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  • ヒヨコと陰陽 その1

    今週は操体法東京研究会のヒヨコちゃんこと中谷の担当でございます。

    一週間よろしくお願いいたします。

    今回のブログテーマは「陰陽」ということでございます。

    今月の15日はプロレスラーの天龍さんの引退試合がありました。

    相撲時代から数えると50年を超える格闘家生活だったのだそうです。

    すごいですよねぇ。

    天龍チョップにグーパンチ、必殺のパワーボムと、

    ゴツゴツとした骨太なファイトはワタシも好きでした。

    引退理由は体力的な問題ではないのだそうですが、

    昭和の名レスラーの引退はやっぱり寂しいですよね。

    昭和といえば先日、昭和の大横綱だった北の湖さんが亡くなってしまいました。

    ワタシが子供の頃、近所のおばちゃんがTVで大相撲中継を観ながら、

    「ホントに憎たらしい~よぉ」って言っていたのを憶えています。

    それほど強かったってことですよね。

    これもまた一つ昭和が終わったみたいで寂しいもんです。

    陰陽というと単にあらゆるものには陰と陽の二面性があるということだけに

    目がいきがちなんですが、全ては固定的ではなく循環するということも

    大事なポイントなようです。

    鍛え抜かれたレスラーや力士だって、

    体力の限界がきたり、病に倒れることだってあるんですから、

    それも全て生病老死という自然の循環なんですね。

    そうした陰陽の循環という変化の中で、より良い人生をどう創っていくのか?

    そのヒントの一つが操体の中にもあると思いますよ。

    中谷祐祥

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

    詳細は東京操体フォーラムHPをご覧下さい

  • 互いに生かし活かし合う。

    おはようございます。

     

    今日は日の出が綺麗でした。

    地にある建物や木々は引き立て役として黒くなり、その上の天につづく空が、曙色、オレンジ、黄金色と重なっていく。その重なりは、いつしか黄金色旺盛になっていき、黒い引き立て役だった木々や建物に彩を与えていく。

    なんだか、互いに生かし活かし合う、陰と陽のスムースな流れが表現されているようにも感じます。

     

    今回のブログのテーマは、陰陽でした。

    陰と陽は異質のものではあるが、必ず相対して存在し、大きくみれば一つのもの。

    異質なものでも相対して、互いに生かし活かし合い、現象を生じさせ、そしてより良く展開させていく事に、その本質があると感じる。

    これは操体臨床での操者とクライアントの関係にも当てはまり、2週間後の東京操体フォーラムでの、参加してくださる皆様とお迎えする側の私たちや講師陣の関係にも当てはまる。

    なにしろ陰と陽を設定した太極の理念は「愛と調和」なのですから。
    「愛と調和」のカタチが、どのような現象として現れ、展開していくか、愉しみですね。

    そして、その太極の理念が「愛と調和」だと悟った、操体創始者、橋本敬三先生の想いを東京操体フォーラムは受け継いで、長年つづけてきているのですから。

    興味のある方は是非参加してみてください。

     

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

    詳細は東京操体フォーラムHPをご覧下さい

    尚、12月5日(土)と6日(日)の開催場所と開催時間は、今回は異なりますので
    HPで地図、時間等、ご確認ください。

      

    一週間お付き合いただき、ありがとうございました。

    来週は中谷先生の担当となります。

    来週も、どうぞ宜しくお願い致します。

  • 鬼門より。

    こんにちは。

     

    今日は朝から、どんよりと曇ってます。最近は雨が多いですね。

    晩秋の雨というと、例年は傘をさす手が凍えるような、そんな冷たい雨だったような気がしますが、今年はそれほど寒くなく、静かな雨に感じます。

    静かな雨。ちょっと前までは蛙の鳴き声が聞こえていたのに、今はそれもない。

    気温の多少の誤差はあっても、自然に生きる生き物というのは、天然の波長を感じとり、もう眠りに入ってしまったのでしょうね。

    静かな静かな晩秋のひととき。

    陰と陽の展開による自然の移ろい。そしてその一つ一つにはイノチが在る。

    その一体としての周期、リズムに調和和合する。

     

    人間だって、そういったリズムに調和和合していくことは、凄く大事な事だと思う。

    休息、眠りのひと時は大事だが、眠りというのは単に睡眠欲を満たすだけのものではなく、生まれ変わりの時空の間として捉えてみる。

    誰でも、寝ているときは無意識となる。無意識の無とは、まるっきり無の虚無ではない。すくなくとも、からだは無意識の時、無極無限の無限界つまり太極とつながっているのではないだろうか。だから、その時空の間に於いて本来の像をとり戻し、疲労回復につながる。

     

    鬼門というのがある。これは鬼の出入りする門であり、普通は忌み嫌われる方位であり、時間である。しかし「鬼は帰なり」という古(いにしえ)の人の教えに従えば、本来の第一義的人間である実相の自己が、行き来する方位や時間と捉える事が出来るのではないだろうか。

    鬼門は丑寅の時空。時間でみれば、丑はだいたい午前1時から3時、寅は3時から5時。この間は、だいたい4時間ぐらい。この間に無意識となり、からだの無意識に委ねられれば、現象としての自分自身はナチュラルさをとり戻し、リフレッシュつまり生き生きと蘇えることが出来るのではないだろうか。

    一般的には、子の刻である午後11時から午前1時までには床に就き、活動と休息の陰陽バランスを切り替え、卯の刻の午前5時から7時までには起床して排便するのが、よいのではないかと思う。最大8時間となるが、大切なのは丑寅の無意識に委ねる時空の間であり、その質によって時間は調節できると思う。

     

    日は昇り、日は沈む。そういう自然のリズム。そのリズムに合わせるように、様々な生きものが生かされて生きている。そのリズムの中で大切なのは、変化を受け入れ、つなぐ事。

    鬼門という一般的には忌み嫌われる、丑寅の時空。しかし、本質的には変化を受け入れ超克する、つなぎの時空なのだと思う。陰から陽へ、静から動へ、本来的自己から現象である自分自身へ。自己超克。

    鬼門を神様のとおり道と呼び、その方角を綺麗に清めている人もいるという。そういった捉え方の方が良いのではないだろうか。

     

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

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  • 「鬼は帰なり」を考察してみる。

    おはようございます。

     

    五行大儀の「鬼は帰なり、古は死人を帰人と為すと謂う」

    この言葉の説明には「帰とは、其処から出て行ったものが再びその元のところに戻ってくることの謂。元のところとは、そのものの本来の居所なので、そうなれば帰人すなわち死者こそ本来的、第一義的人間であり、生者はそれに次ぐ仮の存在、第二義的人間にすぎないことになる」と記されている。

     

    しかし、この説明にあるような「生者はそれに次ぐ仮の存在、第二義的人間」という言葉をきいても、なかなかピンとこないのが実情だと思う。

    みんな肉体を有して、この世に生存しているのだから、目に見えるそれこそが、実在だと思っているから。あるいは、目に見える、あるいは顕微鏡や何かで観察できるものだけを実在としているからである。

    そういう思考なり嗜好なり思想なり論理だけに拘っていれば、なかなか古(いにしえ)のこういった素晴らしい教えというのも、なかなか伝わりづらいのではないだろうか。

     

    目に見えるものは、目に見えないものに触れている。そうやってイノチを宿している。

    それは万物に当てはまる。人間の肉体だって、細かく見ていけば、器官→細胞→分子、原子と細分化できる。そして、ここまでは客観的な観察が可能だ。

    しかし、原子の前の段階の素粒子というのは、観察するその観察者の意識によってカタチを変えてしまうという、そういったエネルギー構成主体の世界なのだ。

    だからといって、素粒子やその前の段階を否定することはできないだろう。

    素粒子から前の段階は、陰と陽が設定される事によって起こる波動であり、その陰と陽を設定したのは太極という事なのだ。太極が愛と調和の理念をもって陰と陽を設定した事により万物は生じた。そして、その意志は万物に貫通している。

    目に見えないものから、無機の世界、有機の世界へと、目に見えない太極の意志の元に、陰陽が展開され、そして人間の像を現しているのだ。

    目に見えるものは、目に見えないものから構成され、そして常に接触している。
    その目に見えないものこそ重要なのだ

     

    生者という現象の元の元を紐解いていくことで「生者はそれに次ぐ仮の存在、第二義的人間」という言葉の意味も明らかになってくるのではないだろうか。

    また、太極は陰陽未分の一であり、無極無限でもある。「そのものの本来の居所」というのも、この無極無限の太極、すなわち無限界なのではないだろうか。

     

    「帰人すなわち死者こそ本来的、第一義的人間」については、以下の文章を参考にしてみる。

    「釈迦も基督も、この生命は天地創造よりも前から生命そのものであると宣言されておる。此の世(現象界)において五官に映る肉体的人間を生命と思い込み、自分を生命源なる神仏から隔絶して考えているうちは、放蕩息子のようなもので、無限の富の後継者であることを悟らないから、その恩恵に浴し得ないでいるのだという譬話を釈迦も基督も説かれている。現象の人間は、理念なる人間(創造神が己の像と同じものとして生んだ人間)が、その栄光を、現象界に投写上映する最高の場であると説く師もある(谷口雅春氏)」

    この文章は、操体の創始者である橋本敬三先生の著書からのものである。

     

    私なんぞはまだまだだが、個による自我を取り払い、本来的な観点に立つと死も問題外となってくるようだ。生命源なる神仏こそが本来であり、生者からみた死とは本来は生命源なる祖神の里に帰ることなのだと感じる。

    それを「鬼」と捉えてしまうのは、人間の死に対する恐怖心や執着心、カタチがなくなる不安感からなる心なのだと思う。

    「鬼は帰なり」という古人の言葉には、鬼は不安から生じる妄想であり、それをふり払って自己本質の有り難さを想え、という意味がもあるのではないだろうか。

     

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  • 生者と死者・・・2。

    おはようございます。

     

    ちょっと昔の記憶が、ふと、蘇えって来た。

    ちょっとといっても、私がランドセルを背負った小学生だった頃の事だから、随分と昔のことになる。

    内気で気の弱いMちゃんという同級生がいた。学校の帰り道が同じ方向だったので、よく一緒に帰った。

    あまり口数が多くなく、大抵は私がベラベラしゃべっているという感じだったが、その日は何だか晴れ晴れとした表情で、こう言った。

    「俺、もうお化け怖くなくなったんだ」

    「へぇ~、どうしたん、なんで?」と聞くと

    「それはさぁ、友達になっちゃえばいいんだよ」と、その秘訣を教えてくれた。

    実際にお化けを見たわけではなく、まだ見ぬ見えないものを恐れ、夜中にトイレにも行けなかったMちゃん。しかし、考え方、想いを変えただけで、まるでへいちゃらになってしまった。行動まで変わる。その変化の循環は性格にも表われ、何かどっしりしたようにも感じた。これも一つの観の転換なのだと思う。

    今思い出すと、何だか合気道塩田剛三先生が「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれ「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えた言葉とも重なり、妙に納得でき、感心させられてしまう。

     

    生者と死者。昔の昔、古代の中国では、死によって形を失ったものを鬼としていたという。鬼はキであり帰でもある。五行大義には「鬼は帰なり、古は死人を帰人と為すと謂う」と記されており、死者を帰人としていたのだという。

    「帰」とは、其処から出て行ったものが再びその元のところに戻ってくることの謂。元のところとは、そのものの本来の居所なので、そうなれば帰人すなわち死者こそ本来的、第一義的人間であり、生者はそれに次ぐ仮の存在、第二義的人間にすぎないことになるという。

    物事、モノコトの始まり、を想えば納得のいく話でもある。モノコトナリの元の元には太極が在り、その太極が理念をもって陰と陽を設定したことから、すべてが始まったという事。

     

    鬼の語源は、オン(陰)やオヌ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものを意味したという。

    鬼というと、どうしても角が生えた化け物のようなものを想像してしまうが、元々はそうではなかったということであり、生者の社会的秩序を保とうとするその想念が、化け物のようにしてしまったとも考えられる。

    いつの世でも子供は言うことをきかない。言うことをきかせて、社会の一員として立派になってほしいと思えば、畏怖する対象をもたせる事も必要ということなのだ。

    しかし、そういう生者の都合ばかりを先行させ、死者を遠ざけてばかりいると、生者は死の恐怖から逃れられなくなるだろう。その恐怖は、カタチが壊れる恐怖やカタチあるものへの執着として表われ、常に不安を抱えながら生きるという事につながるのではないだろうか。それでは生かされて生きる幸福の本質が隠されてしまう。

    ちなみに操体では、肉体の死を死としてとらえずに、帰一の法則としてとらえている。帰一とは、命あるものは無条件の愛から生まれ、そして、その神性に帰っていくことを謂う。

     

    Mちゃんは、お化けと「友達になっちゃえばいいんだよ」と教えてくれた。

    それまで本人は、よっぽどお化けが怖かったのだと思う。怖くて怖くてそれでも怖くて、そんな時、想いの質の転換が起こった。陽から陰ではなく、陰から陽へと転換されたのだ。

    その転換を可能としたのが、一人一人の生命に貫通する太極の意志だったのではないだろうか。

     

     

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  • 生者と死者。

    おはようございます。

     

    人間を陰陽で捉えると、男女だけでなく、生者と死者にも分けられる。分けられるだけでなく「一は二にして、二は一」。表裏であり、統合であり、調和の像の現われでもある。

    生者と死者。オドロオドロしく考えずに、今、生きている自分自身の内には、生者と死者が混在していると捉えてみる。

     

    今、息をしていられる自分自身の内には、死んでいく細胞、死んだ細胞の存在がある。そういう細胞のお陰で自分自身は生かされているともいえる。

    例えば、人体を包み込んでいる皮膚。その表皮細胞の最表層、つまり外界との境界の最前線で、様々な働きに関与しているのは死んだ細胞なのだ。

     

    生命科学や医学としての皮膚本来の働きの研究というのは、まだまだポプュラーではなく、一般的には広く知れ渡っているとはいえない。しかし、その役割や働きには驚くべきものがあり、熱意ある研究者によって、その科学的研究成果も徐々に明らかにされてきている。

     

    勿論、操体も昔から皮膚には注目していた。そして臨床の中から、皮膚に問いかける診断分析法が体系化されていった。そして、既に平成11年には、三浦寛先生著作による「快からのメッセージ・哲学する操体」の中に、その取り組みの過程や成果の程が書き表されている。

    私たちの師が、臨床の場で信念を持って実践して築き上げてきた事が、科学的根拠や研究実績によっても裏付けられてくるというのは、凄く嬉しい事である。

     

    「快からのメッセージ・哲学する操体」の中で三浦先生は、「皮膚という器のなかでイノチが機能する」と書いているが、それだけ皮膚は人間にとって、いや全ての命あるものにとって大変重要で、これなくして生命は全うできないというものである。

    その皮膚の最表層は死んだ細胞の集まりで出来ており、それが生きた細胞と連携し、そしてからだの内部にも、心にも働きかけているから、私たちは生きていられる。

    「生者」も「死者」もつながっている。「一は二にして、二は一」表裏であり、統合であり、調和の像の現われでもある。

     

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

     

     

    皮膚に問いかける診断分析法は渦状波と名づけられたが、
    「渦状波®」は 三浦寛先生の登録商標です。 

     

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

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  • 日々生まれ変わり。

    おはようございます。

    日一日と、日が昇っているあいだが短くなり、一日一日があっという間に過ぎていくように感じる今日この頃です。

    今年も、あと一ヶ月と半分ぐらいなんですね。

     

    年単位で考えると、歳を追うごとにエントロピー増大へと向かうような気もしてきてしまうが、一日一日が日々生まれ変わりと捉えれば、先行きの不安は解消されてくるのではないだろうか。

    死んで生きる。死んで生きるというと、ゾンビみたいなものを想像してしまうかもしれない。

    しかし、そういうオドロオドロしいものではなくて、自我を捨て、今、息をしていられる自分自身を、陰陽の展開のうえに成り立っている存在として捉えてみる。

     

    陰陽の展開は、ミクロからマクロまであらゆる事象にみられる。そして、それがある一定の秩序、法則の元につながりをみせている。

    人体は小宇宙とよく例えられるが、小宇宙から宇宙へ、宇宙から小宇宙へ、小宇宙から更にミクロな小宇宙へ、すべては陰陽の展開による。そして、そのように陰陽を設定したのが太極である。

    自分自身のミクロな部分に目を向ければ、細胞という存在が浮かび上がる。60兆個とも70兆個ともいわれる人体の細胞は、常に生き死にしている。

    実際に私達の細胞は、日々刻々と生まれ変わりを繰り返しており、3ヶ月もすれば全体が入れ替わっているという。

     

    3ヶ月というのは、四季のうつり変わりにもつうじるものがあると思う。陰陽の展開による四季折々の自然環境。それに対応してくれる、からだ。

    暑ければ冷房を入れればいい、寒ければ暖房を入れればいい?そんな単純なものではない。呼吸、飲食、身体運動、想念、すべてに影響し、関わりをもっている。

    日々刻々の生まれ変わりが、自然環境をはじめとする様々な環境変化、時空への適応を可能としている。

    人体という小宇宙では、常に生死が繰り返され、循環が生(な)されている。そのうえに成り立つ自分自身。生かされて生きている。有り難い事だ。

     

    日々、その一日を肯定的に捉え、心底満足して、感謝する。それは太極の理念に調和し、より良く生まれ変わる事につうじるだろう。

    四季折々の陰陽展開による自然環境をはじめとする様々な環境にも、からだ全体がより良く適応でき、結果的に12ヶ月という一年間が息災となり、実年齢より若々しくいられるのではないだろうか。

     

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  • 困沌にして混沌。

    こんにちは。

    今週のブログは友松が担当いたします。

    どうぞ、よろしくお願い致します。

     

    朝方までつづいた雨もあがり、スッキリと晴れてきました。

    空を見上げれば、天高くなればなるほど青さが増し、濃く深い色になっていくように感じます。まあるく空気に包まれて、その先の宇宙が昼間でも意識できる気がします。

    地表を見れば、赤く色づいた楓や黄色い銀杏で彩られた山々、朱色に実った柿の実や橙色のみかん。秋も深まってきましたね。 

    色々なものが見え、色々な事が感じられる。混沌の中にも秩序あり。だからこの一瞬の景色が美しく感じ、なにかヒビクものがあるのかもしれない。

    これから日一日と日も短くなり、寒さが増し、この景色も様変わりしていくだろう。今年の冬至は12月22日だそうだが、その頃には柿の実も落ち、黒い枝にわずかに残る茶色の葉が寒空に揺れる光景となっているだろう。寂しい気持ちにもなるだろうが、かといってずっと実をつけているわけにはいかない。全体の中の秩序。 

    冬至を含む子月。子月は陰が尽きて一陽来復の陽の始め、陽始であり、陰の終わりの陰終でもある。ものの終わりであって始まり。「子」という字は「一」と「了」。「始め」と「終わり」が同時に在るということ。 「五行大義」では「子は困沌と名づく。陽気混沌をいう」というのだという。

    うん?字が違う。困沌と混沌。困沌の困の字は、木が四角く囲われて伸びられない状態。困沌とは進退窮まることを意味しているともいう。

    困沌にして混沌。なにか進退窮まるかたちとなっても心配いらないと励まされているようでもある。万象を輪廻、循環として捉える古代中国哲学に於いては、混沌は太極とされ、太極は子であり、輪廻、循環の中枢と意識されているのだという。 

    柿の実はいずれ落ちても、それは新たな生命を生じさせる始まりでもある。先の事を自分の視野で考えて、悲観してもしょうがないという事でもあると思う。明けない夜はなく、上がらない雨もないのだから。

     

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  • 陽の時代から陰の時代へ その7

    「陰」と「陽」のことについて想いを巡らせていると

    気が付いたら「目に見えないこと」について

    意識が及ぶようになっている。

     

    「陰陽」をテーマに 今回のブログは進行していますが

    日々綴られるブログに目を通していると

    「潜象」や「目に見えないこと」 といった言葉が

    時折含まれていることに気付きます。

    とても不思議です。

     

    陽の時代または陰の時代に生きていても

    その根底には「太極」と呼ばれている

    陰陽の「起源」が在るということ。

    大流が在るということだと思います。

     

    時代を通して学んでいき

    時代を見据えて学んでいくこと。

     

    その本質は時代の流れを生み出している

    「太極」が自在していることを学ぶことではないかと 感じています。

     

    どうも、そういった「壮大」なテーマを

    限りなく「身近」なテーマとして学んでいるのが

    操体」なのではないかと

    最近は感じるようになっています。

     

    「自分自身が本当に知りたいことを学びたい」

     

    その「芽」を育てていきたい方は

    一度、東京操体フォーラムをのぞいてみてください。  

    知りたいことのヒントに触れる空間が

    その入り口を開けているはずです。

     

    一週間ありがとうございました。

    明日からは操体の語り部、友松実行委員が担当します。 お愉しみに!

     

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

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  • 陽の時代から陰の時代へ その6

    家に帰ってテレビをつけて見ると

    最近は毎日同じような内容が映し出されているような気がします。

     

    今流行のファッションのこと

    評判のいい飲食店のこと

    理想的な住居のこと

     

    むかしはテレビっ子だったもので

    よくテレビにかじり付くようにたのしんでいましたが

    最近はこういった内容のものには

    あまり興味を持たなくなっていることに気が付きました。

     

    テレビに限ったことではなく、周りを見渡せば

    人が生きる上で

    「生活」を豊かにする

    「衣食住」に関しての情報が

    溢れかえっていることに気が付きます。

     

    一方で

    人が生きていく上で

    「生命活動」を豊かにする

    「息(呼吸)食(飲食)動(身体運動)想(精神活動) 環(環境)」に関しての情報は

    まだまだ少ないように感じます。

     

    陽の時代から陰の時代へ

    刺激的な情報から少し離れて

    感覚的な情報を受け取ることに近づいてみる

     

    「息食動想(生命活動)」から「衣食住(生活)」を見直してみると

    その中身を自分自身で準備しながら

    本当に豊かな「衣食住」の営みを

    自分らしくエンジョイできるのではないでしょうか。

     

    2015年冬季東京操体フォーラム 12月5日(土)6日(日) 二日間開催します

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