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  • 背負い込む

    おはようございます。

    今朝は、鳥のさえずりがとても響いていました。

    決して大きいとは言えない、からだから聴こえてくる鳴き声。あの響きは

    どこから出てくるのかな?

     

    展覧会で

    絵の主人公が、大きな風呂敷に自分を詰め、それを自分が背負っている絵画を見たことを、思い出しました。

    「心のフロシキ」という題がついていたと思います。

    この絵を見た瞬間、まさに、心(悩み)を背負いこんで、動けなくなっている状況を見事に表現している作品だと、感動した記憶があります。

     

    背負いこんでしまうと、身動きが取れない状況に陥ってしまう可能性があると

    “知る”ことは大切です。

    知っていて背負うのと、知らないで背負うのでは、

    とても大きな違いがあるように思います。

     

  • 六角堂

    おはようございます。

     

    ネガティブなエネルギー

    日々のなかで「嫌」「不快」は感じます。

    この感覚は、とても大切なことです。

    この「嫌」「不快」などの感覚を感じることができる、

    だから、

    “からだ”という“いのち”が

    明日という日を迎え、また“いのち”をつなげ、

    年を重ねていけるのだと思います。

    「嫌」「不快」などを感じることができなかったら、

    今、私のいのちは、なかったかもしれません。

     

    「嫌だ〜」「不快だ〜」と感じたら、

    時にはその状況から

    抜け出す、逃げる

    を選択することも、とても大切だと思います。

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    昨日の写真の奥に小さく写る赤い建物、六角堂。

    今日は、六角堂から見える景色です。

    六角堂は、岡倉天心が住んでいた場所です。

    この景色を見ていると、横山大観や下村観山を思い出します。

     

  • 繰り返しが教えてくれること

    おはようございます。

     

    “そのまま受け取る”

    意識し続けていると

    そのまま受け取っていない時

    そのまま受け取っている時

    よくわかるようになってきます。

    その状態を俯瞰してみることも体感するようになってきました。

    このような繰り返しをしていると、

    エネルギーとはどうとらえるべきなのだろうか?と。

     

    また思考したくなります。

     

    気づいて、からだで体験して、その経験から、また考える。

    気づいて、実践して、その結果から、また思考する。

    この一見すると、ふりだしに戻ったような繰り返しが、

    いのちのエネルギーなのだとも感じます。

     

    ネガティブなエネルギーは、わたしを豊かにもするし、乏しくもするエネルギーなのだと、感じています。

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  • 60回目の誕生日

    おはようございます。

    昨日は、東京操体フォーラムの相談役でもある、巻上公一さんの

    音楽会に行ってきました。

    「60回目の誕生日を祝う対決音楽会」

    エネルギーを感じました。今日の活力に繋がります。ありがとうございます。

     

    「ポジティブ」「ネガティブ」という意識を「私」がつくっていると

    気づいてから、日常に変化を感じています。

    ただ湧いてきた感情、感じた感覚を“そのまま受け取る”ことにしようと、

    今は思っています。

    それは、いや、不快、だけでなく、好き、愉快も一緒です。

    とにかく“そのまま受け取る”を実践することが、今、必要なのではないだろうか?

    と思い、日々、コツコツと続けています。

    しかし、「いやだな」や「不快だな」などの感情、感覚が無くなるわけではありません。ただ続けていることで得たことは、“そのまま受け取る”と、

    その感情や感覚に執着せずに、またすぐに湧き起こる感情や感覚をあじわうことができるということです。

     

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  • 満月

    香です。

    今日から、一週間担当いたします。よろしくお願いいたします。

    今日は、満月です。月の満ち欠けも、エネルギーですね。

     

    ネガティブなエネルギーとは、何なのか?

    私自身も、学び続けているところです。

    昨年12月に開催された、冬季東京操体フォーラムのテーマでも

    「臨床家がネガティブなエネルギーから身を守る」という内容が展開されました。

    その時に学んだことは、

    「ネガティブなエネルギー」と「私」が受け取っていることは、

    「ネガティブ」でも「ポジティブ」でもなく、

    「エネルギー」そのものということでした。

    「私」が「ネガティブ」や「ポジティブ」と味付けをしながら、受け取ってしまっているのかなということです。

     

     

     

     

     

  • 意識の波動とネガティブ・エネルギー

     我々が意識を拡張していくとき、すべてのものに対して、より気づくようになり意識的になる。 それは、ネガティブなもの、ポジティブなものに、より気づいていくようにもなる。 そのとき、誤解しやすいのは、そういったいろいろな新しいものに気づくようになって、感受性が一段と強くなってくることだ。 そうすると、それが自分の人生の中ですべて現実化されるのではないかと思ってしまうところに問題が起こる。 

     

     自分の意識がより拡張されていくとき、ポジティブなものと同時にネガティブなものにもたくさん気づいていくようになる。 しかし、それは創造の自然な動きではあるが、自分が気づいた新しいものであり、それ自体は自分の意識を持つことはないのである。 つまり、それ自体が勝手に動き出すとうことはないということだ。 

     

     肉体を持っている意識や肉体を持たない意識にしても、ネガティブな方向にエネルギーを持っていることがある。 しかし、それがあると気づいたからといって、それが自分の目の前に現実化して現われるということではない。 

     

     それが現実化されるためには、強い感情的な執着が必要になる。 強い感情的な喜び、エクスタシー、ポジティブな恍惚感は、自分にとっていいものしか引きつけない。 

    逆に、強いネガティブな感情、つまり、怖れや罪悪感、無価値観は、自分にネガティブなものを引きつけるようになるということだ。 どちらにしても感情がそれらを活性化するための源になっている。 我々にいま必要なのは、執着がない状態に執着することである。

     

     我々は、この創造の中ですべてのものを自分で見ることができる。 ポジティブなもの、ネガティブなものも全部を知ることができる。 一番素晴らしいものを知ることも、一番怖いものを知ることもできる。 ここではっきりしていることは、自分の人生の中に現実化するものは、自分でそれを現実化しようと決断したものである。 

     

     すべての現実は波動であり、振動である。 すべての次元、すべての段階の根本には、ある結晶のようなものがある。 その根本にある振動が現実化したものが 「物質」 である。 呼び名は違っても、もとは同じ波動からきている。 そこにあるのは、波動の違いだけであるということだ。 たとえば、氷と水は同じものからできているが、違う状態にある。 すべての物質、人、空間そういったものは全部、根本のエネルギーが物質化したものである。 

     

     時間や空間すら、この周波数からできている。 そういった時間や空間というのは、「いつ」 「どこ」 ということを意味しており、その中に自分が存在しているものと、我々は認識している。 でも我々は 「いつ」 や 「どこ」 も単なる性質の違いにすぎないものであると理解することもできる。

     

     

    明日からはポジティブ・シンキングの香実行委員です。

  • 痛みとネガティブ・エネルギー

     

     

     今日は、ネガティブなエネルギーに関係の深い、からだの痛みについて考えてみる。  基本的に痛みは、単なる抵抗である。 それは古いネガティブな考え方を、自分の中でいろいろとプロセスしているかも知れない。 そういうものをクリアーにしようとすると、ブロックとか、ひっかかるものが出てきたりする。

     

     このような痛みをヨーガ的に診ると、背骨に沿って出てくることが多い。 いわゆるクンダリニー・エネルギーと呼ばれているものである。 このクンダリニー・エネルギーが上がったり下がったりして、所々でひっかかったり寄り道をしたりすることもある。 

     

     そんな痛みが起こったとき、そこの部分に息を吸い込んでみる。 そして自分の観念も少し変えてみるのである。 新しいエネルギーが自分の中に入ってくるとき、それが痛みを伴うのは、いま受け取っているエネルギーより、本当の自分のエネルギーが低いと思い込んでいるときだ。 それは新たなエネルギーと自分のエネルギーがまだこれだけ違うのだと決めつけているとき、対処できないと思っているものを、受け取ることができないことになってしまう。

     

     それじゃ困るので自分の頭の中で決めている定義づけを、少しリラックスさせ、ゆるめてみよう。 そして、自分は、入ってくるエネルギーと同じもの、対等なものだと再定義づけしてみる。 力学を知っている人は、摩擦は二つのものが擦れるときに起きることを知っている。 だから、新たなエネルギーを受け取れないと思ったときには、二つの間に摩擦が起きていると考えられるのである。 

     

     それが自分のからだの内臓から、いま自分が直面している問題にまで出てくる。  そして社会がどう考えているか、自分のからだがどうエネルギーを受け入れるかということからも摩擦は出てくる。 ゆえに最初にやることは、自分がそのエネルギーと対等だと知ることである。 それによって摩擦が減ってくる。

     

     摩擦が起こるのは、自分のエネルギーと新たなエネルギーを対等にすることを怖れているからである。 たくさんの人がこれをやっている。 自分がそうなってしまったら、どこか未知の分野に足を踏み込んでしまうという怖れだ。 

     

     しかし、なぜ未知のものを自動的に怖れてしまうのか。 それは我々が長い間、未知のものは怖いもの、ネガティブなものと教えられてきたからである。 でも我々は、すべて間違いなく創造者である。 自分の考えていることを、自分の外に創りあげていくことができる人類なのだ。 だから、未知のものをポジティブなものだと考えれば、ポジティブなものしかやって来ないということになる。 どんなことが起きても、それをポジティブに使えないということはないのである。 怖れる対象が問題なのではなくて、怖れること自体が問題なのだ。

  • テレポーテーションとネガティブ・エネルギー

      今日は、エゴイスティックなネガティブ・エネルギーとテレポーテーションについて話してみたい。 

     

     テレポーテーションというのは、実際に存在しているものだ。 それは我々がいつもやっていることである。 我々が 「動き」 と呼んでいる考えは、本当は幻想であり、実際にはひとつの位置から次の位置へとテレポートしていることになる。 

     

     テレポートは、ゆっくりとした連続性を作り出すために、非常に小さなジャンプを積み重ねている。 もちろん、途中を抜かして、東京の渋谷地点から福岡の博多地点まで飛ぶこともできる。 博多に着いたとき自分が持っている波動に、いまの自分の波動を合わせたとき、博多に現われることができる。 

     

     今、渋谷にいる時の自分の固有振動数に自分を強く一致させることにより、博多地点における自分の波動となることができる。 そのあとは、ただ、自分を行かせてあげればいいのである。 しかしながら、我々は、社会の中で自分のネガティブなエネルギーであるエゴにしがみつくということを長い間訓練してきた。 だから、ほんの一瞬でも 「今の自分」 から離れることができなくなってしまったのである。

     

     エゴというのは、物理次元の構造の中にしか存在できないものだ。 だから、そこから一時でも完全に退くということは、自分自身がまったく消滅させられると思い込んでしまう。 テレポートするためには、もしくは、自分を異なる場所に再生するためには、瞬間的に肉体を持たない状態になることが必要である。 だから、ネガティブなエゴの部分を無条件の愛をもって、安心させてあげる必要がある。 そうすれば、エゴを失う怖れがなくなる。

     

     場所を移動するとき、我々の観念では、一番抵抗の少ないところに行くようだ。 水や電気が一番抵抗の少ないところを流れるように、いま自分のもつ最も強い観念に従って移動するのである。 自分がある場所に行くためには、飛行機や新幹線のほか、たくさんの方法があるが、まったく努力なしに楽に行ける方法もある。 それらを除外しないでほしい。

     

     それは、博多地点のバイブレーションである固有振動を感じながら、同時に、時間と空間のない状態、それでいて中心はしっかりと定まっている状態にする。 自分の魂の目を、すでに博多の場所に置いて、そこから見始めるのである。 ときには、これを二か所同時に行なうこともできる。 つまり、二つの異なる地点で同時に歩いていたりすることもできるのである。 これは 「バイロケーション」 という、肉体を伴った幽体離脱であるといえるものだ。

  • 無意識とネガティブ・エネルギー

     我々におけるすべての成長や変化は 「自分は本当に誰なのかを、さらに思い出してゆくプロセス」 だと言える。 我々は無限の一面であり、もうすでに、本当は無限の存在なのである。 ところが、この物理次元にあまりにも意識の焦点を絞りすぎたために、全体の意識としての自分、無限な存在としての自分を忘れる才能を身につけてしまった。

     

     自分の意識を、いろいろな小さな部分に分けてしまって、特定のエゴの部分や性格の中に閉じこもったままにすることを覚えてしまったのである。 なかなかすごい概念を創り出したわけだ。 例えば我々は、本当はたった一つの意識でしかないのに 「表層意識」 と 「潜在意識」 というものを創り出した。 実際には、いわゆる 「無意識」 は存在しない。 

     

     だがしかし、いま見たくないものをしまっておく場所として、「無意識」 を創りだしてしまったのである。 その中にはポジティブなものも、ネガティブなものもある。 こういった無意識レベルを持つことの長所は、物事をひとつずつ体験できるという便利さである。 この物理次元は、本質的にひとつずつ、時間に沿ってものを見ていく次元であるが、統合された意識では、すべての次元の現実で起きていることを、一度に見ることができる。

     

     無意識レベルを持つことのネガティブな側面は、自分で見たくないものや怖いものがあるとき、それを無意識の中にしまい込んで知らん顔ができることだ。 そこにない振りをしても、実際になくなったわけではない。 しまい込んだものは時々出てきて、我々の肩を叩いては 「ほら、私はここにいるのだよ」 といって知らせようとする。

     

     しかし、いつかは対処しなければならない。 だから 「忘れたものを思い出す」 という概念は、別の言い方をすれば 「統合するプロセス」 であると言ってもよい。 日常生活の中の性格を形作っている分離された部分を、再び、ひとつに統合するプロセスであると言える。 

     

     また、時間と呼ばれているものも、我々の幻想であり、我々が創り出したものも、単なる道具でしかない。 我々なくして、時間は存在し得ないものだ。 我々が過去世、来世と呼んでいるものもすべて 「いま、ここ」 に同時に存在している。

     

     はっきりしているのは、いま、この人生が、我々が焦点を合わせている人生なのである。 他のすべての人生からも、常に情報が現世に漏れてきている。 ただ、普段はあまりこのことに気づいていないだけである。 なぜなら、この人生の中にうまく当てはまるような形で入ってくるからだ。 だから、他の自分の人生から、テレパシー的に直接情報が入ってきたとき、それを、当たり前のコミュニケーションととらえず、想像とか空想、インスピレーションと呼んだりしているのだ。

     

     同時に他の人生にも必要な情報が、この人生から様々な方法で伝達される。 だから、前世や過去世などにつながりを持つとき、 「私は、この人生だけの存在ではない。 いま自分が持っている性格だけがすべてではなく、それを超えた存在なのだ」 と気づくことができる。

  • 占星術とネガティブ・エネルギー

     2015冬季フォーラムでは 「スピリチュアリスト、臨床家がネガティブなエネルギーから身を守るには占術を臨床に活かす」 というのがテーマであった。 私も僅かの期間ではあるが、占星術に関わっていたことがある。 占いには四柱推命やタロット占いとか、ほかにもあれやこれやといろんなものがある。 こういった占いに関して少しコメントしてみたい。

     

     占いというものはすべて、自分の超能力の部分であるアストラル体に、どのように同調したらいいのかを知っているということだ。 占い師は媒体、すなわち引き金となるだけである。 ここで占いの本質について述べると、未来の予言というものは、存在しないということだ。 しかし、未来の予想を感じる事ならできる。 

     

     予言をするとき、その占い師は占う相手の 「今の」 エネルギー、すなわちネガティブなエネルギー、若しくはポジティブなエネルギーを感じているということだ。 ただし、占い師が 「本当にその人のエネルギーを感じていれば」 の話である。 よく自分のエネルギーを占う相手のエネルギーに混ぜてしまう占い師がいる。 

     

     占い師のエゴ、または観念で、現在の波動にいろいろな色づけをしてしまうことがよくある。 占う相手のエネルギーを感じるとき、占い師自身の翻訳になってしまうことがあり、占い師の解釈が加えられることになってしまうのである。 

     

     そういった色が殆んどついてないにしても、現在においての方向性しかわからないということだ。 どういうことかと言うと、今のエネルギー状態がわかって、しかもそれが変化をしないまま、その方向に進んで行ったときに、いま予言したことが起きやすいということである。 しかし、エネルギーが変われば、その予言はまったく役に立たないものになる。 だから、次の瞬間に、新しいエネルギーを感じなければならない。

     

     予言というのは絶対に起きるということではない。 むしろその代わりに、もし我々が今の自分のエネルギーが嫌だったら、今こそそれを自分の望む方向に変えるいいチャンスだと教えてくれているということだ。 よくいろんな人が 「人の死」 を感じることがあるが、それは、実際の死というより、本当は大きな 「変化」 「変革」 であることも多い。 こういった解釈の仕方を知らないときに、これは 「死」 だと、ひとつの解釈だけで、文字通り受け取ってしまうことがある。 

     

     また、参考までに言っておくと、占い師だけでなく、我々全員に言えることだが、午前三時~四時は、超能力の部分であるアストラル体が非常に鋭くなって、いろいろなものをテレパシー的に受け取る能力が大きくなる時間である。 我々のエネルギーが一番高いのが、午前三時で、一番エネルギーが低いのが、午後三時になる。 ということは、我々の文明では、ほとんど自分の中の生物学的なペース、サイクルに、まったく合わないような機構をどうやら作ってしまったようだ。

     

     だから占う相手としては、心をオープンにして、それらのエネルギーをコミュニケーションのひとつとして受け取るべきであり、自分の役に立つような応用を考えることが必要である。