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  • 〜続けるためには(1)〜

     今週ブログ担当の瀧澤です!1週間お付き合いの程、よろしくお願い致します!

     さてさて、今回のブログから新実行委員メンバーにも参加していただいていますが、
    古参の先輩方にも負けず劣らずの個性を発揮されている様子はとても刺激になります。
    巷では「覚醒組」と呼ばれている?そうですが、高校を卒業してから、
    3年のフリーター期間を経て、治療業界に飛び込んだ私にしてみれば、
    異業種を経験されてこの道に入ってきた方々の感性といいますか、
    遊び心といいますか、目から鱗なところが多々ありまして…

     鍼灸あマ指の資格を取るために上京してきて今年でちょうど10年。
    思えば治療畑の交流がほとんどで異業種の方と接する機会はほとんど無く、
    プライベートや仕事も含めて、ここ最近ようやく色々な世界に目がいくようになりました。
    まあ、臨床家としても社会人としても、まだまだあまちゃんな私ですので、
    多くの方のご指導に支えられて生きている今日この頃なんですが。

    あきらめないってご縁!
     そんな私もこの10年を振り返ってみると様々な課題という壁にぶつかってきたなとしみじみ。

     学生の頃はクイックマッサージ店に勤務。
    親指を腫らせて、やっとこさマッサージのルーティーンを覚えたと思ったら、
    強面の強揉みに泣かされ、
    ご婦人には「あなたは魔法の手になるのはまだまだね。」と言われ、
    練習の日々。

     卒業後は、鍼灸接骨院に就職。
    勤め先の鍼灸接骨院では4年間働き、最後は責任者(へっぽこでしたが)まで
    させていただきましが、これまた苦悶の日々。
    当初は技術なぞ皆無に等しく、コミュニケーションも苦手、
    自分の治療で症状は良くならず、当然リピートも無く、予約もガラガラ…
    そしてここでも練習の日々。

     鍼灸接骨院と並行して中医学の研修。
    中医独特の四文字熟語と格闘し、理論から学び、切皮痛無しで鍼をさせるようになるまで、
    練習の日々。

     その時々の課題(壁)がありましたが、ありがたいことに、必ずと言っていいほど、
    周りの方々のサポートがありました。
    あきらめなかった分だけご縁の数があったんです。

     あきらめていたら今ここにいる私は存在しないわけで。
    当然、操体とも三浦先生とも出会えていなかったわけで。
    そして操体と三浦先生に出会えたからこそ「一つのことを続ける大切さ」を
    改めて噛み締めているわけで。
    そして、「好きだ!」という気持ちになれるものはずっと続けていきたいわけで。
     
     在学中に学校の先生から
    「最後までこの業界に残ってご飯を食べていけるのは、ほんのちょっとなんだよねえ」
    と言われたことを時々思い出します。

     一つのことを続けられるのは
    ・「あきらめない行動力」と
    ・「自分を取り巻くご縁のおかげ」
    なんだとつくづく感じずにはいられない10年間でした。
    まだまだ10年、されど10年。
    操体と出会ってからの、こらからの10年が愉しみです!

    今日はこのへんで。
    お付き合い、ありがとうございます。

  • ヨーガと操体論(最終日)

     瞑想というのは常に受動的である。その本質そのものからして受動的なものだ。瞑想はその本性そのものが無為だから、能動的ではありえない。何かを行おうものなら、まさにその行動がことの全体をかき乱してしまう。我々の行動そのもの、活動という能動性そのものがことをかき乱すもとになるのである。

     この無為とは瞑想のことである。ただし、「無為は瞑想だ」と言っても、我々が何もしなくていいということではない。その無為を達成するためにすら、いろいろなことを行わなければならない。だがその行為は行動ではないが、瞑想には及ばない。その行為は瞑想ではないのである。それは単なる踏み石、単なる跳躍台、単なる方便だ。行為はすべて瞑想に向かうためのただの跳躍台であって、瞑想ではない。

     我々は行為から進んで、今ちょうど、扉のところ、階段口のところにいるとする。その扉とは無為のこと。だが、その無為の心境に達するには、たくさんやらなければならないことがある。ただし、その行為を瞑想と混同してはいけない、それはただの方便なのだから、それを体系化などしてはいけない。

     我々の生命エネルギーは相反して働き、生はひとつの弁証法として存在している。それは単一運動ではなく、一本の河のように流れているわけではない。それは弁証法的なものであって、ひとつひとつの動きにともない、生はそれぞれの逆もまたつくり出すことになる。そしてその逆との葛藤を通じて前に進んでゆく。それぞれの新しい動きにともなって、その動きの主題は対照とその逆をも生む。そしてこれがたゆまなく続けられる。

     ひとつのことがその逆の対照をもたらし、融合してひとつの統合を生み出す。そしてそれがまた新しくひとつの主題となる。と、またその逆の対照があらわれる。弁証法的な動きということで意味するのは、それは単純な直線的な動きではないということである。それは自分自身を分裂させ、逆のものを生み出し、ふたたびその逆に出会う、そしてまた分裂して逆を生み出してゆく動きのことだ。

     それとまったく同じことが瞑想にもあてはまる。なぜなら、瞑想は生の中で最も深遠なものだから。その心の動きはカラダにもあてはまる。たとえば病んでいるカラダに「ただくつろいでごらん」と言ってもそれは無理な話だ。というのも患者は何をやっていいかわからないでいる。くつろぐことを教える似非療法家たちはこう言いつづけている「ただくつろぎなさい。なにもやってはいけない。ただ緊張をほぐしなさい。ただ脱力しなさい」と。そうしたら一体何をすればいい? ただ横たわることはできるが、そんなことはくつろぎではない。依然として病はそっくり残っている。

     そして今度は新たな葛藤が生じる。そう、くつろぐのだという葛藤が・・・・・・。いわば「おまけ」が追加されたという次第だ。「くつろげ」というおまけが付け加えられたというだけで、カラダの病はそっくりそこにある。今度はこれまでの緊張すべてに加えて、新しい緊張が追加されている。それどころかあらゆる人のなかで最も緊張している人になってしまう。自分に対してただくつろげ、ただ脱力せよと、言い聞かせてみても、生は直線的な流れではない、そんなことは不可能だ。弁証法的な流れを理解していないと自然治癒能力は働かないのである。

     正統派の操体では、「ただくつろげ!」、「ただ脱力せよ!」とは決して誘導しない。まず動診において緊張させることから始まる。次にその緊張からフィードバックという行為に入ってゆくと、突然、患者はくつろぎ始めるのを感じる。なぜなら今度は生命エネルギーが逆のものを生み出すことになるからだ。緊張の頂点に全エネルギーが費やされると、この緊張は無限に続けることはできない。それは消え去らなければならない。そしてまもなくそれは消えはじめる。それを見守っている。すると生命エネルギーはおのずとくつろいでくる。

     さあ、醒めて、このくつろぎが始まるのを見るとしよう。両手、両足、カラダの各筋肉、カラダの各神経が患者自身、何をするでもなく、ただ素直にくつろいでゆく。患者自身がくつろがせようと何かやっているわけではない。カラダ自身がくつろいでゆくのだ。患者は身体じゅうのさまざまな箇所がくつろいでゆくのを感じはじめる。全身がくつろいでいる部分の集合になる。ただ醒めているだけでいい。このくつろぎこそ「最快適感」、あるいは「快の極み」といわれるものだ。そしてこの醒めているという覚醒は瞑想だ。それは無為! 患者は何をやっているわけでもない。なぜなら醒めるということは行為ではないのだから。それは人間の本性、存在に生来そなわっている本質そのものである。

  • ヨーガと操体論(六日目)

     ヨーガは合理的であって同時に非合理的なものである。そのヨーガの方法論は全く合理的だが、その方法論を通じて非合理の神秘のなかへと深く参入してゆく。そのプロセスはすべて非常に合理的で科学的、論理的であると言える。ただしヨーガが合理的に進むのは、非合理的なるものへと跳躍するためにのみそうなのである。最後には非合理的になる定めなのだ。

     理解不可能なもの、つまり合理的なものは源泉となることはできない。なぜならそれは有限だからである。その源泉は我々より広大なものでなければならない。我々が生まれ出た源泉、あらゆるものが生じた源泉、森羅万象が生じた源泉、そしてまた、落ちていってふたたび消え去るような源泉、それは合理的なものをしのいでいなければならない。顕現されたものは、当然にその源泉ほどは広大ではない。

     合理的精神には、顕現しているものを感じ、理解することはできる。けれども、その背後には顕現されざるものが存在しているのである。だからヨーガは合理的であれなどとは主張しない。ヨーガはこう言う、「非合理的なものを考えつくということは合理的だ」、「実際、非合理の限界を考えつくのは合理的というものだ」と。

     真実の真正な心は、常に理性の限界に気づいている。常に理性はどこかでジ・エンドになるということを知っている。真に合理的な人なら、非合理が感じられる地点にまでどうしたって辿りつく。もし理性的に究極に向かって進んだら、我々はその限界を感じとるようになる。

     アインシュタインヴィトゲンシュタインもそれを感じとった。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、かって書かれた書物のなかで最も合理的なもののひとつであり、彼自身は最も合理主義的な精神のひとりであった。ヴィトゲンシュタインは、非常に論理的な方法で、実に論理的なやり方で、存在について語っている。ヴィトゲンシュタインの表現、言葉、語法、そのすべてが合理的である。

     だが同時にヴィトゲンシュタインはこう言っている。「世の中には、何ひとつそれについて言えないようなものがある」。「そこを越えると何も言えなくなるような地点がある」。「そして私はそれに関しては沈黙を守らざるを得ない」と。それから、ヴィトゲンシュタインはこう書き記す。「語ることができないものは、語るべきではない」と。このメッセージとともにヴィトゲンシュタインの全体系は崩れ落ちた! ヴィトゲンシュタインは、生と存在のすべてについて合理的たらんとしていた。そのあげくに突然ある地点でヴィトゲンシュタインはこう言うのだ、「もはや、この地点を越えると、何ひとつ言えなくなる」。

     これは何かを、非常に重大な何かを言おうとしてのことだ。そこには何かがある。が、それについては何ひとつ語れない。もう定義づけができない地点に来たのである。そして、そこでは一切の定義づけがあっさりと崩れ落ちる。真に論理的な心は必ずこの地点に達する。このように証明されざるものこそが源泉なのである。全体というのは部分では証明されえない。源泉は決して証明されえないものだ。

     たとえば、あなたの右手はあなたが実在しているということの証明にはならない。それを試すのも愚かなことだ。が、あなたの右手が自らを完全にマスターしたなら、それでもう十二分だ。手が自らを知るや否や、それは自分以上のものに根ざし、たえず自分以上のものと一体なのだということを知る。その「自分より以上もの」があるからこそ、あなたの右手もそこにあるのだ。もしあなたが死ねば、あなたの右手も死ぬ。それはただあなたが在るために生きていただけだった。そして全体は依然として証明されないままである。知られているのはいつも部分だけなのだ。が、それを感じることならできる。

     右手があるからといって、あなたがいるという証明にはならない。が、右手があなたを感じることならできる。右手自身の内部へ深く入ってゆくことならできる。そしてあらゆる深みに達したなら、それがあなた自身なのだ。操体の動診はこれをやってのける可能性をもつ。この深みに達するための淵に立っている。単なるからだの感覚だけをききわけているだけではない。それではもったいなすぎる。

     そして操体においても快を証明できないゆえに、快を信ずる。信ずることができないからこそ、快の存在を信ずるのである。これが真の快の感じ方だ。「不可能なるがゆえにわれ信ず」とは、仮に可能だとしたら、その時には信ずる必要などない。それはただの概念、ありふれた概念になってしまう。それは知的なものではなく、概念などでもない。それは不可能なものへの飛躍だ。このように理性の淵に立ってはじめて、我々は快の神秘へと飛躍できる。理性をその論理上の極限にまで伸長させてはじめて、我々は快へと飛躍できるのだ。
    明日につづく

  • ヨーガと操体論(五日目)

     ヨーガとは、全体的な人間科学のことであって、単なる宗教とは違う。ヨーガは全体的な人間科学、すべての部分の全体的な超越である。そのすべての部分を超越したとき、我々は「全体」になる。全体というのは、単なる諸部分の総計ではない。そういった機械的なものではなく、それ以上のもの。それは芸術的なものである。

     たとえば一篇の詩を数々の単語に分解することはできても、その単語は意味をなさなくなる。詩という全体があって、はじめてそれは語群以上のものになる。それにはそれ自体の独自性がある。そこには言葉と同じように言葉の間の空間がある。ときには、その行間の方が単語よりも深い意味を持つ。実際には語られなかったことがその行間から語られることがある。そしてそれがあらゆる部分を超越したときにだけ、一篇の詩文が「詩」になる。それを分解し、分析したりしようものなら、部分だけしかつかめない。そして肝心の超越的な精華は失われてしまう。

     このように意識というのも全体性に属している。だからある部分をひとつ否定することで、我々は何かを失ってしまう。ほんとうに大切だった何かを。そして何も得られない。得るものがあるとすれば、極端なものだけだ。極端なものというのはみな一種の病気だ。極端なものはすべて内側の病気になる。そして我々は混乱しつづける。内なるアナーキ状態が生じるのである。ヨーガは内なるアナーキを超越する科学。我々の意識を超越する科学。我々の意識を統合する科学だ。部分を超越してはじめて我々は全体になれる。

     それゆえヨーガは宗教でも科学でもない。あるいはそれは両方でもある。さらにそれら両方を超越していると言ってもいい。いうならば、ヨーガは科学的宗教、あるいは宗教的科学とも呼称できる。だからこそヨーガはどんな宗教に属している人にも用いられるのだ。それはどんなタイプの心の人にでも用いられる。それどころか完全に無神論志向の人でもヨーガは否定できない。

     「意識」によってヨーガが意味するのは、完全なる生気、活気、活力へと向かうひとつの動きである。我々は決して完全には生気にあふれて生きていない。生気にあふれているときもあれば、生気のないときもある。幸福に感じるのは生気溌刺としているときだけであって、我々のみなぎる生気に対するひとつの解釈にほかならない。が、より生気があふれだすときには、我々は必ず幸せに感じるものである。

     我々は、悲しみを引き起こすものがあるとき、悲しくなりはじめ、幸せをもたらすようなものがあるとき、幸せを感じはじめる。しかしそこに何もなければ、自分自身を感じることは決してない。このように何もない、我々の完全なる意識の中で、自己だけが存在しているというその感覚、その状態こそ肉体ではなくソウル、「霊魂」なのである。それは母親の子宮のなかにいるときの至福に満ちた瞬間、どんな心配もなく、どんな緊張もなく、完全にくつろいだ心の状態にある至福に満ちた存在なのかもしれない。それは我々が意識的には知らなかった、深い、無意識の感情かもしれない。そしてその感情が我々を自分の奥深くにある何かへと向かわすために駆りたてているのだ。

     数年前に操体の講習で、渦状波という皮膚に感覚をききわける操法を、三浦寛師より私は受けたことがある。このとき、はじめて、ただ感じるという感覚を経験したのであるが、それと同時にからだは今、何を要求しているのか、というトータルな至福感覚に気づくことができた。この経験から言えることは、感じることができる心だけが、本当の欲求が何であるかの感覚と方向を与えることができるということだった。
    明日につづく

  • ヨーガと操体論(四日目)

     仏陀はよくこういっていたと言う、「瞑想中は自己など存在しない」と。なぜなら自己に対する覚醒、いわゆる自覚そのものが、自己を他の一切のものから引き離してしまうからだと。自己がまだいる限り、客体も依然として存在する。ジャンポール・サルトル実存主義において「われ在り」という、だが、「われ」は完全な孤独の内では存在できない。「われ」は外界との関係で存在する。つまり、「われ」というのは「関係性」なのである。そうなったら、「われ在り」という自己とはただ外部のものとつながって存在している自己の内部であるにすぎないことになる。が、その外部がなければ内部も消える。そのときには、単純な、自然発生的な意識だけが残る。これがヨーガの目的、ヨーガの意味である。そして快の正体でもある。

     ヨーガとは自分を主体と客体の境界から解放する科学なのだ。その境界から解放されない限り、今までの東洋人のように現状のままで満足して退屈してしまい、社会が寝ぼけて死んだようになってしまう。あるいは今までの西洋人のようにたえず新しい対象に頼って、目新しいものを追い求め、社会が不眠症気味になってしまうかのどちらかである。このように東洋の不均衡か、西洋の不均衡のいずれかに陥ってしまうのだ。

     もし我々が心の平和とか、静寂、眠りといった、そういった充足感が欲しいのなら、たえず同じ対象にかかずらっていればいいのである。変化など求めない方がいい。そうしたら、我々は安心してよく眠れる。が、精神的なものなど何もない。我々は多くのものを失う。まず成長しようとする衝動そのものが失われる。冒険の衝動そのものが失われてしまう。実際、我々は植物人間のようになりかけて、沈滞してしまうだろう。

     もし我々がこれを変えようとしたら、自己は動的にはなるが、同時に落ち着きを失う。動的にはなっても、同時に緊張する。動的にはなるが、気違いじみてくる。新しいものを見つけはじめ、新しいものを尋ねはじめる。が、我々は竜巻に巻き込まれたようなものだ。新しいことが起こりはじめはしても、自己は失われる。客観性を失うと、あまりにも主観的に、夢想的になる。逆にあまり客体である対象にとらわれると、主観性を失う。この状況は両方とも不均衡だ。東洋は前者を試み、西洋は後者を試みてきた。

     そして現在では東洋は西洋的に、西洋は東洋的になりつつある。東洋では、西洋流の技術や科学、それに合理主義が魅力になっている。アインシュタインアリストテレスやらラッセルといった人たちが、東洋人の心をつかんでいる。一方、西洋では仏陀や禅や太極拳、それにヨーガが重要な意味を帯びてきている。このように東洋は共産主義マルクス主義、そして唯物論を志向する。そして西洋人はといえば、瞑想、霊性、法悦といった意識の拡大という観点から物事を考え出している。これは自分たちの荷物を取り代えているにすぎない。少しの間、それは光り輝き、照らすことはあっても、またすぐに同じナンセンスが始まるのは確実なことだ。

     東洋も西洋もひとつの道で失敗した。両方とも心の一方の部分を否定しようとしたからである。その部分は両方とも超越されなければならない。心とはひとつの全体性であり、我々はそれを全面的に超越できるか、できないかのどちらかだ。一方の部分を否定し続けたら、その否定された部分は必ず復讐に転ずる。

     こうなったら「快感覚」というのは、とてもほど遠い存在になる。その否定された部分は、ずっとそこにあって、ますます力をたくわえ続ける、そうなったら、そう、ただ報復するためだけにそこに在る。だから言えることは我々が一方だけを受け入れてきた部分が成功を収めたときこそ、実は失敗のときなのだ。成功ほどの失敗はない。どんな部分的な成功も、さらにひどい失敗に陥ることになる。そして得たものは意識されなくなり、失ったものが必ず自覚されるようになる。

     失ったもの、「不在」というのはより強く感じられるものだ。たとえば歯が一本抜けたとき、舌は歯がないことに気づき、その歯のところへ行こうとする。舌はこれまでは絶対にそこへ行ったためしがない。が、もうどうにも止まらない。舌はその歯を感じとろうと、たえずその空っぽのところをまさぐる。それと同じように、心の一部が成功をおさめた時には、我々はもう一方の部分の失敗に気づくようになる。在りえたかもしれないが実際にはないその部分に。

     主体にも客体にも否定することがなければ、自分は意識に上っている心ではないと気づく。そうなったら意識に上っている心というのは単に一部分にすぎないということに気づくことができる。心はその両方であり、心のより大きな部分である「無意識」のなかへ跳びこんでゆくことが可能になる。

     無意識へは計算づくの心で跳びこむことなどできない。計算は意識に上っている方の心がすることであって、その部分の心は無意識の中へ跳びこむことなど決して許しはしない。きっと、こう警告するだろう、「気違いになってしまうぞ。そんなことは今すぐやめろ!」。 このように意識はいつも無意識を恐れている。というのも、無意識のエネルギーが浮かび上がってきたら、意識の中の明晰なものはみんな吹きとばされてしまからだ。しかし、この無意識の中にこそ「快」が隠れている。だから快を呼び込もうとする操体では、心の無意識とつながっているカラダの無意識に問いかけることを重視するのである。

     そしてカラダの無意識に問いかけるとは、感覚がとても敏感になっているということだ。そのときには、言葉を使う必要はない、いや言葉を使ってはならない。ただ感じるだけでいい。ただ見守るだけでいい。そうすれば、すぐにもある認識に至ることができるだろう。それは生そのものだという、大いなる
    認識だ。この認識と言うのは、生のエネルギーが何かということについて、敏感になるということを意味している。本当の意味において自分自身の存在に気づいてゆくということだ。
    明日につづく

  • ヨーガと操体論(三日目)

     操体が説く「快」にはインド的哲学観が見え隠れする。操体ではカラダに不調を感じているとき、症状、疾患にはとらわれず、とにかく快を持ち込もうとする。そしてその手段として「動診」なるものが存在している。この動診というのは物理的な快への便法であって、哲学的には快そのものの論拠にはなり得ない。

     病気というものを操体的に見ると、病気という不健康が在るのではなく、健康の不在であるという見方をする。どういうことかというと、健康の裏側には必ず不健康があり、不健康の裏側にも必ず健康がある。健康と不健康は同じコインの裏表であって、どちらも単独で存在することができないものだ。もし不健康に重心が傾けばコインは不健康の「面」になり、逆の健康に傾けばコインは健康の「面」になる。ということは、どちらかに重心を移動してやればそれが適うのである。それは病気のとき、健康を持ち込んでやれば、健康になり、健康のとき、不健康を持ち込めば病気になるという理論が成り立つ。

     操体スーパー・バイザー、三浦寛師は言う、「病気になりたい、というような不健康な言葉を毎日繰り返して自身に発していると、間違いなく病気になれる」と。逆説的には病気のときに健康的な言葉を自身に発すれば健康になるという理屈にはなるが、そうはうまくいかない。病気になろうと思えば言葉でも十分イメージすることができ、想念もそのように変わってしまう。それはたやすい。ところが、健康になろうと思って「健康になる」と、いくら言葉を発してみても、たやすくイメージできるものではない。まして健康の想念など心に上ってこないだろう。

     そこで身心に健康を持ち込むためにはどうするのか。それが「快」である。快を心の内に呼び込んでやればいい。操体では動診という手法を使って快を味わえるように誘導するのであるが、これがまさしく病気に対して健康を持ち込むことになるのである。健康状態というのはまさに気もちよさ、心地よさを味わっている状態なのだ。 屋根の上で気もちよく昼寝しているネコを見たことがあるだろう、ネコのおなかは大きく膨らんで、からだ全体でゆったりと呼吸しているのが見てとれる。まさに心地よさの中でくつろいでいるのが感じとれる。

     人間でも同じだ。赤ん坊の寝顔を観察したことがないだろうか。このうえもなく幸福感に包まれたような寝息とともに、見る人をも幸せにする、そのような感じを覚えるのは私だけではないだろう。三浦スーパー論にある「多幸性」とはこのような比喩で説明できないだろうか。本当の意味において赤ん坊は、心身とも気もちよさの感覚に委ねているのである。このように赤ん坊というのは感じる心とともにやってくる。

     それから年月を経て、赤ん坊が社会の一部になった瞬間、社会人病といわれる「神経症」が作用し始めるのだ。せっかく感じている存在として生まれ、万物を感じていたのに、思考する存在に変わってしまう。月日が我々を「感覚」と「思考」に、二つの別々のものにしてしまった。

     このことが人格の内部の分裂、すなわち基本的な「神経症」である。社会の一員となるや否や「思考部分」と「感じている部分」との二つになってしまい、その内、感じている部分とは同化しないで、思考部分と自己を同化してしまう。感じることは思考よりも在りのままであるが、社会によって思考が養い育てられてしまった。この思考とは、いわば分裂のテクニックであり、そして感覚というのは統一、統合に導いてくれる唯一のツールでもあるのに。

     話が脱線してしまった! 身心に健康を持ち込むというパラドクスの話に戻そう。それは快感覚こそ不健康の反対側にある健康という、その両方がコインの裏面なのだということだった。病気の正反対である健康という想念を持ち込む意味はここにある。健康、不健康は一枚のコインの裏表であり、まったく同じエネルギーでできているから、持ち込んだとたん、たちどころにエネルギーが変化する。正反対のものを持ち込めば、それが吸収してしまい、突然、自分の内側に「快」という変容が起こっているのがわかる。するとどうだろう、からだの疾患はなくなり、健康が湧き上がってくるではないか。このようにいつも背中合わせにあるからこそ病気になったり、健康になったりできるのだ。

     今述べたことはすべて因果律という観点から考えたことで、たとえば水は加熱すると蒸発する。それは熱が原因であるからで、熱がないと水は蒸発しない。これは因果的なもの。つまり、熱が蒸発という現象に先立って必要な条件となっているからだ。しかしヨーガとはもっとそれ以上を意味する。ヨーガの瞑想は因果的ではない。だから、どんな方法も可能になる。方法というのはすべて単なる方便にすぎない。それはただ、その出来事が起こるための状況をつくり出しているだけで原因となっているのではない。

     三十五年ほど前になるが、私は『自我の終焉』という本に魅せられて、その著者であるクリシュナ・ムルティのもとへ旅したことがあった。その講話で彼は言う、「どんな方便も、どんな方法も不要だ!」と。また、禅の師家たちもこう言っている、「どんな努力も不要だ! それは努力なしのことだ!」と。それは確かに真実に違いないだろう、だが、これは回顧的な見方である。その方便が不要だったということを後になって知るわけだから、まだ障害を乗り越えていない人にとっては実に馬鹿げた話だ! 大概は、この障害を乗り越えていない人たちに話しかけなければならないのだから。私はその講話の席にあって、彼から感じる波動は「何かがおかしい、これは違う」と思わざるを得なかった。

     しかし、そんな不必要な方便が編み出されてきたのには、それなりの理由がある。我々が瞑想に入ろうと考えても、そう簡単に入ってはゆけない。というのも、その考えている部分が、瞑想に入るのを許しはしないだろう。我々は考えずには何ひとつできない、これがジレンマになる。たとえ「私は考えないぞ!」と考えたところで、それもまた思考のうちだ。このように言い張っているのも心の思考する部分なのである。さてどうする? 禅師はこう言う、「跳べ! 何も考えてはならない!」しかし、我々は考えずに跳ぶことなどできっこない。それはそうだろう。それだからこそ方便が必要になるのだ。方便は人為的なものであるが、思考という理屈好きの心を鎮めて、我々を未知なるものへと押しやってゆくことができる。
    明日につづく

  • ヨーガと操体論(二日目)

     純粋意識を目的とするヨーガは、意識の対象と意識の源泉の両方を意識する。そしてそれができたなら、次に主体と客体の両方を落として、ただ意識そのものになること。この純粋意識こそヨーガの目指すものである。何もヨーガがなくても、人間はますます意識が増大する方向に成長してはいる。だが、ヨーガはこの意識の進化にさらに何かを加え、何かしら貢献している。それは多くのものを変え、多くのものを変容させる。その最初の変容は二方向に向かう覚醒意識であり、何か他のものを意識するまさにその瞬間に、自分自身をも覚えているということである

     そのジレンマは、我々はある対象を意識しているか、それとも無意識であるかのどちらかだ。外界にどんな対処もなければ、我々は眠ってしまう。意識するためには何か対象が必要になる。何にも従事することがなくなったら我々は眠くなる。どうしても意識する対象が必要だ。逆にあまり意識する対象が多くなりすぎたら、我々は一種の不眠を覚えるかもしれない。あまりにも考え事に取り憑かれている人が寝つけないのはそのためである。そういう人には対象が取り憑きつづけている。想念が憑きまとい続ける。そういう人は無意識になれない。数々の想念が注意を惹き続ける。

     そしてこのジレンマが我々の生きている実情なのだとヨーガは教える。新しい対象が出てくると、意識する度合いが増してくる。新しいものを渇望し、新しいものに憧れるのはそのためだ。だから古いものは何でも退屈になる。しばらくある対象を相手にして過ごすと、やがてそれを意識しなくなってくる。我々はもうすでにその対象を受け入れている。もう気にとめる必要はない。そこで、退屈になってくる。

     たとえば、長年連れ添った夫婦はお互いに空気のような存在だというが、それはもう長いこと互いに意識しないできているかも知れない。亭主は妻がいるのはあたりまえだと思っている。亭主はもう妻の顔など見ない。眼の色さえ想い出せない。ほんとうに何年もの間、気にもとめていなかった。そして妻が死んで初めて、そういう女性がいたことにあらためて気づくという始末である。だからこそ、世の女房族や亭主族は倦怠期を迎えることができるのだ。

     このように注意を呼び起こさないような対象は、どんなものでも退屈を生み出す。新しい対象が何もないときでも、確かに醒めていることのできる心が必要だ。何かの対象にしがらみをもっていると、新しいものにしばられるようになる。対象にまったくしばられていない、対象を超えた意識が必要だ。そうしたとき、我々は本当の自由を手に入れる。好きなときに寝入り、好きなときに目覚められる。自分の助けになるような対象など必要としないで自由になる。対象の世界から本当に自由になることができる。

     対象という客体を超える瞬間、同時に主体をも超える。なぜなら、その二つは互いにつながって存在しているというよりも、主体性と客体性は同じひとつのものの両極であるからだ。一方に客体があるとき、自己は主体。だが、客体なくして醒めていられたら、そこにはどんな主体も、どんな自己もない。客体が消えて、その客体なくして意識することができるとき、ただの意識だけのとき、主体もまた消え失せる。主体も客体も両方とも消え失せ、ただ意識だけが、何ものにもとらわれない無限の意識だけが残る。そうなったら境界などなくなってしまう。主体と客体のいずれも境界ではなくなる。これがヨーガであり、このとき、快適感を覚えるようになる。これをタントラ仏教では「無上の歓喜」と伝承しているが、操体でも快に従い、快に委ねる、というように同じ「快」を核にしているのは、決して偶然なことではない。

  • ヨーガと操体論

     今週は日下が担当で、タイトルは「ヨーガと操体論」である。主に意識と快感覚の親近性にテーマを絞ってみた。また、ここでいうヨーガとは、いわゆるヨーガ体操ともいえる「ハタ・ヨーガ」ではなく、「ラージャ・ヨーガ」に焦点をあてているので違和感を覚える人がいるかもしれない。

     私は「操体院」という名称をつけた操体の施術院をやっている。それとは別にインド正統派ヨーガの指導もしており、私自身、ヨーガを40年間、実践している。そこでまず、この「ヨーガ」という語について、一言申し上げたい。我が国において当初、ヨーガは「ヨガ」と呼ばれていた。現在はサンスクリットの発音どおりに「ヨーガ」と表記されるようになった。それには、実は言葉の上だけの問題ではなく、ヨーガが一部の好事家のものから、真に心の平安と身体の健康を求める人々のものとなったことを意味している。

     古代インドの聖者たちが深い思索と宗教体験の結果として編み出したのがヨーガの体系である。しかし我が国の高度成長期にあって、ビジネスと結びついたヨーガはインドの古典に直接触れることもなく、主として健康を保つ目的から「ヨガ」として実践する人々が増えていくこととなった。その原因の一つに、インド哲学や仏教学研究の方法が明治時代以降にヨーロッパから逆輸入されたことにある。

     つまり、インド哲学や宗教はその実践性、すなわち認識と体験の一致に特色があるにもかかわらず、ヨーロッパ流の研究は、それをあくまでも客観的研究対象としてとらえてしまう。ゆえにこのような傾向は、ヨーガを自分自身のものとして取り組むことにブレーキをかけてしまう結果となった。これは実に不幸な、かつ無益なことであったと言うほかはない。いわゆるヨガ実践者の中には、名称等にこだわる必要はなく、ヨガでもヨーガでもどちらでもよいなどと言っている人を見かける。

     しかし、「ヨーガ」という語は、本来正しくはヨーガであってヨガではない。ヨーガの経典や仏教経典のほとんどは、インドの伝統的古典語のサンスクリット梵語で書かれている。サンスクリット語のヨーガという語は、その文法上「YOGA」の「O」は必ず長母音で発音されなければならない。従って、これを学び実践するためにはまず、「ヨーガ」と正しく発音しなければならないのである。操体においても「ソータイ」や「ソオタイ」ではなく、「ソウタイ」が正しい表記であるのと同じことだ。

     さてヨーガと操体の関わりについて、操体の目的が「快適感覚」につきることは、紛れもない事実としてすでにとらえられている。そしてこの快適感覚というのは、たった今、ここで、感じているという、この瞬間のことを言っている。このように快適感覚は心が意識的になっているということであるが、生の目的とは本来、意識的になることだ。それは単に目的であるばかりではない。生の進化それ自体が、ますます意識的なるということである。

     意識的になるというのは人生において幸福を求めることでもある。何も苦痛を味わうために一生を過ごすのではない。では幸福というのは端的に幸せを感じることであって、その感覚は「心地よさ」「気もちよさ」に結論できる。広義の意味では欲求が満たされたときの快楽感もこれに含まれる。が、本能的な性欲や食欲、それに名誉欲や所有欲などは一過性のものである。いずれ欲を募らせるばかりで不変的なものにはなり得ない。なぜなら、これらはすべて外界のことがらであり、自己の内側に関わるものではないからだ。

     ただし、快楽感のうち、性、SEXに関してはタントラのように特殊な技法をもって俗界の快楽ではなく、歓喜という快の極みに達することができるものも確かにある。しかし、外界との関わりにおいて快を味わうタントラは極めて例外的なものだ。内なる自己に分け入って「快」が結果的に訪れるようになるには、瞑想によって体験されうるものである。その方法がヨーガ体系に見ることができる。それと同じ「快」が操体も共有していたのをあらためて確信するものだ。

     生の進化とはますます意識的になることだが、意識というのは常に「他」指向である。我々は何かを、いつも何か「他」という対象を意識している。ヨーガの意図は、どんな対象もなくただ意識だけがとどまるような次元に進化してゆくことだ。ヨーガは純粋意識に向かって進化してゆく方法、つまり、あるものを意識するのではなく、意識そのものになる方法なのである。

     あるものを意識するときには、我々は自分が意識していることを自覚してはいない。我々の意識はあるものに焦点が絞られている。意識そのものの源泉には我々の注意は向けられてはいない。だがヨーガではその両方を意識するよう努力する。意識の対象と意識の源泉の両方を。意識というのは二方向に向かう矢になる。我々は客体である対象を自覚しなければならないし、同時に主体も自覚しなければならない。意識はこのような二方向に向かう矢の橋になる必要がある。主体は見失われてはならない。客体に、焦点が絞られているときに、主体が忘れられてはならないのである。
    明日につづく

  • p1*[岡村 郁生(おかむら いくお)] 医療水準と操体、その七

    日本の古語に「イヤサカ!」という言葉があったそうです。
    「いよいよお栄えあれ」と云う意味らしいのですが、物質的繁栄や成功祈願ではありません。
    ひとりひとりの精神的な”生長(精神的成長の意)”に「イヤサカ」を・・・といった意味する言霊なのです。

    私はここで急に、自身の「イヤサカ」に元々繋がってきた書籍を思い出しました。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    (p224から引用します)

    〜(前略)〜常識として理解されている多くの事象は、人間の合理性にもとづいていることが多いものです。
     そして、時にこの常識は、人間性を歪めるように働きかけてきます。
     しかし、この「大生命の理に生かされている」という真理に気づくと、
     今までの常識と思っていたものが虚になるのです〜(ここからが真骨頂です。是非購入を!)

    言葉とはどうして心に響くのでしょう。
    操体法」を治すテクニックと考え、『これからどんな奥の手(操体法)を教えてもらえるんだろう』と、
    ワクワクして、欲得心でブレブレだった場合には、「操体」の真価はわからないのです。
    まあ、わからなくても臨床の効果はあることでしょう。それはそれで構いません、自己責任ですから。
    ですが、「操体」を学ぶには、「品性」がどうしても必要なのです。
     
    (死という区分から放たれる自由)

    人に思い出される限り、その人は死なない。少なくともその人の中で生き続ける。
    お洒落とは、なにが自分らしいのかわかっていること、そう何か教えてくれたのは義父(私の実母の再婚相手であり実弟の父)です。
    社会的束縛を嫌い、常に自由であることに誇りを持ち、初対面の子供にも好かれるような、不必要な刺激を与えない人でした。

    そんな義父は、6年前に白血病と診断され、心不全により他界しましたが、その最期に立ち会ったことを書きます。
    昨日の叔母同様不思議なことに、私と家族全員は呼ばれたのでしょうか?偶然にお見舞いに行っていたのです。

    義父の最期を看取ってくれた担当医は、穏やかな言葉を選びつつ、言いました。
    決断の時間がないこと、あらゆる抗生物質が効かない状態であること、肺が機能していないので処置が必要になったこと。
    選択は二つ。一つは人工呼吸器をつけて呼気を補助する、但し二度と外せないので本人は苦しいということ。
    もう一つは、本人の自力による呼気が続く限りそのままで経過をみること。但し呼吸が自然に復活する可能性はないこと。

    私の母は「少しでも長く生きられるのなら人工呼吸器でもいいんじゃない」と決断できません。
    ここで私は、三浦理事長から教授されている「診断」方法を通して決断を通してみました。
    その結果を伝え「本人の意志を最優先するのなら、こちらだよ、そのままを望んでいるよ」と伝え、この決断は通りました。

    誰一人として反対しなかったからでしょう。
    決断を促した担当医は大きく頷きながら、こう教えてくれました。
    「私に言っていたんです。自然にして欲しい、何よりも自然がいい、そう本人も望んでいました」・・・と。

    それから一時間ほどでしょう・・・ゆっくり血圧は下がっていき、家族の見守るなか、静かに静かに脈は少なくなって止まりました。
    変なことを言うようですが、本当に苦しんでいた義父は、苦しみを一つ一つ落としていきながら息をひきとったように感じました。

    おかしな言い方かもしれませんが、人が亡くなる瞬間とは何が起こるのか、立ち会うことを許されたかのように思えました。
    それは「器質異常」から「機能低下」に「機能低下」から「感覚異常」に変化し「歪み」から元に戻っていく瞬間のようでした。

    「法(おしえ)を聞かないものは、臨終時に 身と心の二重苦で悩まねばならない。
     しかし 法を聞く者は、心の安らぎを得ているから 身体の苦しみ一つで済む」
                              〜釈尊
    「死ぬときは苦しかったら、ウーン、ウーンと誰にも遠慮することなく、苦しみもだえて死んだらいいんだ」
                         〜鎌倉円覚寺、朝比奈宗源管長〜

    これは死や痛み、苦しみ受容したような言葉ですが、私自身には優しい、ある救いのように思えるのです。

    「生」は勿論、「死」も自分事なのだとはっきりと自覚が必要であり、そこからまた自分を抜き去ることで理解する。
    他人事ではなく平等に与えられた権利100%が「死」と「生」であり、痛みも苦しみも、その受容次第で変化しています。
    何%ほど受け入れて、拒否しているのか、これによって生きかたも変化してくるのが「自然法則」ではないでしょうか。

    そして、医療水準を考えてみるとどうやら、人間の生き方次第ではないか、そう思えるのです。

    そして問いかけの最後に、最近気になる橋本敬三師の言葉を挙げます。

    「からだの設計にミスはないという本に題名つけるとき、
     僕初め『人間の設計にミスはない』って書いたんだけども、 
     それは別として、人間の設計にミスがなくできている。良くもなるし、悪くもなる」(p128より抜粋)
                                                        
    ・・・どうして「からだ」ではなく「人間」の予定だったのでしょう?・・・・

    まだまだ伝えたいことはありますが、纏まりに欠けているようでして、(失礼しました)
    やはり一皮剝く必要がある私には「編集」の学びこそ必要なんじゃないだろうか?ということで、
    畠山常任理事に紹介して頂き今後4ヶ月の間、松岡正剛先生のISIS編集学校「守」を学び通して参ります。
    ともあれ、長文乱文でのお付き合いとなりましたが、一週間ありがとうございました。

    明日からは、文章力そのものを体現する兵庫の日下実行委員です。
    どうぞよろしくお願いいたします。

  • p1*[岡村 郁生(おかむら いくお)] 医療水準と操体、その六

    人の記憶とは不思議なことばかりですね。
    記憶能力に限界はあるのでしょうか、もしあるならば想記能力の問題ではないでしょうか?
    生まれてからの記憶、生まれる前の母体と共にあったイノチの記憶、遺伝子に刻まれている記憶まで・・・。

    (選択の自由)
    私の親戚に、先天性小児麻痺で、左腕と首から上しか動かせなかった叔母がいました。
    一回消した記憶が蘇って記憶している言葉、それは叔母が六歳の私に伝えてきた言葉なのです。
    「大きくなったら私のように自分で立てない人を、歩けるようにしてあげられるような勉強をして、立派なお医者さんになってネ」

    そして、この叔母の言葉を思いだしたのは、12年後法事で会ったときでした。
    「イクオ(私)は大きくなったら、私の足を治してくれるんじゃなかったの?」
    と、冗談で笑いながら言っていたのですが、このことを言われた6歳の自分自身は、この言葉で復活してしまったのです。

    僕は脱サラして、鍼灸按摩師、柔道整復師の資格を取って茅ヶ崎で開業してから、
    横須賀の叔母に会いに行きました。
    「おめでとうイクオ、大変な勉強してきたんだから、私の足も見て頂戴」
    当時の私は肩書しかありません。生まれつき診断名もある叔母に何か出来るなんて到底思えませんでした。
    その場でお茶を濁すようなことしかできず、グングン伸びていた鼻を打ちのめされました。

    その次の年から、三浦理事長の主催している「操体法東京研究会」に参加して以来、「東京操体フォーラム第一回」より、
    「塾操体」も必ず参加して一年も欠かすことなく、現在も三浦理事長に個人レッスンをお願いしています。
    私は怠けるのが大好きな自分を飼っているので、叔母の一言がなければ一つのことをここまで続けていないと思います。

    手足が不自由でも笑顔は自由です。叔母にとっても、なによりの財産だったことでしょう。
    表情筋の発達ぶりは見事でした。百面相のできるような人でしたから、その周りにいるだけで笑い顔が広がるのです。
    夫と協力して二児を出産、左手以外は麻痺状態にありながら、「家庭介護力」はとても強固な絆となっていました。
    電動車椅子で行ける買物も、一人で掃除洗濯も行えるのですが、転倒すると誰か助けてくれるまでジッと待つしかないのです。

    前置きがちょっと長くなりました。そんな叔母に会いに行った一昨年の話をします。
    医療処置が厳しい状態で末期の原発性肝臓がんと診断され、家庭生活を望んだ叔母は、変わらぬ生活を選択しました。
    幸いにして、叔母の周囲には培ってきた家庭介護力もあり、かかりつけの医師の協力もありそれを可能としました。

    ある日曜日の夕方、講習からの帰路途中駅のホームにいると、母親から連絡がありました。
    「忙しいだろうから今日でなくていいけど、(叔母に)ちょっと近いうちにに会いに来たら?」
    一瞬躊躇しました。自分で考えてしまうと『明日の朝七時から予約が入っているし、今度でも・・・』と。

    そこで、自分ではなく「息」に自身に問いかけ、落ちつこうとした時に頼りになるのは、生命の根本である「息」です。
    結果、自分ではよくわからないけれど「会いに行かなきゃ」と感じ電車を乗り換え不思議を味わいました。
    いつも混雑している電車はなぜか座ることができて、三回乗り換えた急行電車は乗り換えもスムースに到着したのです。

    久しぶりに会った叔母は、腹水がたまり、手足や全身が風船のように膨らんだまま、目は上を向き、呻くような呼吸をしています。
    いつものように会った瞬間、「オ〜よく来たね〜イクオ、ありがとう!」という言葉をかけられなかったのも、初めてでした。
    ただ、ベッドの近くで一年ぶりに私を見た途端、激しく何かを訴えますが、呻きのようであり、聴き取れないのです。

    私は思い出しました。そうだ!僕は三浦理事長に「操体法」だけでなく「快」を通す学び、
    そして診断法としての「息診」さらに「皮膚の接触」を「操体」を通じて学んでいるじゃないか!
    ”間”をはかり、落ち着いて向き合いなおしたところで・・・「息診」。
    「うん、ゴメンね。僕も久しぶりに会えて嬉しいよ。ちょっと触れてもいいかな・・・」と「渦状波」で接触しました。

    すると、荒っぽい呼吸は少しづつ納まり、周りにいた家族達は皆驚き、黙って僕と叔母の空間を見守ってくれました。
    自分でない、自身がありそれが「イノチ」を循環している。ただ僕と叔母はその”間”にいる、それだけなのです。
    「こんなに安らかな息をしているのは久しぶりだね!よかったねイクオが来てくれて・・・わかる?」
    すると、涙を流す叔母がどうしようもなく何かでにじんでしまい、前を見ることのできない私にも確認できたのです。

    「終電に間に合うように帰るから、また来るね」
    すると叔母は、膨らんだままでも「スースー」と寝息を立てて休んでいました。
    その二日後、亡くなったと知らせた私の母親は「イクオに会いたかったから、最後に呼んだんじゃないの」と言いましたが、
    虫の知らせ?私にはサッパリわかりません。ただ、突き動かされたように「からだ」は優先して私を導いたのかもしれないという事実です。

    人が亡くなった。人が生きていた。僕が今、生きているけれどいずれ死ぬ。

    生かされている人は亡くなる。蘇る人は生きる。僕は今、生きているから死ねるんだ、という有り難みを学ぶ。

    医療と介護と自己責任分担。
    受けるのも拒むのも、流されるのも、乗っていくのも自分自身。

    常に介護を必要として生き、生かされていた叔母の言霊は、それこそ私が生まれてくる前の記憶にヒビいていた気がします。

    「これ自己の強為(ごうい)にあらず、威儀(いいぎ)の云為(うんい)なり」
                                       〜道元

    (訳:人間の意図的努力によってやることなしに、いずれ自分の役に立ってくることが起きているだけだ)