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  • 言葉について〜 手入れ・・・2。

    おはようございます。
    雨もあがり、爽やかな風が吹いてきました。

    昨日のつづきです。

    心は中枢神経を介してからだとつながっています。
    「怒は肝を傷り、悲は肺を傷り、驚は腎を傷り、憂は脾胃を傷り、喜は心を傷る」と昔から言われているように、からだは心のうちの感情に相応して、特定部位を圧迫するような姿位をとるようになります。
    当然、特定部位を傷らない為にも、時間・空間のかかわりの中で、からだは無意識に再び姿位を変えます。そして、その情報も意識にのぼり、心につうじており、感情とは違うところに関心が向くということも起こっていると思います。それによって、気分転換もはかられているのではないでしょうか。
    しかし、心がからだにとってマイナスの感情に縛られて、意識を覆い尽くしていれば、せっかくのからだの働きも無駄となってしまい、心とからだの不調和から、からだの不調を招いてしまいます。
    重要なのは、からだの無意識や自分を生かしめているイノチにつうじている意識を、意識するということだと思います。
    茂木健一郎氏は「準備電位と言葉」の文章の中で、端的に言えば「僕らの意識は、脳内現象の事後の合理化にすぎない」可能性が明らかにされたのです。 と書いていますが、見方を変えれば意識ほど心の構成要素の中で、無意識というものを、ピュアに捉えているものはない、ということになってくるのではないでしょうか。
    そのような意識を意識して、意識で無意識の領域を感じる。そして、無意識を想えば、からだは常に自分を肯定して守ってくれている、絶対的な存在であるということが解ってきます。正に、心とからだは2にして1、1にして2なのです。
    有り難いと感じるし、嬉しくもなります。そこに無意識の領域への手入れの鍵があり、そう感じたならば、言葉にすることです。その時フッと浮かぶ言葉は、人それぞれでしょうが、総じて心を清く、正しく、明るく前向きな方向に向ける言葉となる筈です。
    そうでなければ生きてはいられないし、人間には生かされて生きているという大前提があるからです。そして浮かんだ言葉を口から出すことで、心とからだは善い言葉で調和しながら、その方向に向き、自分や自分のまわりをそのようにしていくのです。
    まどろっこしい書き方となってしまいましたが、これらの事柄が解ったならば、もう一歩進めて、先取りしてしまえば良いのだと思います。この世に生まれてからの事は、人それぞれでしょうが、元々人間の設計にミスはなく、元々救いが成立しているイノチだという事を、まずはしっかり自覚する。つまり、確乎とした自分という存在の根拠を意識する事だと思います。つきつめていけば、これほど確乎とした絶対的なものはないのです。
    そして、自分だけでなく、イノチとからだと自分が一番よろこぶ言葉を持ち、口にするという事。それが手入れとなり、ちょっとした会話もその方向性の示される発話となり、運命もその方向に向かっていくのだと思います。

    橋本敬三先生著の「生体の歪みを正す」には、日常生活の手入れと題した文章があります。
    この中で精神面については、〜 楽しいこと、嬉しいこと、有り難いことを数え立てて、そのことを口に出し、くりかえすことにより、心はそっちに向いてくる。人は心身ともに完全設計されているという大前提を確信すれば、自信が湧き、安心していられる。このことを絶えず考え、くりかえし言葉に出して、自己暗示を深めることである。人生の運命は口から出す言葉で舵を執られるのである。〜 とあります。

    友松 誠。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”Live ONLY-ONE 46th Anniversary“は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 言葉について〜 手入れ・・・1。

    おはようございます。

    出した言葉の方向に必ず心が向く、という原則がある。
    そして、心とからだは中枢神経を介してつながっている。

    言葉を慎重に統制できる人を賢者と言い、口に戸締りのできない者を痴人(しれもの)という。
    これを頭だけで、上手くコントロールしようと思っても、無理があるようです。

    脳科学者の茂木健一郎氏は、俳人黛まどかさんとの共著「言葉で世界を変えよう 万葉集から現代俳句へ」の中で、「準備電位」と呼ばれる脳神経活動を元に、「考える前に脳が動く」ことを準備電位が示しているならば、発話という行為にも実は同じようなプロセスが当てはまるのではないか。実際脳科学の分野では、このような推測のもとに、発話における「言葉の準備」は意識以前に始まるのだと考えられています。根本的に言葉の生成に関わっているのは、いわば「無意識の領域」だということです。と書いています。

    「準備電位」については、実行委員ブログでも佐助さんが3月29日に、身体運動の面から紹介しているので、詳しくはそちらを参照していただくとして、人間は自分では自らの意思で行動しているつもりでも、意識以前に「無意識の領域」が脳を動かしているということです。つまり、イノチを宿すからだが、行動や言葉の生成の源泉になっているという事だと思います。

    茂木健一郎氏の文章を、途切れ途切れにして申し訳ないですが、「準備電位と言葉」「無意識との勝負」と題した文章の最後には、だからこそ、身体が鍵となる。無意識の宿り場は、あくまでも身体だからです。その人がどのような経験を素地とした身体性すなわち無意識の場を持っているかが、言葉の生成において非常に重要になってくるわけです。と書いています。

    その人がどのような経験を素地とした身体性すなわち無意識の場を持っているかが、言葉の生成において非常に重要ということは、日々の手入れが殊更に重要となってきます。なぜなら嫌な事、不快な事が経験の素地の大半を占めていれば、無意識に口を吐いて出る言葉も嫌な事、不快な事を表す言葉となってしまうからです。
    そして、出した言葉の方向に心が向いてしまうという原則があり、自分や自分のまわりをそのようにしてしまうからです。それが無意識の領域に刷り込まれ、年がら年中嫌な事、不快な事を表す言葉ばかりが口を吐いて出てくるようになったら、そういう運命となってしまっても仕方がないのです。もし、みんながみんなそうなってしまったら、この世は生き地獄と化してしまいます。
    だから、日々の手入れが重要となってきます。早め早めに、手入れをして嫌な事、不快な事を引きずらないようリセットしておく必要があります。
    では、どのように手入れをすれば良いか。それは明日とさせていただきます。

    友松 誠。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”Live ONLY-ONE 46th Anniversary“は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

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  •  言葉について〜 「言葉の力」の文章より。

    おはようございます。

    人は言葉によって己の周囲に現象をつくりだすといいます。
    善く思い、善き言葉を叙べれば、善き事が成り、悪しく考え、悪しき言葉を語るなら、物事は悪しくなるといいます。
    だから、想つまり、精神活動の営み、心の営みというのが大変重要になってきます。
    この、心の営みというのは、自分をとりまく様々な環境(人為、社会、自然)と息、食、動の調和の上に成り立っている。
    そして、「環境」と自己最小限必須責任条件である「息、食、動、想」は、目には見えないが鎖の輪のように密接にかかわっており、同時相関相補連動性となっています。
    言葉一つにも、発する人間まるごと全体の世界が表現されている、と言っても過言ではないと思います。
    勿論、理念のない口先だけの言葉に力はないが、心とからだ、絶対的に自在するイノチとともに本当に善いと思い、口にした言葉ならば、すぐに事が成らなくとも、目に見えない鎖の輪は善き想いの方向に、密に調和していき、必ずや時節到来を迎えるのではないでしょうか。

    今日は詩人であり、評論家であり、元日本ペンクラブ会長の大岡信氏の文章を紹介します。

     言葉の力        大岡 信

     人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。

     京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。

    「この色は何から取り出したんですか」
    「桜からです」

    と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

     私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

     考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

     このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
                   
          ― 中学校『国語2』、光村図書出版 ― より

    友松 誠。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”Live ONLY-ONE 46th Anniversary“は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

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  •  言葉について 〜俳句より。

     こんにちは。

    やわらかな若葉が輝き、その息吹が風にのり、薫ってくる季節となりました。
    この風の匂いには、あらゆる生命に分け隔てなく「生きていていいんだよ」と、優しくささやいているような、そんな雰囲気を感じます。気持ちの良い季節ですね。

    私の仕事場のまわりは、何日か前まで菜の花が真っ盛りでした。

    菜の花や月は東に日は西に
              与謝蕪村

    味わい深いですね。五、七、五という型の中で、自分の全身全霊の世界を、言葉でもって最大限に表現する。型は制約とはならず、型があるからこそ、言葉の表現が生きてくる。
    この句を読んで、マイナスイメージを持つ人は、そうそう居ないのではないでしょうか。春の光や、これから始まる生命の息吹。読む人によっては、月と日から広大なスケール感を、またそこから、陰・陽に見立て、万物の創生に想いを馳せる人も居ると思います。単に目で見たものごとの感想を伝えるという次元など超越し、目に見えるものを目に見えるようにしている、目に見えないものごとさえも、宿していると感じます。
    そして、読む人の感性に訴えかけて、その人の中で世界を創造させ、一つの作品として完成させていく。つまり、作者が自己を主張して作品とするのではなく、読む人によって作品となる。
    読む人は同じ時代の、同じ感性をもった人ばかりではない。無駄な言葉をつけるほど、より限定させてしまい、言葉の可能性を狭めてしまう。よりシンプルに、そして、太古から未来に受け継がれる、人間のリズムと同調するように五、七、五の型に納めていく。それが、時代を超え、生活スタイルの異なった人達の中にも響き、その人にとっての最高の作品となるよう、増幅しながら完成していく。
    だから、時代を経ても色あせず、言葉が生きたまま、人から人へ宿るようにして、受け継がれているのだと思います。
     操体とも何かつうじるものがあるのではないでしょうか。

    今回のブログは、言葉について感じた事や、半月前に行われた春季東京操体フォーラムで感じた事などを書いていこうと思います。
    拙い文章表現ですが、一週間どうぞ宜しくお願い致します。

    友松 誠。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 [http://www.sotai-miura.com/?p=484:title=“Live
    ONLY-ONE 46th Anniversary”]は
    2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 普段持ち歩いているバッグに、クリップでアサラトを付けています。
    アサラトというのはアフリカの楽器で、二つの木の実を紐で繋いだシンプルなものです。
    もともとは、いつでも練習できるように付けていたものなのですが。

    時々、この楽器の事を知っている人がいたりして、意外なところで話しかけられます。
    そして興味を持った方はたいがい自分でやりたがるので貸したりします。
    これは遠心力を利用して、木の実どうしがぶつかって音が出るものですが、空振りさせるタイミングなどでリズムを作ります。
    コツは、フォームと脱力なのですが、遠心力で回転している時に極力邪魔をしないことでうまくいきます。

    初めてさわる人に共通しているのは、自分で回転をつけさせたがるのと、力んで振ろうとすること。
    それをやると、却って回転が不自然になってしまい、うまく回りません。

    脱力するというと、口でいうのは簡単ですが、慣れないとなかなか出来ないものですよね。
    自分でこうしてやろうという我ではなく、自然な状態に任せることで力は抜けていくのですが練習が必要なようです。
    余計なところで力を使わない、聞こえてくる声(感覚)を無視しないことですね。普段のからだの使い方にも共通していることだと思います。

  • 「努力は好い。しかし人が努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。
    努力して居る、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。」

    幸田露伴「努力論」の一節です。
    努力する、ということも、自分の中にその意識があるうちはまだまだなのでしょうね。
    頑張ってする努力ではなく、おのずからなる努力。
    確たる目標と愛情があってこそでしょうか。

    かくありたいと思います。

  • 先日、マーラーの話が出てきましたが、ちょうどマイブームの時期で、音源を集めていました。

    マーラーといって思い出すのは、昔のCMで、「大物を育てるには天井を高くするとよい」とのキャッチコピーを使ったものがありました。曲は交響曲1番「巨人」の第三楽章。

    この言葉は、西洋のことわざからきているそうですが、天井の高い家で育つと、大らかな人間になるらしいです。
    実際のところはわかりませんが、広々とした部屋では空間認識能力が高まり、直感力が増すようです。
    日常的に過ごす空間が精神的に影響を与える部分は大きいはずですね。
    日本で高い天井というのはなかなか実現しにくいものですが、快適な空間で過ごせるようにしておきたいですね。

    天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。
    知性と想像力を合わせても天才はできない
    愛、それこそが天才の魂である
    モーツァルト

  • 映画「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督は「演出そのものが楽々とされているように観客に見えなくてはならない」とし、「観客が演出のうまさに感じ入る」といった作品は「Bクラスの域を出ない」と言っている

    シンプルに見えるものというのは、実は難しいもので、ごまかしがきかないぶん、本人の実力がまるわかりになってしまいます。

    高校2年の頃まで、ギターをやっていました。ある時、友人のバンドのライブで、ベースのメンバーが都合で出れないライブがあり、ヘルプで出ることになりました。話が来た理由が、「ギターやってるなら、ベースは簡単にできるでしょ」というありがちなものでしたが、気軽に引き受けて、苦労した思い出があります。
    見た目も似ているし、同じ用にピックを使って弾くことはできますが、同じ感覚では音を出すこと自体も難しい。
    地味でも日頃の努力が表れます。
    そんな経験もあり、その後ベースをメインでやっていくことになるのですが。

    操体の第一分析は初期の頃の操法で、二者択一で動きの分析を行います。
    連動の法則が体系づけられておらず、楽を基準にしているので、動きは予想の範囲を出ることは少ないですが、操者の技量は問われます。
    操者によって結果が変わってくるという点では実はハードルが高いのかもしれません。
    もともと医師の臨床で行われていたものなので当然ではありますが、興味を持ってみた方はこのあたりを認識していただくといいと思います。
    一度入ってみると、面白いですよ。一生楽しめる学問です。

  • 部分的なフレーズを積み重ねて音楽全体ができあがるのではなく、全体の流れの中に部分がある。各部分がしっかりしてなくてはならないのはもちろんであるが、部分にこだわると、全体が見えなくなる。
    辻栄二「アマチュアの領分」

    操体でも末端の動きから始めますが、全身の連動が大事です。
    末端からからだの中心腰を介して全身で表現してこそ本領を発揮します。
    初心者の方や、本だけの知識でやっている方はこのあたりがなかなかできていないように思います。
    「木をみて森をみず」ということのないようにしたいですね。

  • 「アマチュアよりもプロの方が基本練習をすごく丁寧に継続してやるかもしれないです。うまい選手、たとえば宮本とか井端のノックを見てると、ほんとに基本に忠実で丁寧です。(中略)アマチュアの子たちに見せてあげたいですね。」
    川相昌弘「川相二軍監督激動史」

    子供の頃の遊びといえば、鬼ごっこなどもやりましたが、だいたい野球でした。
    毎日の日課は野球中継と新聞のスポーツ欄のチェック。
    休みの日は近所の公園に集まってやっていました。
    テレビも見なくなった今では考えられないくらい熱かったのを懐かしく思います。

    筆者は90年代、バントや守備で職人と言われた川相氏。
    基本に忠実な練習を積み重ねてきたであろう人の重みのある言葉です。

    何事もそうですが、基本が大事だと言われますね。
    でも誰でもがうまくできるわけではない。基本練習は地味なことの繰り返しであることが多いですがうまい人はこれがきちんとできる人。
    「努力に勝る天才無し」
    個人的にはこの言葉には疑問ですが、地味なことでも楽しんでやれる人というのは強いと思います。

    どうせなら「好きこそものの上手なれ」のほうがいい。
    いずれにせよ精進ですね。