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  • 「正義と悪 ~その5~ 相対的な見方を変えてみる」

    先日yahooのニュースを見ていると「身体完全同一性障害」について書かれている記事を目にしました。

     

    その記事では五体満足に生活しているにも関わらず、自身の手足に違和感や不快感を覚え切断することを望む人がいるのだとされています。

     

    驚くことにそれを達成するために自ら足を切り落とす人もいて、それが達成されると自分のからだの一部が無くなったストレスから解放され幸せそうな表情をするだと記事には書かれていました。

     

    医者も切断された足を再生させようと試みるものの、再び同じことを繰り返すリスクを考慮し、手術を断念するみたいです。

     

    私自身、その逆の「幻肢」という現象があることは知っていましたが、初めてそういった病があることを知り、とても衝撃を受けています。

     

    こういった症例を聞くと、これまで私達が捉えていた健康の定義が崩れてきているのと同時にこれからはからだを診る側の意識も少しずつ変えていかねば対応出来ない時代になってきているのも事実です。

     

    今回の症例に限らず私も含めて人は「何が良くて、何が悪い」という相反する相対的な見方をし、悪い方を良くしていく見方、捉え方をします。

     

    しかし逆に良いとされる方をより良くし、結果的に悪い方が改善するだという見方や発想もこれからは必要だということです。

     

    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です

  • 「正義と悪 ~その4~ 良心に問いかける」

    先日のブログにも書きましたが、私の正義に対する価値観は両親や祖父といった自身の身近にいた人達からの影響が大きいです。

     

    しかしそれをここまで育んでこれたのも、私が両親から生まれながらに授かった「良心」があるからだと思います。

     

    近頃はこの「良心」というのは「愛」と同様に全ての生命の共有財産であり、一人一人がからだ、魂に宿しながらもそれを私達が共有する空間にあるものだと感じています。

     

    ちょうどこのブログを書く前に自転車に乗っていた時に目の前でおじいさんが転ぶ場面に遭遇しました。

     

    おじいさんが転ぶと直ぐに私を含めた周囲の人達は一目散に駆け寄り手助けをしたのですが。そういったことを当たり前のこととして出来るのもこの空間に「良心」が自在してあるからではないでしょうか?

     

    この良心に問いかけてみるのも一つの善悪を判断する基準だと思います。

     

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  • 「正義と悪 その3 からだに聞き分ける正義」

    「~がからだに良い」「~がからだに効く」等、そういった健康に関わる情報がTVやメディアを通じて見る機会が以前より多くなっている気がします。

     

    それだけ自身の健康への意識が高まり、少しでも健康寿命を自分で掴み取ることへの意欲が高まってきていることが良い傾向だと思う反面、その情報だけを鵜呑みにしてしまうリスクも伴うことの怖さを感じています。

     

    私も僅かな期間からだに良いとされる物やストレッチ等を実銭しましたが、からだの調子が良くなるものと何か調子が狂うものがありました。

     

    その調子が悪くなるものは自身のからだが何か受け付けない感覚があり、食した後にイライラしたり何かをする意欲がなくしたりする時もありました。

     

    その経験を通じて感じたことはからだに良いとされる物も、その時々の自身の体調やメンタルの状態で良くも悪くもなるということでした。

     

    よくよく考えてみると本当に正しいとされる確かなものは何一つなく、人が正しく生きることにおいて感覚を聞き分けるということが良し悪しを判断するにはとても確かな頼れる基準なのだと思います。

     

    それも自分の感覚ではなく、からだに聞き分けた感覚に頼ることが最善の選択です。

     

    なぜならからだは私達が知らない正義を知っているからです。

     

    からだが知る正義。とてつもない正義の味方です。

     

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  • 「正義と悪 ~その2~ 理想の正義像」

    私の「正義」に対する価値観は両親の影響も大きかったですが、それ以上に祖父の影響が大きかったように思います。

     

    当時の私から見て祖父は曲がったことが嫌いで、特に人様に迷惑を掛けること、人や自分に嘘をつくことを何よりも嫌っている人のように見えました。ただ幼かった私には怖いイメージがずっと抜けなかったことを覚えています。

     

    そんな恐怖の対象であった祖父から受けてきた躾は行くのが嫌になるほど厳しいものでしたが、今になって振り返ってみると操体の学びに繋がるものばかりでした。

     

    私がここまで操体の学びを続けてこれたのも、祖父の「自分が信じた道を最後まで貫く」生き方を見てこれたからだと実感しています。

     

    そういった祖父の生き方は今の私にとって理想の正義像であり、これから学びの道は橋本敬三先生の生き様を追っていくのと同様に祖父の背中をずっと追いかけていくのだと思っています。

     

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  • 「正義と悪 その1 悪という存在」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「正義」となりますが、子供の時からアニメやヒーロー特撮を見ていたこともあり、このテーマはとても身近なようで奥が深いテーマだと思います。

     

    奥が深いということは私達が生きていく中で考えていかなければならないテーマなのでしょうね。

     

    この正義について考えていくと真っ先に思い浮かぶのは「悪の存在」で、当時いつも疑問に思っていたのは主人公の立ち位置は決まって「正義」、それを引き立てるのが「悪」の存在であるのはなぜかということでした(もちろん悪が主役もありますが…)。

     

    子供の時は「大切な何かを守る」「地球の平和のため」という正義の味方からの観点でしか観れませんでしたが、悪には悪なりの主張があるのではと考えるようになりました。

     

    そういう少し捻くれた考えを持っていたこともあり、アニメや漫画を観ると悪役を応援していたのを覚えています。

     

    それは大人になった今でも「果たして悪の存在は悪いものなのか?」と考えています。

     

    もちろん、法というルールの中で生きている以上はそのルールを破った者にはペナルティーが与えられ「悪」のレッテルが貼られてそのように見てしまうかもしれません。

     

    しかしその反面自分もそういった人達と同じことを犯してしまう可能性があることも考えると「悪」という存在も100%否定的な見方をせずに色々な側面から見なければならないように思います。

     

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  • からだ

    「身体」と書いてからだと読む

    「体」と書いてもからだと読む

    この違い、なにか意味があるのだろうと思っていた。

     

    「体」とは死体の事をいうのだそうだ。

    死体とは

    この肉体から魂が抜けて生命エネルギーがゼロの状態と

    私は理解している。

     

    私達がからだをみているのは、「身」の方なのだ。

    エネルギーが抜け落ちた物体をみている訳ではないのだ。

    「身入り」のことである。

    私が今まで「体」と書かずに「からだ」と示してきた。

     

    私が「患者(本人)の動き」と「からだの動きは違う」と言っている意味が

    少し理解できるのではないかなと思う。

    これも、ものことなりの正義かもしれない。

     

    一週間、ありがとうございました。

     

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  • 修行の身

    昨日に続き

     

    このような時期に橋本先生に迎え入れていただいた。

    内弟子としての5年間が始まった。

     

    内弟子として3年が経ち、私は両親が住んでいる神戸に帰った事がある。

    その時父親から、「なぜ帰ってきた。すぐ戻れ」と一喝されたのだ。

    「たとえワシの身に何が起きようと、家の門をくぐるではない」と

    言われたのである。

     

    修行の身とは、そう言う立場なのである。

    私が橋本(敬三)先生の元で修行する際

    橋本先生は、私の父を仙台へよんで

    「息子さんを預からせてもらうが、それでよろしいか?」と話したようである。

    そのような経緯があったとは私は知らなかった。

    父も腹をくくったのである。

    息子を預けた以上、息子の好き勝手は許さなかったのである。

     

    そのツケは、仙台に戻ってテキメンに現れてしまった。

    つまり、「触れる」と言う皮膚感覚がすっかり消えてしまっていたのだ。

    その感覚を取りもどすまで、かなり無駄な日時を費やすハメになったのである。

    この事実も正義といえば、その通りである。

     

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  • 正義とは

    昨日に続き

     

    「らしく」という言葉を窮屈に感じていた鍼灸学校在籍中に

    整形外科のアルバイト募集を見て

    北海道小樽市朝里川温泉の整形外科で半年ほど働いた事がある。

     

    病院のすぐ近くが絶景のスキー場だった。

    冬の時期だったため、

    仕事が済めば、スキー板を担いで行き、思う存分滑った。

    休日は小樽の市街地へ出かけ、ディスコも愉しんだ。

     

    この時期「らしく」の中に我が青春がなかったと言える。

    多少ハメを外しても、自分らしく生きる勇気こそ、正義かなと思う。

     

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  • 言葉

    引き続き、ポン友のお袋さんとの思い出について書く。

    私はお袋さんに言われ続けてきたことがある。

    中学の頃は「中学生らしく」

    高校の頃は「高校生らしくしなさい」という言葉である。

     

    この年になっても、耳に焼き付いている。

    この「らしく」がとても窮屈になった時期があった。

     

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  • めんこい

    先週、中学時代から親しき中であるポン友の母親がなくなり

    急遽、九州の博多に飛んだ。

    棺に納められた「お袋さん」と対面する事ができた。

    私は、このお袋さんにめんこがってもらった。

    最近も高校時代の同窓会が行われる10月10日に

    お袋さんの住むマンションに顔を出していた。

     

    亡くなられる2、3日前に孫を連れて家族とともに外食をし

    何度か嘔吐をしたらしい。

    自宅に戻ってからも嘔吐が止まらず

    翌日検査に行ったところ

    胃がんだと判明。ステージ5まで進行していたのだ。

    それから2日ほどで息を引き取ってしまったのである。

    88歳だった。

     

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