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  • 修証義(六日目)

    「修証義」というものがあります。

     

    「そのままのあなた」からはじめる『修証義』入門 生死の問いを31節に学ぶ

    「そのままのあなた」からはじめる『修証義』入門 生死の問いを31節に学ぶ

     

     
    これは、道元禅師の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)九十五巻の言葉を再構成したものです。

     

    明治維新後、仏教は様々な混乱にあいました。

    そもそも、江戸時代(徳川幕府)は、仏教(寺院)によって成り立っており、
    徳川=仏教というわけで、色々あったわけです(廃仏毀釈とか)。

     

    明治時代の曹洞宗はじめ仏教各派の苦難は、あまり知られていませんが、勉強すると
    どんなに迫害されたかよく分かります。

     

    それはさておき、曹洞宗も明治半ばになって、宗教団体として近代的な宗制を作る必要がでてきました。

     

    そこで、もと宗門僧侶で在家居士になった大内青巒(おおうちせいらん)が「曹洞扶宗会」(そうとうふしゅうかい)を作りました。そこで、僧侶になるための試験対策、教えの体系化などをする中で「洞上在家修証義」を編纂して発表しました。

     

    これは曹洞宗の教えをよくまとめているということで、永平寺總持寺の禅師が校訂再編集し、曹洞宗の基準として「修証義」として公布されたものです(明治二十三年)これは、元々江戸時代に面山瑞方(めんざんずいほう)という人が、徒弟のために「正法眼蔵」の要文を集めてテキストを作ったのが始まりです。次に本秀幽蘭(ほんしゅうゆうらん)という人が、「永平正宗訓」「正宗訣」を編集しています。

    大内青巒はこの「永平正宗訓」「正宗訣」から多くの言葉を「修証義」に引用しています。

    さて、説明が長くなりましたが、

    新政府は「仏教=徳川」なので、憎いわけです。
    そこで、僧侶に肉食妻帯させ、世俗に戻そうとしました。
    この辺りでも「何が正義なのか?」ということを考えたりします。

    そうなってくると、明治維新フリーメーソンが絡んでいるとか、また話が壮大になってくるのでここでやめておきます。

    そして、私は何故か昔から「明治維新」というのが覚えられず、幕末の云々とかもさっぱり興味がないのですが、色々考えると、前世は会津生まれだったのではとか(ありえる)、戊辰戦争で戦死しているとか(なんだかありそうな気もする)迫害?された僧侶だったとか、そんな可能性もありそうだという気もします。

     

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  • スキャンダルと正義(五日目)

    ここ数年、週刊誌などによる芸能人のいわゆる「不倫」スキャンダルが盛り上がっています。
     
    少し前も、一世を風靡した音楽プロデューサが引退表明をしました。
     
    この辺りなんですが、「なんとなく許されちゃう人」と、「叩かれて許されない人」に分かれるような感じですね。この人は後者でしょう。
     
    私は基本的にテレビを観ないのですが、なんとなく女性と、人に羨まれるくらい稼いだ人などに対する風当たりは強いような。
     
    この辺り「自分ばかりいい思いしやがって」という妬みが見え隠れするような気がします。
     
    そして、政治的に考えると、なにか政府に困るようなことがあると、スキャンダルとかその手のニュースが出回るような気もします。情報操作かもしれません。
     
     
    これは、東洋経済
    「フランス人は日本の不倫叩きが心底フシギだ」という記事です。
     
    そして、確かに日本は古事記万葉集の時代、いや、江戸時代までは、日本は大きな意味での「恋愛」に対して大らかな国だったわけですよね。
     
    日本人の農耕民族性なども書いてありますが、日本の民俗学などを読んでみると、
    農村などでは、一人の女性を村民皆で共有した。なので、生まれた子は、村全体の子どもとして大事に育てた、とか、夜這い文化とか、秋祭りの時はそれこそ乱交(生まれた
    子どもは上記のように村全体の子として大事に育てた)みたいなこともあった
    わけです。
     
     
    そして思い出すのは
    上記の「フランス人は・・」にも出てきますが「汝らのうち罪なき者、石もてこの女を打て」という聖書の言葉です。ヨハネ福音書第8章)
     
    これは「姦淫したものは石で打ち殺せ」というモーセの律法から来ています。
     
    エスが説教をしているときに、パリサイ人や律法学者が姦淫した女を連れてくるわけです(この辺り、相手の男は罰せられないのかというのがそもそも男女差別ですね)。
    姦淫した女を罰する為にイエスに聞くわけです。
    そうすると、イエス
     
    「あなたたちの中で、一度も罪を犯したことがない人間が彼女を罰しなさい」と言うのです。
     
    そうすると、一人去り、二人去り、残ったのはイエスと女だけになりました。
     
    スキャンダルや不倫を暴くのは、雑誌記者の仕事と言えば仕事ですが、それに乗っかって、全くの他人が「許せん」とか騒ぐのはどうなのでしょう。
     
     
    「許せん」と騒ぐ人達は、匿名性もあるので騒ぐのでしょうが、この世に叩いてホコリの出る人はいないと思うのですよ。
    ホコリとか黒歴史とか、生きていれば何かしらあるハズなんです。
     
     

    *1:日本の民俗学を「性」の方面から紐解いたマンガ。原作は「密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅」の永久保貴一さんです。絵柄がカワイイのでそんなにエロくはありません(笑)

  • 正義(四日目)

    今日はチョコレートを配る日(笑)ではなく、親しい人に感謝の気持ちを表す日だそうです。
    元々は、皇帝が「結婚すると若いモンが戦争に行かなくなるから結婚禁止!」としたところ、内緒で結婚式を挙げさせていた、ウァレンティヌスとう聖職者は処刑されてしまったそうです(殉教)。その日が2月14日だとか。まあ、諸説あるようですが、日本では昭和33年頃から、チョコレート会社の策略が当たったという次第です。
     
    まあ、ちょっとした手土産にちょっといいチョコとか貰うと嬉しいですよね。
    近年の自分チョコとか友チョコは賛成です。
     
     
     
    改めてですが、正義という言葉を調べてみました。

     
    1 人の道にかなっていて正しいこと。「正義を貫く」「正義の味方」
    2 正しい意義。また、正しい解釈。「四書正義」
    「其実はあたの語の―に非るなり」〈西村茂樹明六雑誌三三〉
    3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。
     
     
    色々「正義」について考えてみましたが、
    誰かが言っていた言葉を思い出しました。
     
    War(戦争)という言葉は
    We are right.(自分達が正しい)
    という文から来ていると。
     
    We Are Right.
     
    互いに自分達の正しさを主張するから。
     
     
    戦争は特に、それぞれが大義をもって起こります。
    侵略する側は、侵略する側の大義正義
    守る側はそちら側の大義正義
     
    二者がぶつかる場合の「正義」については
    考えなければなりません。
     
    特に、歴史は「勝てば官軍」ではないですが、
    勝った側の都合になるというのは、遙か昔からあります。
     
    最近では習近平が「文化大革命」をなかったことにする、というような
    歴史のねじ曲げなどもありますね。
     
     
    そうやって考えると、シマジ先生の
    「元気は人生の正義である」というのは、生き方的も
    とても納得できる気がします。
     

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    ※ 「パディントン2」を見てきました。ちょっと性善説になることができる映画です。

     

     

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  • どちらからみた正義なのか(三日目)

    http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013/no1_b.html

    2013年度 新聞広告クリエーティブコンテスト
    「めでたし、めでたし?」
    山﨑博司さん(博報堂
    小畑茜さん(博報堂

    これを最初に見たときは、多少のショックを覚えました。

    桃太郎は鬼退治をするわけですが、子どもの鬼からみれば、
    どこかからやってきた桃太郎というヤツにお父さんを殺されるわけです。

    また、これも有名な話ですが、
    ウルトラセブンに出てくる「ノンマルト」。これは今の人類以前に地球に
    住んでいた人達で、追いやられて海の底でひっそりと暮らしているのです。
    今の人類は、ノンマルト星人達を追いやった末裔、として描かれています。
    ところがウルトラ警備隊は「そんなことあるわけない」と、海底のノンマルト星人の居住地を
    攻撃するのです。最後は、ノンマルト星人の少年が、モロボシ・ダンに向かって
    怒りの叫びを発するところで終わっています。

    なお、この話は沖縄出身のライターが書いていたという話も聞いています。

    正義、というのはどちら側から見るかで変わってくることもあるのです。

     

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  • 正義の味方(二日目)

     auのCM「三太郎」とか、ペプシの「桃太郎」のCMは、多分、

    「鬼灯(ほおずき)の冷徹」を読んでヒントを得たのではないかと思っている畠山です。
     
    鬼灯の冷徹(24) (モーニング KC)

    鬼灯の冷徹(24) (モーニング KC)

     

     

    鬼灯の冷徹 は、モーニング誌に連載されているコミックです。
    地獄の閻魔大王の第一補佐官、鬼灯(ほおずき)様が主人公です。アニメも原作を裏切らずに相当面白いですね。
     
     
    その記念すべき第一話には、桃太郎が出てきます。
    実は鬼ヶ島では鬼がベロベロに酔っぱらっていたためビギナーズ・ラックで勝利したそうで(笑)。
    もともとは天国の住人だったのですが、過去の栄光が忘れられず、地獄までやってきて鬼退治を繰り返そうとするのですが、
    鬼灯様にあっけなく敗北。その後、桃源郷の仙桃農園に就職という状態です。
     
    このシリーズには、日本昔話のいわゆる「ヒーロー」「正義の味方」のその後について触れられている箇所が何箇所か
    あります。
     
    例えば、一寸法師は「眠っている姫様の口元にご飯粒をつけ、殿に『姫様が自分のご飯を盗んだ』と言いつけるのです。
    (この点ですでにイヤなヤツです)
    そして殿様が怒って姫様を斬ろうとするのですが、それは可哀想だからやめてくれと一寸法師は止めるわけです
    (イヤなヤツです)。そして追放になった姫様にまんまと着いていって、鬼退治、打出の小槌というわけです。
    一寸法師は現在は通常の人間サイズになっているため、「元一寸法師」なのです。
    ふつ~の人になったら、価値がない。なので今はちょっとやさぐれているのです。
     
     
    金太郎は、大人になっても「気は優しくて力持ち」ということで、例の腹掛けをして「金太郎」のイメージを守っています。
     
    正義の味方っていうのも大変なんです。
     

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    先日の満月月食

     

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  • 元気は人生の正義である(初日)

    こんにちは。畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。
    今回のテーマは「正義」。

     

    というわけで、この言葉を聞いた瞬間に、私の脳裏には「サロン・ド・シマジ」の「名言コースター」に書かれていた

    「元気は人生の正義である」という言葉を思い出しました。

    「人生を愉しむための必要条件が元気」なのです。

     

    「乗り移り人生相談303」より

    毎週2時間、足の指と足首をもみほぐす

    シマジ:実は、いま俺の体を定期的にメンテナンスしてくれている人がいるんだ。操体法三浦寛先生でね。操体法については興味のある人はネットで調べてくれ。
     この三浦先生の高弟が、「乗り移り人生相談」をはじめとして俺の書くもののファンでね。新宿伊勢丹メンズ館のサロン・ド・シマジに来てくれるようになったんだ。その縁で三浦先生もサロン・ド・シマジに顔を出してくれた。まあ、そんなことがあって一昨年の暮れに、俺は頚椎症をやってしまってね。立っているだけで辛いほどで、シガーも吸えなければ、シングルモルトも飲めない。なんとも情けない状態になってしまったんだよ。

     それでも、年が明けた1月4日には、メンズ館のサロン・ド・シマジに出勤した。蒼い顔でバーマンを務めていると、みんなが心配してね。「今日は帰ってください」とお客さんが口々に言うんだ。だけど、新年早々わざわざ来てくれたみんなを残して帰るのは嫌で、「大丈夫」と強がっていた。
     そこに三浦先生と高弟が現れてね。高弟が言うには「シマジ先生が俺を呼んでいる。伊勢丹に行くぞと三浦先生がおっしゃるものですから顔を出しました」。地獄に仏とはこのことで、早速、三浦先生が俺の左右の足の指を揉みほぐしてくれたら、5分ほどですっと首の痛みが和らいでね。顔にも血色が戻り、シガーを吸い、シングルモルトを飲めるようになったんだ。
    ミツハシ:すぐに、吸って飲もうとするところがシマジさんらしいですね。
    シマジ:このことがあって、俺は毎週三浦先生のところに通い、2時間横になって足の指と足首をもみほぐしてもらっている。それからというものすこぶる快調でね。間違いなくシマジの体を整えてくれているのは三浦先生だ。

     

    「三浦先生の高弟」というのは何度も書いていますが(笑)私です。

     

    そして、なぜ「健康」ではなくて「元気」なのかというと「健康」は訓読みすると「すこやか」で「やすらか」。
    シマジ先生曰く、これは自分のような毒蛇には似合わない。品行方正で大人しい感じの「健康」より、気の元である「元気」のほうが生命力を感じるだろ、
    とのことでした。

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  • 正義感。

    おはようございます。

     

    今回のブログ担当も最終日となりました。

    今回のテーマは「正義」でした。テーマを聞いた時、真の操体を教えて下さっている師、共に学ぶ同志、そして創始者である橋本敬三先生が思い浮かびました。

     

    操体創始者橋本敬三先生。橋本先生は、医師でありながら、医学の世界の考え方に間違いがある、として様々な面から長年訴え続けた人でもあったようです。

    当時の医師は、今よりももっとステータス性が高く、収入だってそれなりに高給だった筈です。損得勘定で考えれば、医学界に盾突くなどしても得はなく、わざわざ波風立てる必要はないと思ってしまうでしょう。

    しかし、考え方を変えてもらわなければ、医学界はもとより、そこに救いを求める人達にとっても良くないと危惧した。そして、自分のやっている事を少しでも役立ててほしい、と学会誌などに投稿を続けた。

    煙たがられようが、無視されようが、NHKラジオがとり上げるまで、実に25年も訴え続けたという。

    そこには揺るぎない信念と正義感の強さが垣間見えます。

     

    その揺るぎない信念は、どのように培われたのでしょうか。 それは救いの生命観に基づく絶対的な真理の探究によってであったと思います。

    生命を生じさせた大自然への畏敬。大自然に生かされている人間には、自然と調和して生きる為の法則が自在している。

    その自然法則を臨床で応用貢献し、更に真理の探究を深めていく。そして更なる応用貢献。その繰り返しの中で揺るぎない信念が培われていったのだと思います。

    そして、自分のやっている事は自分で編み出したものではなく、民間療法の様々な人達からもヒントをもらい、何よりも大自然から学びとっているものであるのだから、識り得た真理は広く公共の益につながるものにしなければならない、という想いもあったと思います。

    それが、医師でありながら、当時の医学会の考え方を改めてさせて、もっとより多くの人たちに貢献できるように、という強い正義感と行動力につながったのでは思います。

    そして、操体をお借りしている私たちも、からだの事、生命の事の学びをとおして、絶対的な真理の探究を引き継ぎ、正義感を培っているのだと思います。

     

    一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。

    明日からは畠山先生の担当となります。

    明日からも、どうぞよろしくお願いいたします。

    友松 誠。

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  • 貫く。

    おはようございます。

     

    今日から平昌オリンピックが始まるようですね。

    先日の新聞のコラムでは、女子スピードスケートの小平奈緒選手が今シーズン前に語った言葉を取り上げていました。

    「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」

    これはマハトマ・ガンジーの言葉を引用した言葉ですが、良い言葉だと思います。

     

    今年はガンジーの没後70年になるそうですが、その生涯は、(今回のテーマである)正義をとおすとか、貫くといった言葉がぴったり当てはまる気がします。

    ガンジーはこうも言っていたそうです。

    「もし暴力に訴えたいのならまず私を倒せ、ここから動かせるのは私ではなく、私の死骸であろう」

    正義を貫かんとすれば、時には死するくらいの覚悟も必要。
    その為には、時間を無駄にせず、一日一日を精いっぱい生きる。時間に追われず、自分自身十分に生かされて生きる。
    生かされて生きている事に感謝が出来れば、覚悟も決まってくる。

    生かされて生きている事に感謝する学びは永遠であり、時間の問題を超越し、空間のひろがりとなって続いていく。
     

    「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし

     生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」 

                     吉田松陰

     

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  • 感覚を磨くことで。

    おはようございます。

     

    人は大病したりとか、何か日常とは違う困難に直面し、それを乗り越えた時、人間的に強くなったり一段と成長するという話をよく聞きます。

    なにか痛い事や苦しい事を経験しなければ、気づけないことや得られないものがある。確かにそうかもしれませんが、それは感覚とか感じるとか、思考概念と相容れないものを無視してしまうから、そう思ってしまうのだと思います。

     

    しかし、感覚というものに目を向ければ、つらい事を経験しなければ得るものがないとか、成長できないという図式は成立しなくなります。

    ひっぱたかなければ、ひっぱたかれた人の痛みが解らないという子供なら、痛みの経験は必要でしょう。ですが、子供から成長すれば、他人が痛がっていれば、その痛みがわかるはずです。それは感覚をとおして識っているからです。だから、他人の痛がる事、嫌がる事はしたくなくなる。

    だったら、感覚をもっと鋭敏にして、他人が痛がる事、嫌がる事を未然に防いで、他人をよろこばす事、うれしくなる事を察知してあげれば良いのではないでしょうか。そしてそれを行動に移す。それも正義だと思います。

     

    実際それは程度の差こそあれ誰でもやっている事です。そして、それを高め、からだに当てはめれば未病医学につながるのです。

    「上工は未病を治し、下工は病を治す」という言葉がありますが、これも感覚を鋭くしなくては、「このアンバランスな状態では、ここが病気の火種になるぞ」という病の芽を先に摘む事はできないのです。

    上工、下工という診る側のことだけでなく、診られる側も感覚をなおざりにしてはいけません。

    診る側、診られる側と区別せず、皆からだと共に生かされて生きているわけですから、感覚は大切です。感覚をとおして、からだにききわける、魂にききわける、良心にききわける。そういう事をとおしていれば、自分の行いが必ず変わります。

    そこに自然の法則の理解が加われば、自分で未病を実し、健康維持、増進ができるのです。健康維持、増進ができれば、自分の描く正義も実行しやすくなる。その正義は皆の根底でつながっている正義でもあります。

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  • 自分自身と向き合うことで。

    おはようございます。

     

    よく大病した人が、その後の生き方が明るく前向きになった、という話を聞きます。

    何故そうなることが可能なのでしょうか。

    それは病んでいる時、自分自身と向き合う事で、何か大切なものを得るからなのではないでしょうか。

     

    今を生きる私達は、忙しい忙しくないに関わらず、自分自身と向き合う時間がとれていないのが実情と思います。すぐにスマホとかに手が伸びてしまいますものね。

    常に何かの情報に振り回されて、なかなか安息が得られない。病んで、からだが思いどうりにいかなくなって、はじめて何らかの縛りから解放されるのかもしれません。

    病んだ事で、ありのままの自分自身と素直に向き合う空間と時間が持てる。何とも皮肉なものです。

     

    その病みの時空でどんなことを考えるでしょうか。「何で自分がこんな目にあわなければいけないんだ?」といった自分中心な想いから、自分の行いの反省に至ったりと様々な想いが交錯することでしょう。

    しかし、痛みや辛さが大きいほど、考える事すら困難になり、娑婆を生きようとする心を放下して、ただひたすらからだ(自然)に委ねるしかなくなってくる。

    娑婆を生きるための鎧を脱いだ、ありのままの大自然の一員としての自分自身として、自然に委ねる事で安息が得られ、やがて眠りにつく。

     

    捕らわれの心を放下して、自然と調和する時空。それによって得られるもの。それは人によって多少違うでしょうが、自分自身の内部での対立が減って穏やかになるのは確かなようです。それによって、迷いがなくなり少々の事では動じなくなったりとか、自信がついたりとか、腹が座ってくるようです。
    人間的に強くなるとは、そういう事なのだと思います。

     

    今回のテーマである「正義」にしても、自分の描く正義というのは人それぞれでしょうが、それを貫く強さが必要だし、時にはそれを変更する英断も必要。一筋縄にはいかないから正義は尊い

    だから自分一人で背負う必要はない。自然の叡智に富む自身のからだが共にあるではないですか。
    自分自身と向き合うことで、自分なりの正義のとおし方がみえてくる。

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