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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]クオリティ・オブ・ライフ

    (Quality of life)

    日本語でいえば、治療の重点を延命のみにおかず、
    いかにして人間らしい生活を送ることが出来るか。

    これを私的にまとめるとするなら、
    ”イノチの流れを重視したシステム”となる

    また、「操体」は未病医学であり、
    健康な人間は 病気にならないために。
    病気を患った人間は また病気をしないために。
    予防を超えていく、故に未病医学となりうる。

    別の言葉で言えば、
    健康維持増進医学であるからこそ、
    未病医学となりうる。

    ”からだ”の要求を聴くこと。
    まさに、生命感覚による診断治療システムとも言える。

    では、真逆をしてみるとどうなるのか?
    それは、応急処置ありきの治療のみ選択すればいい。

    局所症状、この状態変化なら「局所治療」で済む。
    患者は立派な効果があるんだから「文句ない」で済む。

    「からだ」は語る。
    「コレ・・クリカエシタクナイ・・ダカラ・・・
     ・・クリカエサナイタメ・・ニ・・ダレカ・・・」

    応急処置主義を打ち砕く!そう捉えているのではなくて、
    結果があって経過もあり、万事に必要な選択枝はある。

    畳だって、表もあれば・・・裏もある。
    私は、原理原則を追究していく学びとして、
    陰陽未分の学びとなる、「操体」を選択している。

    現在の「からだ」に帰結しうる結果とは、
    操体を学べばわかるようになるのである。

    それは、結果から観ること。
    (三浦理事長曰く「息診」という診断法による)

    状態変化、それを原始感覚をききわける。
    感覚をききける意味は、生命(Life)感覚と感応すること。

    それこそ生命の感応であり、「クオリティ」なのだ。

    「クォリティ」とは、多様で、多重で、多層なのである。

    そして「クォリティ」とは”事物”ではなく”事象”である。

    禅とオートバイ修理技術―価値の探求 (シリーズ精神とランドスケープ)

    禅とオートバイ修理技術―価値の探求 (シリーズ精神とランドスケープ)

    (以前三浦理事長からお借りして、今では私の”心書”となった)

  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]学衆となって学習

     ”雲流れるが如く、水流れるが如く”に憧れている岡村郁生です。
     今週一週間、コツコツ打ちますので宜しくお願いします。

     岩吉実行委員のブログ、、操体を奏でる吟遊詩人のようでしたね。

     実は、畠山裕海理事の紹介で、私自身が一番苦手であろう分野、
    「想い」を活字にする様々な方法を学び取る「イシス編集学校」
    にて「守」に入門、晴れて学衆となりました。

     「ISIS編集学校とは」

     ISIS編集学校の最高責任者は、
    言わずとしれたあの、松岡正剛校長先生です。

     先日八分儀会で講演して頂いた太田剛先生も、畠山常任理事と
    この編集学校で繋がり、御縁あって三浦理事長とも繋がり、現在
    東京操体フォーラムの相談役をお願いしております。

     この編集学校に入ってオカムラを待っていたのは、「お題」です。
    お題を推敲し→回答→師範代の指南→場合によって再回答を促す。

     このように様々な”お題”を通じ、真剣に指南して頂く師範代には、
    適当は許されません。本気でお題に取り組んでいないと師範代はピン
    とくるようで、ことあるごとに丁寧なご指導を頂けるのです。

     学び始めてわかったのは、必然と”自分に向き合わざるをえない。
    ”お題”の連続に、あらゆる方向から、お題に向き合いつつも、それ
    までの自分に向き合い、さらけだし、問いかけるという体験をします。

     学んだことは、必死に取り組む。
    必死にお題を解くなかで、何かのモードが変わり面白くなるのです。
     知らない言葉に辞書を引き、鍵となるのものを引き、「自分」とい
    う鍵穴に合っているのか考える習慣を身につけていくようです。

     例えば、類語で「馬鹿」を調べたとしましょう。
     馬鹿の意味を辞書で調べると、こうあります。
    「不器用ながらも一つの道を曲げずに歩き続けること。その上で
    何らかのものを大成する、このような姿を「馬鹿」と書いてある。

     類語で言えば、「愚直の一念」というのもあり、さらに「木訥」
    という言葉も、類語ではないのですが、なんとなく似ているのです。
    「素直ではあるものの、気が利かないために何かの時に役に立てない」
     しかし、その直向きな姿や実直な態度に感動を与えられる瞬間はあり、
    少なくとも、そのような人間が居てくれることは幸いに感じている。

     なんでも疑問を感じて、調べていく。
    学ぶ姿勢・・・この習慣を身につける重要性は「操体」も同じです。

     だから、今日言いたかったこと。
    自分自身を、最高の”個性真理体”として受け入れること!
    (個性真理体とは八分儀会の際に理事長から頂きました)

     いまを何一つためらうことなく、信じ抜いて逝ける努力を欠かさない。
     逝けるとは生けること。
     花を生けるのも、自分を生けるのも、変わらないように・・・謙虚に。

     貫くことは辛くとも生き抜いてきたこと。

    梵天丸もかくありたい!」とは若き日の伊達政宗の言葉ですが、

    岡村郁生という人間も、かくありたい・・・・。

    松岡正剛 切ない言葉―セイゴオ語録〈2〉 (セイゴオ語録 2)

    松岡正剛 切ない言葉―セイゴオ語録〈2〉 (セイゴオ語録 2)

    「蝶が死ぬとき、花も死ぬ。蟻が行くとき風が逝く」

             〜似たり寄ったりの消息『眼の劇場』松岡正剛校長〜

    というわけで、「操体」と「編集」はとても相性が宜しいようでございます。

  • 先日、橋本先生が昔NHKに出演した時の番組を初めて拝見させていただきました。
    今まで本や写真でしか見たことのない橋本先生が動いているのだ。
    (あたりまえのことだが)
    橋本先生の声の質、仕草、雰囲気すべてがやさしさに包まれていた。
    その番組の中では息子さんや奥様が橋本先生の診療方法が理解されていない様子が、私の妻にも操体ことをまだすべて理解していないことにリンクして共感した。
    操体法の基礎となる第一分析に関しても橋本先生は患者に非常に優しい声で対応していた。
    赤ちゃんの患者に対してのくすぐり療法も橋本先生から人柄が非常にでていた光景でした。
    番組の最初から最後まで橋本先生が話されている内容はすべて三浦先生が普段使用している言葉だったのが非常に印象的だった。
    まるで生き写しのようだ。
    何度も番組をみるたびに三浦先生の橋本先生への愛が伝わってくる。
    講義中に何度も「偉人」と称された三浦先生の意図がハッキリとわかる瞬間でした。
    かくして私も三浦先生に憧れて講義を受け、ただいま勉強中だ。
    少しでも操体の真意が他の方々に伝わればいいのだが。

  •  
    10月17日(木)有楽町交通会館の中にある三省堂へ島田先生の新刊「星籠(せいろ)の海」の発売を記念してのサイン会に参加して来ました。
    知人の紹介を受けて読み始めたのがきっかけではまってしまい、もうすでに40冊近くの作品を読んだ。
    作品はほとんどがミステリーで御手洗シリーズを始め、最近では写楽が誰かのなぞに迫った「写楽 閉じた国の幻」ものなどがある。
    書店に売っていないものはAmazonで古本を購入して読んだ。
    ミステリーだが非常に優しさが伝わる文章でその人なりが非常に出ていた。
    当日は会社を休み18時30分からスタートのサイン会に17時には書店にいた。
    思い出してみれば人生初のサイン会の出席に非常に緊張した。
    島田先生にお会いしたら何を質問したら良いかずっと考えていた。
    早く出向いたこともあり5番目に順番が回ってきた。
    本の紹介欄に島田先生はロサンジェルス在住と書いてあったので、日本で会えると思っていなかった。
    そのことを問い合わせると「あそこはもう引き上げちゃった。」と。
    「私はまだにわかファンです。」「これからも先生の作品どんどん読みます!」と伝えた。
    興奮して何を話していいかわからなかった。
    一緒に写真を撮って頂けるということでパチリ。握手も。

    作品同様、島田先生の優しさに触れた瞬間でした。
    このような人との出会いが人生を高めて行くのだなと実感しました。
    操体でもこの体験を活かして行きたいです。

    星籠の海 上

    星籠の海 上

    星籠の海 下

    星籠の海 下

  • 私はどうもメールが苦手だ。
    普段の仕事でこの内容はどうも揉めそうな案件がある場合は必ず会いに行く。
    もちろん相手の都合で会えない場合がある。
    例えば相手が海外にいる場合などがそうだ。
    最近はWebやコミュニケーションツールが発達し伝言のやり取りはできる。
    Skype(テレビ電話)は非常に便利で私は英会話の勉強などに利用している。
    しかし、本当の真意や意思などはわかりづらい時がある。
    よくメールでは気持ち半分も伝わらないと言われている。
    私の中の優先順位は 会う→電話→メール にしている。
    本社(アメリカ)の方がたまに日本へやってくる。
    メールしかやり取りしていなかった相手と実際に会って話しをするとやはり親近感が沸く。
    日本ではあまり習慣のない握手(シェイクハンド)もスキンシップの重要な要素だと思う。
    お互い個々の考えがあるのでいろんな意見があると思う。
    私もカタコトの英語でも手を交え、目を見て何とか意思を伝える。
    言葉が多少通じなくても何とかなるものだ。
    操体も究極は言葉が要らないかもしれませんね。

  • 「出会い」は重要ですね。
    ふとしたこと、思いがけないことで意気投合することがよくあります。
    みなさん程ではないですが、私はパッと見た瞬間から
    「この人とは仲良くなれる」「この人は面白い!」と興味が沸く場合があります。
    以前バスケットボールをしていてたまたま練習場であった見知らぬ人。
    その人とすぐに意気投合し友達なった。
    好きでもないチームの野球試合に無理やり連れて行った野球場で彼は今の奥さんと出会い結婚した。
    間接的にその彼は私と出会わなければ今の奥さんと結婚できなかった。
    同じ波長、同じ志を持っている方は引かれ合う。
    ジョジョ的にいえば、同じスタンド使いは引かれ合う。(知らない方はあしからず。)
    今、三浦先生の下で学ばせていただけるのも何かのご縁。
    大切にしたいです。

  • 私は営業なので多少なりとは身なりに気を使っている。
    初めて出会う人、極端に言えば初めて電話する人はなるべく紳士に対応しようと心掛けている。
    人の中身は性格だと言われる方がいらっしゃるが、私はそれだけとは思わない。
    人は視覚から入る情報で瞬時にいろんなことを判断していると思う。
    以前「人は見た目が9割」という本を読んだが、まさにその通りだと思う。
    私は既婚者であるが独身女性に「好みのタイプは?」と聞くと、
    大抵の方が「普通の人なら」「どんな人でも」「性格が良ければ」と答えが返ってくる。
    そこで私は意地悪に「不潔な人は?」「服装がだらしない人は?」と聞くと必ずその人たちの答えは「NO!」だ。
    正確重視と言いながらもやはり人は目から入ってくる情報でかなりのことを判断している。
    私は患者として治療を受けている時、三浦先生は診て頂きたいところをズバリ指摘してくれる。
    神眼?などと思ったが、三浦先生に尋ねると「空間でわかる」との答え。
    三浦先生に習う前に何度も聞いた。
    「これは三浦先生しかできない技なのか?」、答えは「ちゃんと勉強すれば誰でもできる!」
    だが、そんな簡単に会得できる技術でないことは今十分理解しているつもりです。

    人は見た目が9割 (新潮新書)

    人は見た目が9割 (新潮新書)

  • 私が面白いと思う話と面白くない話は決まっているような気がします。
    単純に言えばそこにリアリティがあるか無いかではないでしょうか?
    話し手の体験談であれば非常に興味深い話でありますが、話し手が誰かに聞いた話であれば「へぇー」とか「ほー」としか返事が出来ない場合が多いです。
    また、おしゃべりである人が興味深い話をいつもしているかと思えばそうでもないケースが多々あります。

    患者としてお会いした時の三浦先生との話ですが、治療後に何かとべらべらと語られず間の静けさがあり私が興味のあることだけを非常に丁寧に答えて頂けた。
    私は現在、一介のサラリーマン(営業)であるが営業はよくしゃべることが得意?重要?だと思われる方が多くと思いますがそれは違うと考えます。
    よく例えられるのが医者と患者の関係。
    営業は医者となり、お客様である患者の病状(要望、不満点、改善点)を聞かせていただく、もしくは探ることだと思っています。
    そのことで相手の状況を知り意見や提案をしていく。

    通常のマッサージでは「からだ」の問いかけへはせずに、お客様のどこが痛い、気になる箇所を要望に合わせるだけ。
    操体の場合はそれを「からだ」に聞きわけるようにするから面白い。

    営業にもこれといったマニュアルはない。
    しかし、作法はある。
    操体と営業を結びつけてしまうのは私だけなのだろうか?

  • 本日から1週間、石田が担当させていただきます。
    よろしくお願い致します。

    私は暇さえあれば本を読む習慣があります。
    本当の隙間の時間、例えば電車の移動、トイレの中。
    読む本は大抵が小説でミステリーが多いです。
    なぜ、ミステリーが好きかというとそこには先の読めない展開が待っているからです。

    話は変わりますが、最初に患者として三浦先生に治療をして頂いた時に当時の私は最悪のからだの状態でした。
    当時の私は仕事の合間に週に1度、ひどい時は週に2度足裏マッサージ、鍼などへ行っていました。
    マッサージや鍼が終わった後その場ではからだの調子が良くなった気がしますが、下手をすれば2時間後にはまたマッサージに行きたいと思う要求がありました。
    強い刺激を求め何度も通いましたが、一向に痛みや違和感が改善されません。
    むしろ治療時間と回数の要求が増すばかりでした。
    母の勧めで三浦先生を紹介していただき何度か訪問するようになりました。
    当時の私は今では考えられませんが「まずは先生に治してもらおう」という考えで自分の生活態度やからだのメンテナンスに関してすべて無頓着でした。

    通い始めて1ヶ月後、母に文句を言いました。
    「全く痛みが改善されない。肩こりも治らない。」と。
    今、考えると大変恥ずかしい、また三浦先生に失礼な発言ですが当時の私はそうでした。
    母からはもう少し我慢して通ってみては?と言われ、その後も通ってみました。
    不思議なことに2ヶ月後くらいしてから首、肩への痛みの意識がなくなり始めました。

    その後、なぜ痛みが改善したか?肩や首への負担が減ったか?訳がわかりませんでした。
    治療後、三浦先生に何度もいろいろ話しを伺っても一向に自分が納得のいく回答が得られません。
    が、結果としてからだが改善されている事実には変わりがありません。

    現在、このような縁があって三浦先生にご指導いただいております。

    私にとって操体との出会いはまさに長編ミステリーを読んでいるかの如く、未知で難解。
    しかし、学ぶことに寄って少しではありますが操体に触れることが出来ているのかなと感じる今日この頃であります。

  • 僕とコンプレックスと操体と 6

    私が操体と知り合う遥か前、私が治療家ではなくミュージシャンを夢見ていた時期があった。その頃の私にとってのアイドルは今回のブログの初日に取り上げたポールマッカートニーとともにビートルズの中心メンバーであったジョンレノンだった。

    僕が初めてジョンレノンの曲を聴いたのは中学校1年の英語の授業中に彼の『imagine』聴かせてもらった時だった。それまで英語の曲なんて聴いた事無かった私は、その時に突然大人になった様な不思議な感じがしたのを覚えている。熱しやすくて冷めやすい福岡県民の典型の様な私はすぐに近所のレコード屋で彼の自伝映画『imagine』のサウンドトラックのカセットテープを買ってひたすら聴いていた。

    『imagine』『(just like)StartingOver』『MindGames』『Women』『jealousGuy』etc.

    その頃には、すでに彼はニューヨークでマークチャップマンという狂人の銃撃により帰らぬ人となっていた。卵から孵ったばかりのヒヨコが初めて見たものを親だと認識するように、彼の音楽、彼の思想、彼の生き方にあこがれ、彼のように唄い、彼のように重い、彼のように生きたいと思っていた。

    彼の音楽の持っている独特な思想・哲学にとにかく憧れた。彼は愛と平和を音楽と云う形で世界中に発信された。彼の想いが行動となり、世界中の人々の共感を呼び起こし、死後33年を経過しても未だに彼のメッセージが世界中のテレビやラジオから聞こえてくると云う事はそれだけ世界中に浸透していると云う事になるのだろう。

    私はミュージシャンを夢見る学生からいつのまにか治療家の道を歩き始めて操体との御縁を頂いた。操体の思想の中にも、世界中の人に対しての愛、平和への願い、健康で幸福な社会創造の可能性を感じる。操体を通して何事もバランスが大切なのだと云う事を学ばせていただいているので、多少は性格の偏りも正されて来たかもしれない。しかし重心が未だ安定しないのか、左足の魚の目は中々消えてくれない。更なる精進が必要だ。

    そんなこんなでいつの間にか音楽ではなく、操体の治療家として生きる事が自分自身の目標となっている。そして操体を学び実践して行く事こそが自分自身の理想とする人間像に近づくためのプロセスだと感じている。勿論、操体の治療家としてもまだまだ未熟で、理想の人間像からはほど遠く、ジョンレノンが願う理想的な世界まで到達するのは当分時間がかかりそうだ。だからといってどんなに急いでみてもウサギとカメのウサギには成れそうにないから、これからも一歩一歩カメのように歩きつづけてみようと思っている。

    橋本先生、三浦先生、東京操体フォーラムを通じて操体の学びを共有させていただいた皆様、貴重な時間を与えてくださり本当に感謝いたしております。明日からは岩吉実行委員の出番です。それでは張り切ってどうぞ!