カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 身に付いていること、身に付けていくこと②

     

    (昨日のつづき)

     

    これまで農作業に関わることがありませんでしたので、ほとんどの作業は初めての体験ばかりです。ただ、小学校の夏休みや冬休みには、兼業農家だった母の実家に遊びに行っていたこともあり、初めて伺う農園であっても、畑に行ったり、倉庫に入ったりすると、どこか懐かしい感じがします。

     

    そんな懐かしさも感じながら、いざ作業となると、表では「作業」の学習が、裏では「からだ」の学習が始まります。作業に慣れていく過程で、いかに「からだ」にとって自然な「うごき」になっているのかどうか。それを感じとっていくことはとても面白い。

     

    作業に関しては本業目線のアドバイスをいただいて、「うごき」に関しては「からだがききわけている」メッセージをいただいていく。どちらに関しても「自分」が「無理」をしてやっているのなら効率よくはなっていきません。

     

    例えば、以前お世話になったミニトマトの選果の作業の場合、規格ごとに選別する上で、皮が割れていないか、傷がどの程度か、へたの周りの色具合はどうか、形はどうか、熟し加減はどうかなどを見ていきました。

     

    ミニトマトを片手にとり、状態を確認しながら、もう片方の手に持った布巾で汚れを取って、それぞれのカゴに入れていく。初心者なりにも慣れてくると、目が覚える、手が覚えるといった具合に、それほど悩まずにどんどん作業が進むようになっていきましたが、これは「作業」に関する学習です。

     

    それでは、ミニトマトを左右どちらの手で直にふれて、左右どちらの目で見れば、より瞬間的に判断できて、見落としが少なくなるのか。これは「からだ」に関する学習です。

     

    ふれた感触や対象の見え方がどんなふうに変わるのか、興味のある方は実際に試してみてください。

     

    これは、手や目に限定された話ではなく、「からだ」の「うごき」としての話です。いかに「無理」なく自然に「うごき」が表現されるように「からだ」を使わせていただくか。作業の動きと「からだ」の「うごき」が重なっていけば、「効率よく」ということも、うんと幅が広がってくるとおもいます。

     

     

    2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。

    2024年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

    www.tokyo-sotai.com

  • 身に付いていること、身に付けていくこと①

     

    岡村さん、一週間のメッセージありがとうございます。共感意識に響く一日一日でした。

     

    引き続きテーマはフリーで繋げていく瀧澤です。今回は「身に付く」ということをテーマに書き進めていこうとおもいます。一週間よろしくお願い致します。

     

    今年の夏頃から農業系の仕事に携わる機会をいただいています。農業を本職とされる方からすればほんとうに微々たるものですが、農作業に関わらせていただいている体験はとても勉強になります。

     

    「操体」を学びながら、また、臨床の機会もいただきながら、別の分野の仕事に携わっていると、視野が広くなるのと同時に、「法則」として学んでいることが貫通していることにもふれられて、興味は尽きません。

     

    初めての作業の場合、伺う農園や作業内容によって教え方が違うのも面白いです。作業前はそれほど時間がありませんので、ざっくりとした説明で終わる場合もあれば、一通りやってみる場合もあり、また、ほとんど指示されずに始まる場合もあります。

     

    ただ、教え方は違っても全ての作業に共通していることは「やりながら慣れていく」ということです。それほど難しいことを要求されるわけではありませんが、現場の流れを途切れさせないようにある程度の速さでついていくことや、規格にあった作物を出荷するために丁寧に作業することなどは求められます。

     

    短期間の内にトライ&エラーを繰り返し、ときにアドバイスをいただきながら、無心になって動いていると、「見よう」と思う前に目がいくように、「手を出そう」と思う前に手が出るようになっていきます。考えてから「動かす」のではなく、考える前に「動いて」くれている。いつの間にか「からだ」が主体になっていることがあるんです。

     

    頭で考えながらやっていては到底間に合わないような作業も、慣れてくると効率よくできるようになってくるのですが、この「効率よく」ということを作業に対してのことだけではなく、「からだ」を基準にして捉えていくと、また違った観点から見えてくることもあってとても興味深いんです。

     

    2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。

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  • 間(マ)に合うように⑦

     

    「重心の学習」の基本となる立ち方-自然体律位-と、間(マ)の生かし方を学んでいると、「じぶん」の軸がいかにして創られていくのか、ということが感じられるようになってくる。

     

    「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」から届くそれぞれのメッセージは、「じぶん」の軸が何とつながっているのかということを自覚させてくれるんです。

     

    そんな中、ここ数年感じていることで、最近よりはっきりとしてきたことがあります。

     

    それは天候や気象の変化を「からだ」が繊細にキャッチしてくれているということです。

     

    例えば、晴れの日は「からだ」や意識は軽く、曇りや雨の日は重く感じることがあります。

     

    ここまでは、よく聞く話でもありますが、面白いのは、曇りや雨の日に感じていた「からだ」や意識の重さが、ふっと軽くなったとおもったら、その直後に雨がやんだり、晴れ間(マ)が広がったりすることです。

     

    目に見える形で天候の変化を確認する前に、「からだ」が何かをききわけていると感じられる現象があります。

     

    また、あるとき作業場に風が通り抜けはじめると、「これは海風だ」と直ぐに感じ、一緒に居た人に「これは海から吹いてくる風ですか」と尋ねたところ、「ここらへんは海の方から風が吹いてくるからねえ」とのことでした。

     

    どうして海風だと直ぐに感じたのかというと、以前海で感じた風の記憶が、瞬間的にある感触を伴ってよみがえってきたからです。

     

    思考でたぐる記憶ではなく、「からだ」の記憶が反応する現象があります。

     

    こういったことも、健康維持増進につながるヒントだとおもうのですが、続きはこれからの学びの先にします。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    明日から寺本さんです。どうぞお愉しみに!

     

     

    2024年秋季東京操体フォーラム「もっと丸ごと操体法」を開催致します。

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  • 間(マ)に合うように⑥

     

    「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」。

     

    それぞれの間(マ)を生かすうえで、これは大事だなと感じていることがあります。

     

    それは、「意識操作」を減らしていくことです。

     

    今わたしたちが学んでいる重心の適性にかなった「呼吸」や「うごき」では、以前ほど「意識操作」を用いなくなってきています。

     

    直接「呼吸」に意識を置かなくても、「息が入りやすい」と感じられたり、直接「うごき」に意識を置かなくても、「ながれで表現できている」と感じられる。

     

    それは、「からだのリズム」で表現されていることを意味します。

     

    「からだのリズム」で表現されているときは、「からだ」と「じぶん」の間に摩擦が起こらないんです。

     

    故に、消耗しないんです。

     

    操体臨床の場ではもちろんですが、それ以外の仕事や生活の場でも実感する機会が増えてきました。

     

    そして不思議なのは、「からだ」と「じぶん」との関係性がそのようになってくると、周囲との関係においても摩擦が少なくなる実感があることです。

     

    社会との関わり、人との関わりを特別意識しなくても、そこに何か接点を見いだしたり、その接点にある間(マ)を大事にできている感触があるんです。

     

    「からだ」と「じぶん」の関係性は、周囲との関係性にも直結している。

     

    二つの「くうかん」との関わりを自覚することは、よりよく生きることにつながっている。

     

    「意識操作」を外すと、もともとある間(マ)を生かして、新たな間(マ)を生みだしていくことができる。

     

    こんなふうに実感できるのも、「重心の学習」の基本となる立ち方と間(マ)の生かし方のお蔭なんです。

     

    明日に続きます。

     

     

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  • 間(マ)に合うように⑤

     

    「あっ、なんかいい風」。

     

    「からだ」の外側の「くうかん」からのメッセージをキャッチするときって、こんな感じなんです。

     

    「感じよう、感じよう」と気負わなくても、ふっと意識が向くような間(マ)があります。

     

    こういうときは、「感覚」と「意識」の基準が「じぶん」から「からだ」に変わっているのを感じます。

     

    「感覚」と「意識」の基準が「からだ」になると、「からだ」と「じぶん」の間の摩擦が消えて、「重さ」がなくなってくる感触があります。

     

    なんの引っかかりもなく、水がすうっと流れていくような感じを、「からだ」の内側の「くうかん」からのメッセージとしてキャッチすることができる。

     

    「息がしやすい」とか、「飲み込みやすい」とか、「動き(行動)が軽い」とか、「まずやってみる(迷わない)」とか、具体的な変化として現象化してくる間(マ)がある。

     

    環境との関わりと、自己最小限責任生活である息・食・動・想において、人間はもっと「からだ」を信頼していいし、「生命」を自覚していい。

     

    「からだ」の外側と内側の二つの「くうかん」がメッセージを届けてくれるからです。

     

    けれども、わたしたちは現状、思考が先行する社会で、どうしたって「からだ」にとって「不自然」なことや「無理」なことを強いたり、強いられたりすることがあります。

     

    社会との関係において、人間関係において、「からだ」との関係において、摩擦が生じることの方が多いかもしれません。

     

    それでも、その現状との接点において、「からだ」にとって「自然」な方向に快転していける感覚-原始感覚-を、わたしたちは「からだ」と共有していくことができる。

     

    目には見えないけれど、確かに感じられる間(マ)はあります。

     

    その間(マ)を生かしていくこと、それは、今わたしたちが学んでいる重力と重心のバランスにおいて、健康維持増進を可能にする大切な要素だと感じています。

     

    現在、その学びの中で特に感じていることについて、続きは明日にします。

     

     

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  • 間(マ)に合うように④

     

    「ゆっくり」には、時間的に感じられる間(マ)と空間的に感じられる間(マ)がある。

     

    確かにそう感じたできごとがありました。

     

    先日、野菜を洗浄し、選別する作業の機会をいただいたのですが、流れ作業の速度はけっこう速く、とても「ゆっくり」とはいえないものでした。

     

    ただ、初めての作業であるにもかかわらず、周りがよく見えていたり、流れを断ち切らずにタイミングよく動けていたり、「速い」けれども、余裕をもって対応できている感覚があったんです。

     

    そして、からだのどこか一部に負荷がかかっているという感じや疲労感が無かったことが、なにより不思議でした。

     

    この感じをひとことで言い表すなら、「摩擦がない」。

     

    「からだ」の外側にある「くうかん」と、内側にある「くうかん」との間に摩擦がない。

     

    「からだ」と「じぶん」との間に摩擦がない。

     

    作業場にいた人たちとの間に摩擦がない。

     

    どうしてこういうことが起こるのか、改めて考えてみると、思考につながる「自分の意識・無意識」が消えて、automaticに「からだの意識・無意識」が対応してくれていたとおもうんです。

     

    決して「からだ」にとって自然とはいえないような速さや、「からだ」に無理がかかるような作業でも、「からだ」がその場の「くうかん」を感じとって、「からだ」の「くうかん」を消耗しないように表現してくれていた。

     

    そうすると、目に見える動きは速くても、目に見えない「ながれ」は「ゆっくり」で、時間的ではない空間的な広がりを「ゆっくり」と感覚意識できる間(マ)にあったのだとおもいます。

     

    このようなことをどうキャッチしていくかが、健康維持増進につながっていくとおもうのですが、続きは明日にします。

     

  • 間(マ)に合うように③

     

    普段の生活の中でやっている一つ一つの動作を「ゆっくり」にしてみる。

     

    患者さんにこのようにお伝えすることがあります。

     

    子供の頃に大人に急かされたり、仕事で効率化を求められたり、頭の中が考えごとでグルグルしていたり、いつの間にか速くすることが当たり前になってしまっていることって多いとおもうんです。

     

    「ゆっくり」からだのうごきを表現すると、感覚を「からだ」にききわけられやすいけれど、速く動くと途端に感覚がわからなくなってしまう。

     

    それと同じように、普段の生活の中から「ゆっくり」が無くなってしまうと、感覚という「からだからのメッセージ」に気づけなくなってしまう。

     

    どうしても、思考優位になってしまい、「からだ」と「じぶん」の間にずれができて、「からだ」や「心」に歪み(ヒズミ)が生じやすくなる。

     

    そこで、「ゆっくり」という間(マ)を日常に取り入れて、思考優位な状態から感覚優位な状態にスイッチを切り替えます。

     

    「ゆっくり」を味わっていると、呼吸が深くなったり、心が落ち着いたりしますが、その現象の裏では、「ゆっくり」という間(マ)の味わいに「からだ」が反応し、「からだ」と「じぶん」のずれを修復してくれているように感じます。

     

    そういったことに気づいていくと、何が「からだ」にとって自然な間(マ)なのか、ということにも意識が向いてくる。

     

    そして、「ゆっくり」という間(マ)にある時間の間(マ)と空間の間(マ)について、続きは明日にします。

     

  • 間(マ)に合うように②

     

    ゆっくり。

     

    操体の動診・操法において大切なこと。

     

    感覚分析(一つ一つのうごきをとおして、快適感覚の有無をからだにききわける)では、「ゆっくり」からだのうごきを表現することで、感覚をからだにききわけやすくなる。

     

    このような学習の始まりがあり、初めは、「ゆっくり」って時間的なことだと理解していました。

     

    「感覚をからだにききわける」という目的のために、からだのうごきはこのくらいの速度で表現するという、「速い」に対しての「ゆっくり」。

     

    けれども、ある時期から、「ゆっくり」って時間的なことだけではないんだな、というふうに理解するようになりました。

     

    「ゆっくり」とからだのうごきを表現し、そのうごきの中で快適感覚をききわけて、味わっているときは、時間の感覚が消えたように感じることがあったんです。

     

    そして、今改めて「ゆっくり」ということを体感していると、「ゆっくり」には、時間的に感じられる間(マ)と、空間的に感じられる間(マ)があるということを、間(マ)は教えてくれているのですが、続きは明日にします。

     

  • 間(マ)に合うように①

     

    岡村さん、一週間のメッセージありがとうございます。

     

    原初の間(マ)よりつながるわたしたちの「生命」。

     

    人間はもっと「からだ」を信頼していいし、「生命」を自覚していい。

     

    もともとある間(マ)を生かしながら、新たな間(マ)を生みだしていけるのですから。

     

    そんなことを感じながら、今週は瀧澤が担当致します。

     

    一週間よろしくお願い致します。

     

     

    ここのところずっと、「操体」で学んでいることを臨床やそれ以外の仕事を含めた様々な生活の場面で、「からだ」と答え合わせしているように感じているんです。

     

    「からだ」と「じぶん」の関係性はどうなっているのか。

     

    その理解を深めていくことが、健康維持増進につながっていく実感があります。

     

    その手がかりになるのが、「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」です。

     

    どちらも、「からだ」にとっても、「じぶん」にとっても、とっても大切な間(マ)なんです。

     

    その間(マ)から届いてくるメッセージが、どんなふうに健康維持増進につながっていくのか。

     

    今回は、そこにふれていきたいとおもいます。

     

  • メッセージを生かしていく⑦

     

    思考を介さず、素直に「からだからのメッセージ」を受け取ること。

     

    そして、メッセージによって体感したことをもとに、その背景にあることに想いを馳せ、問い続け、応え続けられるように考えること。

     

    ここに「想念」の素があるようにおもえてくるし、生きる姿勢そのものでもあるとおもえてくるんです。

     

    「生かしていく」って、生きる姿勢そのもの。

     

    できることなら、与えていただいている「いのち」の可能性を充分に発揮できるように生きていきたい。

     

    昨日も患者さんと話していて、「想念」が話題に挙がりました。

     

    その中で感じたことは、「言葉」の統制は大事だけれど、「思考」で制御しようとすると、かえって縛りにつながることもある、ということです。

     

    「良きことを想い 良き言葉をかたる」

     

    その「想い」や「言葉」はどこから生まれてくるのか、その背景には何があるのか、「ながれ」やプロセスに意識が向いてくれば、「人が正しい」ということも、よりよく生きる(快)ということも、「生命」の観点から捉えていくことができる。

     

    それにはやっぱり体感し続けることです。

     

    その背景にふれ続けることです。

     

    「くうかんごと」、「からだごと」、「じぶんごと」としてメッセージを受け取り、「想念」も全身体性に調和していくように。

     

     

    心の振動による一週間、お付き合いありがとうございました。

     

    明日からは寺本さんにバトンを渡します。

     

    どうぞお愉しみに。