輝かしい未来って言葉、結構好きだろ。
みんな好きなんじゃないかな。
輝かしい未来を手にするには、こんな言葉を知ってると役に立つぞ。
輝かしいって、まぶしいから見えなかったりする。
まぶしくて見えなくなった物を一緒に手にすると輝きが増すんだ。
未来の反対って、過去だろ。
全て繋がってるんだよ。
だから、未来と過去を結ぶ事に面白いコツが在る。
輝かしい未来とは、懐かしい未来でも在る。
どちらか一方では成り立たない。
過去が過去だけで存在しないように。
未来は単独で成り立つ訳が無い。
時間の流れが在るから未来が産まれる。
そこには必ず過去が在る。
繋がってる物を忘れると上手くいかない。
輝かしい未来には、懐かしい過去が一緒に乗らないと上手くいかない。
過去を切り捨てると、そこに穴がぽっかりと空く。
未来に希望を持ちたかったら、簡単だよ。
過去を大切に、懐かしさの上に新しい希望が乗ると良いんだよ。
切り捨てた未来は、ぶつ切りの未来。
そこには穴がいっぱい在る。
その穴は不安を創り出す。
繋がる事が秘訣なんだ。
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輝かしい未来とは、懐かしい未来である。
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学びが進めば言葉が変化する。
人は、言葉を喋る、言葉で色んな事を伝える。
学ぶ事は、言葉を頂く事でもある。
同じ物を、同じ言葉で説明する。
人の感じ方は、人によって様々になる。
りんごは誰でも、りんごと言う。
りんごは美味しい
この言葉から感じる事は、実はみんなが違う。
だから同じ事を、言葉にすると、実は違った言葉になる。
普通はそうなる。
りんごしか言えないのでは足りない。
美味しいりんごを味わえば。
その人なりの言葉に変る。
りんごは変らない。
同じ事を、みんなが同じ言葉で表現する。
そんな事は、絶対にない。
自分が感じた美味しさを言葉にしないと足りない。
食べた事のないりんごを食べた人の言葉で語る。
そんなのは信用が出来ないな。
同じ事を、師匠から学ぶ。
師匠と同じ言葉で、表現してる間はまだ足りない。
学んだ事が、違った表現になる。
師匠の言葉が、自分の言葉になった時には。
言葉が少し変化してる。
全く言葉が変る事も、実は在り得ない。
少し違ったニュアンスになったりする。
師匠と同じ顔なら、言葉も同じだけど。
体形も、趣味や、性格も全く同じなら、言葉も同じかもしれない。
そんな事は、絶対にない。
だから顔つきや、体つきや性格が、違うように言葉も変ってくる。
言葉が自分自身の物になれば、変るに決ってる。
言葉の奥に在る物が、そうなると見えてる。
その見えてる物こそは、師匠と同じ物だったりする。
師匠と同じ言葉しか喋らない弟子は、実は怪しかったりする。
師匠がこう言ったしか言わないのは、疑った方が良い。
師匠の言葉をきちんと教えながら、自分の言葉も持つ人は信用して良い。
自分の言葉しか喋らない人も怪しい。
この見極め方を知るとなかなか面白くなる。 -
心ころころ。
こころって言葉にろを加えると、ころころになる。
ろという字は路(道)炉(灯り)になったりもする。
道や道標は、移動する時に役に立つ。
何処かに行く時に、真っ直ぐな道は、実はそれ程無い。
心も真っ直ぐなのは、なかなか難しい。
コロコロしちゃうものなんだ。
真っ直ぐって本当に難しいんだ。
道が全部真っ直ぐな訳が無いだろ。
全部真っ直ぐな方が、実は遥かに難しい。
難しい事なのに、無理に当てはめると、ややこしくなる。
心は揺れ動くのが、どちらかと言えば正しい。
揺れ動く事で、実は心は真っ直ぐに進んでる。
目的に向かうのには、真っ直ぐな道はあまり無いのだから。
右や左に曲がったり、時には戻ったりしながら目的地に着く。
ころころと揺れ動きながら、進むのが実は当たり前。
進む道に灯りが在ると良い、その灯りは暖炉の灯りのように暖かい。
その灯りが見える方向が、きっとその人にとっての向かうべき道。
みんな暖かな何かに守られながら道を進む。
本当にそのようになって産まれて来ている、それが産まれた意味。
それが解かると、なかなか面白い。 -
地球の大きさは変らない。その2。
想う事は、消えるのかな。
想う事も、地球の中の現象ひとつ。
想う事も、きっと始まりは。
食べ物のエネルギーとか空気とか太陽の光とか。
色んな物を使って起きてる、命を育む全ての影響を受けてる。
地球全体の、影響を受けて始まる。
だから、きっとなくならない。
地球の大きさが変らないんだから。
想うという事も、きっと、形を変えてずーっと続いてゆく。
人が想う事で、色んな事が起きた。
空を飛びたいという想いが実って、人は空を飛べるようになった。
ライト兄弟に至るまでに、数えきれない人たちが、空を飛ぶ工夫を繰り返した。
いきなりライト兄弟が、在った訳じゃない気がする。
見えない想いは、きっと繋がり合って、影響しあって。
やがて実を結んだ気がする。
果実が実る大地は、悠久の生命の繰り返しの上に、成り立っている。
数億年前の生命の身体が、現在の大地に形を変えて残っている。
その生命の力は大地の栄養として、現代にも豊かな恵みを運んでくれる。
全てが、なくならない気がする。
形を変えて全てが、繋がってる。
僕はそんな風に感じる。
多分地球の大きさは変らない。
想いも多分消えない。
全て形を変えてずーっと続いてる。
心も、想いも多分、形を変えて残る、全て形を変えて続く。
だから、地球の大きさは変らない。
全て目の前に在る物は、今産まれた訳じゃない。
きっと数億年前に在った物が、形を変えてるに過ぎない。
全てが繋がっている。
それは過去から繋がり、未来へと繋がっている。
もしかしたら、数億年前に隣に在った物が、また隣に在るかも知れない。
同じ空気が時間を経て、形を変えて。
また同じ形で、すぐ傍に在ったりもするのかもしれない。
数億年後にも同じ空気が、またここに在るのかもしれない。
その為に形を変えて、存在するのかもしれない。
そう考えると、目の前のすべてに、不思議な愛おしさを感じたり。
上手く言葉に出来ない、不思議な感情を、感じたりもする。 -
地球の大きさは変らない。その1
物って、実は消えないんじゃないのかな。
そんな風に、この前感じた。
地球の物が本当に消えたら、地球は段々小さくなっていく。
地球って段々小さくなってるのかな?
なってないように感じるな。
地球が小さくなったら困るな。
なってないって思う。
なってたら困る。
なってたらそろそろ地球小さくなってる。
何億年も経ってるんだから。
なってる筈だ。
何億年も前の事は知らないけど。
なってない感じがするな。
地球の大きさが変ったら、宇宙でのバランスが狂う。
そうしたら、地球の位置とか変っちゃうぞ。
それは大変過ぎる。
きっと変ってない気がする。
雨が降る、川になって、海にたどり着く。
やがて蒸発して、空で雲になって、また雨になって帰ってくる。
地球の水って少なくなってるのかな。
なってないように感じる。
なったら困るだろうな。
もし少なくなってたら、何億年かかったらなくなってる。
まあ今も在るんだから、きっと減らないんだろうな。
僕の想像だけど、まあ多分当たってる気がする。
植物が産まれる、その恵みを動物が食べる。
木の実や葉を食べて、命を育む。
食べた植物は、動物の命となって身体の素になったり、エネルギーになる。
そのエネルギーは無くなるのかな。
エネルギーになった食べ物は、無くならない様な気がする。
動物のエネルギーは身体を動かす、その動いた事で、何かが変化する。
その変化が、また何かの変化を起こす。
その繋がりで、また何かが起きる。
その中で命が産まれたり、食べられて死んだり。
死んだ身体は、大地に帰って栄養になったり、常にお互いに影響を与えあってる。
影響という形で、存在は永遠に続く。
きっとなくならない。
全てが消えない、形としては消えても、影響という形で続いている気がする。
その影響で、また新しい物が産まれる。
そして、繋がり続いていく。
地球の大きさは変らない気がする。 -
妄想で暴走の1週間。
佐伯さん1週間お疲れ様でした。
あはは 息切れですか。充分堪能させて頂きました、お疲れ様でした。
さて 今週1週間宜しくお願いします。
妄想で暴走の1週間で行っちゃおうかと。
僕はお気楽なので、あまり息切れしないのです。好きな事って疲れないのです。
好きな事しか僕はやらない。
好きな事の為に努力はするけど。
それ以外はやりません。
だから、疲れないのです。
操体では言葉を大切にする。
言葉は運命のハンドルと、橋本先生は言っていたらしい。
お気楽な僕は、言葉遊び好きなのです。
言葉で遊んじゃうのです。
遊ぶって、実は興味を持って、広げる事でも在る。
真剣に遊べば、真剣に色んな物に興味を持ち、それが広がってゆく。
真剣って言葉をパソコンで変換してみる。
親権、神権、真剣、新券、真券、神剣。
色んな字が出てくる。
同じ言葉で、違った漢字が在る。
意味が違っても、共通点が在るのかな。
それを考えながら、遊んだりすると、面白い。
親の権利、神の権利、本当の剣、新しい券、本当の券、神の剣。
みんな真剣に向き合うと、やがて本物になってゆくのかな。
そんな風に遊びながら考えると、
また新しい面白い事が見えて来たりする気がする。
そんな僕を、橋本先生が見たらなんて言うのかな。
言葉で遊ぶと面白い、面白いと、面白い事がやって来る気がするんです。
今週は、僕の妄想で暴走の言葉をお届けします。
毎月月刊フルコンタクト空手という本に僕は連載をしてるんです。
妄想で暴走の武術小説です。
現在3回目、次回からの舞台は仙台になります。
1970年代の仙台が舞台。
そこには、橋本先生もいたし、三浦先生は修業中、まだ若い弟子だった時代。
そのうち登場するかもです。
妄想で暴走ですから、広がると時間と空間は、関係ないのです。
武術の本当の事は、実は、小説よりも面白い。
本当の事って実は、小説を軽く越えてるんです。
だから、事実として書くと、なかなか理解してもらえない。
小説として書いた方が、世間は受け入れやすい。
妄想で暴走しながら書くと、自分の知らない言葉が出て来たりする。
その言葉は、案外本当の言葉だったりもする。
その言葉は、やがて本当になったりもする。
想うってそんな事に通じる。
想いが全てを創りあげるのですから。
今週1週間よろしくお願いします。 -
文明の生態史観 その4
みなさん、おはようございます。
今日は、ブログ最終日。
これで、やっと肩の荷が降ります・・・・なんて、終わったようなことをいってはいけません!
今日が一番大切な日。駅伝レースでいえば、タスキをエース・平直行選手にわたすラストスパートの時期なのです。
では、給水地点でお水を頭からぶっかけて、突っ走ることにいたしましょう!昨日までに、梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」のアウトラインを、説明いたしました。まだまだ説明しきれないところが多いのですが、このブログを通して「文明の生態史観」に興味をお持ちになった方は、中公文庫から、「文明の生態史観」が単行本(743円+税)で出版されています。
購入されても、よろしいかと・・・この本の中では、日本とヨーロッパの歴史的推移が並行で、そのシステムもほぼ共通していることなどを、詳しく述べておられます。また、第二地域における、東ヨーロッパと東南アジアとの相関性。
まさしく現在、この2つの地域で起こっていることを予言しているかのようです・・・・おっと・・給水地点で水をかぶったまま、立ち話をしてしまいました・・じゃ、そろそろラストスパート。
第一、第二地域は、歴史、環境、文化は全くちがっていても、今、地球上にいるすべての人々の共通ののぞみは、何かというと・・・・梅棹先生は次のように、述べておられます。
「現代のすべての人間の共通ののぞみはなにかというと。もし、そういうものがあるとしたら、それは、“よりよいくらし”ということにちがいない。・・・中略・・・生活水準の上昇ということは、現に相対的にたかい水準にある第一地域の人間も、相対的にひくい第二地域の人間も、ともにふくめて、みんなの悲願である。」
この“よりよいくらし”これこそ、操体のもっとも大切にしている快適感覚だと思います。
梅棹先生は、生命の有り様に法則性を見いだす学問・生態学の立場から人類の歴史、文明を説き明かそうとしています。
そのなかで、梅棹先生がお分かりになっていたのは、生命活動は全て快の方向に向いているということだった・・・といえるのではないでしょうか。過去の歴史学者でこのような生命の方向性を堂々と述べた人は、いないと思います。
人間が作り上げた文明も所詮、この地球上での生命活動にしかすぎず、なんらかの自然法則にしたがって生きているにすぎない。そして、その根底には、“よりよいくらし”を願うきもちがあると、梅棹先生は看破されていたのです。ここまで述べてみると、操体の創始者である橋本敬三先生の生命観と共通したものを感じます。
そこで、改めて「文明の生態史観」を読み始めました。
この本は多岐にわたって述べておられるので、まだ全く読んでいないところもあったのです。最後の章に、「比較宗教論へのおぼえがき」がありました。
この章を読み、自然法則を熟視した上で誰もが考えなかった壮大な視点に、思わずめまいのようなふるえを感じました。
このように柔軟で壮大な発想ができる人が天才。ここでは、宗教という現象を生態学的観点からどのように理解するか様々な考察がなされます。
そのなかで、宗教のアナロジカル(類推的)な現象として、伝染病があるとし、その類似点を列挙されています。「第一は、病原体の存在である。バクテリアであれウイルスであれ、なんらかの病原体が存在しなければ伝染病は成立しない。おなじように、高級なものであれ低級なものであれ、なんらかの宗教的観念あるいは行為というものが伝達されなければ、宗教は成立しない。
第二に、流行病の場合には、病原体を広範囲にまきちらさなければ流行病は成立しない。宗教の場合も、特定の宗教的観念の伝播者の存在によってひろまる。それは、予言者や教祖のこともあるし、それにしたがうおおくの使徒たち、あるいは司祭者、僧職などの伝播の専門家であってもよいし、その宗教的観念の単なる保持者―いわば保菌者―であってもよい。
第三に、伝染病は、病気によるけれど、体内への病原体の侵入によってかならず発病するとはかぎらない。個人の健康条件によってかなりの差がある。宗教の場合も、特定の宗教的観念に感染しても、その個人がその宗教にそまるとはかぎらない。
第四に、伝染病の蔓延におけるおおきな要因は、社会である。社会構造、その居住様式、衛生状態、組織などが決定的な役割をもっている。宗教の場合も、まったくおなじである。
第五に、伝染病の場合は、社会的要因をもつつみこんで、そのいっそう基礎的な条件として、一般的な環境条件をかんがえなければならない。たとえば、気候とか、水利とかの問題である。宗教の場合もまた、おそらくはおなじような広汎な環境条件の役わりもかんがえなければならないだろう。」また、病気というものを様々な要因の総合的観点からみる疫学を方法論として、宗教・精神を研究してみようともされています。
このように、生態学的な視点で、人間の作り上げたありとあらゆるものを一度、バラバラにして見直してみる、しかも何の偏見もなく・・・この姿勢を貫き通すことができるのが天才なのでしょう。
そこに橋本敬三先生の業績、生き方がオーバーラップします。
橋本哲学の中に、他人に代わってやってもらうことのできない自己責任の営みとして、「息・食・動・想」がありますが、これを、他の惑星に代わってやってもらうことのできない地球責任の営みとして、「大気の流れ・生態系全てを含めたエネルギーの交換・人の活動・宗教」と無理やりこじつけてみました。
そうすると、「息・食・動」の三つが、「大気の流れ・生態系全てを含めたエネルギーの交換・人の活動」となり、梅棹先生の展開された文明の生態史観の展開するところ、そして「想」が、「宗教」となり「比較宗教論へのおぼえがき」にあたるように思えるのです。地球という生命体も、母親のおなかにいる胎児も、大海の大波も、露草のしずくも、全部で一つ、一つが全部の相似形。
そして、すべては快に向かっているのです。というところで、足がよろけはじめました・・・もう、のどがかわいて・・・あたまはボーッ・・・あとは、平さんに・・・・・
みなさま、おつきあいほんとうにありがとうございました!佐伯惟弘
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文明の生態史観 その3
皆さん、おはようございます!
今日はブログの6日目。残すところあと2日。
早速、梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」をわたしの理解している範囲で、ご紹介いたしましょう。
昨日は、旧大陸の文明が高度に発達した地域を第一地域、そうでない地域を第二地域とした、というところまでお話いたしました。
その第一地域は、日本とヨーロッパ。
第二地域は、中国、東南アジア、インド、ロシア、イスラム諸国、東欧といった国々。
現在では、中国や東欧が先進国に仲間入りしてきましたが、1955年、梅棹先生が見聞された時に、標準をあわせて戴きたいと思います。さてこの「文明の生態史観」でもっともポイントとなる視点の一つに、サクセッション(遷移)理論があります。これは人間の歴史の法則を知るための理論モデル。
つまり、植物や動物の自然共同体は、一定の条件のもとでは、その共同体が一定の法則にしたがって遷移するのです。
例えば、裸地→苔類・地衣類→草木植物→低木林→陽樹林→陰樹林と遷移するのは自然法則。
環境に常に左右され生命活動が営まれているのが人間共同体。それならば、この自然法則が人間の歴史・文明にも成り立つではないか?という斬新な視点を提示されたのです。
これが、「生態史観」といわれる由縁です。
著明な歴史学者アーノルドJトインビー氏は、古代から今にいたるまでの人類文明に第一代、第二代、第三代文明と名称を与え、文明は発生、成長、衰退、解体を経て次の世代の文明へと移行するという仮説を立てました。また、地球の歴史、生命の歴史の尺度では、近々数千年の歴史などは、みな同時代にすぎない、という見方で、日本文明はすでに、12世紀から解体期にはいっているとみなされています。
この学説は、西洋人が見た偏見であり、あくまで仮説に過ぎないとかんがえたのが、梅棹先生でした。
本の中で、
「私が世界史をやりたいとおもったのは、人間の歴史の法則をしりたいからだ。・・・・わたしの頭のなかに、理論のモデルとして、生態学理論をおいている。・・・・進化ということばは、いかにも血統的・系譜的である。それはわたしの本意ではない。わたしの意図するところは、共同体の生活様式の変化である。それなら、生態学でいうところの遷移(サクセッション)である。進化はたとえだが、サクセッションはたとえではない。」
と強い口調で、トインビー学説に挑戦されています。このサクセッション理論の発想は、日本人的だと思うのです。
便利のいい都会の真ん中に大きな教会をたて、多くのひとびとを集客する人間中心の西洋的な考えと、ケガレのないイヤシロチという磁場の高いところに神社仏閣を置く日本人の発想はおのずと違ってきます。
古代から自然崇拝の思想を守りつづけ、その法則性に神を感じていた日本人。
梅棹先生のDNAにそんな感性が宿っており、アフガニスタン・インドの学術探検隊での体験、トインビー来日による講演拝聴が起爆剤となって、一気に花開いたのだと思います。サクセッションという現象がおこるのは、主体と環境との相互作用の結果がつもりつもって、まえの生活様式では治まりきれなくなって、つぎの生活様式にうつるという現象。
つまり、脱皮にも似た変化。
地球という生命体が、あちらこちらで脱皮をくりかえし、その脱皮の影響を受けたり、与えたりして生物としての人間が、共同体を作っていった。そしてその共同体も脱皮をしていったと考えてもいいのではないでしょうか。それでは、第一地域と、第二地域の違いを簡単に述べてみます。まず古代史においては、第一地域は全然問題になりません。第二地域では黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、インド文明らいくつもの大帝国が成立し崩壊する歴史をたどっています。
また、この地域は巨大な乾燥地域。
梅棹先生は「乾燥地帯は悪魔の巣だ」まで述べておられます。少し極端な気もしますが、破壊と征服を繰り返した地域であることに、違いはありません。
そしてこの第二地域、近世に入って、初めて遊牧的暴力が鎮圧され、中国、ロシア、インド、トルコが近世の四大帝国として、成立します。第一地域の特徴は、中緯度温帯の適度の雨量、高い土地の生産力があり、幸いにも第二地域からの攻撃・破壊をまぬがれました。
梅棹先生は、次のように説明されています。
「第一地域というところは、まんまと第二地域からの攻撃と破壊をまぬかれた温室みたいなところだ。その社会は、そのなかの箱いりだ。条件のよいところで、ぬくぬくとそだって、何回かの脱皮をして、今日にいたった、というのがわたしのかんがえである。
サクセッションの理論をあてはめるならば、第一地域というのは、ちゃんとサクセッションが順序よく進行した地域である。そういうところでは、歴史は、主として、共同体の内部からの力による展開として理解することができる。いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッションである。それに対して、第二地域では、歴史はむしろ共同体の外部からの力によってうごかされることがおおい。サクセッションといえば、それはアロジェニック(他成的)なサクセッションである。」
これぞ、文明の生態史観と呼ぶべき文章だと思います。胸のすくような理論ではありませんか。
それでは、それぞれの地域でひとびとは何を思い生活していったのでしょうか?
明日、最終日は、ひとびとの思いというところから始めたいと思います。
おつきあい、本当にありがとうございました。
では、また明日、ごきげんよう!佐伯惟弘
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文明の生態史観 その2
みなさん、おはようございます。今日はブログの5日目。
だんだん寒くなってきました。もう京都・美山町では雪囲いをしている頃でしょう。
もうそろそろ「ゆきんこ」が飛び始めているのでは・・・
などと思いを馳せながら、昨日に続き「文明の生態史観」を、ご紹介したいと思います。アフガニスタン・インドの旅行の末、梅棹先生を襲った日本に対するイメージのギャップ。これは、様々なジャンルの専門家と知的な刺激をかわしながら、全く異質の文化をもつ国々を探索したための、必然であり、我々一般人にとってありがたい示唆をいただくまでの胎動期だったのです。
梅棹先生は、2000年も前の思想や歴史を今も相変わらず学んでいるインドや、一夫多妻制のイスラム教国の生活に触れ、日本の特殊性に気づかれます。
明治以来の近代化は、日本では「西洋化」などと言われてはいますが、これはなされるべきしてなされたもの。当然のなりゆきとして近代化されたと梅棹先生は思われたのです。
つまり、インドのような国が近代化に際してのりこえなくてはならない問題は山積み。
カースト制、人口過剰、貧困・・・日本はこれらの国とは、まったく違うあゆみをしていたのです。そこで、この特殊な国・日本をどのような座標軸でみるか?それは、世界をどうみるかと裏腹の関係になります。
本のなかで、
「現代の世界という空間のなかで、日本がしめている位置の、正確な座標を決定すること。それが当面の課題である。」
と述べておられます。それでは、どのようにみるか。
この世界を旧世界と新世界に分ける。
新世界は、南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ。
旧世界とは、アジア、ヨーロッパおよび北アフリカまでふくむ地域。
ここで爽快なのは、新世界は無視。
理由は「かんがえがまとまらない」とのことでしたが、歴史的にみれば、表面的に過ぎないと判断されたのでしょう。そして座標軸として、「文化の機能論的な見方」としました。
つまり、文化を歴史的な由来・系譜的にみるのではなく、どのように組み合わさり、どのように働くかという機能に焦点を合わせてみたのです。
本の中では、
「共同体のもつ文化を、つみ木にたとえよう。ひとつひとつのつみ木の色は、いろいろあるかもしれない。しかし、個々の木片の色は、つみあげた構築物の形とおおきさには関係はない。」
素材はなんでもよい、ただそれをどのように構築して、何を作り上げるかが機能である。そして機能をどのように展開していくかが、文化・デザインであると述べておられるのです。この座標で、日本をみるとどうなるか・・・高度の近代文明国家。
「いちいち文明の特徴をあげるまでもないが、たとえば、巨大な工業力である。それから、全国にはりめぐらされた膨大な交通通信網。完備した行政組織、教育制度。教育の普及、豊富な物資、生活水準のたかさ。たかい平均年齢、ひくい死亡率。発達した学問、芸術。」と述べられています。
たしかに、日本はとんでもない文明を誇っている国。
この本が出版されたのは、今から40年以上も前のことです。その後現在に至るまで、加速度的にその機能は進化し続けています。
それでは、この日本と同等の文明を保っている国は・・・旧世界では、ヨーロッパのみです。
そこで、日本とヨーロッパを第一地域とし、それ以外の旧世界を第二地域とします。
アメリカ大陸、オーストラリア大陸を除いたユーラシア大陸と一部のアフリカ大陸の地図上では、この第一地域は東の端と西の端に、ぽつんと存在しており、第二地域はユーラシア大陸を斜めに大きく覆っています。さてこの二つに分けられた地域の共通点や特徴はいかに・・・これは明日ご紹介いたしましょう。
では ごきげんよう!ありがとうございました。
佐伯惟弘
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文明の生態史観 その1
みなさん、おはようございます!
今日はブログの4日目なかびで、12月最初の日、大安です。
なんとなく、いい感じ・・・それでは、始めましょう。今年の8月、京都・大徳寺で東京操体フォーラムin京都が行われました。このご縁を作って下さったのが、京都・美山町在住の梅棹マヤオ・美衣ご夫妻。
25年ほど前からのお付き合いで、独り者になった私は、大晦日から正月は梅棹家で過ごすのが恒例になっています。
この梅棹マヤオさんのお父さんが文化人類学者・梅棹忠夫先生。梅棹先生は、京大今西錦司門下で日本における文化人類学のパイオニアです。
生態学を出発点とし、動物社会学を経て、民族学(文化人類学)、比較文明論に研究を展開。
90才を迎えられた今年の7月にご逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
1才過ぎの我が娘が、眼をお悪くされた梅棹先生のお顔を、
「パンパン、パチパチ」と叩いて何とかコミュニケーションを取ろうとすると、それにニコニコと満面の笑顔でお返しして下さいました。
茅葺き民家の囲炉裏のある空間。
娘と先生のたった一度の出会いの場面が今も瞼に焼き付いています。
この梅棹先生の著明な書に「文明の生態史観」があります。この本を読んだ時の感動・・というか快感・・これはとんでもないものでした。
生まれて初めて、知的快感を得た書物と言ってよいでしょう。
そこで、今回は「文明の生態史観」を紹介するという身の程知らずの大胆な挑戦をしてみたいと思います。
まあ〜いつまでたっても、ノー天気のおバカさん。さてこの「文明の生態史観」が生まれてくるきっかけとなったのが、1955年5月から11月までのカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊。
これは、京都大学が組織した植物学、地質学、人類学、考古学、言語学、医学などの専門家がアフガニスタン・パキスタン・インドおよびイランの四カ国を戦後はじめて調査したものです。
自然科学・動物学を専門とされていた梅棹先生がこの半年の体験で比較文明という壮大な分野を創世されるにいたったのは、インドでの体験が大きいようです。
東洋の国・インドという言葉は、西洋人から見たイメージ。
実際には、コーカソイド系統のインド人は肌が黒いだけのヨーロッパ人。
もともと東洋という言葉も、ヨーロッパ以外の東の国という非常にアバウトな表現。
また、感性豊かな梅棹先生は、アフガニスタンからインドを旅する間に揺れ動く日本へのイメージを次のように述べられています。「わたしは、アフガニスタンを旅行しながら、日本の、おそるべき人口密度のことをかんがえた。大阪や東京の街頭風景がおもいだされてくるのである。いつはてるともしれぬひとのながれが、ざわざわ、ざわざわと、わたしの頭のなかを、いったりきたりする。日本はこれから、どうなるのだろうか。日本の人口問題の深刻さをかんがえて、わたしは、くらい気持ちになる。そして、アフガニスタンにおける人口密度の希薄さをうらやましいとおもう。
ところが、わたしは、アフガニスタンからあと、パキスタン、インドをとおって日本にかえってきた。そして、そのうえで日本をみると、ひどく印象がちがうのである。東京の街頭にたって、あたりをながめまわす。アフガニスタンにいたときに、わたしの頭のなかをいったりきたりした、あのおびただしい群衆のすがたは、どこにもない。現実の東京の街頭には、人かげは、ほんのまばらに、みえるだけなのである。わたしはいつのまにか、日本の群集のイメージを、現実よりもうんとコンパクトなものに、頭のなかでかってにつくりかえていたのであろうか。
現実の東京が人口希薄にみえる最大の理由は、わたしがインドをとおってかえってきたからにちがいない。インドの街頭風景はみてきたばかりである。そのイメージは、まだ変形をうけていない。わたしは、あのカルカッタの下町にうごめく群集の姿を、一種のものすごさの感じとともにおもいおこす。」梅棹先生の頭に去来するイメージのギャップ。
ものごとを何の偏見もなくみることの難しさ、そして大切さを痛感されたのだと思います。
(少し余談になりますが、梅棹先生の文章は、本当に読みやすいのです。なぜなら、ひらがなが多いからです。改めて、引用された文章をごらんになるとお分かりだと思います。
ご自身の資質にたいする誇りと、アカデミズムに対する強い反抗心、そして一般の人々に対する愛情を感じます。)さて、この激しいイメージのギャップから、何が生まれてくるのでしょうか?
明日から、本題の「文明の生態史観」解説に入って行きたいと思います。おつきあいのほど宜しくお願いいたします。
ありがとうございました!佐伯惟弘
