心とからだがしっくりといっている
内と外がうまくいっている
エネルギーの勢いと周りが衡り合って美しいフォルムを造り出している
内なる宇宙と外なる宇宙が自分という皮一枚のところで調和的に出逢っている
自分が生を受けた世を泳ぎきっている
納得している
ありがたい
いとおしい
そこに、その時、それしかない姿
半蔵
毎回このブラグを担当する時には触れているテーマである「東北関東大震災」から約一年半が経過したのだが、現在もなおその爪痕として残っているのが「心の病」である。この中で最も代表的なものとして「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」が挙げられる。PTSDとは震災や交通事故、または思いもよらぬ事故等、命に関わるような体験をした犠牲者等に見られ、ストレス障害を引き起こす疾患を言う。一言でいうならば「心の病」である。こういった「心の病」はあの震災以降年々増えてきていて、私も臨床経験は多いと言える人間ではないが、最近は心の病によってカラダが歪み病んでいる人が多いのが分かる。こういった人達に共通して言える事が過去のトラウマがあるため常に「不安」と戦っているという事である。
私達のような臨床家にとって、こういった患者が増えてきているという事はカラダの構造を診るだけでは間に合わない時代になってきているのは疑う余地のない事実である。なぜならば症状・疾患の原因が患者の心にあるケースが多いからだ。操体もこういった時代背景と共に「動き」から「感覚」を重視した臨床に変化してきた。それは施術者する側の意識も「自我」から「調和」に変わったとも言える。私は人のカラダを診る時にはカラダという外の器だけでなく心・意識といった「中の器」にも意識を向けて臨床を行うようにしている。その「中の器」の歪みが解消されれば不安との対立や己の自我との葛藤も無くなってくるのだと思っている。
また橋本先生の著書で「アンコロ餅」の話がある。難病にかかり、色々やってみたが駄目で、この世の名残りにアンコロ餅を食って死のうと思ったら、コロリと治ってしまった話を「どうにでもなれと心を病気から放下したその心機が、病をとらえていた執着心から救ってくれたものと思う」と書かれている。
病気とはその名の通り「気が病む」という事であり、それは自我の執着から生まれてくるものである。
私も正直、震災以降地面が揺れる度にあの日の事が頭の片隅で蘇る。「もし自分の大切な人がいなくなったら‥‥」「自分の大切なものすべてをなくしてしまったら‥‥」等と考える日もあった。ただ、橋本先生の著書を書き写していくうちに自分の頭の中で仮定した事で苦しむのはやめようと思ったのだ。やはり不安との戦いは執着を産み心が病む。仮に震災が起こってもありのままを受け入れ自分のやれる事をしっかりやっていこうと思っている。このような心境になれたのも自分はこの地球という器、そして自然法則の中で「生かされている」という事を意識出来るようになったからだ。こういった時代だからこそ「自分らしく」生きていく事が大切だと思う。
最後になるが操体の講習が行われている三軒茶屋のターミナルビルの玄関に色紙が飾ってある。そこには
「調和を探す」
と書かれている。
恐らく三浦先生が橋本先生から頂いたものだと思うのだがこれを見かけてからずっとこのコトバの意味を考えていた。
自分の心とカラダとの調和か?それともイノチとの調和か?または快適感覚との調和か?
色々自分の中で考えているのだが、まだ答えは分からないままである。この答えは自分の学びの中でいつか見つけていきたいと思っている。現在、わかっている事はこのコトバが心の病を患っている人を手助けする重要なキーワードとなっている事である。
一週間どうもありがとうございました。明日からは半蔵さんが担当になります。
お楽しみに。
8月2日付の新聞で「5年間で800人の被害相談」という見出しが目に留まった。人事ではないと思い、その記事に目を通してみると年々整体院に通っている人達からの被害相談が年々後を断たないというのだという。国民生活センターによると整体やカイロプラッティックでの施術による被害が半数を占め、カラダを診る側の「無免許」がクローズアップされている。サイト等を見ていても施術者側の「無免許」ばかりが目立っているのだが、その問題よりも私はカラダを診る側の意識に問題あるように思える。それは「カラダの要求感覚」を施術者自身が決めつけているという事である。
現在、鍼灸•あんま•指圧等の治療法の技術は偉大な先人達の努力の積み重ねで本当に素晴らしいものである。しかし時代の流れと共にこれまでの「他力」という治療では間に合わなくなってきているような気がするのだ。もし「間に合っている」のならば冒頭で書いたような事はまず起こらない。仮に起こったとしてもこれだけの被害件数には至らないと思う。こういったことからも現在の医学は被験者の「カラダの声」にもっと目を向けなければならないと日々感じている。
橋本先生は著書でこのように書き残している。
「今までの治療はみんな他力だ。確かに効いたという事実はあるけれども、結果的に効いたというにすぎない。他力だとね、どうしてもコースが決まってくる。人間のからだは微妙だから、そのコースにうまくはまればいいが、はずれないという保証はない。」と述べている。
「この症状にはこの治療法が効く。」「ここが腫れている。だからここを押してみよう。」といった治療は結果として治ったとしても橋本先生が言われている通り、それは結果的に治ったのであって100%治る保証は無い。ではこの確率をいかに100に近づけられるか。それはそのプロセスの中で患者自身の「感覚の聞き分け」ではないだろうか?いかなる治療においても患者の感覚を無視し過ぎているような気がしてならない。私も怪我をする度に様々な治療を受けたが治療中にカラダの感覚を聞かれた事は一度もない。やはりほとんどの施術は「他力」であった。このような経験があったからこそ、カラダを診る側の人間は被験者の「カラダの声」を無視してはならないのだと強く思うのだ。そしていかなる治療法を用いても最終的には「カラダが治してくれている」という事を忘れてはならない。風邪にしても頭痛にしてもよく「薬を飲んだら治った」という人がいるが、それは薬によってカラダの治癒力が引き出されたのであって治ったのは薬のおかげだけではないのである。そういった事からも施術者、そして患者も「治すことはカラダに任せれば良い」という意識でカラダと向き合えれば最初に書いた現在の問題も少しは改善されていくのではないのだろうか?
橋本先生の語録と向き合っている中で自分は「日々、自分のカラダと向き合えているのか」と自問自答するようになった。
人間のカラダにしても脳にしても長い間メンテナンスしていなければ機械と同じようにサビがつく。培ってきた技術にしても同じ事が言える。一週間何もせずに使っていなければ「勘」は鈍るし、取り戻すのにそれなりの時間を費やす。
よくプロのスポーツ選手は二日休むと休む前の状態に戻すのにそれ以上の日数を費やすと言われている。そのためシーズンオフ以外は二日以上の休みはまずない。私が部活でサッカーをしていた時もそうであった。それはスポーツをしていない人にも言えることで「使わせて頂いているカラダ」である以上は日々カラダの声に少しでも耳を傾け、悲鳴をあげているようならその悲鳴を和らげてあげるのが最低限の「責任」なのである。
私はこういった悲鳴があがらないように日々カラダの声に耳を傾け、その声に出来るだけ応えられるように努めているのだが、それ以上に大切に思うのがカラダと現在自分を生かさせてくれている全てのものに「ありがとう」と言える生き方をしなければならないという事である。
ここで橋本先生の「からだの設計にミスはない」のP38に私の好きな1文があるので紹介したい。
「大自然の原理として、人間は誰でも健康で幸福に一生をおくれるようにチャンと設計されているのだ。それが実現されないのは生き方が自然法則からはずれているためで、この法則にそむくと身心の姿と動きに歪みが生じ、身心のバランスがくずれて病気になるのだ」
私は子供の時に原因不明の目の病気や、盲腸等で何回か病院でお世話になった。その度に「なんで自分ばっかり‥」等と自分以外の何かを責める事があったのだが、この橋本先生のコトバを見てからは自分が病気になった事も現在の自分を形成する一つの糧にするようになった。
私が現在操体を学び、人のカラダを診る側の人間としているのも子供の時の経験が導いてくれたように思えてならない。三浦先生が橋本先生と出会い現在があるように私も橋本先生の本との出会いがあり現在がある。やはり自分の運命を変えてくれた人や本は自分のカラダと同じ位に大切にしていかなければならないと思う。
話を戻すが橋本先生のこの言葉から学んだ事は怪我や病気になった時にはまずは自分に「ごめんなさい」と言うことである。怪我や病気になるのは誰のせいでもなく自分の生き方に何か問題があるからそうなるのであって、自分以外の物のせいにするのは筋違いである。そうなった時は潔く自分の間違いを受け入れ謝る事が治る最短の道のりなのである。
人のカラダには利き腕、利き足、利き目があるように、利き耳があると言われている。私自身これを調べるまで利き耳は全く意識していなかったのだが、自分のカラダを通して体感してみるとこういった事は間違いなくある。携帯電話で左右両方の耳で話をしてみた感じだと右の耳は聞き取りやすく話の内容がスムーズに入ってくるのに対し、左の耳は非常に聞き取りにくい。こういった利き耳の実験を「あるある大辞典」でも行っていたそうだが左の耳が利き耳だと判断能力が遅れるという結果だったそうだ。これは右の耳は左脳、左の耳は右脳に情報伝達がされていて、右脳には言語の情報を処理する機能がないからだと言われている。こういった事を踏まえると能との相関性から「右の耳を利かせた方が良い」ということになる。
このような「利き耳」に関しての定義には賛成なのだが、この相関性は能だけではないような気がするのだ。私は人間の五感全てに「利き」があり、それは普段からのカラダの癖や重心等も微妙に関係しているのだと思っている。
橋本先生の著書には左右の利きは目や手ばかりでなく、鼻や足にも、皆あると書かれている。それは「確定的なものではなかろうか」と前置きしたうえで、カラダの骨格、体重心の関係があるのではないかと述べている。この文を読んだ時に野球選手の右打ち・左打ちが思い浮かんだ。野球をやったことがある人なら分かると思うのだが、打者は右投げ左打ち、左投げ右打ちというように利き腕の方のバッターボックスに入るとは限らないという事である。これは利き腕だけでなく利き足と五感全ての利きとの相関性があって右打ちにするのか左に打ちにするのかを決めているのだと思う。こういった事からも人間の五感には「利き」があり、それはカラダとも関係している言える。これは人間が理に適うように無意識の習慣として自然に身につけてきた知恵なのだろう。
やはり人はカラダを使わせて頂いている以上は理に適ったルールを知っておくべきである。現在、三浦先生の下で操体を学びに来ている人達は利き手に応じたカラダの使い方を勉強している。そのカラダの使い方の法則は五感にまで意識が向けられている。こういった事を学んでいくとカラダの使い方のルールは本当に奥が深い事が理解出来、そしていかに自分が身勝手にカラダを使っていたかがよく分かる。
今日は橋本先生の哲学を知る上で重要なキーワードである「原始感覚」について書いていきたい。
橋本先生は著書において原始感覚を「カン」と書かれている。人間はその「カン」に従って自分のカラダに合った行動をとったり食物をとったりする「知恵」を持っていたと説かれている。しかし現代人はこういった「知恵」には意識を向けずにマスコミや雑誌が取り上げる健康法やカラダに良いとされる「知識」に必死にすがりついてしまうのである。残念ながら「知識」には目が向くが「知恵」には目が向けられないのが現状なのだ。その「知識」が健康の維持、増進に繋がっているのならば問題はないのだが「あっちが痛い、こっちが痛い」といった結果を残念ながら生み出してしまっている。つまり「知識」が生かされていないのである。本来ならば食するにしても動くにしても全ての責任は己にあるので「知恵」を生かし「カラダに聞き分ける」事さえすればこういった事もなくなってくる。人間が作り出してきた「知識」よりも元々在る「知恵」を活かしていく事の方がカラダも喜ぶし、大切にしていかなければならないものなのだ。もちろん「知識」なくして人は生きてはいけないだろう。ただ、その「知識」も持っているだけなら何の役にも立たない。「知識」も使って生かされ、初めて「知恵」となるのである。
人間は本来自然法則に乗っ取った自分の食性や理に適ったカラダの使い方のルールを生まれながらに備え持っている。つまりそれは原始感覚であり、そのベクトルが「気持ちが良い」という快適感覚に向かえば心やカラダが病むことはまずない。それが「不快」というベクトルに向いてしまうから病んでしまうのである。三浦先生は講義で「原始感覚には楽か辛いかという識別はない。快か不快かである」と言われていた。つまり生まれつき備え持っている「知恵」を生かす事が出来れば、自ずと己の命の方向性は「快」に向かっていくのである。ただ人はその「知恵」の使い方が分からないから「知識」に頼り「不快」という命の要求していない感覚を無意識に受け入れてしまうのである。私自身も人間が本来、備え持っている「知恵」を大切にし自分のカラダと向き合っていかなければならないと思っている。それにはまず「知識」をインプットするだけでなくこういった機会に積極的にアウトプットする「循環」をしていこうと思う。
今日はこの位にしておきます。 続きはまたあした。
操体では橋本先生の時代から現在に至るまで「腰(現在では骨盤)をカラダの要」としたカラダの使い方(身体運動の法則)を説き、その進化は現在も止まらない。
この法則を自分のカラダを通して学習してきた事で自分のカラダの歪みが大幅に改善され、そして少しずつではあるがカラダの使い方のルールを理解出来るようになってきた。私自身この学習の中で人間の本来のカラダの動きには「肩甲骨」の作動が欠かせないという気付きがあったのだ。「肩甲骨」の「甲」とはその字の通り甲羅という意味で亀の甲羅のように背中にくっついているイメージから名前が付けられている。そして「つなぎの骨」と言われていて背中と上肢をつなぐ役割を果たしているのだが、私の肩甲骨に対するイメージは野球でいう「二番バッター」で「縁の下の力持ち」みたいなイメージである。つまり肩甲骨とその周辺の筋肉の働きがなければ上腕や背骨、首、骨盤等は本来の役割を果たせないのである。
肩甲骨は臨床に携わっている者であれば必ず診る箇所であるのだが、一般の人は意外に意識が向けられない。意識が向けられない分、その周辺の筋肉も他の筋肉に比べて使用頻度が明らかに少ないのでガチガチに固まってしまうのだ。これは前鋸筋や肩甲下筋が固まってしまったことにより肩甲骨の動きが鈍くなってしまっているからだと言われている。
操体では普段使わない筋肉をよく使うのだが、確かに日常生活において意識が向かない細かな筋肉を使っているのが分かる。肩甲骨もその一つでこれが上手く使えないと、どうしても腕力で対応してしまったり、上手に全身形態の連動が出来なかったりする。
動物の「四足歩行」を見てみてもいかに肩甲骨が大切か理解出来る。例えば哺乳類は歩行上の欠点を無くす為に肩甲骨をカラダの側面に移動させたと言われている。その進化によって以前よりはるかに速く走る•歩く事が出来るようになったのだ。私自身も肩甲骨を開放出来た事で利き手と利き手ではない手の左右差がなくなったという経験がある。これは肩甲骨が使えるようになった事で小指がより利いてきた証拠だと思う。
余談だが昨日、今月から新たに始まった講習で全身形態の連動と肩甲骨の相関性に関する話があった。仰向けに寝て、上腕は真横の状態で膝を曲げる。この状態から親指を利かせながら上腕の押し込みと引き込みを行うのと小指を利かせながら行うのでは全身形態の連動性は変わってくるのだが、その違いを生み出しているのは肩甲骨の動きであった。全身形態が上手く連動していない人は肩甲骨が上手く使えていないのである。もちろん連動が理に適っていない理由はそれだけではないのだが、カラダの構造を操る上で肩甲骨が重要な役割を果たしているのはこういった事からも分かる。
最後になるが骨盤がカラダの要ならば、この肩甲骨は動きの要だと私は捉えている。こういった事からも肩甲骨を生かす事はまさに自然が与えた「知恵」であると思う。
続きはまたあした。
こんにちは。一週間宜しくお願い致します。
一ヶ月位前から橋本先生の「カラダの設計にミスはない」を原稿用紙に移す作業を始めた。一日に最低でも原稿用紙3枚を目標にし、毎日欠かす事なく継続してきた.
なぜこのような作業を始めたかというと橋本先生の哲学や思想、そしてこの本が書きあがるまでの「努力」を少しでも体感したかったからである。本というのは本当に有難い物で書いた人の何年、何十年かけて学んできた事がほんのわずかなお金と時間で手にはいってしまう。そういった便利な世の中だからこそ本の有難さを見失いそうになる。本当に心の奥底から大切にしている本こそ何回も読み返すなり、書き写すと言った「敬意」を払わなくては書いた人に失礼だと思うようになった。こういった事を少しずつ分かってきたからこそ読むだけなく、その内容を書き写すことこそが自分には必要だと思いこの作業を始めたのだ。
このように日々、橋本先生の言葉と向き合っていくうちに本を読むだけでは分からない「人間•橋本敬三」の魅力が見えてくるようになった。私の家には橋本先生の写真が飾ってあり、幼い頃から何者かも分からぬその不思議な魅力に惹き付けられていた。もしかしたら私の操体との出会いはこの時からだったのかもしれない。その写真の橋本先生はいつも私の心に在った。昔はその写真の雰囲気から多くを語らない「聖人」のようなイメージであったのだが本の一語一句と向き合っていく中で温厚な人柄、少年のような心、誰もが惹かれる品性等、今まで私が持っていたイメージと違った一面を見る事が出来たのだ。
また橋本先生の哲学に関して私なりに新たな「気付き」を得る事もあった。
存知ている人も多いと思うが橋本先生が現役の時の操体は「楽か辛いか」という正体術を基にした診断法(D1)しか無かったのだが、著書を書き写していくうちに自分の「勘違い」に気が付いたのだ。それは橋本先生は現役の頃から「気持ちの良さ」をテーマにした臨床のビジョンを持っていたという事である。橋本先生は著書において「気持ちのいいことは何をしてもいい。苦しい方、痛い方に動くのではなく、ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい」と書かれている。また現役で臨床をされていた時に陥没骨折の患者に対し圧痛点を押してそこが「気持ちが良い」のでそこを押し続けるという事もされていた。こういった事から操体の将来のビジョンとして「気持ちの良さ」つまり快適感覚をテーマにする構想を持っていたと察する。しかし、それを体型化していく時間が無かった為、三浦先生や今先生をはじめとする後を託せる弟子達にその体系化を託していったのだ。そういった橋本先生の意思が継承されて現在の操体がある。だがその意思が操体に携わっている全ての人達に継承されているわけではない。それは当時の技術(楽)が継承されていても進化(快)していないということである。最近三浦先生はこういった事を言われていた、
「継承と転用は違う」
ただ学んでその技術だけを引き継いでいくのでは弟子ではなく、ただの受講生にしかならない。もし「弟子」として師の意思を継承し操体の看板を出すのなら師が成し得なかったものを体系化していく「義務」がある。それは人事ではなく自分事であるということである。そういった事を肝に銘じて精進していきたい。
続きはまた明日。
3年4組、5組合同同窓会。
私の母校は、九州の博多にある私立福岡東高校です。私は、その10期生。今から48年前になりますネ。クラスは4組。5組には中学校のポン友 Fuji Kasiroが在籍していた。彼とは中学時代三ヶ月同じクラス。そして席順は彼が私の前、常に成績表、二人ともドンジリの背比べの落ちこぼれもいいところであった。中学校は当中学校、一学年16クラス。一クラス50人の生徒が、箱詰めのミカン状態、団塊の世代は少年時代から、過激なバトルの中である。勉強嫌いな我々に、人生の光が差し込んでくるんだろうか、と思えた。学校が引ければ「唐人町」にあった、彼の家にたむろして寝食を共にする。彼のお袋さんは、あこがれの女性であった。イキで、しびれるようなタンカを切る。「○○生命」会社の、腕利きの保険セールスウーマンであった。顔をあわせるたびに「寛、ヒロシ」と、我が子のように呼び捨て、可愛がってくれた。中学の頃から「何々らしくせんばいかんよ」と、らしく、らしさをやかましく説教された。
当時のわが母校、東福岡高校は県内最大のボンクラ校だった。東福岡と名乗ると顔をそむけれらるような、ひどい高校、悪ガキボンクラの収容所のような感じだった。手の焼ける悪ガキがゴロゴロ集まっていた。私は担任の制止を振り切って、かなりレベルの高い県立高校(福岡中央高校)を受験したが、見事に落ちてしまった。どこいくあてもなく、東福岡に入ってしまった。しかし入学してみると、いごごちが良くなってしまった。良きにつけ悪きにつけ一人独りの個性を活かせることができたのだ。大学出たての若い先生がゴロゴロいてくれたのだ。私も生き返った思いで、三年間を過ごすことができた。しかし、相変わらず勉強嫌いは健在、興味がわかず、柔道部と美術部をかけもちで、ありあまる若いエネルギーを消化していた。喧嘩もしたが、とにかく悪ガキから目をつけられても負けたことはない。
小学校にあがる前から、赤帯のじいさんと黒帯の父から、しこたま柔道に励んでいたのだから、不良を相手にしていても、結局友達になってしまう。三浦には手をださんほうがいい、と一目おかれた存在だったようだ。
今の東福岡高は、県内唯一の進学校に生まれ変わってしまったようだ。生徒数も県内一のようです。
文武両立した男子校。私のように地方にいた者にとっては、母校の存在は大きな支えになっています。存在意識の変革を見事に成している母校だと思います。
そんな私も母校を卒業し、生まれ故郷の宮城に戻り、橋本敬三先生との運命のご縁を頂いて、只今の自分を迎えているのですから感謝、感謝の一言です。
昨年も同窓会に顔を出しました。48年も経ちますと誰が先生でで生徒なのか見境がつかづ、同級生のつもりで話していた相手が、あとで先生とわかり、いや失礼御免なさいいう一面もありで。。
団塊の世代の私達も、現役をしりぞいている連中が大半をしめる。昔のことを話せても、これから先の事が語れない。これからの人生が語れなくなってしまうのも、寂しいですね。「今までの人生は、これからの出発だ」なんてイキのいいことを言える仲間は少ないですからネ。
人生そのものが本業、これが面白い。
なかなかかっこいいでしょう。僕はそんな70代、80代、90代、100代まで迎えようとしています。
連塾の親分、松岡正剛氏が、これからの生き方について書いています。鞄の中には文房具があふれ、こよなく女性を愛しつづけ、一生タバコを吸い続けると。格好いいですね。