ブログ

  • 2018年、新たな年を迎えて、私は70歳の大台に乗る。

    明日どうなるかしれぬこの身に、70年という人生が巡っているのだ。

    まさに「生かされている」としか言いようがない。

    この肉体に生かされているものが確かに宿っているようだ。

     

    私が小学校に入学する前、50代、60代の大人を見ては
    「おじさん」という印象が強かった。

    なぜ齢を重ねると
    みんなおじいちゃん、おばあちゃんになってしまうのか?

    と不思議に思っていたが

    その不思議な年齢に私自身が到達してしまったという衝撃がある。

    しかしこの現実に私自身の意識感覚が全く対応していない。

     

    私流にカッコよく言えば

    「年を取ることをすっかり忘れてきたようだ」ということである。

    めでたい男?だと思う。

     

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    ※早い桜(上野公園)

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    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です

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  • 日誌の重み

    本日より、三浦が担当します。よろしくお願いいたします。

     

    さて、このブログも何年みんなが書き続けているのであろう。

    私に順番が巡ってくると

    「先生、そろそろ出番です。◯日までにお願いします」と連絡が入る。

    私は1週間分を1時間で書き上げる。

    数十年来、毎日欠かさず、日誌を書き続けている。

    この事が大きな要因だと思うが、悩む事なく、書く事ができる。

     

    日誌は、1ヶ月に1冊が終るペースで毎日書いている。

    毎日、かなりのページ数、書いている。

    日々、いったい何を書き続けて

    1ヶ月に1冊のノートを消費しているのだろう?と思われるかもしれないが

    日々、必ず、何かが起こっている。

    その事に気を留めるか留めないかの問題であって、留めた事を書いている。

     

    私にとって書く事は消費であり、消耗ではない。

    消耗とは、ストレス。

    消費とは、新たなエネルギーとなって活性化していくこと。

     

    日々、自分に向かい合い、書き刻み込むことを私は大切だと思っている。

    明日の原動力になっていると思うからだ。

    1年に10冊以上になる積み重ねたノートを見ると

    今年1年も自分を積み重ねてきたんだなと思う。

     

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  • 正義7

     

    多くの物語の中で、正義のヒーローは人々を救ってくれる。

     

    人間を霊と肉体とに分けて考えたとすると、

    「霊は生まれる先から救いが完成している」

    橋本敬三先生は本に書かれている。

    私たちの本質は、ヒーローを待つまでもなく、すでにもう救われているというのである。

    嫌なことや苦しいことをこの肉体をもって日常的に経験していると、救われてなんかいないじゃなかと思うが、それは見える世界や肉体的な面ばかりに目がいって、人間の本質を理解していないが為に、救われていることがわからないのではないだろうか。

     

    宇多田ヒカルさんの「道」という歌の一節にこうある。

    目に見えるものだけを信じてはいけないよ

     

    見るという強力な視覚以外にも、たくさんの感覚を私たちは備えている。

    見るだけでなく、そういった感覚に意識を向けていくと、また違った世界がひらけてくのかもしれない。

     

    一週間ありがとうございました。

    明日からは三浦寛先生です。

     

     

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  • 正義6

    操体を学ぶ様になってから、人に対してだけでなく、自分自身との対話も大切にする様になった。

    頭の中で会話をするだけでなく、自分のからだの感覚、感情、気持ち、欲求に耳を傾け、それをききわけるのである。

    そこには快的感覚を感じることもあるが、時に不快を感じることもある。きもちよい感情を感じることもあれば、嫌悪する様な感情を感じることもある。

    以前なら、良い悪いを判断し、悪いものには蓋をしたりしていたが、今はそのまま素直に受け取る様にしている。

    からだとの対話、コミュニケーションを大切にしていると、そこに調和が生まれてくるように感じる。

     

     

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  • 正義5

    数年前、イスラエルエルサレムを訪れた。

    そこはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地である。

    それぞれが自分たちの聖地であると言い、争いが起きた歴史があり、現在も治安は良くないと聞いていた。

    しかし、行って見ると、それぞれ大まかなエリアに分かれているものの、一つの地域にそれぞれの宗教を信ずる人達が生活して交わりがあるのである。

    内心どう思っているのかわからないし、警備している軍人がいることもあったと思うが、なんとかバランスを取って生活しているのである。

    なんだか不思議な感じかした。

    それぞれの教えがあり、それぞれの言い分があり、それぞれの正義がある。それら宗教は時として対立を生む。

    しかし、そこでは一つの地域に生活しているのである。

    そこは聖書、聖典に聖地と記されているからではなく、異なった宗教が交わり、お互いを理解することのできる場所だから聖地なのかもしれないと思った。

     

     

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  • 正義4

    自分の中の正しさの基準から人を判断し、その基準から外れている人を心の中で非難していることが時々ある。
    しかしそれより、その人の背景を想像したり、深く理解するためにコミュニケーションをとる等、その人を理解しようと努めることが、より正義に近い様に思う。

    思考で判断する正しい間違いに絶対的なものはあるのだろうか。
    大人になるにつれて、色々なルールを覚え、判断基準となる。それは年を追うごとに増えていく。
    家族のルール、社会のルール、規則、常識、思考癖、
    それらは一度身につけると、外部から取り入れたルールであることも忘れて、自分を構成する一部となる。
    それらを常に剥がし、壊し、再構成して柔軟な状態を維持していくことも必要なのだと思う。

     

     

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  • 正義3

    私が嫌いだった父の、幼少期の話。

    父は終戦の年の生まれ、物資がない時代に育ち、父の家自体も貧しく、トタンの家で、雨漏りしていたり、隙間風が吹いており、冬は凍えていたそうだ。

    そして、父の父親、つまり私の祖父は、酒飲みで暴力的、家族に手をあげる様な人だったそうだ。

    家を出たくて、中学を卒業して、調理の仕事について、下宿生活をした。

    しかし、職場では先輩にひどいイジメにあったいたそうである。

    父の内向的で不器用な性格やその時の時代背景を考えると、そうだったのだろうと思う。

    未だに親友と言える人はいないと、また後になって聞いた。

     

    そんなことを聞いてから、父が悪いとは思えなくなってきた。

    父も苦しみ悩んできたのだから。

    環境は人に大きな影響を及ぼす。それと同時に、同じ環境でも人によっては異なる反応を示し、異なる人生を歩むこともある。

    だから幼少期はともかく、そこから立ち直るのはその人自身の意思である、とも言えるだろう。

    ただ、そこから立ち直る力があるのかないのか、その勇気があるのか、素直さやハングリー精神を持ち合わせているのか、サポートしてくれる人に恵まれるのかそうでないのか等、その界はなんなのであろうか。

    運なのか、運命なのか、魂のレベルなのか、生まれ変わりの回数なのか、色々言えるのかもしれないが、今は私には本当のことはわからない。

    ただ、正義を振りかざして父を裁くことには違和感がわく。

     

    同じ様に、日常で出会う、私が不愉快に感じることのある人たちも、その場の行動、一側面だけみればただ不愉快な人と私には映るが、その人の生い立ち、環境を想像すると、その人を一方的に責める気は薄れる。

    (・・・こともあるし、そうできない時も多々ある;)

     

     

     

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  • 正義2

    世の中には他の人に対して良いことをする人もいるし、逆に意図して悪いことをする人もいる。

    また、良いことをしてるつもりでも、他の人にとっては迷惑になっている場合もある。

     

    なぜそんなことをするのか、

    そうせざるを得なかったからなのだろう。

    他者との関わり方を学ぶ機会を逸してしまったきたのであろう。

     

    そう思う大きなきっかけは父であった。

     

    私は父が嫌いだった。

    私が大人になるにつれて、父は家族とほとんど会話をしない人になっていた。

    時々声が聞こえると思ったら、不機嫌な返事や、怒鳴り声だ。

    ただ、物にあたることはあっても、暴力を振るうことはなかった。

    また、大酒飲みではないが、いつもアルコールの匂いがしていた。

    当然、家族からは孤立していた。

    コミュニケーションが不得手な人で、自分の殻に閉じこもり、自分のことしか考えていない様な人に見えた。

    私が20代の頃、そんな父と面と向かって、「なんであんたはそんななんだ」と責めたてた。

    そして、流れで、父の幼少期からの話を聞くことになった。

     

     

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  • 正義1

    畠山先生一週ありがとうございました。

    今週は放浪癖のある私、松浦が担当いたします。

    一週間、よろしくお願いいたします。

     

     

    テーマは正義。

     

     

    正義について、私は今まで深く考えたことはなかった。

    子供の頃にマンガや映画で見ていた、強いヒーロー、弱き者を助け、悪を懲らしめるもの、その程度の認識しか未だに持ち合わせていなかった。

    心のどこかで憧れはあれど、正義を振りかざすほどの気概も勇気も特別持ち合わせてなかったこともあるのだろう。

    「正義感」という言葉にすると、感じることがある。

    私の場合、規律、ルールを守らない人をみると、イラっと感じたり、不正を正したくなり、正義感を感じることが多かったし、今もそれを感じることはあるしかし、段々とそういったこととは別の視点が生まれてきていることも近頃感じている。

     

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  • 勝ち負けと正義と光と影(7日目)

    最終日になりました。
     
    「正義」というとどうしても「正義ではないこと」の存在が必要になってきます。
    ちなみに「正義」の反対語は「不義」だそうです。
     
    これは「勝ち負け」「光と影」などにも通じるものがあります。
     
    個人的な話になりますが、私はスポーツにそれほど興味がありません。
    興味がないというのは言い過ぎですが、勝ち負けがあるスポーツにそれほど興味がないのです。
     
     
    格闘技とか相撲は好きな方ですが、勝負の結果よりも、プロセスに興味があります。
    また、フィギュアスケートとか、体操も好きですが、これも勝負よりはプロセスに
    興味があります。(極めて個人種目ばかりですね)
     
    そして、昔からゲームとかは余りやりません。
    「勝っても喜ばないし負けても悔しがらない」のでつまらないと言われます。
     
    実際、勝ち負けで一喜一憂しません。
    勝った方がいれば、負けたほうがいるからです。
     
    光と影の話だと、中世のヨーロッパで魔女狩りが行われた時、積極的に魔女狩りと拷問を行ったのは、教会の神職者だったというのは有名な話です。
     
    教会の厳しい規律戒律の下では、他者に対する歪んだ厳しさが、異様なまで残虐な魔女・魔法使いとされた人達への拷問となったというのです。
     
     
    さて、ここまで書いて「自分が『許しがたい』」ということはあるだろうかと考えてみました。
     
    大きく言えば「匿名で暴言を吐く輩」はイヤです。
     
    また、例をあげると、師匠が破門したとか、裏切る形で去って行った人間とずるずる付き合っている輩。
     
    上司にセクハラされたことを訴えたら「オマエが誘ったんじゃないか」と言ったオトコ(実話@笑)
     
    これはイヤですね。勿論別れたけど(笑)。
     
    また、師匠のご縁で知り合った著名人と、師匠に破門された後でもこそこそ付き合っているとか、(こういうことはバレる)というのは、もう情けない限りです。
     
    まあ、世の中には「友達だもん」という人や「まあいいじゃん」という人もいますが、
    それがその人の「正義」なんでしょう。それがその方のスケールなのです。
     
    結局、正義というのは自分の中にあり、他者を正義不義で裁くのではなく、「自分の中の『正義』に反していないか?」を問いかけることであって、他者につきつけたり、裁いたりするものではないのです。
     
     
    と、ついつい「鬼灯の冷徹」(日本の地獄の閻魔大王の第一補佐官、鬼神の鬼灯様が主人公)を思い出し「こういう不義理な奴らはどんな地獄に落ちるかね」とか妄想したりします(笑)。
     
    一週間ありがとうございました。
     
    明日からは世界一周経験者、松浦さんの登場です
     
    畠山裕美

     

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    日本民藝館


    2018年春季東京操体フォーラム

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