カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 六日目 第七の天と太極の意志。

    操体を勉強し続けているが、たまに自分の「穴」に気がつくことがある。知っていると思っていても、少し「穴」というか盲点になっているところだ。
    今回、あることがきっかけで自分の「穴」をつくづく思い知ることになった。
    それは「第七の天」である。

    これについて橋本敬三先生の著書で書かれているのは「生体の歪みを正す」の285ページ、三浦先生の「快からのメッセージ」(58ページ)のみであると記憶している。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    三浦先生の話によると「18歳のガキ」の頃、橋本先生に聞かされたのだが、当時はさっぱりわからなかった、とのことだった。私も最初に読んだ時は何だかさっぱりわからなかった。勿論一度や二度読んだだけで理解できるわけがない。
    その後、色々な本を読んでみたが、橋本先生が「生体の歪みを正す」で書いていらっしゃる「唯物弁証法」は、ソ連社会主義的な唯物論だという理解に達した。
    「万物運動の起源は物に内在する矛盾から生ずる」ということだ。多分平たく言うと、あらゆる矛盾を暴露し、叩き、自分の意見(社会主義?)が正しいのだということだ。「オマエが間違ってるぞ!オレが正しいんだ!」と、理論的に相手をつぶしていくような感じだろうか。あるいは、唯物弁証論では同性は反発し、異性は親和すると認めているそうだが、異性にせよ差がが激しければケンカが大きくなるという。つまり、社会主義的唯物弁証法は、親和性もあるのだが、その戦略上「反発闘争」のみを強調するらしい。

    橋本先生は、ここで「これは現象(つまり相対的、眼に見える世界)を論ずる学問なのだな」と気づく。
    その前に橋本先生は「易」を事例に出し「易では内在する矛盾を陰と陽という二つの異質の勢力であるというが(中略)二つは必ず相対して存在し、大きくみれば、これは一つのものである。時に二つの面として現れる。二は一にして、一は二だと言う。陰陽未分の一なるものを太極と言う。
    この太極が万物発祥の源だという。太極は無極無限であり、無限界のうちに陰陽の現象が展開するのであって、現象のうちには無限が貫通普遍しているというのである。

    社会主義的な唯物弁証法では、現象界に神は普遍していない。ところが、東洋では、現象界(宇宙)に神が普遍しているとしている。

    生物の世界は、有機の世界から生まれる。有機は無機の世界から、無機の原子は素粒子から成り、素粒子はエネルギー波動の世界より生じ、波動は陰陽二極の世界から起こる。

    「陰陽なる性質の決定」は「無限なる太極の意志であり」「この太極は、生物からみれば、第七の天になっている」

    私の解釈だが、無限なる太極のみでは、無限なる太極のみである。
    そこで、太極の意志が「陰陽に分かれよ」と、陰陽にわけた。まるで細胞が分裂するように。陰陽に分かれると、それぞれエネルギーの性質が違うので、まるで陰陽が互いに恋にでも落ちたかのように、波動を発する。
    これは「はるか昔、人間は両性具有だったのだが、神が二つに引き裂いて、互いに求め合うようにした」という伝説にも何となく通じるような気がする。
    波動は素粒子を生む。私は物理がさっぱりダメなのだが、素粒子というのはそれ以上細かくできない粒子ということは知っている。つまり、万物の「もと」ではないか。

    今年の7月「神の素粒子」と呼ばれる「ヒッグス素粒子」が発見されたというニュースが流れた
    ヒッグス粒子は、英国の物理学者ピーター・ヒッグス博士(83)が提唱。宇宙誕生の大爆発(ビッグバン)直後、宇宙空間に漂っていた素粒子に質量を誕生させる過程で重要な役割を果たした「神の粒子」と呼ばれている。標準理論で存在が指摘された他の素粒子は98年までに次々と見つかっている。宇宙のナゾが解明されるのだろうか。

    素粒子に「質量を誕生させる」ことによって、無機物が生まれた。
    無機物から有機物が生まれるというのは、一番わかりやすい例では、植物による光合成らしい。無機物から有機物が生まれるというのは、宇宙誕生から地球の成り立ちを考えなければならないほど壮大な話らしいが、初期の地球の海は有機の海で、そこに雷が落ちてそれが生命体になった、という話は昔聞いたことがある。

    こうやって、段階をゆっくり踏んでいくと、何となく「第七の天」がアタマにはいってくるではないか(笑)。

    橋本先生は、シベリア抑留中だったが「古事記を思い出した」と書いてある。
    原初に成りませる神はアメノミナカヌシノカミ(太極を指す?)、次に成りませるのはタカミムスビノカミ、カミムスビノカミの二柱の神様で、陰陽ではないかと推測している。ムスビとは親和のこと、タカミは上昇、カミは下降を示すことを思い「日本古代民族祖先の直感と知とを今さら見直して」シベリア抑留中であることもわすれて、感慨に打たれたいた、と書いておられる。

    さて、キリスト教についても橋本先生は述べられている。
    「神は愛だというが、愛とは陰陽の親和のことであって、ムスビというのはこのことだと思った。聖書に『元始に言あり、言は即ち神なりき、万物これによりて成り・・』とあるが、言が宣せられるということは、陰陽未分の一なるものの意志が陰陽二質を現わして、そこに運動が起こり、物象が形成せられることであろう」

    聖書、易、古事記。いずれも根底に「太極の意志によって陰陽未分なるものが陰陽に分かれた。それが宇宙のはじまりである」という共通事項を秘めている。

    改めて記しておくが、橋本先生がおっしゃっている「唯物弁証法」は「社会主義的唯物弁証法」のことだ。そして「日本人の陰陽弁証法」と言っているのは、桜沢氏の「無双原理十二定理」を指すと理解している。唯物論弁証法も枠を拡げると、わからなくなってしまうからだ(生体の歪みを正す 232ページ)。

    お恥ずかしい話だが、昨年になってようやく桜沢如一氏の「易・無双原理」をしっかりと読んだ。10年前にざっと読んだ時よりは腑に落ちた。

    無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

    無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

    (新版。解説入りで読みやすい)

    その次に、桜沢氏が子供向けに書いた「魔法のメガネ」というのを買って読んでいたところ、この図を見つけた。

    魔法のメガネ―物の見方、考え方

    魔法のメガネ―物の見方、考え方

    橋本先生はおそらく、この図にインスパイアされたのではなかろうか。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 霊魂を賭けて

    今年の5月、ゴールデンウィークの「足趾の操法集中講座」の際、第77回操体指導者養成コースに参加している寺本君が、三浦先生に本を手渡した。私もすぐ側にいたので、その本を見せていただいた。
    薄い小冊子のような本で、表紙に「霊魂を賭けて」と書いてある。発行人 橋本敬三 と書いてあった。
    私も驚いたが三浦先生の顔にも驚きの表情が浮かんだ。
    T君は「ネットの古本屋で見つけたんですが、僕が持っているよりも先生が持っていたほうがいいと思って」と、言った。

    表紙をめくると「発刊の言葉」が書いてあった。

    永遠のむかし、創世の以前に、神の御獨子(おんひとりご)のうちに、
    神の像に似せてつくられし我ら、
    現在の世に生れ來り、迷ひ、造りし御方を忘れ果て、
    罪のうちに絶望してありしもの。
    父の獨子、この我らを救はんと、同じ肉體を具へて來まし、
    その肉體を罰して亡ぼし、罪を消し去り、永遠の生命は肉に非ざる御自身のうちにあることを
    示し、信仰の眼を開き給ひし御方。
    救主、イエス、キリスト。
    この御方を知り奉る時、現在に起る奇跡を、
    今や我らは若き一姉妹に見た。そして彼女の往きし所を教へられた。
    その始末を記録したのがこの小著である。
    昭和十一年八月二十七日

    この小著は、昭和17年7月17日に18歳で永眠した、坂井澄子さんという女子高生があの世に召され、その際いかに神の教え(キリスト教)に帰依して、死を恐るることなく旅だっていったか、ということが書かれているのである。彼女は死の少し前にバプテスマ(洗礼)を受けていた。坂井澄子さんは感冒をこじらせ、学校を休学していた。その病床で、洗礼を受けたのである。
    本書は三部に分かれており、最初の章はおそらく教会の牧師に当たる方が書いている。第二章が橋本敬三先生の担当で、最終章が澄子さんの父上の担当となっている。
    昭和11年と言えば、昭和8年に函館で「橋本敬三診療所」(投薬は漢方中心)を開業した数年後である。「大演習の前の集団種痘接種」など、戦争の影が見え隠れしている。

    橋本先生は、日記形式で澄子さんの病状悪化から、毎日の見舞い、彼女の最後の大きなお勤めとなった、病床での祈祷、そして死去までをつづっている。文学的で、イメージがわきあがってくるような文章だ。

    三浦先生は「こんなにキリスト教に帰依していたとはな」と感慨深そうだった。
    私も、お若い頃の「救いと報い」の話や、その他の断片的な記憶で「お若い頃はキリスト教に熱心だったのだな」とは思っていたが、確かにこれほど熱心だったとは思わなかった。年齢的には39歳前後の時だ。戦地への応召一年前のことだ。

    「救いと報い」の違いを知り、性格が一気に「呑気者」になり、結婚したのが大正9年、23歳の頃だ。それ以降、橋本先生とキリスト教との関係はどうなっていたのかは、文献には載っていないが、この小著を読むかぎり、39歳に至るまで、キリスト教と深いご縁があったのだと思われる。

    ちなみに「頑張るな」(頑張らなくていい)という考え方は「救いと報い」(絶対と相対)からきている。これは聖書のエペソ書から大きな影響を受けている(「生体の歪みを正す」参照)

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    このように、キリスト教と深いご縁を持っていらっしゃった敬三先生だが、洗礼は受けておられない。これについてはよく考えるのだが、多分、現在のキリスト教は「救いはない」と言っているからだと思う。実際、数年前の全国操体バランス運動研究会では、仙台の教会の牧師様が「救いはありません」と言っておられた。
    「生体の歪みを正す」にも記載があるが、本来、キリスト教は「救いと報い」がちゃんとある。エペソ書にも書いてあり、橋本先生は、それで「救い」があることを知り、また「報い」があることを知った。ところが、現在は、いくら神が「救われているんだよ」と言っても、人間がそれをなかなか理解しようとしない。そこで、敢えて「救いはない」という教えにしているのだ、と書かれている。

    いずれにせよ、本書は貴重な資料である。

    今回、本書についての執筆と紹介を快く許可して下さった三浦先生と、素晴らしいお宝を見つけたくれた寺本君に感謝致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 自由度が高いということ。

    11月18日(日)に開催の「2012年秋季東京操体フォーラム」の特別講師は、太田剛先生である。
    7月末、太田先生は「FM鹿島」のラジオ番組に出演した。私は丁度それを聞きそびれていたのだが、川崎隆章氏がデータを送ってくれたので、早速聴いてみた。母校鹿島の清真学園の話からはじまり、編集工学に終わるのだが、その中に「なるほど」と思う一節があった。
    清真学園というのは中高一貫教育である。男女共学でクラスは男女別だったらしい。
    太田先生が入学した当初はまだ新しい学校で、先生方も授業のあり方を模索していたそうだ。中学一年の時の国語の授業は、一年間「徒然草」だったとか、なかなか私立らしい面白さがあった。そういう自由なところがあるかわりに、エレキはダメだがアコースティックギターはOKとか、制服が厳しいとかヘンな縛りがあったらしいが、太田先生は身長180センチ、と書いて大きな学ランを作って着ていたらしい。学生はそんなところで工夫をするものなのだ。

    「何でも自由にやりなさい、っていうのは実は酷なんですよ」

    そうそう。
    操体も同じだ。「自由にきもちよく動いて〜」と言われても、患者様はそれができないから困って操体を受けに来ているのだ。最初は、操者が手伝って「はい、それでは軽く背筋を伸ばして、私が右手を内側にとっておきますから、この状態から、中指を中心に小指側を効かせて、ゆっくりと外側に回していただけますか?」のように、ガイドがないと不親切なのである。言うなれば操者の介入は「校則」みたいなものである。
    世の中にはたまに上記青文字のような言葉の誘導に対して「いちいち細かい」という方もごく少数おられるが、大抵は言葉の誘導と操者の介助補助は「最初は」必要なのだ。

    ★最初は「診断」しているのだから「きもちよく動いて〜」というのは順序が逆。最初は「ゆっくり動いて、感覚をききわける」。きもちのよさがききわけられたら、そこから「きもちよく動いて」あるいは「きもちのよさを十分味わって」と、進んでゆく。最初から「きもちよく動いて〜」というのは、「診断」をすっ飛ばしているのである。

    考えてみると、私も中学から大学まで同じ学校で過ごした。途中から中学は別の場所に移ったが、私が中学の頃は、中学から高校、短大から大学まで同じ敷地内にあり、学生ホールにはそれこそ13歳から22歳までの女子が集っていた。
    中学高校は規則がとても厳しかった。
    私は小学校の頃、クラスで非常に浮いていたので、そこから離れるのが嬉しかった。規則が厳しいのもそんなに気にならなかった。
    私はバスと電車で通学し、学校の帰りは毎日津田沼の「長崎屋」のレコード屋でKISS初来日時のビデオ(店頭で再生していた)を毎日見ていた。また、怖ろしい(笑)ことに、同級生の中にはロック好きな子が沢山いた。
    私は中高6年セーラー服で過ごした。高校の同級生の中には「都立は私服なんていいなあ」という子もいたが「毎日考えなくていいじゃん」と思っていた。勿論カバンをつぶしたり、スカートを伸ばしたりはしていたけれど。
    それはさておき、高校を卒業して、多くの生徒は同じ敷地内の短大、大学に行くわけだが、高校で押さえていた分(?)皆ブレイクするわけである(笑)。高校時代の先生と校内で会ったりすると「キレイに化粧してんな〜(笑)」とか、そういう会話が交わされたりするのだ。

    これまた操体も同じで、最初は操者の手伝い(というか、あーしろこーしろという誘導)が必要で、「きもちよさをききわけろっていわれてもなあ」「からだにききわけて?どういうこと?」みたいな感じなのだが、その状態からある日「卒業」する時が来る。
    そうすると「ああ、きもちのよさで良くなるって、こういうことなんだ」という実感がわき上がり、そうなってくると、臨床を受けるにせよ、セルフメンテするにせよ、自由度が大きく増してくるのである。


    伊達政宗公の墓所瑞鳳殿に向かう参道。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 構造力学と運動力学 続き

    「何故動かして診ないのか」という三浦先生の問いかけを聞いて、感じたことがあった。
    昨日、鍼灸学校において、特別授業で操体を2時間ほどやることもある、と書いた。私も実際その授業を受けたという鍼灸の先生の話を何度か聞いたことがある。たった2時間程度というのは本当に残念である。

    膝窩には幾つかツボ(経穴)がある。膝窩にある「委中」というツボは、いわゆる「腰痛」のツボらしい。私達は膝窩(ひかがみ)の触診をするが、圧痛点硬結点がかならずしも経絡図に書かれた「委中」と一致するとは限らない。私は余り詳しくないが、膝の裏には他にもツボがあるらしいので、そちらなのかもしれない。
    しかし「人間は動く」と考えれば、圧痛硬結の箇所が、膝窩の中で移動してもおかしくないのでは、と思うのだ。
    ちなみに、膝の裏に鍼を打つのは結構痛いそうで、また「てこずる」ところだそうである。
    それが、患者さんに痛い思いをさせずに、つま先を挙げさせて脱力させるだけで、膝窩の頑固な圧痛硬結が消えてしまうのだから、鍼灸の先生方が、操体に興味を持つのもよくわかる。
    (実は『連動』の理論を用いれば、ひかがみの圧痛硬結を解消するには、足関節の背屈以外にも多々方法があることがわかる)
    ところが、「足関節の背屈」と大抵一緒に行われる「膝の左右傾倒」や「伏臥膝関節腋窩挙上」(うつ伏せに寝て、膝を腋の下に向けて引き上げる)は「どこの経穴」に効くとか圧痛硬結が消えるものではない。どちらかと言えば、可動域が拡がり、運動痛が解消する。
    鍼灸の世界では、余りにも経穴のみを重視しているのではないのか、という気もする(構造力学的)。
    スポーツ鍼灸などもよく見かけるが「スポーツをする動くからだ」として診ているのだろうか、と思う事がある。この辺りはどなたかご存じだったらご教授願いたい。

    ここまで書いて思い出したが、15年程前、都内の整体スクールで操体の講義を頼まれたことがある。
    印象的だったのが、足関節の背屈を行って、膝窩ひかがみの圧痛硬結が解消した際、ある受講生が「ここが柔らかくなったからって、どうしたって言うんですか」という言葉である。翻訳すると「このツボが柔らかくなったからといって、どの症状疾患に効くんですか?」ということだ。
    その後、膝の左右傾倒と膝関節腋窩挙上を行ったところ、可動域が広がったのをみて、同じ受講生が「すごいですね」と言った。スポーツトレーナーの方々は、筋骨格系には詳しいのだが、経絡的に全身を診るというよりはパーツパーツに偏っているような気もしないではない(運動力学的)。
    橋本敬三先生の著書の中に、頭部に鶏卵大の疼痛を訴えるお婆さんがおり、全身をくまなく診たところ、足の裏に魚の目があった。魚の目が痛いのでヘンな歩き方をしていたようで、魚の目を削り、全身形態の歪みを調整したところ、頭部の疼痛が解消したという話がある。現代ならば、頭部のCTを撮るとか、痛み止めを投与するのだと思うが「症状疾患(現象)が起こっているところしか見ない」というのは、いささか危険である。
    ちなみに、私の母も全く同じ症状を起こしたことがあり、足の裏を見たら魚の目があった。母の場合も、スピール膏を張り、全身を調整したところ、頭部の疼痛が解消したことがある。

    構造力学からしか見ない
    運動力学からしか見ない

    これは非常に勿体ない。操体の特徴は、構造力学、運動力学の双方から人体を捉えているということだ。
    そうやって考えると、三浦先生の治療所の屋号「人体構造運動力学研究所」というのは、スゴい名前だなと思うのだった。開業する時、三浦先生は橋本先生に「屋号はこれにします」と見せたところ「ずっと大事にしなさい」というお言葉をいただいたそうだ。
    なお、外ではなく、治療所内に置いてある「人体構造運動力学研究所」の看板は、橋本敬三先生のご子息、橋本保雄さんが作って下さったと聞いている。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 構造力学と運動力学

    7月末、兵庫県鍼灸マッサージ師会の夏季大学講座に、三浦先生のお供として行ってきた。
    会員の鍼灸の先生方から、操体に興味があるという話があったのだそうだ。「操体とは?」という初学者向けの説明と、実技指導の依頼だった。
    最初はアシスタント兼モデルのつもりだったのだが、直前になって、師匠から「前半をスライドで説明して欲しい」という依頼があったため、春のフォーラムで使った資料をベースに、鍼灸・マッサージ師向けに作り直した。三分の一は視力障がいを持つ方々と聞いていたので、できるだけ口頭で説明しようと考えた。

    橋本敬三先生は、鍼灸の免許をもっておられたし、三浦先生が鍼の打ち方を習ったのは、橋本先生からだ。医道の日本誌にも昭和30年代頃から寄稿しておられた。鍼灸操体は意外と昔からご縁があるのだ。

    鍼灸学校の教科書にも操体が紹介されているが「楽なほうに動かして、瞬間急速脱力」という、第一分析が紹介されている。また、鍼灸の先生に聞いてみると、特別授業などで、数時間操体の時間が設けられていることもあるらしい。数時間であるから、仰臥膝二分の一屈曲位で足関節を背屈させて、脱力させるもの、同姿位で、膝を左右に倒し、倒しやすい方に倒し、脱力させるものなどの紹介にとどまっているようである。これでは臨床に活かせない。非常に残念なことだ。

    私が説明の中で、三浦先生の「快からのメッセージ」から「鍼灸を用いなくても経絡治療はできる」という一節をごく簡単に説明した時、参加者の先生方の何名かが一瞬、驚いた顔を見せたのがわかった。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    その後、質疑応答の時間になった時、予想どおり、驚いた顔をみせていた若手の先生の一人が、「鍼灸を用いなくても、経絡治療ができるというのは、どういうことですか?」という質問をした。

    「オレは怒りさえ覚えるよ」「何故、構造ばかり診て、動かして診ないんだ」「人間は動くでしょう」

    経絡は、人体の構造力学に非常に詳しいからだの見方なのです。それは、主要経絡(12経絡)の原穴が人体構造上、四関に集中して存在していることをみれば明らかです。しかし、それでは経絡の変動は説明がつきません。この経絡の変動は、構造力学のみで発生するものではなく、運動力学的にも発生するのであって、東洋医学はこの人体の運動力学に対する認識に欠けている、といわざるを得ないのです。
    経絡を包含するこのボディ(運動系)は、構造があって動く仕組みになっているにもかかわらず、東洋医学には動かして診断する、あるいは動かして治していこうとする動力学的診断や治療が存在しないのです。ここが鍼灸治療の盲点であり、診断と治療をむずかしくしている原因の一つに考えられているのですが、鍼灸治療にかかわっている当事者には、その認識があまりないようです。(快からのメッセージ 93ページ)

    鍼灸治療」と「経絡治療」というのは同一に考えていいのか、それとも鍼灸治療と経絡治療には何か相違点があるのか、という点です。
    本筋としては、経絡治療をおこなうために「鍼」や「灸」というものをもちいておこなうから「鍼灸」という名称になっているのでしょうが、もし「経絡治療をおこなう」というのが目的ならば、鍼とか灸をつかわずとも治療は可能なのです。それは、経絡を包含する運動系の存従と、この運動系のもつ「構造力学」と「運動力学」の二つの作用において
    理解できるからです。

    『経絡現象』」の著者である藤田六郎博士は、著書の中でで経絡を「筋運動主因性流体波動通路系」と称し、その発想機構を「広義、運動力学を採用せよ」と説き、さらに「主要な経絡は歩行運動と密接な関係にあり、すべての筋肉が経絡現象に関与するという原則が成
    り立つ」と述べています。
    このことは、まさに操体でいう「経絡を包含する運動系の存在に注目し、経絡を運動系の歪みという異常から運動力学的に把握せよ」との内容に一致するのです。イノチあるものは形を有して動きます。経絡を包含している運動系を動力学的に動かして診る、さらに、動かして治すという診断・治療においては、経絡治療そのものが成立してしまうのです。
    (快からのメッセージ 93〜95ページ)

    質問した先生も、その他の先生方もぽかんとしていた。

    その後、三浦先生は30年程前「医道の日本誌」に、「運動鍼」の概念を紹介したという話をしたところ(この場合、鍼を打ってから痛くないほう、あるいはきもちよさがある方向に動きを取らせるという「感覚」の分析も入っている)、「運動鍼というのもありますよ」という先生がおられた。私は鍼には余り明るくないのだが、調べてみると、鍼を打ってからある関節の動きを数度繰り返し、コリや張りを緩和するものらしいので、三浦先生が30年前に提唱した「運動鍼」とは異なると考えられる。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 松丸本舗 閉店へ

    こんにちは。畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。

    本は私の人生と言ってもいい。親が言うには、三歳の時、住んでいた団地の子供図書館に一人で行って、本を読んでいたらしい。今でもその本は覚えている

    もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

    もぐらとずぼん (世界傑作絵本シリーズ―チェコの絵本)

    この本なのだ。私が当時読んだ本がまだ売っているというのは、何とも素敵なことではないか。それ以来、私はずっと本を読んでいる。とにかく何でも読むのが私のやり方である。

    全国操体バランス運動研究会で、若い頃温古堂に出入りしていたという、加藤平八郎氏が、研究会で「読書」について話をされたとき「本を読むのが苦手、という子は、読み方を知らないからだ」「読書もスポーツだ」という話を聞いて「なるほど」と、思ったことがある。字が読めない子供には、お母さんやお父さん(お父さんのほうがいいかも)が読んであげるといいのではと思う(ちなみに私は子供の頃、父親のヘンな昔話を聞いて毎日寝ていた)。

    子供ではないが、本を読むのが遅いとか、苦手な人は「読んだものを全部理解しようとして、あるいは覚えようとして読む」ように思える。
    最初から読まなければいけないとか、今読んでいる本を読み終えなければ次の本は読まないとか、大抵そういうシバリを自分で作っているような気がする。本はもっと自由に読んでいいのだ。

    「本が嫌い」という原因作りの一つに「夏休みの読書感想文」の弊害があるのは明らかだ。
    私が小学校の時、同じクラスに(千葉市の埋め立て地にできた新しい学校だったので、転校生が毎日入ってきた)、小学校二年の時、千葉市の小学生読書感想文の大会で、ベストを取った女の子が転入ってきた。いわゆるアタマのいいコで、後に上智を出た。いつも優秀な姉と比較されていた妹さん(私も知っており、よく遊んでいた)は、大学生の時に、稲毛の団地から身を投げて、短い生涯を終えた。

    話は戻るが、私達のクラスの担任の先生は「彼女にのみ、読書感想文を書かせ、それを市の読書感想文委員会に出した」ことが後でわかった。私も感想文を書いて出したが、当然「範疇外」だった。
    それはさておき「読書感想文」というのはどうもウソくさい。大抵課題図書が決まっていて、大人が「こういう模範的な感想を書いたら良い点をあげるよ」みたいな感じである。
    多分、本当に感じたこと、思ったことを書くと、絶対いい点は貰えない。子供もそれは敏感に感じ取る。だから「読書感想文って苦手だなあ」と思うのだろう。

    夏の思い出である。

    知の編集工学 (朝日文庫)

    知の編集工学 (朝日文庫)

    大手町丸善OAZOには、松丸本舗という不思議な書店がある。松岡正剛氏の「松」と、丸善の「丸」からの命名だ。
    三年前の開店レセプションの際には、私も顔を出した。一度行ったら忘れないような空間である。自宅からも割と近く、大手町は移動時に乗換したりするので、よく寄っていた。通常の書店では見かけないような、個性的な本が揃っている。本のカバーにもセンスがある。折々に楽しいイベントがある。福原義春さんの書棚はじめ、松岡さんと親しい方々の書棚が再現されている。
    一度足を踏み入れると、暫く出られないような、迷宮のような造りになっている。大島弓子の「ちび猫絵本」(この本は、猫好きが読んだら絶対泣く)を買い、エイミー・ベンダーの「燃えるスカートの少女」を買ったところだ。ご想像通り、ベストセラー本が山積みになったりはしていない。
    橋本敬三先生は読書家だったそうだが、お連れしたらきっと面白がっていただけるのではないかと思う。

    ちびねこ絵本 (白泉社文庫 お 1-19)

    ちびねこ絵本 (白泉社文庫 お 1-19)

    燃えるスカートの少女 (角川文庫)

    燃えるスカートの少女 (角川文庫)

    今年の秋のフォーラムの講師は、松岡さんの実戦部隊として活躍されてきた、慶應義塾大学SFC講師(ネットワークコミュニケーション実践)、太田剛氏にお願いしている。
    昨年の京都のフォーラムにも、川崎隆章氏、大阪のアートディレクター、荒木基次氏と共に参加して下さり、京都の鴨川沿いの「床」つきの旅館で深夜まで皆で話し込んだ。

    今年の春、松岡さんに「『操体』という言葉を説明するのは『編集』を説明するくらい、タイヘンなんです」という話をしたことがある。
    「へえ」と、興味深そうに聞いて下さった。
    ISIS編集学校」は、開講して12年か13年になるが、私は丁度12年前、第二期に参加した。

    私達操体実践者がよく困るのは「整体とどう違うんですか」(いやちがうんですよ・・)あるいは、指圧の浪越先生のポーズをしながら「マッサージ?」(それは指圧・・・)と、聞かれることだ。
    それと似たようなもので「編集を勉強してます」と言うと「赤ペンで修正するヤツですか?」(それは校正・・・)「シナリオを書いてるんですか?」「雑誌の記事を書くんですか?」と、様々な答えが返ってくる。
    「編集」も「操体」も色々な切り口があるからだ。

    松丸本舗閉店」のニュースが流れた時は、驚いた。

    その後すぐ、7月28日「松丸主義の日」イベントがあるというので、早速大手町まで出かけた。開始時間は15時だったが、私が着いた頃はまだ人もまばらだった。知っている顔をちらほら見かけて挨拶した。本棚に寄って安田登氏の「身体能力を高める「和の所作」」を手に取って、ふと横を見ると、松岡さんご本人が書棚を色々チェックされていた。
    いつもとはちょっと違うスタイルだった(丸いサングラスに帽子)。挨拶し「今日はいつもと少し雰囲気が違いますね」と言ったところ「僕は今日、職人だからね」と、笑っておられた。「そういえば、この前慶應の講義にも来てたよね」とか、少しだけ立ち話をして、おいとました。
    その後、会場は8時くらいまで盛り上がったようだが、私は猫を病院に連れて行くという役目があり、早々に退散した。

    身体能力を高める「和の所作」 (ちくま文庫)

    身体能力を高める「和の所作」 (ちくま文庫)

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

    丸善から丸善書店が分社、一等地に見合う売り上げが上がらなかったなど、理由はあれど、非常に残念に思う。

    思うに、一度「知のシャワー」を浴びると、クセになるのだ。「快の回路が開く」のと同じように。
    ものを知る、新しいことを知る、違うモノだと思っていたことが、実は全て繋がっていることがわかると「楽な動き」ではなく「快適感覚」でなければ、イノチが、からだが喜ばなくなるのと同じなのだと思う。松丸本舗は、そんな「知のシャワー」を浴びることができる場所だ。閉店まであと一ヶ月ちょっと。機会があったら是非足を伸ばしていただきたい。

    JR東京駅前の丸善丸の内本店に2009年、編集工学研究所長の松岡正剛氏のプロデュースでオープンした実験的な店舗「松丸本舗」が、9月末で閉店することになった。

     同店4階の200平方メートル余りの空間に迷路のように書棚を配置。ジャンルや著者による分類にこだわらずテーマごとに特集したり、読書家の書棚を再現したりするなど様々なコーナーを設け、5万冊の本との意外な出合いを演出する仕掛けが話題となった。アマゾンなどのネット書店に対抗する試みとしても注目されたが、東京駅の目の前という一等地に見合う売り上げを上げられなかったのが理由のようだ。

     まとめ買いする客が多い反面、ユニークな空間を見るだけの人も少なくなく、1〜3階の一般売り場に比べ、売り上げでは苦戦。実際には松丸本舗目当てに来店した客が別の階で本を買うことも多く、「集客のための宣伝効果やイメージアップ効果は大きかった」と松岡氏は言う。しかし、10年には丸善から丸善書店が分社し、丸の内本店は丸善書店に移管。松丸本舗だけは丸善にとどまったため、単体での売り上げ増を求められたことも響いた。

     松岡氏は「委託期間は3年で、丸善としてはこれ以上続けられないということだった。別の場所に移して続けようと模索したが、難しかった」と話す。

     店員が客に話しかけて本を薦めたり、本を棚に横置きしたり、棚に推薦文を書き込んだり……。書店の“タブー”を破る数々の試みは、店内のデザインやレイアウトも含め、他の書店や書店員に影響を与えた。ユニークな試みを続ける書店は各地にあるが、全国有数の大型店で実験的な売り場を展開し、書店の新たな可能性を多くの人に知らしめた意義は大きい。

     書籍・雑誌の売り上げが7年連続で減少し、全国の書店数も1万5000を割るなど、意欲的な店作りと業績を両立させることはますます困難になりつつあるが、電子書籍時代を書店が生き抜くためにも、松丸本舗の“遺産”が継承されることを望みたい。(文化部 多葉田聡)
    (2012年8月3日 読売新聞)

    なお、松丸閉店、のニュースが流れてから、「松丸」のコドモのように、従来の常識を破るような個性的な本屋が続々と誕生している。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • パワーストーンとトロールビーズ。

    一昨年、初めてスペインへ行くということで、本を一冊買った。「世界最速でアミーゴができる」というキャッチフレーズで「柔らかくて毛深いスペイン語の本」というのも面白かった。「柔らかい」というのは多分スペイン人が愛してやまない、国民的英雄のサルヴァトーレ・ダリの「やわらかい妖怪」とか、時計が溶けている絵から来たのではと思う。著者のブルーシャ西村女史は、バルセロナに留学し、絵画の勉強とスペイン語を学んだ。その後、スペイン語教師の資格(ディプロマ)まで取得した。その後、アメリカに渡り、現在はブルックリン在住、ユダヤの方からハイジュエリーのデザインと製作法を学び、オーダーメイドのハイジュエリーを作っている。スペイン語の感想を書いてメールを送ったところ、すぐ返事を下さった。その後何度かやりとりをしている。ブルーシャさんは年に一度日本に帰国するのだが、その時は出版社が開催する食事会があるということで、早速参加することにした。新宿の「美々卯」に集まったメンバーの前に、ブルーシャさんがにこやかに登場した。ロングヘアのキュートな女性である。

    世界最速でアミーゴができる!スペイン語入門―柔らかくて毛深いスペイン語の本 (CDブック)

    世界最速でアミーゴができる!スペイン語入門―柔らかくて毛深いスペイン語の本 (CDブック)

    参加者はそれぞれ自己紹介をしたのだが、その時私は気がついた。ブルーシャさんは実はニューヨークで霊能者としても活躍されている。参加者は私以外、霊能者としてのブルーシャさんに会いに来ていたのである。私だけが、スペイン語の本を書いた先生として参加していたのだ。
    参加者の中には「レイキをやっている」とか「ソーシャル・ワーカーをやっている」など、様々な人がいたが。「ブルーシャ先生に作っていただいたブレスレットを最近買いました。『恋人ができる』っていうブレスです。今から楽しみです」とか「ブルーシャ先生のブレスレット、二つ目です」という話を聞いた。ハイジュエリーを作っているのだから、貴石を使ったブレスレットを製作するのは当然だが、参加している方々の手元を見ると、皆さん、ブレスレットをつけているではないか。なるほど。スピリチュアルな力のある方が作ったものなら、パワーがあるのだろう。

    昨年、一昨年と島根の玉造温泉に行った際、さすが玉造というだけあって、曲玉をはじめ、色々な貴石やパワーストーンを売っているところがある。ここに入ると二時間位は入りっぱなしなのだが、とにかく石が沢山あるのだ。特に昨年は石愛好家が揃っていたので、相当長い滞在になった。パワーストーンには、それぞれ効能があり、説明されていることが多い。恋愛に効くとかビジネス運アップとか。また、治療家の中には、邪気を払うという目的で、石のブレスレットをしている人もいる。最近は男性もブレスレットをしている人を多く見かけるようになった。
    フォーラムの実行委員の中にも、ブレス派が何人かいるが、これも常日頃からつけているので、皆結構サマになっている。
    ジーパンを普段履かない人が、たまにジーパンを履くと「日曜日のお父さん」みたいになることがあるが、ブレスレットも同じで、日常的に身につけていると、馴染んでくるものだ。ブレスもたまにしかつけないと「何だか浮いて見えちゃう」のである。やっぱり慣れなのだろう。

    私はパワーストーンのブレスよりも凝っているものがある。それは、デンマークの名産品、トロールビーズである。飛行機の機内誌で最初に見かけたのだ。それは、男性向けのものだった。ブルーと紫のビーズに、シルバービーズが混ざったものだった。その後、調べて見ると、トロールビーズというのは、男女兼用であり、ビーズをつけた人に幸運が舞い込んだという噂から人気を呼び、誕生日に一粒とか、記念日毎に一粒というように、時間をかけてコレクションする人が多いとのことだった。とにかく、見ていて飽きないし、何よりも美しい。
    http://www.trollbeads.com/ (英語版) 
    http://www.trollbeads.jp/ (日本語版)

    また、ビーズには一つ一つ名前がついており、固有の意味を持っている。今年の春夏コレクションは、爽やかなグリーン系が多いようだ。東京都内だと、銀座の松屋一階にショップがあるので、是非現物を見ていただきたいと思う。トロールビーズは男女を問わず楽しめる。レゴや家具のイケアもそうだが、デザイン力で売るのは北欧の強みなのかもしれない。
    これは「父の日コレクション」だ。 

    アンバー(琥珀)のキットだが(自分が欲しくなってきた・・・)琥珀にチェーン、ごつめのロックを選んでシルバービーズをあしらえば(想像がふくらむなぁ)ダンディなお父さんにも、ビジネスパーソンにもぴったりではないか。

    2年程前、デンマーク大使館で開催されたトロールビーズのプレス発表会に抽選で当たったことがある。ペア3組6名が招待されたのだが、私の執念(?)が実ったのか、それとも優良顧客リストに入っていたのか(笑)、当たってしまったのである。ということで、光りもの(ガラスとか宝石とか貴石とか)が好きな師匠に声をかけた。デンマーク大使館は代官山にあるので、三茶からはタクシーで五分程度である。会場に着いたところ、招待状にミスがあり、一時間半待たされることになったが、そのお侘びとして、トロールビーズ・ジャパンから師匠と私それぞれに、ビーズ(日本未発売のものも混じっていた)と、シルバービーズが贈られたのである(感激)。
    それ以前から、私はトロールビーズ大好きだと騒いでいたのだが、その辺りから師匠もトロールビーズに対する興味が増したようである。


    「私はトロールビーズが好きで〜す」と、日々宣言しているせいか(笑)、今年の誕生日にも何個かビーズをいただいた(くださった皆様、ありがとうございます。ホントに嬉しいです)。思わずニヤニヤしてしまう位、嬉しいのである。中には「すでに持っているのをもらっても、嬉しくないでしょう」という心配をする方もいらっしゃるが、そんな事は全くない(笑)。同じのを二つ持っていても三つ持っていても好きだからいいのだ。

    この話を師匠にしたところ「いいなぁ。オレも誕生日にトロールビーズ欲しいなぁ」というお言葉が。
    「オレもトロールビーズが好きだってことを、ブログに書いとけ」

    というわけで書いている次第です(笑)。9月13日には是非トロールビーズをお贈り下さい(笑)。

    一週間ありがとうございました。明日からは島根の福田画伯の担当です。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • パワースポット その2 瑞鳳殿

    出雲大社伊勢神宮など、誰もが知っているパワースポットの他に「自分だけのパワースポット」があってもいい。というか、その地を踏みしめるとパワーがあふれてくる、そんな場所がある。私の場合もいくつかあるのだが、その中の一つを紹介しようと思う。
    それは、仙台の瑞鳳殿だ。ここは伊達政宗公の墓所である。
    生前、政宗公は遺骸を仙台城下の南西部にある経ヶ峯に墓所を葬るべしと遺言していた。瑞鳳殿は、二代藩主、伊達忠宗は遺言に従い、政宗公逝去の翌年、寛永14年(1637年)、経ヶ峯に、青葉城に正面を向けて、政宗公の御霊屋(霊廟)瑞鳳殿を建立した。瑞鳳殿は、本殿・拝殿・唐門・御供所・涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築を誇った。
    なお、伝説として伝わっているのが、政宗公は、奥羽地方で隻眼の聖人とあがめられていた万海上人の生まれ変わりと言われているが、経ヶ峯の瑞鳳殿の隣から、万海上人の墓所が見つかっている。それだけでも愛好家にとっては感激モノなのである。
    瑞鳳殿wikipediaより)

    昭和6年に国宝指定を受けたが、昭和20年の空襲で全焼した。その後発掘調査が行われ、昭和54年(1979年)、瑞鳳殿の本殿・拝殿・涅槃門・御供所が再建され、翌1980年(昭和55年)に瑞鳳殿資料館が新設された。

    私は子供の頃から、仙台の英雄、政宗公のファン?であった。慶長遣欧使節団にも興味があった。2010年、マドリッドでフォーラムを開催した際、私は慶長遣欧使節団が、マドリッドを経由し、そこからローマに入ったことをテーマに考えてみた。
    慶長遣欧使節団は、伊達政宗公が「日本国王」として、ローマ法王に対し、支倉常長を団長として派遣したものである。約400年前に仙台郊外からサン・ファン・バウティスタ号という船が出立し、1年かけてスペインに上陸した。仙台生まれの操体が、400年の時を越え、マドリッドに降り立つというのは、まるで暗号のようでもある。私は仙台の市立博物館を訪れ、学芸員の方に相談し、資料を拝借したりして、発表スライドを作成したのである。

    最初に読んだ歴史小説が小学2年の時の「義経記」だったのだが(誕生日に父が買ってくれた)、歴史小説、歴史好きはこの頃からだったのだと思う。また、小学校3年の頃には、友人宅にあった「まんが日本史」を友人よりも早く読み切った記憶がある。友人の親御さんは、なかなか本を読まない我が子のために、わざわざ学研の「まんがシリーズ」を買い与えたのだが、おそらく殆どは私の役にたっていたのだと思う。友人は「サザエさん」とかは読んでも、日本の歴史をマンガでは読まなかったからだ。その後学生時代は山岸涼子の「日出処の天子」を読みふけり、大化の改新あたりは相当詳しかったのである。

    日出処の天子 第1巻 完全版 (MFコミックス)

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    というわけで、源氏贔屓というか判官贔屓というか、戦国武将だったら伊達政宗公という図式が幼少時からアタマの中に組み立て上がっていたのだ。

    さらに、仙台の瑞鳳殿の地区は、御霊屋(おたまや)と呼ばれており、仙台の中でも高級住宅地エリアにあたる。私の叔母は若くして夫を亡くし、御霊屋にある社員寮の寮母さんをしており、割と小さい頃から「御霊屋エリア」は親しみ深いところだった。
    瑞鳳殿の再建から二年後、1982年に東北新幹線(大宮−盛岡間)が開通した。開通当時は大宮までライナーで移動し、そこから新幹線に乗っていた。開通直後、父と二人で新幹線で仙台に行った記憶があるが、揺れが少ないので感動したのを覚えている。東北新幹線開通のお陰で、仙台はとても近いところになった。

    そして、1987年(昭和62年)、大河ドラマ独眼竜政宗」が放送された。東北新幹線の便利さも相まって、瑞鳳殿は仙台の観光スポットとなった。

    日曜の夜は結構遊びに行っていたのだが、私は遊びに行かず、このドラマを見ていた(笑)。
    詳細はサイトを見て頂くか、DVDを借りて見て頂くのが一番いいのだが、キャストが豪華である。このへんは長くなるので割愛するが、今年の正月はDVDを借りてきて改めて「やっぱり何度見ても面白い・・・・」と感慨にふけっていたのだった。何せ、生涯のライバル、最上義光原田芳雄が演じ(最初のキャスティング松田優作だったらしい・・・)、秀吉を勝新太郎が演じ、片倉陰綱(片倉小十郎)を西郷輝彦が演じ、伊達成実三浦友和が演じ、母義姫は岩下志麻、父伊達輝宗北大路欣也、正室愛姫は桜田淳子、少女時代の愛姫は後藤久美子淀君樋口可南子(結局書いてるじゃん)というくらくらするような豪華キャストである。

    ちなみに、政宗公の父、輝宗公の拉致を首謀して失敗した二本松城城主、二本松義継は、畠山義継とも言う。まあ、東北(特に気仙沼とか)は、やたらと畠山が多いが、多分私の遠い先祖も関係していたに違いない。
    そんなことを考えると、何だか面白いではないか。
    そうなのだ。
    瑞鳳殿は私のパワースポットなのである。
    仙台駅からタクシーだったら5分足らずで着く。タクシーだったら参道まで上がってくれるが、バス(るーぷるという周遊バスあり。時間がある方にはお勧め)で行くと、しばらく急な坂を登ることになる。
    幅広い石段を暫く登ると、瑞鳳殿の入り口が見える。朝早めに行くと人がいないので、石段から左右にそびえ立つ樹木が見え、太陽が丁度正面に見える。このシーンは何度体験しても新鮮だ。拝観料を払い、お手水を使ってから早速門をくぐる。急な石段を何段か登ると、鮮やかな霊廟が目に入ってくる。桃山様式の美しい建物だ。これは再建されたもので、鉄筋でできているが、今後、本来の木造建築に戻そうという話があるらしい。話によると、元々はこのように華やかではなく、華やかな桃山様式の霊廟は、黒漆で塗られていたともいう。つまり、政宗公逝去後は、黒漆の地味な?霊廟なのだが、年月を経るにつれて、漆が落ち、中から色鮮やかなものが現れるという仕掛けだったとも言う。
    お洒落なオトコを「伊達男」というが、さすが伊達男の元祖である。都に近い大名達も「ひなのきじん」つまり、田舎なのに何であんなに洗練されてるんだ?と言ったらしい。

    そして、私のところの屋号「TEI-ZAN操体医科学研究所」は、元々「貞山療術院」と言う。「貞山公」というのは、政宗公の諡号でもあるのだ。開業の際は瑞鳳殿を参拝し「お名前をお借り致します」とお願いした。勿論仙台に行った際は、必ず瑞鳳殿のお参りに行き『殿』にお礼を申し上げるのである。

    勿論、仙台に行く際は、郊外の葛岡霊園までタクシーを飛ばし、橋本敬三先生に会いに行く。こちらも私にとっては凄いパワースポットである。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

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  • パワースポット その1

    来年は出雲大社伊勢神宮のダブル遷宮なので、是非行きたいと計画を練っている。
    ダブル遷宮だから出雲と伊勢いかない?と、友人にFacebookで伝えたところ「それだったら、天孫降臨の地、九州の高千穂はどうか」「諏訪大社はどうだ」という話になった。最後は師匠が「平清盛」を見て「宮島にも行きたい」と言い出した。
    高千穂行って出雲行って宮島行って、伊勢行って、諏訪大社行ったら一体何日かかるんだろう(笑)。面白そうだけど。

    数年前、出雲大社本殿の「八雲」が公開された事があり、行ってきたことがある。
    フォーラム理事、福田画伯の案内で松江市内から大社まで色々回ったが、東京にはない雰囲気を全身で感じとった。明治神宮にも行くことがあるが、やはり「テイスト」が違う。

    暦では10月を神無月というが、それは神様達が会議のため出雲にお集まりになるからである。島根では10月は「神有月」という。流石神の国だ。実を言えば、お蕎麦が美味しいのも、実は砂地のためぶどうがとれるので、ワインの産地であるというのも楽しみのうちなのだが。また、松江と言えば私が好きな小泉八雲の住まいがあったところである。
    八雲の作品は、現在「青空文庫」で読むことができるが、私がお勧めするのは、妻、小泉節子が書い「思い出の記」だ。これも「青空文庫」で読むことができる。日本を愛したすこ〜し偏屈な外国から来たダンナ様の思い出は、少し目がうるうるしてしまうかもしれない。

    ウエスト・サイド・ストーリーのジョージ・チャキリスが八雲を演じた「日本の面影」は今でも印象深い。

    出雲大社のその帰り、大阪を経由して伊勢神宮に行った。真夏で暑かったので、タクシーで回ることにした。タクシーの運転手さんが「最近『オーラの泉』(懐かしい)で、美輪明宏さんが月読神社を紹介してから結構女性に人気があるんですよ」と言っていた。寄りますか?と聞かれたが、時間がなかったのと、猿田彦神社に行きたかったので、この時はパスした。
    猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神である。私が「大阪の兄さん」と読んでいる荒木氏が「猿田彦フォーラム(現在は解散)」に参加していたのと、何と私が大学時代「小泉八雲」のゼミ担当だった、早稲田大学から来ておられた池田先生も猿田彦フォーラムの幹事をされていたという偶然があったからだ。また「大阪の兄さん」こと荒木氏は、猿田彦神社の裏手の神様に供える稲を植えてある田んぼで田植えをしたそうなので、田んぼの写真を撮りに行っただ。「御田祭」というらしい。

    また、猿田彦神社の中には「佐留女神社」がある。天宇受売命(あめのうずめのみこと)がまつられている。天宇受売命は、天照大神が天岩戸(あめのいわや)に籠もられた時、岩戸の前でいわゆるストリップをした(お神楽)という芸能や習い事の神様である。日本で最初の女優とも言われている。「佐留女(さるめ)」というのは、旧約聖書サロメにも通じるものがあるのでは(どちらも色っぽい踊りで有名)という話もあり、興味はつきない。
    「俳優」という言葉は「ワザオギ」と読むそうだが、わざおぎ、神楽、技芸、鎮魂の祖神とされている。芸能関係の人達の参拝も多いらしい。私も芸事(操体?)が上達しますようにと参拝してきた。私が好きな女神様である。

    その後外宮、内宮をまわった。内宮の本殿は、柔らかい波動に包まれていた。

    翌年、ご縁があって再び伊勢に行ったが、その時は月読神社に参拝した。静けさに満ちており、清らかな感じがした。荘厳な神殿があるわけではないのだが、これが「イヤシロチ」なのだなと思った。

    伊勢に行く前に、福田画伯「伊勢と出雲は波動が違います。伊勢はやっぱり女性的な柔らかい感じです」というアドバイスをいただいていたのだが、本当にエネルギーの感じが違っていた。
    こういうのも「感覚の勉強」なのだろう。

    ちなみに「聖俗」が混ざっているのが聖地たる所以らしい。ヨーロッパでは「この辺りに教会はあるか」というのは「この辺りに売春宿はあるか」という意味だったらしい。教会ならずも神社仏閣で一時聖なる雰囲気に触れた後は「精進落とし」をするのだろう。特に伊勢の神宮周辺は、芝居小屋から遊郭まで「エンタメ」の類は揃っていたらしいし、江戸時代のお伊勢参りは、「旅の恥はかき捨て」(男女問わずだそうで)だったらしい。

    神社に参拝する際は、自分の欲求ばかり述べるのではなく、最初にお礼を述べるのが礼儀と聞いた。また、お賽銭は投げるものではなく、ポチ袋に入れてすべらせるようにそっとお賽銭箱に入れるといいのだそうだ。自分だけお願いするのではなく、神様もねぎらって差し上げるのが吉。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary]”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

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  • 外気功とレイキ。

    昔、飲み屋で外気功(医療気功。健康のための気功は内気功という)の先生にスカウトされ、外気功の修業をした(現在外気功治療はやっておりません)。
    私の少し後に、一人の女性が入門した。何でも北関東某所の健康ランドのようなところで、マッサージもどきをしているらしい。その女性、ある日突然「私は霊視ができる」と言い出した。何でも家出した姪っ子が数日後に帰ってくる方向と時間がピタリと当たったらしいのである。私は「ホントかよ」と思ったが、彼女は霊感占いをはじめた。またまたホントかよ、と思った。
    というのは、何故か雑誌の懸賞に当たって(笑)ある霊能者の女性にチャネリングしていただいたことがあるのだが、やっぱり何だか違うのである。何と言ったらいいのか「醸し出す雰囲気」といううか何と言うか。

    私は当時既に操体をやっており、開業もしていた。操体はライフワークであると覚悟していた。
    一方、外気功に興味があって、外気功の先生のところに来る人達は、どうも色々なところを渡り歩いているような人が多かったような気がする。こう言うと、レイキをやっている方々に申し訳ないのだが「レイキは効かないから気功を勉強したい」という人が多かった記憶がある。勿論能力の高い方は、高度な癒しの力を持つことを知っているが、アテューメント(伝授)で、エネルギーの回路を開いても、中にはエネルギーの通りが悪い人もいるのだろう。

    外気功とレイキの一番の違いは、エネルギーの出所である。
    レイキは本人が宇宙のエネルギーを取り入れ流す中継点の役目を果たすが、外気功気功師がある種の秘伝によって、気を取り込み、患者から邪気を取り去り、その後気を流し込むのである。つまり、十分な充電が必要だ。システム的には、外気功のほうが「取り去り、注入」という手順を踏むので、強力なのはわかる。

    ここまで書いてきて、また気がついた。
    外気功の先生方は、内気功を「踊り」と呼んでいた。例えば「内気功?悪くはないけど、踊りだよ」。外気功の修業を大雑把に言うと、毎日気を練る鍛錬をし、先生に気の通り道を開けていただく。この繰り返しである。そのうち、気が身体を巡るのを体感できるようになり、操れるようになるのである。

    外気功の先生はガンなどの相当重篤な方も診ていた。

    さて、修業している身としては、伝授を受ければエネルギー回路が開き、ヒーラーになることができるというのは、少し簡単すぎないか?と思ったりする。最近は自分が癒されたいので「ヒーラーになりたい」という人が多いようだが、一流のヒーラーは、「いつの間にかこうなっちゃった」と言っているが、信じがたいほどの自己投資や修業を重ねているのだ。

    自分がやってみたいことを直感に従ってやるのは構わないと思うが、それが果たして「自分が疲れ切っているから」という理由や、「簡単になれるから」(まあ、国家資格や公認資格じゃないので、自己申告で「なれる」し)。

    確かに回路が開くと、通常よりは感覚が鋭敏になり、優しい波動が起こるとかキレイになるとか、お水が美味しくなるとか、ペットが元気になるとか、セルフケアというのはあると思う。その、優しい波動を用いて自己表現をするのは素敵なことだ。
    しかし、間に合っていない症状疾患を抱えた方々を治癒に導くというのはどうなのだろうと考える。

    なるほど、これは操体と同じで「健康な人(間に合っている)人が生活に活かす」のをお手伝いするのだ。
    「レイキは効かない」と、外気功の先生のところへ来ていた方々は、「生活に活かすレベル」のものを修得しているのに、「治療効果」を求めたのだ。それでは「効かない」というのも当然なのである。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ“Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定