私は外気功もやりますので(操体とはミックスしませんが、外気功のスキルは非常に役に立っています)違いがわかるのですが、
気功はエネルギーの移動があります。
気功者がエネルギーを補填して(補填する鍛錬があるのです)それを被験者に送ったり、邪気を抜いたりします。
渦状波にはそれがありません。
皮膚へのアプローチ(接触)による、皮膚からのメッセージを受けとるだけなのです。

2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です
皮膚へのアプローチが何故生まれたかというと、第一分析、動きの操体では対応できない患者さんの存在があったからだと聞いています。
動けない場合は手も足もでないという、まさに操体の盲点です。
その時、三浦先生から「生体の歪みを正す」の一節に「運動系とは筋骨格・・・皮膚をも含めた」という一文を発見し、「皮膚も八方向に動く」ということに気づいたということでした。
それで「皮膚も動かしてみよう」というアイディアが生まれたのだとか。
最初は「面の渦状波(かじょうは)」といって、手掌を使っていましたが、そのうち、
「点の渦状波」(指尖を用いる)がメインになりました。
以前、操体を受けたことがないけれど、三浦先生の本を読んだことがあるという
女性に「渦状波ってこれでしょ」と言って
右手の人差し指と中指の2本で腕を「ぎゅ~」っと押されて「ええええええ???」驚いたことがあります。
人差し指と中指は使いませんし、ぎゅ~っとは押しません。。。
やはり本を読んだだけでは伝わらないものです。

雪残る、葛岡霊園。正面の丸い石が、墓石です。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です
皮膚へのアプローチ、すなわち渦状波を受けて、どんな感じがするのでしょう。
ある人は、全身の毛穴が開いたようになったとか、
ある人は自分が宇宙空間に浮いているようだったとか、
ある方は、私は実際横で見学させていただいていたのですが、エクスタシーというか
法悦状態が1時間くらい続いたとか、色々あるようです。
また、笑い出す人もいますし、涙が出てくるという人もいます。
私の場合、印象に残っているのは、手が勝手に動き出したことです。
私のクライアントでは、ブレイクダンス?のように激しく動く人もいました。
スヤスヤ眠る人もいます。
色を観る人もいます。
そういうのを見たり聞いたりすると「からだ」の個性なんだな、と思います。
そして「意識飛び」といって、一瞬深い眠りに入ることもあります。
瞬時ではありますが、非常にきもちのいいものです。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

私も最初は「操体は動かすものだ」という固定観念があったりして「??」という感じでした。
が、その後、座骨神経痛(臀部の筋肉注射ミスらしい)で三浦先生に患者としてかかった(まだ弟子入り前)時、皮膚へのアプローチ、すなわち渦状波を受けたわけです。
「良くなったのか変わったのかよくわからないが、治る」というのがその時の感覚です。
例えば私の周囲には、皮膚を「ねじる」とか「ずらす」と言っている人たちがいました。
文字通り皮膚を引っ張ったりねじったりズラしたりするのです。(その中には、以前皮膚へのアプローチをボロクソに言ってた人もいて、面白いと思いました)。。
その場合、快不快とか、どっちがいいか?というのは簡単にわかります。
刺激だからです。
しかし、刺激にならない「接触」は、快だか不快だかなんだかよくからないのです。
ここが、刺激と接触の違いです。
三浦先生はこれを「予備感覚」と名づけました。
そして、予備感覚が「快」に変わるのです。
★皮膚への刺激と、皮膚への接触では、神経伝達経路が違います。
言わば、皮膚への刺激は「意識へのコンタクト」
皮膚への接触は「無意識へのコンタクト」と言っていいのです。

2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
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こんにちは。
畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。
アプローチとメッセージ、というテーマで、
「皮膚へのアプローチ」
「皮膚からのメッセージ」
という言葉を思い出した方も多いのではないでしょうか。
皮膚へアプローチ(接触)し、そこからメッセージを受けとるということです。
これは、そのまま「操体の臨床」に当てはまります。
第三分析、いわゆる「皮膚への接触」は、面(手掌)の接触、点(指先での接触)の二つがあります。
1999年「快からのメッセージ」が出版された時、つまり、皮膚へのアプローチという手法が、三浦寛先生によって発表された時は、多くの操体関係者が、驚愕したのではないでしょうか(全国操体バランス運動研究会東京大会の時です。三浦先生の基調講演では実技はなかったため、具体的なやり方などは紹介されませんでしたが、書籍においては、皮膚へ接触するという新しい分析法が発表されたことになります)。
私も1999年当時(2002年に正式に三浦先生に弟子入り)は、いわゆる第一分析をバリバリにやっており、それなりに結果を出していた時期でした。
まあ、殆どの方は「指2本で操体?ホンマかいな?」と思っていたのでははいでしょうか。
2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
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おはようございます。
満開だった白梅も、そよそよと吹く春の風にふかれながら、一枚、また一枚と花びらを散らせています。
♪吹け~ば、飛ぶような、将棋の駒に~♪
往年のヒット曲が浮かんできました。王将という曲で、作詞は西條八十氏、作曲は船村徹氏、歌は村田英雄氏となっております。
当初、村田英雄がこの歌の歌詞を頼みに行った時、西條八十は「俺は、女の歌しか書かないんだ、男は帰れ」と取り合ってくれず、何回も門前払いが続いていたという。
それでも村田は通い続けたある日の事、急に雨が降ってきて、軒先で濡れた服が乾くのを待っていたところ、奥さんが出てきて家にあがるように勧めてくれ、西條にも会って話を聞くように頼んでくれたという。
そうこうするうち、西條も詩を書くことを引き受け「吹けば飛ぶような将棋の駒に」という誰もが口ずさんでしまうような、愛着のある文言が生まれ、歌が出来上がっていった。
これも村田英雄氏が、根気よくアプローチを続けた賜物だと思います。それによって西條八十氏も、閃きのメッセージを受け取り、創作につながった。というふうに感じられます。
今回のブログのテーマは「アプローチとメッセージ」でした。
根気よくアプローチするという事も大切ですが、目的意識をどう持つかという事も大事だと思います。それがなければ根気も続きませんから。
その目的意識も自分の我欲に向くものではなく、広く公共の利益になるような目的意識が必要なのだと思います。
村田英雄氏も、国民を応援し、広く親しんでもらうような歌が歌いたいという願望や目的意識があり、西條八十氏に根気よくアプローチ出来たのだと思います。
また、目的意識が我欲にばかり向いていると、メッセージが降りてきても、気づけないと思います。自分に関係ないものとして処理してしまうんですね。
西條八十氏も村田英雄氏の為だけでなく、その奥に広がる公共の為を想って意識していたと思います。「吹けば飛ぶような将棋の駒に」この一行に一週間かかり、その上でこれは善いと納得できたそうですから。そして300万枚のミリオンセラーが生まれた。
崇高な志と、広くしっかりした目的意識。みんな御蔭様でつながっているのですものね。
一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。
明日からは畠山裕美先生の担当となります。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。
友松 誠。
おはようございます。
夜に見る月も、冬の寒く張り詰めた空気の中で見る白い月とは違い、なにか朧気。
この朧な月も、週の始まりの頃は満月でしたが、日が経つにつれて欠けていき、週の後半になってくると半分近くが欠けてきてしまいました。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」
吉田兼好の徒然草からですが、目で見ただけの美しさだけでなく、自分自身の心情も含めた美しさ。日本には古来より不足の美とか未完成の美といった美学があったようです。
建築物なども完璧に仕上げないで、わざと板を折ったりとか、絵画などでも余白の使い方にこだわったりとか。
完璧に仕上げて「どうだっ」とばかりに見せつけるのではなく、見る人の心情や感性、創造力が加わって一つの作品として仕上がる。
つくり手のアプローチにはメッセージが込められ、見る側はそのメッセージを受け取り、自分自身のなかで作品は仕上がっていく。
人間だって、個としての完璧ばかりを求めていると、しっぺ返しをくうと思います。様々な環境の中で生かされて生きているのですものね。
間に合っていればよいという、心の豊かさが大切。
誰だって長所もあれば短所もあります。ある面では完璧に見えても、違う面ではどうしょうもなかったり。あらゆる面で完全、完璧なんてありえない。
不足面があっていい。その不足面は伸びしろであり、あらゆる可能性を秘めている。
その可能性は調和への可能性であり、自然環境を元とした様々な環境と、適応しての自分自身。
間に合っていれば善い。間に合うなかで醸し出される美しさ、可愛さ、面子さ。
2017春季東京操体フォーラム4月29日(昭和の日)に開催します!
おはようございます。
操体の臨床は妙な世界です。患者が治療者になったり、患者から先生と呼ばれている治療者(操者)が、患者のからだに対して、先生と崇め慕う場でもあります。
操者は、患者のからだの要求というアプローチに対して、アプローチで返す、そのアプローチに対して、からだは気持ちよさの質というかたちでメッセージを送ってくれる。
気持ちよさをききわけ、味わうのは治療者である患者本人なのですが、その時空ではコンサルタントの役割を担う操者も気持ちがいいのです。その気持ちのよさから操者も学んでいる。
患者のからだ様は、まさに先生です。その先生から、からだを構成している実相の教えを受ける。有難くなりますし、謙虚になりますね。
なんだか、こんがらがった話になってしまいましたが、これも大自然の妙なのであります。
操体創始者、橋本敬三先生がまだ現役で臨床に臨んでいた頃から、長きに渡り傍で学んだ三浦寛先生は、「操体臨床の道しるべ」という著書の中で
「操体は、自然法則の応用貢献の場にある太極という無極無限の宇宙現象創生の中心理念に基づいて、その生かされし救いの生命観に学ぶ場である。操体の臨床とは、快適感覚と一体となり、快に帰すことにある。操者の存在も快に帰して無となり成り立たねばならない。患者も操者もともに快に調和していくのである。それが操体臨床の成せるところなのである」と書いています。
この本は2007年11月に初版ですから、もう10年くらい経つのですね。
この十年の間、操体はからだにききわけた快適感覚や、そのおくにある有難さから様々なメッセージをいただき、それを元に学びを深め、進化してきました。
この本では、診断分析法の内容も第3分析までですが、今は第5分析まで発展、進化しております。
診断分析法が進化している以上、操体臨床の捉え方、臨床での目的とするところも、上記の第3分析の頃から、より奥深くに踏み入れたかたちで更新されてきています。
2017春季東京操体フォーラム4月29日(昭和の日)に開催します!
おはようございます。
操者はコンサルタント。こう書くと経営コンサルタントとか企業コンサルタントのようなイメージを持つ人がいるかもしれませんが、そうではありません。
経営コンサルタントとか企業コンサルタントといった通常のコンサルタントであれば、クライアントの頭の理解へアプローチを向け、納得していただいた上で、その会社の体質改善、健全化へ導いていくでしょう。
しかし、操者の場合は、クライアントのからだにアプローチし、クライアントの心とからだの調和に働きかけ、健康回復、維持、増進へと導いていきます。
通常のコンサルタント業も楽ではないでしょうが、操者も楽ではありません。自然法則を識っていく、そのプロセスは本当に楽ではないです。実践をとおして真剣に求道していく必要があります。その道は楽ではないですが、快であり、調和尽十方。
人生、楽ありゃ、苦もあるさ。歌の文句じゃないけれど、楽をすればそのぶん苦が待っているのです。向くべきは楽ではなく、快なのです。
臨床も同様です。楽な動きに問いかけていたのでは、からだは応えてくれません。楽は本人の都合にとってのもので、自然環境に適応しようとする本人のからだにとってのものではないからです。
瞬間急速脱力させて、からだの反応に責任を丸投げする?それが可能なのは余程の名人達人であり、それでも安全面で不安は残るでしょう。
往々にしてクライアントは楽を求めます。苦しみが多ければ楽を求める気持ちは解ります。同情もします。しかし、今まで楽を求めてきたから、からだの不調、からだとの不調和を生じさせて、拗らせていることが多いのです。
操者は快を意識し、からだが応えてくれるよう、からだにアプローチする。動かして診る診断分析法にしても、皮膚に接触する診断分析法にしても、快に問いかける。
快を味わうという役割はクライアントにあり、それによって健康回復に向かいますが、気持ちよさの質によって回復度は違ってきます。
では、最も気持ちがいいのは、どのような気持ちよさなのでしょうか。
橋本敬三先生はラジオ放送に出演した時、想念に関することで「一番気持のいいことは、やっぱり有難いって思った時じゃないですか」と仰っていますが、臨床で味わう気持ちのよさも有難いって思える気持ちのよさが望ましいと思います。
不快感が強い場合は、それが解消されていく時空での気持ちよさに意識が向きますが、それが解消されてくれば、その気持ちよさのなかに何らかのメッセージがあると、感じられる筈です。それに気づいた時、本心から有難いと思えるのです。
では、そのメッセージは、どこから発されているのでしょうか。
それは、この現象界に貫通する「愛と調和」という創造主(太極)の意志とか、現象としてかたちを表す以前の実相からではと感じられます。実相は久遠にして不変の大生命であり、無量寿の慈悲と無辺光の智慧と道が無碍自在する。
この絶対的真理がある事の、メッセージに気づけたとき、有難く出来ているんだと想う他なくなるのです。相対的報いの苦悩は消え去り、真の回復、健康維持増進への道がひらける瞬間でもあります。
2017春季東京操体フォーラム4月29日(昭和の日)に開催します!
おはようございます。
治すのはからだであり、自分自身が治療者となる。その治しに向く、からだは何を求めているのでしょうか。少なくとも自分の我欲が求めるような、お金とかステータスのようなものは求めていないでしょう。では、どのような求めがあるのでしょうか。
橋本敬三先生は「生命体が自然環境に適応すること、これは生命の至上命令であるから、この絶対原理は自然の救いになっているのである」と著書のなかで書いています。
この生命の至上命令を忠実に実行しているのが、からだなのです。
そして、自然環境に適応する為の自然法則も自在してあるのです。
操者はコンサルタントとして、からだにアプローチする為に、自然法則を識る必要があります。単に頭で知っているだけではなく、からだにききわけた快、不快の識別をとおしての実感が伴うものとして識っている。その実感も自分のからだも変化する中での実感なのですから、常に更新して磨いて進行形で識っている必要があるという事。
その上での、からだへのアプローチ。動くのはクライアントですが、自然法則を識る操者の介助、補助、言葉掛けによって、その動きはクライアントの動きから、クライアントのからだの動きに変わっていきます。そして、からだはバランス制御に向かう。
この時空というのは、本当に気持ちがよいのです。その気持ちのよさをききわけるのは、治療者であるクライアントです。そして、クライアントが、からだの気持ちよさに従い、味わう事で、からだは全体の調和を密にしていきます。相関相補の結びつきも強まり、弱って悲鳴をあげていた箇所も全体の調和の元に回復に向かうでしょう。
クライアントは気持ちよさに従うことで、治療者となり、自ら医療を成立させてしまう。それは自然環境に適応せよと至上命令を発している生命が、そうさせているのではと思えてきます。
本来の心とからだは、一如の生命体として、気持ちよさに従いざるを得ないのだと思います。だから、からだにききわけた気持ちのよさで心も癒される。
気持ちよさ、そこには個の生命体を生かしてくれている大自然という生命のエールがあり、生命を創造した創造主の意志によるメッセージがあるのだと思います。
2017春季東京操体フォーラム4月29日(昭和の日)に開催します!