4.作法
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4.作法
作法といえば茶道、華道、武道などにあるからだの使い方・動かし方の基本。平たくいえばその世界の最低限のマナーともいえる。日常生活での行動も作法のように気を配ることこそが、修行の一環となりえる。顔洗い、歯磨き、うがい、手洗い、料理、洗濯、掃除、お風呂。操体でいえば重心安定の法則。手は小指、足は親指。そういった日常生活に於ける動作の不作法こそが歪みを生み出している。治療所で治してもらってもまた歪むのは、その人の脳の使い方の癖と、からだの使い方の癖が原因であろう。日常作法に気を配る。別の言い方をすれば「ミを入れる」ことが重要だ。 -
3.癖
3.癖
癖とはなんだろうか?鼻、髪、顎に触れたり、足を揺すったりする。無意識の動作。言葉にも癖があり、育った環境やその人の個性や考えてることが表れる。動きについて言えば、何らかのからだの偏りをむいしきに補正してるとも考えられる。偏りということは、歪みとも言える。睡眠時に動く無意識の動作は、日常で使ったからだの偏りを補正すると聞く。また、言葉で言えばその人の人格の癖以外にもある。それは溜め込んだストレスを晴らす無意識の言葉。音を伴わなければ「溜息」や「あくび」となり、音を伴えば、愚痴となり批判となる。溜息、あくび、身体の癖、睡眠時の動きと、愚痴との差はなんだろうか?それはその人の観念・記憶という思考の働きの部分が絡むからである。素直な直観や意見ではなく、いままでの記憶の間違った判断。記憶の偏り。脳の悪い癖。脳の悪い癖に気が付けば、からだの歪みもとれるかもしれない。 -
2.シンメトリー・アシンメトリー
2.シンメトリー・アシンメトリー
左右対称が歪みがないとは限ら無い。その人なりの整ったバランスが左右対称とは限らず、様々な要素が複雑に絡んで今のからだを作り出してる。左右対象だからこそ歪みがあるという捉え方も出来る。逆も然り。左右非対称だからこそ歪んでいるとは限らない。構造的、運動力学的、発生学的、様々な要素が複雑に絡んで一見シンプルに見えるのが人体の不思議だ。左右だけでなく、上下にも対称性がある。肩甲骨に対して骨盤。上肢に対して下肢。頭に対して踵。対角に連動したり、上下に連動したり、左右に連動したり。「歪み」という言葉だけでなく「対称」という言葉もかなり含み、正反の意味がある。一般的に臨床家が使っている言葉も鵜呑みにするのではなく、それぞれの体感を通して深い理解や意味を持たせる事が必要だ。 -
1.ユカミ・ヒスミ
1.ユカミ・ヒスミ
「歪み」読み方としては、「ユガミ」か「ヒズミ」。ユ…湧、わくカミ…上、根源的なモノつまり、何か根源的なモノが湧いてきた状態。ユカミとは現象で言えば、バランスの崩れた状態ではあるが、それはある意味バランスを取ろうとしている本質的なネゲントロピーとも言える。プラスエントロピー100が死の状態、マイナスエントロピー(ネゲントロピー)は死に抗う反の方向性。息食動想環全てネゲントロピーに向かうことが健康への道ということ。反をイマ取り入れ続ける。ヒ…秘、カミにも通ずる根源的なモノスミ…澄、雑味の無いピュアなモノヒスミとは根源的な雑味の無いピュアなモノ。からだのバランスが崩れた時、起こるネゲントロピーの反応。その反応により歪む訳ではあるが、もし歪まなければさらなる危険をからだに及ぼすかもしれない、ある意味好転的な反応。ユカミ、ヒスミ。どちらの読み方にせよ、あるチカラが内・外部(メンタルも含む)から働き、それに抗う反応・チカラが歪みなのだろう。歪まなければ更に悪化していたのかもしれない。ありがたい、からだの働きだ。治るべき歪みと治さないでよい歪み、そこの識別手段として「からだにききわけたきもちよさ」がある。 -
7.歪み その7
現在も先生から講義を受けている。絶えず新しい要素が加わる。私の好きなミスターチルドレンの新しいアルバム「REFLECTION」の「進化論」という曲の中に
「変わらないものがあるとしたら皆、変わっていくってことじゃないかな?」
という歌詞がある。まさに操体は常に進化している。一生飽きない勉強を続けている。
「第二分析」の次に「第三分析」がある。「第三分析」が皮膚へのアプローチ。これはどこにもない「異形(いぎょう)」である。通常のからだの歪みであれば整体などの筋肉や骨格へのアプローチを想像してしまう。皮膚?に触れただけでからだの歪みが取れるとは中々想像しにくい。自分はトンでもないものに首を突っ込んでしまったようだ(笑)。
おわり
1週間おつきあいいただきありがとうございました。
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5.歪み その5
全くマッサージなどを習ったこともないし経験もない。また特に今の会社を辞めて今すぐに開業したい訳でもない。しかし知りたい。なぜ肩こりが治ったのか?首の痛みが取れたのか?そして先生のところで習うことを決意した。そして二週間ごとに半日の講習が始まった。まず、びっくりしたのが先生がよくしゃべること。そして実技ではなく最初は理論や哲学の座学ばかり。ひょっとして習いに来たことは間違いだったか?しかし後になってわかったきた。いままで自分のからだを他人になんとかしてもらおうと思っていた。自分のからだを道具と使っていた。メンテナンスを厳かにしていた。恥ずかしい。歪みの原因は自分にあるのに人の所為にばかりしていた。まずは自分の過ちを反省し生活態度を改めなくては人のからだなど診断、改善できない。徐々にだが確実にわかってきた。
つづく
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4.歪み その4
もっといろんなことが知りたくて聞いてみた。これは先生しかできない特殊技術なのか?私はもしかしたら騙されていて、このベットの下には何か特殊な装置が隠されていて、それでからだの循環が良くなり改善したのではないか?と疑ってみたりもした。先生からは「きちんとプロセスを踏めば誰にでもできる」と言う。「誰かに教えてるんですか?」と聞くと「教えている」という。ひょっとしてこれはトンでもない技術ではないか?と思った。
つづく
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3.歪み その3
通院してから2か月後、母に文句を言った。以前として肩こりや首の痛みは改善しない。そして母に文句を言った。治るといったのに治らないと。母からはもう少し我慢して通ってみたらと言われた。当時を思い出せば文句を言っても他に頼るところもない。失礼な話だがもう1か月我慢して先生のところへ通うことにした。いつからだろう自分でもわからない。無意識に自分のからだの痛み、違和感が消えていた。訳が分からない。理解できない。そこでいくつかの質問をした。どうして触れているだけで治ったのか?どうして痛みとは関係ないところを触っているのか?先生からは「それは空間でわかる」と言われた。その言葉の意味もわからずショックだった。
つづく
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2.歪み その2
母から三浦先生を紹介され訪問することになった。母は私に「あの場所は苦手かも?」と言っていた。なぜならいろんなものが置いてあり、整理好きの私には合わないというのだ。確かに最初に訪問したときの印象はそのものだった。私の当初の先生の印象は「怪しい人」だった。浮世離れした「仙人?」とも思った。あまり多くを語らず、「まあ、そこに寝てみてください」と言われ、ベットに仰向けに寝た。天井にはツバメのモックがゆらゆら揺れている。母から事前に聞いた話では先生が何をやっているのかさっぱりわからないが、とにかく肩こりが治ったと聞かされていた。寝ると先生は私のからだのあちこちを触れてくる。いままではもっと刺激のある筋肉に触れる感覚のマッサージしか体験していないから「これでいいのかな?」と思えるくらいに本当に触れるだけなのだ。「いつまで私のからだ触れているのか?」と思っていたら寝てしまったようだ。意識が戻ったときにはもうそこには先生が居ず、別の部屋でうまそうにたばこを吸っていた。「その場でからだを動かしてみて」と言われ手を振り足踏みした。その場で全くからだが変化したとも思わないしわからない。「これから2週間に1度は通ったほうが良い」と言われた。その時は全く信じていなかった。肩こりや首の痛みが改善するとは?
つづく
