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  • ゆがみ~その7~

    日、海の日に開催されました「操体マンダラ」にて

    三浦先生から色紙をいただきました。

     

    今年で四年目になりますが、毎回いただく色紙には

    その時、その時で自分自身にとって必要だなと思える言葉が

    やってきます。

     

    しかも今回は事前に色紙に名前を入れず、誰にどの色紙が

    届くのか分からない状態でしたので、本当に言葉がやってくる

    といった感じでした。

     

    今回色紙には

    イソップ物語の北風と太陽を思い出す。

    あえて不快をとほさなくても快をとおせばよい。

    快は太陽、光である」

    とつづられていました。

     

    操体を学んでいるならば、ニヤリとするような

    改めて噛みしめるような、もっと奥があるのではないか

    と思わせるような言葉です。

     

    臨床を通していると、からだがききわけてくるのは

    快適感覚ばかりではないことが分かります。

     

    快とも不快ともつかないような予備感覚。

    または、痛みやしびれ感、重さやだるさといった

    快適感覚とはベクトルを異にするような感覚。

     

    こういった感覚を含めてからだは原始感覚として

    ききわけてきます。

     

    このような不快ともとれるような感覚が

    どのように変化していくのかを

    見守るのも操者の役目だと感じています。

     

    あえて刺激を与えず、あえて不快を与えず、

    しかし、からだがききわけてきた様々な感覚(不快な

    感じも含めて)を変化として受け止めて、優しく

    からだを見守る。それこそイソップの太陽のように。

     

    「歪んでるから(こそ、それで)助かってるんだ!!」

    そして、

    「快、不快をききわけられるからこそ、

    不快も変化するからこそ助かっているんだ!!」

     

    どこまでいってもからだのもつ自力自療作用の

    前では手も足も出ません。

     

    「臨床は一発勝負じゃないよ(by三浦先生)」

     

    だから、真摯にからだと向き合い続けるのです。

     

    一週間ありがとうございます。

    明日からは、目に見える世界と目に見えない世界を行き来

    する寺本実行委員です。お愉しみに!

  • ゆがみ~その6~

    「感覚主体で臨床が通せる」

     

    操体を学んで分かったことです。

    分かったというより、からだを通して納得したと

    いったところでしょうか。

     

    言葉にはっきりできないけど、たった今この瞬間からだ

    で感じていること。その中にからだが整うための道筋がある。

     

    「感覚」というとあいまいで、客観性に欠けると

    感じるかも知れませんが、理路整然で1+1=2と

    なるような「思考」の世界にはない感動があります。

     

    背中を伸ばして

    肩の高さを揃えて

    足の長さを揃えて

    骨盤のズレを正して…etc.

     

    筋骨格系を意識して、筋肉を伸ばして、縮めて、

    関節を矯正して…「歪み」と向き合う。

     

    そういった世界とは別に

    もしも、「感覚」を通して、「きもちよさ」を通して

    「からだ」を通して、「皮膚内臓系」を通して、

    「呼吸」を通して「無意識」を通して…

    言葉にならない次元から「歪み」にアプローチできたなら。

     

    私はそういった臨床を通していきたいと思います。

     

    からだを介して人に何かしらの影響を与える仕事を

    通すのであれば、自分のからだを通して納得したものを

    通していきたいと思います。

     

    ふと、手元にやってきた本の中にこんなことが

    書かれていました。

     

    あの世でも続けたい仕事 (PHP文庫)

    あの世でも続けたい仕事 (PHP文庫)

     

     

    ゲーテの言葉だそうですが

    「自分の中にあふれるものがなければ、

    人を感動させることはできない」

    というもの。

     

    三浦先生も「日々、自分に感動しているか」と問いかけて

    くださいます。

     

    からだを通して自分自身が感動することで変化する。

    そういったものでからだがあふれている時、人は

    元気になるんじゃないかなと思っています。

     

    お互いが元気になる臨床が操体なんですね。

     

     

     

  • ゆがみ~その5~

    「こうしなければいけない」

    という「きめつけ」を取っ払って「歪み」と向き合ってみる。

    「きめつける」かわりに「ききわける」ことを通して

    「からだ」と向き合ってみる。

     

    そうすると

    「からだの設計にミスはない」ということが見えてくる。

    設計にミスがないんだから「歪む」ことは想定内だ。

    設計にミスがないんだから、あとは設計通りに生きていける

    ように自然の法則に乗っかればいい。

    例え「カタチ」が歪んだとしても。

     

    ボディが歪むプロセスと症状・疾患が発症するプロセス、

    症状・疾患が治まるプロセスとボディが元に戻るプロセス。

     

    プロセスに気づくことができたから、

    「きめつめる」から「ききわける」に変化した。

     

     

    まあ、こういう想いで日々臨床と向かい合っているのです

    が学べば学ぶほど、やることがシンプルになるかわりに奥

    が深まっていきます。

     

    今34歳なんですが、男性の平均寿命まで生きたとして

    ざっと40年はこの仕事を続けていくわけです。

     

    そうすると、なるべく早いうちからきちんと修めていきた

    いじゃないですか。一生ものですから。

     

    「大変なことに足を突っ込んじゃったけど、一生愉しめる

    んだから。」

     

    お盆が近いせいか、そんな声も聞こえてきそうです。

  • ゆがみ~その4~

    「歪み」は一つの結果でもあるし、一つのプロセスでも

    あるように思えます。

     

    硬組織だけでなく、軟部組織もあるおかげでポキッと折れずに

    歪んで対応することができる。

     

    感覚することができるから、今の状態が快か、不快か判断すること

    ができる。

     

    健康と不健康の間を行ったり来たり出来るのがからだの凄いところ。

    行ったきりで終わらない。絶えず変化している。

     

    その変化の途中を切り取ったのが「歪み」なんじゃないかなあ

    と思っています。

     

    もちろん、間に合わなくなってしまうほどの「歪み」があれば第三者

    の力を借りる必要が出てきます。やっぱりきっかけがあれば色々と

    気づくことができますからね。

     

    だから臨床で操体を通すなら自分のからだを通してこういったことを

    理解していなければと思うんですよ。

     

    「息」、「食」、「動」、「想」、「環境」とか「健康傾斜の歪体化」とか

    「構造運動力学」とか「ボディの歪み」とか、他にも多くの操体観が

    ありますが「こうしなければいけない」って縛ってしまうよりも、

    絶えず変化の中でからだが要求することに応えるスタンスを持ち続けたいと

    思うんですよ。

     

    そういった中で、改めて「歪み」と向き合って

    「診断」⇒「治療」という行為を操体を通して

    磨いていきたいなと思うんですよね。

     

     

  • ゆがみ~その3~

    操体の臨床は「構造運動力学」に基づいています。

    ですから、「構造力学」という「カタチ」だけを見て終わるのでは

    ありません。その「構造」が動くという、「運動力学」の観点も

    入っています。

     

    「構造」と「運動」を分けて考えるのではなく、一つのものと

    考えます。「構造」は「運動」に影響を与えますし、「運動」は「構造」

    影響を与えます。

     

    さらにからだが動くという点において

    からだの使い方、動かし方のルール=身体運動の法則があります。

    この法則に順応することで「運動」から「構造」に変化を与えることが

    できます。感覚することをすっぽかさなければ!

     

    ※因みにここでいう「運動」ってエクササイズや体操、トレーニング等

    ではないですヨ。

     

    とかく、外見にこだわりがちになってしまいますが

    「運動」をすっ飛ばして「構造」を何とかしようとしていたのは

    過去の私。何とかしようとすればするほど「何かこれって違うかも」って

    感じていた過去の私。

     

    さらに、さらに師について現在進行形で操体を学んでいると、

    この動きも単純に目に見える動きから、目には見えない動きも加わって、

    より「感覚」の大切さが身に染みてきます。

     

    目には見えない動きを感覚として捉えることができたなら

    からだの外枠の「構造」に対する見方も変わってきます。

     

    「歪んでる」、「歪んでない」とからだを構造的にしか

    見ていなければ、なんとなく無機質な感じがしますが、

    そこに動き(目には見えない動きも)と感覚がおさまっていれば

    からだに血が通いだすような感じがしてくるのです。

     

    操体は「構造」を矯正するとか、「運動」=トレーニングで鍛えるとか、

    「構造」と「運動」を分離する発想ではないんですネ

  • ゆがみ~その2~

    いやあ、変わりました。

     

    何が変わりましたかというと臨床の捉え方です。

    つまり、「歪み」の捉え方。ひいてはからだとの向き合い方。

     

    数週間前のブログで先輩のO実行委員が

    「歪んでるから(こそ、それで)助かってるんだ!!」

    と書かれていましたが、現在進行形で操体を学んでいると

    その言葉が、こじつけでも、逆説的でもなくスーッと

    素直に自分に入ってくるのです。

     

    痛みなんかと同様に歪みは無い方がいい、

    治した方がいいというのが世間一般の常識ではないでしょうか。

     

    ご多分に漏れず、私自身もそんな考えのもとで

    臨床に携わってきました。ですから、躍起になって

    肩の高さを揃えようとしたり、骨盤の高さを揃えようとしたり。

     

    その頃はまさか

    「歪んでるから(こそ、それで)助かってるんだ!!」

    何て思いもよらず。只々、犯人捜しの如く「歪み」とにらめっこ。

     

    けれども

    「歪むこと」もバランス現象と捉えることができたなら?

    「歪むこと」で現状のバランスを保っていると捉えることができたなら?

     

    目に見えている「カタチ」という現象にとともに

    目には見えない「ハタラキ」にも波長を合わせることができたなら?

     

    操体と出会って、師と出会って、同志と出会って、

    私の犯人捜しは終わりました…

     

    痛みも歪みもひっくるめて「からだ」なんであって、

    その「からだ」に罪はないとわかったのですから。

  • ゆがみ~その1~

    文字だけでなく、行間や写真からも

    香さんの思いが伝わってくる一週間でしたね。

     

    今日から一週間は東北の空気を纏った瀧澤がお送りします。

     

    早いもので故あって現居住地の岩手に引っ越してきてから

    丸一年。

     

    今夏は岩手も連日30℃を越え、

    「去年の夏はもう少し涼しかったよなー」と少々面喰っていますが、

    これもその年、その年の変化。

    熱中症に気をつけながら、暑いなりの過ごし方を愉しんでいます。

    皆さまもくれぐれも気を付けてお過ごしくださいませ。

     

    さて、このブログは東京操体フォーラム実行委員が一週間毎にバトンタッチする

    リレー形式になりますが、私がひそかに愉しみにしているのはバトンタッチ

    の際のフレーズです。

     

    「明日からは○○な瀧澤実行委員です」とバトンを受け取るのですが

    今回香さんが書いてくださったのは「清らかな呼吸を感じさせる」といった

    フレーズ…

     

    「清らかな呼吸」ってなんか凄そうですが(笑)

    もし、そう感じていただけたのであれば、それはズバリ空間と作法の

    お陰でしょう!

     

    操体の「息」と「環境」、この二つは目には見えません。

    自分を取り巻く空間も、そこからいただく呼吸も目には見えませんが

    作法を通すことで、からだは目には見えないものに触れることができます。

     

    目には見えないから傍目には何をやっているか分かりづらい訳ですが、

    ここが大切なんじゃないかと。

     

    同じことをやっているようで「なんか違う」というのは

    こういった目には見えないことが支えになっているかどうか

    ということなのかもしれません。

     

    「歪み」にも同じことが言えると思うんですよ。

    目に見える「カタチ」だけじゃ説明できない…

     

    目には見えない大切なこと。

    師のもとで操体を学ぶって

    そういうことなんだなあと思っています。

     

    それこそ「清らかな呼吸」を通してネ!

  • 自然に教えられる3

    今日から8月。

    新しい月が始まることに、感謝いたします。

     

     

    自我ではなく、いのちというエネルギー循環の中で、

    相手のからだと向き合う。

    そのときに感じる、変化。

    その変化は、

    歪みにみえることもあれば、

    健康へと導くサインでもある。

     

    循環する中で感じ取り、その変化を、

    また循環にかえす。

     

    それをしているのは、呼吸である。

     

     

     

    明日からは、いつも清らかな呼吸を感じさせる、

    瀧澤さんが担当いたします。1週間、ありがとうございました。

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  • 色紙

    7月20日の海の日に、操体マンダラが開催された。

    三浦寛先生が操体の極意を実技や講義を通して、発表された1日。

    ご参加された皆さまと過ごす中で、とても有意義な時間を過ごすことができた。

    ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

     

     

    その中で、参加者1人1人に、三浦先生から色紙のプレゼントがあった。

    色紙の内容は、すべて異なり、どんな内容が書かれているのか、私はとてもたのしみだった。

     

    私のいただいた色紙には、

    「妄想」には元々、力はない。力を与えているのは、自我である。

    ということが書かれていた。

     

    からだの要求を受け取れる存在は、自我ではないのである。

    空っぽになればなるほど、充足されるのだろう。

     

     

     

     

     

  • 自然に教えられる2

    セミが今日も元気に鳴いています。

    何匹のセミが今日は鳴いているのだろう?

     

    「歪みは変化」と意識することを継続していると、

    「歪み」の存在に縛られた状態で、からだをみることは少なくなってくる。

     

    からだの変化を素直に受け取ること、

    私の思い込みでからだをみないこと、

    今のからだの状態を、そのまま、受け取ることができるように、

    これからも、学び続けたいと思う。