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  • ホテルオークラ東京にて。松岡正剛、櫻井よしこ対談

    10月の半ば、三浦先生から連絡があった。
    「今、ポスターを見たんだけど、ホテルオークラで、松岡正剛さんと櫻井よしこさんの対談があるらしいぞ」
    「どひ〜。そうなんですか???」
    先生(三浦先生はホテルオークラ東京のヘルスクラブの顧問である)がオークラのフロントの方に聞いたところ、まだ席に若干の余裕があるということで、早速申し込んだ。ネット予約ではない。電話で予約してお振り込み、というシステムである。
    これはホテルオークラ開業50周年記念イベントで、対談の前に、オークラでのお食事付きだ。私はオークラだったら中華の「桃花林」だろう、と、予約の時「桃花林をお願いします」と言ったところ、すでに満席とのことで、ビュッフェにせざるをえなかった。ビュッフェにせよ桃花林の料理は出てくるのである。

    その後、11月1日、東大のOETRシンポジウムの際、松岡正剛氏を喫煙所までご案内した。その際に「11月23日、オークラ行きますよ」と伝えたところ「よく取れたね」とのことだった。ラッキーだったのだ。

    ホテルオークラ東京は、橋本敬三先生と深いご縁がある。ご子息、橋本保雄氏がオークラで副社長を勤められており、生前は名サービスマンとして名を馳せていた。敬三先生が上京の際は、オークラが定宿だった。作家の遠藤周作氏と対談を行ったのもオークラだ。日本で最初にホテルにヘルスクラブを作ったのは橋本保雄氏であり、それは「健康に貢献せよ」という父の教えもあったそうだ。
    なお、今回櫻井さん、松岡さんが対談した「平安の間」は、30数年前、橋本敬三先生がセミナーをされた場所でもある。


    ホテルオークラ東京 テラスレストランの庭。秋雨に濡れた美しい庭。

    さて当日。早めに着いたので、平安の間を偵察したりしたあと、テラスレストランで一休みした。
    師匠と話しているうちに、何故か「アセンション」の話になり、富士山の噴火や地震について、あるいはアセンション後の世界の変化などについて真面目に?討論した。結局、アセンションというか、世界的な変化は起こるのだろうが、それが起こる、と分かっている人は既にソフトランディングしている。困るのは「起こる」ということを知らないとか「そんなことあるわけないじゃん」という人が、一番困るのだろうという結論に達した。
    会社の終身雇用制度は既に終わっているのに、まだそれにしがみついているとか、世の中は既に「陰」の時代、あるいは女性性を象徴する「2」の時代に入っているのに、未だ「陽」の時代の「競争」の時代から抜けきれないとか。
    あるいは、人間のからだが「陰」の時代に移行しているのに、未だに「陽」の時代の、他力的な、力にモノを言わせた治療を続けているとか。時代は変わる、変わると言われて久しいし、実際世界は変わっているが、本当にそれを理解して変化に対応しているのだろうか?

    ビュッフェ会場に向かった。ビュッフェ会場は「曙の間」という。ここも広い部屋で、体育館並である。席が既に決まっており、そこに通された。会場の中を見渡すと、何だか年齢層が高い。年齢層の高い女性の姿が目立つ。松岡さんの講演の時とは層が違う。こりゃ櫻井さんのファンなのだろうか??
    料理は桃花林の中華は勿論、テラスレストランのカレーなど、盛りだくさんであった。年齢層が高いから、そんなに皆さん食べないのかなと思っていたら、皆さん、食欲旺盛だった。
    腹ごしらえの後は会場入り口に並ぶ。何故並ぶのか?会場が自由席だから。ビュッフェ入るまで30分、会場入り口で30分、席についたら一時間、と結構待ち時間があるのだが、待つ、我慢するっていうのもたまにはいいではないか。待っている間に、三浦先生が隣に立っていた年配の紳士とお嬢さんと話をはじめた。年配の紳士は櫻井さんのファン(ファン、と言ったら少し照れていた)なんだそうである。やがて扉が開き、私は舞台に向かって右側、通路側の前から三番目の席を取った。

    対談のテーマは「日本らしさ」。
    今回、櫻井よしこさんの話をはじめて生で聞いた。詳細は書かないが、具体的な数字を持ち出し、テンポよく繰り広げられる話術には惹かれるものがあった。テレビだけではわからないことだ。勿論、テレビなどでは放送できない話も出てくる。今回は「実名入り」がぼんぼん出てくるので、会場には笑いの渦が広まっていた。
    松岡さんは相変わらずの松岡節で、私の目と耳を楽しませてくれた。
    また、日本はこんなにのんびりしていて大丈夫なのか?という危機も感じた。櫻井さんがアジア近隣の軍事について話をされたが、現在の日本は戦後以上の危機状態である、というのである。その辺りは私ももう少し勉強するつもりだが、本当に危ないようだ。
    また、ソマリア沖で日本の自衛隊が海賊に対して一体どういうアプローチをしているのか(これは書かないが、完全にジョークの世界である)など、興味深い話題が次々に登った。

    松岡さんが「櫻井さんのそのヘアスタイルはどうやってできたのか、そのナゾに迫りたい」と、おっしゃり、私も「どうやってできたんだろう・・」とそのナゾに興味があったが、残念ながら時間切れとなってしまった。

    「治療所にこもって患者ばかり診ていると、のーみそがくさるぞ」というのが、どうやら今週の裏テーマのようである。また、テレビではわからなこともある、ということ。東電の問題ではないが、マスコミは後ろに巨大な力が働いている。正確な情報が報じられているとは限らない。

    一週間ありがとうございました。
    明日からは島根の福田画伯の登場です。

  • 仙台全国大会その2

    11月11日(日)、朝8時過ぎに仙台駅で半蔵氏と待ち合わせる。
    その後、仙台駅下のお気に入りの喫茶店で原稿執筆中の三浦先生と合流し、仙台駅からタクシーでお墓参りに向かう。タクシーの運転手さんは仙台観光のネタを沢山ふってくれる。窓の外は曇り。少しばかり雨模様だ。
    運転手さんの話を聞きながら県庁の横、大学病院の横を通りぬけ、大崎八幡の前を抜けて葛岡霊園へ向かう。
    途中でいつもお花とお線香を買う店があるのだが、いつも店番をしているおじいちゃんの姿が見えない。聞いてみると先日亡なったとのことだった。
    橋本家の墓所がある一画でタクシーを降り、お墓方面へ歩いて行くと、何やら前方から賑やかな声が聞こえる。奈良の北村先生一行だった。

    紅葉の向こうに見える太白山。四季折々の美しい眺めが楽しめる。


    三浦先生が、半蔵氏と北村先生一行に、彼方に見える太白山を指して「橋本先生は、あの山が見えるところがいい、ってここにしたんだよ」と言う。橋本家の墓所からは、丁度太白山が見えるのだ。
    半蔵氏は初めてここを訪れたということもあり、例のシンボルマークを実際に見ていたく感動していたようである。三浦先生が、墓碑に手を合わせる彼の姿をカメラに収めたが、半蔵氏はまるで少年のような笑顔を見せている。
    まあ、操体を真面目に勉強しているんだったら、単なる技術やテクニックではなく、橋本敬三という人の哲学に惚れているのだったら、一度は訪れる必須スポットだろう。私の感覚では、大ファンを称し、CDは全部持っているのだが、ライブには行ったことがない、みたいな感じである。
    行け。行って納得すべし。

    今日は北村先生一行もおり、なかなか賑やかなお墓参りとなった。

    敬三先生、操体のこれからと、操体を愛し、日々精進している仲間をお見守り下さい

    その後、待たせてあったタクシーに再び乗り込み、三浦先生は常禅寺通りの全国大会会場で降り、私と半蔵氏は瑞鳳殿へ向かった。瑞鳳殿とは、伊達政宗公の墓所である。わが屋号「TEI-ZAN」は、政宗公の諡号「貞山公」からお借りしているので、私は来仙時は必ず参拝するのだ。前回来た時は丁度紫陽花のシーズンで、参道には濃い青の美しい紫陽花が並んでいた。今日の仙台は薄曇りだがそんなに寒くはない。9時を過ぎているので、観光客の姿と、ボランティアのガイドさんの姿も見える。普段私は観光客がいない9時ジャストなどにやってきて、心置きなく「殿」に日々のお礼などを申し上げるのだが、今日は手短に切り上げた。いずれにせよ、また来ます。
    私のアタマの中では、相変わらずあのテーマが(笑)。

    その後、またもや待たせていたタクシーに飛び乗り、半蔵氏と私は全国大会会場に向かった。今日のプログラムは、以前「日経ヘルス」誌に「操体ストレッチ」なるものを掲載していた渡辺信子氏の「マタニティケア」である。
    当時の連載はまるで操体の創案者が渡辺氏のようにとられかねない記載がしてあったので、編集部に「操体の創始者は、橋本敬三医師であるという旨を掲載してほしい」と、かけあって、誌面掲載してもらった経験がある。
    渡辺氏は助産師さんで、茂貫雅崇氏に操体を学んだことがあり、メインは野口整体だと聞いている。現在「カイロ」系のスクールを開催されている。

    ところで、会場に到着して、会場の参加者を見回してみるが、マタニティケアといっても、会場内には生殖可能年齢の女子と(笑)あるいはそのような配偶者がいるであろうと思われる殿方はほとんどいないといっても良かったのではなかろうか。かといって、対象年齢を考えて「介護操体」(というのをやっている方もおられる)ばかりでも仕方ないのだろう。

    渡辺氏の講義は、現代の若い女性の骨盤の歪みや、逆子など、母体の歪みがどんなに赤ちゃんに影響を与えるか、というものだった。昔は和式のトイレだったから・・・と言えど、今の生活様式を変えるのはなかなか大変である。若い人達の体型はどんどん変わってきているし、昔はよかった、ではなく、時代に合ったやり方は模索しよう、と私も考えた。

    来年の全国大会開催場所はまだ未定である。

  • 仙台全国大会へ。

    釜石に行った翌週、仙台での「全国操体バランス運動研究会」に出席した。今回はいつもの医師会館ではなく、常禅寺通り、交差点をはさんで温古堂のはす向かいの、宮城県民会館で開催された。震災後ということもあって、場所の確保には苦労があったらしい。

    私と三浦先生は初日の午後から出席した。

    13:00 開会挨拶
    13:10 特別講演1 「ひとの進化から見る 食」川村秋夫(川村歯科医院)座長:橋本雄二 (橋本クリニック) 
    14:30 特別講演2 「生存環境の未来とすばらしい生命―環境に適応して生きる―」
                  槌田 劭 (NPO法人「使い捨て時代を考える会」相談役)
                  座長 : 加藤平八郎(IDE大学協会会員)
    15:40 対談  「息・食・動・想」―社会の健康と大自然の調和―  槌田 劭 ・ 加藤平八郎
    17:00 終了

    会場に着くと、見た顔がちらほら見られる。たにぐち書店の社長にもお会いした。挨拶を済ませ、講演を聞いた。今回は実技指導もなく、講演が多かったのだが「社会の健康と大自然の調和」などの大きなテーマを加藤平八郎氏のリードで聞かせていただいた。

    何時も参加されていた方の中には、最近亡くなられた方もおり、また90代後半というご高齢のため、今回は欠席されたという先生方もいらっしゃった。
    また、参加者の高齢化は一瞬にしてわかる。操体を「抹香臭いもの」にしてしまうのか、「古きを尋ね新しきを知る(温故知新)」の精神で、これからの時代だからこそ必要な橋本敬三哲学を広めるのか、それが課題だと思う。それは全国大会だけではなく、東京操体フォーラムでも同様だ。

    今後のフォーラムだが、春と秋は共に実技指導を入れたもの、つまり「操体法」の指導をメインとし、そこに身体運動の法則はじめ、基礎のプログラムを入れる。そこに各回のテーマを入れたものと「想」の世界を交えたものにしようかと思っている。
    フォーラムを開催すると、必ず意見が分かれる。どういうことかと言えば「もっと実技をやってほしい」という意見と「もっと『想念』『生き方』に関する話をしてほしい」という二つの意見が出るのだ。このどちらにも対応して行きたいが、現時点では、フォーラムでは実技指導をメインにし『想念』『生き方』『操体哲学』については、夏(多分七月)に開催予定の『操体曼陀羅』で、三浦寛理事長のワンマンライブで堪能していただくのがベストではないかと思っている。

    既に来春、2013年4月28日(日)には、千駄ヶ谷津田ホールでのフォーラム開催が決定しており、今現在、プログラムの作成に取り組んでいる。参加者も混じっての実技指導がメインで、小グループに分け、実行委員がそれぞれ指導にあたる予定である。また、近年再度姿勢について注目が集まっているが「姿勢」というテーマでも講義を行う予定になっている。

  • 釜石のシンポジウム盛岡そして東京へ

    ホテルで朝食をとり、釜石の「東北復興シンポジウム」が始まった。私の役目はひたすらカメラマン、とにかく写真を沢山撮った。この時点で私はすっかり東京が恋しくなっていた(笑)。シンポジウムが無事終わり、3時に公用車で盛岡に向かった。途中で暗くなってきたが、アタマの中は「早く盛岡について、一本早い新幹線に乗りたい」ということばかり。
    6時過ぎに盛岡に到着し、予定より一本早い新幹線に乗ることができた。
    実は新幹線好きの撮り鉄な私は、盛岡のこの瞬間を待ちわびていた。ホームにまずグリーンの「はやて」が入ってくる。その次に、ピンクの「こまち」が入ってきて、ホームで合体するのである。丁度「こまち」が入ってくる時「お待たせ〜」のような感じでホームに入ってきたので感動してしまった。


    遠野をはじめ、東北にはキリストの墓とか、恐山、環状列石など不思議なものが結構ある。橋本先生の「続・神代文字」に書いてあるように、ヘブライ語と東北弁の類似性などもある。そんなことを新幹線の中で考えた。

    いずれにせよ、県庁の方々、釜石市役所の方々、東京大学の先生方はじめ、色々な人にお世話になった二日間だった。ありがとうございます。

  • 釜石の夜。

    流す涙で割る酒は だました男の味がする
    あなたの影を ひきずりながら
    港、宮古 釜石 気仙沼

    突然ですが、演歌には普段全く縁がない私です。

    森進一の港町ブルースの2番。

    今回これらの港町は津波被災した。気仙沼生まれの私の亡き父親が「(紅白でも何でも)どうして2番は歌わないんだろう」と言っていたのを思い出す。

    一行は釜石に到着し、被害が多かった大槌町辺りを視察。東大の研究所があるのだが、津波は三階の真ん中まで達したと聞いた。瓦礫は段々片付き、種類別になっているものの、沿岸部の被害は大きい。復興にはまだまだ時間がかかるのだろう。

    今回EMEC(The European Marines Energy Center Ltd.所在地はスコットランドオークニー諸島)から来ているモリスさんを先頭に、釜石市役所に向かった。入り口で岩手県副知事と合流し、昭和29年代に建てられた時は非常にモダンな建物だった市庁舎へ。今回幸いにも津波の被害に遭わず、丘の上でクラシックなたたずまいを見せていた。
    その後釜石市長との懇談。釜石の歴史、祭礼や伝承について、また工業の歴史などについて、市長から詳しい説明を受けた。運良く良い機会にめぐり合わせたものだと思った。

    その後釜石市内のホテルにチェックイン。明日のシンポジウムもここで開催される。
    釜石市長開催の懇親会に出席した。今回の私の仕事はカメラマンであり、釜石の銘酒「浜千鳥」を十分に堪能せずに、写真を撮るという役目を淡々とこなし、ホテルに戻って早々に休んだ。
    この辺りですでに東京と猫が恋しい釜石の夜。

  • 盛岡・釜石へ

    11月2日(金)は、朝7時半の新幹線で盛岡に向かった。
    3日には昨日のシンポジウムに続き、釜石市でシンポジウムが開催されるのだ。
    今回は洋上での視察もあるということで、寒いからとにかく暖かい格好をしていったほうがいいというアドバイスに従って、着込んでいった。
    盛岡は昨年の夏に続き2回目である。
    盛岡の駅で集合した一行は岩手県庁の公用車で遠野に向かった。遠野ふるさと村に寄って昼食をとるためだ。
    遠野は盆地なので、風が強くて寒いと聞いていたが、車から降り立ったには息の白さを感じた。

    宮城はよく訪れるのだが、岩手、それも遠野の盆地は何だか雰囲気が違う。柳田国男の「遠野物語」が有名だが、オシラサマ、カッパ伝説、座敷童などが本当にいるのだろうという気がするのである。


    遠野ふるさと村の紅葉。


    曲り家の軒先にかかっていたふたまたの大根。久しぶりにインパクトがあるものを見た。(遠野地方独特のわらぶき屋根。馬を飼っているところが曲がっている。この辺りは馬の産地なのだ)


    カッパとか妖怪の類が好きなので、ついつい夢中に。

    一行はそれから一路釜石に向かった。同乗していた岩手県庁の方が丁度気仙沼市の近隣、大船渡の出身だということで盛り上がった。気仙沼は宮城の端っこで、気仙沼陸前高田大船渡は一つの地方となっている。宮城人でも「気仙沼って岩手?」という冗談を言われるらしい。私も聞いたことがある。

    というわけで、釜石到着。

  • 東京から東北へ。

    こんにちは。畠山です。今週一週間よろしくお願い致します。

    10月から、週に数日東京大学生産技術研究所にお世話になっている。私は英文学(オカルトやファンタシー)専門だったので、理系はまったく範疇外なのだが、別に研究室で研究しているわけではない。ご縁と今まで10数年フォーラムの運営で培ってきたノウハウと、パソコンが使えるのと、写真が撮れるのでお声がかかったのである。
    それは何かというと、OETR(海洋エネルギー&東北再生)シンポジウムというイベントである。
    橋本敬三先生は、若き日の、それこそ朝から晩まで臨床をやっていた三浦先生に「治療所にばかり籠もって患者ばかり診ていると、脳みそがくさるぞ」とおっしゃったという。また「文章に残しておきなさい(後の人が困らないように)」とも。私はこの言葉を師匠(三浦先生)から聞く度に、何だか橋本先生の思惑が分かるような気がして思わず笑ってしまうのだ。朝から晩まで臨床に没頭している愛弟子の姿を見て、少し心配したのかもしれない。
    治療所を構えたり店舗を構えたりすると、経営上稼働率も考えなければならない。自分を縛ることにもなる。それがいい結果を出すこともあるが、フットワークが重くなるのは事実である。
    そういう時、全く違う業界の人達と会ったりすると刺激を受ける。
    私の場合はISIS編集学校なのである。私は2001年辺りの第二期生だが、その辺りからお付きあいのある方は、未だにお付きあいがある。最初から「異種交流」というように「交流を広げてやろう」という意欲満々の人達でもない。「編集学校」というネット上の学校を共有した仲間意識がふんわりと続いているのである。
    ISIS編集学校と言えば、松岡正剛校長である。今回の「第3回OETRシンポジウム」には、松岡校長にスピーカーとして来ていただいた。
    「3.11後の世界」。20分という短い時間だったが、松岡さんは聴衆に「問い」を残していった。今回参加したスコットランドの方には通訳がついていたが、彼女は「松岡さんのお話を通訳するのは大変だった」と言っていた。大変なのはわかる。白黒つけられないような話だったから。これだからイエス、こうだからノー、という話ではないのだ。
    私はシャッターを押しながら、頭の中が心地良くしびれるのを感じていた。

  • ヒヨコちゃんのひとりごと おまけ

    今年(2012)はアセンションがひとつのピークといわれているのだそうです。

    地球の波動レベルが上昇するということらしいのですが

    11月になってもヒヨコちゃんのワタシにはさっぱりわかりません。

    秋になって食欲が増したかな?くらいのことです(え?そんなの関係ねぇって?)。

    でもまぁ、アセンションとかムズカシイことは抜きにして、地球(宇宙)のみんなが明るく

    仲良く、さらに愉しく過ごせれば、それに越したことはありませんわナ。

    そして、操体の学びってのはそんなところにもつながってると思いますヨ。

    と、いうわけで何となく「We Are The World」でございます。

    一週間ありがとうございました。来週は畠山先生です。

    中谷之美

  • ヒヨコちゃんのひとりごと その6

    一生懸命施術してるのに、なんかシックリこない。

    患者さんは気持ちいいといってくれてるのに、なんかシックリこない。

    施術中も、施術した後も、なんかシックリこない。

    ワタシのようなヒヨコちゃんだと、そんなことがあるんですよネ。

    そんなときは当然、結果もシックリこないんです。

    う〜む、ワタシがヘタクソなのか?アホなのか?

    それとも顔と性格が悪いのか?(全部だろって言わないでネ)。

    で、このシックリって言葉、そもそもどんな意味なんだろうって思ったら

    物と物、人の心と心などが調和して、安定しているさま・・・

    ということなんだそうです。

    なるほどねぇ。そういうワケだったんですか(どういうワケ?)。

    中谷之美

  • ヒヨコちゃんのひとりごと その5

    患者さんにもいろんな方がいらっしゃいますが

    操体的に考えますと気持ちのよさをききわけてくれる方はカミサマです。

    さらに、その気持ちのよさを十分に味わってくれる方はホトケサマです。

    中には「(先生と)話してるのも、もったいないワ」と言って

    自分のからだと向き合ってる方もいらっしゃいます。

    こういう方は、カミサマ、ホトケサマときたからイナオサマです。

    まぁこれは操体法に限らずに言えるかもしれませんが

    施術をうけてる間くらいはなるべく余計なことを考えず

    自分のからだに意識を向けていただきたいもんでございます。

    「帰ったら何のTV観よう?」なんて考えてたらもったいないですぜ。

    そして、もし気持ちがよければ、それを十分に味わってほしいもんでございます。

    もしかしたら意識がぶっとんでガーガーいびきなんかかいちゃうかもしれません。

    でも、いいじゃありませんか。

    泣いたって、ヨダレたらしたって、鼻水たらしたって、屁こいたっていいんです。

    普段あまり意識を向けないからだを十分に開放させてあげれば

    きっとスムーズに快方へ向かっていきますヨ。

    中谷之美