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  • 向き合い方を変えてみる・・・3。

    おはようございます。

     

    からだの歪み。それ自体は悪いものではない。からだは歪む事で、様々な環境、関係性から受けるストレスを軽減させて、その生命を維持できるようにしているのだから。からだが歪むという事は、むしろ有り難い事でもある。

     

    健康傾斜の歪体化を説明する時、どうしても、からだの歪みを悪者にしてしまうようなニュアンスとなりがちなのだが、からだが歪む事が悪いのではない。悪いのは、イタイ、ツライといった不快感覚という、からだのサインに気づいてあげられない、または気づいても放ったらかしにしてきた自分という事。
    また、自分自身の生命の本質は快に向かおうとしているのに、不快に安住しネガティブなエネルギーと仲良くしてしまう自分という事。

     

    不快感を伴うからだの歪みを可逆的に健康へと変化させていくには、気持ちの良い方向へと積極的に自分を導き、ネガティブなエネルギーを振り払っていく努力も必要。一生付き合っていかなければならない、自分自身のからだなのだから、からだの求めに応じた気持ち良さを、からだと偕に味わっていこうという積極的な姿勢も必要。

     

    しかし、積極的姿勢はあっても、どうしたらいいのかが解らないというのが、ほとんどの人の実情だと思う。昨日のブログでは、不快な動きの方向にからだが歪んでいるのだから、からだにききわけた気持ちの良い動きにより、歪みの整復と身心のバランス調整が可能であると書いているが、自分で好き勝手にただ動いていても、気持ち良さはききわけられないだろう。自分の動きとからだの動きは違うのだ。本能のみで生きる動物は動きが合一化しているかもしれないが、人間の場合は知恵が発達して勘が鈍った分、逆にそうはいかないだろう。

     

    だったら、その知恵を智慧にしていけばいいのではないだろうか。動きにも自然法則が在るのだから。ありのままの自分自身を感じ、動きを自然法則に合わせていく。それが、からだの動きを識り、日常生活でも活かしていけるという事につうじる。そして、その動きの感覚を、からだにききわけていくという意識行動が、人間本来の勘を取り戻していく事に重要なのだ。そうした繰り返しの中で、自力自動でも快がききわけ味わえるようになっていくと思う。

     

    はじめのうちは、なかなか上手くいかないと思う。からだが歪み、不自然な動きが習慣化されていると、イメージ通りにいってない場合が多い。だから、まずは操体臨床家の助け(介助)を受けてみるのが得策だと思う。自然法則というのは全ての人に共通するものなのだから、その素晴らしさを体感しておいて損はないと思う。

     

    自然法則は一見シンプルであり、その実とても奥の深いものである。そして様々な可能性を秘めている。自然法則に順応すれば、するほど良くなり、自分が思いもよらないところも良くなっている場合が多々ある。
    自然法則には人智を超えたものがある。それを、より詳しく、より深く原究し続けているのが東京操体フォーラムであります。
    動の自然法則は般若身経として体系化されているが、常に進化と深化を続けている。そして原究し、解明できた事柄については操体フォーラムの場で、公開させていただいている。
    春の操体フォーラムでも、シンプルさの奥に在る、快に向けてより良く生きる為の理ごとというのが公開されるはずです。興味のある方は、ぜひ足をお運びください。

     

    2016年春季東京操体フォーラム 4月29日(金)昭和の日 開催決定

    速報などの詳細は東京操体フォーラムHPをご覧ください

     

  • 向き合い方を変えてみる・・・2。

    おはようございます。

     

    施術者は、依頼者の症状疾患やそれに伴う主訴をなんとかしようと、真正面から依頼者の持つネガティブな感情や思想から生じるエネルギーと向き合うのではなく、角度を変えてそれらの元になっている、からだの歪みに着目してみる。

    操体では、からだの歪みを、単に局所的な筋肉の凝りや張り、関節の変位、脊柱配列の異常などの構造的変化だけで捉えるようなことはしない。動きも含め全身の系統的つながりが、重力をはじめとする自然環境と適応しているかという事も大切なのだ。

    そして動きには感覚が伴う。これが最も重要で、健康傾斜の歪体化で捉えれば、症状疾患の程度や期間の全期に渡って、不快感覚が伴っている訳だから、動きに対する感覚というものが重要という事であり、不快な動きの方向にからだが歪んでいるという捉え方をしてみるという事なのだ。

    そして、その感覚は感情や想念ともつうじている。ここに身体的なことだけでなく、心とからだが調和に向かう道理がある。不快な動きの方向にからだが歪んでいるのだから、からだにききわけた気持ちの良い動きにより、歪みの整復と身心のバランス調整が可能であるという事。

    その過程で、からだにききわけた、その快適感覚を十分に味わう、というプロセスがあるのだから、ネガティブなエネルギーを生み出す感情や想念も、快適感覚によって浄化されていくという事なのだ。

     

    実際に、からだにききわけた気持ち良さを味わった事により、思わず両手を合わせて合掌している人や、顔の表情が明らかに変わって少年、少女のように目をキラキラさせているの人も多い。そして、その言動も前向きでポジティブなものへと変わっている。

    これは、操者としても操体をやってて善かったと、嬉しくなる瞬間であり、もっと精進しようというポジティブなエネルギーが湧き上がってくる瞬間でもある。

     

    また、気持ち良さを味わっている時空、つまりタワメの間というのは、依頼者だけでなく、操者も依頼者との接触をとおして気持ちが良いのだ。気持ちが良いという事は、操者もより良く変わっていくエネルギーを得ているということでもある。

    操者も依頼者も一体になって、快に調和していく。そこには後向きでネガティブなエネルギーをつくり出している自我は消え去り、積極的に快に従おうとする生命の本質があるように感じる。

     

    2016年春季東京操体フォーラム 4月29日(金)昭和の日 開催決定

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  • 向き合い方を変えてみる・・・1。

    おはようございます。

     

    臨床に携わって、身心の不調、症状疾患を抱えた人と向き合っていれば、ネガティブなエネルギーとは無縁でいられない。

    なぜなら、ほとんどの人は身心の不調、症状疾患により不快で、それが嫌で、どうにかしてほしくて、こちらに依頼してくるのだから。

    施術する側もネガティブなエネルギーから身を守るすべを持たなくてはならない。

     

    そうしないと、施術する側も身が持たなくなってしまうのだ。悲しいことに、誠心誠意、依頼者の為に尽くそうとしている人ほど、自分のからだを壊してしまうことが多いのも事実なのだ。

    だからといって、チャランポランにやれという事ではない。依頼者との向き合い方をちょっと変えてみてほしいのだ。

     

    ほとんどの施術者は、依頼者の症状疾患やそれに伴う主訴をなんとかしようと、正面から直にネガティブなエネルギーとも向き合っているのが現状だと思う。そして、依頼者も現時点での不快感をなんとかしてほしいというのがほとんどだろう。

     しかし、火事の時に火元を消化しなければ、なかなか炎の勢いが弱らない様に、症状疾患の元となっているからだの歪みを正していかない限り、その症状疾患もなかなか改善に向かないし、ネガティブなエネルギーも弱まることはない。

    一時的に弱まっても、風が吹けば燻っていた炎が勢いを取り戻して燃え広がる様に、またぶり返してくる。

     

    今のその症状疾患というのは、今ぱっと生じた訳ではない。からだは、その人の生き方、生命活動に応じて変化するが、その積み重ねが系統だった歪みとなって現れてくる。その歪みの現れ方も、生命活動に間に合った状態であれば、不快感覚は生じない。

    しかし、その歪みも間に合わずに不快感覚を伴ってくると、時間・空間のかかわりと共に、微症状的なものから、今にも壊れてしまうような重い症状まで、様々な症状疾患が現れてきてしまう。

    突発的な事故であっても、健康傾斜の歪体化が進んだ状態であれば回復も遅れるし、ちょっとした事でも怪我をしやすいし、伝染も起こりやすくなってしまうのだ。

     

    施術する側は、症状疾患や依頼者の言い分ばかりに囚われることなく、そういった根本的な事柄に目を向ける必要がある。

    そうでなければ、高い志は持つことはできても、確とした信念や自身が持てなくなる。そして氾濫する健康情報、テクニックの矛盾に振り回されることとなり易い。志が高い分だけ、不満や不安、劣等感を感じやすくなり、ネガティブなエネルギーとも共鳴しやすくなってしまうのだ。
    それでは長い間続けているうち、身が持たなくなってきてしまう。

     

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  • 増幅ではなく、転換へ。

    こんにちは。

    今週は友松が担当いたします。

    どうぞよろしくお願いいたします。

     

    今回のテーマは「ネガティブなエネルギーから身を守る」との事。

    臨床に携わって、身心の不調、病みを抱えている人を診させていただいていれば、ネガティブなエネルギーとは無縁ではいられないと思う。

    私も開業する前は、色々な種類の手技療法を学んでみたくて、いくつもの治療院で働かせていただいていた時期があった。そのなかで、時々「邪気をもらっちゃったよ」という会話を耳にしたことがある。
    邪気という言葉はあまり好きではないが、要は患者さんからネガティブなエネルギーをもらい、自分も消耗して何か落胆した気持ちになったという事だと思う。

    確かに東洋医学には邪気という概念はあるが、あの人に邪気をもらったとか、そういうことはあまり言わない方がいいと思う。確かにそういうエネルギーはあって然りなのだが、もしそれを自分が言われていたらショックだと思う。

    誰だって、そういうエネルギーを多少は持っている。病気や怪我など何かの拍子に、ネガティブなエネルギーとして増大させてしまうこともあるだろう。同情こそすれ、邪険にした言い方をするのはおかしいと思う。

    しかし、たまに本当に嫌な顔で邪気をもらったとか言う人もいる。人から受けたネガティブなエネルギーを、増幅させるようにして、まわりに発散してしまうのだ。
    これは良くない。聞いた人は嫌な気分になるし、ネガティブなエネルギーをもたらしたとする人の事まで悪い印象を持ってしまう。

    イジメなどの問題にも当てはまると思うが、ネガティブなエネルギーを受けて、その嫌な思いだけをそのまま伝搬させてしまえば、コミュニティとして攻撃や排除の対象としてしまいやすいのだ。
    思いやりの心のないままではいけない。ネガティブなエネルギーを受けても、思いやりの心があれば、その様子を他の人に話す時も言葉をはじめ、その表現方法は調和に向けたものに変わるはずなのだ。

    調和に向けた変化。ネガティブなエネルギーを受けたなら、それを伝搬させずに抱え込めということではない。周囲に話す場合でも、臨床家であったなら、病みから立ち直るのを望むのが当然なのだから、その想いを優先させる。
    そして周囲の助言なり協力が得られれば、受けたネガティブなエネルギーも、その人を病みから立ち直らせる為のエネルギーへと転換されていくと思う。

    また、そういう信頼で成り立つコミュニティを持つ、そのようなコミュニティを皆で創造っていくという事も大切だと思う。

     

     

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  • そんな程度のこと を 続けること

    「ネガティブなエネルギー」をテーマにした一週間、

    私の担当は最終日となりました。

    瀧澤実行委員も先のブログのなかで

    日々実践している「リセット」の方法を

    紹介されていましたが、

    私も日常のなかで行なっている

    「チェック」&「リセット」の方法について書いてみたいと思います。

    とはいっても、なんてことのないことなのですが(汗)。

     

    たとえば、何をしていても手につかない時や

    また「時間」に追われ、気持ちばかりが焦っているときのことです。

     

    「あ、なんかしっくりきてないな」という

    その状態に気付いてしまえば、

    それだけでだいぶ気持ちが落ち着くときもあります。

    けれども、なかなか落ち着ききらないときもあったりします。

    「プチネガティブ」とでも言いましょうか。 

     

    そういうとき、よく思い出すようにしているのは

    自分の「身の周り」を見渡すことです。

    私自身の体験談ですが

    自分自身が感じている「しっくりきてない感じ」というものが、

    その時の自分の身の回りに、「別な姿」として現れているような、

    そんなことを思うようになりました。

     

    とは言っても

    「筆箱のなかがとっ散らかっている」とか

    「今日着ていた服が脱ぎ散らかされている」とか

    その程度のことです。

     

    そんな「現れ」のように感じるなにかに気が付いたら

    「しめた!」と思うようになりました。

    少し意識して、そのしっくりきてない何かを

    納得のいくように整えます。

    とは言っても、「1枚の洋服をちゃんと畳む」とか

    本当に、そんな程度のこと。

     

    そんな程度のことなのですが

    1つでも何かをしっかり「おさめる」と

    先ほどのしっくりきてなかった感じが

    不思議と変化しているものです。

     

    この経験も日々のなかで繰り返していくと

    次第に「先手」を打てるようになってくるようです。

     

    「整理整頓」に限らずです。

    「おさめる」という習慣を

    日々のなかで意識し続けていると

    「しっくりきてないな」に繋がる

    予感に気付くようになります。

     

    そして、次第に「しっくりこないこと」を

    深追いしないようになり、

    「ネガティブだったエネルギー」ともいい塩梅で

    お付き合いできるようになるのではないかと

    自分自身の経験を通して感じています。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

     

    人類はついに「重力波」の観測に成功し、

    明日からはお待ちかねの友松実行委員の「the world」がスタートします。

    どんな語りが膨らんだり縮んだりするのか。たのしみです。

     

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  • いままで感じられなかった表情

    操体から「快適感覚」というものに

    出会って数年経ちましたが

    「快」や「不快」というのは

    未だ面白味の尽きない領域だと感じています。

     

    目に見える「動き」があり

    そして

    目には見えない「動き」もあり、

    さらに、まだ感じられていない

    「動き」もあるかもしれないこと。

     

    からだを通じ

    感覚を通じ

    自分自身を通じて

     

    快・不快をききわける

    経験を続けていくと

    自分に起こっている微かな変化にも

    気が付くように、

    もしくは意識が向くようになっていきます。

     

    そして、自分だけではなく

    自分を取り巻く「環境」も

    「変化している」ように

    感じられるかもしれません。

     

    変化を感じる経験を積んでいくと

    それまで「ネガティブなエネルギー」

    と感じていたことが、

    たんに「ネガティブ」なものではなく

    いままで感じられなかった「表情」の部分が

    見えてくるようになっている。

     

    こういったことは

    「快適感覚」をききわけることに伴う

    不思議な醍醐味であると感じています。

     

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  • そんなときの「からだ」

    「消化不良」という言葉がありますが

    この言葉には

    「まだ消化できる可能性が残っている」

    という含みもあるように感じます。

     

    一見、ネガティブなイメージを感じる

    言葉や出来事でも

    「ここから始まり」の要素が

    たっぷり詰まっている。

     

    振り返ってみれば、自分自身は

    ネガティブなエネルギーを感じた出来事から

    それを少しずつ「消化」していき

    結果的にはたくさんの収穫を得てきたことも

    あったように感じます。

     

    とはいっても、 ネガティブなエネルギーに

    すっぽり包まれている瞬間というのは

    そんな意識はどこかに行ってしまって

    なんとなく「ここで終わり」

    のような 動けない状態になっていることが多いものです。

     

    とても興味深いのは

    そんなときの「からだ」というのも

    「動けない状態」に成っていることです。

     

    この現象の不思議を面白いと思えたなら

    そんなときの「からだ」はどんな状態なのか。

     

    とっても地道な研究のようですが

    積み重ねていくことで

    「からだ」からも、

    ネガティブなエネルギーについての

    今まで気が付かなかった情報を

    教えてもらえると思います。

     

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  • 些細な違い

    人から何か贈り物をいただいたとき

    「それ」が 自分が欲しい欲しい!と思っていたものだったりして

    「うれしいなぁ」と感じることがあります。

     

    一方で、自分が欲しいと思っていなかったものを

    プレゼントされることもあります。

     

    自分が欲しいと思っていなかったから、

    「これはいらないなあ」と感じる。

     

    自分が欲しいと思っていなかったけど、

    「これは面白いなあ」と感じる。

     

    よくあることですが

    ほんの少し何かが違うと

    感じ方も変化してくるのが不思議です。

     

    その「些細な違い」というのは

    プレゼントの内容というより

    恐らく、それを前にしたときの

    自分のなかのなにかによるのだと思います。

  • 「ハンドル」に手をかけるまえに

    自分と自分自身との対話のプロセスを通して

    NGワード」の存在に段々気が付きます。

     

    操体の創始者である橋本敬三先生は

    「言葉は運命のハンドルである」という

    なんとも味わい深い名言を残しています。

     

    何気なく言葉を使ってきたのは

    何気なく運命のハンドルを切ってきた

    ということなのかもしれない

    と、ハッとする。

     

    ハッとする経験を繰り返すことで

    自分自身にとって「後味の良くない言葉」が

    なんとなく浮かび上がってくる。

     

    その実感を重ねていくと、

    後味の良くない方向を目指して

    「ハンドル」を切ろうと

    まさに「ハンドル」に手をかけようとしている

    自分の存在が感じられてきます。

     

    2016年春季東京操体フォーラム 4月29日(金)昭和の日 開催決定

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  • 気付いてしまった瞬間

    操体法東京研究会の講習に参加すると

    いきなり「実技」を指導されるのではなく

    「座学」から始まります。

     

    しっかり日数をとり、

    操体の肝である

    哲学について学ぶのです。

     

    いまでも興味深く思うのは

    この座学に参加している期間、

     

    それまで私自身が抜け出せずにいた

    ポジティブな気持ちになったり

    ネガティブな状態になったり

    という「渦」のなかから

      

    『あれ?

     いま抜け出しているんじゃないか?』

     

    と感じる瞬間、体験が始まったことです。

     

    自分を取り囲む、「自分以外の存在」や

    逆に「自分のこと」ばかりに意識が及んでいた状態から

    フッと離れて

     

    「自分」と「自分自身」が 素直に対話をし始めている。

    その出来事に、気付いてしまった瞬間。

     

    「座学」とは言うものの

    操体という実践哲学の指導を通して

    「自分」と「自分自身」との対話。

     

    目に見えない静かな「実技」は

    すでにこのときから

    始まっていたのだと思います。

     

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