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  • [三浦 寛幸(みうら ひろゆき)「友からのメッセージ」

    おはようございます。一週間よろしくお願い致します。

    8月26日に実行委員の寺本氏によるワンマンライブに足を運んだ。

    寺本氏のワンマンライブに行くのは二回目であったが、一回目に行った時と同様にとても豊かな時間を過ごすことができた。

    私自身、それほど音楽を聴かないなので、ライブ会場に足を運ぶのは抵抗があったのだが、何故か寺本氏のライブに行くのにはそういったことは無く、自分から進んで行きたいと思えるのである。

    その要因の一つはライブに来る人達にある。

    寺本氏のライブは老若男女問わず、様々な人達が見に来る。
    その空間は若者達がドンちゃん騒ぎをするライブ会場とは一味も二味も違う心地の良い波動で満ちている。
    それは寺本氏の人柄、人徳、また自分がやっている事と真摯に向き合ってきた結果の一つであり、それだけ彼には人を惹きつける魅力がある。
    その魅力は人が人を呼び、更なる新しい波動が生まれ、共有していける。それが新たな波動の渦を作る。
    このような波動を共有出来る空間は「快」そのものであり、自分自身に新たな閃きや気付きを与えてくれる。

    そういった意味において寺本氏のライブは講習や年に1度開催される操体マンダラに参加するのと似た感覚がある。

    そんな寺本氏が打ち上げの時に私に言ったコトバが今でも鮮明に耳に残っている。

    「自分の音楽を聴いてこの中の1人でもヒビキがあってくれれば、それでいい。
     そしてそのヒビキが何かのきっかけになってくれれば」

    私もまた彼の波動に魅了された人間の1人であり、彼から受け取ったヒビキから油絵を描くようになった。
    5年位前になるが、とても趣味と言えるものではないが、空いた時間を使い描いていたのだが、ある時をきっかけに全く描かなくなった。またそれを再開するきっかけが彼からのメッセージに対する私なりの答えであった。

    こういったことを経験させて頂き、寺本氏には本当に感謝している。

    やはり操体の臨床も同じ事が言えるのではないだろうか。

    患者のカラダを治療することだけが操体の臨床ではない。心に何か響く臨床こそが本当の『臨生』なのだと思う。それには技術やテクニック以外にも、寺本氏が私に言ったような自分がやっていることの揺るぎの無い信念、また心に響くメッセージを持つことが必要なのだと思う。

  •  最終日。

    バルの戒め(一)

    一. 頑張らない
    一. 欲ばらない
    一. いばらない
    一. しばらない

    バルの戒め(二)

    一. 自慢しない
    一. いばらない
    一. 名のらない(なにかを成し遂げても)
    一. 偉ぶらない

    一日七時間臨生に臨めば
    その分、自分の学びの時間も七時間はとる。
    七時間とってもまだ十時間も残っている。

    全くの休日は十時間は自分と向かい合う。
    それが大人の実入りの孤独がある。

    一人きりの孤独は人生の最高のプレゼントである。
    たとえ十時間使っても十四時間も残っている。

    まだ八時間も残っている。
    人生は時間と共に流れていく。
    人生は生命時間だ。
    生命(いのち)時間と共に
    人生の賞味期限ある。
    時間を浪費するのはもったいない。


    一週間ありがとうございました。

    三浦寛

  • 人生は編集である(3)

    人生はせつ実である。

    多くの人達は見返りを求め、
    翻弄(ほんろう)されて生きている

    つまり己の人生を支配しようとしている
    人達である。

    支配しようとすれば、
    もう一人の自分は奴隷(ドレイ)である。

    人生はせつ実である。

    この世に生まれてきたという
    せつ実なる真剣さ

    人生を歩むせつ実さ
    学びつづけていくせつ実さ。

    それを知った悲しみと
    後戻りできない豊かさと・・

    それが賞味期限限定の人生である。


  •  人生は編集です(2)

    人生は
    せつ実なものである。

    人生と生としてとらえるか
    性としてみるのか

    性としてとらえることのできる
    人生は 成者のものである。

    人生の成功者は報いの報酬だけしか受け取っていない。

    それらはちっぽけな報酬である。

  •  人生は編集です(1)

    その編集とは、手段を本質にかえていくことです。

    人生は自分ごときの「おもてなし」です。

    イイ加減なもてなしを受けても
    気分がイイ訳がない。
    それは自分に対しても同じである

    きちんとおもてなしをすれば
    きもちがいいものです。

    人生の編集も自分に対する
    おもてなしです。

    自分を丁寧に
    日々もてなして
    迎え入れることです。


  •  とんでもないことがあたりまえになってくるのが真の学問である

    たびたび口にすることだが、修業時代
    「先生がやっていることに名称があるのですか」と
    聞いたことがある。

    すると、デカイ声で
    「名称なんてどうでもいい。真理こそ大切なんだ。
    真理が真理の力で立てるように励みなさい」と言われた。

    この言霊は、50年経った今でも、忘れない。

    今にして思えば
    「とんでもなく途方もないことを、いきなり聞かされたものである」

    わかるはづがなかったのに、私は
    「ハイ わかりました」と答えている。

    わからなくても ハイわかりましたと
    返答できるスナオサがあればいいのだ。


  • つながってくる

    橋本先生の元で学びに入った若き頃の思い出に、
    先生が神代文字をひろい、ホツマツタエを学び、晩年相似象に出会い、
    宇野先生との交流を深めていった。
    その一端が解けてきたのである。

    密接にみんな一つ一つがつながっているのであった。

    橋本哲学は生命哲学であり、その源流の元にあるのは、
    青春時代の深き苦悩にあった。
    その究極のところは、
    「神を呪ってでも救われる道はないものか」
    「罪の意識」の解放にある、と私は思っている。

    その上で、師自身が、己の人生のなかで、
    問いかけつづけてきたことが、相似象を学ぶなかで
    「間違っていなかった」との確証を得たのではなかったか・・・。

    私が再び、これらの書物を引き寄せ、
    共振するヒビキを、波動を受けとっていることは、
    師がなし、なさんとしてきたこと(原究)に深く触れている思いがする。

    師が原究しつづけていたことの先が、ありがたく読み取れるように
    なってきた・・・のである。

  • 時元のトキを越えた宇宙人

    若い人材がブログを塗りかえてきた。
    真剣に熱い思いをかきたて、自分自身と向かい合っている。

    その熱い思いを「告白」している。

    その告白は誰れにむけている訳でもなく、
    自分自身にむけている。
    自分に正直にむけている。
    彼らの中には、あの若さで
    なんと、なんと「神代文字」から「ホツマツタエ」そして
    カタカムナの相似象」を、
    当然、当たり前のごとく平然として読んでいる。

    彼らは「時元のトキを越えた宇宙人」だ。

    当時の若き日の自分をふり返ってみれば
    そんな彼らの姿は驚きである。
    信じられない光景を見ているようだ。

    これらの書物は修業に入った当初から、私の手元にあった。
    大切に保管しているだけで、見て見ぬ振りをしていたのである。

    ・・・三ヶ月ほど前、私に一冊の書物がプレゼントされていた。
    それが、ごく最近出版された「相似象」であった。
    目をとおしているうちに、私自身に異変が起こった。

    グイグイ引き寄せられていく。
    ヒシヒシと手応えのあるヒビキが伝わってくるのだ。

    そんな自分自身に素直に驚いた。

  • 五感

    人間の治癒力とは不思議なもので、何で症状が緩和するのか?何故
    病気が治るのかは本当のところは多分誰にも説明は出来ないでしょう。
    現代医科学では様々なデータを挙げてこの部分がこう良くなったから、
    結果、治ったんですなどとまことしやかに説明付けています。

    私も曲がり形にも臨床家として数十年が経過し、様々な身体が変化す
    る瞬間に遭遇することが出来ました。良くなっていく過程をみること
    も大いなる楽しみなのですが、ここだ!とまさに身体の方向性が一気
    に変化し、動き出す瞬間に立ち会えるのはこの仕事の醍醐味とも言える。

    人間の身体や意識が大きく動き出す瞬間や切っ掛けは、やはり『五感』
    の変化です。人間にはご存じの通り『嗅覚、触覚、聴覚、味覚、視覚』
    といった五感とスピリチュアルな部分があります。

    クライアントは様々な症状疾患を抱えてやって来ます。ここ最近、と
    言っても数年ですが、明らかに物理的破壊が原因で来所される方は減
    少しています。
    原因の殆どは生活習慣、主にどの様な業務に従事されているかによって
    7割方特性がハッキリします。
    但し、特性がいくら分かっても、その方が改善方向へと向かうかどうかは、
    その方が持つ治癒力がどれだけ発動するかが鍵であり、自然治癒力の高
    まり無しに改善は見込めません。

    自然治癒力という元々、誰しもが備わっているのに、その力が明らかに
    落ちているから、身体の状態がベストではないのです。
    この自然治癒力発動の鍵こそが、『五感(六感)』なのです。

    面白いことにこの鍵は人によって違うのです、私たちはクライアント
    が、どの鍵穴を持っているのかを見極めながら、様々なアプローチを
    重ね、改善方向へと導いていくのです。
    操体の臨床・・と言うよりも『渦状波(かじょうは)』を使った施術を
    行っているとその様な場面に日々出会います。
    その場面こそが、渦状波によって導き出された様々な治癒力高まりの兆しです

    『ムムム・・・鼻の奥で草の匂いがします。。子供の頃、河原の土手で同じ匂いを
    嗅いだ気がします・・』
    『何だか身体の中を血液とは違うリズムで何かが流れます・・』
    『夢か起きているのか分からない中で、遠くで誰かが読んでいるんです・・』
    『色んな色が目の前に顕れては拡がります。。色が変化します・・万華鏡みたいで楽しいです♪』
    『悲しくないのに涙が出るんです・・何でですか?』

    渦状波ほど臨床を行っていて面白味を感じるものはありません。渦
    状波の特徴はどちらかと言いますと、他人には分かり難い、内部感覚
    での対話になるのですが、一応、ご本人の許可を得て、臨床中の動画
    を撮らせて戴いた方が居ます。

    この女性は来所戴く様になって五年以上になりますが、来所当初は事故後
    15年経過してから突如あらわれた重度の『頸椎捻挫(ムチ打ち症)』に苦
    しめられていました。目を動かしても頚に響き、生活に支障どころか途方
    に暮れていたと、当時話されていました。
    渦状波の五感の『動』部分は自動運動が発生したり、身体の一部が動き出
    したりと、よく見る光景ですが、この方は身体や心のストレスをそのまま
    動きで表現するタイプの方です。

    この方の施術は私は最初の切っ掛け作りだけすれば、後は一切触れる
    ことはありません。
    後は決まって一時間動きを通して、計った様にピタリと終了致します。
    その動きも本人が動画を撮って下さい!と言われる位に予想不可能で、
    施術室全体を縦横無尽に使いながらの調整となります・・・
    これだけを見るとやらせの様に見えますが、軽量の女性がV字腹筋状態で笑
    いながら会話をするのは、筋力を使っても大変な作業です。
    無意識の内部感覚は筋力を越えた何かを感じさせます。

    渦状波の顕現期はこの様に様々な現象によってターニングポイント
    を迎えます。顕現期は個人差がありますので、初回の施術からガン
    ガン反応が出る方も居れば、数回回数を重ねながら学習を重ねて行
    く方も居ます。

    いずれにしいても、身体とは学習が大切なのです。何故なら、本来
    持っている自然治癒力が忘れられているのなら、思い出す必要があ
    るからなのです。

    そのために重要なのはクライアント自身の内部対話です。この内部
    対話こそが五感との会話です。五感と響き合い、共鳴すると身体は
    必ずリアクションを起こします。それが、様々な予備感覚であり、
    体感覚です。

    私たち操者はその五感との会話を繋げるナビゲーターであり、クラ
    イアントに充分な治癒力をどう引き出してもらうか、まさに静かな
    る汗です。
    『静と動のバランス』それが今の私が感じる操体臨床の魅力です。

    今週一週間本当に有難う御座いました。
    明日からはお待ちかね、三浦先生の順番です、お楽しみに!

  • 環境

    操体には様々な哲学が有ります。その一つが『息食動想+環』です。
    人が人生を生きていく営みの中で他人に代わってもらうことの出来
    ない、最低限自己責任として行うものです。

    この息食動想+環の中で私がここ数年特に力を入れているのが『環』
    です。
    一般的に操体の指導の中ではスルーされる項目の一つです。
    何故なら他の項目と違って、個々に違うから定型化しにくい項目で
    も有るからです。環境に関しては橋本敬三師も著書の中であまり触
    れられてはいません。

    しかし、突き詰めて考えるとこの『環境』ってとても重要なファクター
    なのです。
    同時相関相補正連動ですので、どれかが突出して良い悪いの問題では
    無いのですが、その中でも環境は重要なのです。

    私が考える環境とは個々が住んでいる家の場所とか、島根に住んでい
    るとか東京在住などのミクロの環境では無く、もっと大きな括りであ
    る、地球、そして宇宙を捉えた大いなる生命体環境のことを言ってい
    ます。

    人間なんてどんなに進歩したって所詮、地球という宇宙の中に存在す
    る惑星の一生命体にしか過ぎません。どんなに科学技術が進んだとし
    ても、地震、台風、洪水など、大自然の猛威の中では水面に漂う木の
    葉程度の存在でしかないのです。

    究極の医学とはやはり『未病医学』であり、『環境』で考えれば『未災』
    とでも言いましょうか、身に降りかかることを予見し、時には身構え
    時には用心しながら宇宙と同一化していくことが大切だと感じます。

    とかくアメリカ的発想で物事を捉えますと、自然を制圧するが如く立
    ち向かおうとします。例として適切では無いですが、津波に備えて高
    い防波堤を築いても自然に想定外は付きものです。自然は制圧するの
    では無く敬い、受け入れていくしか無いのです。

    但し、受け入れるとは言え、ただ翻弄されてしまうのではなく、分かっ
    た上で充分に準備し、備えさえしておけば大難が小難で治まるのです。
    宇宙にはゼロはないのです。等しくどの生命体にも災難や幸福を与えます。
    人生はプラスマイナスゼロになる様に設定されている気がします。
    人は皆、幸せになりたいと願い、いい学校を出て、いい仕事について、
    幸せな家庭を持ってと日々願いつつ過ごしているはずです。

    しかし、人生は平均年齢まで生きたと仮定しても80年弱の期間があります。
    どの時期が幸せであれば人生HAPPYと言えるでしょうか。若いとき?
    年を重ねてから?宇宙の法則からいくと、一生HAPPYってことはあり
    得ないことは明白です。

    環境をみるとは、その時その時の、人生の潮目をみていくことです。
    良いときには足をすくわれない様に慎重且つ大胆にいく必要があるでしょう。
    悪いときには晴れる日を信じ、頭を低くし次に立ち上がるまで、耐えて
    実力を蓄積することが大切だと感じます。

    当然のことながらこれは身体にも同じことが言えるのです。その人
    にとって厳しい冬の様な時にはいくら頑張っても身体は治りにくく
    なるものです。
    それを無視して欲張ると、思わぬ落とし穴があったり、症状が長引
    いたりと、宇宙に購うのは愚かなことでしかないのです。

    宇宙の意志は悪意も作為も無いのです。あるのは生きとし生けるもの
    平等に降り注ぐ愛と言えるでしょう。

    宇宙からの『環境』今一度考えられても面白いかもしれません。