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  • 感覚をききわけるということ

    操体が快適感覚をその指針に定めてから、随分な年月が過ぎました。
    当時は関係者の間でも物議を醸した、楽と快の違いという問題も、今では、操体はきもちのよさで治るという考え方が浸透しているかに見えます。

    しかし、現場で直面する問題として、「感覚をきき分ける」という表現に戸惑いを見せる人が多いことがあります。
    日常生活の中で、感覚を大事にする機会が少なくなっていること、他力による施術が一般的であり、受け身の姿勢である人が多いこと。
    操体は、患者が医療者の立場に立つという特徴がありますが、やはり特殊なものであるようです。

    感覚をききわけるということ自体は特別なことではありません。

    初めて操体法を受ける方と、受けなれている方では、反応の早さ、ききわけのよさに違いがあります。
    最初からスムースに動いて、きもちのよさをききわけてもらえるのなら、こんな楽なことはありません。
    その事に対処できるかどうかがプロとアマの差であるのかなと思います。
    施術者が心掛けるのは、いかにしてきもちのよさをききわけていただけるかということです。

    新規の方の場合に、スペースの余裕がある場合に必ずやっていただくのが極性をききわけるということです。
    例えば、おおまかに東西南北の四方向でどちらを向いて横になった場合がいいのか、からだにききわけてもらいます。
    最初この話をすると、きょとんとして、不思議そうな顔をされますが、実際に試してもらうと、見事にききわけられます。
    ここにヒントがある気がします。
    頭で考えて理解できていなくても、からだはちゃんとわかっているんですね。

    感覚は磨くもので研ぎ澄ますもの。
    学習することで、からだの状態、変化に気付きやすくなります。

    操者が快適感覚ということをどれだけ理解しているか、自分自身がわかっていない事を他人に理解してもらうのは無理があります。
    操者がいかにして快適感覚をききわけることができるか、これもまた現場につながる課題であるのです。

    辻知喜

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 来週は東京操体フォーラムです。

    こんばんは。今日から一週間よろしくお願いします。
    今日は年に数度の塾操体の前に、第一分析の撮影のお手伝いに行って来ました。
    操体の変遷の様子を書かれるみたいです。手技療法の記事に使用されるそうですので、ご覧下さい。

    現在の操法は、楽かつらいかを基準にしていた頃から進化して(第一分析)、専門家の行う第二分析、第三分析が主流になっています。
    ですが、まだまだ、プロとしてやっている人の中でも、快ではなく、楽で止まっている方が多いようです。
    橋本先生が、「気持ちのよさをききわければいいんだ、気持ちのよさで治るんだからな」とおっしゃって、操体は快だとの指針を示されてから、30年近くが経ちました。
    確かに、楽で行う操法も、操体の歴史を知る上で大切なものであり、上手な人が行えば効果もあります。
    でも、それ以降を知っていて行うのと、それしか知らないのでは、大きな違いがあります。
    それはもったいないことだと思います。
    操体の本の中には、楽から快に移行していく様子が書かれたものもありますので、興味がある方は探してみてください。

    来週の日曜は毎年恒例の東京操体フォーラムです。
    操体の実際の最前線を見られるチャンスですので、この機会に足を運んでみてはいかがでしょう。

    辻知喜

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違い(最終日)

    私のレーベンス・テーマ(生涯のテーマ)は、「楽と快の違い」の啓蒙です。これに大きく関連してくるのが、第1分析と第2分析の違い、動診と操法の違いです。

    以前面白い受講生がいました。元物理の先生なのですが、ある転機で先生を辞め、海外シニア協力隊に参加していたそうです。彼の希望は「苦しまないで死ねる方法が知りたい」とのことでした。講習を続けるうちに彼は「きもちよさというものがわからない」と言うようになりました「足趾の操法」をやっている最中、あるいは「渦状波」を受けている最中は誰が見てもきもちよさそうでした。からだが無意識に快に反応していることもありましたが、終わって帰る頃になると「やっぱりきもちよさはわからない」と言うのです。たまに男性で「キモチイイなんて言ったらオレの負けだ」「オトコらしくない」とか(男女の営みでどちらか先にイッたら負け!みたいな感じでしょうか。は)、そんな方がいらっしゃいますが、何だかそんな感じでもありました。
    師匠は「セックスではキモチイイというクセに(笑)絶対『楽』とは言わないはずだ(笑)」と言っておられましたが、私も「そうだなぁ」と思いました。
    そうですよ。男女にこだわりませんが、愛の営みの最中に「あ〜!楽だっ!」とか言わないではありませんか(笑)。言いますか(爆)。
    私がもしも殿方で、お相手しているオナゴが
    「あ〜、楽だ!」とか「あ〜、楽になった!」
    と反応したら、それはショックだと思います(笑)。
    これは何故でしょう。それは「楽」じゃなくて「快」だからではないでしょうか。
    ★この件に関しては、通常の「性的な快(動的なもの)」ともう一つ「性的な快(静的なもの)」があると言われていますが、それはまたの機会ということで。

    初日に書きましたが「楽」と「楽しい」は違います。
    以下ははづき虹映氏のメルマガ「すぴナビ通信」からの引用です(328,329号)。はづき氏は橋本敬三先生が書かれていること(言葉の統制、救いと報い)を、現代的に(女子に特化している気もしますが)わかりやすく説明しています。

    『 極楽 』 
    「極楽」とは、あの世のことではありません。楽しさを極めると、ただ今、そこが「極楽」になります。
    「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことです。 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になります。決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、「極楽」なのではありません。

    「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、どんどん「楽」な方に流されていくのが、自分でもわかるハズです。

    一方、「楽しい」ことを選び続けていると、 時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、自らの意志で流れに乗っていることがわかるようになるハズです。勝手に「流されている」のか、それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、「楽」と「楽しい」の違いです。

    自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼びます。

    「楽」な方に流されていく先のことを、 人は「地獄」と呼び、「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、人は「極楽」と呼ぶのでしょう。

    「迷ったら、迷わず楽しい道へ行け」という言葉があります。迷ったら、立ち止まって、どちらの道を選択すれば、自分が心の底から楽しくなるのかを考えてみましょう。周りが喜ぶ方ではありません。もちろん楽な方でも、得する方向でもありません。自分の中の「楽しさ」を基準にして、それを選択し続けていくと、その先には「極楽」が待っているのです。

    また、これは「快」を体験するとよくわかるのですが、「楽」ではなく「からだは、快に反応する」のです。

    島地勝彦氏は著書の中で「知る悲しみ」と言っています。シングルモルトでもシガーでも、いいものを知ってしまうと、ランクを下げられなくなるのです。これは「楽」と「快」でも同じです。
    またまた卑近な例で申し訳ないですが、愛の営みがひとりよがりで自分だけ良けりゃいいというお粗末(すいません)というお相手から、思いやりと愛情に満ち、からだも心も満たしてくれるお相手に巡り会ってしまったら(笑)。
    これ、結構「楽」と「快」の違いの理解にも繋がってきます。

    「楽」と「快」の違いがわからない、ということは、まだ知らないのです。その先の世界を。

    というわけで一週間ありがとうございました。フォーラムも近くなってきました。皆様にお目にかかれることを楽しみにしています

    畠山裕美

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違いで起こること(5)

    そして「楽と快の違いを指導者自身が認識する必用がある」また、時代に即した操体の実践の重要性を説いて終わりにしました。
    その後は三浦先生が操者、私が被験者役の実技です。実技前に師匠が「オレ、5分くらい喋っていいか?」と言われるので「どうぞ」と答えました。師匠はマイクを片手に会場内を歩き回り、鍼灸学校の学生さん達に向かって熱く語りかけていました。動かして感覚をききわけることの重要性、からだに優しい治療法、すなわち「きもちよさ」の効用などです。

    なお、師匠が仙台で赤門に通っていた頃は、北海道には鍼灸学校がなく、北海道の方は皆仙台の赤門で免許を取得していたそうです。実は3日程前に北海道から電話をいただきました。北海道鍼灸師会副会長の大湊さんからでした。日本統合医療学会IMJ)北海道支部にもご縁が深い方なのですが、師匠と赤門で同級生だったそうで、支部会の資料に師匠の名を見つけ、連絡を下さったのです。
    大湊さんは生憎仕事で支部会には欠席とのことでしたが、師匠とは電話で連絡がとれたとのこと。
    入り口付近で、男性に「三浦先生はどちらですか」と聞かれたので「一番前に座っている髪の毛が長いヒトです」と答えました。男性は「昔は坊主だったんですよ」と、にやりと笑いました。この方も赤門の同級生だったのです。その他にも赤門出身の鍼灸の先生が何人もいらっしゃり、にわか同窓会になっていました。

    この時点で既に10分経過(笑)。師匠にマイクを持たせるとこうなります。時間があればいいのですが、それでなくとも時間が一時間押しており、ヘタをすると飛行機に乗り遅れてしまいます(汗)。私は小声で「先生、飛行機乗れなくなっちゃいますよ」と合図を送りました。
    というわけで、実技開始となりました。

    会場の正面にベッドが一台置かれ「正面向いて腰掛けろ。上肢の伸展を第1分析、第2分析でやるぞ」

    会場の参加者に見えやすいように、背面からの介助で、上肢を天井方向に挙上しての第1分析、第2分析、更に横伸展、前方伸展、後方伸展で第2分析の実技が終わりました。会場ではカメラを構えた参加者が大勢おり、私がきもちよさを味わっているところは激写されたに違いありません(笑)
    普段、講習やセミナーなどでは、私達指導者はいくらきもちよさをききわけ、味わっていても、それに流されないように訓練しています。つまり、指導する立場にあるときは、無意識の動きなどはコントロールするようにしているのです。
    まあ、今日は味わっているところをお見せしようと、思いっきりきもちよさを味わってみました。

    勿論自分でも「自力自動の操体」はやりますが、やはりしっかりとした介助補助があると、安心してきもちよさをききわけ、味わうことができる状況は違います。
    「今、どんな感じですか」と聞かれ「思い切りきもちよさを味わってしまいました。背中がすっきりしています」と答えた次第です。

    ここで講演は終了ですが、質疑応答の時間が設けられました。ある女性は沖縄出身の保健師で、九州の某先生(橋本先生ともご縁があった産婦人科の先生)から操体を学んだということでした。彼女は20年前以上自分が学んだ操体と、今目の前で見たものが余りに違うので、驚いたようです。

    彼女の質問は「今でも、膝を左右に倒してどちらがきもちいいですか?とか自力操体(自力操体という言葉は初めて聞いたような)でカエル運動とかやってるんですが、やってもいいんでしょうか」というものでした。師匠は「きもちいいんだったら、やっていいですよ」と答えました。
    私は「どちらがきもちいいですか」という言葉が非常に気になったので、

    • 第1分析と第2分析は、動診の過程が全く違います
    • 第1分析(二者択一、楽をききわける)だったら「どちらが楽ですか、辛いですか」でも構いません
    • 第2分析(一極微、快をききわける)だったら「この動きに、きもちよさがききわけられますか?と問いかけます
    • きもちよさは二者択一ではわかりにくことが多いのです
    • 膝を左右傾倒させて『どちらがきもちいいですか』という問いかけをされるとおっしゃっていましたが、患者さんや受け手の方に『どちらがきもちいいかと聞かれても分からない』と言われ、困ったことはありませんか?

    と、聞いたところ、彼女は眉毛を八の字にして「そうなんです」と答えました。やはり困っているのです。
    どちらがきもちいいかと患者さんに聞いても「わからない」と言われるのが、操体を勉強する人の「お悩みNo.1」なのです。「どちらが」で始まったら「楽ですか、辛いですか(スムースですか)」と聞くのが道理なのです。きもちよさを問いかけるのだったら「この動きにきもちのよさがききわけられますか?」という問いかけになります。この区別が第1分析と第2分析の違いの最大のポイントです。
    更に、橋本先生は「きもちよく動け」とは言われましたが、「きもちよさを探せ」とか「きもちよさを比較対照せよ」とは言われていないのです。

    という補足をしました。この他、陽の時代、陰の時代についての質問や、貝原益軒の「養生訓」に出てくる「楽」という認識についての質問があり、私も非常に勉強になりました。

    というわけで、時計を見ると飛行機ギリギリの時間です(汗)。ご挨拶もそこそこに会場を出ると、外はもの凄い雨でした。またもやウインドブレーカーをアタマから被って走り、何とかタクシーをつかまえ、ぎりぎりの快速エアポートで千歳空港に向かったのでした。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違いで起こること(4)

    ちなみに、関西地方の方で「操体法」と「そぉ↑たいほう↓」というように発音で発音する方がおられます。東北ブラッズの私はそれを聞くと「うき〜っ!」と思う事があります。
    そういう方でも「全国操体バランス運動研究会」という時は、ふつ〜に「そうたいほう↓」とおっしゃるのは何故でしょう??あと「操体」は普通に「そうたい」という発音なのです(博多弁ぽくない)。
    これは謎といえばナゾですが、橋本先生もふつ〜に「そうたいほう」と言っておられるので、やはりふつ〜の「そうたい」あるいは「そうたいほう」が馴染み深いのです。

    また、英語で書いた場合はSotaiです。Soutaiではありません。「写真解説集」も、「万病」の英訳文も”Sotai”です。あくまでも私の推測ですが、「そぉたいほう」という発音をされる方が”Soutai”と書いたのではないかと思っています。ヘボン式だったら”Sotai” と書くでしょう。これは私が現在英語(Globish)での操体の制定テキストの作成を考えているからでもありますが、ちょっと気になるところです。

    先のマドリッド操体フォーラムでも説明したのですが、「操体」と「操体法」は違う、ということを皆さんあまりご存じないのです。最初は「操体」だったのです。体操とは全く違うから、字を逆さにしたとか、「操る体」とか色々説がありますが、実は誰が命名したのかはっきりしていないようです。これが、農文協の『現代農業』に連載する時、当時の編集者(操体関係の本が売れたので重役を経て今はアドバイザーをされているらしい)が連載を『操体法のすすめ』というように『法』という文字を入れてもいいかと橋本先生にお願いしたところ、快諾されたのだそうです。『操体のすすめ』より『操体法のすすめ』の方が確かに語呂はいいですね。
    一方橋本先生の側にいた方々は『法』という言葉がつくことによって、テクニックだと勘違いされないかという懸念の声もあったようです。現在は「法」ばかり知りたがって、肝心の自然法則の勉強、橋本哲学の勉強はあまり関係ないや、という場合もあるようですが。

    操体橋本敬三医師の考え、哲学などを含めて、操体と呼んでいる
    操体法橋本敬三医師が行っていた、臨床の部分を操体法と呼んでいる

    のように「操体法」は「操体」の一部でしかないのです。まずはこのことから説明しました。その後「何故ボディーが歪むのか」というスライドで、「息食動想+環境」について話しました。本当は「想」ってのは「明るくおおらかにポジティブに生きましょう」ということではなく、「言葉を統制する」「救いと報い」「バルの戒め」などに時間を割きたかったのですが、時間の都合でカットしました。少し残念。
    その次は「病気になる順番と治る順序」の説明。操体は、この順番が西洋医学と正反対ということ、操体には「症状疾患にとらわれず、ボディーの歪みという観点から診ている」という話をしました。
    その次に、正體術から、第1分析(楽に問いかける)と第2分析(快に問いかける)、第3分析に至る進化を説明しました。
    以下が使用したスライドの抜粋です。念のため、無断転載はお断りいたします(笑)

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違いで起こること(3)

    今回の発表の主なテーマは「時代が『陽』の時代から『陰』の時代に変わってきているのだから、『陽』の時代のやり方では間に合わなくなっている」「操体が第1分析から第2分析、第3分析あるいはそれ以上に移行しているのもそのためである」ということです。

    陽の時代と陰の時代はおよそ700年周期で巡ってくるそうです。前回の「陰」の時代はおおよそ平安時代の終わりと同時期でした。平安時代は長らく戦争がありませんでした。
    殿方が今夜通う姫の家の召使いに根回しするとか、夜は彼女の元に通うとか、翌朝前日通った彼女にラブレターを書くとか(これがヘタだとモテなかったそうで、代筆屋もいたそうです)、とにかく「色事」「恋愛」に忙しかったので戦をするヒマがなかったのです。私が高校生の頃、初めて「源氏物語」を読んだ時は「出てくるオトコのヒトがすぐ泣く!」「めそめそしてる!」と思いました。源氏の君なんぞはしょっちゅう泣いているのです。
    大分乱暴な解釈ですが、平安時代とはこんな時代だったのです。また、精神疾患が多かったのではないかという説もあります。

    愛とまぐはひの古事記

    愛とまぐはひの古事記

    これは古事記について書かれていますが、著者の大塚ひかり氏は、源氏物語に出てくる女御はみんなノイローゼか精神疾患みたいだ、というような事を書いておられます。

    2011年7月、厚生労働省は4大疾病として取り組んできた、がん、脳卒中、心臓病、糖尿病に加え、精神疾患を加えました。「陰」の時代には精神疾患が増えるのではというのはあくまで推測ですが、私の周囲の臨床家は、みな患者、クライアントの症状疾患の質が変化してきた、つまりうつ病を初めとする「こころの病」が増えてきたと感じているはずです。

    そして、平安時代の終わりと共に、武士の時代である鎌倉時代が始まりました。まさに「陰」から「陽」の時代への転換です。

    これ以降、1945年に日本が敗戦を迎えるまで(日本だけではなく、世界中の多くの国々が変わりました)続きます。勿論突然時代が転換するわけではなく、じょじょに変わって行くのですが、1945年から60数年経った今、本格的な「陰」の時代に入っているのです。

    「楽」と「快」の違いが分かっていないヒトに「違うんですよ」といくら口頭で説明してもなかなか通じません。ところが、一度「快」を味わってしまうと、「楽」では物足りなくなってしまうし、明らかに「楽」と「快」の違いを認識してくれます。これは何故かというと、からだは(イノチは)、「楽」よりも「快」を要求してくるからです。

    この辺りは東京操体フォーラムの実行委員が詳しいところです。フォーラムにお越しになって、是非直接聞いてみて下さい。

    そういえば先日「要求と欲求は違うのか」と、聞かれました。その話をキリスト教に詳しい知人に伝えたところ、「要求」は霊、「欲求」は肉なのだとのことです。橋本先生は若い頃、この「霊」と「肉」の狭間で大変悩まれたわけですが、それが「救いと報い」の違いを知ることによって「救われた」のです。
    「欲求と要求」の違いが未分ということは、「救いと報い」の違いも未分なのかもしれません。
    「楽と快の違い」も未分なのかもしれません。

    勿論人間には「欲求」も「要求」もあります。どちらがエラくてどちらがエラくないというわけではなく「この2つは違う」ということがわかればいいのです。楽と快にしても同じです。確かに「快」のほうがからだの要求度は高いですが、世の中には諸般の事情があって「快(きもちよさ)」から遠ざかっている、あるいはからだ自身が、快適感覚をシャットアウトしている場合もあるからです。もしくは、アタマが良すぎて「体感」しないで理解しようとするからでもあるでしょう。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違いで起こること(2)

    日本統合医療学会北海道支部会では、東日本大震災被災した避難所で音楽療法を行った事例を発表していました。奇しくも私の父方に縁が深い、宮城県気仙沼市の階上(はしかみ)中学校の体育館で行ったのだそうです。その次は私も10年以上お世話になっているプラセンタを使っているドクターの話がありました。響きの森クリニック院長の西谷先生は、プラセンタにツボ注射をされているようですが、私が長年お世話になっている東京のクリニックでも、先生がツボ注射をされていました。
    プラセンタ注射をしていると、献血ができないとか(これは事実)、ホルモン療法は怖いとか(何でもコワいっていう人、いますけどね)、色々な誤解があるようですが、元々は漢方薬であり(紫荷車:しかしゃ)、1950年代から使われているものです。女性ホルモンは加水分解してあるので、男性が注射しても大丈夫です。また、120度の高温で長時間殺菌されているそうです。
    西谷先生のところでは、更年期障害(特にホットフラッシュ)に効果をあげているようです(婦人科)。もともとヒトの胎盤なので、自然と言えば自然であり、漢方の注射だと思えば納得です。

    その後は「温泉療法」の研究を続けておられる北海道大学大学院の大塚先生の「温泉とその健康づくりへの応用」という発表がありました。面白かったのは、浴槽の大きさが大きいほど、体温を保つ効果があり、なおかつリラックスするのだそうです。我が家は徒歩3分のところに銭湯があるので、よく銭湯に行きます。家族がぬるいお湯が好きなのと、シャワーで済ませる傾向があるので、広くて熱いお湯に入りたいのです。銭湯には「ゆる湯」もあるので、ペットボトルを持ち込んで水を飲みながらぬる湯に入ることもあります。いずれにせよ、一度銭湯の大きな湯船に慣れてしまうと、家の風呂が何とも味気なくなってしまう理由に納得しました。
    ちなみに、地方の方が東京の銭湯に入ると熱くて驚くそうですが、東京の銭湯でうめ水を出し続けると注意されます(笑)。

    ここで既に時間が一時間ほど押していたのですが、その後に私達の発表となりました。タイトルは「陽の時代から陰の時代へ 進化する操体」です。私が前半スライドを使っての発表、後半は三浦先生が操者、私が被験者役で、第1分析と第2分析の違いの実演です。

    これが当日の抄録です

    陽の時代から陰の時代への転換期  進化する操体

    東京操体フォーラム  理事長 三浦寛 常任理事 畠山裕美

    操体法には五つの特徴がある。
    1.人体の構造を動かして診る、動診法を導入し、動きの感覚を重視している。
    2.治すことまで関与せず、からだの自然治癒力を引き出している。
    3.その為に他力的な刺激や、暴力的な力を与えず、快感度を伴う本人の自力の動きによって症状疾患の改善を図る。
    4.運動系の歪みに着目し、症状疾患にとらわれない臨床を行っている。
    5.常に生体のバランス制御を考えている。
    からだにとって、最少エネルギーで最大の効果をもたらすかである。それが、からだが要求し、選択してくる「快適感覚」である。その快に従うということが、生体のバランス制御に繋がり、命の意志に従っているということである。その選択は、からだにとって正しい方向性なのである。
    何故ボディが歪むのか。それは、環境を含む息食動想の四つの営み(自己最小限責任生活必須条件)の生命力学のバランスが関与しているからである。
    昭和初期、操体の創始者、橋本敬三医師(1897年−1993年)は、正體術という骨格矯正法に出会った。これは体を楽な動きの可動極限にまで操り、瞬間急速脱力をもって骨格系の歪みを正すものであった。時を経て、橋本敬三医師独自の哲学が加わり、操体が誕生した。そして、橋本医師が85歳を迎えた時、「楽」への問いかけから「快」への診断と操法への移行が打ち出され、4年の歳月を経て弟子の一人によって体系化された。これを第2分析としている。この分析法は、一つ一つの動きに「快」をききわけていく動診と操法である。
    しかし残念ながら一般はもとより、未だ多くの臨床家が快を認識しておらず、楽と快の混同、混乱が起きている状態にある。本日は前半を畠山による操体概論とし、後半を橋本敬三医師の直弟子であり、第2分析を体系化、確立させた三浦による実技とする。

    操体の5つの特徴、テストに出るかもしれません(笑)


    札幌ではなく、9月に訪れたトレドの大聖堂の回廊

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違いで起こること(1)

    つい先日、日本統合医療学会北海道支部の招きを受けて、北海道支部会で講演を行いました。羽田でも飛行機に乗り遅れそうになり(汗)、札幌に着いて会場近くのファミレスでお昼を食べていたら、雨がふってきたので、会場まで上着を被って走りました。
    ラーメンくらい食べてくれば良かったと思いましたが、また行けるでしょう。

    それはさておき、日本統合医療学会が何故操体に興味を持って戴いたのかというと、渉外担当の猪股千代子先生(札幌医科大学保険医療学部教授)は、宮城出身で、20年程前に宮城教育大の武田忠先生(写真でわかる子供操体法)から、操体を習われたそうで、看護師でもある猪股先生は患者さんのケアなどにも使われていたということと、日本統合医療学会でも「操体法」に興味のある鍼灸師の方々がおり、

    操体法」を特別講義としてプログラムに入れたらどうか、という提案があったからだそうです。

    現在、鍼灸の学校の教科書でも「操体法」の紹介がありますが、書いている方が、25年前以上の操体をされており、二者択一で楽なほうに動かして、瞬間急速脱力させる(第1分析)ことにこだわっておられる方なので、そのような紹介がされています。また、鍼灸の学校でもプログラムの一環として「操体法」の授業(正課ではなく、特別授業などのようです)もあるそうですが、大抵はやはり「第1分析」を教えており「操体法ってこんなもんだ」という印象のようです。

    まあ「第2分析」(ひとつひとつの動きに、快適感覚(きもちよさ)がききわけられるかという動診・分析)を学べるところはあまりないので(というか、操体法東京研究会かその関係者のところだけ)、少ないと言えば少ない。しかし三浦先生の書籍や、東京操体フォーラム実行委員などでも「操体は進化している」「第1分析(楽への問いかけ)、と第2分析(きもちよさへの問いかけ)は異なる」と、言い続けているのだけれど、世の中には「第1分析」を知っている人が圧倒的に多いのです。

    ところが「きもちよさ」という言葉がポピュラーになってきたことにより、操体実践者の中では「きもちよさ」「快」という言葉がよく使われるようになりました。

    ところがところが、実は第1分析をやっているのに言葉だけ「きもちよさ」「快」を使っているケースが大半なのです。


    Madridのフォーラムのパネル(在マドリッドの日本人向け日本語新聞に掲載されたもの)

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 楽と快の違い

    今週は急遽畠山が担当致します

    『楽と快の違い』というのは、私のレーベンス・テーマでもありますので、色々ご紹介できるかと思います。

    「楽と快の違い」という前に、「楽」と「楽しい」は違う、っていうことを認識するのが大事だと気がつきました。

    楽と快の違いがよくわからんわ、という方は、どうも「楽」と「楽しい」を混同しているのかな、という気がします。

    「楽」という漢字は元々巫女さんが病(やまい)の平癒を願って鈴を振っている姿がもとになっていると言われています。音楽は楽しいもの、祈りでありカミサマからのメッセージでもあります。

    そういう認識がある方に「楽と快は違う」というと「何でやねん!」と突っ込まれることもあります。

    楽は「流されること」、楽しい、は時には大変なこともあるけれど、自分で選んだ道なのです。
    流されること、自分で選んだこと、そういう違いなのです。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 自然の法則にみる「快」と「楽」(最終日)

    「環境」の快と楽について
    我々の暮らしの中で一番くつろぐことができるのは、「住居」であるということに対して、誰しも依存のないところだ。そこで特に「住環境」というものについて考えてみたい。
    人間の健康状態の概念というのは一言でいうと、「頭寒足熱」の状態に尽きるといってもいい。我々は常時、空気のお風呂に入っているといってもいいのではないだろうか。冷暖房を効かした住環境について考察すれば、上の方が暖かくて下の方は冷たいという、健康概念とは逆の「頭熱足寒」の状態に陥っているのがわかる。このような環境が健康に良くないのは言うまでもない。健康的な部屋の空気の流れというのは、水平方向の通風と、下から上へ還流する換気が必要なのである。
    これについては、操体法の創始者、橋本敬三医師のご子息である建築家の橋本承平技士が勧められているのは、「掃き出し窓」や「欄間」をあけるということだ。どういうことかというと、掃き出し窓や欄間をあけると、下の方へ入ってきた冷たい空気が部屋の中で温まって上から出て行く。空気の流れは、下から上へグルグルとまわる換気になるので、「頭熱足寒」の状態も解消されることになる。もし、機会があれば部屋のリフォームのときなどに施工されたら良い。このような住宅構造であれば、夏に冷房をしないで、掃き出し窓を全部開けていたとしても、プライバシーは十分に守れるのである。
    また、我が国においては、湿気の害に注意すべきことがある。田んぼや湿地の埋め立て地において、数年間の養生期間も設けずに、埋め立て後、すぐに住宅を建築するケースが多く見られる。このような家屋は地中の湿気がどんどん上がってくることになり、その湿気が蒸発するときに蒸発熱を奪うので、当然、足もとの方から冷えてくる。これでは、やはり「頭熱足寒」の状態になってしまう。理想的なことを言うと、日本の風土では木造土壁の家屋が一番合っている。木造土壁の建物は、木も土も湿気が多いときには、その湿気を吸い取り、乾いたときには逆に湿気を吐き出してくれるので、最も理想的な家屋である。こういった和風建築では、畳にしても断熱効果があり、床下の冷気を防ぐ役目もしているので、足もとの冷たさは、洋式のフローリングやPタイルと比較すると雲泥の差がある。ただし、最近出まわっているスタイロフォームのようなプラスチック製で形だけのイミテーション畳などは論外である。
    一方、文化生活を快適に送るための住居設備がいろいろと作り出されてきた現代でもある。人間の生活における理想の住環境として、温度、湿度を完璧にコントロールすることも可能になった。しかし、これらが本当の意味で快といえるのだろうか。いや違う、これらは楽に過ごすことの出来る快適設備にすぎない。これでは自然を感じることが出来ない。自然の風を、自然の光を、そして自然の匂いを嗅ぐことができて、はじめて快を感じることが出来るものである。快というのは自然環境の一部であるということを知っておく必要がある。快適な設備の楽だけでは、快感覚を味わうことが出来ないのだ。
    最後に、我々の住居の何が健康に害を及ぼしているのかを十分に理解して、「頭寒足熱」の状態を保てる方法を創意工夫することが必要だ。特に鉄筋コンクリート造の場合、風通しが悪く、常にジメジメしやすいので換気には十分に心がけるべきである。

    一週間にわたって、「息」「食」「動」「皮膚」「想」「環境」と、自然の法則を思いつくままに書いてみたのであるが、すべてを実行しようと思っても、社会生活をしている中では、なかなか思うようには行かないものだ。何も神経質になることはなく、思い出したときに出来そうなものを実行すればいいと思う。からだの使い方・動かし方にも留意して、心はいつも明るく、積極的、肯定的なことに目を向けて生きていきたいものである。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。