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  • 歪み

    今回のリレーブログは、 『歪み』 がテーマ。 

     

     操体で歪みといえば 故橋本敬三医師の 『生体の歪みを正す』 という本のタイトルを思いだす。 その本では、すべての疾患には必ずからだの歪みが存在していると書かれている。 「からだの歪み」 と書かれてはいるが、操体では心とからだの双方における優劣は初めから存在していない。 何故なら、心とからだは融通無碍に溶け合っている一如の存在であり、ここで言う「からだ」という言葉は、心とからだの双方を含めた広義の意味で使っているものだ。

     

     操体の臨床観では、心の歪みはからだの歪みであり、からだの歪みは心の歪みであるという相依相関的な考えに立っている。 だから心の歪みとからだの歪みの相互レベルは調和していなければならないのである。 このような相互総合的な考え方に立ってこそ、本当の健康の創造や病気の治療に対する道筋も自ずと開かれていくのである。 こうした心身の歪みの実体ではあるが、便宜的に「からだの歪み」と「心の歪み」に分類し、今回においては「からだの歪み」に限って考察してみる。

     

     まずからだの歪みについては姿勢を見れば一目瞭然である。 そして動物としてのヒトの姿勢はというと、直立二足形態になっているが、これについて 『からだの設計にミスはない』 という橋本敬三医師の本のタイトルがやはり思い起こされる。  からだの移動、すなわち歩行形態で見ると、四足歩行動物はある意味完成された耐重力姿勢である。 しかし、直立二足歩行するヒトはさらに洗練された耐重力姿勢だということだ。 

     

     何故なら、直立二足歩行をするヒトのからだは、柔軟であるが圧縮には強いという背骨の特性を最大限に生かした耐重力姿勢であるからだ。 ヒトにとって最も基本動作である立つことと歩くことは、我々人類がこの地球上でいちばん楽になった動物であることを証明している。 

     

     しかし、高速移動することにおいては、チータやシマウマのような四足歩行動物に比較して、直立二足歩行のヒトは背骨の能力を十分に使うことができなくなってしまった。 とはいえ、直立二足歩行特有の皮膚による優れた冷却システムと究極の耐重力姿勢によって、「持久力」という面においては、四足歩行動物と比べて圧倒的な優位に立っていることは自慢に値する。 

     

     我々人類の移動において、交通網が発達していない時代では、一日に十里(40㎞)もの距離を移動しながら幾十日も旅を続けることを常としていた。 まして飛脚に至ってはその何倍もの速さで、数百㎞の距離をわずか数日の内に駆け抜けていた。 が、四足歩行動物にとっては、そのような距離の移動はとても不可能だ。 これは直立二足歩行するヒトにとって特筆すべきことである。 まさに、からだの設計にミスはないのである。

     

     ただし、直立二足形態におけるバランス、すなわち姿勢が悪ければ歪みが生じ、ヒトにとって最も基本的な動作である立つことと歩くことですら、からだにとって重い負担となってしまうのだ。 ヒトのからだの歪みについて、いちばんの問題は何といっても頭の重さにつきる。 直立二足形態でバランスのとれた姿勢だったなら、頭の重量のほとんどを背骨で受けとめることができるようにヒトのからだは設計されている。 それどころか、頭の重さを上半身の安定に寄与させているので、むしろ頭はある程度重い方が良いとさえ言えるのである。

     

     しかし、姿勢のバランスが悪いと、からだに歪みができ、頭の重さがからだにとって負担になってくる。 その負担を減らすために、からだは自然に起こす反応パターンとして、腰をエビ状に反らせ、胸を張ったり、腹を前に突き出したりする動きをとるようになる。 そうすることによって、狂ったバランス姿勢である歪みを是正して、少しでもからだを楽にするために、そういった動きの反応パターンを無意識の内に行なっているのだ。

     

     また、アンバランスな姿勢を是正するため、からだは下腿をX字の状態にすることもある。 このX脚とは、両膝の幅は狭くして両足首の幅をそれより広くすることで、仙骨を立てて尻を後ろへ突き出すことができる。 すると、仙骨が丸まって上半身の前に片寄ったバランスを後ろへ移動させることができ、さらに両膝を正中線に引きつけることで、からだの支えとすることも可能となり、筋肉の助けにもなるということだ。 

     

    明日につづく

  • ⑥”ひずみ”と”ゆがみ”

    生命の本質とは、自動性なんですよ。

     

    「からだ」で覚えたことが自動的にできるようになるのは、

    私達の生命として授かった素晴らしい能力なのでしょうネ。

     

    何かができるようになるのは、自分の「からだ」の神妙なる

    システムを、内側の感覚(皮膚や内臓や空間等々)で掴める

    ようになるからです。

     

    そもそも「からだ」の内側の感覚に向き合うには、プロセス

    としての「不快感」や「※予備感覚」はつきものですから、

    思考形態の中に生じる「痛み」や、反応に対応する表現とし

    ての「歪み」もあり、「快・不快」は必要となってきます。

     

    ただし、現象において必要以上の思考における主語も「脳」

    にあって、「心」を通じて「息」の自律性に干渉してくる為

    に「心」は「情動」を気分に応じて表しているのです。

     

    その時に感じている違和感は、ワケが知りたい!という本能

    にスイッチを入れているようです。

    諦めずやり抜くと「快」を通して正解が生まれるように・・。

     

     

    「幸いなるかな 天の流転に従って 静かに流転する人々」

                   =モンテーニュ~フランスの思想家~=

     

    ≪YouがMe~想相~

     

    学問していくのではなくて、学問にしていく。

    一歩ずつ無理のないように着実に歩む。

    生きているコトとは関係がない。

    進化してしまったら戻れない。

    戻る(退化ではない)するときは進化したところから退化する(退縮)

    歩めば、危ぶまれたし・・・。

    対比の価値基準ではなく、過去の基準ではなく、今に歩みを生かす。

     

    ハイ皆さま!それでは、一週間のお付き合い有難うございました。

    明日はダルマを実践する巨匠、日下実行委員です~お愉しみにネッ。

              

                             岡村敬郁

                       

     

    ※おまけでゲッツ!敬郁のオススメ書籍:~現代的「想」の読み解きにナイス~ 

     

    頑張らなければ、病気は治る

    頑張らなければ、病気は治る

     

     「操体」の『頑張らない・威張らない・欲張らない・縛らない』「バル戒め」、

    今回のテーマ「ゆがみ」に準じた意味『歪んで たすかっているんだ』に加え、

    私自身の指針となる放言「病気なんてねえんだって何べん言ってもわかんねえ」

    ・・・などに通じているのが、精神科医の樺沢紫苑先生の著書です。

    むつかしくなく、だれでもさらっと読めて、クライアントの中でも治りやすい方

    と、そうでない方がいるのはいったい何故なのか?理解しやすくなりますヨ~ン。

     

     

  • ⑤”ひずみ”と”ゆがみ”

    いよいよ「操体マンダラ」まで三日となりました。

    なぜ、「操体」と「マンダラ曼荼羅」がくっついているのか。

     

    まず、参加することで感じること(しないでどうこう言わない)

    私たちの「からだ」を通して感じて理解できることもあります。

     

    さておき、今日のブログもよろしくお願いします。

     

    真っ直ぐに揃った背骨は、健康的な証?

    常にきちんとした姿勢であれば健康維持できる?

    この世の中にある常識は、時に私たちの自由を奪っている。

    「からだ」はもっとシンプルに語ってくれている。

    シンプルに「からだ」に「ききわけて」・・・・・・・・。

     

    倫理は道徳を生みますが、道徳は人を自由にしてくれますか?

    歪んでいるといわれても、ひずみがあってもゆがまないのは愛。

     体が成熟すること、心が成熟すること、どちらが先でしょうか。

    背骨が曲がっても、足の長さが違っても、顔が非対称的でも・・・

    睾丸が右上がりでも、陰茎が左に曲がっていてもいいじゃない!

     

    「コ・コロ」は常に意志が貫通しているわけですから、私たちの

    「からだ」を通じて「意識」できるのです。これが救いなのです。

     

    目的があってこそ、その現象・変化をうみだしているのですから。

    ・・・・・・「歪んで 助かってるんだ!」・・・・・・・と。

     

    それが腑に落ちるまで、意識を通じて「からだ」に「ききわける」

    このことを努々忘れずに、”朽ちることなく真理に繋がる”ような、

    操体」の学び”に”してほしいのです。

     

    何故なら、「操体」を学んでいると感じる「操体法」の“法”とは、

    まさに、“法=ダルマ”であると言っても過言ではないからですよ。

    (注:ダルマの意味はググって下さい・・・では不親切なので後述・・)

     

    この自然法則を大切に、「構造力学」も大切、操体を学びとるなら、

    「運動力学」も大切に、私自身が自由とはいったい何か、現象のみ

    に囚われず、見えない真理の探究こそ自由基準となるのですから、

    その”軸”を感じとるように、コツコツ学んでいけば愉しい。

     

     

    息相とワタシ~YouがMe~

     

    生命に人間の「からだ」があるかぎり、停滞すると反応は現れる。

    そこには流れやすい向きと停滞しやすい向きがある。

    向きに前後・左右・上下と「息」を通してみると、通る流れと別に

    通りにくい流れは、”反応”として見つかる。 

    そこに流れを取り戻した方向は現れてくる。

    そのまま通して流れの勢いが変わり、極まった際に反応は消える。

     

    「流れに身を逆らおうとしたところで無駄なことだ。

     流れに身をまかせれば、どんなに弱い人でも岸に辿り着く」

                 =セルバンテス=~スペインの小説家~

     

    ・いい加減にやっている常識

    ・本当かなと思っている非常識

     

    学びつつこの繰り返しを、幾度となく、限りなく、繰り返したのです。

    非常識なコトを真剣にやり続けること→本当のホンモノになるようです。

                                      岡村郁生

     

     

    ※注:「ダルマ」~「法」~「cosmos」の繋がりについて。

       仏教的用語では、全宇宙を支配するような”秩序=コスモス”のこと。

       すべての存在の背後にある真理のこと。

       この全宇宙を支配するようなものがあり、それは逆に「法」の

       真理においては、”お釈迦様”も、仏の生涯モデル”の一霊となる。

       故に、全宇宙の法則における一例になっているというのです。

       ですから、「操体」の「法」は侮れない一文字として捉えます。

       ちなみに、有名な「気持ちよければなにやってもいいんだ」的

       放言解釈において、師を生涯モデルとして師事しているならば、

      「操体」の「法」を学びとおす上では、これを、限りない大きな

       「快」に通じた宇宙の真理の探究としても捉えているわけです。

       学びはある程度まで修めなければダルマ=真理とはわからず!

       ・・・かもしれませんが、しかしそれさえも「法」の上では自由です。

     

  • ④ひずみ”と”ゆがみ”

    近年、経済の発展によって社会は合理化され、便利な暮らしになる一

    方で、暮らしに心の余裕がなくなりつつあることに、うすうすながら

    誰でも気付いていますよね。

     

    しかし、時の流れに逆らえず、いつの間にか大切な何かを失うことに

    少しづつ慣れて大人になっているのでしょう。

     

    昔は感じることができていた、“人への想い”、“自然の豊かさ、天然の厳しさ”

    このことを感じていた頃は、暮らしが不便でも満たされるものがありました。

    それはまさに、”清貧”の豊かさ、”足るを知る”、一体感というものでしょう。

     

    ワタシはその基本に「食」の相、つまり「環境」と「想念」の関わりは欠か

    せないと考えています。

     

    ティーンの頃に祖母がワタシに教えてくれたコト。

    お腹を空かせた日々の食卓、ちゃぶ台ににのぼる温かい食事は季節感があり、

    沢山の「想い」がそこに込められていました。

     

    「食」の相から授かった「想い」は代々受け継がれ、伝統として地域や社会

    に広まっているのです。

     

    今、本当に大切な判断ができないとしたら「食」の相を見直してみたいですね。

     

    「意志」はただそこに留まること無く循環し、滋養溢れる「想念」と共に!

     

     

    ≪youがme~食相とワタシ~

     

    一食一想へ、調和と人間の姿について教えてくれることがあった。

     

    「平食」をするには、習慣と惰性の働きに委ねること。

     

    「悪食」をするには、欲望と享楽の働きを満喫すること。

     

    「断食」をするには、想いと欲求の働きを維持すること。

     

    不食」をするには、意志と体感する働きを得ること。

     

    「聖食」をするには、一切のとらわれから自由を得ること。

     

     

    まぁ、我儘と自由の境は、迷惑をかける干渉か否か・・・かもネ。

     

                                      岡村郁生

     

     

    ※おまけ類語コーナー(大きな字の常用国語辞典~学研~)

     

    ・歪む(ひずむ):形がゆがむ

    ・歪む(ゆがむ):①形がねじれたり曲がったりする。

             ②心、行いが正しくなくなる

     

    ナルホド!・・・心がひずむとは言わないけれど、心はゆがむという

    ワケですねぇ。

    では「ボディーの歪み」の場合「〇〇〇」ともいえるのですね。

  • ③”ひずみ”と”ゆがみ”

    ヒトの中心軸はどこ?鏡に映した場合、自分の「からだ」の真ん中なの?

    本当にそれって理にかなっているのかなぁ・・・。

     

     ・・・「(わざわざ)歪んで(くれるから) (私たちは) 助かってるんだ!」・・・

     

     

     ≪~環境相とワタシ~≫ 

     

    「最高の処世術とは、妥協することなしに適応することである」                                                                 

                   ゲオルク・ジンメル (ドイツの社会学者)

     

    唐突ですが、夢は夢でも妙にリアルに語りかけてくるコトがあるんですよ。

    (こんなこと言ってると”変人”扱いされるから、”ココダケの話”で・・笑)

     

    その世界(?)は、三浦理事長やフォーラムのメンバーも出演するのですが、

    結構あっちの世界(?)でも、面白い学びを共有しているんですよねぇ~。

     

    夢の世界も妥協しないんだな・・・と(笑)、寝起きに日記へ書いておくのです。

     ハイ!テーマに沿って名付けるなら、ズバリ「YouがMe」(こんなオチ?)

      

    ・YouはMe曰く、「調和と人間の姿について学んで欲しい・・・」

    ・太陽光→(+)・陽エネルギー・浄化・破壊・

    宇宙線→(-)・陰エネルギー・散布・再生 

    注:何か、地球上のエネルギー形態では、識別が必要なのかもしれませんね。

     

    ・生命の仕組み:組織→細胞→水(液状体)

            →蛋白・脂肪・線維(ゲル状体)

            →ミネラル(鉱物体)骨

    注:「ん?」組織から細胞?という事は、一般的ではありませんけどネ。

     

    ・繊細なレベルにおいて→粒子で捉えると、生命の定理・公理は消える。

     原子・中性子・陽子・電子の素粒子は、愛・調和・意志を基に成立

     している故に、生命現象は干渉作用のあるエネルギー体でもある。

     

    注:この現象界に貫通している理念も、元始無限界の理念も、同格で

      同質のものである、という哲学思想を(操体で)学びましたネ。

     

    朝からこのような問いかけがあり、日々の学びに繋がるように感じます。

    「好き」の反対は「嫌い」ではなくて、「無関心」という意味ですから、

    「木を見て森を見ず」ではありませんが、細かいコトで無視するよりも、

    ヤジウマしてヒントになるようなことは、有難く頂こうと考えています。

     

    からだは歪んでいても、こころが拗(ねじ)けることのないようにネッ!

     

     

                                          岡村郁生

     

     

    ※おまけでゲッツ!のコーナー(チャレンジ国語辞典~福武書店~)

    ・ゆがむ:形が崩れて、ねじれたり曲がったりする。

         こころの考え方がひねくれて素直でない。

    ・ひずむ:力を加えられて形がゆがむ。

         いびつな形になる。

    ん?・・・ということは、力が加わることより(ある)重要なコトに気付けば、

    歪みは「歪んで 助かってるんだ!」ということになりますよね~。

     

  • ゆがみとひずみ ~番外編~

    どうしても書かせて頂きたいことが生じました。

    実は私、小学校の頃からのファミコン世代で、現在までも続く任天堂

    のファンなのです。

     

    なぜ任天堂なのかと言えば、自由なものつくりの視点がありつつも、

    独創的であり、自分たちが本当に愉しめる、遊んでもらいたいものを

    常に発信することに関して、妥協を一切していないのですよ。

     

    儲けることを考えれば、開発の妥協もあっておかしくないのですが、

    それを会社のトップが全て排してしまうところが、相当な魅力です。

    (妥協しない魅力!東京操体フォーラムの三浦理事長もそうですネ)

     

     私は今でこそ「操体」を指導し、臨床に活かせる仕事をしていますが、

    小さい頃から何気なく、心の生長に必要な”良心回路”を「哲学」で通じ

    て支えてくれた一つには、任天堂の経営哲学があるように感じます。

     

    その記憶の(数多くの中の)一例を挙げます。

     

    岩田社長が、糸井重里氏(マザーの生みの親)と懇意にされていたのはご存

    じかもしれませんが、あの宮本茂氏(マリオの生みの親)との三者対談の中、

    噛み砕いて味わうほど深い、人生の指針をとなった言葉がありました。

     

    御三方に共通した見解は「簡単に大きな夢を語る人間は信用できない」

    という言葉であり、私はそのとき何故、大きく夢を語ってはいけないの

    かな、と非常に訝しがったのですが・・・それは、”夢を夢として終わらせ

    ない”ための工夫なんですね。

     

    「イメージできたことは、必ず実現への可能性がそこにある」

     

    つまり、もしできないなら、やり方の問題があるか、努力の方向性が

    少し違っているのかもしれない・・・という意味があった訳です。

    私はこのイメージを育てて膨らませ、様々な現象に、生かしています。 

     

    そう、今できていないという事は、大きな夢を小さな夢としてかみ砕き

    砕いた夢のかけらを積み上げた証(あかし)であって、何ひとつ恐れること

    無く、悲観する壁にしては勿体ないだけ確信し、イメージできたのです。

     

    いい大人になっても永遠に、操体でファンタジスタは狙っていける!

     

    そんなことも、岩田社長の「社長が訊く」で教えてもらったのです。 

    代表取締役でありながら、常に技術畑(プログラマー出身)であることを自認し、

    かつ、一人のゲーマー(ゲームを愉しむ事を自認している人)であり、誰よりも

    自分自身の夢を全うするために生き抜いた姿に、心より感謝と哀悼の意を

    この場をお借りしまして「帰一の法則」から、ご冥福をお祈りしています。

    そして「いつも(今迄ではなく)、ありがとうございます!」

     

    未知なる故の紆余曲折あろうとも、我身が滅びるとも「意志」は再生して、

    類魂は不滅であるがゆえに、此の世は美しき変化を感覚とし共有する!

        

    宇宙の生み出している調和現象は、螺旋の想いと愛を通じ、たとえ見た目

    で捻じれて歪んでいても、生かされし感謝の有難味を味わい、その刹那に

    時空元へ戻り、瞬時に反応できる優しく逞しい神性がヒトには宿るのです。

     

    歪んでも、たとえどの症状的変化があろうと、時の変遷にしかすぎない。

    今はどうなのか!生涯を見通せる学びの現役でこそ、人生の主人公ですネ!

                                

                                 岡村郁生

     

     

     

     

     

  • ②”ひずみ”と”ゆがみ”

     

    ヒトの姿勢に正しさの基準があるのでしょうか。

     

     

     

    例えば、姿勢がいいですねぇと言われる方に聞けば・・・、

    「小学生の時、”健康優良児”と言われたんですよね」

     

    一方で、姿勢が悪いといわれることの多い方に聞くと・・、

    「小学生の頃、検診で側弯症って言われたので」

     

    フムフム。では、その姿勢の基準は誰が決めているのでしょうね?

     

    年齢や場所、その文明や流行の価値基準は様々なのに、時代と共に変

    化が続いていても、基準は「まっすぐ」。

     

     

    さぁ・・・・・一息ついて・・・・・3・2・1、ハイ!(ご一緒に)

     

    「歪んでるから(こそ、それで) 助かってるんだ!!」

     

     

    そもそも伸縮し、撓み、捻じれ、曲り、くねる。

    生命体の流れとは生物本来としての、逞しさを感じませんか?

     

    まっすぐな姿勢は正しいのか?その評価について、基準の「ウソか、

    ホントか」一つのヒントになりそうなのが、舞洲ゴミ焼却場のデザイ

    ンで有名な豪の芸術家、故フンデルトヴァッサー氏の言葉です。

     

    あまりにも大胆で”見た目の”左右上下対称を排した独創的なデザイン。

    ゴミの持つイメージ、ネガティブさをポジティブに変える試みには、

    畏怖しつつ感謝する、天然自然への哲学思想が宿っているようです。

     

     

    「自然の中に 唯一存在しないものが直線である。

     (もし)社会や文化が、存在しない直線に基づいているとすれば、

     やがて すべては 崩壊するだろう」

     

     

    にゃるほど~!猫が丸くって可愛い理由もそこかぁ~(そんなオチ?) 

     

     

    <歪み考~その②~>

     

    苦労の果て・・・努力の結果・・・健康になれた!(という思い込み)

     

    いとも簡単・・・誰でも出来る・・・健康になった!(という触れ込み)

     

    健康にまつわる常識と非常識は、いつでもPRが伴い、TVやインターネット

    を問わず、皆が人間の欲が生んだ新しい情報にばかり注目してきた・・・。

     

    外側からの刺激的な健康法を探し求める限り・・・人のこころは歪んでくる。

     

    そんなことを「からだ」が教えてくれたことで、「今」の、私自身は在る。

                        

                                  岡村郁生

     

    (おまけでゲッツ! 今日の豆知識 ~国語辞典(小学館)編~)

    ・歪み(ひずみ):元の形がなくなること。

    ・歪む(ゆがむ):形が曲がる。心がねじける。

    なるほど~!でも普通に、”ねじける”って言わないですよねぇ。

    ちなみに、”ねじける”の漢字は拗けると書きますが、その意味は、

    ”ひねくれる”とか、”素直でなくなる”という意味なのだそうです。

  • ”ひずみ”と”ゆがみ”

    「(人に)歪んでるって言われるから、何とかしてほしいんですよ」

     

    ・・・・沈黙・・・・(その刹那、大きなことで放言)

    「(からだは)歪んで 助かっているんだ!!」

     

    本人は骨盤の歪みや脊椎の歪みは勿論病気の原因だと思っていて、

    更に、鼻筋や顎のラインなど、顔の歪みが気になって仕方ない。

     

    それを”まっすぐ”に直してくれるところを探していて、いきなり

    こんなことを言われたら、鳩が豆鉄砲を食ったようにキョトンと

    するかもしれないですねぇ。(いや、そりゃそうだ)

     

    <歪み考~その①~>

     

    そもそも、歪みの無い健康的な姿勢で病気を近づけない。 

    その為にはどうしたらいいのでしょうか?

     

    いまや、星の数ほどある健康法のなかで、最大限で最小単位の

    健康維持方法はないものか?

     

    それを探しあぐねて放浪する人達は、この世界中に溢れている。

    まぁ、何を隠そう、この私自身がそうだったのですから・・・。

                             岡村郁生

     

     

    ※おまけ:ゲッツ!一口メモのコーナー!

    ~歪み“ひずみ”(三省堂物理小事典より)~

     物体に外力が加えられたときに生じる形の変化や、体積の変化を表す

    量として定義される。

    歪みには、伸び・ずれ・体積変化・曲げ・ねじれ等の種類があるが、

    弾性体で歪みが非常に小さいときは、伸びとずれを基本的な歪みとし

    て、他の変形はこれらの組みあわせによって表される。 

    ちなみに”ひずみ”を調べてから”ゆがみ”を調べようと思ったら、掲載さ

    れず、中間子論でノーベル賞を授与した湯川秀樹氏の紹介は掲載され

    ていた・・・さすがに物理学事典だな、と感心、感心。

                            

     

  • 6.正円・楕円

    6.正円・楕円

    歪みがなく中心軸が一つなら正円になる。
    軸に支点という要素が加わると
    楕円となる。
    その楕円を歪みと捉えるかどうかと同じ事。
    楕円で当たり前。
    完璧な正円などはない。
    楕円軌道で各々のバランスが
    とれていればよい。
    楕円だからこそ螺旋となり、
    変化進化していく。
    正円だと螺旋にならず、変化も進歩もしない。
    循環は同じところに同じものが返ってくるのではない。
    何らか少しは違う変化が生じている。
    変化を歪みと捉えるか、
    変化を変化と捉えるのか。
  • 5.息食動想環性

    5.息食動想環性

    息の歪み。
    荒い、浅い、早い、狭い、自我。
    食の歪み。
    他者の影響(TV含む)、記憶、観念、イメージ、偏食ダイエット、
    似非科学の陶酔、精神的な信仰。
    動の歪み。
    スポーツ、左右対称、我慢する、限界を超える、毎日継続的にやる、相手を超えるため、
    悪い癖。
    想の歪み。
    過去の経験、人の価値観、正しい正しくない、自分は間違っていない、これだけのことをやってきたのだから、相手の為を思って、みんなが言ってるから。
    環の歪み。
    空気、水、食物、電気、社会、政治、会社、
    世の仕組み、公害、被爆、磁場。
    性の歪み。
    発散する刺激的な、一方通行、後味の悪い、
    消耗、勝負。
    全て同時相関相補連動性である。
    深いゆっくりした息。
    からだにききわけた食。
    作法に則った自然な動。
    人類としての向上する方向性の想。
    これからの自分自身や、
    子孫に残したい環。
    静かなる接触で愛を感じあう
    穏やかな性。
    正・反どちらにも転ぶ。
    それが歪み。