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  • 『ひやり・はっとより、はっとしてグーを』

    そういえば最近自転車で通勤する方が増えましたね。自転車で通勤する方達の事をツーキニストと呼ぶそうです。ここ最近の健康ブームやエコブームと街のお洒落さんの支持を得てこのツーキニストさんが異常発生している模様です。私の住む福岡の町も例に漏れずツーキニストさんが急増しており、何を隠そうわたくし秋穂もツーキニストのひとりです。

    自転車で通勤していて驚かされる事があります。自転車のマナーの悪さです。歩道を走るだけならまだしも、携帯電話やスマートホンをいじりながら走ってみたり、赤信号で車が走っている前を平気で横切ったり、暴走族が信号で止まっているこのご時世に本当に乱暴な運転をしている方が多いのです。自転車に運転免許がないからルーズになってしなっているのかもしれませんが、自転車と云えどもやはり車両です。万が一事故を起こしてしまった場合には、懲役も科せられますし、罰金だってあるのです。しかし懲役や罰金があるから交通ルールを守りなさいというのではなく。ルールやマナーは私達が快適に過ごす為のマニュアルだと思って自分だけではなく、周囲のみんなが快適に通行出来る様にする為にも安全運転をする方がハッピーなことではないでしょうか。

    そういえば三浦理事長と一緒に街を歩いていると、信号無視をしている自転車の前に立ちはだかり注意している姿を良く見かけます。始めは何故理事長自身の身を危険に曝してまで自転車を注意しているのかと疑問に思いましたが、最近ポンっと腑に落ちた事があります。先生は私達弟子に操体の臨床は治療だけ上手くやっていれば良い訳ではない、生き方の姿勢が問われて来るんだよと度々指導してくださる。いくら治療の技術や知識ばかりを磨いたところで、実際に治療する人間が勝手気ままに不摂生しているようではその姿勢というものは臨床態度に少なからず影響してくる。私も恥ずかしながら鉛筆の持ち方をこの夏に指摘され現在修正真っ最中です。なにもこれは私達臨床家にだけ言える事ではありません。この生き方の姿勢というものはその人のからだの姿勢にも影響して来ますし、その人のイノチの在り方にも影響して来るのです。

    操体を学んでいる方にとってはもう飽きる程聞かれた話だとは思いますが、交通ルールと同じ様に私達のからだにもからだの動かし方と使い方のルールがあります。これが身体運動の法則です。そして私達は絶対に人に変わっては貰えない生命エネルギーのインプットである呼吸と食事、そして生命エネルギーのアウトプットである運動と精神活動のバランスがそれぞれ絶妙に関与し合って健康なからだを維持しています。これら四つの生命活動とそれを取り巻く生活環境も含めて最小限責任生活といいます。この極シンプルなからだの基本となる原理原則を守っていれば健康でハッピーに生きられる様になっているのですが、このうちのどれかを不摂生してバランスを崩してしまうとからだの姿勢は崩れ、不定愁訴と呼ばれる異常感覚が起こり、それでも放って置くとからだは壊れてとんでもない事になります。

    しかしこの交通ルールもからだのルールも、それに違反したからといってすぐに問題が起こる訳ではないのです。勿論その程度の問題によっては即何らかのトラブルが起こる事もあるかもしれませんが、なにも弁護士を立てて法廷で争わなくてもなくても、きちんと執行猶予が付いて来てくれるのです。自転車でちょっと信号無視したからと言ってすぐに事故に遭う事はないとは思います。勿論運転者も車が通っていないのを見計らって信号無視をするのですから、いきなり事故に遭う事は少ないと思いますし、たまの飲み会でちょっと位食べ過ぎや飲み過ぎをしたって、すぐに病気になる事はあまりないと思います。しかしこれらのルール違反は必ずペナルティーを持っています。人は良い事も悪い事も慣れます。最初は「今日は車も通っていないし、遅刻しそうだから信号無視しちゃうか。」と罪悪感を感じながら信号無視をしていた人も、次の日も、また次の日もと繰り返しているたびに、感覚が麻痺して赤信号も車が走っていなければ青信号にみえて来ますし、「今日は会社の飲み会だから飲み過ぎていいよね〜。」と油断していた人も、次の日は女子会、その次の日はコンパと続けているうちに、なんだか飲まないとやってられなくなってしまうのです。そうですイヤよ、イヤよも、いつの間にか好きになってしまうのです。

    慣れは注意力を低下させ『ひやり・はっと』の原因になってしまいまいます。労災事故を専門に解析した『ハインリッヒの法則』では、1件の重大事故の影には29件の軽微な事故と800件のひやり・はっとがあるとの統計が出ています。これを飲み会に当てはめてみると800回の飲み会は29回の二日酔いと1回の胃潰瘍の可能性を秘めているといえますし、信号無視に当てはめると800回の信号無視は29回の軽傷の接触事故と1回の死亡事故に繋がる可能性があるということになるではないですか。もう信号無視をしている場合ではありませんよ。病気になったと云ってもからだが悪いのではありません。病気になる様に無理をさせてしまった使い方が悪いのです。罪を憎んでからだ憎まずです。この事をよ〜く知ってあるから三浦理事長は自らの危険を顧みずに自転車を止めに行くのでしょう。三浦理事長はいっていました。「目の前でからだを張って止めようとしても誰も止りゃ〜しない。」それでもまた今日も三浦理事長は世界の健康を守るため、信号無視の自転車を注意し続けている事でしょう。こんな師匠を持ったから、私は絶対信号無視はいたしません。(断言)

    そういえば三浦理事長の在籍時代、赤門鍼灸柔整学校に講師として通ってくる橋本先生も自転車ツーキニストだったそうです。今も昔もお洒落な人は自転車に乗っていたんですね。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『満ち足りた物足りなさ』

    昨日は刺激の強い食べ物の過剰摂取が問題になっているようですよと云う内容で書かせていただきましたが、この刺激の強いものというのは何も食べ物に限ったものではありません。私達のからだに外から入ってくる刺激は全てストレッサーになりうるのですから、運動や労働により与えられる身体面へのストレッサーや、情報やコミュニケーションによる心理面へのストレッサー、騒音や環境破壊等から来る環境面へのストレッサーなど、私達の生活を取り巻くありとあらゆるものが私達のからだに取ってストレッサーとなりうる可能性があるということです。これは勿論、ネガティブなストレッサーばかりではなく、嬉しい・楽しいなどのボジティブな内容の刺激であっても過剰になってしまえば、からだに取って有害な刺激になるとも言えます。橋本先生の中に赤ん坊がお乳を欲しがるからと言ってすぐに母親が与えていると軟弱な子供に育ってしまうから、お乳を欲しがって泣き始めても、一度泣きつかれてウトウトと眠り始め、再び目を覚ましより一層強くなき始めるまでお乳を与えるべきではないという文章が書いてありました。その様に一度飢餓状態を覚えたこの方がお乳の飲む力が強くなるし忍耐強い子供が育つのだということです。

    しかしこれは必ずしも子供だけに限るものではないのではないでしょうか。好きな時に好きなだけおっぱいを飲んで育った子供が社会に出て経済的に自立してみると今度はお金を払えばそれなりに不自由無く満ち足りた生活を送る事が出来る様になります。この不自由のない満ち足りた生活の危険性に対してソニー創業者の井深大氏が著書『0歳からの母親大作戦』の中でこのように書いておられました。

    幼児教育に限らず、私は現在の教育問題の1つは与え過ぎにあると思っています。教育という言葉は、教えるものが教えられるものに与えるというイメージを強く持っていますが、教育には与えないと云うやり方もあるのです。教育の大きな牽引力は、満ち足りたりたいところにあり、そこから集中力や努力もうまれて来るのです。人間は満ち足りないからこそ。それを得ようと努力し、大きな仕事も成し遂げる事が出来るといえましょう。

    私は戦後生まれの両親から育った第2次ベビーブームの真っ只中に産まれました。産まれた頃には日本も経済的に成長し物質的に恵まれた中で産まれて来た世代といっても良いでしょう。私達と比べてみると戦前生まれの橋本先生や、戦後のモノがない時代に産まれた三浦理事長の年代の方達は本当の意味で飢餓状態を実体験されてあるのではないでしょうか。橋本先生は若い頃から医学会に向けて、ボディーの歪みへの理解と未病医学の重要性を提唱し続けても70歳を過ぎる当たりまでは全くと言って相手にされなかったそうですし、三浦理事長も橋本先生が残した快適感覚をききわける診断と操法を周囲の冷ややかな眼差しを受けながら構築して来ました。この周囲からの軋轢を克服し1つの物事を成して行くと云うバイタリティーは確かにその満ち足りなさを自らの努力で克服した事によって得られたエネルギーなのかも知れません。

    『足るを知る』事はとても大切な事だとは思いますが、足る知った上でその足りないものを求めようという探究心も私達求学者が持たなければならない必須条件なのかもしれません。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『ひやり・はっとより、はっとしてグーを』

    そういえば最近自転車で通勤する方が増えましたね。自転車で通勤する方達の事をツーキニストと呼ぶそうです。ここ最近の健康ブームやエコブームと街のお洒落さんの支持を得てこのツーキニストさんが異常発生している模様です。私の住む福岡の町も例に漏れずツーキニストさんが急増しており、何を隠そうわたくし秋穂もツーキニストのひとりです。

    自転車で通勤していて驚かされる事があります。自転車のマナーの悪さです。歩道を走るだけならまだしも、携帯電話やスマートホンをいじりながら走ってみたり、赤信号で車が走っている前を平気で横切ったり、暴走族が信号で止まっているこのご時世に本当に乱暴な運転をしている方が多いのです。自転車に運転免許がないからルーズになってしなっているのかもしれませんが、自転車と云えどもやはり車両です。万が一事故を起こしてしまった場合には、懲役も科せられますし、罰金だってあるのです。しかし懲役や罰金があるから交通ルールを守りなさいというのではなく。ルールやマナーは私達が快適に過ごす為のマニュアルだと思って自分だけではなく、周囲のみんなが快適に通行出来る様にする為にも安全運転をする方がハッピーなことではないでしょうか。

    そういえば三浦理事長と一緒に街を歩いていると、信号無視をしている自転車の前に立ちはだかり注意している姿を良く見かけます。始めは何故理事長自身の身を危険に曝してまで自転車を注意しているのかと疑問に思いましたが、最近ポンっと腑に落ちた事があります。先生は私達弟子に操体の臨床は治療だけ上手くやっていれば良い訳ではない、生き方の姿勢が問われて来るんだよと度々指導してくださる。いくら治療の技術や知識ばかりを磨いたところで、実際に治療する人間が勝手気ままに不摂生しているようではその姿勢というものは臨床態度に少なからず影響してくる。私も恥ずかしながら鉛筆の持ち方をこの夏に指摘され現在修正真っ最中です。なにもこれは私達臨床家にだけ言える事ではありません。この生き方の姿勢というものはその人のからだの姿勢にも影響して来ますし、その人のイノチの在り方にも影響して来るのです。

    操体を学んでいる方にとってはもう飽きる程聞かれた話だとは思いますが、交通ルールと同じ様に私達のからだにもからだの動かし方と使い方のルールがあります。これが身体運動の法則です。そして私達は絶対に人に変わっては貰えない生命エネルギーのインプットである呼吸と食事、そして生命エネルギーのアウトプットである運動と精神活動のバランスがそれぞれ絶妙に関与し合って健康なからだを維持しています。これら四つの生命活動とそれを取り巻く生活環境も含めて最小限責任生活といいます。この極シンプルなからだの基本となる原理原則を守っていれば健康でハッピーに生きられる様になっているのですが、このうちのどれかを不摂生してバランスを崩してしまうとからだの姿勢は崩れ、不定愁訴と呼ばれる異常感覚が起こり、それでも放って置くとからだは壊れてとんでもない事になります。

    しかしこの交通ルールもからだのルールも、それに違反したからといってすぐに問題が起こる訳ではないのです。勿論その程度の問題によっては即何らかのトラブルが起こる事もあるかもしれませんが、なにも弁護士を立てて法廷で争わなくてもなくても、きちんと執行猶予が付いて来てくれるのです。自転車でちょっと信号無視したからと言ってすぐに事故に遭う事はないとは思います。勿論運転者も車が通っていないのを見計らって信号無視をするのですから、いきなり事故に遭う事は少ないと思いますし、たまの飲み会でちょっと位食べ過ぎや飲み過ぎをしたって、すぐに病気になる事はあまりないと思います。しかしこれらのルール違反は必ずペナルティーを持っています。人は良い事も悪い事も慣れます。最初は「今日は車も通っていないし、遅刻しそうだから信号無視しちゃうか。」と罪悪感を感じながら信号無視をしていた人も、次の日も、また次の日もと繰り返しているたびに、感覚が麻痺して赤信号も車が走っていなければ青信号にみえて来ますし、「今日は会社の飲み会だから飲み過ぎていいよね〜。」と油断していた人も、次の日は女子会、その次の日はコンパと続けているうちに、なんだか飲まないとやってられなくなってしまうのです。そうですイヤよ、イヤよも、いつの間にか好きになってしまうのです。

    慣れは注意力を低下させ『ひやり・はっと』の原因になってしまいまいます。労災事故を専門に解析した『ハインリッヒの法則』では、1件の重大事故の影には29件の軽微な事故と800件のひやり・はっとがあるとの統計が出ています。これを飲み会に当てはめてみると800回の飲み会は29回の二日酔いと1回の胃潰瘍の可能性を秘めているといえますし、信号無視に当てはめると800回の信号無視は29回の軽傷の接触事故と1回の死亡事故に繋がる可能性があるということになるではないですか。もう信号無視をしている場合ではありませんよ。病気になったと云ってもからだが悪いのではありません。病気になる様に無理をさせてしまった使い方が悪いのです。罪を憎んでからだ憎まずです。この事をよ〜く知ってあるから三浦理事長は自らの危険を顧みずに自転車を止めに行くのでしょう。三浦理事長はいっていました。「目の前でからだを張って止めようとしても誰も止りゃ〜しない。」それでもまた今日も三浦理事長は世界の健康を守るため、信号無視の自転車を注意し続けている事でしょう。こんな師匠を持ったから、私は絶対信号無視はいたしません。(断言)

    そういえば三浦理事長の在籍時代、赤門鍼灸柔整学校に講師として通ってくる橋本先生も自転車ツーキニストだったそうです。今も昔もお洒落な人は自転車に乗っていたんですね。

  • 『子供に野菜を食べさせる方法』

    先日、明石家さんまさんが司会をしている『ほんまでっか?TV』という番組の中で、食事中、子供に水を飲ませる様にすると喜んで野菜を食べる様になるという話が取り上げてあった。内容的にはジュースや炭酸飲料等味が濃く刺激の強い飲み物を飲むと、野菜の様な薄味の食べ物では満足出来ず、味が濃くて刺激の強い食べ物を欲する様になってしまうため、全く刺激のない水を飲ませる事によって、薄味の食べ物でも満足出来る様になるというものでした。確かにキンキンに冷えたコーラを飲む時には脂っこいフライドチキンやピザが欲しくなるものです。そして毎日毎日コーラとフライドチキンばかりを食べ続けていたら・・・考えただけで羨ま、いや恐ろしい。体重計に乗るのが恐ろしくなってしまいます。たびたび参考にあげるが橋本先生の『からだの設計にミスはない』の「第三章 毎日を快適に過ごす為に」の中の「食事について」の文中に

     我々は味覚に誘われて食を享楽と考えている域にきている。これは一部では恩恵ではあるが、溺れると不謹慎になり、更に進めば堕落となり、自然にそむいた災害を身にまねくことになる。そして食のみが一番手っ取り早い享楽の対象となるのであるから反省しなければならない。

    と書いてある。確かに私が小さくてまだ祖父母と一緒に暮らしていた頃は、田舎であったからお店がなかったということも理由の1つだとは思うが、外食をした覚えがほとんどない。食事は家族みんなで揃って家の食卓を囲み「いただきます。」をするのが普通でした。しかし福岡の街に住んでみると、老舗から新規オープンのお店まで、和食だろうが、イタリアンだろうが、鉄板焼きだろうが、ラーメン屋だろうがありとあらゆる飲食店が所狭しと乱立している。毎日一店ずつ食べ歩いてみても何年かかるか検討もつきません。

    その中で1つ私が気になっている事があります。何故か健康な食事を唄っているところの方が、格段に料金が高く設定されている様に感じます。勿論有機栽培や産地直送など食材にこだわり、原価率が高くなってしまうから仕方ないのかもしれませんが、いくら高級で安全な食材を使ってみても美味しい食事を腹一杯食べていたら結果的には過食の報いを受け入れなくてはならなくなります。しかしこれは何も飲食店側の問題ではなく、折角外食するのだからいつもより美味しいものを食べたいという私達の浅ましい食欲に問題があるのではないでしょうか。仮に食材にコストがかかっていたとしても質素な食事をとるのであれば、それ程高額な食費になる事はないと思いますし、一人暮らしやお父さんのお昼ご飯に健康な素食を安価でサービスしていただけるところがあれば、胃袋にも巾着袋にもやさしい食事を取る事が出来ます。是非外食産業の企業の皆様、本当にからだに良い食事を出すお店を作っていただけませんか。宜しくお願いいたします。

    そういえば今年の夏くらいから、羽田空港の第一ターミナルの地下に『うちのたまご』という卵かけご飯専門店がオープンしており、この夏上京する機会が多かった私は何度となく利用させていただきました。ちなみにこのお店は東京赤坂の『赤坂うまや』という和食の料理屋さんの系列店らしく、この赤坂のお店に行くとなるとお昼の定食でも1500円近くかかるのが、卵かけご飯なら500円で住んでしまうという値段設定が嬉しい。ちなみにこのお店で使われている卵は私の生まれ故郷、福岡県の筑豊地方の中心飯塚市の専門の養鶏場で、絶対安全な卵を出せる様に丁寧に栽培された鶏が産んだ卵なのだそうだ。言わばこの卵達は博多名菓『ひよこ』の後輩に当たるメイドイン筑豊のルーキーなので私としても知らん顔出来ないのである。500円の卵かけご飯高いか安いか。それは食べてのお楽しみである。

    全く本文には関係ありませんが、熊本のゆるキャラくまもんの甘夏ゼリー。熊本にも強敵がいるものだ・・・

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『イノチの洗濯日和』

    今日(正確には10月7日)は休日だったので、たまたま近所で開催していたアンティーク家具の青空市に冷やかしに行ってみました。福岡は大昔から大陸からの玄関口として栄えた歴史を持っている街で、現在もアジア圏からのクルーズ船が度々来航する等未だに海の玄関口として大勢の海外旅行客を迎えており海外からの旅客数は日本一を誇っています。

    あこがれの上海航路ですよ〜

    この日もアンティーク市の会場の隣の大型コンサートホールではお隣の韓国の人気スターのコンサートが開催されるらしく大勢の女性でごった返しており、こんなご時世なのに本当に日本女性は懐が深いと感銘を受けた次第です。現在福岡の港は人だけではなく大型のコンテナ船も多く入っており海外からの輸入品が多く陸揚げされるため、福岡の街中でも海外からの輸入雑貨のお店やアンティークショップが多く見受けられます。

    そういえば橋本先生が『からだの設計にミスはない』の最初の「日本は宝の島」という文章の中で、日本は大陸のふきだまりで、いろいろなものが大陸から吹き寄せられてくる。と書いてあります。この吹きだまりの入り口が紛れも無くこの福岡の港であったという事になりますね。その影響で福岡には『○○の発祥の地』というものが結構多くあります。有名どころでは臨済宗の開祖栄西が宋よりお茶を持ち込み博多の街に広めたのだそうです。また、この栄西が開いた聖福寺は日本で始めての禅道場なのだそうです。食べ物で言えばうどんも現在では四国香川の讃岐が有名ですが、これもやはり中国から博多に伝わったもので、博多の承天寺の境内には饂飩蕎麦発祥地と書いた石碑が残されています。あと変わり種では福岡市の福岡女学院という学校が日本で始めてセーラー服を制服に導入したのだそうです。もしこの学校がセーラー服を導入しなかったら、おニャン子クラブ薬師丸ひろ子もちょっと困った事になっていたに違いありません。

    話を橋本先生の本に戻します。その続きにそうやって日本に入って来るものの中には良いもの悪いものいろいろとなるのだけれど、それが宝物なのかガラクタなのかなかなか区別する事ができない。西洋から来たものばかりが宝物に見えて、古来から東洋に伝わっているものはガラクタにみえてしまうと書かれてあります。確かに明治の開国以来、ひたすら西洋の強国を手本に国づくりをしてきた私達日本人はどうしても西洋のものをありがたがる癖がついてしまっているのかもしれません。何の本だったかは忘れてしまいましたが、農業国の日本人においては元来胴長短足がイケメンの条件であったと書いてある本がありました。確かに足が短い方が重心が低く農作業に向いているから生存能力は高いといえるのかも知れません。江戸時代にタイムスリップしたら私なんかも韓流スターに負けないくらいのイケメンだったに違いありません。しかし、この西洋一辺倒の日本も近年では韓流スターや華流スターを筆頭に再びアジアに目が向きつつありますし、医療の現場でも、鍼灸や漢方などの東洋医学を取り入れてあるドクターも随分増えて来ている様に見受けられます。橋本先生の没後20年を目前にして確実に橋本先生が医学会に投げかけて来た言葉が現実のものとなって来ているのかもしれません。

    結局宝物かガラクタか区別がつかずに手ぶらで帰りました。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『 simple is best 』

    ある日の秋穂家の会話。 

    ワイフ「お洒落な家ってどんな家だと思う?ヨーロッパ風?アジアン風?カントリー風?」

    秋穂「竪穴式住居風」

    ワイフ「たっ、竪穴式住居!? 冗談言わないでよ!」 

    冗談ではありません。本当にその様に感じるのです。我が家の中を見回してみると、本当に家電製品が充実していて便利な世の中になったもんだと思う反面、何となく「もっともっと便利に楽して暮らして行きましょう。」という妙な生活感と云いましょうか、人間の欲望の深さというものを感じずにおられません。 これは私自身の価値観なのですが、生活感というのはお洒落とは相反する感覚なのではないかと思っています。何となくですが私のイメージするお洒落な空間とは、余分なものをとことんそぎ落としていった非常にシンプルな空間。そこで到達した回答が「竪穴式住居」であったということになります。勿論本当に竪穴式住居に住もうなんてこれっぽっちも思っていないので、ふざけていると云えばふざけているのですが、思想上では本気です。

    これはなにも家の中だけに限るものではありません。家を一歩出てみても自分の足で歩かなくても車や電車、飛行機があっという間に目的地まで運んでくれるし、お腹がすいたからと言って狩りに行かなくても、スーパーやコンビニエンスストアには、ありとあらゆる食品が所狭しと並んでいます。欲しい情報はテレビやラジオやインターネットが私の処理能力を明らかに超えた容量で伝えてくれますし、退屈な時間は繁華街に出て行けば時間を忘れる程に楽しませてくれます。なんて満ち足りた生活を私達現代人は過ごせていただいているのでしょう。もうこれだけ便利になれば、飢えも渇きもないし、退屈も不自由もない。この満ち足りた環境の中でどこに不快感を感じろというのが難しいくらいです。

    しかし実際にはこのような恵まれた環境の中でも不快感覚は生まれて、私達のからだを歪ませ、様々な症状疾患を産み出し続けているのです。橋本先生も本の中に書き残してありますが、私達人間は本来持っていた原始感覚という神からの授かり物を、進化するに従って、知識や文明が進めば進む程、その利便性ばかりに気を取られてしまい、本当に忘れ去ってしまっているのです。交通手段が発達すればする程、私達の運動量は激減してしまうし、売る程在る豊かな食料は食べ過ぎて私達の脂肪の量を増加させる一方です。必要以上に莫大な量の情報は私達を混乱させ、自らで感じとり識別する能力を欠落させて余計な不安を煽り立てるて、そのストレスを解消する為に繁華街に出てみたら、財布の中がスッカラカンになり経済的なストレスを更に増大してしまう。

    この世は本当に上手くバランスが取れているもので、10の良い事の影には10の悪い事が隠れていて始めてバランスが取れているのでしょう。良い事も悪い事も私達のからだにとっては同じストレッサーになります。美味しいものでも食べ過ぎてしまうと気持ちが悪くなってしまうし、いくら楽しくても寝ずに遊んでしまったらきっと疲れ果ててしまいます。良い事も悪い事も私達のからだに取ってストレッサーになりうるのだとすれば良い事も悪い事もその振り幅が小さければ小さい程、からだにかかるストレスは小さくなるのです。やっぱり「シンプル イズ ベスト」で生きて行くのが理想的な生活なのでしょうね。健康的な生活は本当のお洒落な生活なのかもしれません。ただ私は福岡の都会っ子なので現実に竪穴式住居に住む自信は皆無です。ヘビ怖いし、トイレも水洗じゃないと・・・本日もお付き合いありがとうございました。明日も宜しくお願いいたします。

    僕はこんな飾りよりも南極の氷の上が恋しいぞ! by シロクマ

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『もう、あなたって本当に鈍感なんだから・・・』

    長野の佐助実行委員からタスキを受け取りました福岡の秋穂です。今回のブログのテーマを決めきれていなかった中で佐助実行委員のブログを読み、その中で気になったキーワードをテーマにしてみようと思います。今回、私は快のききわけの出来ないからだ「鈍感なからだ」について私の体験や思いをブログに綴ってみたいと思います。私達、東京操体フォーラムの実行委員は勿論ですが、このブログを読まれている読者の方も操体に興味を持っている方がほとんどだと思いますので、快適感覚をききわけることが自然治癒能力に直結する生き方である事を充分に理解し実践しているので問題はないのですが、我々が日々の臨床の中でふれ合う患者さんのほとんどはからだに快適感覚をききわけるということを行わないまま、からだを歪体化させて症状疾患を抱えてしまった、鈍感なからだをもって来院されます。そして操体の臨床を通して行く中で、自身のからだとの関係性を深め、感覚のクリーニングを行いながら、感性を高め、快のききわけの通る感受性の豊かな「操体的なからだ」になって行きます。操体の臨床はさながら快適感覚の学校であるともいえます。話を鈍感なからだに戻して行きましょう。それでは何故私達のからだはこんなにも鈍感になってしまったのでしょうか。そういえば以前、ある国の総理大臣の方が『鈍感力』という本に感銘を受けたというエピソードを聞いた事があるかたも多いと思います。

    鈍感力

    鈍感力

    この本を私は読んだ事がないので実際に内容については細かく触れませんが、この『鈍感力』について著者の渡辺淳一先生のインタビューの中に大変興味深い文章が有りました。『上に行く人や大きな仕事を成し遂げるような人は、周りから見たら、ある種の狂気を宿しているものです。「これをやるぞ」と心に誓ったら、周りから何を言われようが、どう見られようが、おかまいなしに没頭する。だからこそやり遂げられるのです。』これは確かに真理だと思います。操体の世界でも、創始者橋本敬三先生はもちろんの事、当フォーラムの三浦寛理事長を筆頭に操体狂いが多数在籍しています。しかしこれは鈍いのではなく、からだの中心に軸が立っているから余計な事にぶれないでいられるのであり、とてつもなく高い精神性の成せる技なのではないでしょうか。渡辺先生も鈍感であることを肯定的に書いてあるので、恐らくこのような高い境地に至る事を他のものに影響されにくい、鈍感力が高い状態と言う形で表現してあるのでしょう。しかし、いくら鈍感力が高くとも、あまりにも1つの事に没頭しすぎるのは必ずしも良い事ではないのかもしれません。あまりにも緊張感が強すぎます。私達がいくら操体に狂っているとはいっても、操体は快適に生きる為の生き方全てを包括的に捉えた学問であり、そもそもライフスタイルの一部です。上手く自分自身と対話しながらバランス感覚を磨いているので、少々のストレスや軋轢は上手くかわせるのだと思います。もしかしたら『鈍感力』とはバランス感覚であり。『操体力』なのかも知れません。明日も引き続き『鈍感なからだ』について書かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 感覚のききわけ

     最終日の7日目です。よろしくお願いします。
     からだの感覚のききわけが、治療手技・アプローチなどの盲点になっているということを書きました。第三者の治療従事者におまかせの治療アプローチでは、脊髄を介した反応である即効的効果が特徴とした傾向にあることが考えられますが、からだの感覚をききわけるということは、感覚を統合する大脳へと伝達され、そして錐体外路によって大脳・間脳・中脳・小脳・橋・延髄・脊髄に様々な反応を引き起こしてくるために遅効的効果が特徴になることが考えられます。
     からだの治癒能力を高める効果の感覚こそが「快適感覚」なのです。だからこそ第三者の治療従事者が治すことまで関与しなくても、からだが必要に応じた反応となるホルモン分泌によって、からだの治癒能力が高まります。
    例えば、視床下部では本能の中枢ともされ、約5gの親指の先ほどの小さな脳ですが、人間の脳の中心にあって、保護調節をはじめ、食欲、性欲などの中枢とされています。この視床下部は、前群、中群、後群に分かれており、体内の恒常性を自動調節、自律神経の中枢があり、前群が抑圧性の副交感神経を担い、中群が自律神経の行動性の交感神経の中枢を担い、後群が体温調節を担っています。
     脳下垂体は後波・中葉・前葉に分けることができ、それぞれ分泌されるホロモンがことなります。後葉は、上部にある視床下部の一部が延びたもので、進化の過程で水中から陸上に進出し、体内の水分調節を必要とするために発達した脳の一部だそうです。中葉は、鼻とノドがつながる後鼻咽喉部にあったホルモン分泌器官が成長とともに、脳下垂体後葉に結合した脳であるということです。前葉は、全身のホルモン系を支配する部分であり、分泌されるホルモンは、全身の体調、体内の恒常性などを保つ働きをしており、成長ホルモン、性腺刺激ホルモンなど10種類程度あるそうです。快感と鎮痛をもたらすβエンドルフィンはここから分泌されます。
    ホルモンとは内分泌腺から直接血管の中に微量に分泌され、血流を介して特定の器官や細胞(標的細胞)に至り、その働きを調節する生理活性物質です。
     代表的なホルモンを示すと、副腎皮質ホルモン(コルチゾール、アルドステロンなど) 、甲状腺ホルモン、性ホルモン(テストステロン(男性ホルモン)、エストロゲン(卵胞ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン) 、副甲状腺ホルモン、 下垂体前葉ホルモン(成長ホルモン) 、下垂体後葉ホルモン(抗利尿ホルモン)、 膵ホルモン(インスリン、グルカゴン) 、消化管ホルモン(セクレチン、ガストリン)、 神経ホルモン(カテコールアミンなど)などがあります。
     視床下部の血流が増加することにより、自律神経、内分泌系、免疫系などを賊活化し、全身の諸疾患の予防、治療に効果が認められ、自然治癒力を高めることを報告している方もいます。「気持ちよさがからだを治してくれる」これは快適感覚により視床下部の働きをたかめ治癒能力とつながるのです。
     からだの感覚が鈍麻になると治癒能力が低下することが考えられ、感覚のききわけは第三者である治療従事者が介入できない領域であるからこそ、患者自身のからだのききわけが必要であり、快適感覚をききわけやすいように導く操体法を学ぶ我々が必要なのだと思います。(皮膚への接触方法がことなるだけでも、ホルモン分泌に変化が生じるのです。だからこそ操体法は簡単に見えて実は奥が深いのです)
     一週間お付き合いありがとうございました。

  • 盲点その3

     昨日書いたストレッチや筋トレも含め、現在のからだの治療手技は、からだの感覚に対して盲点になっているような気がします。
     実際にからだを治療する際に、第三者の治療従事者がからだに触れるわけですから、自分のからだでもないのに相手の感覚がリアルにわかるはずがないという声が返ってきそうですが、ここに大きな問題が隠されているのではないでしょうか。
     患者のからだの感覚を無視するかたちで、第三者の治療従事者が治療やアプローチをするために、患者のからだは目的とした筋肉や腱・関節など単一な効果として速効的に反応が現れることだと思います。しかしこの速効的効果は脊髄を介した反射でしかなく、元に戻るのは早いという特徴を持っているように感じます。脊髄を介した反応だからこそ、筋肉の性質から皆同じ条件で「○秒○回」というように第三者が決定できるのだと思います。単純に痛みの原因が単一の問題であれば、これらの方法で解決すると思いますが、現在の痛みを主訴とする症状は複雑化している場合が多く、痛みを訴える部位と、痛みの原因を作っている部位が異なっている場合があります。
     例えば、痛みという不快体験を脳内で記憶している場合や、情動を司る大脳辺縁系の一部でもある扁桃帯が関係し、脳内で痛みという知覚を作り出す(ニューロマトリックス理論)こともあり、このような場合に痛みを訴える部位に対して治療・アプローチをしても、治癒の遅延に繋がる可能性が考えられます。
     からだには感覚という情報を感じ取るセンサーが無数にあります。この感覚をうまく利用することで、大脳からの反応がからだの治癒能力としてあらわれます。この感覚というのが「快適感覚」なのです。
     からだの感覚をききわけるということは、第三者の治療従事者が決めるということはできません。まさしくからだの感覚は本人しか感じ取ることができないからです。からだの感覚をききわけ、快適感覚の有無、あじわいたい要求の有無、脱力方法、回数の要求すべてが患者本人のからだも要求のききわけとなります。ききわけた質の高い快適感覚には、第三者の治療従事者が治療に全く介入できないほどの治癒能力がからだに生まれていることがあり、この時の効果は遅効的反応で持続される傾向にあると考えられます。
     明日はこの快適感覚によって大脳の反応について書きたいと思います。
     今日はこのあたりで・・・ありがとうございました。

  • 盲点その2

     5日目はストレッチや筋トレについて書いてみたいと思います。よろしくお願いします。
     リハビリなどでよく使われる手技のひとつに、ストレッチや筋トレがあると思います。もちろんストレッチや筋トレの方法や種類はいろいろあります。
     ストレッチの種類では、バリスティックストレッチ (反動をつけて行う動的ストレッチ)、スタティックストレッチ (呼吸に合わせて行う静的ストレッチ、これが一般的に使われているストレッチがこれになります)、ダイナミックストレッチ(動的なストレッチで、サッカーなどで行われるブラジル体操などがこれになります)、徒手抵抗ストレッチ(PNFストレッチともいい、筋肉の持続的収縮を利用して筋肉を弛緩させるストレッチです)、クライオストレッチ(冷却とストレッチのコンビネーションを主にリハビリで使います)があります。また、筋トレでは筋肉に収縮方法によって異なりますが、アイソメトリック・コントラクション(等尺性筋収縮で、関節運動が伴わず、筋肉の長さも変化しない状態で力を発揮させる)、コンセントリック・コントラクション(短縮性筋収縮で、筋肉が縮みながら力を発揮させる状態)、エキセントリック・コントラクション(伸張性筋収縮で、短縮性収縮と反対に筋肉が伸びながら力を発揮する状態)の方法があります。
     このようにストレッチも筋トレも方法や種類は沢山ありますが、すべて目的とした筋肉に対しておこなわれるという点と、自分のからだの感覚に対してききわけるということはありません。ここが盲点のような気がします。
     今日は、ストレッチや筋トレが目的とした筋肉に対しておこなわれるという点の盲点について書きたいと思います。
     「○○筋に対してストレッチや筋トレをおこなう」とよく言いますが、この時に目的とした筋肉に最大限の効果を求めるために、動きの代償運動を防ぎます。僕はここに疑問を感じますが、皆さんはどうでしょうか?
     人間のからだには、身体運動の法則の中に連動の法則があるように、連動のないからだの動きは存在しないのです。それを連動の動きを代償運動として、筋の単独の評価としては必要なことかもしれませんが、連動の動きを固定して単独の動きや単独の筋肉に対してトレーニングをすることが、かえってケガが多くなるからだ作りになってしまったり、理に適ったフォームから逸脱する可能性があるように感じます。
     ストレッチや筋トレは、スポーツレベル向上のために必要だと思いますが、もっとからだの連動の動きを活かす方法が必要だと思います。最近の痛みを主訴として来院されるスポーツ選手の多くは、レベル向上という目的で肉体改造という言葉に踊らされ過ぎて、筋トレを頑張っている方が多いように感じます。実際に筋トレを頑張っているからだの動きを診ると、連動が不自然だったり、各関節単独に動いていて関節に負担がかかっているケースを身受けます。このようなスポーツ選手に、からだの使い方・動かし方を指導すると、レベル向上や障害予防に繋がるケースをみていると、益々「○○筋に対してストレッチや筋トレをおこなう」ことに疑問を感じます。
     自然な連動の動きを促す方法でおこなうことで、もっと日常生活やスポーツのフォームに活かされたトレーニングになると思います。からだには身体運動の法則にある使い方・動かし方があるのですから。
     今日はこのあたりで・・・。ありがとうございました。