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  • お題が

    明けまして御目出度う御座います、遷宮効果で大賑わいの出雲之国住人福田です。
    今年も変わりませずご愛顧下さいまし。

    さて、今年も実行委員ブログの日程がやって来たわけですが、今年でもう何年に
    なるのでしょうか?
    この、はてなダイアリーの継続日数を見てみると、記事を書いた日数が約1700日
    と出ているので、現行でも約5年は継続していることになります。
    それ以前も考えると、まぁ〜よくも書いてる書いてる、中々に大変なことです。

    あくまでも実行委員の一週間限定持ち回り企画なので、一週間のことでしょ?って
    言われればそれまでですが、畠山先生の様に普段から文章等を書くのが得意な方に
    とっては造作無きことでしょうが、私の様に文章書くの苦手、夏休みの宿題を8月30日
    辺りから始めていた身の上としては、辛いこと限りないのです。

    テーマはフリーですので、何を書いても師匠からお咎めが有るようなことは無いので、
    その辺りは良いのですが、何せ言ってもネタを捻り出すのに、ブログの前後二週間は
    悶絶しながら、日々過ごしております。

    私は『お題』が決まれば、書き出せる人なのですが、お題が決まらないとまぁ〜悶絶悶絶〜。
    当然のことながら、大変な日々を過ごすこととなり、ブログUP当日もネタが降りて来ず、
    ウミガメの如き産みの苦しみを味わっております。

    年頭に当たって今週一週間は最近気になっているキーワードを元に書き進めて行きたいと
    思っておりますので、毎度の事ながら私の一週間は箸休めと思い読んで戴ければ幸いです・・・

    初日のキーワードは、やはり遷宮その後』です。
    前回のブログにも出雲大社遷宮の事を書いたのですが、その後、出雲大社がどう
    なっているかをご報告致します。

    島根県をキーワードで表すと陸の孤島』『砂丘の隣』『人より神が多い場所』等々、
    ポジティヴなキーワードが余り浮かんでこないステキな地域です。
    総理大臣や参議院の影のドンなどと言われる方が何人出て来ても、新幹線のしの字も
    出て来ない場所も珍しいでしょう・・・

    そんな出雲之地がここ数年、俄に活気付いて来ているのが、『60年振りの遷宮
    だったのです。
    何せ言ってもお伊勢様とのW遷宮は生きている間に、二度経験出来るかどうか?
    の大イベントです。
    幾らノンビリが信条の島根県人でもこのチャンスを逃すと、二度と儲かるチャンス
    が無いと思ったのか、
    数年前までは閑古鳥にさえ見放されていた様な、門前通りだった『神門通り(しんもんどおり)』
    あれよあれよと言う間に変貌してしまいました。
    因みに、昨年1月から11月までの出雲大社の参拝客数は、約746万人と前年の2.2倍、
    神門通りの歩行者数は、10月13日が最も多く、43,369人だったそうです。

    地図を見て戴いたら分かるのですが、色々な店舗が所狭しと出来ています。
    殆どのお店がここ数年の間に出来たお店で、余りの変わり様に、地元原住民として
    は嬉しさ半分、戸惑っているというのが正直なところです。

    私のクライアントの方も、神門通りに昔からお店を構えていらっしゃるのですが、
    先日お話を聞く機会がありました。
    確かに来客が増えたのは有り難い事だと言われながらも、一方で通りには昔から
    お住まいの民家もあり、観光客のマナーの悪さに辟易しているとのことでした。

    飲み残しのペットボトルや食べかすなど、数年前には無かったゴミの数々が
    これでもかと言わんばかりに、玄関先に散らかしてあるのだそうです。
    指定駐車場以外の場所に平気で車を停めるドライバー、燻っているタバコの
    燃えかす等々、数え上げると切りが無く、商売する人達は良いかもしれないけど、
    昔から住んでいる人間にとっては迷惑な話だ!と地元住民は慢性渋滞も含め
    ゲッソリしているのだそうです。

    ま、一方が良くなれば泣く人がいるのは世の常ですが、せめて、神の
    お膝元にお邪魔して、さんざ神頼みをした後で、人に迷惑をかける様
    では本末転倒。
    そんな輩の願いを神が聞く耳持つはずもありません。

    せめて、俗世に帰る迄の間位、神域にいる間はマナー良くしてほしいものです・・
    初日から嘆きで始まったブログですが、一週間宜しくお願い致します。

  •  操体は、楽な方にきもちよく動くのではない。楽と快の区別を明確にしているのが操体である。

    操体は、楽な方にきもちよく動くのではない。楽と快の区別を明確にしているのが操体である。
    楽な方が本当にきもちいいのだろうか?それは単に「楽でスムースでなんともない」のではないだろうか?

    東京操体フォーラム実行委員含め、読者あるいは操体愛好家の皆様に申し上げたい。

    「きもちよく動く」のが操体ではない。
    その前に「その動きが快か不快か」という、診断分析(動診、動かして診る)という過程が必要だ。

    動かしてみないと(確認してみないと)それが快か不快か分からないではないか。

    勿論世の中には「きもちよく動けちゃう」人もいるが、これはホントの話、動きながら確認できちゃう、器用な人達なのであり、私のような凡人は、動かしてみないと、それが快だか不快だかわからない。

    操体をやっている人の中には、それを勘違いして「自分がこうやってきもちよく動けるんだから、他人もできるだろう」と、安易に
    きもちよく動いて」という方もいる。それは指導者の「おごり」というものだ。

    また、講習で練習している場合、相手はある程度知っているので動いてくれる。これが本当の臨床だとこうはいかない。
    言葉の誘導が適当でも同じ受講生なら動いてくれるが、お金を払ってくる患者様、クライアントの方々はそうはいかない。
    「普通は動けない」というのをアタマに入れておこう。

    そして、もう一つ考えていただきたいのは「楽なほう」≠「きもちよさ」ではないということだ。

    これは「楽(な動き)」は運動を分析しているのであり、「快(適感覚)」は、文字通り感覚を分析しているのである。

    楽、というのは「動かしてなんともない」「スムースで引っかかりがない」「違和感がない」ということだ。
    つまりバランスがとれていて、ニュートラルな状態なのである。ある先生はこれを「無」といっておられるが、動かしてみた感覚には「楽」(スムースでなんともない、つまり無と言ってもよい)、不快(痛い、辛い、いやな感じ)、そして「ああ、きもちいい」という快があると思っていただこう。

    つまり、楽と快は違うのだ、と認識していただきたいのだ。

    この話しをすると笑う人もいるのだが、楽と快を混同するということは、例えばセックスの最中(笑)に、お相手が「ああ、楽だわ」「ああ、楽だよ」と言ったらどうだろう?

    これくらいヘンなのだ。

    また、もっと直喩的に言えば「愛の営みは楽できもちいい」というのはヘンではないか?
    これは、愛の営みというのは「楽ではない」という認識が私達にあるからなのだ。

    「楽なほうにきもちよく」という言葉は、言葉上は難なくアタマに入ってくるが、操体的に考えると、ヘンな言葉なのである。
    楽なほうはスムースで何ともない場合のほうが多いからだ。

    逆に、可動域が少なくても、気持ちいい場合もある。

    ここで「快(きもちよさ)についてもう一つ。

    確かに、ボディに歪みがない健康体で、生きているだけで気持ちいい、ということもありうる。
    しかし、そういう状態というのはあまりないのが事実である。

    そして、ボディに歪みがなくて、バランスがとれていて、動かしても楽でなんともないという、ニュートラルな状態がある。
    これが「無」と言ってもいいだろう。

    そして、快というのは「歪みがなくて、健康だから」と思っている方もいるかもしれないが、実は「快」とボディの歪みは密接に繋がっている。歪みがある場合、動かしてみると(動診)、快か不快か分かるのである。
    これを「快不快の法則」という。

    なのでどこかトラブルがある、バランスが崩れている場合のほうが強烈な快あるいは不快を感じることが多いのだ。

    勿論人間の感覚というのは非常に微妙なものなので、痛いけど気持ちいいということもある。そういう場合はどうするか?
    操体の場合「からだにききわけて」(アタマで考えない)やるかやらないかを決定する。

    痛キモチいい。これは痛いけれど、味わってみたいというからだの要求があるのか?ないのか?
    痛み、ちょっとした痛みだけれど、からだには何故か一度は味わってみたいという要求がある。
    こういう場合、一度味わってみると、二度目はいらない、ということが多い。

    楽な動きを問いかける動診操法を第一分析という。
    対になった二つの動きを比較対照して、楽なほうに動かして、数秒動きをたわめ、瞬間急速脱力する。

    これが従来の操体だ。

    私達がやっているのは、橋本敬三先生が「きもちのよさでよくなる」「楽ときもちよさは違う」と言われたことから、三浦寛師匠が体系づけた「一つ一つの動きに、快適感覚の有無を問いかける」というものだ。これを第二分析という。

    「楽(な動き)」をききわける動診操法と、「快(きもちのよさ)をききわける」動診操法は、そもそも違うのである。

    一連の操体臨床の最中、あるいは終わった時、クライアントが

    「ああ、きもちいい」「きもちよかった」あるいは「きもちよくて寝ちゃいました」という言葉を聞くと、ああ、操体をやっててよかった、きもちよさでよくなるんだなあ、と思う。

    逆に言えばクライアントに「きもちいい」と言わせるのが操体臨床家としての冥利につきるところだ。

    もう一つ言えば、クライアントがきもちよさをききわけ、感じ、味わっていると、その「きもちよさ」が操者にも波及し、操者自身のからだも何故か良くなってしまうというのも、「快」の妙である。

    昨年末の暮れも差し迫った12月29日は第五日曜。
    第五日曜には「塾・SOTAI」が開催される。

    塾・SOTAIとは、操体法東京研究会の講習を終えたメンバーが参加できる、ブラッシュアップのための時間である。

    通常午後から始まるのだが、この日は午前中から東京操体フォーラム実行委員が集まり、今年春のフォーラムについての打ち合わせを行った。一時間半程度の時間で、色々話をし、話題を詰めた。これで詰めたものを、毎週第二日曜早朝8時から開催している実行委員勉強会で、更に練った。

    打ち合わせが終わった後、同席していた三浦先生も、参加した実行委員のアイディアの出しっぷりをほめていた。三人寄れば文殊の知恵ではないが、何か出るものだ。

    その結果ひねり出たのが「入眠儀式」という単語だった。

    この言葉が出た時の不思議な感じ、それが決定打だった。「ようし、これにしよう」という不思議な感じの空気が流れた。

    春のフォーラムのキーワードだ。

    息食動想には睡眠が入っていない。それは、寝ないと生きていけないし、睡眠は完全に自分ではコントロールできないからだ。同じようなものに、排泄がある。

    文明国で売れる薬というのは睡眠薬と便秘薬らしいが、日本でも最近入眠薬が薬局で売られていたりとか、睡眠障害を感じている、睡眠障害とまでは言えないが、何だか寝付きが悪いとか、朝すっきり目が覚めないという話はよく聞く。

    ちなみに私は生活を朝型に変えてから10数年経つが、眠れないということはあまりない。

    また「眠れない」「寝付きが悪い」というクライアントの話を聞いてみると、寝る前に「寝付きが悪くなるようなこと」をしていることに気づく。それをやめればいいのだが、それがなかなかできないのが、現代人の悩ましいところである。

    快眠と快醒(かいせい)のコツのコツ、これを「操体的に」「セルフケアで」「勿論きもちよく」紹介する。

    4月26日(土)は、三軒茶屋ターミナルビルにて人数限定のセミナーを予定、27日(日)はいつもの津田ホールで「入眠儀式 快見快醒のコツのコツ」「快眠メソッド大公開」のような感じで行う。

    ちなみに、この写真はフォーラム実行委員若手三人衆である。
    彼らが会場で走り回る姿を見るのもまた楽しみの一つだ。

    それでは一週間ありがとうございました。

    畠山裕海

    明日からは出雲之国からのメッセージです。

  •  若さの泉。

    5つのチベット体操──若さの泉・決定版

    5つのチベット体操──若さの泉・決定版

    「若さの泉」という本があります。

    十数年前、たまたま見つけて一時はまったことがあります。
    実際やってみると、結構きついし難しいのです。
    その時、周囲の人間には「バカみたい」「信じるんだ」とか、色々言われましたが無視しました。別に私が試してみたからといって、その人達に迷惑がかかるわけでなし。こういうの放置が一番です。

    内容はさておき、これはチベットに伝わるヨーガみたいな体操です。スーフィズムのように、くるくる回るものもあります。
    印象的には、チャクラや甲状腺などを刺激して、若返りを促すのだろうなと思いました。

    ちなみに、昨年10月、久々に来日(本当は2011年4月予定だったが、震災直前に中止になった)したKISSのコンサートに行ってきました。
    ざざっと説明しますと、好色な(笑)コウモリ男、星の王子様(スター・チャイルド)、スペース・マン、という四人です。
    結成当時、1970年代のはじめというのは、グラムロックが流行っていました。
    デヴィッド・ボウイやT・Rexなど、男性がメイクし、中性的なスタイルをしているというのが流行ったのです。
    KISSはアメリカのNY出身ですが、彼らはグラムロックをやるにはゴツすぎたそうです。背は高いし筋肉ありで、どうもメイクして女装ってのは似合わないじゃ〜んということで、日本のKABUKIにインスピレーションを得てあの、白黒メイクができあがったんだそうです。
    私もファン歴長いんですが、こうやって書くと何だか感慨深いですね。

    この4つのキャラクターは、商標登録されています。
    そして、演じている(メイクしている)人間が変わっても「キャットマン(猫男)」というのは法律の下で守られているわけですね。
    今現在オリジナルメンバーは、コウモリ男さんとほしの王子様だけですが、驚いて下さい。
    1949年生まれと1952年生まれです。
    還暦は立派に超していらっしゃるんですな。

    私はKISS ARMY Japan(KISSのファンクラブです)の会員ですし、ウドー(笑)のチケット会員です。KISSの先行予約は勿論登録してあります。というわけで、お師匠に

    「あの〜、還暦越したロックバンド、観に行きます?」と聞いてみたところ「行く」とのお答えが返ってきました。


    武道館のステージ終了後の写真。会場では当フォーラム相談役にお会い致しました・・。

    というわけで、行ってきましたが、あの若さは何だ!確かに拡大するとお腹が出てるとか、お肌の荒れ荒れとかありますが、素晴らしい。飛ぶは血を吐くわ、ジャンプするわ。
    おまけに大きな声で大合唱できないようなお下品な歌詞を叫ぶわ(すいません、私も叫んでました・・・)。

    また、60歳越して観客にお尻を振ってキャーキャー言われる人って、他にはミック・ジャガーくらいしかいないんじゃないでしょうか。

    そしてもう一つびっくりしたのは、観客の年齢層の高さでした。でも皆さん、若々しかったですよん(アンコールでみんな座ってたけど・・)。

    成熟したオトナが、少年少女の心をもつそれが若さの秘訣なのです。

    ちなみに、操体には強力なアンチエイジング効果があります(これにはもちろん日々の生活努力があってこそですが)。

    某実行委員はスペインで実年齢をスペインの方に伝えたところ、彼らの驚愕の表情とその後のわらわらとした会話は忘れられません・・。
    また、某実行委員が実は三人お子さんがいると聞いて、悶絶していた方もいました。

    どうぞその効果をご覧に、2014年春季東京操体フォーラムへお越し下さい。

  •  スカルとダイヤモンド。

    ガイコツは昔から好きだ。
    海賊も好きだし、うちの先祖は代々から海の民なので、DNAに何かインプットされているのかもしれない。

    子供の頃「一休さん」の伝記を愛読していた。とんち小僧の一休さんの(子供の頃の法名は「周建」と言う)話しだけではなく、20歳過ぎてから琵琶湖に身投げ(自殺未遂ですな)したり(この頃は宗純)、大徳寺の住職となって大往生するまでが書いてあった。勿論子供向けだったので、実は後小松天皇のご落胤だったとか、妻帯肉食、確か晩年は盲目の美女の尼さんと暮らしていたとか、そんなことは書いていない。
    その中で一番印象に残っているのは、正月にしゃれこうべ(頭蓋骨ですね)を竹にのっけて街中を歩き回り「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」というところなのだ。今でもはっきりと覚えているということは、当時余程インパクトがあったのだろう。

    長じて私はロックの洗礼を受ける。
    もともと小学校低学年あたりからラジオで洋楽に馴染んでいたのだが。
    父親が仕事(テレビの朝ワイドのディレクターをしており、丁度初来日で特集した)でもらってきたKISSのレコードと巨大なポスター
    で「おお、これはすごい」と思い、今に至る。
    ジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」のイントロを聴いて、興奮して眠れなかったこともある。
    短絡的であるが、ロックと言えば皮とかスカルとかシルバーである。
    というわけで、未だにゴールドよりもシルバーのほうが好きだ。

    これは、渋谷駅に貼られていたストーンズの来日公演のポスターの、キース・リチャーズの手元の写真だ。
    ばんそうこうが何ともシブいではないか。このスカルには下あごがある。

    ある日の日曜の夕方。新宿伊勢丹メンズ館の「サロン・ド・シマジ」に向かった。
    ここは世界で唯一、シングルモルトと葉巻が楽しめるデパートなのである。
    私はせいぜいスパイシー・ハイボールだが、バーの表は島地勝彦先生がその「目利き」で集めた銘品が並ぶ、セレクトショップになっている。

    そこで売っているのが、アイファニーのスカルリングなのである。
    http://www.fashion-headline.com/article/img/2013/02/16/665/5065.html
    (写真参照)
    キース・リチャーズの指輪とどこが違うかというと、アイファニーのリングは下あごがない。

    「人間、死んだらみんなこうなるんですよ」
    と、シマジ先生は言う。

    そうなのだ。死んだらみんなこうなるのだ。

    薫陶を受けた三人の文豪(柴田錬三郎今東光開高健)は、すでにこの世にはいない。

    何だか不思議なことだ。
    よく考えてみると、私も、橋本敬三先生は生きていると感じている。
    何だか不思議だが、そうなのである。

    今年は、アイファニーのスカルリングを買おうと思っている。レディスは額にダイヤが入るのだ。

    私の指に大きなスカルが光っていたら「お、アレだな」と笑って欲しい。

  •  磨け。

    私は子供の頃、そうですね12歳くらいからタロットをやっていました。
    占いの結果というよりも、何が出るのか楽しみにやっていたような気がします。

    いずれにせよ、操体のほうが興味では上です(笑)。

    「愚者は占いをバカにし、賢者は占いを利用する」という言葉がありますが、島地勝彦先生にご紹介いただいた、算命学の砺波洋子先生のお話によると、相談にいらっしゃるのは、企業の社長さんなどが多いそうで、新規契約の場所や日時、会食の内容なども相談の対象になるそうです。古代中国の政(まつりごと)は、占で決められていたともいいます。

    今も占いをやりますが、どちらかと言えば天気予報的にとか、統計的に使っていることが殆どです。

    最近はやはり東洋医学だったら易でしょということで、易を本格的にやろうかなと計画を練っています。

    橋本敬三先生が「最高の指導原理」とおっしゃった「陰陽弁証法」は、毎年一回は読み直しているのですが、確かになるほど、と思います。

    無双原理・易

    無双原理・易

    これはオリジナルで、現在中古で入手可能。

    無双原理・易

    無双原理・易

    比較的最近出版された読みやすいバージョン。

    「易」心理学入門―易・ユング・共時性

    「易」心理学入門―易・ユング・共時性

    これは、操体関連書(操体法治療室、操体法写真解説集、血湧きの思想など)を出していた、今はなき柏樹社から出ていた(中古で購入可能)もの。著者はユングを学び、さらに鍼灸も学んだ方です。

    そして今年ですが、数秘学で言うと(畠山は誕生数秘学カウンセラーでもありますので)、今年は2014年。
    2+0+1+4=7 で、今年は「7」の年ということになります。

    7というのは、直感、哲学的、分析的、静穏、内省的、インスピレーション、孤立、理解、などというキーワードで語られることが多いのですが、「個人」という言葉もマッチします。いささか硬派なニュアンスの年になるのではと思います。

    今年は個々人の持つ才能を磨け、そして自立せよという年のようです。
    「直感を磨く」というのは、とても大切なことです。

    操体で語る「想」ですが、決して「あかるくおおらかに」という意味だけではありません。
    そこには「想念をコントロールするには、言葉を統制せよ」という意味があります。むしろこちらのほうがメインと言ってもいいでしょう。
    これは「自律」にも繋がってきます。

  •  神社とお参り。原始感覚を磨く。

    昨年は、お伊勢と出雲の遷宮でしたが、昨年に限って行くチャンスを逃しました。
    一年遅れですが、今年は参拝しようかと思っています。

    出雲はフォーラム理事の福田画伯(来週登場)がおりますので、大抵お世話になります。
    お蕎麦も楽しみだし、大学で小泉八雲をかじったので、松江は興味深いスポットなのです。
    というか、親類縁者が全員東京から上にいるので、生まれて初めて行った山陰地方が松江だったという次第。

    伊勢は大抵大阪の帰りなどに寄るので、「大阪の兄ぃ」に色々見所などを教わって、猿田彦神社の中にある「さるめ神社」に行くのが楽しみです。さるめ様とは、猿田彦様の奥方で、別名をアメノウズメ様と言います。
    猿田彦神社の境内にある、可愛らしい神社です。
    天照大神様が弟君の悪さにうんざりして雨の岩戸にお隠れになった際、踊った神様で、習い事、芸事の神様、日本で最初の芸能人?とも言われているお方です。芸能関係者の参拝も多いそうです。
    一説には「超ナイスバディ」だったというお話もあります。

    さて、新年を迎え、初詣に行った方も多いと思いのではと思います。
    私は元旦ではなく、松の内に行く派なのですが、初詣だけではなく、普段でも神社の前では会釈、時間があれば礼というのを実行しております。毎朝、冬は一日置きくらいに一時間ほど歩いているのですが、途中に神社があります。
    また、三軒茶屋付近は遊歩道があるので、たまに歩くのですが、これまた神社が結構あります。

    なので、通りすがりにご挨拶をする程度なのですが、何だか気分がいい(笑)。
    神社やパワースポットに行くのは、お願いするというよりも「原始感覚」を磨くという感じがします。
    是非是非、原始感覚を磨いてみてください。




  •  私が守っていること。

    「これだけは守っている」ということは誰にでもあると思う。

    私の「これ」は、
    「楽」と「快」を混同しないこと。
    「診断(動診)」と「治療(操法)」の区別をつけること。
    この二つだ。

    四捨五入すると20年前のある日、ぎっくり腰で這うようにしてやってきたクライアントが、ベッドの上で、顔をしかめながらからだをもぞもぞ動かしていた。
    私は「どうしたんですか?」と聞いてみた。
    彼は「きもちよさを探してるんです」と言った。

    その時思った。彼は「きもちよさ」と言っているけど、探しているのは「楽で痛くないポジションなのだ」と。
    そこで「それって、きもちよさじゃなくて、安楽で痛くないってことですよね」と、聞いてみた。
    「そうです」

    私が「きもちよさを探す」という表現に疑問を持った瞬間だった。
    きもちよさは探しても見つかりにくい。特にどこか痛い時には。色々動いてみても、見つかるのは「楽で痛みがない場所」なのである。

    もう一つ。
    三浦先生に「足趾廻し」をはじめてさせていただいた時(まだ入門する前の話)。
    それまで私は「外廻しと内廻しできもちいいほうをやる」と習っていた。
    ところが、多くのクライアントは「う〜ん。わからない」と言う。

    それが悩みのタネだったのである。

    三浦先生に「どちらがきもちいいですか」という今となってはドアホな質問をしたところ
    「どっちもきもちいい」

    という答えが返ってきた。
    目からウロコが落ちた。

    その翌日から私は外廻し内廻しのどちらか一方を選択させるという方法をやめた。

    私が「きもちよさを探して」とか「どっちがきもちがいいですか」という問いかけをしない理由だ。

    その他に私が「これはやらない」ということがいくつかある。
    個人的指向なので笑って読み過ごしていただければ幸いだ。

    顔文字は極力使わない
    これはISIS編集学校の影響もある。2000年(だったと思う)当時、顔文字が大流行したのである。
    編集学校の教室ではネットを介したやり取りで稽古が進むが「顔文字を使わない」というルールがあった。
    これは、顔文字で言いたいことをごまかすのでは(ごまかすという言い方はちょっと語弊があるが)なく、言いたいことは文章で表せということだったのだろう。
    まあ、自分は多用しないが、他人が使っても別に気にならないのでお気になさらずに。

    女子会はしない
    私の言う女子会とは、昼間に女性数名が集まって、こじゃれた店でランチをとりながら色々楽しむとか、いわゆるお茶会というヤツである。別にそれが悪いというわけではなく、自分は参加しないというだけだ。
    女友達と一杯やる、というのではない。また、気心の知れた女友達と仕事の合間にランチするというのも違う。
    ちなみに、私が愛読している「モバイル中谷塾」の中谷彰宏氏によると、女性ホルモンを出すには「仕事と家庭の他に、第三の場所」が必要とのことだ。そして、いわゆる女子会は「女性ホルモン」(この場合は色気とかフェロモンとかを指すのであろう)にとってはマイナスであるという。これは何だか妙にわかる。

    テレビを見ない(必要以上につけない)
    私は自分からテレビをつけるということが殆どない。
    昔から見なくても平気だったのだが、最近はますます見なくなった。
    家人などがつけていれば何となく見るし、銭湯で見ることもあるが、自分で積極的にはつけない。
    どうしても見たい場合は、誰かに頼んで録ってもらう。
    家族親類にテレビ界人(というのか?)が多いのだが、やっぱり見ない。
    この一年、自分から積極的に見たのは、松岡正剛さんが出ていたか、あるいは頼んで録ってもらったKISSのライブか、島地勝彦先生がモデルのドラマ「全身編集長」くらいである。

  •  クズ本とはこれ如何に?

    寒中お見舞い申し上げます。

    畠山裕海でございます。今年もどうぞご贔屓に。

    ****

    電車のつり広告に何気に目をやると「クズ本を選ばないための識別眼」という記事が目に入った。
    ビジネス誌の特集記事だ。

    私は読書が好きだ。
    3才の時、住んでいた団地の児童図書館に自ら赴き、絵本を借りてきた。
    ヨーロッパの「もぐらとズボン」という本だ。

    もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

    もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

    (未だに売っているので感激)

    それから市内の近隣の町に引っ越す小学三年生まで、土曜日の午後は児童図書館で過ごすという時期が続いた。

    残りの小学時代も本を読むかマンガを書いているか、QueenとかKISSを聞いていた。

    中学から大学まで私立女子校の一貫校に通っていた。
    中高生と大学生の図書館は別々になっていたが、校内に別棟で大きな図書館があった。
    図書館に入り浸っていた。
    アメリカのティーン向けの雑誌もあり、楽しみに読んでいた。

    高校の時、気がついたら「学内で一番本をかりた」ことになっていた。
    今でも読書は生活の一部になっている。

    というわけで、色々な本と出会っているのだが、果たしてクズ本というのはあるのだろうか。

    人の紹介や、ブックレビューなど色々参考にしてもいいのだが、参考になって、アウトプットできる本しか読まないというのは、何だかつまらない気がする。

    話は少し違うが「結婚を前提したお付き合いでなければ最初から付き合いません」(?)みたいな、そんな感じがしないでもない。

    「最初から面白いとか役にたつと保証がなければ読みません」みたいな。

    自分で本を選ぶというのは、『直感を磨くトレーニング』とも言える。
    クズ本と言う言い方はどうもしっくりこないが(せいぜい『残念本』とか。
    本を書いたことがあるので、筆者や編集者の仕事を考えると、クズ、なんていうのは忍びないのだ)、たまには外れることもあるし、それも勉強なのである。

  • 今年最初の雑談 おまけ

    今年の正月は久しぶりに体調を崩してしまいました。

    風邪なのか、食べ過ぎたのかわかりませんが、

    寒気、腹痛、吐き気などで一晩中ウンウンとやっていました。

    まぁそんなときでも、「おお!ここが張ってる」とか、

    「ここを押さえると息がとおりやすい」、「ここを温めると気持ちいい」

    なんてアレコレとやっていましたので、まだ余裕があったほうなのかもしれません。

    からだの要求をききわけて、それを行うと、からだがちょっとゆるむ。

    すると、また次の要求をききわける。またちょっとゆるむ。

    そんなことをやりながら「なんだ、結局は操体(法)やってるんじゃん」

    なんて変に納得しながら苦しんで(愉しんで?)いました。

    操体(法)なんて名称がついているから

    何となく治療テクニックなような気もしてしまいますが、

    結局は生き方そのもの、生きてることそのものが、きっと操体なんですよネ。

    「名称などどうでもいい。真理が大切なんだ」。

    橋本先生の言葉はやっぱりスゴイです。

    一週間ありがとうございました。来週は真理を伝える畠山先生です。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その6

    東日本大震災のドキュメンタリー映画『先祖になる』の主人公、佐藤直志さん。

    あるご縁から施術をさせていただいたことがあるのですが、

    人間味あふれるとても素晴らしい方でした。

    その佐藤さんが和顔施のお話をしてくれました。

    和顔施とは無財の七施という教えの一つで、

    穏やかな笑顔で人に接するだけで布施になるんだよということ。

    笑顔で相手に接すれば相手も笑顔になる。

    だから、いつも笑顔でいたいネ ・・・ と。

    う〜む、実際に震災を体験された方の言葉だけに余計重みがありますし、

    社交性ほぼゼロのワタシには耳の痛い話です。

    ところで、笑顔で相手に接すれば相手も笑顔になるように、

    やはり何らかの波動は他の波動と調和、共鳴するもんなんですネ。

    たとえば操体法の施術でも、気持ちのよさは操者にも伝わりますし、

    周りにいる方々にも伝わったりします。

    そうなると、からだは気持ちのよさで治るんですから、

    周りにいる方々も癒されて元気になっちゃうってこともあるかもしれません。

    操体法には、いろんな可能性が秘められていると思いますヨ。

    そして、気持ちのよさが伝わるんなら、不快だって伝わるはずです。

    操者(自分)が怒っていたり、イライラしていたり、何か魂胆を持っていたり ・・・ 。

    施術が上手くいかないときって、もしかしたらそういうときかもしれません。

    何をするにもホントはみんなからだに筒抜けかもしれない。

    何て思うとウカウカしていられませんネ。

    中谷之美