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  • からだ(2日目)

    昨日の続き
    二番目のからだはエーテル体だ、精気体ともいう。このエーテル体にも肉体の呼吸と同じように入ってきては出てゆくプロセスがある。肉体以外のからだから何か感覚がやってくるのであるが、エーテル的な位相にあるのは息でも想念でもない、「感化」というものである。感化がただ、入っては出てゆく。
    たとえば、面識のない誰かと会った場合において、当然、その人と話したことがなくても、その人の何かを感じる。そして、その人を受け入れるか、放り出すかのどちらかを選択している。そこには微妙な感化がある。愛かも知れないし、憎しみかも知れない、好感あるいは反感であるかも知れない。これらはエーテル体のものである。誰かを好きになったばかりなのに、もう次の瞬間には嫌いになり、反感を抱くことになる。誰かを好きになったら息を吸いこんでいる。そうすると今度は息を吐き出し、嫌になる。愛の瞬間には必ず嫌悪の瞬間が続いてやってくる。
    このように生命エネルギーは両極性のなかで存在している。決してひとつの極に存在するのではない、それはありえない! そうしようとする時には必ず何か不可能なことをやろうとしているときだ。だから、「昨日の友は今日の敵」という言葉があるように、友が敵になるのは当然のことである。この出たり入ったりすることは七番目のからだに至るまで起こってくる。この入ってきては出てゆくプロセスなしにはどのからだも存在できない。ちょうど肉体が呼吸なくしては生きられないように、それは不可能なことである。
    しかし、エーテル体では、憎しみはそこにあってはならず、愛がそこになければならないという強迫観念を我々はもっている。それは選びはじめているということだ。その選択が動揺を生み出すことになる。肉体に関する限り、呼吸を対極のものとは見なしていない。だから、それにかき乱されることはない。自然法則下にある「生」は入息と出息の間にどんな差別もつけない。そこには道徳的な差別は何もない。何ひとつ選ばれることなく、両方とも同じでその現象は自然なものなのだ。だから、肉体の方がエーテル体よりも健全であると言える。エーテル体はいつも葛藤している。倫理、道徳からの選択が、そこから「地獄」をつくりだしてしまった。愛がやってくると幸福に感じ、憎しみがやってくると不安に感じる。しかし、憎しみは必ずやってくる。だからこそ両極性というものを理解しなければならない。
    ものごとは来てはまた去ってゆく。この両極性を理解すれば、入ってくるものに魅きつけられもしないし、出てゆくもののために嫌になったりもしない。ただ、無関心であって観照しているということが求められるのである。もし、どちらか一方に執着したら、もう一方の極に何が起こるかお解りいただけるものと思う。そう、気を病むことになる、気を病んで病気になって気楽ではいられなくなる。親密な関係にある者との死別によって嘆き悲しみ、気を病んで病気になるというのはこのことである。この両極性に分裂しつづけるならば、地獄の生を生きることになる。
    しかし、この両極性ゆえに肉体は存在することができる。肉体が存在するには緊張が必要である。入ることと出ることの、この絶えざる緊張が必要である。誕生と死というこの絶えざる緊張が必要だ。肉体はこの緊張のおかげで存在している。それは絶えず両極の間を動いている。さもなければ存在することなどできなかった。
    エーテル体では、愛と憎しみが基本的な両極性である。基本的な両極性は「好き」と「嫌い」が瞬間ごとに「好き」は「嫌い」になり「嫌い」は「好き」になる。我々はこの仕組みがわからないでいる。「好き」が「嫌い」になるとき、その「嫌い」を抑圧して、いつも「好き」で通そうとする。「嫌い」を嫌い続けるのだ。その「嫌い」が「好き」になった瞬間を見るのを許そうともしない。我々は敵に愛を抑え、友には「憎しみ」を抑えて抑圧してばかりいる。我々はひとつの動きしか許さない。しかし、「好き」と「嫌い」はちょうど肉体における息のようなものである。どんな違いもない。
    エーテル体は肉体で空気が媒体であると同様に、このような感化が媒体になる。「好き」と「嫌い」という両極性を通じてこそ、エーテル体が存在できるのである。「好き」と「嫌い」はエーテル体の息だ。もし、このことにただ無関心で観照者になることができたなら、もう笑うしかない、それはただの自然現象だということを知る。

    臨床においても「好き」と「嫌い」を選択し、一方に選択していて、それが原因で病気を招いている、そういったクライアントも少なくない。このようなケースではエーテル体に対するカウンセリングを経た上で、施術に入ることにしている。そうすることによって期待した成果が得られることが多い。
    明日につづく

    日下和夫

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • からだ

    今週は、播州と摂津の国境に位置する旧有馬郡であった三田盆地より発信しています。

    いつだったか、中谷実行委員との会話の中で、エーテル体という「からだ」についての話題になった。これはブログにはもってこいの内容であると思ったので、「お題」をいただくことにした。今日から一週間、日替わりで「七つのからだ」について述べてみようと思う。
    「からだ」を広義の意味合いで見た場合、古代インドの哲学者は個人の「からだ」というものを、幾重にも重なり合っている層から成るものと考えていたのである。まず、肉体がいちばん外側の層にあり、内部へ内部へと重なり合うことによって、個人的な人間存在ができ上がっていると考えたのだ。からだというのは人間が外から内へと重なり合った七つの要素で構成されているという構想である。
    こういったからだの要素のなかで、あるものは現代の精神分析学や超心理学などによって受け入れられているものもあるが、近代科学にとって、こういう人間構造論の理解と評価は一様ではない。しかし、今日の心理学も人間は多様な要素の複雑な重なり合いから成っていると考えている点は合致している。また、人間のさまざまな可能性はこのからだの複合的構造に根差しているといっても差しつかえはない。
    「七つのからだ」とは、はじめに「肉体」がいちばん外側にあり、二番目に「エーテル体」、三番目に「アストラル体」、四番目に「メンタル体」、五番目に「スピリチュアル体」、六番目に「コスモス体」、そして七番目の「ニルヴァーナ体」へと続く。七つのからだを説明するには、七つのからだに共通している生命エネルギーという側面から眺めてみようと思う。
    生命エネルギーというのはインドで「プラーナ」と呼んでいる。我々のなかにあるエネルギーのこと、生命のことである。まず、一番目のからだ、「肉体」に関して言うと、肉体におけるエネルギーは呼吸というかたちで顕われる。呼吸には、入る息と出る息があるが、双方対立している。「呼吸」と書くと、出息と入息はひとつのものと見なされているが、呼吸には入息と出息という二つの極性がある。
    エネルギーにはすべて両極性があり、すべて二つの対立する極において存在している。他のかたちでは存在することができない。その対極どうしの緊張と調和によってエネルギーが生じる。入息は出息に相反するものであり、出息は入息と正反対のものである。ほんの一瞬であるが、入息は誕生、出息は死のようなものに見える。一瞬のうちに二つの正反対の生と死が起こっている。肉体ではこのようなかたちで生命エネルギーが顕われている。この生命エネルギーは生まれて八十年ぐらい後には死ぬことになる。入息と出息から始まり、昼と夜という同じような現象のより大きいものが生と死である。
    この息というのはそれ自体がプラーナといわれる生命エネルギーではない。プラーナというのは内へ入ることと外へ出ることを言うのであって、その両極性によって顕われる生命エネルギーのことである。息を吸い込むというエネルギーそのものがプラーナであり、息そのものはプラーナではない。息を吸い、息を吐いているそのエネルギーこそプラーナなのである。七つのからだすべてにこういったプロセスがある。

    操体の教義の中心に、からだと生命に関して「息・食・動・想」というそれぞれに天然の法則があり、「知らないと間違ってしまう、よく勉強すること」とは、故橋本敬三師が諭された言葉である。そして「息」は操体臨床における動診、操法にあっても息を通すことの重要さが説かれているところだ。
    明日につづく

    日下和夫

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜cuatro〜その四

    一週間お付き合いくださいましてありがとうございます。
    さて、今日はなんの日でしょうか?(実は東京操体フォーラム顧問 今先生のお誕生日なのです、おめでとうございます〜パチパチパチ)
    そして、今日と明日、仙台市にて第27回操体バランス運動研究会がで開催されますネ。
    なので今頃は仙台におります(いつも情報管理本部長こと、辻実行委員ありがとうございます)
    私、ムーチョ岡村も、三浦理事長と畠山常任理事と、福田(画伯)と山本理事(監督)で、橋本敬三先生のお墓参りに同行予定です。
    来月に行われる、『秋期東京操体フォーラム』の招待状を携え、濃厚な日々〜操体活動報告〜をさせて頂きます。(まだまだ間に合いますよ!このホームページにてチェックして下さいネ。皆様の参加をお待ちしております)

    さて・・・操体臨床の日々とは、こんこんと水の湧く泉のように、淀むことなく透きとおっている。イノチとは流れであり、一時としてとどまることはない。
    まるで「方丈記」の書き出しのようになってしまいました。
    (ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし)
    イノチの生み出しているカタチ。万人に共通する人間の姿とはあるのだろうか。
    カタチとして見える姿と、カタチとしては見えない勢いのようなものは、一定の秩序を保つべくうごき続けているのだ。
    その変化を感じることは、生命の存在する意義にも通じる。
    生命現象の意味を知ることは、自分自身のルーツを知ることでもある。
    操体の創始者、橋本敬三先生の「生かされている」意識を偲ばせるエピソードの一つとして、
    三浦寛理事長に語ってくれたそうです。
    「生まれてから構成する身分ではなく、生前の身分を知りたい」・・・と。
    これはどういう意味なのでしょうか?
    悩み、苦しみを常とする同輩にも、「救い」と「報い」の違いを知って欲しい願うことだったのではないでしょうか。
    夏に大徳寺にて開催した京都操体フォーラムでは、北村翰男先生が橋本敬三先生とのエピソードを披露して下さいました。
    北村先生の若かりし時、橋本敬三先生に質問をしたのです。
    「先生21世紀は大変なことになってしまうんじゃないですか?」
    ・・・しばらく沈黙・・・そしてポツリと「いや、極楽浄土だよ」
    エッ??一瞬疑問に思った北村先生は「そんなことなくって、大変に・・・」と言いかけたところ、今度はハッキリと大きな声で、
    「いや!極楽浄土だよ!!」と話されたといいます。

    天然自然であればこそ、感じ取ることができることがある。
    お互いに通じる。からだも常に反応している。
    環境は相関し、身近なことは勿論、離れていても共鳴する。
    僕を知り、家族を知り、その範囲は広がっていく。
    人は皆つながっているのだと知る。
    自分は不思議の鏡であり、他人の中に鏡をみれば不思議でも、
    両方の鏡の中に在ることを学べるなら、それは真実の自分でもある。
    三浦寛理事長に教えて頂いた、皮膚に問いかける臨床では、
    僕の意識と患者の意識はありながら、お互いに脇役に徹することになる。
    主役であるのは、からだ。
    常にからだの反応を感(み)て、常にからだに問いかけて、からだと向かいあっている。
    それは響いてくるもの。そして原始から生命の感覚に基づく判断なのかもしれない。
    何しろ、私のように一人の人生が変わってしまう。
    いや、操体に関わっていけばむしろ、変わらないこととは何かがわかる。
    そして関わる人達の生、そのものも変えていくことになる。
    だからこそからだを通して伝わる「快」をとおして頂ける学びとは、私にとって幸せそのものでもある。
    真摯な問いかけとは、今もってなおお会いしたことのない、橋本敬三先生を感じさせてもらえるのだ。これこそ橋本敬三先生の指示された、救いのなかにある。

    三浦理事長の話されている”刺激”ではない”接触”する快適感覚である。
    この快は”刺激”と異なり、まるで息をしているかのように自然であり、かつ愛おしい。
    臨床でたびたび僕は感じる、この愛おしい感覚とは何なのだろう。
    勿論、答えは一つではない。
    何となく考えているのは、自然法則の応用とは、生命への恩返しでもあると思う。
    なぜなら操体を学び、私の臨床でも減ってきたもの、それは言い訳なのである。
    日々愚痴などを言わず、言わなくてよい生き方があるのだよ・・と、我が儘な私を許してくれる。
    このおおらかで静かなる「からだ」に、僕自身どれだけ救われていることだろう。
    この存在そのものに感謝し、まっ正面から見つめる私の意識を嬉しく思う。
    僕にとってのコスモロジーとは、やがて本当の自分に向かう。
    今もこうしている瞬間、ソレと向かい合って見つめ合う。そこに僕もいる。
    果たして人間の一生とはどこまで自由なのだろうか。
    与えられている自由を、意味ある自由として、どれだけ恩返しできるのだろう。

    操体を本気で学ぶことで責任を生じる。
    この気付きの反映を知った責任を、法則を知った生じる責任を、果たしていく喜びを。
    投げられた苦しみの中にも笑みをたたえながら生きていこう。
    臨床とは、イノチとの向かい合う意識と共にあり、その姿勢とは必死であればこそ、生を感(み)ることができる。
    そして一貫して橋本敬三先生の死生観とは、シンプルで、調和している。
    「人間は、“一番気持ちがいいところ”から生まれてきて、“一番気持ちがいいところ”へ還っていくんだヨ」・・・なのだから。

    一週間お付き合い頂きまして、ありがとうございます。明日からは、(ナイトセミナーも見逃せない)愛の伝道師、日下実行委員です宜しくお願いします。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜tres〜その三

    その声が聞こえますか?今日(こんにち)の日本を、世界との繋がりをどう見ているのか。
    意志を持ちながらも肉体の寿命を終えねばならなかった人達は、どう見ているのだろう?
    意思(いし)は遺志(いし)となり、形は変わってもそのまま残っているのではないだろうか?
    いや、もしかしたら・・・より強固でより柔軟で、変幻自在の天の意識とは、
    僕たちがソレを感じるか感じないかだけの問題なんじゃないか・・・。
    小さい頃からの癖は抜けない。
    「あなたのいないこのせかい このよでわたしひとりになってもおなじきもちであなたとわたし」
    ふとみあげている大好きな雲を眺めていると、そんなことを感じてしまう。
    そんなことを感じる。
    操体フォーラムインマドリッド”を開催した今回のスペイン、あれこれと奇跡的な出来事があり、あふれるほどでした。
    小野田先生と鈴木先生(お弟子さん)に案内して頂いた烏賊揚げの美味しいバル(レストラン)で食事を終え、トイレに行く(スペインは公衆トイレが日本のようにはない為)皆さんを待ちながら外に出てきたとき、木陰で空を見上げた三浦理事長は、プフゥ〜と美味しそうに煙草をくゆらせながら教えてくれました。
    「岡村・・・人の姿や髪の色は変わっても、何一つ変化しないことがあるよ・・・それはネ、
     月の光と 星の光 そして 太陽の輝きだけは どこに行っても変化しないんだなァ」
    さすが師匠である。いつも操体のことを考え、寸暇を惜しんで向かい合う姿、性別なく惚れ惚れしてしまう。(こんな時、美味Oんぼ風に「日本人の口に合う、あのオリーブが、イベリコ豚のスライスに云々・・」等のウンチクにならない)
    しかし、私もすぐ頓智の効いた受け答えの反応をできる訳ではない。
    「いや、本当にそうですね!」と言った後は”電流火花がカラダを走る〜”と化していました。
    僕の場合ビビッとしてしまった。それからしばらくしても考えているのです。
    その意味をじっくりと味わっていると干し烏賊(アタリメ)のように味わえますから。
    なにがビビッとさせるのか?ソレは間違いなく僕の意思であって僕の意思ではないように感じるのですが・・・。

    さて、ビビッとくる名言を多く残されているのは、橋本敬三先生ですね。
    「快からはいろんなものが生まれるし、不快からはなんにも生まれはしない。
    原始感覚が鈍ってくると、その判断が逆になったりもするから、
    カラダのバランスを整えて、常に感覚(勘)を磨くこと」
                             =橋本敬三先生語録より=
    我が師匠、三浦寛理事長との個人レッスンの時のことです。
    「オレも橋本敬三先生に言われたことで、本当に参った・・と思ったことがあるんだヨ」
    「岡村もこのように言われたらどう思うのか?考えて欲しい」
    といって席を立ち、一冊の本を見せてくれました。
    それはボロボロになり、ところどころすり切れた本。
    橋本敬三先生が卒寿のあと、記念で出版された論想集「生体の歪みを正す」でした。
    若き頃の三浦理事長にこれを二冊手渡されて、その一冊に震える指先で、よく見えないであろう
    眼でサインをされたそうです。
    私が読んだその言葉とは、

    『 三浦寛君 あとを頼む おんころや 』 と・・・書いてありました。 

    確かに操体法の名称が、「NHKラジオ」や「NHKテレビ」によって全国に広がりつつあるなかで、本当の自然法則を追求している学問体系を、健康体操の類(たぐい)と一緒にされつつあったことを、人知れず嘆き悲しんでいたであろう橋本敬三先生の意志を継ぎ、
    日々の臨床から生まれた操体を、治療や予防に止まらずあらゆる方向における基本となるべく研鑽を積むように託されたのです。
    それも師匠の直接、直訴願いですから・・・。
    その時の三浦理事長は、今の私と同じ39歳だったと聞き、ふと、我がことのように考えてしまったのです。
    橋本敬三先生は、名声とか権力とか権威とか、お金に執着しなかったどころか、全くないような方で、有名になってしまったあとの「温古堂診療所」へ次々と押しかけてくる人々に平等に接して、よく話を聞いてあげていたそうです。
    そして「操体法」という名称さえ、「名前なんてどうでもいい、大切なのは真理だ。
    自然の法則なんだ」と、いつも言っていたそうです
    人間は弱いものですから、自分さえ良ければいいと考えたり、他人とは競争するものだとさえ考えたりしています。
    しかし、本来は全てのなかにあるひとつであって、ひとつのなかにある全体なのですから、調和ありきなのです。考え方はシンプルが一番。
    難しく考えたり、いくつもの答えにある共通性は、“おおらかさ”につながってくる。
    ちまたには、「OOが一番良い」とか、「OO健法ってどうかしら」
    「OO先生がOOでは上手」とか、「OO治療がOO疾患には効く」
    とか、枝葉末節のことを真剣に平気で当然の如く話している臨床家もいます。
    それでいいのか?私の問いかけは「アンパンマンのマーチ」のなかにある。

    「(前略)なんのためにうまれて なにをしていきるのか こたえられないなんて
     そんなのはいやだ! いまをいきることで あついこころもえる 
     だからきみはいくんだ ほほえんで (以下省略)」
    ついてないとばかりにイライラする人の顔、痛みに耐える人の顔を見て感じたことがある。
    今願っているのは、キミのしあわせ?ボクのしあわせ?
    いったい誰のしあわせを願っているのだろう。そもそも願っているだけでいいのか?
    心から僕は他人のことを、自分のことを感じ取っているのだろうか?
    まず、自分自身を知って学びとる意志を胸に抱えたい。
    「自力自療=操体の原理原則」
    元々は元気のある「からだ」を壊しておいて「すぐに治してくれ!」なんて傲慢に過ぎる。
    その結果が痛みであり、疾病であるならば、自分の生き方そのものが問題なんじゃないか?
    私の師匠三浦寛理事長は、師匠橋本敬三先生の意志を「継承」し、その言葉を誰よりも噛み砕き、天然自然の法則を学びながら適うために、無茶もして血を吐いたこともある。
    たとえ、この世でたった一人になったとしても・・・、コツコツ操体を耕していく人間である。そして他の道(治療法)へ逃げることなく、積み重ねることのできる素敵な人間。
    私はそんな師匠を持つことができて、本当に幸せだ。そんななかで自分も尊く感じるのです。どうもありがとうございます。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜dos〜その二

    「”難しい”、”できない”と言う言葉を使うな」慎みなさいと、三浦寛理事長は教えてくれました。それは操体に限らず、何かをを学ぶうえで、とても大切なことなのですネ。
    十年前に一緒に学んだ友人、数年前に一緒に学んだ友人に、これから操体を学びたい方へ僕は伝えたい。「操体ってよくわからない・・・」という言葉を口にしてはいけないヨ。
    操体について少しずつ知って生きたい」という言葉を口にしなさいネ。
    操体法操体は違う」
    これは、創始者である橋本敬三先生も話されている。
    社会一般に知られているのは、知られているのは操体法という治療の方法だが、それを操体と思ってはいけない。
    操体法に限らず、治療というのは要するに・・変化させる“おこない”のこと。
    突拍子もない例えですが・・・「玉子焼きをつくって下さい」と言われたとします。
    それに必要なのは何か、玉子と火、そして調理するヒトです。
    そこで出来上がったものは、一つとして同じ玉子焼きはできません。
    なぜなら、玉子の焼き方や調理器具にこだわる人もいる。
    卵そのものにこだわる人もいるし、盛りつけや食べ方にこだわる人もいる。
    けれど、玉子焼きになる前に”最低限必要”であり、何よりも重要なことに気付いている人は多くない。卵を作っている何か、火を生み出している何か、人を創造されたなにか。
    ワタシにとって・・・操体とは、生み出してくれるもの。
    だからこそ、三浦寛理事長は教えてくれる。
    操体を学んでいくということは、資質や品性を問われてくる」のだよ、と。
    すぐに結果の実をほしがる、実のできる過程を知ろうとはしない、そんな欲があるのが人間です。
    しかし、それを求めてくる人に与えていくことでは、欲の火は消えません。
    まして、油を少しずつ注いでいるように増していくのです。
    嫌なことを避けたいのが人間。
    しかし、それを正面から受け止めず逃げていたら、誰かが受け止めなくてはなりません。
    生きていくことは相互の交流ですから、言葉になる。
    だから、コミュニケーション以外の“何か”が問題となってきます。
    非言語による干渉は、一般的に見えません。
    耳で聴くこともできない、鼻で嗅ぐこともできない、舌で味わうわけにもいかない。
    それでも五感を通じて学習してきたことは、二通りあります。
    知識による好き嫌いと、本能的な好き嫌いなのです。
    ほとんどの人間は、大人になるにつれて知識に偏重するようですが、
    これは“色欲”でもあります。宗教によっては“罪”とか、“業”というのかもしれません。
    そして、操体では「楽」を欲張っているという状態なのかもしれない。
    植物や野生動物は、「楽」を求めたり、欲張ったりすることはありますか?
    人間からすれば「なんでわざわざ大変なことをするんだろう?」と、考えてしまうことを、
    ただ当たり前のように親から子へ伝えていますネ。
    橋本敬三先生は、「原始感覚を磨きなさい」と指示しています。
    これは本来、イノチの要求とは謙虚であり、他人と比較したり、「自分が楽をするため」に活動しているのではない。
    このようなことも徐々に理解できるようになります。
    なにより、生命の本質とは“在ること”だと思うのです。
    それは派手ではありませんし、刺激的でもありませんが、噛み締めるほどにわかってくる。
    これこそ操体で伝えている「気持ちのよさ」「快」なのであります。
    これが感じられるかどうか?でこの世の中が天国にもなり、地獄にもなるのです。
    それを選択し決めるのも、人間が産み出している“心”であれば、行動を選択できる自由は自分にある。

    十二年前の三軒茶屋三浦寛先生主催の東京操体法研究会で、一番はじめの講習時でした。
    「みんな、生きている今、遺書を書いてみたらどうだろう?」と、私達に問いかけられました。
    それから全く、思い浮かばず書いていなかったのです。
    折角ですから?今の時点で亡くなる前の遺書を書いてみます。
    「人間に生まれてよかった。僕は僕で良かった。そう思えてしかたありません。ありがとうございます」・・・こう書いておきたい。
    その為に操体を学ばせて頂いている・・・僕も橋本敬三先生のように、本気で生きていつか本気で死んでみたい。
    そして星に願うならば、彼方(かなた)から彼方(あなた)を包み込む愛になって生きたい。
    今日もありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜UNO〜

    UNOというカードゲームがあります。
    これはスペイン語のひとつ目を示す言葉なのですね、恥ずかしながら知らなかったのです。
    小松実行委員は、日本で一ヶ月前からスペイン語の勉強をしてきたそうで、持ち前のおもいっきりの良さに加えて社交的であり、ハグの国?スペイン滞在中には私達は勿論、現地の方にも喜ばれていました。ホテルのチェックアウトの際、フロントに部屋番号を尋ねられて、「ヨンイチキュウ」と思いっきり日本語で真面目に伝えた私を見かねて?そして数字の1さえ知らなかった私に「NHKテレビでスペイン語という番組が丁度10月から始まるので、それで勉強してみたらいいですよ。毎日五分でも聞いていておくことが大切ですよ」と、アドバイスをして頂きました。
    日本に帰ってきてから録画して見ているだけでしたが、何故か患者さんが私に最新テキストをプレゼントして下さいました。「ハイ!これはやらなきゃ(いけないんだな・・・)」と、重いお尻に着火しました。お世話様です、ありがとうございます。

    今回からしばらくのあいだ、自分の感じている「継承」をテーマに書かせて頂きます。
    私にとって操体を学ぶ上での、必須条件に挙げておきたい大切なことです。
    なぜなら、「イノチ」を扱うのですから。
    患者の痛みや愚痴を扱っているわけじゃないのですからね。
    (*継承を見ると、辞書では「うけつぐこと、ややかたい表現」とあります)
    「ソレは、ワタシに向けて意識の確認をします」
    ソレは、直接会ったとき、口を酸っぱくして言っていました。
    厳しいことを伝えてくれる人がいたら、その人はあなたの心の友人である。
    夜明けも沈まなければ、新たに迎えることはできないのだ。
    たった今、知ったいまから、しっかり切り変えなさいよ、と。
    いま、始めるということは、今を生きていることである。
    振り返って自分の生活基盤がしっかりできていない・・・そう感じるならば、
    自分のまわりとも良い状態にできておらず、何より迷惑なのは自分自身なのだ。
    上っ面ばかり見ていれば、面こそ流れているようでも、底の流れが違うことさえ見えない。
    するに他者関係の不幸とは、自分とのつきあい方があまり確立されていない事によるのだ。
    重要な順序が逆立ちしていることに気が付いていても、
    それに向かっていないところがある。
    肝心なことは自分のことなんだよ。
    これだけは自分で決めるしかないし、貴方の素晴らしさを知っているが故にもどかしい・・・。
    八方美人は、自分を通じて騙し続けることで幸せなのだろうか。
    徹底して自分を滅することで他者の共感を得られるのだろうか。
    中途半端では結果として、誰も幸せにできていない。
    自分の顔をまじまじと見つめなさい。
    思わずほころぶ笑顔をたたえているのか。
    いわゆる八方美人は、心の中で焼却されていくしかない。
    戻りながらも進み続けるしかない。それを感じて喜びに変えられるか。
    もう一度いっておくよ。厳しいアドバイスに頭で反応してはいけない。
    バラに棘があるように意味がある。思考しても良いが、そこにある香りを感じるんだよ。
    それができなければ、その棘のみ受け取れば、自分の良さも削ってしまう・・。
    自業自得と言う言葉、これは悪い言葉じゃない。
    誰かを責める言葉でもなく、そこに愛を感じること。
    「継承していく」と言う言葉に感じるのは、自分のみで決めてはいない、決められない事。
    自分で発する言葉にすれば薄っぺらで弱い。「言葉は天の意志」忘れてはいけない。

    「継承」というのは生半価なものではないのだよ。
    我を捨てて、自らの欲を削ぎ落とした先にしか見えない・・・。
    そういうものじゃないのかな・・・と。今日も、ありがとうございます。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • なんで生きていられるのか

    ただより高いものはないと言いますが、空気や水はその代表かもしれません。
     日本でも十五年ほど前から、ミネラルウォーターを買う事は一般的になってきましたが、
    思い出してみて、私の若かった頃には水など普通に売っていませんでした。
     それどころか、高校生の時に初めてお茶を自動販売機で売り出したのを見て、「なんでお茶を売ってるの?」と、不思議に思いました。
     静岡県静岡市は、富士の雪解け水もあり、川も山も多く、雨も多く降る豊かな土地柄ですし、
    お茶は家で淹れ飲むもの、というのが常識だったからです。
     まして(二十年前当時)には、水道水も美味しくて、
    カルキ臭など全く感じませんから、運動した後にもそのままゴクゴク飲んでいました。
     なので、初めて東京OィOOーラOドで飲んだ水道水の味にはビックリ。
    思わず入ってしまった夢の国だったからでしょうか(笑)
     初めて買い求めたミネラルウォーターを美味しく感じたのです。
     美味しい水って大切なんだな・・・本気で財布を見ながら感じました。
    さてもう一つ大切なのが空気です。そして、空気のような存在と言う言葉もあります。
    気にならない存在とか、意識されない存在としての意味で使われます。
    そして、無くてはならない存在とか、失って初めてわかる存在という意味もありますね。
    空気って・・・神サマのような、仏さまのような、目には見えないけれど有難いものです。
    水も大切で有難いものです。しかしどこでも手に入るというものではありません。
    その点で空気はいつでもどこでも、いくらでも、満足するまで吸い込み放題なのです。
    お金を請求されることもなく、誰に気兼ねすることなく、
    自分のペースで、体調に合わせて、必要なだけ遠慮無く頂けるものなのです。
    よく考えてみましょう。これこそ人間にとって一番有難いものであり、これこそ無くては生きていけません。今のあこがれの人も、過去に存在したあの人も、未来に産まれるあの人も取り入れるものですから。
    なにより、大切なことは”自然”にできるように・・・と。(神サマとか仏さまかわかりませんけれど)元々あるものなんだから、勉強しなくてもできるようにしてくれたんでしょうネ。
    (しかも、それらを勉強する喜びを、しっかり残してくれた理由もあるように感じます)
    だから、それを通じて教えて頂く事もできるわけです。
    これを通じて私も少しずつ、謙虚な人間になってきました(数年前とは全く別人のようです)。
    そして今もなお、操体を通じ「息・食・動・想・環境」とは何か常に真剣に問いかけています。
    お蔭様で私達は三浦理事長のもと、操体の最前線で学び、操体の根本を教えてもらえるのです。
    ところで聞いた話ですが、
    実際に無酸素状態の部屋に知らずに入り、一息吸い込んだ人間は失神してしまうそうです。
    アラ・・・失神ですって!(サア皆さんも大きく笑って笑って)
    駄洒落ですか?い・・・いえ本当の事です。生かされているのが人間という分かり易い例です。

    聖書によれば、神は「光あれ」と言っています。
    光は空気と連動しているように感じます。そして地球という生命体を循環させている。
    ということは、光あって、空気があり、そして水を海に帰し、その間にイノチを育まれる。
    その循環の中に私たちは存在しているのでしょうネ。
    私たちは、自分の生き方を、息のつきかたに学んでいく必要があるのではないでしょうか。

    しかし変な話、息を吸っている時に「プ〜ッ」ってあるじゃないですか(しないって?)
    ワタシも日によって、腹の黒さ加減か、自分のオナラながらクサい時があります。
    ムムゥ・・ワタシの子供のオナラも三歳の割にクサいな・・。
    エッ・・アナタのオナラは十倍臭いって?(家内談)それはどうも失礼放(こ)きました。
    そう言えば、虫垂炎手術をした時に言われたことがあります「オナラが出たら教えてね」と。
    看護婦さん(当時は看護師でない)にいわれて、どうして?と、聞いたら・・、
    「ボクの”からだ”がね、元気の声を伝えてくれているのよ」と言ってくれましたっけ・・・。
    そっか!お腹の皮膚を通した空気=オナラさんゴメンなさい。遠慮なくどんどん出てきてネ。
    と、落ちが付いたところで、また明日!ありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 大丈夫マイフレンド

    「ハイ」今日も元気です、ありがとうございます。
    間にあって頂きたいの・・(キミマロさん風)
    争う 競う 闘う 相手がいなければ成り立たないことですね。
    喜び 悲しみ 怒り 不安 自分のなかで感じ取っていることです。
    老子の有名な言葉に「足るを知る」とあります。
    操体では橋本敬三先生が「人間はうまれる前から元々救われている」といいます。
    これはとても大切なこと、 同じような意味を含んでいるように感じます。
    ある実行委員勉強会の時、三浦寛理事長は、
    成長することは、「せいちょう」の文字で表すことが出来るんだよ。
    一つには「肉体の“成長”」
    一つには「霊的な“生長”」
    この二つがある、と黒板に書いて教えて頂きました。
    そもそも自分が「生かされている」とは何でしょう。
    天然自然の法則のなかで生かされているからこそ、知らなくてはならない責任も生じる。
    ここで橋本敬三先生のお話しされていた“報い”と“救い”が浮かびました。
    この二つの調和をはかりながら、自分自身という軸を立てることは大切です。
    ワタシも子供だった。そして子供と一緒にいる時、ふと教えてくれることがあります。
    軸には縦の軸と横の軸があり、その中心に位置して産まれてくるのかもしれません。
    操体で学ぶことは、自分に当てはまってくることですから、
    からだのことを真剣に学び、心を耕すことを真摯に学ぶことは、
    日々成長し、生長する自分を見つめることなのかな・・・と、そんなことを感じています。

    このことは、橋本敬三先生が操体を学ぶ方の指針として残してくれたことであります。
    そして三浦寛理事長を通じ“今もって”私たちに教えてくれていることなのです。
    それこそワタシ自身が操体から学ぶ姿勢に通じることなのです。
    あの世があるかどうか、そんなことは自分で決めたらいいのかもしれません。
    しかし、この世にいる間は「自己責任生活」として、大切な営みをもって欲しいのです。
    一つに「息」を継続して学んでいく意味であり、
    一つに「食」を通じて学んでいく姿勢であり、
    一つに「動」を通して識別していくことであり、
    一つに「想」を観じて見つめていくことではないのでしょうか。
    それは生き方そのものであって 意識の指向形態とも言えるかもしれませんネ。
    そういえば、先日の東京操体フォーラムインスペインでお世話になった、
    小野田先生は本当に操体を大切にして下さっています。
    ワタシはハッキリと感じました。やはり私たちの大先輩なのです。
    指圧の世界で有名になり、スペインのマドリッドに学校を構えて活動し二十五年以上お弟子さん達を育てながら、更に操体の神髄そのものをお弟子さんに伝えようとしています。
    余談ですが、小野田茂先生とお話ししているときに、よく「大丈夫だよ」と言われます。
    この“大丈夫”と言う言葉は、素敵な響きを感じますネ。
    このすべての文字に共通して“人”が使われている。
    三つも入っているのですから意味深長に感じますし、そこに大きな意味もあるのでしょう。
    ここで終わったら・・・尻切れトンボかもしれません。
    けれど、これ以上書き進めるとワタシ特有のクドさが爆発しそう(笑)なので、
    今日はこれで失礼します。ありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 太鼓の達人になりたい

    オイッス!(チョーさん風)ハイ!ありがとうございます。
    王子とか言われて恥ずかしい(でも嬉しい)オラ!ムーチョ岡村が担当する一週間ですよ〜バ・バン・バン(皆さんついてきてますか?)
    今回のブログでは、「操体フォーラムINスペイン」のことを書きたいな〜と思っていましたが、
    同志である山本(実行委員)監督と秋穂(実行委員)議長に書いて頂いたので満腹?気味にもなっていますよね。(本当のことを言えば「東京操体フォーラム」の“ナイトセミナー=懇親会”のようなことをここでバンバン書いてみたいのですが・・・笑)
    近くの国ではなく、飛行機でも合計で十五時間近くかかるヨーロッパですからね。
    意識の変化たるや凄まじいものがありました。(時差ボケも相当凄かったのですが・・・)
    ですから、様々な方にもお世話になり、内容は勿論、今回の機会を頂いて大変感謝しています。
    三浦理事長もスペインでお話ししてくれましたが、
    想像(イメージ)というものに実感(リアル)が伴うことで、より鮮明に脳に伝わる。
    スペインとトルコに自分の肉体を介して、師匠と同志の波動を深く感じる機会でした。
    ワタシもこのような体験を通し、脳に新たなる波動を通すルートが出来上がったように感じます。
    ふと思った事ですが、「祖国」という響きには、何とも言えない哀愁が漂っていますね。

    そういえば、海外によく出かけるワタシの弟と話をしている時、「その国に昔から伝わっているものは、子供から老人まで共通するスピリットでつながっているんだヨ」
    「ジャマイカに行っているとき、向こうの人達はみんな、ラスタマンなんだよな」
    ラスタカラーが大好きで、お爺ちゃんも手を叩く、
     若者もみんなリズムだけじゃない、レゲエを愛しているんだ」
    ふむふむ・・・確かに。音楽は民族の想いを乗せているだけでなく、文化を担っています。
    そして、患者さんでフラダンスの先生をされている方に教えて頂いたのですが、
    「元々古典的なフラ・カヒコは男性が踊っているもので、神に捧げるものですから」
    「だから、一般的な“フラ”のイメージと違うのヨ」
    なるほど・・・そうなのかな?
    興味が沸いた私は次女を連れて行き、実際にみせて頂いたのです。
    すると、響きのある”イプヘケ=太鼓?”は確かに違う。
    何というか・・アニミズム的というか、踊りを超えて天に向かい、
    何かにスピリッツを共鳴させているのが、私の肉体を通して伝わってきました。
    (隣にいた次女も無意識にムズムズしていました・・・)
    共振とか共鳴には、周囲と同調していく働きがありますよね。
    物理学でも証明されている、「ホイヘンスの振り子時計」という現象があります。
    音の鳴っていないギターの周りでギターを弾いているだけで楽器に同様の共鳴現象が生じ、結果として音が鳴る。このような現象も研究されており、その応用も科学的に検証されていますね。
    それこそ分野を問わず様々です。
    リラクゼーションミュージックで有名なα波(脳波の一種)。
    接骨院・治療院でかける電気治療でも、”1分のfゆらぎのリズム”とか書いてあります(笑)
    このような共振の波動を感じる意味はなんでしょうね。
    味わえばいい比べなくてもいいって事なのかな?
    ワタシのようにリズム感がないと思い込んでいる人間でもいいんです。
    人間でもそれぞれに敏感なところ、鈍感なところがあっても良いんです。
    感じていたらそのリズムに合ってしまったりしてネ。素直になるって事は大切なことなんですね。まず認めて、受け入れることからはじまるわけですから。
    それは結果として、とてつもなく大きなエネルギーを生む、その平和活用そのものでもあります。
    そういえば、昔読んだ本にも橋本敬三先生の本にもメトロノームを使った想念の話がありました。
    ンッ?ピンと来たぞ!!我が国には、ニッポンには操体があるじゃないか!!

    そして音楽には、様々なことにつながっているヒントが頂けるのではないでしょうか。
    ワタシの習ってきた鍼灸・指圧は勿論、捨てることなく活かす事になる!
    色々なものに通じ、行われている臨床にも通じるような・・。
    ここで大切なことをあなたに問いかけたい。
    感動とは、ナニが感じているのか?ナニを感じているのか?
    貴殿の臨床に、貴女の生活の彩りに、「コレなのよコレ」がきっと見つかる。
    そうです。つながるキーワードは、い・つ・も「操体フォーラム」へ行かなくっちゃ(ハイ)
    そうなのです!開催待ち遠しい来月の「秋期東京操体フォーラム」では、
    日本音楽療法学会認定音楽療法士東邦音楽大学専任講師の平田紀子先生をお招きいたします。
    ワタシは勿論、皆さんも愉しみですね〜!参加待ち遠しい〜ですね〜!
    我こそは!いざ参らんという皆様のご参加をお待ちしておりま〜す。
    ところで・・私のブログも一週間あります、こちらも宜しくどうぞ!!

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

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  • 師にめぐり会う

    また東京に青空がもどってまいりました。今日は一日秋を楽しみながら気持ち良く過ごせることでしょう。
    夜は満月だそうです。

    ある聖者様の本を読んでいたら、「師にめぐり会う」という話が出てきました。私達におきかえると、こうなります。
    深い愛を込めて橋本先生を思うこと、三浦先生を思うこと。たえず師とともに居るということは、心で常に師を思い、師に心の波調を合わせて、師と一体になることである。

    いかがでしょうか!

    「自然の理にかなった生活」という文章に目がとまりました。
    食物の話
    野生の動物は、自然に順応して生きるから、本能と感覚器官(視聴嗅味触)をたよりに自分で選択できるけれど、人間は感覚器官を小さい時から悪用し続けたため正しい判断がしにくくなってしまった。
    人間にとってかなった食物は何かを知るためには、観察と実験と推理とが必要である。
    そこで、歯から、消化管から、感覚器官から観察し推理した結論は、人間は果食動物であるということだった。その結果、人間にとって自然な最良の食物は、穀物、果物、根菜類、飲料は乳と空気や日光にさらされた清水である。

    なんと三浦先生の考えと同じでした。びっくりしてしまいました。

    人間は、修行してある段階に達するとみな同じ境地になるんだなあと感慨深くなりました。

    一日スキップしてしまいましたけれど、1週間お付き合いいただきありがとうございました。
    明日からみなさまお待ちかね、いろいろな肩書きをおもちの岡村さんです。お楽しみ!

    鵜原増満

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