成長し、参加している実行委員も学びを重ね、ますます磨きがかかってきた。そんな時実行委員の何人かに、『操体プラクティショナーって、操体の専門家を指すために私が考えたのですが、使ってみたいですか?』と聞いてみたところ、やはり操体の専門家をあらわす名称が無くて困っており、是非使いたいという答えが返ってきた。彼らはいずれも私の考えに賛同してくれ、私が考えていた認定条件を見事パスしているメンバーばかりであった。本当に素晴らしい操体の専門家達だ。
    というわけで「操体プラクティショナー」という名称を操体の専門家として公の認定資格にしたいと考えた。そして、これを商標出願し、登録が認められたのである。時間はかかったが、これも一重に助けてくれた仲間のお陰だ。

    操体プラクティショナーは、規定の講習受講(240時間以上)、認定のための筆記試験、実技試験を受け、国家資格、あるいは公認運動指導資格、または同等の社会活動経験を持ち、操体臨床経験、登録料、年会費の納入、認定更新研修の受講を以て認定、更新がなされる。協会の認定によって、「操体プラクティショナー」を名乗ることができる。ハードルは決して低くはない。

    また、操体プラクティショナーの他にも社団法人認定の操体指導者資格を設立し、操体指導者の資質向上、国民の健康に寄与していきたいと思っている。この「操体プラクティショナー」という名称が、操体の専門家の呼称として根付くことを願ってやまない。それは操体指導者の、操体自体の質の向上に直結する。

    なお、記念すべき第一期に認定された操体プラクティショナーは以下のとおりである。(50音順)

    秋穂一雄(あきほ整骨院
    岡村郁生(操快堂)
    日下和夫(北六甲操体院)
    小代田綾
    小松広明(松濤院)
    平直行(大操体法研究所)
    辻知喜(いずみ操体研究所)
    友松誠(からだバランス調整院)
    中谷之美(愉楽堂)
    西田尚史(皮膚身堂 操体研究所)
    畠山裕美(TEI-ZAN操体医科学研究所)
    福田勇治(操体法 導軆力学研究所導體力学研究所)
    森田珠水(操体健康医療研究所/森田珠水鍼灸治療院)
    山野真二
    猿飛佐助
    山本明

    これらの操体プラクティショナーをスーパーバイズしているのが、三浦寛(人体構造運動力学研究所、東京操体フォーラム理事長)である。

    畠山裕美

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 社団法人日本操体指導者協会設立

    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会(Sotai Practitioner Association of Japan)を設立した。

    この団体は、操体の専門家の地位向上、活動支援、資質向上と、新たな操体専門家の育成のために設立された。そもそも私が操体のプロの立場に疑問を抱いたのは、2000年、早稻田操体法研究会の勉強会に参加した時の事だった。他の操体関係の勉強会に参加することは余りなかった上、私が最初に操体を習ったのは、手技療法家向けの講習だったので、私はてっきり臨床家や鍼灸師柔道整復師の先生方が集まって勉強するのだと思っていた。ところが、勉強会に参加していたのは、殆どが一般の方々だったのである。勉強会の途中、早稻田の石井先生が私を紹介して『彼女は操体のプロです』と紹介してくれたのだが、その時、参加者の中には『操体のプロなんているんですか?』と驚いた人がいた。
    これには驚いたが、気を取り直して考えてみると、一般の人が集って学ぶ操体の勉強会と、ある程度の臨床スキルを持った手技療法家が参加する講習では違うのだ、ということに気づいたのだ。
    しかし世の中は操体愛好家(Sotai Lover)の数が圧倒的に多く、操体の専門家は圧倒的に少ない。一般の操体愛好家が『操体にプロがいるなんて』と思っても仕方無いし、彼らは自分や身近な人達の健康維持増進を目的としているのであって、操体の指導者(操者)として患者(クライアント、被験者)を診て生業をたてているわけではない。

    本来、操体は医師である橋本敬三先生の臨床であったはずなのだが、いつしか健康維持増進や養生的な愛好家のほうが多勢になってきた。全国操体バランス運動研究会も、当初は操体臨床についての討議だったが、途中から『操体を生活に活かす』と、運営テーマを変えたという。『操体を生活に活かす』方法を指導することも必要だが、『操体を生活に活かす』ことを人に伝える人材、プロの育成も必要だ。

    もう一つ覚えているのは、2001年、仙台で開催された全国操体バランス運動研究会の基調講演である。そこで講演をしたある大学の先生は、『操体でお金を取っちゃいけない』と言った。確か操体を学び始めて5年位の方である。参加者100名位のうち、約10名は私の仲間、後の60名は古くから操体臨床をやっておられる先輩達だった。大学の先生が『操体でお金をもらっちゃいけない』と二回目か三回目に行った時、会場の空気がざわっとどよめき、『何言ってるんだよ』という声はじめ、明らかに不満を帯びた呟きが会場に広まった。丁度私の後ろには三浦先生が座っていたが、確か苦笑いされていた記憶がある。
    つまり、この先生は会場にいた70名の臨床家に対して喧嘩を売ってしまったのである。『学校の先生だったら、臨床で生活を設計しなくていいからな』『自分達は臨床で生業をたてている。それを否定するつもりか』という見えざる怒りである。

    その次は、長野の全国大会の時だった。三浦先生と私は休み時間に一緒にエレベーターに乗っていた。その時、前か後ろにいた年配の女性が、隣にいた仲間らしき人に向かって『操体でお金取っちゃだめよね〜』と言っていたのである。三浦先生も私もそれを聞いてちょっと驚いた。私達は操体臨床で生業をたてているのである。また、そう言うのであれば、温古堂で治療をされていた橋本敬三先生を否定することにもなる。

    やはりこのケースも、Sotai Lover(操体愛好家)ならば『操体でお金取っちゃだめよね〜』だったら意味がわかる。それは愛好家レベルの操体ではお金を頂くには値しないということでもあるのだ。言い方は悪いかもしれないが、趣味でやっているあまり上手くない歌を延々と聴かせる場合、その人は聴いてくれた人に「歌ったからお金頂戴」とは言えない(ジャイアンなら言うかも?!)。しかし、プロのコンサートやディナーショーにはお金を払ってでも聴きに行くのである。

    そして、この十数年間操体の世界に携わって感じたのは『操体の専門家は非常に数が少ない』ということと『操体の専門家の立場が低い』ということだった。愛好家が多いため、専門家は陰に隠れてしまっているのである。
    また、接骨院や治療院関係では『操体操体法』は業界内では知名度が高い。しかしその殆どは『操体をちょっと取り入れている』とか『ある動診と操法のみに限って取り入れている』という場合が殆どであり、知名度は高いもの、深く学んでいる専門家は非常に少ないことがわかる。ということは、浅い知識で臨床に臨んでいるので『せいぜいこんなもんか』の操体や『補助的に操体を使っている』ケースが圧倒的に多い。

    こういった状況をみているうちに、しっかり学んだ優秀な操体の専門家を育成して、地位向上と資質向上、活動促進をしたいと思うようになった。そのためには、『操体を一定の時間しっかり学び、優秀なスキルを持っている操体の専門家』のポジションを確立しようと思ったのである。
    それが「操体プラクティショナー」だ。

    操体プラクティショナー」という名称は、社団法人日本操体指導者協会が商標登録している。

    畠山裕美

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 「徹底的」を習慣化して淡々と。

    中谷彰宏氏の「モバイル中谷塾」を愛読している。
    自己啓発書からビジネス書、恋愛本まで何でも書く中谷氏だが、私は彼の『徹底的に学ぶ』という文章を読むのが好きなのだと思う。例えば中谷氏が習っているボールルームダンス(いわゆる、社交ダンス)の習い方や、毎日やっているというボーリングへの姿勢は『おおっ』というところが何箇所もある。
    『徹底的に学び、徹底的にやって、過度に結果を期待しない』という感じにも頷けるし、何かを学ぶ姿勢に通じるところがある。

    これを電車の移動時間や、夜寝る前に布団の中で携帯で読んだりしている。中谷氏は20年間で800冊も本を書いているが、その『やる気』のナゾを解いているのがこの本だ。この中に「気づいた人は、やる気が1000年続く」というのがあった。

    なぜあの人はいつもやる気があるのか

    なぜあの人はいつもやる気があるのか

    うちの師匠をはじめ、東京操体フォーラム実行委員のメンバーは本当に操体に対してやる気がある。何故やる気が出るのかといえば、「徹底的」を習慣化して淡々とやる、ということをやっているからではないだろうかと思う。
    そして、操体をテクニックとして覚えているのではなく、操体の根っこにあるものに気づいているのだ。徹底的に習慣化して淡々と操体を学んでいるのだ。

    そういえば、何かのマンガで、女優やモデルに『美しさの秘訣は?』と聞いても帰ってくる答えは皆同様で『別になにもしていません』なのだ。聞いた人は『何もやってない訳がない!』と憤慨するのだが、女優やモデルは美容なり内面磨きなり、「徹底的」を習慣化して淡々とやっている。これが彼女たちの美しさの秘訣だ。

    たとえば、本を読むとやる気が出ます。でも、読み方を間違えると翌日には出なくなります。これはやる気の出し方としては疲れます。やる気の出る方法を枝葉のテクニックで覚えても継続しないのです。やる気は継続することが大切です。
    やる気を瞬発的に出すには、モルヒネを打てばいいのです。戦時中、特攻隊員はモルヒネを打って特攻に行きました。でも薬が切れるとあとで猛烈な脱力感がくるのです脱力感の来ないやる気の出し方を覚えなければなりません。
    やる気の嫌いな人は、モルヒネのようなテクニックを求めて本を読みます。でも私は根っこのところで、1個手に入るだけで、やる気が1000年続くものが欲しいのです。効果が1日しか持続しないものはいりません。本を読むときもそういう読み方をしています。
    やる気はテクニックではないのです。

    ハリウッド映画のヒーローものにはヒーローが出てきます。私はヒーローのテクニックをマネるのではなく、。ヒーローそのものに感情移入します。
    根っこのところで何を得るかです。テクニックは「覚える」です。根っこは「気づく」です。
    気づいた人は1000年続くやる気が生まれます。それが「目ざめる」ということです。覚えたことの効果は1週間しか続きません。効果が切れるころには、反作用として猛烈な脱力感が来ます。
    やる気を与えるために給料を10倍にすると、その瞬間はやる気が出ます。ところが、次の年に2倍しか上がらなかったら5分の1に減ったという感覚になります。それでやる気がなくなって脱力感が出るのです。テクニックでむりにやる気を上げると、リバウンドが大きくなります。
    ダイエットと同じで、やる気はムリヤリ上げてはいけないのです

    「覚えるより、気づく」

    習慣化と言えば、師匠はいつもノートを持ち歩き、日記をつけている。日記と言っても操体日記みたいなようなものだそうだが、毎日毎日書いているので、相当数のノートがたまっているそうだ。これも「徹底的」を習慣化して淡々と、である

    畠山裕美

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 祝・操体法東京研究会定例講習修了。

    8月に入って、13ヶ月にわたる操体法東京研究会の定例講習の1期が修了した。
    第1、第3日曜午後は、1期以上受講者が学ぶ、通称「臨床講座」。
    第2、第4日曜は、通称「特講」。今回は特講から臨床講座へ進む人が多い。今回臨床講座を終えて、引き続き臨床講座で学ぶ人も何人かいる。
    東京操体フォーラムのサイトに「講習を受けて。先輩諸氏の声」というコーナーを設け、現在はフォーラム実行委員の投稿をまとめてあるが、今度からは受講を修了した方々にも書いていただくことにした。10月頃には全文掲載できると思うので、楽しみにお待ちいただきたい。

    講習を受けるには「覚悟」がいる。受講料は決して安いとは言わない。しかし、それは大いなる先行投資として、後々何倍にもなって帰ってくるのである。世の中には受講料が安くて短期で習いたいという要求もあるようだが、本当に身につけたければ、時間をかけて、相応の身銭を切って勉強すべきだ。
    また、何か習うのだったら、その道のトップに習うほうがいい。それも、ヘンなクセがついていない、まっさらな状態で一流の先生に学べば一番いいのだ。『もうちょっと勉強してから来ます』という人は、「もうちょっと勉強」の間に、ヘンなクセやオマケをつけてくる。私が『自己流で三年やるんだったら、一流の先生に習ったほうがいい』というのはそのためだ。

    また、13ヶ月というのも決して短い期間ではない。
    1期修了しても2期修了してもまだ学びたい、という意志を抱かせるのは操体の学びが実にスリリングだからだ。これは「一体操体はどこまで行くんだろう?」という「目が離せない」状況に置かれるからだと思う。また、勉強していくうちに「本物を習っているんだなあ」という自信と誇りも芽生えてくる。
    それから、自分のからだが変わるのも実感できるだろう。今まで余り注意を払わなかった自らの『内なる感覚』が目覚め、『快適感覚』とは『きもちよさ』というのがからだに通ってくるとからだは本当に変わる。

    操体で人生が変わる、というのは本当のことだ。

    操体は進化している。この講習では「楽な方に動かして、2〜3秒たわめて瞬間急速脱力」(我々は第1分析と呼んでいる)は習わない。橋本敬三先生が85歳のある日、師匠に「きもちのよさでよくなる」と言われてから生まれた「楽ではなく、快適感覚をききわけさせる動診」(第2分析)を1期目に習い、更に進化した第3分析(刺激にならない皮膚への接触による感覚のききわけ)は2期目以降に習うことになる。この過程は『ぞくぞくする』ような驚きの連続である。

    受講生のバックグラウンドは様々だが、大抵は症状疾患別の対症療法を習ってきている。
    クライアントの愁訴も「ここが痛い」「今度はここが痛い」というものばかりだ。ところが操体は「症状疾患にはこだわらない」上に、分析法(診断法)の数がもの凄く多い。
    両手関節(右、左、両手)、両足関節(右、左、両足)の各8つの動き、3×3×8=72に加えて、受け手のポジション(仰臥、伏臥、側臥、立位、その他ポジションは無数)がある。さらにこれに加えて、下肢の伸展、体幹の動診、上肢伸展などのダイナミックな分析(動診)が加わる。
    それを聞くと受講生達は「一体どうやって動診を選ぶんですか?」という疑問を抱く。
    ○○にはこの動診と操法、△△にはこの動診と操法、という考え方はしない。しかし動診(分析法)は無数に存在する。それならば、一体どうやって「動診」(分析法)を選択すればいいのか。これがおおかたの受講生の初期の疑問である。

    「勉強していくうちにわかりますよ」
    操体は『分析法』の勉強がメインであり、如何にして動診、操法を選択するのかというのが学びです」

    と、説明するのだが、受講生は最初はやはり怪訝そうな顔をする。

    実際に、「腰痛にはこの動診と操法」「膝の痛みにはこの動診と操法」というように、パターン化して教えれば教える方もラクだし、覚える方も短期的に簡単だと思うだろうが、この教え方の最大の欠点は「例外だったらどうするか」ということに対処できないことである。
    臨床はまず例外のほうが多い。
    敢えて言うならば、症状疾患別の動診と操法という考え方は、学生時代の「点を取るためのテスト」「○×式テストに勝つための勉強」みたいなものなのだ、。
    本当に勉強になるのは社会人になってからの応用なのである。実際の臨床でも、応用のほうが重要なのは言うまでもない。

    講習が進むにつれて、受講生の顔からは曇りが消えていく。それは丁寧に時間をかけた学びの結果なのである。

    ここには「学び方を学びに来ている」のだ。私は三浦先生よりは少ないものの、受講生諸氏よりほんのちょっと「操体の学び方」勉強しているだけなのである。だからこれからも操体の勉強は続く。  

    畠山裕美

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。