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  • よくばり

    味わい尽くそうとして、

    甘さ、辛さ、酸っぱさ、塩辛さをいっぺんに口にしたところで、

    かえって味わい尽くせない。

     

    全てを聞き取ろうとして一度に五つの音(声)を聞こうとしても

    聞き取れるものではない。

     

     

    学びもそうだと思う。

    内なるものを大切に目に見えるカタチや刺激に囚われないことだ。

     

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  • 赤ん坊

    精気に満ち満ちているとはどういうことだろう。

     

     

    赤ん坊はセックスのセの字も知らぬのに

    おチンチンは、ピーンと上を向いている。

    まだ骨も弱く、筋力もないのにそれでも、ギュと握ってくる。

    一日中泣き叫んでも、声が枯れることはない。

     

    なぜだろう。

     

    生命エネルギーの精気に満ちているからである。

     

    人間は赤ん坊から元気をいただいている。

     

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  • 老子

    玄同とは、なかなか気安く近づけない。

     

    かといって、むげに遠ざけ、よそよそしくもできない。

     

    利益を与えることもできない。

     

    危害を加えることもできない。

     

    拝むこともできなければ、蔑むこともできない。

     

    だからこそ価値を超えた価値がある。

     

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  • 日常

     

    あえて、あえて、困難や苦労に直面しないで済む生き方があるという。

     

    それは、ことにあたり(1日の生き方)用心深く、

     

    小さなことから真剣に取り組むことだというのだ。

     

    安易に取りかかる人ほど面倒なことを起こす。

     

    安請け合いをするから失敗する。信用されない。

     

    なぜなら、余計な作為を持ち込んで無理をするからである。

     

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  • 8の日

    今日から七日間、三浦が担当いたします。

    今年もよろしくお願いいたします。

    一年のはじめにブログが巡ってくるというのも、ありがたいご縁です。昨年はアッという間でした。「ッ」まで伸ばせぬほど、「ア」でした。

     

    年の初めに目標を立てるということは、

    この方やったためしがないが、

    自分のやることを日々、積み重ねていくと

    重ねていることが結果として、「これがそうだったのか!一年の目標だったのか!」とわかることがある。

    その目標は、何年も継続することもある。

     

     

    人生の目標は、

    あとからついてくる、

    ついてきてわかるということもあるんじゃないかな。

     

    目標を達成したいとみんながそう思って、努める。

    その努め方は、小魚を煮る時のように、いたずらにかき回さぬこと。

    いたずらにつつくほど、形が崩れてしまう。

    形が崩れると目標が見えなくなってしまうということだ。

     

     

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  • 七日目 間の話。

    ある人から電話が来るのですが、
    「もしかして透視でもされてるのではないか?」と思う位、タイミングが悪い時にかかってくるのです。

     

    間がちょっと悪い。

     

    例えば

    • トイレでペーパーホルダーに手を伸ばしている
    • ラーメンを食べている
    • ラッシュ時の地下鉄

    などなど

     

    結構「何故今だ?」という時に限ってかかってくるのです。

     

    後に分かったのですが、この人は、メンタル的にアップダウンが激しく、たまにものすごく落ち込んだり、逆にすごくポジティブになったりすることがあったのですが、聞いてみると、

     

    「電話しようかな、でもいまかけたら迷惑かな」と悩むそうで(別に悩む必要はないのですが、どこで悩んでしまうのだそうです)ひとしきり悩んだ挙げ句に私に電話をかけると、私にとっては「すごく間が悪い」時にかかってくる、という現象が起こります。

     

    それも一度や二度ではなく、しょっちゅうなのです。

     

    その後、ある人にこの話をしたところ、
    「それはね、考えすぎるからだよ。考えすぎてアクションを起こすと間が悪くなるんじゃない。ワタシもそれは経験したことがある」

    という答えを得ました。

     

    人間の意識というのは、深いところで(潜在意識)で繋がっているので、そういうこともあるんだろうな、と思いました。特に、精神的にアップダウンが激しい時というのは、潜在意識というか、そういうものにアクセスしやすいのかもしれません。
    巫女さんの憑依現象は一種のヒステリーという話もありますよね。

     

    「間の良し悪し」というのは本当に不思議なものです。

     

    一週間ありがとうございました。新年の最初の7日を清々しい気持ちで?書くことができました。

     

    明日からは、我らが師匠、三浦寛先生です。

     

    畠山裕美

     

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  • 六日目 たわめの間

    東京操体フォーラム実行委員のブログですから、やはり「たわめの間」について書いておくことにしましょう。

     

    武術では「いつき」とか「いつく」という言葉を使います。

     

    例えば、相手にワザをかける、あるいは斬り込む場合「さあやるぞ」というのがバレてはいけません。

    そういう場合は、いきなりというか、突然、相手に悟られないように動作を発します。

     

    その「さあやるぞ感が丸見え」なのを「いつきがある」とか言います。
    これは一種の「迷い」でもあるかもしれません。

     

    「たわめる」で思い出すのは、猫の「たわめ」です。

    これは「たわめ」と言っていいのかどうかわかりませんが、猫をねこじゃらしや、おもちゃ、あるいは自分の指先などで注意をひくと、猫は戦闘態勢?に入り、からだを低くして注目します。目はまん丸になって、黒目がちになり、背中の皮が波打ち、集中しているのがわかります。

     

    そこで、もう少し注意をひくと、猫は瞬時にねこじゃらしや指に飛びかかってくるのですが、つくづく「たわめてるなぁ」と思います。

     

    また、遊んでいて猫の「たわめ」が長すぎ、こちらが飽きてしまうこともあります。

    武術で言えば「いつきすぎ」です。

     

    しかも、飛びかかってくる瞬間は、目が変わるので、バレバレなのです。

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    じ~っと見てます。。

     

     

  • 五日目 「間」の端にあるもの

    自分に関係のある数字って、結構目に入ってきます。

    私は5月19日生まれなので19という文字は目に付きます。

     

    ちなみに、19というのは、1と9という、一桁の数字の最初と最後の数ということで、両の端とか、松岡正剛先生言うところの「デュアル・スタンダード」(敢えて「ダブル・スタンダード」ではない)のようなものを秘めているようです。

     

    日本の「デュアル・スタンダード」というのはどういうことでしょう。

    http://dentsu-ho.com/articles/2096

     

    例えば日本は、禅寺の庭園に象徴されるような、あるいは文字数を極限まで減らした俳句などのように「シンプルの極み」のようなものもあるけれど(これを弥生的というそうです。引き算)、祭りの山車や歌舞伎、お寺でも絢爛豪華で婆娑羅的で華美なもの(これを縄文的というそうです。足し算)。

     

    考えてみれば、どちらも「日本」です。確かに縄文と弥生と考えると面白いのですが、私達はこの「シンプルの極み」「華美の極み」の間を流れてきたわけです。

     

    この「デュアル」な感じが「間」の面白味なのかもしれません。

     

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  • 四日目 間男

    四日目。

    三が日も明けましたので。

    いきなり「間男」と行きましょう。

    間男というのは、いわゆる結婚している女性と関係を持つ男性を指します。
    フランス語で「コキュ」というそうで、文学の一ジャンルにもなっているそうです。
    「寝取られ男」というヤツですね。

    落語とか小説とか、あらゆる文学のネタになっているといってもいいでしょう。

    あるジョークで、

    男Aが妻の浮気現場を押さえようとして、昼休みに家に帰ると、窓から服を着ながら走って逃げる男Bがいたので、箪笥(たんす)を投げたところ、見事に男B当たり、男Bは死んでしまいます。

    男Aは慌てていたので、窓から落ちて死んでしまいます。

    さて、天国の入り口で天使が男Aと男Bに話を聞いています。
    男A なんだか分かりませんが、窓から落ちて死んでしまいました。
    天使 はい、天国へどうぞ
    男B 昼寝をしていて起きたら昼休みが終わっていて、慌てて外を走っていたら、死んでしまいました
    天使 はい、天国へどうぞ

    そこに男Cが登場します
    天使 どうしたんですか?

    男C 箪笥に入っていたら、何故か死んでしまいました。

     

    はい「間男」のジョークでした。。。

     

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    瑞鳳殿のお獅子。

  • 三日目 ドーナツとどらやき。

    お正月も三日となりました。

    たまにドーナツを食べます。
    最近コンビニでも売っていますが、やはり揚げてから時間がたつと、微妙に油臭くて美味しくない。
    やはり揚げたてが一番です。

    さて、マではないですが、なんでドーナツって穴があいてるんでしょう。

    一節によると、お母さんが揚げたドーナツの真ん中がまだ生だったので、息子が文句を言ったところ
    「それなら真ん中を食べるな」と、真ん中をくりぬいた説や、火の通りをよくするために穴を開けたという説があります。

     

    ドーナツの穴については、学術的に真面目に研究をしている人達もいるし、大阪大学(阪大)では、「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」という本まで出ています。

    ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

    ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

     

     

    こちらは穴ですが、どらやきは「皮の間にあんこを挟む」という「間」のお菓子です。

     

    日本人は「何かになぞらえる」のが結構好きですよね。

    どら焼きのどらとは、楽器の銅鑼(どら)からきています。
    銅鑼というと「丸くて大きくて分厚い」という感じがします。

    銅鑼のように丸くて分厚い皮と皮の間にあんこをはさんだものが、どらやきです。

    不思議なのは、皮だけでは何ですし、あんこだけでもなんだかなぁ、という感じがします。

    皮と皮の間にあんこがはさまっていて、どら焼きなのです。

    この「間」に挟む、というところがどら焼きなのです。

    ちなみに、上野と日本橋に「うさぎ屋」というどら焼き屋さんがあります。

    最近は「お取り寄せ」通販で、色々なお菓子を取り寄せることができますが、こちらは日もちがしないため、発送はしてくれません。

    食べたかったら買いに行くしかないのです。

    私はたまたま、日本橋に勤めていたため、うさぎ屋さんによくどら焼きを買いに行きました。
    買いに行くといっても、夕方になって売り切れたら店じまいなので、予約したりします。

    ここのどら焼きを最初に食べた時は、とても感動しました。
    いわゆる「普通のどら焼き」とは、あんこのみずみずしさが異なるのです。

    そして、なんとなくですが、どらやきの皮と皮の間のあんこにも、なにか素敵なものがはさまっている感じがするのです。

     

    チャンスがあったら、この素敵な「間」を味わってみてください。

     

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