最終日になりました。
「正義」というとどうしても「正義ではないこと」の存在が必要になってきます。
ちなみに「正義」の反対語は「不義」だそうです。
これは「勝ち負け」「光と影」などにも通じるものがあります。
個人的な話になりますが、私はスポーツにそれほど興味がありません。
興味がないというのは言い過ぎですが、勝ち負けがあるスポーツにそれほど興味がないのです。
格闘技とか相撲は好きな方ですが、勝負の結果よりも、プロセスに興味があります。
興味があります。(極めて個人種目ばかりですね)
そして、昔からゲームとかは余りやりません。
「勝っても喜ばないし負けても悔しがらない」のでつまらないと言われます。
実際、勝ち負けで一喜一憂しません。
勝った方がいれば、負けたほうがいるからです。
光と影の話だと、中世のヨーロッパで
魔女狩りが行われた時、積極的に
魔女狩りと拷問を行ったのは、教会の
神職者だったというのは有名な話です。
教会の厳しい規律戒律の下では、他者に対する歪んだ厳しさが、異様なまで残虐な魔女・魔法使いとされた人達への拷問となったというのです。
さて、ここまで書いて「自分が『許しがたい』」ということはあるだろうかと考えてみました。
大きく言えば「匿名で暴言を吐く輩」はイヤです。
また、例をあげると、師匠が破門したとか、裏切る形で去って行った人間とずるずる付き合っている輩。
上司にセクハラされたことを訴えたら「オマエが誘ったんじゃないか」と言ったオトコ(実話@笑)
これはイヤですね。勿論別れたけど(笑)。
また、師匠のご縁で知り合った著名人と、師匠に破門された後でもこそこそ付き合っているとか、(こういうことはバレる)というのは、もう情けない限りです。
まあ、世の中には「友達だもん」という人や「まあいいじゃん」という人もいますが、
それがその人の「正義」なんでしょう。それがその方のスケールなのです。
結局、正義というのは自分の中にあり、他者を正義不義で裁くのではなく、「自分の中の『正義』に反していないか?」を問いかけることであって、他者につきつけたり、裁いたりするものではないのです。
と、ついつい「
鬼灯の冷徹」(日本の地獄の
閻魔大王の第一補佐官、鬼神の鬼灯様が主人公)を思い出し「こういう不義理な奴らはどんな地獄に落ちるかね」とか妄想したりします(笑)。
一週間ありがとうございました。
明日からは世界一周経験者、松浦さんの登場です
畠山裕美

※日本民藝館。
2018年春季東京操体フォーラムは
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です。