カテゴリー: 未分類

  • 私のズッコケ操体クロニクル⑤  昨日の続き

     問い合わせがあった出張施療先は、兵庫県の三田市だった。 都市部からは郊外ではあるが、大阪、神戸への通勤圏内にあり、そのベッドタウンとしてサラリーマン人口も増え、また最近は学園都市でもある。 施術依頼のあった自宅に伺うと、電話してきた本人ではなく同居している義母が患者であった。

     

     その義母は1年前に脳梗塞に倒れ、四肢の動きが不自由になり、リハビリ生活を余儀なくされていた。 電話してきたその家のお嫁さんは家庭療法研究会で教わった操体法をやってはみるものの、なかなか効果が出ないので、プロの操体家に委ねることにしようと思い、当操体院にアクセスしてきたものだ。 

     

     その後、3回、出張施療に出向いた結果、僅かながら効果が見られたので、できるだけ操体の本文である自力自療に近づけようという思いから、リハビリ的なヨーガを指導することとした。 ヨーガと言ってもからだの末端の手と足に限ったヨーガを日課として続けてもらうことにした。 これが後に私が 「操体ヨーガ」 と名付けるものに引き継がれていくのである。

     

     それからは月1回のペースで出向くことになった。 そして、3か月も過ぎる頃には、その効果に驚きを隠せない。 それを指導したのは私であり、本来的には自慢したいところだが、やはりその指導されたリハビリヨーガを信じて、一心に反復継続してこられた本人の努力の賜物である。 日常生活するのに最低限必要なからだの動きをほぼこなせるようになったことは奇跡に近い。 これには私自身とても驚いている。

     

     私の指導したリハビリヨーガは本格的なハタ・ヨーガと言えるようなものではなく、どちらかというと、からだの感覚を重視した操体的なヨーガであった。 この時は行き当たりばったりの操体的ヨーガであったが、この患者さんの回復ぶりを見るにつけ、真剣に操体とヨーガの融合を研究するようになった。 患者さんから教わったともいえる、まさに操体ヨーガの始まりである。

     

     その後、ハタ・ヨーガのアーサナ(体位)を操体で分類する8つの動きに洗い出し、感覚重視の動きに改良する研究を始めた。 またハタ・ヨーガにはない全身への動きの連動もヨーガに組み入れたのである。 これを体系的に編纂しようと思った。 それには薬品開発の治験じゃないが、被験者による効果を見極める必要がある。 いわゆるヨーガセラピーなるスペースを確保する必要がある。

     

     さあ、こうなってくると大阪で夜のお嬢ちゃんを相手にしている場合じゃない! しかし、無責任に院を閉鎖するわけにもいかない。 今や、当院を当てにして来院する患者さんも少なからずいる。 どうすればいい、困った! こんなときに、またあの精神療法のヘルプ要請が来た。 それどころではないのに!

     

     それを断り切れない私は、仕方なく出向いた。 その帰り道、私が以前通っていたカイロプラクター養成所の前を通ると、一人の男が出てきた。 向こうは軽く会釈をするが、思い出せない。 近くまで来てやっと思い出した。 私と一緒にカイロを学んでいた人で、今はこの養成所でカイロの講師をしているという。 

     

     その彼がビアガーデンのサービス券を持っているというので、二人で飲みに行くことになった。 お互いの近況を話すうちに、彼は近いうちに独立開業を目指しているというので、これは渡りに船だと思い、当院を引継いでもらえないかと打診した。 彼は一度、現地を見たいと言ったので、善は急げ! である。 その日の夜に当院を案内した。 彼はカイロを学んだ後、オステオパシーの専門スクールへも足を運んでおり、臨床には自信を持っているようだった。 また彼は自分で夜型だというのも、好都合であると思った。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ④  昨日の続き

     私は本来、朝型タイプなので夜は苦手な方だ。 それなのに夜型開業セラピーにハマってしまうなんて成行きとはいえ自分でも信じられない。 こんな生活を続けて1年が過ぎた頃、私が最初に開業する前に勤務していた催眠療法センターの所長から電話をもらった。 

     

     スタッフが急に辞めることになったので、手伝ってもらえないかということだった。 私は今、ボディワークに変えたので無理だと伝えたが、今週末に入っている予約を断れないのでどうしても来てほしいと懇願された。 ブランクもあるのでやはり難しいとお断りしたにもかかわらず、サブを付けるからと言って引かない。

     

     仕方なく、行くことになった。 被験者は6人、久しぶりに精神療法のリバーシンググループを行ったが、どういう訳かしんどさが全くなかった。 精神的に疲れてやめたはずなのに、これならいけるかなと思った。 それよりも何より昼間のワークがいい。 この1年のナイトワークで私の中では不健全な夜というイメージが根付いてしまったようだ。

     

     これがきっかけで昼間の活動に憧れるようになってしまった。 そもそも何故、都市部で開業したのか、すっかりそれを忘れていた。 私は食べることよりも料理することにとても興味がある。 大阪に来れば、「男の料理教室」 なるものがある。 昼間、ボディワークの仕事の後、夕方からはそんな料理教室に通うのが当初の計画であった。 それが夜専門の施術院になってしまうなんて番狂わせにもほどがある。

     

     朝型人間の私としては、こんな生活は長くは続かないと常々思っていた。 ひょっとするとここから抜け出すきっかけを探していたのかも知れない。 そんな時に珍しい患者がやって来た。 カイロプラクター養成所のスポーツトレーナ科で共に学んでいた友人である。 友人と言っても私より一回り年下の私学高校で英語の教師をしている男性だ。 

     

     現在も英語教師をしている彼は陸上部の部活の顧問もしている。 そんな彼が引越しの手伝いで腰を痛めて当院にやって来たのだが、お互いに顔を見てびっくり! ここに来たのは偶然ではなく、スポーツトレーナ科で操体法(初期の操体法)を少しかじって知っていたので、たまたま当院の看板を見て予約なしの飛び込みで来院したのである。 

     

     カイロプラクティックじゃなくて、なぜ操体法をやっているのか? と聞かれたので、操体院開業の経緯を説明すると、ああなるほど、それなら理解できるね、と納得していた。 彼の施術を終えた後、彼から、うちの部活のトレーナをやってくれないか、主にスポーツ障害の部員を見て欲しいという。 部費の関係で月1回のペースで来てほしい旨、依頼された。 これは快く引き受けた。 からだの使い方、動かし方を中心に部員を指導することにより、障害を防止するいわば操体トレーナとして活動することになった。

     

     数日後、開院時刻すぐに電話が鳴った。 出張施療の問い合わせであった。 HPの検索から見つけたという。 出張先を尋ねると、何と、私の自宅に比較的近いところだった。 操体をどこで知ったのか、聞けば橋本行生という名のお医者さんが主幹する家庭療法研究会で知ったそうだ。 近くで操体法の施術院を探していたので早速電話してきたということだ。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ②  昨日の続き

     「哲学する操体 快からのメッセージ」 を熟読した私は、東京操体フォーラムに参加してこの本の著者である三浦寛師に出会うことができた。 その夜の会合で皮膚操法について伺うことができ、操体講習を受講することになり、毎週2年間の上京生活が始まった。 

     

     カイロでは主に知識とテクニックの学習をしてきたので、今度は五官で感じ取るスタイルに学び方を変えようと思った。 見て感じる、聴いて感じる、触れて感じる、そのような吸収の仕方で講義を受ける方策に決めた。 そのように研鑽を重ねるのは実に新鮮な感じであった。

     

     この講習を終えて、今度は 「操体療術院」 として再デビューすることとなった。 開院する場所について、大阪北のビジネス街と繁華街にも近い商業地域にあるテナントビル2Fのオフィスを賃借契約した。 この地域にはマッサージ店がやたらと目につく。 また昼間から夜遅くまで客の出入りも多く見受けられる。 それらを横目に見ながら開院初日をスタートさせた。

     

     マッサージ店の客層はビジネスマンと思われる人が殆んどといったところだ。 マッサージ店はどこも派手なイルミネーション看板を設置しているが、当院では当ビル1Fアプローチ部分に折りたたみ式の質素な看板のみが置いてある。 果たして、来院者を期待できるのだろうか? そんなことを思いながら初日を過ごした。

     

     その日の帰り道で最寄り駅のすぐ近くの路地裏通りにある小さな居酒屋に立ち寄った。 そこには肉体労働者と思われる作業服姿の客が3人で焼酎を飲みながらどて焼きを食べていた。 そこへ店主と思われる気の良さそうな初老の男がお通しの枝豆をもって注文を取りに来た。 私は、生ビールにどて焼きを注文した。

     

     30分ほど、物思いに耽りながら飲んでいただろうか、肉体労働者風の客は帰り、客は私一人になった。 その店主であるが、先ほどからしきりに首に片手を当て、上を見上げるような仕草をしている。 私は声をかけてみた 「首の調子でも悪くしたのですか?」、「ええ、寝違いをして昼間、マッサージを受けて来た」、と言う、「その時は解消されたと思ったんだが」

     

     私は 「ちょっとよろしいですか」 と云って店主が手を当てていた左首筋を軽く指で触れてみた、それだけで熱感と硬結が確認できた。 そして次に気になったのが、左肘が外に向いていたことから、ついでに左手首を触診させてもらった。 特に手首の皮膚を指でつまんでみると、針に刺されたような強烈な痛みがあるという。 そこで立位のまま、左手関節から動診・操法のアプローチを試みた。 この間僅か数分であったろうか、首の痛みが劇的に改善したことに店主はとても驚いていた。 

     

     店主は私のジョッキーが空であることを見過ごすことなく、すぐにおかわりを持ってきて 「これは私のおごり」 と一言。 「お客さんは何をしている人?」 と聞かれたので、実は今日からこの先にあるテナントビルで開院したばかりであることを話すと、「これから世話になるだろうから」 と言ってどて焼きのおかわりもサービスしてくれた。 

     

     その後、2~3日連続してその居酒屋に通っていた。 当院の方は電話での問い合わせはあるものの、患者の来院がまだ一人もない、というようなことを店主に話していた。 店主はうちの店に当院の広告を出してもいいよ、と言ってくれたので、それに甘えて次の日に早速、広告を作成して、お店の壁に貼らせていただいた。 これからが意外な展開に

  • 私のズッコケ操体クロニクル ➀

     私が操体と縁ができたことについては、大した意味があるわけでもない。 それまでの私のワークはヨーガと精神療法を生業としていた。 原初療法やブリージング・セラピーといったサイコ・セラピーのオフィスを神戸市内で開いていた。 こういったところにやって来るクライエントというのは大抵、誕生以来のバーストラウマのような問題を持ち抱えているものだ。 それに対応していくというのは、それなりの忍耐というものが必要である。

     

     しかし、私自身がベストコンディションでない時はとても疲労感に襲われる。 そんな状態が続くとクライエントに対して感応することが難しくなり、いつの間にかマニュアル反応するようになってしまう。 そんなとき、不動産屋の友人から 「そんな面倒くさい精神世界から早く足を洗ったらどうだ 同じやるなら精神を相手にするより、ボディを相手にしたほうがよっぽど気楽にやれると思うぞ!!」 と、軽く言われた。 私も 「それもそうだな」 と、軽い気持ちで返答した。 だがしかし、その軽く答えたはずが、だんだんとその気持ちが重くなってきた。

     

     それなら、よし ボディをメインにしよう!! そう決めた私は早速、ボディワークスクールの資料を集め、カイロプラクター養成所に入門し、2年間、カイロプラクティックの手技を学ぶことになったのである。 カイロを学ぶ傍らでインド正統派ヨーガの指導もこなしていた。 健康ヨガや美容ヨガ、○○ヨガというものと一線を画した本来目的である瞑想に主眼をおいた調息法をメインに指導したことで、本物志向の受講者からはとても受けが良かった。

     

     そして、カイロプラクターとして開業することになったのであるが、それは自分自身に納得のいくものではなかった。 というのも、カイロプラクティックは骨格の矯正を行う手技療法で矯正後は確かに改善されてはいる。 ただ、2~3日後、早ければ翌日、極端な例では矯正して帰宅後に元の矯正前に戻ってしまう場合もあった。

     

     この時、疑問に思ったことは、施術前と施術後では確実に骨格変異が改善されているのである。 また筋肉においても十分なマニプレーションを施しているにもかかわらず戻るのは何故なのか? この時期、大いに悩んだ。 ところがチャンスというのは訪れるものだ。 2年間のカイロ養成所を終えた後もスポーツトレーナ科や物療技術士科のコースを週に1~2回のペースで受講していたことが操体の出会いにつながっていくのである。 

     

     そういった講義の中で操体法(初期の操体法)も学んだ。 それがきっかけとなって当院において骨格が矯正前に戻った患者に、カイロ手技を再矯正した後に操体法の施術を試みた。 するとどうだろう、元に戻ってしまったという訴えがほぼ無くなったのである。 これはひょっとしたらひょっとするぞ!! と思った。 

     

     それから書店に行き、操体法関連の本を物色していた。 そして目に止まったのが 「哲学する操体 快からのメッセージ」 であった。 立ち読みすること30分、そうか、「快適感覚」 がキーワードだったのか その本を買い、その日のうちに読み終えた私は、以前知り得たある記憶がよみがえってきた。 

     

     それはホリスティック医学のセラピューティックタッチの概念である。 特にアメリカの看護師たちの間に広く浸透していたヒーリングテクニックであり、脳波の修正や慢性痛に苦しむ患者の症状の緩和を可能にしているものだ。 この本の著者である三浦寛師は皮膚操法という言葉で表現されていた。 日本国内においてもこのような研究者がいるのなら是非お会いしなければならないと思った。

  • 私のズッコケ操体クロニクル その7

    操体を知ることにより生活態度も変わってきました。

    以前は靴は脱ぎっぱなし。

    トイレは多少汚れてても放置。

    何か扉などを開く時はバタバタ音をさせていました。

    モノや事に対してあまり注意を払っていませんでした。

    少しずつですがそのようなことにも気を使い、ゆっくり動作するようになりました。 

     

    一週間お付き合いいただきありがとうございました。

    来週からは岡村さんが引継ぎます。

    どうぞよろしくお願いいたします。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

  • 私のズッコケ操体クロニクル その6

    数年前のフォーラムでの話。

    先生が被験者の方に触れずに鍼を打つとして空間を介して臨床を行っていました。

    この時点で何の話かわからないと思いますがとにかく触れずに臨床を行っていました。しかし、その被験者よりも私の方が反応してしまったようです。

    操体あるあるなのですがその空間にいると心地よくなりほとんど眠りかけていました。どちらが被験者なのかわからない状態でした。

    この経験は現在でもあり、操法をしているときによく起こります。

    講義に出ているのに寝てしまう。こんな状態がいつも続いています。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

  • 私のズッコケ操体クロニクル その5

    三浦先生の言葉でまだまだ理解できないことがたくさんあります。

    それってどういう意味と思いますが、自分自身でかなり咀嚼しなければなりません。

    非常に簡単なことですが難しい専門的な内容を人にうまく伝えるにはかなり精通する必要があると思います。

    空がなぜ青いのか?地球はなぜ丸いのか?子供から受けるような単純な質問になかなかうまく答えることができません。

    操体は何かとの問いに私もまだうまく答えることができません。

    まだまだ勉強が必要のようです。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル その4

    4年前に四十肩になってしまいました。

    転職活動のストレスと新しい職場でのストレスが重なったようです。

    四十肩になるとよくわかりますが、本当に痛くて手が肩が上がらないです。

    そのことあるかと思ってました。

    普段からからだのことについて操体の勉強をしているのに非常に恥ずかしかったです。三浦先生のところに患者として逆戻り半年間くらい通い続けました。

    これもいい勉強だと思い毎日どこまで腕が上がるか確認していましたが、そのこと自体も忘れたころに自然と肩の痛みが取れ腕が上がるようになっていました。

    ストレスは非常に怖いです。

    かと言ってストレスが全くない世界は想像ができません。

    ストレスとうまく付き合っていくことが非常に大切だと痛感しました。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル その3

     

    月に一度のある勉強会の時でした。

    三浦先生に指名されベットの上に仰向けになりました。

    これから石田を臨床するとのことでお腹の上に手をあてられました。

    そこからゲップが止まりません。

    手ではなくこんなものも効果があると今度は私のお腹の上にゲルマニウムに石を三浦先生は置きました。ゲップどころかおならも出そうでした。

    胃腸が活発に動き出したようです。そこから涙も止まらなくなりました。

    その間はからだに溜まっていたものが全てからだの外に出てきた感覚でした。

    以後、人の臨床中も見ているだけでゲップが出るようになりました。

    今では私の臨床効果の指標になってしまいました。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他

     

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル その2  

     

    操体の門を叩いたのち三浦先生の講習会に参加することになりました。

    講習会で早速、臨床が習えると思ったところ講義ばかり続き実際にからだに触れる臨床を全く行いませんでした。当時は騙された!と思っていました。

    理論ばかりで正直、当初講義は非常に苦痛でした。

    しかし習う毎にいろいろな気づきがあったのです。

    だんだん理解できました。

    なぜ私のからだが痛く不調だったのか?なぜ今までこんな生活や考え方をしていたのか?

    毎日の生活する上で全く気にかけて来なかったことが全て私のからだに反映されていたことに気がつきました。

    私のからだは他人が壊したのではなく自分自身で壊していたのです。

     

    2020年秋季東京操体フォーラムは11月23日(月)勤労感謝の日 オンライン(zoom)開催致します。テーマは「操体法クロニクルズ」他。
    登壇 三浦寛、半蔵、岡村郁生、瀧澤一寛、三浦寛幸、寺本雅一、畠山裕美他