カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 輪廻転生

    広い意味で考えると、輪廻転生も時空を越えた現象ではなかろうかと思う。一時、フォーラム実行委員の間で中谷さんがインスパイアされた「前世療法」という本が流行ったことがある。アメリカの医師が退行催眠を用いて治療に当たるという本である。これは退行催眠自体の効果というよりは、クライアントの問題(症状疾患など)の原因をその過去世に求めることにある。例えば、水が怖くて仕方ないクライアントの場合、何故水が怖いのか、何故水を見るとパニックを起こしてしまうのか、わからないから余計恐ろしいのである。しかし、退行催眠によって、過去世で溺死していることがわかった場合、「何故、水が怖いのか」という理由が分かるため、本人も納得がいき、水への恐れも解消してくるのである。

    前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

    前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

    また、これは誰でも思い当たる節があると思うのだが、理由はないけれど何となく好きな場所や、理由はないけれど惹かれる絵はないだろうか。多分それは時空を越えた記憶だ。

    昨年フォーラムのメンバー何人かとマドリッドイスタンブールに行った。マドリッドには直行便がないため、最初はヘルシンキ経由かロンドン経由で行く予定だったのだが、その中の1つの候補として上がったのがイスタンブール経由の便だった。これは、師匠の『オレの前世はトルコの商人か踊り子だった気がする』という一言で簡単に決まった(笑)。話を聞くと、以前からトルコは行きたかったのだそうだ。

    私自身、イスタンブールは初めてだったが、何だか最初から懐かしい感じがした。モスクに入るとき靴を脱ぐのだが、入り口でビニール袋を渡してくれる。何だか日本のお寺に上がるような気がした。トルコはイスラム教の国だ。私達はイスラム教に対してあまりにも知識が乏しいが、キリスト教同様イスラム教にも輪廻転生の考えはない。
    輪廻転生の考えがないイスラムの国で自分の前世を考えるのもなかなか面白いものだ。


    ブルーモスク。

    最初にイスタンブールに降り立った時は夜8時を過ぎていた。トランジットのためのホテルに移動し、翌日の5時ロビーに集合という強行スケジュールである。お風呂に入って寝て、朝早く起きて、飛行機にのって出発、という感じで、異国情緒を楽しんでいるヒマはなかった。マドリッドでのセミナーを終え、バルセロナを経由して再度イスタンブール入りをしたが、今回はたっぷり2泊である。帰りの飛行機は夕方18時半の発なので、まるまる2日のんびりできる。
    その時泊まったホテルは、16部屋程度のプチホテルである。日本語の得意なオーナーが、アンティーク家具を集めて整えたもので部屋の天井にはランプが煌めいていた。部屋に入っただけで「ここっていつの時代だ?」という感じである。なお、泊まったところはかの有名な地下宮殿の近くで、徒歩2分くらい、ブルーモスク、アヤソフィアも徒歩圏、グランバザールも徒歩圏という便利なところである。何だかこれだけでもタイムスリップしたみたいだった。


    宿泊したKybele Hotelのロビー。

    朝、まだ薄暗い時間に、コーランの放送で目が覚めた。朝日が昇る前の町にコーランが流れる。これを聞いて何だかますますタイムスリップしたような気になってくるのである。
    外に出ている女性が滅多にいないのも、何だか不思議な感じだった。

    飛行機にのって、時差があるところに行くのも、1つの時空を越えた経験かもしれない。
    来月、再びマドリッドイスタンブールを訪れる予定だが、どんなタイムスリップが待っているのか、楽しみである。

    畠山裕美

    来週はいよいよ「東京操体フォーラム in 京都」開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 歴史時間

    「真実は時の娘」という英語の諺がある。”Truth is the daughter of time.”「時の娘」とは真実を指す。
    「真実は、今日は隠されているかもしれないが、時間の経過によって明らかにされる(明らかになる)」という意味だとされている。

    時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

    時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

    • アラン・グラント警部は犯人を追跡中に怪我をし、しばらくの間病院のベッドで横になることになった。彼はふとしたきっかけから、イングランド王リチャード3世に興味を持つようになり、知人から渡された当時の文献などを調べ、リチャード3世の知られざる素顔、そして彼が2人の王子エドワードとリチャードをロンドン塔に幽閉して殺害したとする悪名高い逸話は真実なのかを、寝たきり探偵的に推理していく。

    昨年の夏、奈良に行った。奈良の北村先生のお気遣いで、奈良の大仏様のお膝元まで上げていただいたのである。
    大仏殿の正面からではなく、特別に横から入れていただき、大仏殿を見上げた。確か日本で最大の木造建築だったと思う。戦乱で何度も焼け落ちてサイズダウンしているそうだが、やはり大きかった。私が歴史的建造物好きなのは、時代を越えて、ここに立っていた人々がいたからだと思う。1000年前にも多分こうやって大仏殿を見上げていた人達がいたに違いないからだ。私はそこに何だか懐かしさを感じるのである。
    とにかく仏教の世界の時間感覚はすごいものがある。弥勒菩薩様はお釈迦様の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、多くの人々を救済するとされるそうだが、56億7千万年とは一体どんな時間感なのだろう。まあ、それくらい長いよ、という意味もあるのかもしれない。


    大仏殿

    なお、奈良の大仏様は大きいのだろう?と思った事はないだろうか。
    聖武天皇が幼くして亡くなった我が子を弔うため、国家と自身の健康のために建立したそうである。また、大きくしたのは全国的なイベントでもあったので、「大きいことはいいことだ」みたいなノリで大きくしたらしい。大きい方が御利益があるということもあったのだろう。
    しかし、大仏様を金めっきした際に用いられた「アマルガム法」は、精銅で鋳造した大仏を、水銀に金を溶かした金アマルガムで覆い、加熱すると水銀が蒸発して金だけがめっきとして残るというものだった。何とこのめっきには20年近くの時間が費やされ(20年間水銀ガスが放出されっぱなし)ている。
    そのお陰で、当時水銀中毒が大流行し、これは日本史上初の公害病と言われている。また、奈良から京都への遷都の原因は、水銀中毒のせいだという説もある。民の幸せを願って建立したものが、水銀中毒の原因となったとは、聖武天皇も思いも寄らなかったに違いない。もっとも、当時は水銀の害毒は知られていなかったので、「たたり」や「疫病」として扱われたのではないかという意見もある。

    時間と言えば、昨年の秋訪れたスペインのトレドの町(マドリッドから50キロくらい、町自体が世界遺産になっている中世からの要塞都市)の中央には、トレドの大聖堂が立っている。トレド大司教座が置かれている。トレド大司教は、スペイン・カトリック教会の首位聖職者だそうだから、一番すごい教会(?)らしい。この教会は1226年に建造が始まり、完成したのは1493年というから、約270年もかけて建造されたものだ。13世紀のフランス・ゴシック様式の影響を受けているそうだが、ムデハル様式イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したもの)も取り入れており、何となくエキゾチックな感じもある。それにしても気が長い話である。270年と言えば親子何代に相当するのだろう。そして、何故そんなに長い時間をかけて教会を建てるのだろう。
    ガイドの人(マドリッド在住の日本人)曰く、時間をかけて大きな建造物(特に教会)を建てるということは、教会の権力を示す為だったそうである。


    トレドの大聖堂


    街自体が世界遺産に指定されている

    トレドの後、バルセロナに移動して、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)を見物した。1882年に建築が始まり、約130年経った現在でも工事は続いている。私達が行った時も、クレーンが動いていた。面白かったのは、町の一角だけがサグラダ・ファミリアなのである。通りの反対側は普通のオフィス街なのだが、その周りだけはカメラを持った観光客が口を開けて遙か上空に見える、教会の屋根の先端を見ているのだった。


    サグラダ・ファミリア。クレーンで工事をしている。世界中からやってきた観光客が皆上を向いて写真を撮っている。

    そこで私が気づいたのは、大仏も巨大な教会も「見上げる」という人間の動作によって「なんだかありがたい」とか「御利益がありそうだ」とか「神々しい」とか「畏怖」を感じさせるのではないかということだった。教会のステンドグラスは、元々字が読めない人達にキリストの生涯を伝えるために作られたものだと言うが、高いところに飾られ、光を通した幻想的な風景は、人の心を敬虔にし続けてきたのかもしれない。

    1200年前から大仏様を、その口をあんぐり開けて目を見開いて見つめてから、次の瞬間手を合わせる。そんなことが幾度もくり返されてきたのだろう。

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都 はいよいよ来週開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 不死者たち

    お盆なので、橋本先生もこちらに戻ってこられているかもしれない。

    はるか昔より、時空を越えることができたのは「大いなる存在」か「呪われた者」だったのではなかろうかと思う。

    さまよえるオランダ人」というのを聞いたことがあるだろうか。イギリスの伝承で、アフリカの喜望峰近くの海で、船長が風(あるいは神)を罵って呪われた。船長は1人で永遠に(あるいは審判の日まで)さまよい続けることになった、というものである。「パイレーツ・オブ・カリビアン」にも出てきた様な記憶が。

    インモータル(immortal)というのは「不死者」のことである。もしくはギリシャ、ローマの神を指す。
    私が一番先に思い浮かべるのは、アン・ライスの「ヴァンパイア・クロニクルズ」だ。Immortalという言葉は、原書を読んで覚えた単語である。ちなみに、確か私が原書で読んだ2冊目の本ヴァンパイア・クロニクルズの第3作目”The Queen of the dammed” 「呪われし者の女王」だった。

    呪われし者の女王〈上〉―ヴァンパイア・クロニクルズ (扶桑社ミステリー)

    呪われし者の女王〈上〉―ヴァンパイア・クロニクルズ (扶桑社ミステリー)

    クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア 特別版 [DVD]

    クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア 特別版 [DVD]

    映画化もされているが、原作とは結構かけはなれている。映画は映画として楽しんだほうがいい

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9

    ヴァンパイア・クロニクルズ
    アン・ライスの作品のうち、ヴァンパイア・レスタトを中心に、彼を巡るヴァンパイアの仲間達を描いた一連の作品。後には脇役のメンバーが主人公となったスピンアウト作品もある。ヴァンパイア・クロニクルズに並ぶ「メイフェア・クロニクルズ」(十数代にのぼるメイフェア家の歴史を描いたもの)とも途中でリンクしている。緻密な歴史の描写は時を忘れてしまう程面白い。

    ライス女史が「インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア」(トム・クルーズとブラット・ピット主演で映画化)を書いたきっかけは、幼い娘を白血病で亡くしたことによる。人を生かす血液が何故人の命を奪うのか、そんな中、僅か二週間で書き上げたこの作品は大ヒットした。それまでヴァンパイアものと言えば、「ドラキュラ伯爵」とか「吸血鬼」という昔のホラー映画のようなイメージが一般的だったが、ライス女史が創造したヴァンパイアはそれまでのものとは全く違っていた。まず登場人物は皆美貌の持ち主である。墓場に住んでいるわけでもなく、十字架もニンニクも平気で、優雅な暮らしをしている。テレポーテーション能力や、読心術を操ることができる。昼間は棺桶の中で眠っているのはお約束だが、レスタトに至ってはサハラ砂漠で日焼けまでしている。型破りのヴァンパイアなのである。

    インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア [DVD]

    インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア [DVD]

    夜明けのヴァンパイア (ハヤカワ文庫NV)

    夜明けのヴァンパイア (ハヤカワ文庫NV)

    原作。翻訳が「美形ヴァンパイア」っぽくないのが残念。この本以降の翻訳者、柿沼瑛子氏の翻訳は素晴らしい。

    「不死者」というと、西洋では神に呪われ、永遠にさまよい続けるという意味があるようだ。「インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア」では、ニューオリンズの農園主、ルイ(映画ではブラット・ピットが演じた)が、弟の宗教的自殺によって自暴自棄になっている時に、ヴァンパイア・レスタトに目をつけられ、不死者として生まれ変わる(なお、映画では「妻がお産で亡くなって自暴自棄」と、変更されている)。不死者になった者は、最初皆その「不死」という状況が受け入れられないようである。これは多分キリスト教の教えもあるのかもしれない。ヴァンパイアの掟で、自分の創造者(自分を不死者にしたもの)を破壊してはいけない、子供を不死者にしてはいけない、というものがある。ルイは人間の血を拒み、ネズミの血をすすっているが、ある日、病気で死んだ母親の側で泣いていた6歳の少女、クローディアを発作的に襲ってしまうのだ。ちなみに、クローディアのモデルは、ライス女史が白血病で亡くした娘、ミッシェルだと言われている。演じているのは、何故か日本の男性には人気がない?、スパイダーマンの思い人、MJこと、子役時代のキルスティン・ダンスト。6歳の少女のからだに、大人の女性の知性が宿っているのは残酷なことであり、これが悲劇の発端となる。

    一方、中国では「不老不死」の研究が進められていた。徐福(秦の始皇帝の命で、東海の三神山に不死の仙薬を求めたという伝説上の人物。日本に渡来、熊野また富士山に定住したと伝える)は日本に来たと伝えられている。結局不老不死の仙薬は見つからなかったのだろう。
    日本と言えば、そういえば日本神話に出てくる神様は皆寿命を全うしている。これは多分「おかくれ」になった後も神社にお祀りされ、鎮座されているということだろう。
    日本で「不死」と言えば、人魚の肉を食べて不死となった娘の話がある。八百(やお)比丘尼の伝説は日本中に残っているそうだ。

    夢枕獏原作、岡野玲子画の「陰陽師」の中に八百比丘尼が出てくる。彼女は枯れない泉でありずっと若々しい。比丘尼は自害を試みるが命を絶つことはできないのである。また、30年に一度穢れを祓わないと鬼女と化す、という運命も背負っている。

    陰陽師 (9) (Jets comics)

    陰陽師 (9) (Jets comics)

    9年前に手放してしまっていたのだが、iPad2を購入したのをきっかけに、「自炊」して「電子化」した。

    やはり「あの世」は、橋本先生が言われたように「みんな行くんだから、きもちいいところに決まってる」のだろう。

    来週末はいよいよ「東京操体フォーラム in 京都」です。

    畠山裕美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時空を越えて

    それでは、一週間よろしくお願い致します。

    しょっぱなから何ですが、今回のテーマについて一言。

    女性の脳は割と二次元的にモノを捉えるらしい。男性は三次元的なのだそうだ。赤ちゃんの時、女の子は赤ちゃんの頃からお人形を持たせておけばご機嫌で、車のおもちゃなどに夢中になって椅子から落ちるのは大抵男の子だ。
    また、ダンナが田舎生活に憧れ、奥方はいやがる、というのも同じ理由らしい。男性脳は山のある風景や宇宙に立体感を感じる。逆に女性脳は田舎や山の風景も嫌いではないが、平面(まるで絵のように)キャッチするので、暫くすると飽きてしまうのだそうだ。
    宇宙、いや、星空を観ても「ビッグバンに始まる宇宙のロマン」というよりは「キレイな宝石箱みたいだな。一個欲しいな」というようにキャッチするそうだが、なるほどね、と思った次第である。星空を見るにしても、一人ではつまらない。誰かと一緒に「キレイだね」と見るほうが楽しいと思う。

    というわけで、今回岡村実行委員長の提案による「時空を越える」というテーマは、非常に「男性脳」的な問いかけなのである。

    女子で真面目に「物理的な時間って何?」とマトモに考える人は少ないのではないか(私はあまり考えたことはない)。宇宙の始まりがどうだったのか、などと真面目に考えたりしないのだ。

    だいいち「ニュートンの物理時間」とか「相対性理論」と聞いただけで「はいはい、失礼いたします」と言いたくなるし、高校の物理と数学は『間に合っている』程度だった。どう考えても私のアタマは理系のアタマではない(笑)。
    しかし、折角なのでこのテーマに挑戦しようではないか。でも「相対性理論」とか「絶対時間」はちょっとおいておく。

    時間・空間を越える、というテーマで発表された作品は多い。エンリケ・ガスパール・イ・リンバウの1887年の作品『時間遡行者』 El Anacronópete で登場したものが最初とされるが、1895年にH・G・ウェルズが発表した『タイム・マシン』で概念として広まった。ただしタイムマシンは使わないがタイムトラベルを扱っていると見なせる物語はそれらの作品以前にも存在するそうだ。

    単純に思い出しただけでも、筒井康隆氏の「時をかける少女」(こんなに短期間で映画化がくり返された作品はないらしい)、「神隠し」も一種の時空を越える現象だ。「千と千尋の神隠し」や、時代小説にはよく神隠しの話が出てくる。日本では神や天狗の伝承、妖怪の伝承などで、ずっと行方不明になっており、何年かぶりに子供の姿のまま帰ってきた童子の話などもある。このあたりは研究してみると面白そうなのだ。

    また、山下和美のライフワーク「不思議な少年」は、「神」の目線で人間界を観ている。多分この少年は「天使」なのではないかと思っている。確か「モーニング」に不定期連載されているはず。

    不思議な少年(1) (モーニング KC)

    不思議な少年(1) (モーニング KC)

    永遠の生を持つ少年は、時を超え、場所を超え、あらゆるところに現れる。人間を愛しているわけでもなければ憎んでいるわけでもない。ただ飽くことなく、人間を見つめ続けて、何度も問いかける。「人間とは何か」と。(wikiより)

    映画「ターミネーター」も第1作目は、未来の反乱軍の指導者、ジョン・コナーの母親となる女性、サラ・コナーを殺すために未来から送られてきたアンドロイドである。空間移動と言えば「ジャンパー」もそうだ。こちらは人類の歴史早くから「ジャンプ」する能力を持つ(遺伝子疾患)「ジャンパー」と呼ばれる人間達が存在しており、多くは自分たちが利益を得るため、そして自分たちにとって都合よく歴史を変えるためにその力を使ってきたという設定になっている。「ジャンパー」の派生と同時期位から、「ジャンパー」を抹殺するための組織、パラディンが存在し、その戦い、という話である(もともと小説だったが、映画化され、今年続編が製作予定)。
    最近では、ビートルズの解散を防ぐため、タイムマシンを使って、ジョンとヨーコの出会いを阻止する熱狂的なファンを描いた映画もあるらしい。

    ターミネーター」の第1作は、最後がめちゃくちゃコワい(笑)

    ジャンパー 上 (ハヤカワ文庫SF ク 8-5)

    ジャンパー 上 (ハヤカワ文庫SF ク 8-5)

     

    ジャンパー 下 (ハヤカワ文庫 SF ク 8-6)

    ジャンパー 下 (ハヤカワ文庫 SF ク 8-6)

    こちらが原作

    長い歴史の中では、時空を越える能力を持つ人々がいるのかもしれない。テレポーテーションは文字通り瞬間移動する能力だが、SF作家の創造力のみによるものではないような気がする。そして、それは「ジャンパー」を抹殺しようとするパラディンのように、時空を越える人々を社会から葬り去っているのかもしれない。

    こうやって考えてみると、人間は時空を越えられないとか、飛べないというのは本当かな、と思ったりする。本当は時空を移動できる人種がおり、飛行(あるいはジャンプ)できる人達は存在するのではないか。それが、小説とか伝承となって残っているのでは、なんて思ったりする。

    畠山裕美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 女性にモテるには。

    最終日となりました。

    異性にモテなくてもいい、というのは人生投げたようなもの。橋本敬三先生は85歳過ぎてもなお、色気と茶目っ気をお持ちだったそうで。自然農法で有名ある方は、数年前に亡くなられましたが、80代半ばでも「オトコとオンナの関係」にある彼女がいたそうです。

    話は変わって

    ある女性がある男性のところに相談に行った。私は立ち会いとして2人の話を聞きながら、途中でアドバイスをはさんだりした。女性が納得して帰った後、男性は私に「彼女は一体何が言いたかったんだ?」と聞いた。

    「話をきいてもらったから、それでいいんです。女の相談に対して『だから、オマエは何を言いたいんだ』と言うのは、典型的な男性の思考で、女が何か話をしたら、取り敢えずわからなくても同意するのがモテる男だ、『何を言いたいんだ』と聞いてはいけません」と指導しておいた(笑)

    これは事実である。

    別の話。
    私がある人に「○○さんって、私にこんなひどいコト言うんですよ〜」と訴えたところ、「いや、ちがいますよ。そんなつもりで言ったわけじゃないと思いますよ。悪い人じゃないですよ」と言われた。
    こういう話をオンナからふられた場合、最初に「そんなことないですよ」と否定してはいけない。こういう場合は「え?そうなんですか。ひどいな〜。でも多分そんなつもりじゃないと思いますよ」と、まず最初に同意するのが最善策である。何か相談したら、最初に「違いますよ」と否定するようなオトコには二度と相談なんかするかよ、と思うのが女子である。女性にモテたかったら「何が言いたいんだ」とか、女性が言ったことを最初に否定してはいけない。まずは黙って聞くか、最初に同意すればいいのだ。これは紛れもない事実である。これで損をしている男性がどれ程いることだろう。
    モテたいのだったら、上記2項は重要ポイントである。

    なお、最近の「草食系男子」の出現を嘆いている男性諸氏もいるが、世の中の平和が続くと、男性が小綺麗になるのは世の道理である。
    江戸時代(笑)の初期は、それまで戦国時代だったこともあり、「ワイルド系」の男性が主流だったそうである。ヒゲにもみあげという感じ。しかし江戸時代に入って元禄時代にはいると、男性の草食化ならぬ装飾化に移っていった。とにかくむさ苦しいのは「ダサい」とされ、何とヒゲは剃らずに抜いていたらしい。また、着物の裾をからげたり、ふんどし一丁姿を見せる姿でアンダーヘアが出ていたらそれこそ「ダサくて野暮」と言われる。なので、銭湯の男湯にはヘアを切るための「毛切り石」があったのだ。それくらいすっきりと垢抜けた感を出すために、江戸のふつ〜のオトコは身だしなみに気をつかっていたのだ。

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    もうひとつ。手元の参考資料によると、「額は広め、鬢(びん)はちょうどよい厚みに素直に仕上げるのがよい。ただしおくれ毛は一本もあってはダメ。ふだんから鬢つけ油は必要で、1日に三度は鬢をとかせ。眉は尻上がりに形づくる。ヒゲは徹底的に抜き、歯は白く、爪はまっすぐに切れ」。これは何かというと、当時のオトコが遊郭に登楼する際の身だしなみ指南である(色道大鏡より)。江戸のオトコは小綺麗にしていたのだ。遊女にせよ、小綺麗で垢抜けたオトコのほうがいいに決まっている。

    第1分析時代は、からだの中心腰から動くのがメインだった。第2分析が生まれ、連動の秘密が解き明かされると共に、からだの動きは末端から表現するようになった。勿論末端からの表現で、快適感覚がききわけられない場合は「逆連動」として、からだの中心腰から動きをとらせる場合もある。

    女性が男性を襲う(爆)場合は、からだの中心(笑)からアプローチしてもいい。何故なら男性の感覚帯はその辺りに集中しているからである。しかし、男性は自分がそうだからといって、いきなり女性のからだの中心にアプローチすべきではない(大抵は痛みを与えたりして、嫌われる)。女性を扱う場合は、末端からアプローチするのが得策である。
    痛いとところに直接手をかける、つまり腰が痛いと腰を揉むとか、骨盤をいきなり調整するのではなく、操体的に遠方から、末端からのアプローチが有効ではないかと思う。

    そういえば、ネットで悩み相談などを見ていると「彼に不感症と言われました」というのが結構あり、「へえ」と思って読んでみると、まだ経験が浅いということがある。たかが2,3回で「感じる」ことができるほうが珍しいに決まっているのだ。この「彼」の問題点は「男女の感覚の差」「男女のからだの違い」を知らないことと、恐らく手抜きをしているのである。

    また、操体でも「感覚の勉強をしなさい」と言うが、秘め事においても「感覚の勉強」は必要なのである。操体を学び、きもちよさをききわける学習を続けて行くと、極端な話、指一本曲げるだけで全身形態を操ることができ、極上のきもちよさを味わうことができる。女性のからだも同じなのだ。いや男性もそうかも。
    女子が最初からきもちよさを味わえる場合もあるかもしれないが、レアなケースだと思う。というか、よく青年誌のコミックなどで「処女で巨乳でエッチで大胆で初体験で感じまくり」という女の子が出てくるが、あれは全くもって男性の幻想だ。もしくはAVの見過ぎである(笑)。

    オトコの脳、オンナの脳の違いを勉強するのも修業?のうち。違うからこそ、面白いのだから。

    セックスしたがる男、愛を求める女

    セックスしたがる男、愛を求める女

    二人で育てるスローセックスイッたフリはもう、しない。

    二人で育てるスローセックスイッたフリはもう、しない。

    恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

    恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

    ことばに感じる女たち (ワニ文庫)

    ことばに感じる女たち (ワニ文庫)

    また、女性にしても「お勉強」は必要だと思う。「自分の要求ばかり通すが自分は殆どマグロ女」だったりというのはよろしくない。これについてはまた。

    一週間色々好きに書かせて頂いたが、最後に映画を一つ紹介しよう。
    私はこの映画を映画館で5回観た。オリジナルはブロードウェイのミュージカルで「ヘドウィグ&ザ・アングリー・インチ」だ。ヘドウィグはアメリカ中をツアーして回っているロックバンドのヴォーカリストだ。今は「女」だが、元はオトコだった。

    ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

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    ヘドウィグは旧東ドイツの生まれだ。とても可愛い男の子に育ったが、父親がベッドの中で、ヘドウィグに「悪いいたずら」をしているのを見て、母親はヘドウィグを連れて離婚する。その後10代半ばを過ぎ、ますます美しい男の子に育ったヘドウィグは、アメリカ軍の軍人(勿論オトコ)に見そめられる。
    その後、東ドイツを脱出するためには結婚が必要ということで、母親はヘドウィグに性転換を勧める。ヘドウィグは手術を受けるのだが、東ドイツの医者は性転換手術になれていなくて、1インチ(3センチ)ほど「残って」しまう。だから「アングリー・インチ」なのだ。
    アメリカに移住すると、軍人の夫は新しい恋人(勿論オトコ)と去って行ってしまう。その後、ヘドウィグが「ロック」を教えた男の子が大スターになり、ヘドウィグは彼のツアーの後を追って、自分のバンドのツアーをするのである。ツアーメンバーの中にヘドウィグの「夫」がいるのだが、最後のシーンで「夫」は「女」だったということが明かされる。性別の違いとは何か、そんなことを考えさせられる。
    勿論暗い映画ではなく、楽しい映画なのだが、何だか心に響くのである。

    男女は本来一つだったのだが、神様が何らかの理由で二つに分けてしまった。なので、お互いに片割れを見つけるために生きている、そんな言葉が非常に印象的である。

    最後のシーンで、ヘドウィグがカツラ(金髪のトレードマーク)を外し、服を全部脱いで去って行くシーンは非常に迫力がある。お尻があまりに美しいので(ホントです。本当に美しいお尻なのだ)それにも度肝を抜かれるのだが「いや〜、オトコもオンナも本来は一つだったんだよね」としみじみ思うのである。

    一週間ありがとうございました。

    明日からは島根の福田画伯です。

  • 江戸の女と恋愛観。

    義経記」を最初に読んだのが小学校二年。いや、その前に「一休さん」を読んでいた。マンガではなく、一生を描いた伝記である。6歳で出家するが、その時の名前は周健。「とんち」で有名な子供時代は「しゅうけん」と呼ばれており「一休さん」ではなかったことは知っていた。
    その後、父親が池波正太郎藤沢周平マニアだったため、家にあった時代小説を読みまくり、勿論月曜8時の「水戸黄門」は欠かさない。必殺シリーズもその頃から好きだった。
    水戸黄門」よりもはまったのは「江戸を斬る2」だった。私はmixiの「江戸を斬る2コミュ」にも入っている位である。
    西郷輝彦が遠山の金さん、森繁が水戸斉昭、松坂慶子が斉昭公の娘で、故あって「魚政」という日本橋の魚屋の女将「お政」に預けられた娘で実は「紫頭巾」、松山英太郎がねずみ小僧次郎吉、千葉周作中谷一郎風車の弥七)という豪華キャストであった。

    江戸を斬る II [DVD]

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    また、高校生の時は「Lala」に連載されていた、山岸涼子の「日出処天子」(ひいずるところのてんし)にはまっていたため(聖徳太子こと、厩戸皇子が両性具有的な魅力を持って描かれていた。今読んでも面白い)、歴史テストはほぼ満点だったが、地理ができなかったので割って2、みたいな感じだった。
    厩戸皇子がもしかしたら両性具有かも?というような描写をしたのはおそらくこの作品が初めてである。ちなみに私の友人は、LaLaを買ってきて家の居間に置いておいたところ、お父さんが「何だお前は!!!」と怒鳴ったらしい。「どうしたの?パパ」と聞いてみると、何とお父さんはLaLaの巻頭カラー口絵(下の第3巻の表紙のイラストで、雑誌のほうは見開き折り込み豪華カラー口絵だった)を見て「春画」だと勘違いしたらしい。それくらい妖しい雰囲気が漂うイラストだったのである。

    日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

    その後「独眼竜政宗」が放映されるが、両親が宮城出身であり、仙台には親戚が数多く住んでいる私にとって、非常に魅力ある番組だった。ちなみに、宮城には「畠山」が多いが、登場する「畠山家」は、政宗公の父、輝宗公を拉致し殺害し、政宗に攻められ落城している。また、私の屋号「TEI-ZAN」は、政宗公の諡号(貴人の戒名)「貞山公」から戴いている。仙台に行くと必ず瑞鳳殿(政宗公墓所)に詣でるが、最後に行ったのは昨年の12月。3月の震災で、石の灯籠が倒れている写真を見た。もう、元に戻ったのだろうか。一日も早い復興を祈るばかりである。

    余り長くなると「今回のテーマと何が関係あるんじゃ」と言われそうなのでここらへんにしておくが、最近時代劇映画が多く制作されている。実は結構観ているのだが、最近も何本かみた。大抵は武士の話で、出てくる女性はみな凜として、慎ましやかで、しかし芯は強い女性が描かれている。

    たそがれ清兵衛 [DVD]

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    武士の一分 [DVD]

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    ところで、この本。

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    春画で性知識を身につける娘に、奔放な性愛を楽しむ長屋の女房・・。三つ指ついて夫の三歩後ろからついてくる」女性像なんてとんでもない。本当は”超恋愛体質”だった江戸の女たち。

    まず、江戸時代の町娘たちは12歳から13歳くらいで異性を意識しはじめ、15,6歳で一人前の色恋いを楽しんでいたらしい。その際の「恋愛マニュアル」のひとつが春画だったそうだ。江戸時代の有名な絵師達も役者絵、美人画などと共に、春画を手がけている。というか絵師だったら大抵は春画を制作するものだったらしい。また、春画は恥ずかしいものではなく、堂々とした作品として制作されていたので、老若男女問わず鑑賞するものだったようだ。当時は「枕絵」とも言ったようである。当然「エロ」の雰囲気はあれど、淫靡なものではなく「お笑い」感覚だったようで、なんとおもちゃ屋の軒先に貼ってあったりしたので、子供も当然目にしていた。確かに「淫靡」というよりは、「何これ(笑)。こんなのあり〜?」「絶対あり得ない(笑)」みたいな絵が多いのは事実である。

    幕末に来日した外国人の多くが、町中に平気で春画があふれているのを見て度肝を抜かれたという記録もあるそうだ。

    面白いのは、黒船来航の際にあわてていたのは武士だけで、庶民は小舟を出して黒船からのボートに近づいて、水夫をからかうために、丸めた春画をボートに投げ込んだらしい。水夫が飛んできた紙を広げて赤面するのを見て、江戸っ子は大笑いしていたのだ。
    プロイセンの使節団として来日した、ラインホルト・ヴェルナーは、「10歳の子供でも既にヨーロッパの貴婦人の殆どが知らないような性愛のすべての秘密と馴染みになっている」「若い女性が当然のことのように、また何の嫌悪すべきことでもないように、そういったもの(春画)を買い求めるのは普通である」と、書いている。

    春画は「お笑い」感覚であり、武家では嫁入り道具の一つでもあった。面白いのは、武家では甲冑をおさめておく具足櫃(収納箱)の中に春画をいれておくと、戦に勝つという迷信まであったらしい。そこまでして隠しておきたいか(笑)。とにかくみんな大好きだったらしい。

    私は時代劇マンガも好きなのだが(「乱」とか読んじゃうのがバレバレ)、江戸時代の風俗を書いているのがこれ。勿論「艶物」なのだが、武家の姫様が嫁入前に、御指南役に春画その他を使ってトレーニングする話とか、介添女(若い夫婦と一緒に添い寝して夫婦生活を指導する年増)の話、江戸時代の混浴風呂の話などが書かれている。時代物としても読み応えがあるし、絵がきれいで女の子が可愛い。

    浮世艶草子 (1)

    浮世艶草子 (1)

    これは、私の以前の同僚(かなり年上)の方から聞いた話である。彼は某大手電機メーカーに勤めており、若い頃は海外駐在が多かったそうだ。
    彼がギリシャに駐在していた時の話。彼が下宿していたところは、石造りの高い建物だったらしい。そして夜になると、女の子が石の壁をよじ登って夜這いしてくるのだそうである。
    どうやら日本人と聞いて、珍しさもあったのだろうが、コトが終わってから「ウタマロかと思ったらピッコロ(子供)じゃないの」と言われたそうだ。おそらく、江戸末期から海外に流れた浮世絵(勿論春画含む)から「日本男性はウタマロ(の書いた春画)並」だと期待されたのだそうだ。これもお笑いと言えばお笑いである。

    おまけ。
    もうひとつ思い出したこと。
    大学生の頃、毎週新宿のツバキハウスで遊んでいた。私はヘヴィメタル好きだったのである。日曜の「メタルナイト」だった。当時のDJは今も日本のヘヴィメタル界のゴッドと呼ばれる伊藤政則(マサ伊藤)だった。60越した現在でもメタル道を貫いている。
    まあそれはいいとして、その中の同年代の女の子が、夏休みにアメリカに留学して無修正の男性ヌードが載っている雑誌を買い、それを持ってきたのである。いわゆる「ブルーボーイマガジン」というヤツだ。私も見せてもらったがまだ子供だったのか(笑)『エロというよりグロ』という感じであった。つまり、様々な人種の逞しいハンサムな男性がぶらんぶらんさせている写真が載っているわけで(笑)、私にとってはかえって間抜けな感じがした。

    一方、その雑誌に群がってあーでもないこーでもないおおきいのちいさいのと騒ぎ、食い入るように写真を見ていたのはむしろ男の子のほうだった(笑)。

  • 源氏物語2 廓源氏

    源氏物語」を調べていたら、この本を思い出した。吉原といえば、江戸をいや日本を代表する歓楽街、オトコの夢の里である。同時にそこで働くオンナにとっては苦界でもあった。

    廓源氏 (まんがグリム童話)

    廓源氏 (まんがグリム童話)

    元々吉原は日本橋(現在の人形町)にあった。しかし、明暦の大火(1657年)で日本橋吉原遊郭は焼けてしまい、吉原は浅草の田んぼの中に移転した。これを「新吉原」と言う。
    もともと江戸時代初期、江戸には職を求めた浪人、江戸の都市機能整備工事のための人足など、多くの男性が集まった。江戸は圧倒的に男の数が多かったのである。と同時に、江戸の町中に遊女屋ができはじめた。

    遊廓を公許にすることでそこから冥加金(上納金)を受け取れ、市中の遊女屋をまとめて管理する治安上の利点、風紀の取り締まりなどを求める幕府と、市場の独占を求める一部の遊女屋の利害が一致した形で、吉原遊廓は始まった。wikipediaより

    吉原というのは幕府が許可した「公娼」制であり、上納金(冥加金)を幕府に献上していた。反対に幕府の許可を得ていない違法営業の遊女屋は「岡場所」という。子供の頃、よく時代劇を見ていて「オカバショってなんだ?」と思っていたのを思い出した。その後、昭和31年の売春防止法施行まで、吉原の歴史は続いたのである。

    ちなみに、年季奉公のため遊女になる娘達は、「親孝行な娘だ」と言われていたらしい。
    私は「仕事人」に仕事を頼むために身売りをする娘の姿を思い出す(←必殺の見過ぎ)

    吉原の別名を「ありんす国」という。その名のとおり、遊女が使う独特の言葉である。これについては諸説あるが、遊女の出身地を隠すという意味もあったらしい。お里が知れなければ客も勝手な幻想に浸れたのだ。更に「花魁(おいらん)」という言葉があるが、これもお里を隠すための言葉だったらしい。
    田舎出身の娘は、自分のことを「オイラ」というが、客が興ざめしてはこまるので、自分のことを「おいらん」というようになった。これが「花魁」の成り立ちらしい。

    吉原御免状 (新潮文庫)

    吉原御免状 (新潮文庫)

    初期の吉原には「太夫」という最高級の遊女がいた。吉原は武家の客も多かったそうで、武士の接待ができるだけの高い教養を身につけていたらしい。そのため、太夫に入れ込んで身請けした大名も多数いたという。しかし、太夫は高い教養、豪華な衣装など、太夫の育成には大変な費用がかかる。そういうわけで江戸中期(宝暦期以降)以降太夫はいなくなった。
    太夫よりも比較的下のランクの遊女を沢山育成したほうが、見世にとっても都合がよく、その中でも「昼三」(ちゅうさん)というのが最高位の遊女だった。
    よく時代劇などで、張見世(店先に座って、格子越しに客の指名を待つ)のシーンが出てくるが、張見世に出ている遊女は格下の遊女である。

    昼三というのは、張見世をすることなく、廓の中にいて引手茶屋(吉原の中にある茶屋)からの客の呼び出しを待つ。茶屋から客に呼ばれた後は、禿(かむろ)を引き連れた「花魁道中」で客を迎えに行った。

    なお「金に媚びず、権威に屈せず」というのが吉原遊女の心意気で、これを「張り」と言った。
    金、権威になびかず、自分の生き方を貫くという意味らしい。江戸っぽい話である。

    面白いのは、客と遊女の関係で、かりそめとは言え、吉原の中では夫婦と同じ事。吉原内での浮気は厳禁だったらしい。浮気がバレると、馴染み遊女の店の者や妹分に囲まれ、髷を切られたり顔に墨を塗られたりしたそうだ。吉原には粋に遊ぶためのルールがあったのである。また、「間夫」という存在もあった。一節には遊女が身銭を切ってあげていたという話もあるが、「間夫は甲斐性」と言って、「彼氏の1人くらいいたほうが、励みになるよね」ということだったらしい。年季が明ければ間夫と一緒になるケースもあったようだ。確かに花魁稼業とは、間夫の1人くらいいないとやってられないのかもしれない。

    さて、吉原の話が長くなったが、以上のような基礎知識をアタマにいれておくと、この「廓源氏」は分かりやすい。

    登場する遊女は、葵、六条、夕顔、という名前、また源内典待(げんないしのすけ:恋人がありながら源氏の君に恋をする女性。初老の可愛らしい女性として描かれる)がモデル、元花魁で今は遣り手の「お浜さん」、末摘花をモデルにしており、器量が悪いので遊女になれず、下働きをしている「お末」など、源氏物語の登場人物を重ね合わせている。

    主人公の「源ちゃん」は、遊女の「仕込み」を生業としている。素人をいっぱしの遊女に育て上げるのである。(なにするかはご想像のとおり)

    「葵」は信じていた男に吉原に売られ、それが信じられなくて客をとらない。狂言自殺を図ったりするが、源ちゃんの色々な働き(女装したり)のお陰で、昼三として出世する。ちなみに、「葵」というのは源氏物語の中では、源氏の君の正妻である。六条御息所の生霊に取り殺される役柄。

    「六条」は、吉原一の大傾城。源氏物語同様、源氏の君のかつての恋人。
    「夕顔」は、源氏の君の恋人の1人であるが、若くしてはかない一生を終える。ある夜、女性の霊(六条御息所とも言われている)に取り憑かれ、人事不省となり、そのまま亡くなる。

    「廓源氏」で、夕顔は新造(まだ客を取らない若い娘)として六条の側にいる。顔は綺麗なのだが、口も聞かず、笑いもせず、頭が弱いのかと最初は下働きに出されたが、六条にだけは懐くのだった。「源ちゃん」は、見世の主人に頼まれて、夕顔を外に連れ出して飴湯をおごったりする。夕顔を連れ出す源ちゃんを見て、六条は(私には飴湯もおごってくれたことはないくせに)と、呟く。
    その後何日も源ちゃんに連れ出され、だんだんと表情が明るくなってくる夕顔を見て六条は自分でも気がつかないうちに嫉妬に苦しむことになる。生々しい夢を見て、涙を流しながら目が覚めたりするのだ。
    そして、体調を崩し、身上がり(遊女が仕事を休むこと)をして伏せっていた。夕顔は源ちゃんと一緒に外出して、六条と揃いの簪(かんざし)を買ってきて、寝ている六条に「お揃い・・」と簪を渡そうとするが、六条は幻影を見て、夕顔を絞め殺してしまうのである。夕顔は「よくある話」として、お歯黒溝に沈められる。

    六条御息所がモデルと言われている、上村松園の『焔』 。東京国立博物館蔵。
    「嫉妬」は妄想苦の一つであるが、「性」(さが)の一つでもある。

    話の途中で、源ちゃんには「藤壺」という、引き離された仲の遊女の存在が語られる。

    源ちゃんが遊女の「仕込み」をやっているのは、藤壺に対する復讐であるかのようにみえる。彼は遊女の「仕込み」をしながら、心のなかで「不幸になれ」と言っているのだ。

    どろどろとした愛憎劇だけではない。「源内典待」という章では、もと「容野(かたちの)」と言われた花魁で、一時期は百人のお相手がいたという恋多き女性で、「お浜さん」という。遊女は年季があけても外に出ない場合もあり、いわゆる遣り手になるケースも多かったらしい。お浜さんは60歳近いのだが、相変わらず「恋」に生きるオンナなのである。源内典待同様、可愛らしくコミカルに描かれている。
    ちなみに「源氏名」というのは源氏物語から来ているらしい。

    廓源氏 (2) (まんがグリム童話)

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  • 源氏物語

    教科書で名前は知っているものの、源氏物語を解説付きでしっかり読んだことがある人は、現在そんなに多くはないのではと思う。
    周囲の人達に「源氏物語」って、マンガでも映画でも何でもいいから、読んだこととか、見たことある?と聞いても「読んだことない」という人が圧倒的に多かった。

    源氏物語に限らず、人物の相関関係がわからないために、なかなかとっつきにくい古典は多い。私も「古事記」は口語訳やコミック、日本書紀はコミックで読んだ。しかし、ちゃんと家系図とか誰がどんな人物なのか、というのがわかれば、結構面白い。

    連環日本書紀 上 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)

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    日本書紀。これで読むとよく分かる。

    連環日本書記 2 (キングシリーズ)

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    口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)

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    口語訳古事記。日本の神様は浮気ばかりしているので、相関関係がわかりにくい。

    17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

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    日本神話も分かりやすく書かれている。17歳じゃなくても充分面白い。

    私は高校時代、古典が苦手だったので「源氏物語」という名前だけは知っていた。つまり、全く興味がなかったのだ。しかしある時、源氏物語そのものではなく、どんな人物であるとか、どういう関係だとか、歴史背景や宮中の行事を中心に説明した本を読んで「へえ」と思った。白状すると、半分以上はコミックの類だが、これが結構面白いのである。

    いずれにせよ、日本が世界に誇る「愛の物語」だ。

    第一部:数多の恋愛遍歴を繰り広げながら人臣最高の栄誉を極める光源氏の前半生
    第二部:愛情生活の破綻による無常を覚え、やがて出家を志す光源氏の後半生と彼をとりまく子女の恋愛模様
    第三部:源氏死後の子孫たちの恋と人生

    まず、この時代は通い婚だった。女性も財産を持つことが許されていた。また、この時代は戦争が起こらなかった。通い婚という習慣があったため、殿方は恋愛に忙しく、戦をしているヒマがなかったのだ。女性のところに通うにしても、まずはあらかじめ根回しが必要である。今夜行きますから、戸が開くようにしておいて下さい、とお付きのものにも伝えておかなければならない。

    いざ目的を果たして朝がくると、夜が明ける前に退出し、戻ったら「後朝の文」(きぬぎぬのふみ)という、ラブレターを女性に書かなければならない。この文にセンスがなかったりすると、バカにされてしまう。そのため、後朝の文専用のゴーストライターもいたようで、とにかく殿方は忙しかったのである。

    面白い?ルールとしては、基本的に殿方は姫の顔を見ることはできない。あの姫はキレイだとか、見目麗しいという噂などに頼る。また、姫様は殿方に寝所の御簾の中に入られてしまったら、関係を持ってもしかたないというルールもあったらしい。三分間ルールみたいだ。

    そして、源氏物語が、何故こんなに日本人に愛されるのかを考えてみた。

    セレブ(帝の王子様)と、母への慕情、義母との許されざる恋なんだろうな、と思う。もう一つは、年若い少女を拉致同然に連れ去り、自分の好みに育てるという「禁断シリーズ」二本柱に当てはまるからなのかもしれない。

    ティーンズコミックの「禁断シリーズ」の主人公の相手は大抵は「お兄ちゃん」である。「お兄ちゃん」がこんなことするなんて、と、主人公はめそめそするのだが、やがて愛欲の世界に(笑)というのがそのおおよその筋書きだ。しかし、流石に「最後の一線は越えない」というのがコミックである。あ、脱線。

    源氏の君はマザコン桐壺の更衣は、帝に寵愛されていたが、他の妃の嫉妬やいじめを受けて源氏が3歳の時亡くなる)、更に亡き母、桐壺の更衣に生き写しの藤壺(前の奥方にそっくりな先代の帝の娘)を慕う。慕うのならまだしも、藤壺のところに通い、寝所の御簾の中に押し入り、やがて王子が生まれてしまうのだ。
    桐壺の帝は、源氏と藤壺の間の子とは知らずに、大事に育てるのである。マザコンで、義母と通じて子をなしてしまったわけだ。
    桐壺帝は優しい方で、その皇子を抱きながら、源氏に「あなたにそっくりですよ」と言う。

    ★ちなみに、後に源氏自身も妻、女三宮が不義の子(薫)を生むという目に遭う(因果応報?)

    その後、桐壺帝は亡くなり、藤壺は出家してしまう。いくら源氏でも、出家した女性には手を出せない。
    その後、病気療養していた源氏は、藤壺の姪である紫の上(まだ幼い)をいわば略奪し、自分の理想の女性に育てる。そして自分の妻にしてしまうのである。

    源氏の正妻の葵の上は、六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の生霊に取り殺されてしまう。この辺りは女の嫉妬の恐ろしいところで、クライマックスの一つでもある。
    源氏はその後紫の上と初床を迎える。それまでは、まるで優しい兄の如く、添い寝してくれていた源氏の君が、突如「男」となったのは相当なショックに違いない。物語には、紫の上が朝になっても不機嫌で起きてこない、というようなことも書かれているのである。

    ザコンで、義母と通じ、義母の姪を略奪し、自分のモノにすると、こう書いてみると結構とんでもない輩だが、関係した女性達は誰も光源氏のことを悪く言っていないのである。それは多分、どの女性に対しても、ピュア(?)な気持ちで接していたからなのだろうか。

    末摘花(すえつむはな)は、源氏が関わった女性の中でも、不美人(ハナが大きくて赤い)だと書かれている。古風で堅苦しくて、気が利かないので源氏に「一緒にいて恥ずかしくなる」とまで言われるが、それは純真な心の裏返しで、源氏も感動し、晩年は妻の一人として迎えたと書かれている。
    不美人でも源氏はちゃんと面倒をみるのである。そういうところも源氏のモテる原因なのだろう。

    なお、とっつきやすいのはやはりコミックだろう。

    あさきゆめみし 1 完全版 (KCデラックス)

    あさきゆめみし 1 完全版 (KCデラックス)

    少女マンガで「源氏物語」と言ったらこれだろう。

    源氏物語 (第1巻) (SCオールマン愛蔵版)

    源氏物語 (第1巻) (SCオールマン愛蔵版)

    江口源氏。現代語でなく、古典をそのまま使っている。江口氏なので結構エロい(笑)

    まんがグリム童話 艶聞源氏物語

    まんがグリム童話 艶聞源氏物語

    葉月つや子氏によるもの。源氏の君が何だか現代的。女性は皆色っぽい。

  • タダトモ夫婦。

    昨年「タダトモ夫婦」という言葉が流行った。私は「単に一緒に住んでいるだけ」だけなのか、あるいはセックスレスなのかと思っていた。
    しかし、調べてみると、女性が「一人の時間」を、求めているのだということが分かってきた。家事や育児の時間を、夫に負担してもらって、自分の時間に充てたいのだそうだ。
    男性は「イクメン」(育児をする男性?)化し、妻は「おひとり妻」化である。

    それはさておき、DV(ドメスティック・バイオレンス)について調べて見ると、身体的虐待、精神的虐待性的虐待、経済的暴力、社会的隔離などがあげられる。

    性的虐待の定義として、性交の強要・避妊をしない・特別な行為を強要する・異常な嫉妬をする、など一方的な行為で、近親間強姦とも呼べる。中絶賛成派は中絶をさせないこともこの中に含まれるとしている。

    私が考えるに、性的に放置する、というのも含まれるのではないかと思う。

    まあ、私が虐待されたわけではないのだが、後輩のためにもちょっと書いておこうと思う。

    私の場合、コトのおこりは、婚約期間が比較的長かったため、友達化している事実があったものの、盛大な結婚式も控えていたりして、「今更結婚をとりやめるわけにはいかない」という状況や、自分の中で、確かにわき上がってきた「どうも自分は相手の遺伝子を残したくない」という感情に気がついたことだった。微妙ではあるが「嫌いじゃないけど、遺伝子を残すっていうのには一抹の不安がある」という感覚だ。

    これは原始感覚に従った気持ちでもあったと思う。「そこでやめときゃ良かったのに」と言われれば元も子もないのだが、人生の勉強である(笑)。一抹の不安と共に「ま、何とかなるか」という感じだった。実際は何とかならないのだが(笑)。

    ★笑って済ませられるというのは、今ハッピーだからです

    また、先方の母上と初めて会ったとき、まだ彼女ですらない私が言われたのは「この子(息子)の孫が初めての内孫だね」ということだった。私は大学生だったが、そんなことは微塵も思っていなかったので、何だかいやな気がした。そういう目で見られているのか、という妙な感じである。

    結婚してから5年は会社に勤めていたし、操体の学びも深まり、開業することもでき、順調に進んでいた。運良く操体の本も出すことができた。三浦先生はじめ、第二世代の操体の先輩達とも巡り会い、操体は私のライフワークになっていた。

    この間は「仲は悪くないけれど、一緒に住んでいるだけ」の生活である。一度相手に「私に興味はないのか」と聞いてみたところ「腰が痛いから」という答えが返ってきたのを覚えている。
    そうなると、もうどうでも良くなってくるではないか(笑)。

    また、二年に一度くらい、突然「コドモはどうするんだ」と言われたりするとびっくりするものである。二年に一度位思い立って、いたしたからといって、どうなるわけでもないか。これで命中したら大したもんである。

    ふーふせいかつはないんだけど、相手は子供だけは欲しがっている、という妙な状況だ。何だか「子作りのウツワ」として見られているんだなという感じだ。

    こんな時は、朝から晩までダブル、トリプルワークでくたくたになっている時、夜中に突然叩き起こされたりする。勿論こちらも応じたりはしないのだが、これは本当に苦痛だった。これってもしかして虐待??

    また「子供でも生まれれば操体にそんなに夢中になることはないだろう」と思ったようだった。明らかにそんな雰囲気、いや言葉を発することもあった。私はこれが一番イヤだった。

    相手の下のお姉さんは子だくさんで、四人の子供がいた。上のお姉さんのところには子供はいない。下のお姉さんが三人目か四人目を妊娠したという話を聞いた時、余程「内孫」が欲しかったのか、先方の家族会議みたいなところで私は正面きって「腹切って死んでもいいからマゴを生め」と先方の親御さんに言われた。こうなると、意地でも応じないぞ、と思うではないか(笑)

    その翌年、私はシングルに戻る選択をした。親も最初は出戻り娘に「ヨメに行け」とうるさかったが、最近では「操体」を認めてくれつつある。

    私とは全く逆で「東大卒男子のタネが欲しい」と、東大出の男性と結婚し、可愛い男の子を授かった後、子供を連れて実家に帰り、電撃離婚した友人もいた。優秀なタネが欲しいというのも一理あるか。でも極端だな(笑)。

  • 一度ワンランク上のものを味わってしまったら

    私が愛読しているネット上での連載「乗り移り人生相談」で、島地勝彦氏が書いていたが、キリスト教などでは、長い間女性の快楽を宗教的に細かく抑圧していた。オンナはあくまでも産み育てる器だったのだ。
    それは恐らく「快」というものを女性が知ってしまったら、コントロールが効かなくなることを知っていたのだ。

    乗り移り人生相談 -柴田錬三郎・今東光・開高健、降臨!!

    乗り移り人生相談 -柴田錬三郎・今東光・開高健、降臨!!

    これは書籍版。ネット上での連載をまとめたもの

    これもある女医さんに聞いた話だが、アフリカの女性で、妊娠と出産を繰り返し、40歳過ぎて初めて月経という存在を知ったという話もある。
    アフリカは未だに女性器切除(女子割礼)という習慣がある部族もいる(Female Genital Mutilation、略称FGM)私が読んだ限りでは「割礼」という言い方で、陰唇を陰核もろとも鋭い刃物で切り、穴を二つだけ開けて、縫ってしまうのだという。穴二つというのは、小水と経血が出る穴のことだ。

    こうすることによって、結婚まで処女性を保てるとか、切り取ることによって性欲を押さえることができるとか考えられているらしい。
    明確にわかるのは、女性の快を味わう器官を最初から切除し、それとは「無縁」、つまり働き手であり、ひっきりなしに妊娠と出産をくり返すことに専念させることと、一種の女性蔑視もあると言われている。世論でも残酷な行為として声が上がっている。また、感染症で亡くなるケースも多いらしい。私も勿論反対だ。

    先の島地勝彦氏の本によると、昔の日本の男性の多くは、処女と結婚して正常位だけで済ませて、ツマには「夫婦の営みとはこんなもんだ」と、思わせて、自分は外で遊んでいたという。遊んでいたというと聞こえが悪いかもしれないが、家は家、外は外だったのだろう。

    しかし今は情報があふれているし、女性も「そんなもんじゃなかろう」という人のほうが多いだろう。
    「うちの彼って、○○して××してこれで終わり?!」とか。これは「愛の技」でも同じではないだろうか。「こんなもんだ男」が普通だと思っていたところ「ええええっ?愛の伝道師」に出会うという体験をしてしまったら女は「こんなもんだ男」で満足できるのか?

    シマジ氏は「知る悲しみ」ということも書いているが、洋服も、シガーも、シングルモルトも一度いいものを味わって知ってしまったら、ランクを下げられなくなるのだ。これは男も女も同じだ。

    操体も同じで、第1分析しか知らない場合は「こんなもんだ」と思うのだろうが、第2分析、第3分析での「快」を味わってしまったら、「こんなもんだ」では済まなくなってしまう。これは紛れもない事実である。

    また、よく思うのだが、第2分析しかり、第3分析は、女性が感じる性的な快感に通じるところがあると思う。男性のフィニッシュが、瞬間急速脱力だったら、女性のは、第3分析以上と言ってもいいかもしれない。生まれ変わったら男と女、どちらがいいですか、と聞かれると、女性の中には「モテ男になって、女性を制覇しまくりたい」という人もいるが(わからないではない)、大抵は「オンナのほうがいい」と言うのは何故か。それはやはりからだが受容する「快」が深いからではないだろうかと思う。

    第2、第3分析の「快」を味わってしまったら、ハマる男性が多いのもわかる気がする。
    まあ、ウソかホントか味わって頂ければと。