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  • 伝える力

     畠山先生、フォーラムも含め、充実した旅の記録をありがとうございました。
    京都のフォーラムから二週間が経ちましたが、ブログを読んでまたありありとよみがえってきました。

     初めての東京以外のフォーラム、更に大徳寺という場で貴重な体験をさせていただきました。ホールとは違う、場所の力もあったと思います。畳に直に裸足で座って勉強するチャンスはそうそうありません。
    からだはリラックスしつつも、操体を学ぶという一つの目的に対しての緊張感(襖を傷つけないように、の緊張感もあり?)とのバランスを味わうことができるというのは貴重でした。大徳寺を使わせていただいたご縁に感謝いたします。

     また、今までにないことと言えば、奈良操体の会の北村翰男先生の発表と関西方面の新しくお会いする参加者の皆様との出会いでしょうか。
    北村先生の語りかけ方は、ユーモアで聞く人の心をゆるませながら「自分の中に治る力があるのになぜ治そうとしないの?」と問いかける、緩急のある話芸に引き込まれました。

     畠山先生からは、とにかく集中力、編集力のすごさをひしひしと感じました。日頃の臨床と指導の中で感じる問題点をグッとしぼって解決法を展開させ、いかに伝えるかを常に考えて実行される。いつも横で見ていて圧倒されるのですけれど、京都でもそれを爆発されておりました。

     平相談役は、アンディ・フグのお墓のある大徳寺での空気がただよう流れに任せ、アンディとの思い出をメインに話されました。きいたことのあるお話でも、この場所で、この時に、平さんの波動を皆で共有するとまた特別な話のように聞こえ、京都に来るまでの人と人のつながりを味わいました。

     お客様できていただいた島津兼治先生からも、操体に足りないものを惜しげなく与えてくださり、ひとのからだといかにつきあうのかという学びを1歩も2歩も進めさせてくださる教えをいただきました。

     三浦先生には、初めて直接顔を会わせた参加者に、普段とまたひと味違う発表の方法で、「指導の方法」の引き出しを見せてくださいました。配布物であったり、三浦先生がここまで操体を学ぶに至ったプロセスの話の導入などには聴者のこころに届く説得力がありました。
    他にも、先生方のすごいところ!などはここでさっくりと書ききれるものではございません。書いていてアツくなっているのに表現しきれないジレンマを感じます。具体的な内容に関してはセミナーレポートをごらんください。

    ただ先生方に共通しているのは「情熱」です。操体を通して、すべての人に「生きる限り、快適に満足して、充分に生きたい」という橋本先生の想いを実践、深化(進化)させたい人々の集まりなのだということは間違ありません。患者さんに対する想い、操体の施術者、指導者を育てる根底に橋本先生の「人間悲願の達成」があると思います。

    京都のフォーラムで先生方のお話に伝わる力があるのは、橋本先生の願いを引き継いだ情熱があるからなのだと思いました。

     『正体の歪みを治す』を読んでみると、橋本先生は操体を医学の根本としようと尽力し苦労された様子が描かれております。「○○法ではこのように治します」といって、操体を有名にするのが目的ではありません。自然法則の応用貢献を人間の生にいかに生かすか、を生涯追求されていらっしゃいました。
    以前三浦先生が「操体と言う名前はあまり大事ではない」とお話しされていたことがありました。それは、イノチという自然を研究し、一人一人が最低限のルールに従って生きることは医学にも普通に生かされるべきものだからです。
    例えば病院でも、お医者さんが「この薬はからだにききわけて味わって、違うと感じたらまた考えるから今度きかせてね。からだの使い方のルールはおぼえてる?確認してみようか」という会話が当たり前になる日がくるのもそう遠くない!

    そんなことをイメージしつつ、日々操体を学んでおります。

    その情熱を体感したいあなたは、11/20、21の秋の東京操体フォーラムへどうぞ(宣伝)。

    おっとその前に、三浦理事長、畠山裕美常任理事をはじめ、岡村実行委員長・理事、福田副実行委員長・理事、山本実行委員長、秋穂一雄実行委員、小代田綾実行委員、小松広明実行委員の8名が、今週水曜日からスペインに向けて旅立ちます。

    東京操体フォーラム、勢いに乗って世界に向けて発進中!

    私は東京でブログを書いて応援してます。
    時々スペインに式神を飛ばして参加します(怪しい…)。

    森田珠水

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 東京操体フォーラム in 京都(7) 番外編 玉造温泉編

    車で宍道湖沿いを暫く走って、松江総合医療専門学校に到着した。今回、私達の他にもモーション・キャプチャの機械を使って、様々な動きのデータを摂ろうという方々が4組ほど集まっていた。今年の3月位から福田画伯と松江で活動している手技療法家、理学療法士の方々が企画を練ってくれていた。今回は「般若身経」を、自然法則に則ったもの、自然法則に背反したものを比べようという狙いがある。また、男女両方のデータが欲しいということで、三浦先生と私がモデルとなることになった。この機械は、周囲にカメラを何台か置いてある。からだの何箇所かに、カメラが捉えやすいマーカーをつけ、それで動きをカメラが捉え、コンピューターで三次元解析するというものだ。なお、この撮影、マーカーをつける関係で、ぴっちりした服装で撮ることになっていた。三浦先生はスイムウェア、私はハーフトップという格好で臨んだ。三浦先生はばっちり撮られていたが、私は流石に遠慮していただいた。実は三浦先生の写真もあるのだが、掲載はやめておく事にする。
    私達の収録は最初に終わった。その後、スキーのストックを持って歩くウォーキングや、腰掛けた姿勢から立ち上がる時の筋肉の様子など、色々な動作が収録された。話を聞くと、収録よりも、むしろその後のデータ解析のほうに時間がかかるらしい。データの完成が楽しみだ。般若身経がこのような形で残るのは、これからの操体の普及においても必須事項である。
    参加者の一人で、福田画伯とこの企画を進めてくれた方の中に、小泉八雲の子孫とご縁が深い方がおられ、話をさせていただいた。
    学生時代、早稻田から池田雅之先生(現在早稲田大学社会科学部教授・大学院社会科学研究科教授)が講師として来られており、私は小泉八雲の講義を受けていた。奇遇にも池田先生は荒木兄さんが運営に参加していた「猿田彦フォーラム」にも出席されており、荒木兄さんともお知り合いとのことで、これも不思議なご縁である。3年前松江を訪れた際には、小泉八雲宅も訪れている。

    収録を終え、今回の旅行の「お仕事」の部分が終わった。今日これからは「ご褒美」の時間だ。一行は車に乗り込んで目的地へ向かった。途中でお菓子やら果物を買い込み、目指すは「玉造温泉」である。玉造温泉出雲風土記にもその効能が書かれているくらい歴史が古い温泉だ。玉造温泉公式サイト

    「ひとたび濯げば形容端正しく、再び浴すれば万の病ことごとに除こる」

    [訳]一度洗えばお肌もしっとりすべすべ、二度入ればどんな病気や怪我も治ってしまう。その効能が効かなかったという話は聞いたことがないので、世の人々は「神の湯」と呼んでいるのである。

    その玉造温泉の「長楽園」に宿を取っている。ここは江戸時代から続く老舗で、120坪の広大な露天風呂と日本庭園が自慢なのだそうだ。チェックインを済ませて部屋に通されたが『広い・・・』部屋が二間続きになっている。泊まろうと思えば8名位は十分泊まれそうだ。仲居さんがお茶を淹れてくれたので、松江の美味しい和菓子を頂きながら一休みする。ガイドをみると、ここは全部源泉掛け流しで、混浴じゃない露天風呂と、混浴の露天風呂があるらしい。
    念のため断っておくが、女性用にはちゃんと身体に巻き付ける透けない(笑)布が用意されている。福田画伯によると、おばちゃんの軍団はワザと混浴露天風呂で布を巻かずに入ってきて、若い男性が入ってくるとハダカのまま近寄ってくるらしい・・・。
    どちらに入ろうかと考えたが、まだ日が高い。この状態で露天風呂に入ったら真夏のプール並に日焼けしてしまう。ということで、最初は『混浴じゃない露天風呂』に入ることにした。
    まだ3時過ぎだったので、人は誰もおらず、貸し切り状態で屋内の温泉を楽しみ、露天風呂風呂にも入った。勿論お約束でちょっと泳いでみたりする。温泉を一人で貸し切るというのは本当に気分がいい。

    さっぱりしてから部屋に戻り、雑談をしていると夕食時間の6時となった。食事処に向かう。今回の旅の中で唯一「夕食朝食つき温泉旅行」である。瓶ビールを頼み、先ずは乾杯する。今回の旅では暑かったせいもあるのか、三浦先生もよくビールを飲まれていた(といっても最初の一口が美味しいんだそうで)。この時は「にごり酒」を注文(先生はにごり酒が結構お好きらしい)。

    夕食後、旅館の周りをうろうろしてから、暗くなった日本庭園を散策する。休憩所になっている庵があったり、洞窟があったりしてなかなか凝っている。しばらく夕涼みをしてから部屋に戻って、今度は混浴露天風呂である。仲居さんも「混浴露天風呂では男性はタオルをお使い下さい」いた。女性は巻布、男性はタオルってことだ。
    混浴露天風呂は男女の入り口が離れている。中で巻布を選んでからだに巻き付けて露天風呂を目指す。途中屋内風呂があったので、試しにお湯をかけてみる。巻布がお湯を吸って重くなり、からだに張り付く感じである。そこから露天風呂にそろそろ入っていくと、反対側の高い所に、男性の露天風呂入り口が見えた。女性用は入り口が隠れているのだが、男性用は脱衣所までオープンである。はるか彼方で素っ裸のオヤジが何名かからだを拭いている。この露天風呂は日本一の広さだそうだが、確かに広い。普通のプールよりも大きいのではないだろうか。露天風呂を円に例えると、半円に区切られていて、半分は「男性エリア」「半分は女性エリア」となっているようで、何だかお互いにそのエリアには侵入しないような無言の気遣い?があるような気がした。これを破るのが、おばちゃんの軍団なのだろう。境界線というものを無視しているのだ。
    うちの3名の男性陣はと言えば、タオルを巻かずに(爆)へそ下辺りの微妙なライン(爆)でお湯に浸かりながら露天風呂の中を歩いていった。
    三浦先生が「やっほ〜」と言いながら15メートル位先の源泉に向かって歩いている。どうやら、備え付けのタオルは「腰に巻く長さ」はなかったようである。
    夜は雑談で盛り上がる。確かこの日は『入れ墨』の話で盛り上がったような気がする。その後ばったり就寝。

    起床して朝食前に朝湯に行く支度をしていると、三浦先生も行くというのでご一緒する。昨夜は暗くて見えなかったのだが、源泉が出ているところが龍の口になっている。朝の光の中で露天風呂を見渡すと、本当に広い露天風呂だ。源泉は80℃近いそうで湯煙がもうもうと上がっている。今度はもっと大人数で来たいなと思う。途中山本監督も入って来た。のぼせそうなので、風呂から上がって部屋に戻って朝食へ。
    昨日の夕食も豪華だったが、朝食もなかなか豪華である。

    チェックアウトして、「いずもまがたまの里 工芸館」へ行く。ここは玉造温泉の観光センターみたいなもので、曲玉体験制作とかもできるらしい。こちらで可愛いウサギグッズを購入。画伯に実はラブリーなキャラ好きがうっすらバレていた。

    その次は須佐神社へ。ここはスピリチュアル系某E氏がテレビでパワースポットととして紹介したため、観光客が多く訪れ、ご神木が何だか元気がないという。以前は数メートル先からでもその神々しいパワーが感じられたらしいが、今は観光客が根本を踏まないように、柵で囲ってある。ご神木の根元が踏み固められているのが痛々しい。こういうスポットはそっとしておいて欲しい。

    須佐神社の高床式の本殿。見事なものだ。

    更にそこから車で5分程山を登ると「八雲風穴」に到着した。ここは空気が山の中を通って冷えたものが吹き出している天然のクーラーのようなものだ。
    穴といっても小さいプールのようなものを想像していただければいい。その穴の中は冷えた空気が少しづつ吹き出しているのである。暑い中を歩いてきたので、少し座って涼むが、長いこと座っていると夏でも冷え切ってしまいそうだ。世の中には不思議な場所があるものだ。

    風穴を後にして出雲大社へ向かうが、その途中福田画伯の家へ寄る。ご両親はお留守だった。お猫様の小太郎君はどこかに隠れていたのだが、我々の気配を察知したのかどこからら現れた。本当はとても人見知りが激しい小太郎君だが、三浦先生に無理矢理だっこされ、10秒ほど大人しくしていた。しかしからだをくねらせると、三浦先生の腕からするりと抜けてまたどこかへ去っていった。

    この辺りで暑さは頂点に達していた。

    その暑さの中、出雲大社近辺へ。今回は参拝が目的ではなく『出雲蕎麦』が目的である。出雲蕎麦と普通の蕎麦の大きな違いは「つゆ」だ。普通は器に蕎麦つゆを入れて、蕎麦をつけて食べるが、出雲蕎麦は割子(丸い器に入っている)につゆをかけて食べる。普通の蕎麦つゆはとっくりのようなものに入って出てくるが、出雲蕎麦は直接つゆをかけるため、つゆを入れる器は、土瓶のように口が細くなっているのが特徴だ。私は三色割子、他のメンバーは5段の割子を頼んだ。

    昼食後は島根ワイナリーへ向かった。島根県はぶどうを作るのに適しているらしく、ワインの産地でもある。甘めの軽い赤ワインや、やはり甘めの白ワインが多い。ここではワインの試飲とお土産購入が主な目的である。9月1日ということで閑散としていたが、ここで買い物を済ませる。
    この辺りになってくると、気温の高さと長い旅の疲れも出てきて、ちょっとお疲れの一行であった。そこからもう少し車を走らせ、海辺の道の駅へ。日本海を臨む(もしかしたら、海じゃなくて宍道湖かもしれない)。風力発電の風車が見えた。写真のとおりもの凄く青い空だ。

    疲れが最高潮に達した一行は、近くの日帰り温泉に入って飛行機の時間まで昼寝することに。日本三大美人の湯と言われているのが、松ノ湯温泉(群馬県), 龍神温泉和歌山県), 湯の川温泉島根県)だが、この湯の川温泉である。ちなみにこの美人の湯に共通しているのが、アルカリ泉だということらしい。

    ここはひかわ美人の湯(斐川フレッシュパーク 出雲いりすの丘 内)というところ。内湯よりも露天風呂のほうが広い。ここで一息ついて、二階の休憩所にあがると、他の3名は畳の上でゴロ寝していた。私は足の裏を揉む機械にコインをいれて、暫く足裏をマッサージしていた。この辺まで来ると『早く東京に帰りたい・・・』と思うことしきりである。三浦先生と私は出雲空港から、山本監督は出雲市駅からまた揺れる振り子列車「やくも」で岡山まで行き、新幹線で大阪に戻る予定である。

    そして暫く休んでから出雲空港に向かった。飛行機は最終の19時で、東京には20時20分頃到着予定だ。空港で荷物を預け、セキュリティチェックを受けていると、三浦先生が手招きして呼んでいる。私のJMB(JALマイレージバンク)カードはICカードにしてあるので、そのままチェックインできるのだが、三浦先生のカードはICチップが入っていないので、ボーディングパスに交換しなければならない。私は階段を駆け下りてパスを発行してもらってまた階段を駆け上っていった。丁度出発10分前だった(汗)。

    出雲空港を定刻に飛び立ったのは覚えている。次に目が覚めたのは羽田に着陸した時だった。どうやら離陸後は爆睡していたらしい。

    こうして六日間にわたる京都フォーラムの旅は終わった。六日間というのは結構長い旅だと思う。実はこれを書いている現時点で、マドリッド行きの支度をしている最中である。

    一週間、番外編としてレポートを書かせて頂いた。記憶の鮮やかなうちに記録しておいてよかったと思う。実行委員のメンバーとは、是非一緒に玉造温泉の長楽園で混浴露天風呂に入りたいものである。

    畠山裕美

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 東京操体フォーラム in 京都(6) 番外編 島根編

    京都駅に着き、新幹線のチケットを買う。岡村王子とはここでお別れだ。これから先は三浦先生、福田画伯、山本監督、私の四人である。
    今日は松江しんじ湖温泉に泊まる予定だ。新幹線で京都から岡山まで一時間弱。お昼を食べていなかったが、岡山で駅弁を買おうということにして、ちょっと我慢する。あっという間に岡山に到着した。

    一昨年仕事で岡山まで来たことがあるが、駅弁が美味しいのを覚えていたのである。新幹線から在来線ホームに移ると、大きな売店で駅弁を売っていた。駅弁とビールとおやつを買い込み、岡山−出雲市の間を走る振り子列車、「やくも」に乗り込んだ。私は一度乗ったことがあるので知っているのだが、振り子式車両は揺れるのだ。四人のうち、振り子列車が初めてなのは山本監督一人である。「やくも」が発車し、一同は駅弁を膝の上で開き、缶ビールを開けて乾杯してから黙々と遅い昼食をとった。私達が座っていたのは、入り口に近い一列(つまり、全員が壁を向いて一列に座っている)だった。足を伸ばすと自動ドアが感知してドアがいちいち開くのが少しうっとうしかったが、そのうち慣れてきた。振り子列車はカーブの時大きく車体がうねる。最初のカーブで「おおおおおっ?」と叫んだのは山本監督だった。監督はフォーラムが終わってから緊張が解けたのか、半分くらい浮遊状態にあったが、この揺れで目がさめたようだった「オレ、振り子列車ナメてました」。


    畠山の駅弁(縦横逆になっている)

    さて、岡村王子は既に神奈川の自宅に戻っている頃だと思うが、王子はいなくなるとネタにされやすいのだ。
    「岡村さんだったら振り子列車にのってどういうリアクションをするか」というのを皆で真面目にやるのである。三浦先生は「何で岡村はここにいないんだろうな〜」を笑っている。真似が一番上手いのは福田画伯である。

    列車は途中「安来(やすぎ)」駅に泊まった。私は朝ドラは見ないのだが、「安来」は、『ゲゲゲの女房』の主人公になっている水木先生の奥様の実家があるところだそうで、駅には『安来節』のポスターと共に、『ゲゲゲの夫婦』の巨大看板が置かれていた。何でも奥様のご実家が最近は観光コースにもなっているらしい。とにかく『ゲゲゲの女房』は大人気だが(実は見たことがない)隣に座っていた福田画伯はじめ、周囲で『ゲゲゲ』に夢中になっている男性諸氏の意見を総合すると、最近の女性は、専業主婦願望が強いせいもあるとか、男性からすると、受け身の主人公がいいんだとか、そういう話を聞いた。なるほど。

    振り子列車に揺られながらビールを飲み、うとうとしていると、松江到着。松江の駅の売店に入るとやはり水木商品が目に付く。一昨年出雲大社の「八雲」を見に来た帰り、境港水木しげるロードに寄った。水木しげる記念館にも入り、通りの店で「妖怪花あそび」を買った記憶がある。今回はハート型の『ゲゲゲの夫婦パイ』が山積みされていた。思わずねずみ男のはなくそ」(甘納豆)に惹かれていると、山本監督が「これ見て下さいよ」と、 ねずみ男汁」という缶ジュースを指さしていた。

     畠山「これ、佐伯さんに送ったらどうすると思う?」
     山本「ショックで死んじゃいますよ」
     畠山「いや、私の冗談は絶対理解してくれると思う」
     山本「・・・・・・」

    福田画伯が奥方からのメールを見て言うには、小太郎君(猫)が画伯不在のため、さびしんぼしており、ご飯を食べないとか、どこかに隠れて出てこないとか、情緒不安定な行動に走っているらしい。
    一行はタクシーでホテルに向かった。私達をホテルに降ろすと、福田画伯は小太郎君が待つ我が家に戻っていった。今日は和室で三人雑魚寝である。お茶を淹れて一休みし、近所のコンビニで適当に買い物をした。3年前私が泊まった時ははシティビュー(街側)の部屋だったのが、今度はレイクビュー(宍道湖)の部屋である。ここのホテルの売りは、しんじ湖温泉の名前のとおり、地上六階の宍道湖が見渡せる温泉だ。京都でも二日間温泉だったが、島根の今日明日も温泉である。早速温泉に浸かりに行く。8月31日のせいか宿泊客も少ないようで、温泉は貸し切り状態だった。宍道湖の夜景を眺めながらの露天風呂もいいものである。
    温泉から上がって何か食事をとろうということになったが、ホテルのレストランのラストオーダーまであと15分しかない。あわててレストランに駆け込むと、客は私達だけだった。メニューを見ても「○○会席」とか「△△御膳」しかなく、何かちょこっとつまみたかった三浦先生と私は「しじみ汁セット」と、海老と白魚のかき揚げ、しじみコロッケを注文、山本監督はうなぎ御膳を注文した。閉店間際ということでせわしく食事を済ませ、部屋に戻った。
    この日は疲れが出たのか、気がついたら爆睡していた。

    次の朝、爽やかな目覚めと共に浴衣を羽織って温泉に行く。朝風呂は本当に贅沢だと思う。
    携帯に福田画伯からメールが入っていた。お猫様の小太郎君の写真と「機嫌なおしてくれました」という一文。お猫様の機嫌はとっておくべきなのだ。しかし今日の夜、画伯はまたもや我々と外泊だ。小太郎君の機嫌は一体どうなるのだろう。
    朝風呂の後は朝食だ。昨日わびしい?夕食をとったレストランが朝食会場になっている。和洋折衷のバイキングである。ちなみに、私がビュッフェ形式のモーニングで必ずチェックするのは『トマトジュースの有無』だ。トマトジュースがあると嬉しい。早速トマトジュースチェックをすると、嬉しいことに、ここにはトマトジュースがあった。置いてあるみそ汁は勿論しじみ汁、名物らしい「藻塩」も置いてある。この辺りでしかとれない海苔を使った佃煮もあったりした。朝ご飯は大満足だ!

    そして9時少し過ぎ、福田画伯が迎えに登場した。今日は松江総合医療専門学校で、モーション・キャプチャのマシンを使っての映像記録となる。チェックアウトを済ませ、一行は目的地に向かって出発した。今日も1日暑くなりそうだ。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 東京操体フォーラム in 京都(5) 番外編 祇園の夜と京都の朝

    さて、二日目のお昼少し前に、私が大阪の兄さんと呼んでいる、アートディレクターの荒木基次氏が登場した。荒木氏はISIS編集学校の第1期の師範代であり、私が今までに大阪に寄った2回とも、天保山海遊館に連れて行っていただいている。師匠とも顔なじみである。今回は荒木兄さんの取り計らいで、京都の素敵な宿に泊まることになっていた。玉林院の後片付けが全部終わった後に、タクシー二台に分乗して目的地に向かった。場所は八坂神社の近く、円山公園内の某所である。ここは非常に人気のある宿らしく、3ヶ月先まで予約一杯で、春と秋(桜と紅葉の季節)は、まず予約できないらしい。そういえば、荒木兄さんに予約していただいたのも半年以上前の事だった。円山公園の中を車で上がっていくにつれ、綺麗な洋館やお寺、しだれ柳などが見えてくる。京都に詳しい荒木兄さんに説明していただき、ひたすら「へ〜」とか「ほ〜」と頷いている私達であった。
    ほどなく目的地に到着。ここは二部屋のみの旅館で、いわば「貸し切り」である。また、京都は「片泊まり」と言って、夕食はついておらず、朝ご飯がつくプランがあるそうだ。確かに京都の街中に泊まるのだから夕食は好きなものを食べたい。なかなかいいアイディアである。

    幻想的?な旅館の入り口。ここは「ミシュランガイド」にも載っていることを泊まってから知った。

    旅館についてから、男性陣は大きな部屋、小代田さんと私は小さな部屋に荷物を置いて一息つく。大きな家族風呂があり、シャワーが2つづつ付いているので、順番にシャワーを浴びる。荒木兄さんは「ひみつの京都ガイド」を開き、あらかじめ目星をつけておいたお店に電話をかけ、予約した。日はすっかり暮れている。皆で山?(円山公園)を下っていった。知恩院とか、聞き覚えのあるお寺の横を通って通りに降りる。驚いたのは京都の暗さだ。実際東京というのは夜でもめちゃくちゃ明るいので、こんなに暗い道を歩くのは本当に久しぶりなのである。私は暗い道を歩くのが何故か楽しかった。たまに店先に明かりがついている事があるが、それも煌々としたものではなく、薄明るい電球の明かりだった。まるで別世界である。

    荒木兄さんが予約を入れていたのは、中華のお店だった。「京風中華」で「広東料理」である。中に入ると壁一杯に鮮やかな鳳凰が書かれており、隣では家族連れが賑やかに食事をしていた。我々一行もテーブルにつき、まずはビールで乾杯。一仕事終えた後の一杯は本当に美味しかった。
    覚えているメニューは、かに玉、春巻き、小籠包、チャーシュー麺、海鮮オイスターソースいため、お焦げのあんかけなど。京都ではそれぞれのお店で手作りの「ちりめん山椒」があるようで、シメは炊きたてのご飯にちりめん山椒を乗せていただいた。デザートのココナツゼリーを一口味見したが、美味しかった。ちなみにこのお店、中華なのに何故かBGMがハワイアンとジャズだった。もらってきた可愛い赤いマッチ箱をみたら「ぎをん 森幸」と書いてあった。機会があったらまた行ってみたい。

    その後、暗い道をふらふらと歩いて祇園へ。

    浴衣姿の岡村王子。

    祇園花見小路、有名な「一力亭」の前で。成金がトランク一杯札束を持ってきても遊べないらしい・・・。

    明かりのせいもあるのだろうが、何とも言えずどこかにトリップでもしたような気分。荒木兄さんの知っているお店が残念にも日曜でお休みだった。そこで近くのバーに入る。入ったところ「お二階へどうぞ」と言われる。二階へ上がるとそこはお座敷になっていた。一階のバーとシステムが違うそうで、二階はボトルを一本いれると、部屋においてある冷蔵庫に入っている炭酸やコーラ、アイスはフリーになるらしい。つまり、お座敷は貸し切り状態にするから、自分達でやってね、ということ。確かに貸し切り状態のほうが気が楽と言えば気が楽だ。なかなか面白いシステムである。そこで小松君に連絡を入れると、何でも小松君の操体研究所、松濤院はこの近くということで、まもなく小松君が登場した。祇園は初めてだし、こういったバーも初めてなので私はきょろきょろしていたが、今日の大役を終えた山本監督は半分寝ていた(お疲れ様です)。
    というわけで、宿に戻った。

    朝起きて男性陣の部屋に行くと、三浦先生が荒木兄さんに足趾の操法をしていた。話によると、荒木兄さんの「操体を受けての実況中継」は非常に客観的だったとのこと。観察眼が鋭いのである。後で聞いてみると、足趾の操法の『おさめ』の時、もの凄いものが身体を駆け抜けていったとのこと。足趾の操法の極みを最初から味わってしまったらしい。その後、三浦先生が足と膝に鍼を打ったそうで、この様子は山本監督がビデオに収めている。その後、荒木兄さんは少し休むとのことで、残りのメンバーで円山公園の散策に行くことにした。

    坂本龍馬中岡慎太郎像の前で。歴史マニアの福田画伯は昨夜から『龍馬像・・龍馬像・・』と浮かれていたが、道の先頭を歩いていた三浦先生が『お、動像があるぞ』と、この像を発見した。


    お寺の階段で逆光を浴びながら。確か二軒茶屋というところの近く。

    風情ある洋館。レストランとカフェらしい。

    宿の入り口。夜とは全く違う雰囲気だ。
    そして小代田さんと私はテーブルの部屋、男性陣は和室で朝食をとることになった。荒木兄さんお勧めの「これは逃すな」朝ご飯である。

    朝ご飯に群がる?男性陣

    美味しそうな朝ご飯。ちりめん山椒と、煎った黒豆の入ったご飯が美味しかった。ゆずと黒七味をかけて食べた湯豆腐も最高だった。特にフルーツトマトの皮を剥いて柔らかく煮たのが出た。トマトにこんな品のいい食べ方があるのかと驚いた。

    朝ご飯が終わってゆっくりしていると、荒木兄さんは大阪に戻って仕事とのこと、お礼を言って見送る。ありがとうございました。

    ホテルをチェックアウト後、小松君の「松濤院」に行った。屋号は勿論三浦先生の命名である。六波羅蜜寺の正面で、京町屋造りである。一階二間、二階二間のなかなか洒落たしつらえである。三浦先生が『天井に絵を飾れ』とか『壁は白くしろ』などと細かく指示している。急な階段を上がって二階にデルと、広々とした明るい空間が広がっていた。たぶん、こちらを借りて『操体ベーシック講習』とかさせていただくことになると思う。この後、小代田さんは午後から仕事ということで一足先に京都を発っていった。
    それから京都のSOU-SOU傾衣(けいい)がオープンするまで、松濤院の近くのカフェでお茶をする。このカフェの隣の隣は、有名な『幽霊子育飴本舗』である。結構有名なお店なので飴を買っていこうと思ったが開いていなかった。すっかり涼んでから目的地に向かって歩く事にした。途中川魚専門店を覗いてみたり、暑いながらも色々見物しながら目的地へと向かう。途中橋を渡って目的のお店に到着した。この店は、SOU-SOUのメンズブランドだが、小松君が以前着ていたのを見て、三浦先生が是非この店に行ってみたいというリクエストがあったのだ。店の中で、三浦先生は一種「着せ替え人形状態」。丁度ポニーテールにしている上羽織袴系が似合うので、店員が次から次へと洋服を出してくる。
    ここで、何着か袴型ズポン、羽織型ジャケット、シャツを購入してお買い物修了。スーツケースを置いてある「松濤院」に戻ることにした。途中でお稽古に行く途中の、すっぴんの舞子さんとすれ違った。
    小松君にタクシーを呼んでもらった。今回の京都フォーラムでは活躍ご苦労様でした。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 東京操体フォーラム in 京都(4)二日目

    フォーラム二日目。前日遅くまで起きていたが6時に起床。早起きの岡村王子の姿はない。どこかに散歩に行っているのだろう。顔を洗ったりしているうちに、岡村王子が帰って来た。今日も朝ご飯はイノダコーヒーに行くのだ。島津先生ご夫妻、平相談役をはじめ、昨日はイノダコーヒーに行かなかったメンバーも含めてぞろぞろと目的地に向かう。途中でタイミング良く川嶋さんと合流。
    店内に入り、席に通されると私は昨日同様「今朝のモーニング」を頼んだ。ちょっと眠いけれど朝食をとってコーヒーを飲んでいると目が覚めてきた。私はイノダコーヒーのオリジナル灰皿が気になり、お土産に一個購入した。これは灰皿というか、お猫様の水とかご飯入れによさそうな気がしたからだ。ついでにロータスのビスケットの小袋を買う。

    イノダコーヒーの前で。三浦先生と山本監督。監督の白いハンチングは岡村王子からのプレゼントらしい

    その後ホテルに戻る頃には、太陽の光が強くなり、気温が一層上がっているような気がした。今日も暑い一日になりそうだ。ホテルからタクシーで大徳寺玉林院に向かう。タクシーの運転手さんが妙にお寺に詳しい方で、玉林院の重要文化財の茶室の話を良く知っていた。茶室の話を聞きながら会場に到着すると、すでに参加者が続々と集まって来ていた。

    最初の30分は担当畠山で、「質疑応答&復習」を行った。受講生の植田君をモデルに指名し、第1分析と第2分析をそれぞれ実演した。言いたいことをまとめると『楽と快の区別をつけよ』『動診と操法の区別をつけよ』ということになる。私はこの二つの理解が成り立たない限り、「きもちよさをききわける」という動診・操法は成り立ちがたいと思っている。

    植田君をモデルに、上肢伸展を行う。後ろの三浦先生のチェック目線が非常に気になる(笑)

    次は平相談役の「拝啓橋本先生&アンディ」。ご存じの通り、平相談役はチーム・アンディの一員として故アンディ・フグ氏と非常に親しかった。そして、アンディのお墓は玉林院の近く、芳春院に眠っているのである(芳春院は、前田利家の正室、まつが利家の死後落飾して芳春院となった。あまり関係ないが、伊達政宗の母堂は保春院という)。これも不思議な偶然だ。偶然と言えば(いや、必然なのだろう)、島津兼治先生の柳生心眼流は伊達家であるい。仙台と言えば伊達家だし、温古堂は仙台、平さんは出身仙台という不思議なご縁が浮かび上がってくるのである。途中で蝶々がふわふわと本堂の中に紛れ込んで来た。平さんは「多分アンディですね」と呟き、話を進めていった。

    平直行相談役

    参加者をモデルにした実技

    そして北村翰男(ふみお)先生の二日目の講義。『痛みが抜けるゆるやか操体法』の続きである。身振り手振りのテンポでみせる講義に皆釘付けになっている。昨日から感心しているのだが、三浦先生とは違う芸(?)を見ているようだ。さすが関西、というしかないのだが、そのハコビは非常に勉強になる。今日も『自分で治せるのに、なんで治さないの?』と、繰り返し患者に問いかける姿が印象的だった。また、「薬を売らない薬局」「治療しない鍼灸院」を実際やってみた経験、治療費を全て患者さんに委ねた経験など、普段私達が経験できないようなことを体験を踏まえて話して下さった。


    三浦先生、畠山による「般若身経」の実技。三浦先生が「間違った側屈」畠山が「法則に則った側屈」をしている。昨日は座学だったので、今日は動きの紹介に徹した。自然体立位の腰幅とは、足の内側なのか、それとも外側なのか、つま先とかかとは並行に、というのはどこを基準にするのか。利手によって、利手と反対の足を半歩前に出してから、骨盤を定位値に戻す、などの新しい試みが発表された。橋本先生は晩年、「般若身経の連動は末端からだ」と言われたことがあるそうで、前屈、後屈、左右捻転、側屈を末端からおこす試みである。

    三浦先生の講義。

    受講生の植田君をモデルにして、第1分析、第2分析を説明する。三浦先生は被験者に問いかける前にその結果を言い当てた。それに関して参加者から「どうして分かるのですか」という質問があったが、それは講習会参加して順々に学ぶしかない。


    佐伯実行委員をモデルにした、からだの無意識の動きの発動。野口整体の活元運動と似ていると言われるが、一番違うところは、からだの無意識の動きと共に、「きもちよさ」が羅針盤になっているということだ。これに関しては、ゆくゆく三浦先生の著書で紹介される予定なので、著書を待つか秋のフォーラムにご参加するか、操体法東京研究会の定例講習に参加するしかない(笑)

    この後、質疑応答の時間となった。東京から参加して下さった島津兼治先生も交えて、様々な質問が飛び交った。質問から受ける印象としては『楽と快の区別がまだまだ不明瞭』(つまり『どちらがきもちいいですか』という問いかけをしているケースが多い)。第1分析をやっているのだが、言葉上では「きもちよさ」と言っているケースが多いことがわかった。これはどこでも同じような感触なので、引き続き『楽と快の違い(第1分析と第2分析の違い)』と、『動診と操法の区別』を広めていくことを、進めていかなければならないと痛感した。


    平さんの顎関節の矯正をする島津先生。柔医術(やわら)も、正体術も出所は同じなのだろうが、戦場で一瞬にして治すというスタイルをとった柳生心眼流と、漢方薬の如くゆるやかにやさしく、時間をかけた遅効性の操体の、それぞれの個性が見えて面白かった。普通の治療家は、遅効性で修得に時間がかかる操体よりも、スピーディで即効性のある柔医術に惹かれるのは当然だと思うが、ゆっくりしたことが出来る人は、速いこともできる。一度島津先生に皮膚の触診をしていただいたことがあるが、流石名人で、速くスピーディに力強くされるし、優しく、羽根のようにふんわりとしたこともされる。しかし、下手な一般人は『速くスピーディに力強く』はできるが、『優しく、羽根のように』ができないのである。物事は静から発するから、まず最初に操体のような『漢方薬的』なものを身に付けたほうが後々勉強しやすいのではと思った。

    途中でMadridに向かう一行で写真を撮った。

    また、質疑応答では、初日の講習で紹介された質問などが出た。都合があるのだと思うが、フォーラムは色々な講師の寄せ集めではなく、二日間、あるいは懇親会を含めて一つの学びの場となっている。懇親会は「ナイトフォーラム」と言われており、昼間できなかったような質問や、思いもかけなかった収穫がある場合が多い。抄録を作って配れば、参加していなかった時の講義内容が分かって良いのかもしれないが、フォーラムの発表は結構骨子だけ決まっているケースが多い。三浦先生はフォーラム前にはもの凄い量の資料を書いているが、参加者の顔を見て引き出しを開け閉めしているので、抄録はあまり面白くないのである。しかし抄録については検討したいと思う。


    山本京都フォーラム実行委員長の挨拶。感極まって泣くかと期待(?)したがそうではなかった(笑)

    夕方になっても暑さは和らぐことなく、東京操体フォーラム in 京都は無事終了した。今回の一番の収穫は、北村翰男先生をお呼びして西と東との交流を深められたこと、実行委員も一緒に寝泊まりし、一緒に食事をすることで一層結束を深めることができたことだと思う。また、いつも東京開催のため、なかなか足を運ぶ機会のない関西の方々とも交流を深めることが出来た。今回は玉林院さんはじめカメラマン白井氏はじめ京都の川嶋氏、奈良操体の会の皆さんにもお世話になった。

    記念撮影。
    この後、襖をはめ、廊下掃除をして全部片付けてお開きとなった。ありがとうございました。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 東京操体フォーラム in 京都(3)懇親会

    一日目が終わって、汗だくになった一行はホテルに戻ってシャワーを浴びた。一休みしてから懇親会の準備をする。岡村王子は浴衣姿、私はチャイナドレスである。おろしたてだったので、チャイナドレスのボタンが留まらず、王子、画伯両氏に手伝ってもらってやっと着る(ちょっと間抜け)。持ってきたハイヒールは何故かサイズが小さくカパカパしており、歩きにくい。懇親会会場が宿泊ホテルで良かったと思う。私がチャイナドレス派なのは、単純に着物が着られないということなのと、着物を着る際にはバスタオルを巻いたり、胸元に綿を入れたりと「大型工事」が必要なので、何だかちょっと避けているきらいもある。
    昼間は汗だくで動いていたので、夜はちょっとお洒落して、という算段である。懇親会は19時半からだったが、19時に結婚式の披露パーティが終わって、会場から華やかに着飾った客が出てきた。このホテル(ホテルモントレ京都)のグループでは、各ホテルがそれぞれテーマを持っている。例えば私が好きな仙台のモントレはプラハの小市民宅、銀座のモントレはパリ、京都のモントレはスコットランドのイメージだそうで、黒を基調にした重厚なイメージがする。
    会場の隣の待合室(結婚式で親族が使うところ)を懇親会参加者用に開けてもらい、時間になるまで待って頂くことになった。昼間は暑くて和服は断念したという島津先生、夜は和服で登場だ。


    島津先生と画伯


    久しぶりの再会を祝って。

    着物とチャイナ

    受講生で京都在住の植田君。彼は非常にいい被験者である。

    実行委員、京都で開業ほやほやの小松君と奥方

    友松実行委員と三浦先生。友松さんは操体で30キロ自然減量に成功している。


    平相談役。

    秋穂実行委員を除いたマドリッド組。秋穂さんは明日出席だ。

    島津治子さんと三浦先生。

    佐伯実行委員、山本京都実行委員長、三浦先生


    山本京都実行委員長の挨拶。お酒が入って緊張が少し緩んだ??


    平相談役、川嶋さん、畠山

    師弟でポーズ

    島津先生に技をかけられている平さん。私もこれを覚えた。大の男でも崩せる方法があるのだ。

    懇親会は約30名が参加した。ホテルの担当の方のお陰で『お腹すかせて来ると思いますから、ちょっとガッツリ系で』のメニューとなった。人気があったのがタイのグリーンカレーココナツミルクがたっぷり入っているのだが、意外と辛い。昼間の暑さを忘れるように皆食事を楽しみ、歓談した。写真でも紹介したが、島津先生にご登場いただいて、色々な技を見せて頂いた。途中、ちょっと歌を披露して下さったが、腹から出る豊かな声で、皆『おおっ』と驚いていた。
    楽しい歓談の時間はあっという間にお開きとなったが、ホテル宿泊組は部屋に戻ってからまたスパに行った。後で聞くところによると、島津先生と一緒にスパに行った平さんは「水切りの術」を見せてもらったそうである。
    私は大阪の幸田秀樹さん、北村先生、三浦先生とずっと話し込んでいた。確か寝たのは2時だったと思う。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 2010年東京操体フォーラム in 京都(2)

    2010年8月28日早朝。三浦先生と私と山本監督で、カメラマン白井氏と共に写真撮影に出かけた。前日白井氏と小松君がロケハンしてくれているのである。最初に向かったのは祇園だ。


    ★朝の祇園

    その後、御所へ


    カメラマン白井氏によると、この写真は逆光で、普段なら絶対撮らないアングルなんだそうだが、三浦先生のススメで撮ってみると、芝生に光が溢れ、何だか幻想的(風景がですよ)な写真になっている。白井氏曰く、常識にとらわれていてはいかん!ということだった。写真も操体も同じことなのかもしれない。

    写真撮影を終えて一路タクシーでホテルに戻る。この時点で6時50分位。朝食は有名な「イノダコーヒー」へ。京都に詳しい友人は皆「一度は食べるべき」というお勧めで、ホテルからも徒歩5分位という丁度良い距離だ。ここで「今日のモーニング」を頼んだ。こちらのコーヒーはミルクと砂糖が入っているのがお勧めだそうである。ウエイトレスさんが「よくかき混ぜて下さいね」と言っていたので、かき混ぜて飲んだ。濃いめのコーヒーに丁度良い甘味だった。なお、かき混ぜるのを忘れて「あのコーヒー、底に砂糖が沈んでましたよ!」と憤慨していた岡村王子だったが、それはウエイトレスさんの話を聞いていなかったのである(笑)。


    イノダコーヒー店の前にて

    食後、ホテルに戻り用意をしてから会場の大徳寺玉林院に向かう。空気は既に暑い。こんな天気で熱中症の人が出なければいいのだが、と思う。程なくタクシーは玉林院に着いた。

    玉林院の有名なお茶室(重要文化財

    2010年東京操体フォーラム in 京都の始まりである。今回は柳生心眼流の島津兼治先生と奥様も東京から出席して下さった。島津先生は「和服を着ようと思ったけど、暑いからやめたよ」と笑っておられた。


    挨拶する岡村王子

    司会進行、福田画伯

    今回、一番気を遣ったのは重要文化財の襖絵である。狩野探幽の晩年の作などである。誰かがつまづいて襖に穴を開けたりしてはそれこそ大変なので、その辺りは十分注意した。

    トップバッターは北村先生で、PowerPointを使った「痛みがぬけるゆるやか操体法」という発表である。

    講習の内容はいずれ発表されるセミナーレポートをご覧頂くとして、三浦先生とはまた違ったアプローチの仕方であるが、操体に対する熱い思いがひしひしと伝わってきた。また、新鮮で新たな気づきもあり、実行委員にとって非常にいい勉強になったと思う。

    その後、お昼に入ってまず記念撮影

    午後は「般若身経」から。初日は理論中心。

    三浦先生の講義。こちらも初日は理論中心。

    対談。操体に対する熱き思いを語る。たまに一瞬眼光するどくなる二人の先生方。



    こうして一日目のプログラムが終了した。一日本当に暑い日だった。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 2010年東京操体フォーラム in 京都(1)

    【レポート:畠山裕美】
    8月27日6時。東京駅で三浦先生と落ち合い、新横浜から乗ってくる岡村王子の分を含めて駅弁を3つ買う。東京駅限定だ。今回は奮発してグリーン車を取った。やはりたまには乗るもんだと思う。何故なら非常に気分がいいからだ。N700系のぞみは6時半に東京駅を出発した。

    ★岡村郁生理事は「王子」、福田理事は「画伯」三浦先生からは「龍馬」、山本京都フォーラム実行委員長は「監督」、辻実行委員は「情報局長」というコードネーム?を持っているのである。

    新横浜に着くと、岡村王子が半ズボンにオレンジのスーツケースという華麗な姿で登場。王子の土産の「崎陽軒のシウマイ」と、駅弁の包紙をばりばりはがしながら、三浦先生が
    「岡村、これはグリーン車専用の特別な駅弁だぞ」
    「え?ホントですか????!!!」
    (三浦先生の冗談です・・)

    駅弁を食べながら色々打合せをしているうちに、あっという間に京都に到着。京都の改札で、佐伯さん、福田画伯、山本監督が待っていた。佐伯さんはこれから会場である大徳寺玉林院に向かって準備にかかるということで、あとの一行は奈良操体の会の北村翰男(ふみお)先生の待つ奈良へ向かった。北村先生とは一昨年の仙台の全国操体バランス運動研究会以来だ。駅の改札で奈良操体の会の方々と待っておられた。その後タクシーで東大寺に向かう。
    タクシーの中から道を歩いている鹿を見て、やっぱり奈良だ、と納得する。東大寺に到着して参道を歩くと、やはり鹿がたくさんいるのには驚く。池のほとりに牡鹿が立派な角を生やして立っていた。三浦先生が
    「おい、岡村。あのオスの鹿は写真撮影用のツクリモノだ。よく出来てるだろ」
    「え?ホントですか??!!」
    鹿に寄っていく岡村王子。勿論これも三浦先生の冗談で、岡村王子に触られた牡鹿は動いたのであった。
    「うあああああ〜っ」と叫ぶ岡村王子であった。なお、漢方の専門家である北村先生は鹿の角のカワの薄皮?を見つけてはぺりぺりと剥がしていたので、訪ねてみると、風邪の薬にもなるのだそうだ。鹿の角の強壮効果について、王子が北村先生に真剣に質問していたのは聞き逃さない私であった(強壮、強精効果があるのは、まだ柔らかい角らしい)。


    ★鹿とたわむる福田画伯

    北村先生のお陰で、今回は特別に大仏様のお膝元まで上げていただけることになった。若いお坊さんの案内で大仏殿の横から入り、左側から大仏殿を眺める。大きな建物や仏様を見上げるという動作は、何か人間の心に作用する効果があるのではと思う。

    それから大仏殿に入り、大仏様の向かって右側の階段を上がり、お膝元で大仏様の由来、台座の蓮の花びらの説明を聞く。大仏様ご自身は何度か戦乱で焼けてしまっており、1300年前の建立当時から残っているのは台座だけだそうで、花びら一枚一枚に細かい絵が描かれている。皆、汗を拭きながらも話を熱心に聞く。仏教の宇宙観は何と壮大なんだろう。


    大仏殿の後ろと、大仏殿の前にある六角の灯籠の説明を聞いてから、興福寺に向かう。途中で岡村王子が鹿せんべいを買って鹿と遊ぶ(というか鹿に囲まれていた)。山本監督は鹿にお尻を噛まれたらしい。


    それから興福寺へ。国宝館で阿修羅様はじめ八部衆と釈迦十人弟子に再会。東京、九博とは違って、八部衆の仲間と一緒に並んでいる阿修羅様で、一番自然な感じがした。残念ながらマイラブの薬王菩薩様、薬上菩薩様は一般公開はしていないということだった。今度またゆっくり来ようと決意する。その後奈良駅前で食事を済ませ、近鉄で京都へ向かう。
    京都からタクシーでホテルへ向かってチェックイン。シャワーを浴びて一休みしてから明日明後日の会場、大徳寺塔頭(たっちゅう)玉林院にタクシーで向かう。奈良で砂利道をあるいたせいか、足が痛くなった三浦先生のリクエストで途中履物屋を探す。私もヒールのついたサンダルを履いていたのでこれ幸いと下駄を買う。三浦先生と私は下駄、山本監督は草履に履き替える。これ以降、私と三浦先生は東京に戻ってくるまで下駄履きだった。本当に下駄族になってしまいそうである。下駄は素晴らしい。

    早速玉林院につくと、先に着いていた佐伯さんと、フォーラム相談役の平さんの京都のお弟子さん、川嶋氏が働いてくれていた。本当にありがたいことだ。今回玉林院での開催に貢献してくれたのは佐伯さんである。
    ところで、フォーラムを行う会場自体が重要文化財で、襖も重要文化財である。昨年末にご挨拶で訪れた時は襖が全部閉まっていたのだが、今回は襖が全部外されており、広々とした空間が広がっていた。とにかく素晴らしい空間である。こういうのを「ぞくぞくする」というのだろう。

    写真撮影のロケハンのため、町に出ていた小松君とカメラマンの白井氏も戻ってきて合流した。前泊組は今日ポートレイトを撮ってしまおうという予定になっており、写真撮影タイムとなった。

    写真を撮るカメラマン白井氏

    北村先生、畠山、三浦先生。畠山は100年に一度位という非常に珍しいワンピース姿だが、実は下駄を履いている。ワンピースに下駄って意外と合うことを発見。

    写真撮影の間、残ったメンバーは資料の袋詰めやセッティング、プロジェクタの調整、パソコンの接続やチェックを済ませた。北村先生のパソコンのチェックも修了し、一行は蚊に刺されながらももくもくと準備を済ませたのだった。お寺の方にも無事ご挨拶が済み、後は明日を待つのみだ。

    そこからホテルに戻り、一行はこのホテル名物?最上階の温泉(スパ)へ行くことにした。
    汗を流した後の温泉は最高である。そこから一休みして、一行は夜の街へと繰り出して行ったのだった・・・(と言っても行ったのはホテルの近所の居酒屋)。

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 東京操体フォーラムIn京都 最終章

    昨日の書き込みに引き続き、最終日も丁度一週間前に行われた東京操体フォーラムIn京都について書きたいと思います。


    私達、東京操体フォーラムの各メンバーは個々に自身の研究所なり店舗なりを構えている自営業者でもあります。私も導軆力学研究所という屋号を師匠から戴き平時は現場でクライアントと向かい合っている一臨床家です。
    参加者の方から、フォーラムの運営は?日当とかは?宿泊費・・?などと様々な素朴な疑問を戴いたりするのですが、その都度『無いですよ』と答えるとちょっと戸惑った間があるので、間髪入れず『だって、全てが勉強ですから、お金を払ったって出来ない勉強をさせて戴いているのですから、当然じゃないですかねぇ』と答えて理解される方もいれば、奇特やなぁという表情をされる方など様々です。
    世の中ではお金を払えば大概のことは出来ます。勉強をしたければ受講料を納めれば学ぶことも出来ますし、著名な先生に師事したければそれも可能でしょう。
    ですが!出来ないことも様々有ります。それが『信用』であり『絆』なのです。多分、一億円を三浦理事長の前に積んでもフォーラムでの講演は出来ないでしょう。「オレ流ボディメソッドを発表したいからフォーラムで発表させてくれ!テレビにも取り上げられていて、来場者は数百人単位で来るから、運営にもメリットあるよ!」って言われても、2時間説教を食らって帰されるでしょう・・・

    何故か?これはフォーラムに限らず、どの様な組織を運営していく上でも重要な要素だと思います。有名人を呼べば安易に動員がはかられるなどという考えで講師を呼ぶと、動員はそこそこ増え、見た目の数は増えるのでイベントとしての体は保てるでしょう。
    ですが、イベントの趣旨から大きく外れてしまい、この団体が何を訴えたいのか、何処を目標としているのかが分かり難くなってしまいます。
    その結果、有名人を呼ばなきゃ人数を増やせない、中身のない薄っぺらい団体と成ってしまいます。
    参加者に訴えたいこと、理念等が其処に確実にあれば、有名人が来ようが近所の叔父さんが講演しようが人は来るはずです。人数増やしが仕事になってしまうと、体裁を取り繕った張りぼての城塞でしかなく、裏に回ると何とも悲しく、惨めなものでしか有りません。

    ですから、私達がフォーラムでスタッフとして行っている様々な事柄は、角度を変えて見ると、全て臨床に役立ったり、自分の人間としてのパイを広げていくのに凄い役に立っています。
    お金を積んでもフォーラムの実行委員に成ることは出来ません。当然のことながら理事の審査もありますし、何よりも操体に対しての思いであったり、利他の精神が有るかどうかもポイントと成って来ます。

    今回のフォーラムはと言うより、私は自分のポリシーとして『人生は必然であり、偶然は存在しない、起こる事象には全て意味があり、己の生きる指針である』と考えております。
     そこで今回の東京操体フォーラムIn京都は自分にとってはどんな必然で、どういった気付きであったのだろう?と一週間経って考えてみました。
     特に今回は関西操体会の重鎮であり、生前の橋本敬三の息づかいをご存じでいらっしゃる、奈良操体の会を主催されている北村翰男先生にご参加戴いたのは我々、東京操体フォーラムにおいては大きな一歩であり、今後の展開への大切な力になったと感じました。
     北村先生からも色々とアドバイスを戴き、今後のフォーラムとしてのあり方や、個人としての操体への関わり方など、普段ではお聞き出来ないような話をジックリと伺うことが出来ました

    私は特に気が短いので、それでは駄目だ!もっと気長に時間をかけ解決すべき問題もあると諭しても戴き、ただただ感謝です。
     富士山の頂上に登るには山梨県側から登ることも出来れば、静岡県方面から登ることも出来るんだよ・・道は沢山あり無数に存在する、でも頂上は一つなんだよ・・・というのを改めてフォーラムのメンバーを含め多数の参加者の皆様に語りかけて戴いた様な、三浦理事長との掛け合いの中でそんなことを強く感じました。
    アプローチは違えど、橋本敬三への思い、操体に対しての愛情は同じであり、自分の世代だけでない、次代を見つめたお二人の考えに反省し、目指すべき点が多々見つかりました。

    自分さえよければ良いでは二流、縁ある方を活かしてこその一流ではないかと、今回のフォーラムではつくづく感じさせられました。
    道半ばで社団法人も開設したばかりではありますが、私が感銘を受けた、操体の考え方や素晴らしい仲間達を数多くの方々への架け橋として繋いで行ければ最高だと今、感じています。
    このブログを書いている数週間後には今度はスペインの空の元、フォーラムを開催している、そんな自分が信じられない今日この頃です。

    玉林院に眠る、山中鹿介幸盛『願わくば我に七難八苦を与えたまえ』この言葉を胸に刻み、困難・辛苦から逃げることなく寧ろ楽しみ進んでいけるそんな自分になって行ければと思います。
    今週一週間お付き合い、本当にありがとうございました!次回はイベントに当たらないことを願っております。

    福田勇治

  • 東京操体フォーラムIn京都 番外編 In 奈良

    何故このタイトル?と思われた方もいらっしゃるでしょう・・・何度も言っているのですが、再度ご説明しますと・・
    この東京操体フォーラムブログはフォーラムの実行委員として活動しているメンバーがアイウエオ順に自分の思いや日々のことを徒然なく綴っていくブログです。普通は1〜2週間前に下書きやら構想などを練って、書いたものを寝かしつつ、再度確認の上Web上にUPするといった感じでしょうか。
    あまり早く書きすぎるとUPするときの心情と合わず、何となく納得出来なかったり、特に困るのは今回の様にイベントが絡むと、準備等で地方者は前乗りをするので、準備などで、わらわらしている時にブログを書く心境にならずと、難しいものです。
    しかもフォーラム最中のブログがフォーラムとかけ離れた内容でも何だか、しらけますし、考えすぎでしょうが、むむむ。。のむ・・です。
    しかも、今回はフォーラムが終了した後、両師匠を拉致し、島根に来て戴きました・・・詳細は又、何らかの形で皆様に報告しようとは思いますが、日本で2トップの『般若身行』のデジタルデータとしての保存です。
    カメラやビデオは映像としてのデータは残るのですが、我々臨床家が知りたいのは骨格の動きであり、内部の動きです。それらの動きを残すことがひょっとしたら後生の人々の研究対象になるかもしれません・・・

    という諸般の理由から、フォーラムが終わってボチボチ一週間が来ようかというところでフォーラムについて振り返りたいと思います。


    とにもかくにも今年の夏は異常に暑い!そう感じたのは前乗りで京都に入った時でした。私と両師匠を始め、岡村理事山本京都フォーラム実行委員長との5人で、フォーラムの前に奈良の北村先生のところにお邪魔しよう!みたいな企画があり、フォーラム初日の前日27日に京都から奈良へと電車で向かいました。
    何でも北村先生のお計らいで東大寺大仏を間近、膝元で見せてもらえるとのことで、ワクワク一杯で奈良へ向かいました。
    奈良へ着きますと北村先生とお弟子さんお二方と合流し、早速東大寺へと向かいました。個人的には三回目の東大寺なのですが、いきなり通常入り口とは違う入り口からの入場に、ちょっとビビリつつも厳かに進みます・・・
    先ずビックリしたのは通常は見ることの出来ない横面からの東大寺本殿を見ることが出来たことでした。
    と言いますのが、東大寺は過去に何度か焼け落ちてまして、現在の状態になったのは五代将軍綱吉の治世になってからだったと思います(江戸期歴史不安なり)。今回、左側面から見られたことで、最後に焼失した当時の痕跡を確認する事が出来、私が密かに好きな戦国武将、松永弾正久秀を少し感じることが出来たのが、収穫でした。

    松永弾正岡村理事のノリで言えば、信長の野望(By KOEI)では知謀が100以上の武将で、家臣にして前線に配置するとかなりの確率で謀反を起こす武将です・・・日本三大梟雄(北条早雲斎藤道三と呼ばれている位のエグイ武将です。現に岡村理事の大好きな(しつこいですか)第十三代将軍 足利義輝暗殺の首謀者とも言われています。
    私に足利義輝のことを語らせるとブログが2回分必要に成る恐れもあるので割愛しますが、剣豪将軍としても有名で、いわゆる嗜(たしな)みでの剣豪ではなく、当時一流と言われていた上泉伊勢守信綱塚原卜伝から教えを受け、一説には卜伝からは「一の太刀」と言われる奥義を授けられ、鎌倉から江戸に至る将軍家の中では一番強い将軍であったと言えます。

    スイマセン・・何か気が付くとこのブログ趣旨が段々、歴史を学ぼう!みたいな企画になっているので、徐々に本題に入りますが、最終日のブログにも書くのでダブらない様に書きますが、人間の行動には全て意味があり偶然は存在せず必然なのだ!という天才バカボンばりの言い切り方をすれば、この奈良行きの天の意味を考えました・・・

    ああビックリ!これ又ビックリでした・・・
    ビックリその1は足利義輝ですが、これは皆さん気付いたでしょう(マニアなら)?
    義輝の師匠は先程言いました上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)”なのですが、これは今回、わざわざ東京からご参加戴いていた、柳生心眼流竹翁舎主催の島津兼治先生繋がりのご縁でした・・上泉信綱と言えば「新陰流」の祖であり、この信綱から免状を与えられたのが柳生石舟斉宗巌(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)であり、その子柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)が江戸柳生として江戸で道場を開いていた時の門人に柳生心眼流の開祖竹永直入翁がおられ、宗矩の推挙の元、伊達政宗に仕え柳生心眼流として仙台で息づいたのです(あ!仙台繋がりでも有りましたね・・)。

    そして更にビックリなのはちょいワル親父こと松永弾正久秀なのですが、このおじさん、佐伯さん風に言えばかなり面白い人で、色々な書物を残しているのですが、中でも秀逸なのが現代風に言えば『松永弾正のHow to SEX』とでも言うべきドクトル・チエコ先生真っ青のセックスマニュアル本を書いています。
    と言っても半分経験から、半分は中国の書物からの引用という感じでしょうか。内容はかなりエグイものから現代にも使えそうなものまでと様々ですが、一部を紹介しますと。
    唯一ブログで書けそうな内容なのでこれだけは書いておきます・・・

    松永弾正の『五傷の法!』(SEXするべきでない状態とは!の巻)
    1.女性が未だその気になっていない時
    2.女性が求めているのにせず、したくなくなっている時
    3.年寄りで充分に勃起してないのに、女性を無理に責める時
    4.女性の生理中
    5.酔っ払って遅漏の時

    何だか身につまされると申しますか、読んでてブルーになりました・・5番を見た時思わず奥村チヨ「ごめんねジロー」を思い出しました。。
    ですが、400年以上前の強烈な男尊女卑の時代にもかかわらず、要は男性上位では駄目だぞ!女性の気持ちを大切にしろ!的考えを説いているのに、感心しました。これ以外にも色々と有るのですが、書くと次回のブログの順番が自然に飛ばされそうなので、これ位にしときますが、この松永弾正の性技マニュアルの元と成った『閨房術(けいぼうじゅつ)』を学んだ師匠が何と、当時、弾正と深い親交のあった曲直瀬道三(まなせどうさん)であったようです。
    はい、ご存じの通り今回、フォーラムを行わせて戴いた大徳寺塔頭玉林院さんの開祖曲直瀬正琳の師匠が曲直瀬道三になります。
    当時のお医者様は当然のことながら権力者達からの様々な要望に答えねば成らず、その中に当然、健康法も含めた強壮法閨(ねや)術が有ってもおかしくはないのです。

    脱線ついでに当時の戦国女性について少し書きますと、私がイラつく某NHK大河ドラマなどは戦国の女性は清く正しく美しく、影で夫を支えながら落城の折には共に自刃する悲劇のヒロイン的書き方しかされていませんが(特に来年の大河の“江”などはその代表)、実は全然違っていて、とても逞しく、力強く生きていたというのが昨今の定説です。

    その中の一つが先程、説明した『閨房術』なのです。閨房術は実は戦国女性の嗜(たしな)みの様なもので、大名家やそれに類する身分の女性にとっては、まさしく命がけで学ぶべき術であり、閨(ねや)でのテクニックで殿をメロメロにし、自分の実家に都合のよい人事や加増の確約を引き出していました。

    ここまで書いたのでこの際、書いてしまいますが、ここで言うテクニックとは愛を育むと言うよりは殿方を喜ばすという“積極的参加型テクニック”のことで、今で言う禁じ手?などはなく有りと有らゆる技術が開発され、よく聞くところでは、相撲などでよく聞く技の48手とかけて、江戸48手と呼ばれる性技マニュアルがあり、表裏合わせると96手とも言われています・・・その中には更に門外不出の秘伝まで有ったようです・・・
    余談ですが、それらお姫様テクニックが後々遊郭での閨房術に繋がって行き、幕末に日本に来た外国人達が日本人の遊郭女性の凄腕に狂喜乱舞したとのことです。

    日本人は従来、性に対しては非常に大らかな土壌を持っており、明治維新によりキリスト教の性に対しての厳格な思想が入ってくるまでは非常に奔放で、夜這いの風習風呂の混浴など、数々あります。
    この辺りの話しは何故か、畠山師匠と話し出すと止まらなくなりそうなネタで、強壮剤と共に永遠のテーマです・・・

    そろそろまとめないと話しが収束しそうにないので、まとめますが、橋本敬三も書籍などでは性に関しての記述が幾つかあり、『からだの設計にミスはない』の中でも第五章の中で“セックスを生涯のテーマにしよう”というタイトルで話されている位に、性に関しては晩年まで研究は怠られなかったようです。
    橋本敬三もおっしゃっているように「後味が悪くなければ何やったっていいんだ」深い言葉に色々なことを考えてしまう私でした・・・

    福田勇治