カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 楽と快の違い

    今週は急遽畠山が担当致します

    『楽と快の違い』というのは、私のレーベンス・テーマでもありますので、色々ご紹介できるかと思います。

    「楽と快の違い」という前に、「楽」と「楽しい」は違う、っていうことを認識するのが大事だと気がつきました。

    楽と快の違いがよくわからんわ、という方は、どうも「楽」と「楽しい」を混同しているのかな、という気がします。

    「楽」という漢字は元々巫女さんが病(やまい)の平癒を願って鈴を振っている姿がもとになっていると言われています。音楽は楽しいもの、祈りでありカミサマからのメッセージでもあります。

    そういう認識がある方に「楽と快は違う」というと「何でやねん!」と突っ込まれることもあります。

    楽は「流されること」、楽しい、は時には大変なこともあるけれど、自分で選んだ道なのです。
    流されること、自分で選んだこと、そういう違いなのです。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • フォーラム後のお楽しみ。そして東京へ

    後片付けを終えて、関東へ、九州へとそれぞれ帰路についた。
    実は今回、秋のフォーラムで特別講義をしていただくことになっている、川崎隆章氏が東京から駆けつけてくれていた。更に私が大阪の「兄ぃ」と呼んでいる「ナニワの色男」ことアートディレクターのA氏、東京からは「何だか凄いひと」H工学研究所のO氏も来て下さっていた。詳細はここでは書かないが、川崎氏、A氏、O氏の三名は私の10年来の知り合いで、川崎氏とO氏は春のフォーラムにも参加して下さっていた。とにかく三人とも奥が深い方々である。まあ、何かを極めているからこうやって異分野で話ができるのだろう。

    昨年もA氏の紹介で「片泊まりの宿」(朝食のみがつく)に泊まった。ここはミシュランにも載っており、円山公園の中にある素晴らしい宿だった。今年はこちらがお家の事情でお休みだったので、やはりA氏の紹介で「床」がある旅館に泊まることになっていたのだ。A氏、O氏、川崎氏、三浦先生、福田画伯、岡村皇子、さがゆきさん、三浦寛幸君、私の9名である。タクシーに分乗して、三条京阪駅近くにある旅館に到着。京都や大阪は間口で税金が決まったそうなので、いわゆる「うなぎの寝床」というヤツである。小さな旅館なので、私達で貸し切り状態(9名でギリギリだったようだ)。
    旅館の名前は「畑旅館」。歴史好き(特に幕末)の福田画伯は既にコーフン気味である。着物姿の二人の若い女性が出迎えてくれた。お座敷でまずは一休みする。冷たいお茶と、黒蜜のかかった葛切りが美味しい。彼女達は、プロの仲居さんではない。この旅館は踊りのお師匠さんが遺した旅館を、お弟子さん達が切り盛りしている。彼女達は皆日本舞踊の踊り手さんだという。日本舞踊をされているだけあって、所作が美しい(そういうところは職業病というか、ついつい)。客間に入ってまず目に入るのは「床」と川だ。「おお〜っ!」と声が上がる。名物のカップルも点々とあちこちに座っている。「なんだか、京都じゃん」という感じだ。


    ★「床」から鴨川


    ★あやしい(?)寝室。三浦先生と岡村さんが泊まった。三浦先生からのリクエストにより撮影。

    一休みしている最中に、A氏がイタメシ屋を予約してくれた。Aさんはいつも美味しいところに連れて行ってくれるのだ。それは多分センスと「原始感覚」なのだと思う。少し落ち着いたので、9人でぞろぞろ出かけていった。有名な「池田屋」跡は「池田屋」という海鮮居酒屋になっていた。そこから先斗町に入り、ぶらぶらした。京都の街は東京ほど明るくない。電球色というか、ろうそく色というか、柔らかくて少し色っぽい。その後迷ったりしながらも、目的地に到着した。イタメシ屋はどちらかと言えばバーのような感じ。食べ物を私がざっと頼み、早速乾杯した。
    それから延々と4時間位食べて飲んで話が盛り上がった。詳細はまたの機会にするが、今日のフォーラムで実際に「足趾の操法」を受けた感想などから始まって、文化的な話から生物の話、あるいは亀甲縛りの話まで笑い疲れる程笑った(亀甲縛りの話はまたいつか聞けると思うので、お楽しみに?)。

    その後またぞろぞろ歩き、途中のコンビニで水や果物を買って旅館に帰った。寛幸氏は旅館に戻って早々寝てしまったが、残りの8人は「第二ラウンド」。三浦先生の「バナナ割り」とか、0家の家訓の話など、その場にいた人でなければわからないだろうからここでも詳細は省くが、ほぼ1時までまた爆笑が続いた。

    ところで、A氏、O氏、川崎氏の三人はいずれも私がM岡S剛氏のISIS編集学校を通じて知り合ったのだが、本当に物知りである。三人いれば辞書いらず?聞けば何でもわかっちゃう?それも「何でこんなコアなことまで」「何でそんな裏事情まで」と、とにかくすごい。私達操体組は「へ〜」とか「へへ〜」とか「そうなんですか〜」の繰り返しだったのである。そこにさがゆきさんの天衣無縫な愛らしいキャラが加わり、本当に楽しい時を過ごした。

    それからお風呂に入ってお休みなさい。

    朝目がさめると、部屋が真っ暗だった。雨戸が閉まっているのだ。雨戸がある部屋で寝たのは久しぶりだった。隣の部屋は昨日お茶をいただいたり、夜中まで話をしていた部屋だ。朝5時半だが、隣の部屋に寝ていた三浦先生と岡村さんの声が聞こえる(二人とも声が大きいのだ)。
    コンタクトもはめずに隣の部屋に行くと、雨戸が半分開いていて、三浦先生と岡村さんが座って話をしていた。三浦先生が
    「畠山、隣の床にトンビが止まっているの、見えるか?」「コンタクト入ってないので見えません」私はあわててコンタクトをコンタクトをつけてカメラを構えた。

    ★前方の木に焦点を合わせてみた

    ★とんびに焦点を合わせてみた

    ★早朝の「床」で。

    鴨川の「かも」

    ゆきさんも起きてきて、二人で「おでこに太陽光を当てるとメラトニンがでるぞ〜」「アンチエイジングだぞ〜」と朝日をおでこに浴びた。

    その後美味しい朝食をいただいて、各々が帰路についた。三浦先生、さがゆきさん、岡村氏、私の四人は「修学旅行で清水寺に行きそびれた」という岡村氏の積年の思いを叶えるため、清水寺に行くことにした。タクシーを貸し切りにして、駐車場で待っていてもらい、坂を登った。私は中学の時修学旅行で来ているのだが、お寺好きの割には全く記憶がない。


    清水寺の仁王門(重要文化財)。結構派手だ。


    ★回廊。この先の売店でお守りとかお土産を買った。


    ★山を見下ろす景色。素晴らしい眺めだ。震災から約半年たったせいか、中国からの観光客が多いような気がする。

    その後、茶店でかき氷やところてんを三浦先生にご馳走になり、坂を下ることにした。ここから京都駅に向かい、東京に帰ることになる。タクシーの中では心地良い疲労感と満足感に満たされていた。携帯でTwitterを確認すると、既に自宅に戻ったとか、これから仕事だとか、日常生活に戻っている情報が入ってくる。私達も明日からは日常生活に戻るのだ。

    京都駅でスーツケースをロッカーに預け、新幹線の切符を買い、1時間程買い物をして、各々駅弁を買ってから新幹線に乗り込んだ。三浦先生からビールが振る舞われ、皆で乾杯(今回の旅は乾杯ばかりしていたような気もするが)。いよいよ東京に戻るんだな、という何だか少し寂しいような早く帰りたいような、そんな気分になった。

    私にとっては25日夜から5日間の旅であり、やはり「操体は自分の天職だ」と思えた時間だった。
    フォーラム実行委員の皆さん、頼もしい操体のサポーターである友人達、その他色々関わった方々に「ありがとうございます」という言葉を贈ろう。

    明日からは、三浦寛幸氏が執筆いたします。再来週はスペインとトルコに行ってきます。

    畠山裕美

    11月6日(日)2011年秋季東京操体フォーラムが開催されます。

  • 京都フォーラム当日

    昨年はこのホテルに二泊したのだが、二日ともイノダコーヒー本店で朝食をとった。今年もそうしようと歩いていったが、7時少し過ぎなのに長蛇の列。イノダコーヒーは諦めて、スタバに移動した。

    ★折角行ったのに入れなくて残念

    その後、チェックアウトしていよいよ大徳寺へ向かう。

    発表者プロフィール


    ★会場の様子。後ろの襖絵は重要文化財なのだ

    パソコンとプロジェクタをセットし、参加者が続々と集まり「2011年東京操体フォーラム in 京都」が始まった。テーマは「愛と生 Love & Life」

    毎度の事ながら福田理事が総合司会をつとめ、岡村理事(実行委員長)の開会の挨拶と進み、最初のセミナーは、奈良漢方治療研究所(奈良操体の会)の北村翰男先生による、『生きている“からだ(いのち)”と生かしめる“こころ(わたし)”』北村先生は「無の操体」という概念を説いておられる。私は最初この概念が今ひとつ理解できなかったのだが、ある時気がついた。北村先生は、一般の方が生活に活かす操体を指導しておられる。東京操体フォーラムは、臨床家の育成、臨床家を育成できる指導者の養成が目的である。その辺りが少し違うところだ。
    私達は「快」「楽」「不快」という3つの感覚で考えている。ボディに歪みがあると、「快」か「不快」を感ずる。これが「快不快の法則」の成立である。一方「楽」は「ニュートラルで楽で何とも無い」という状態を示す。
    楽でニュートラルなところに「快」を問いかけてもきもちよさがききわけられるはずがない。
    現在「きもちよさを探して」という指導をしている先生方は「楽」に対してきもちよさを問いかけているので、患者は「何ともないじゃん」という感想を持つ。そこでこまった先生方は「きもちよさを探してぇ」と言ってしまうである。

    北村先生は「不快以外は全部快」という捉え方をされているのではないかと思う。その『快』の中に「楽で何とも無い『無』」が存在しているのではなかろうか。つまり「無」というのは「楽で何とも無い」ということではないのだろうか。

    北村先生の講義は「痛みから逃げる」「気がついたらちょこちょこ動かして調整する」という指導がメインである。
    今回も昨年に引き続き「操体前」と「操体後」に、本人の自覚症状の変化を書き込むチャート図を配布して下さったが、本人に「どれくらい変化があったのか」を実感させるのは重要なことであり、多いに参考にしたいところだ。


    ★北村翰男先生の講義

    その次は「きもちよさ体験」。
    参加者の方々に「足趾の操法」(一般社団法人日本操体指導者協会商標登録済み)を体験していただくのが目的である。橋本敬三先生が、足操術の先生から習ったものをアレンジしたのが3つ(揺らす、落とす、揉む)、それに三浦先生が5つのバリエーションを加え、それまでなかった「納め(おさめ)」を導入した。この「納め」によって、質の高い快感度を提供できるようになったのである。それに加え、私が20年近く研究している「趾廻し」(あしゆびまわし)を入れたものだ。
    「ユビモミは他力だ」という時代もあったようだが、現在では「快適感覚をききわけ(診断)、味わう(治療)」というスタンスで操体臨床をすすめているので、他力(というか手伝い)で、本人にしかわからないきもちよさをききわけていただき、味わっていただく、つまり自力自療であると考えている。また、足の趾は手や他の関節と違って一本一本動かすことが難しいという理由もある。寝たきりである、動くのが辛いとか、幼児や小児、言葉の通じない外国の方などにも、十分なきもちよさを提供できる(昨年スペインで実演。大きな反響があった)。また「きもちよさでよくなる」という橋本敬三先生の言葉を実感できるものでもある。
    参加している実行委員が全員操者役となり、参加者に対して足趾の操法を行った(当然私も操者をやっていたので写真はない)。途中から気持ちよさそうなイビキや『あ〜、きもちいい』という呟きが聞こえてきた。

    なお、終わってから見よう見まねで足趾の操法を真似している参加者がいた。足趾の操法はおおよそ60時間の講習で修得する。勿論、厳密な「作法」があり、操者のポジショニング、重心移動などを守ってやるのである。「操体法」が様々なスタイル(ヘンなものもある)で広まったのも、このように「見よう見まね」で広まっていったからなのかもしれない。
    冷たいようだが、見よう見まねで覚えた「テクニック」で、人様からお金を頂戴する、あるいは臨床を成功させるというのは虫が良すぎる。取得したメンバーは、60時間以上の講習を受けているのだから、お金を頂けて当然なのだ。

    昼食は、玉林院さん出入りの仕出屋の美味しいお弁当をいただいた。一つひとつが丁寧で上品な味で、なかなか東京ではお目にかかれないようなものだった。

    午後は日下実行委員の『意識と呼吸から見た『自己診断としての動診』。


    ★日下和夫実行委員。

    日下氏は若い頃インドでヨーガの修業をしていた。呼吸に関しては実行委員の中で一番詳しいのではないかと思う。意識と呼吸は密接に繋がっている。今の世『原始感覚』が鈍っている人が多いが、呼吸と意識の用い方によって、原始感覚を鋭敏にすることができるのではないかと思った。操体の基本は自然呼吸だが、意図的に「操者が行う呼吸」もある。
    私達操体指導者が一番苦労するのは「動きの指導」である。動ける人はまだマトモで、症状疾患を抱えた人達はどう動いていいかわからない。
    「本には『きもちよく動け』と書いてあるけど、痛いんだからきもちよくなんか動けないし、動けばわかると言われてもわからない」というのが多くのクライアントの悩みである。『動ける人』のように、ある程度健康な方を診ているのだったら「きもちよく動け」でも「ちょこちょこ動いて感覚をチェックしろ」と言えるのだが、いかんせん「感覚」をキャッチする『原始感覚』が鈍っている方々が多いのが今日この頃の現状である。
    その問題をふまえ、日下実行委員は「動きの意識づけ」「目線をつける」「呼気で動きはじめる」「感覚をききわける」「動きの表現」と、順を追って説明してくれた。いきなり『動け』というのは操者の配慮のなさである。健康体操指導や、元気な方だったらこれでもいいと思うが、操体の臨床を受けたい方々は、何らかの症状疾患を抱えて来られるのである。
    思うに『自分が動けちゃう』人は、いきなり「動きの表現」に行ってしまう。殆どの方は動き方が分からない。無理矢理分からせるとすれば、最大圧痛点を押すかどうにかして、逃避反応を起こさせるしかない。これはこれで操体の原点でもあるかもしれないが、被験者にあまり痛い思いはさせたくない。

    操体における「呼吸」はこれからますます注目度が高くなると思う。呼吸は皮膚に続く「お宝の山」になることは間違いないだろう。日下実行委員には、これからも呼吸の研究を深めていただきたいと思う。

    次はいよいよ「現代の巫女」こと、さがゆきさんによる、パフォーマンス。私は何度か彼女のライブを見たことがあるし、昨日の出雲大社での「即興」を目の当たりにしている。最初に「完全即興とは何か」という話から始まり、話の区切りがついた時何かが「降りて」きた。「素」の彼女は明るくて楽しい人なのだが、一瞬にして変わるのである。落語を寄席に見に行った事がある人なら経験があるだろう。テレビでやっているような落語は「マクラ」が抜けている。本来落語は「マクラ」「本編」「オチ」で構成されているのだが、放送されているようなものは、「マクラ」を飛ばしていきなり本編から入るものが多い。私が初めて生で寄席に行った時、「マクラ」から「本編」に移る時のタイミングに度肝を抜かれた。丁度マクラから本編へ移るような時のように、突然「降りてくる」のである。

    ★さがゆきさん。この後「降りてくる」

    歌詞があるわけでもない、決まったメロディがあるわけではない。まるで皮膚で聞いているような感じがした。本堂に響き渡る声に、一同は引き込まれた。さがさんの即興(インプロ)は、是非生で聞いていただくことをお勧めする。

    最後は三浦寛理事長による「第2分析の体系化」。昨年に引き続いての講義である。最初に橋本先生の話から始まった。参加者の中には、橋本敬三先生の「生体の歪みを正す」を読んだことがない、という方々が結構おられたが、操体を勉強するのだったら是非読んで欲しい。
    からだの動きは全部で8つある。対なる二つの動きを「楽か辛いか」で、比較対照すると、4つの動診が考えられる。首だったら、前屈と後屈、右傾倒と左傾倒、右捻転と左捻転、牽引と圧迫の4とおりの動診が考えられる。これが第1分析である。原則として「きもちよさ」ではなく「らくかつらいか」で分析する。

    第2分析は、一つ一つの動きに快適感覚の有無を問いかけるので、全部で8つの動診ができる。前屈、後屈、共に快適感覚がききわけられる場合もあるからだ。
    第2分析を体系化された図表があるが、昨年からよりよく改良され、一層理解しやすくなっていた。


    三浦寛理事長


    ★左から三浦理事長、北村先生、廣畑先生、秋のフォーラムで講義予定の川崎隆章氏

    その後、質疑応答、記念撮影、9月のマドリッドでの操体フォーラムの案内、11月6日の秋季フォーラムの告知を経て、2011年東京操体フォーラム in 京都は無事終了した。

    お楽しみはこれからだ。

  • 京都前夜祭

    松江から岡山まで約2時間半特急「やくも」に揺られていった。「やくも」はいわゆる「振り子列車」というもので、左右にゆらゆら揺れてバランスを取りながら走る。その揺れが絶妙で眠気を誘うのである。ちょっと寝て、ちょっと話をして、というのを繰り返しているうちに、岡山に着いた。「やくも」から新幹線への乗り換え時間はわずか10分なので、皆で急いで駅弁を買い、新幹線に乗り込んだ。時間的には一時間もないので、駅弁を食べていたらあっと言う間に京都に着いた。

    京都に降り立ち、下りのエレベータに乗ると、むっとするような風を感じた。昨年体験した暑さよりはましだったが、やはり暑い。タクシーに分乗してホテルへ向かった。ホテルは昨年泊まったのと同じホテルである。会場である大徳寺塔頭玉林院の準備は殆ど出来ているそうなので、三浦先生、岡村理事、福田理事、私の4人で挨拶に行くことにした。

    タクシーに乗り込んですぐ、もの凄い勢いで雨が降ってきた。私達は車の中にいるからいいものの、観光客が急な雨に雨宿りをしているのが見えた。すごい量の雨だが、いくらか涼しくなるのかもしれない。運のいいことに、大徳寺に着くと雨が止んでいた。実行委員の日下さん達が準備をしてくれていたが、聞いてみると大徳寺では雨が降っていなかったという。こちらはこんなことは珍しくないらしい。

    お寺の方にご挨拶し、荷物の搬入やパソコンのセッティングは明日やることにして、ホテルに戻った。その前に京都に続々と到着していたメンバーはどこかに行っていたようなので、電話をすると「錦市場」という近くの市場にいるらしいので、早速追いかけることにした。

    どこか旅行に行った時、一番面白いのは市場やスーパーマーケットに行く事だと思う。錦市場はお総菜が豊富だった。ゆきさんと私は市場で下駄を買った。その後皆で休憩することにした。入ったお店は居酒屋だか甘味屋だかよくわからないところで、皆で巨大な高さ23センチ位のかき氷をシェアして食べていた。


    ★かき氷で涼んでいるところ

    その後ホテルに戻ると、奈良の北村先生が着いていた。明日使う資料があるので、福田理事と一緒に近くのキンコーズにコピーを取りにいった。そこではたと気づいたのが「今日の『前夜祭』をやる場所を押さえていなかった!」。何軒も断られたが、結局昨年と同じ居酒屋を押さえることができた。


    ★歓談中

    二時間ほど歓談し、各自は部屋に戻った。このホテルにはスパがついている。天然の温泉をひいてあるのだ。スパに入って一汗流し、その後は各自で過ごしたのである。

    いよいよ明日はフォーラムだ。

  • 混浴露天風呂、そして京都へ


    ★夕食。島根牛の陶板焼きが美味しかった。

    ボリューム満点の夕食の後、腹ごなしに広い日本庭園を散歩することにした。昨年は女性モノの赤い鼻緒の下駄があったのだが、今年は何故かない。いわゆるつっかけを履いていったが、履きにくいので男モノの下駄を履いていった。

    日本庭園、旅館の周辺を散歩してからいよいよ混浴露天風呂「龍宮の湯」である。勿論撮影禁止なので写真はない(笑)
    男性はタオルを腰に巻けと言われるが、タオルは腰に巻ける長さではないので、誰一人タオルを巻いている人はいない。女性はパラオのような一枚布を巻いて入る。昨年は女子は私一人だったが、今年はゆきさんがいる。また、思い出すと去年は何だか男性諸氏は遙か彼方でぱちゃぱちゃやっていたような気がするが、今年は6人で盛り上がった。お約束通り皆泳いだりしている。丁度お湯が噴水のようになっているところがあり、その辺りを私達が陣取ってワイワイ騒いでいるのを、遠巻きに見ている若者達(それも若い男の子ばかり。男同士で温泉に来たのか??)がいたりした。混浴露天風呂は大人数で入ったほうが楽しいことを痛感。

    お湯はぬるいのだが、長く入っていると温まってくる。のぼせる前に出ることにした。

    その後は夜遅くまで色々な話で盛り上がったのだった。


    ★部屋から見える風景。

    朝5時位に起床。

    着替えてスーツケースに荷物を詰めてから、朝ご飯前に再び露天風呂に行った。朝は噴水も止まっており、夜とはまた違った雰囲気である。のんびり入っていると、雨が降ってきた。風呂に入りながら雨に降られるというのは滅多に出来る経験ではないが、ゆきさん曰く「野生動物になったみたい」。なるほど、原始感覚がふつふつと甦ってくる。何だか雨がものすごく楽しくなってくるのだ。機会があったら是非体験して欲しいと思う。

    結局またアタマからずぶ濡れになり、温泉の内風呂で軽く頭を洗った。8時なのでそろそろ朝ご飯である。

    朝食は昨日と同じ部屋で、昨日と同じ仲居さんが給仕をしてくれた。話を聞くと、この旅館で定年まで勤め、その後も週末だけ働いているのだそうだ。


    ★朝ご飯。夕食はお澄ましだったが、朝はしじみのみそ汁だった。

    そこで、三浦先生が「お母さん、僕達どんな集団に見える?」と仲居さんに聞いてみた。仲居さんは「先生」とか「芸能関係」とか「画伯」とか「治療家」とかさっぱり分からないと言っていた(笑)。仲居さんが出て行った後、今度どこかに皆で泊まる時は「親分」とか「元締め」「姐御」とかそういう芝居を打とうという相談となった。是非今度やってみたいと思う(笑)。


    ★東京では見かけなくなった丸形ポスト。旅館の前に立っていた。

    ★出発時の記念写真。

    玉造温泉に別れを告げ、一行は松江駅を目指した。これから「特急やくも」に乗り、岡山経由で京都入りだ。

  • 京都前夜。京都操体フォーラム

    今週はフォーラムが重なったこともあり、畠山が執筆担当しております。

    8月26日6時。三浦先生、岡村氏、さがゆきさん、私(畠山)の4人は羽田空港に到着した。昨年は京都のフォーラムが終わってから出雲の玉造温泉に行ったのだが、今回は京都に行く前に寄ることにしたのだ。一行は空港のカレーショップで一休みしてから手荷物検査を済ませ、搭乗ゲートへ向かった。朝から天気が良く、暑い一日になりそうだ。飛行機に乗り込むとすぐに飛行機は離陸し皆で窓から外の写真を撮った。やがて飛行機は雲の上に出て、地上は見えなくなったがそれでも一行は写真を撮りまくっていた。4人で色々話をしていると、あっという間に出雲縁結び空港に到着した。

    飛行機からの風景。撮影は三浦先生

    預けてある荷物を受け取って、出口を出ると、博多から夜行バスでやってきた秋穂氏と、出雲の住人、福田氏、それに福田氏の奥方が待っていた。今日はこれから一日レンタカーで出雲を回り、夜は玉造温泉に泊まる予定なのだ。

    一行は福田氏の奥方に見送られて出発した。途中出雲ドーム(日本一の木造建造物)の横を通り、ひまわり畑や田んぼの中を走って出雲大社に到着した。
    現在大社は「平成の大遷宮」の最中で、本殿は建設中だった。平成25年には、大遷宮が終了し、大國主大神が本殿に鎮座されるのだ。そのせいもあるのか、大社の門前町はリニューアル工事をしているビルが目立った。大社の鳥居の横でも工事をしていた。
    http://www.izumooyashiro.or.jp/sengu.top.html

    出雲大社の参道。

    お手水をつかう。


    拝殿。



    パワースポット。ここにパワーが降りてくる。

    拝殿で参拝を済ませ、お土産を買うと、そろそろ10時半だった。お昼を食べる事にしようと、私達は参道を戻る事にした。参道と鳥居の丁度中間辺りに広々とした草地があった。私も気になったが、さがゆきさんが「ここはすごい!」と、草地に向かった。地元の福田氏によると、出雲大社で一番パワーがあるのは、本殿というよりも、後ろの山らしい。建設当初の出雲大社は、巨大な神殿があり、その階段は山の上辺りまで続いていたらしい。この草地は、そのパワーが降りてくる通り道らしい。
    さがゆきさんは「現代の巫女」と言われている。彼女は「『うた』をやってる」と言うが、完全即興というパフォーマンスを行う希有な存在である。完全即興というのは、まさに自らを無にして「うた」が降りてくるようなものだ。
    三浦先生が、ゆきさんに向かって「何か表現してごらん」と言った。彼女は数秒目を閉じた。すると、涼しい風がすうっと吹いて、風が止まったのだ。それからゆきさんはまさに巫女に何かが降りてきた如く、草地に響くようなパフォーマンスをはじめた。歌詞があるわけでもなく、決まったパターンの旋律があるわけでもない、まさに「降りてきた」ような感じだった。私はこれをiPhoneで撮影することができた(なので写真は撮っていない)。

    もっと不思議なのは、ゆきさんが二度目の表現を終えて、いつもの「素」に戻った瞬間、また涼しい風が吹き始めたことだった。

    それから私達は参道を下りながら、途中で焼きかまぼこを食べたり、ソフトクリームを食べたりしながら歩いて行った。そこから少し車で移動して「荒木屋」という出雲蕎麦のお店で早いお昼にすることにした。出雲蕎麦というのは、めんつゆをつけて食べるのではなく、丸い器に入れて重ねたお蕎麦に、紅葉おろしと細葱、海苔をのせ、上から濃いめのめんつゆをかけて食べるのだ。つゆは独特の形のびんに入っている。最後は蕎麦湯が出てくるので、つゆを少し入れて飲む。
    「オトナ」が何故蕎麦が好きなのか、やっと何となく分かってきた今日この頃だ(笑)。

    出雲蕎麦のあとは、日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)へ移動した。向かう途中の曲がりくねった道路から日本海を眺めた。いい景色だった。

    神社の境内で暫く休憩を取ったあと、今度はグラスボートに乗ることになった。

    グラスボート「うみねこ号」結構年季が入っている(笑)

    天井からぶら下がっている青くて四角いものは、いわゆる「ゲロ袋」である。

    私はグラスボートの乗り方を知っているので、最初は秋穂さんと後ろの展望デッキにいた。最初は海の底は見えない。見えるような場所に移動したら船の底のガラスを覗けばいいのだ。最初から覗いていると船酔いしてしまう。
    船は小さな港を離れ、沖に向かった。もの凄い揺れだが海風のきもちよさのほうが勝る。

    階上から見た出雲日御崎灯台世界灯台100選にも選ばれた灯台。

    その後、船は浅瀬でスピードを落とし、海の底見物となった。小さい魚の群や、たまに現れる大物、海藻の森を上から眺めた。やはり、余り下を向いて集中するのは良くないらしく、ゆきさんが少し船酔いをしたので、三浦先生が展望デッキで治療をした。そのお陰で船が港に戻る頃には、彼女はすっかり元気になっていた。

    その後は「島根ワイナリー」に移動。意外かもしれないが、島根はワインの醸造が盛んなのだ。砂地なので水はけがよく、ぶどうの栽培に適しているらしい。白ワインは特に評価が高いそうだ。少し甘めというイメージがあるが、新酒はフルーティで口当たりがいい。
    このワイナリーは、試飲コーナーがあるのだ(笑)。運転手の福田氏には申し訳ないが、ゆきさんと私はこれが目当てだったりする。有料の試飲コーナーもある。私は無料試飲のコーナーに置いていなかった、無添加の濃いめの赤ワインを見つけ、試飲を申し込んだところ、担当の方がサービスしてくれた。これが非常に美味しかったので、ゆきさんと私で一本ずつ購入した。海外産のワインはほぼ間違いなく(チリなど一部無添加ワインもあるが、その場合はリーファーという冷蔵船で運ぶ)亜硫酸塩という酸化防止剤が入っており、これがワインの二日酔いの原因となる。島根特産「あご(トビウオ)野焼き」(ちくわ)や、のしいか、カワハギなどを買って、次の目的地へ向かった。

    次に向かったのは、今日の宿泊地でもある、玉造温泉(たまづくりおんせん)入り口にある、いずもまがたまの里伝承館へ。昨年もここに寄ったが、石とか貴石、鉱物好きにはたまらないところだ。この8月31日でサービスをやめてしまうそうだが、足湯があり、自由に入れるようになっている。気温が高くてお湯は結構熱いが、膝から下をお湯に浸けるととても気持ちよかった。


    みんなで足湯。

    その後、目的地である玉造温泉「長楽園」へ向かった。この温泉には「日本一大きな混浴露天風呂」がある。
    チェックインして、一休みしてから「混浴ではない露天風呂」へ行くことに。そこで浴衣を着ることになったが、一つ事件が起こった。男性諸氏は「着物は男は左前で女性は右前」というのである。ずっと「女も左前」だと思っていた私は少し心配になってきた。右前は死んだ人じゃないのか?圧倒的多数の声で、私は浴衣を着るのが面倒になってきたが、結局「女も左前」ということが分かって浴衣を着た。ちなみに女性が右前なのはブラウスとか、洋服である。理由は「男性が脱がしやすいように右前」なのだ(何故かこういうことは知っている)。

    その後、温泉旅館的な夕食の時間となった。島根牛のステーキはじめ、あわびの天ぷらなどに舌鼓を打ったのだった(写真は追ってアップ致します)

    そして、いよいよ混浴露天風呂の時間となったのだった

  • 出雲から京都の旅

    京都から東京へ向かう新幹線の中です。

    出雲を経て京都のフォーラム、フォーラム終了後のことなどをご紹介する予定です。
    お楽しみに

  • とらわれない操体

    お盆のせいなのか、猛暑のせいなのかヘンな夢を見た。

    操体の仲間達と海外に遠征に行き、今日帰国するぞ、と言うときに、東京が未曾有の災害で壊滅したというニュースが入るのだ。ホテルにまとめて預けてあったパスポートを受け取り、それぞれのメンバーに配る。不気味なのは、未曾有の災害が何だかわからないのだが、飛行機はこれから成田へ向かう、という話だった。何だかリアルだったが、夢だな、と分かっていた。

    まあそんなことは起こらないと思うけど。

    私達はとんでもない転換期に生きている。
    陰陽のサイクルは800年周期で訪れるが、先の「陽」のサイクルが終わったのは、1945年(昭和20年)。戦争が終わり、日本が大転換期を迎えた年だ。
    今は本格的に「陰」の時代に入っている。次の転換期がやってくるのが、約730年というはるか先のことである。
    男性原理が支配する1000年から1999年が終わり(物事は9年サイクルで動いている)、「1」が支配する最後のサイクル、1999年から2008年が丁度終わる頃、リーマンショックで世界が変わった。今年2011年は9年サイクルのうち「4年目」にあたり、「安定」または「大災害」の年にあたる。まさに「大災害」の年となった。このような転換期に生を受けたのはやはり何か意味があるのだろう。この世界を見ておけ、記録しておけということなのだろうか。

    臨床家は皆気づいている。
    クライアント(患者)が訴える愁訴の内容が変わってきていることを。

    2011年7月6日、厚生労働省は、それまでの四大疾病(がん、脳卒中、心臓病、糖尿病)に精神疾患を加え、五大疾病とすることとした。現実にはうつ、統合失調症の数が増え続けているのである。これは陰陽のサイクル変化の影響とともに、それまでは精神疾患などは「女々しい病気」のように考えられていたようだが、病気に対する理解とともに、受診者が増えたという理由もあるらしい。

    橋本敬三先生の時代は「正體術」でも「対なる動きを比較対照し、楽なほうに瞬間急速脱力させる」という第1分析でも間に合った。しかし、それは「陽」の時代仕様だったのだ。

    橋本先生がなぜ「楽」ではなく「快」にシフトチェンジしたのかといえば、恐らく「陰」の時代が本格的にやってきたという直感と「楽では間に合わない」という実感ではなかったのだろうか。
    三浦先生は5年の年月をかけて、第2分析(ひとつひとつの動きに快をききわけさせる)を体系化されたが、そこで「動けない場合に操体はどう対応すべきなのか」という、操体の盲点が明るみに出てきた。一つの手は、最大圧痛点に触れ、逃避反応を起こすことだが、これでは「きもちよさでよくなる」という操体の一番の特徴が活かせない。そこで、三浦先生が皮膚への接触という新たな分析法の体系化に着手し、それはほぼ完成しつつある。

    私がここ数年本当に悩ましく思っているのは、多くの臨床家でさえ、殆ど第1分析しか知らないということである。「楽と快の違い」が上手く伝わっておらず、そこに「動診と操法の区別」が加わっている。「操体がわからない」という場合のおおもとの問題点は、楽と快の違いの捉え方である。

    ちなみに、私達は「楽」「快」「不快」と、3つに分けて考えている。ボディに歪みが生じると「動かしてきもちいい」あるいは「動かすと不快」という「快不快の法則」が成り立つ。「楽」というのは、バランスがとれていて、何ともない、という状態である。なので「楽で何ともない」という状態に、「快」のききわけを持ち込むのは避けているのだ。
    (バランスがとれていて、活力にあふれていて生きていること自体がきもちいい、という場合もあるが、これは特別だと思う)。

    また、第3分析、皮膚へのアプローチは「陰」の性質の愁訴をもつからだに対して、非常に優しいということを伝えておこう。そして、操体は第3分析をも超越した、新たなステージを迎えている。いままでの「とらわれ」で操体や臨床に向き合ってはいられないのだ。

    http://d.hatena.ne.jp/lovecats/20110819

    ご興味のある方は、アタマの中で妄想を膨らませているのではなく、ホンモノの操体を体験して欲しい。京都、間に合います。
    操体の門戸はいつでも開いているから。

    何だか不死者とかタイムスリップとか今回の大震災とか、何だか明るくもなく、どよ〜んとした話題が多かったような気もしますが、100%ポジティブで明るくて元気じゃなくてもいいじゃん、という感じです。

    私が今年一番ショックというか情けなかったというか世の中にはこんなヒトもいるんだなと思ったのは、東北の大震災に対して「東京の消費生活の戒めです」と言ったヒトがいたことです。それが、少なからず操体に関わっていた方で(今は無縁)何故、東京の過剰な消費生活の戒めが、東北に行くのでしょうか。それは、東北人に対して失礼なのでは。私は東北ブラッズなので、そう思いました。

    師匠が、「もし、自分の妻や子供が被災したらどうなんだ」と聞いたそうですが(師匠も東北出身)「自分はそういう目にあったことがないから、それはわからない」と言ったそうです。正直言いますが、こんなヤツは去勢して島流しにでもしたろ〜かと思いました(すんません)。師匠にも不義理の限りを尽くした方ですから、仕方ないのかも。

    同じ事を思い出しました。私の父が急逝した際、ある同僚が「私は親を亡くした事がないから、あなたの気持ちがわからない」と言ったのです。多分、こういう方々ほど、ご自身の家族に何かあった場合、めちゃくちゃ騒ぐんだろうな。

    というか、肉親を亡くしたとか、災害に遭ったヒトに対してこういう事が言えるのか。凄いなと思った次第。これはすごい発見。ある種の無常観というか、こんなヒトもいるんだな、へー、という感じです。まあ、偽善的に「わたくしはそんな目に遭ったことがないのでハッピーだけど、おかわいそうに」というのもなんかイヤだな(笑)

    そして、共通しているのが、皆50歳越えた立派な大人なんです。ふつう大人がこんな事言うんでしょうか。

    まあ、いろんなヒトがいるからというので今回は終わりにするけれど、「痛みがわがんのががプロよ」という、橋本先生の言葉で少しは救われたかなと思います。

    人の痛みがわからん輩は、プロじゃない。

    というわけで一週間ありがとうございました。明日からは出雲の福田画伯の担当です。

    京都のフォーラム、来週です。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時空を越えることが出来たら

    私がもし、タイムスリップできるのだったら、1966年、あるいは67年あたりの仙台の赤門鍼灸学校に飛んで、自転車に乗って颯爽と登場する橋本先生と、当時の三浦寛青年を物陰からそ〜っと眺めてみたいと思う(笑)
    このへんはかなり本気かも(爆)

    もしかしたら、本当はそういうことをやっているのかもしれない。「この人と会うのって初めてだっけ?」とか「どこかで知っているような気がする」というのは、案外時空を越えているのかも。

    筒井康隆氏のジュブナイル小説(少年少女小説)と言えば「時をかける少女」が有名だ。筒井氏は実はこの作品があまり気に入っておらず、本来の自分のテイストとは外れていると言っているらしいが、短い期間に何度も映画化され、アニメ化されるということは、やは人を魅了するテーマなのだ。

    主人公はラベンダーの香りを嗅ぐとタイムスリップしてしまう。タイムスリップと言っても、1日か2日のことだ。ストーリーは多くの人が知っていると思うが、同級生の一人は、600年位先の未来からやってきていた。未来の世界では、ラベンダーが絶滅してしまっているため、彼は過去に飛び、ラベンダーを持ち帰ろうとしていたのである。結局、未来から来た同級生は、主人公はじめ、周りの関係した人々の記憶を消して帰って行く。主人公は「覚えていない何か」を心の隅に抱えながら大人になってゆく、という話である。

    時をかける少女 デジタル・リマスター版 [DVD]

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    原田知世バージョン。

    20代前半の頃、余りにもサイケデリックで賑やかで鮮やかすぎる夢を見る日が続いた。賑やかすぎてよく眠れない。もう、極彩色の曼荼羅毎日夢に出てくるのである。宗教的な啓示かもしれない、と真面目に考えたこともある。今思うと、からだが熟睡していて、脳が覚醒している状態だったのだろう。
    西葛西の実家の近所で一人暮らしをしていた私は、近所のかかりつけのクリニックに行った。この先生は女医さんで、未だに元気で診療に当たっておられる。私がこの一件を相談すると、先生はハルシオンを処方してくれた(治療目的以外で、使用する目的もなく所持すると、麻薬及び向精神薬取締法にて、逮捕・処罰される)。

    私はハルシオンが何だかよく知らなかったので、確か飲みに行った日の夜寝る前に服用したのだと思う。ヘンな夢も見ず、ぐっすり眠って爽やかに目がさめると、次の日の夜になっていた(笑)。金曜の夜から土曜の夜まで爆睡していたのだ。
    朝目が覚めるのではなく、夜目が覚めるというのは妙な気分だった。これこそ時空が飛んでしまったようだった。後に、ハルシオンはアルコールと一緒に摂取すると、効きすぎるということを知った(真似しないで下さい)。

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都 はいよいよ来週末開催です。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 小さい頃の自分に出会う

    大きくなってから、通っていた幼稚園や小学校を訪れると、何だか随分小さい建物に見える。幼稚園、小学校の時は、集団登校していたので、年長組、年少組が一緒になって道を歩いていくのだが、毎日えらく遠く感じたものだった。幼稚園の頃は、身長順だと前から2番目くらいのチビだったのである。団地は東京オリンピックの頃に開発されたところで、現在の千葉県稲毛区にあたる。千葉の小高い丘を切り崩して作ったものだ。幼稚園と小学校は丘の上にあった。毎日毎日朝は坂を登って行かなければならないし、幼稚園は小学校より200メートル以上先にあった。幼児の私にとって、毎朝の幼稚園通園は毎日が遠足みたいなものだったのである。

    数年前のある日、私は当時住んでいた団地の一室から、幼稚園まで歩いてみた。余りに近いのと、急な坂道だと感じていた坂は、短い緩やかな坂だった。これも自分が大きくなったからなのだろう。幼稚園の園舎は立て替えられており、昔の面影はなかったが、それでも小さく見えた。もっと驚いたのは、幼稚園の隣にある小学校の小ささである。小さいと言っても私の通っていた小学校は、千葉市内で2番目に児童数が多かった。私が3年生の時、3つの分校に分かれたが、それでも大きな学校だった。坂の終点に幼稚園があり、坂の角に小学校のプールがあった。そのプールも「こんなに小さかったっけ?」という感じである。
    要は私が大きくなったからなのだが、子供の時は何でも大きく見えるんだな、と改めて感じた。

    ということを書いていたら、購読しているメルマガが届いた。
    偶然にも面白いことが書いてあったので、引用してみよう。

    『思い出の場所を訪れてみる』

    思い切って青春時代の思い出の場所を訪れてみましょう。
    小、中学校や高校、大学など、自分の通っていた学校を訪れることで、
    あの頃の想いがよみがえってきます。

    あの頃と同じ場所に立つだけでいいのです。
    家から学校までの道のりをたどり、周辺を歩き回ってみるだけで十分です。

    できれば、「今のあなた」から、「その時のあなた」にひと声かけてあげましょう。
    それだけで、あなたの中の「子供心」は目を覚まし、癒されることになるのです。

    へえ、小さい頃の思い出の場所所を訪れるということは、こういうことなんだ。

    小さい頃の思い出の場所と言えば、今年3月11日に津波の被害に遭った、私の両親の故郷、気仙沼だ。

    小学生の頃は、夏休み毎に帰省していた。私は東京生まれなので、最初はおばあちゃんが何と言っているかわからなかった。母も私と話すときは標準語で話すのだが、親兄弟と話している時は何だかさっぱりわからない。しかし二週間もいると、私も段々東北弁がになってくるのだった。
    母方の実家は江戸時代は庄屋をしており、広い畑を持っていた。青臭いトマトや、甘くないとうもろこし、祖母が作る蒸し菓子や団子などを食べて過ごしたことを覚えている。祖母と母と妹と、江戸時代から付き合いがあるという鳴子温泉の湯治場に行くこともあった。二週間くらい母方の実家で過ごすと、夏休みをとった父が東京からやってくる。
    父が来たら、父方の実家に移動する。港の近くで、伯父が魚市場に勤めていたりしたので、毎朝気仙沼の魚市場に行った。
    楽しい思い出である。

    母方の実家は大船渡線気仙沼駅から二つ離れた、陸前高田市に隣接したところで、山の中だが、父方の実家は気仙沼の魚市場からも近い高台にある。避難所となっていた気仙沼小学校、中学校のすぐ下で、テレビ中継では、父方の墓へ行く道が映っていた。祖母は私が4歳の時に他界しており、祖父が高校3年の時に他界してから、家には誰も住んでいなかった。
    そして、誰も住んでいなかった家は、津波の被害に遭わなかったのである。親戚は皆無事だったが、家を流された家族もあった。テレビ中継では、見覚えのある風景が無残な様子を見せていた。

    私が愛してやまない、気仙沼あさひ鮨も津波で流されたらしい。地震後、電話が全く通じなかったので、心配していたが、丁度仕事で仙台に帰省した平さんが、仙台の駅ビル(仙台駅ビルにあさひ鮨の支店がある)の人に聞いて、気仙沼の人達の無事を知らせてくれた。
    その後、川崎隆章氏(秋のフォーラムで講演予定)から携帯に「8月から気仙沼あさひ鮨営業再開って、テレビでやってたよ」というメールが入った。

    ゴールデンウィークに、松岡正剛さんが東北を訪れたという話を聞いた。気仙沼にも足を踏み入れたそうだが、絶句してしまったそうだ。俳句でも詠もうと思ったそうだが、あまりの酷さに一句も詠めなかったとのことで、私は気仙沼に行きたいと思ったが、少し躊躇している。

    フリーアナウンサー生島ヒロシ氏は父のTBSの後輩である。同郷ということで父とは親しい付き合いがあった。生島さんの妹さんは、お母さんの遺骨を持ったまま気仙沼入りし、そこで被災した。先日財布だけは見つかったと聞いたが、身の周りに、被災して亡くなった方が確実に存在するのである。

    気仙沼にはいつ行けるだろう。

    果たして「小さい頃の私」を見つけることができるのだろうか

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都は来週開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。