カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • とどく①

     

    岡村さん、一週間ありがとうございました。

     

     

    からだの不思議。

     

    皮膚の不思議。

     

     

    からだにふれさせていただい方から、

     

    こんな言葉をいただきました。

     

     

    ふれられて、信念が伝わってきました。

     

    わかる人にはわかる、というのでもないんでしょうね。

     

    やっていることが技術だけじゃないんでしょうね。

     

     

    そんな言葉が生まれてくる皮膚には、

     

    どんなことばが宿っているのでしょう。

     

  • いきもの・たべもの⑦

     

    「ここに在る」という安心感は、「いきもの」にとっての「快」。

     

    そんなふうにおもえることも、また愉しい。

     

     

    空間と腔󠄂間のマを、丁寧にふれていると、「快」という「たべもの」をたべているかのよう。

     

     

    そんなことを感じながら、今日も「食べ物」をいただく。

     

    おかえしできるじぶんで在りたいから。

     

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

     

    寺本さん、明日からよろしくお願い致します。

     

  • いきもの・たべもの⑥

     

    「感動」や「感謝」を「たべもの」といったら、おかしいだろうか。

     

    皮膚がひらいていると、度々そう感じることがある。

     

     

    自然や「からだ」の営み、また、それらの背景にある空間の「メッセージ」。

     

    その熱と圧に、腔󠄂間のマは変化し、体液はふるえ、涙することもある。

     

     

    共振することさえ、その素朴な感触で自覚させてくれる。

     

    その素朴な感触は、「ここに在る」という安心感に通ずる。

     

     

  • いきもの・たべもの⑤

     

    受け入れる、から、迎え入れる。

     

    ひらく皮膚から生まれてくる、半歩前に踏み出すような感触。

     

     

    「いきもの」としての、根の張り方が変わると、素直になる。

     

    自然なことは、自然なこととして。

     

    無理なことは、無理なこととして。

     

     

    言い訳をせず、それがいいワケを、「からだ」と共に感じ続けたい。

     

     

  • いきもの・たべもの④

     

    うごく「いきもの」として、一日「からだ」をつかわせていただく。

     

    生かされながら生きている息づかいを味わえる、空間と腔󠄂間のマがある。

     

     

    立ち上がる軸の感触と、一点におさまる重心の感触。

     

    お蔭さまで、作業は所作を学ぶ機会になる。

     

     

    すり減らず、満ちていく、不思議なながれ。

     

     

  • いきもの・たべもの③

     

    季節が巡り、空気の質が変わりはじめる。

     

    そのちょっとした変化もまた、想像以上にききわけている「からだ」がある。

     

     

    目に見える美しい現象に、こころ惹かれるだけではない。

     

    その背景にあるモノ・コト・ナリに意識が向く皮膚感覚と、腔󠄂間の圧と呼吸。

     

     

    理屈ではなく、素朴な感触で受けとるとき、それは「たべもの」になる。

     

     

  • いきもの・たべもの②

     

    朝の日光にふれる。

     

    空間の広がりを皮膚が迎え入れ、腔󠄂間の広がりが生まれる。

     

    そこに満ちるように、吸気が入り、循環する。

     

     

    空腹感で満たされる。

     

     

    矛盾するようなことも、自然なこととして感じられる空間と腔󠄂間の圧のマがある。

     

     

  • いきもの・たべもの①

     

    岡村さん、一週間のメッセージをありがとうございました。

     

    ハンジャラゲでひろがる「からだ」主語の可能性。

     

     

    「からだ」の外に広がる空間と、「からだ」の内に広がる腔󠄂間。

     

    そのマを、感覚と意識で丁寧にふれていく。

     

    続けていると、ある瞬間から、皮膚がひらく感触が生まれてくる。

     

    すると、不思議なことに、目の当たりにする現象が「たべもの」のように感じられることがある。

     

     

    「食物」ではない「たべもの」を、接触(摂食)する。

     

    よりかるく、よりふかく、よりすきとおった「いきもの」になったかのようだ。

     

     

  • なぞなぞ⑦

     

    ある朝、早くに目が覚めて、歩きたくなりました。

     

    まだ布団に潜っている子供を誘うと、「歩くのもいいけど、このもふもふ感覚もいいなあ」とのこと。

     

    「じゃあ、ひとりで外の空気を味わってくるかな」というと、「空気感覚だね」と。

     

     

    何かを感じるということは、とても素朴で、とても大切なことだと想うんです。

     

    「感覚」できること、「意識」できることが、その人の世界観をつくっていくのだろうから。

     

    そうやって考えると、何を感覚し、何を意識するかによって、「いきもの」のすがたは変わっていくのかもしれない。

     

    できれば、目に見えることだけじゃなく、目に見えない繋がりも「いきもの」って感じられる、そういう世界の「いきもの」でありたいと想う。

     

    なぜなら、「自然」であることも、「ゆたか」であることも、「健康」であることも、みんな同じ次元の現象として感じられるようになるから。

     

    いつも共に生かされ、共に生きている、「からだ」という「いきもの」のお蔭でね。

     

     

    一週間「なぞなぞ」にお付き合いいただき、ありがとうございました。

     

    明日からは、寺本さんです。

    どうぞお愉しみに!

     

     

  • なぞなぞ⑥

     

    目には見えないけど、何かと繋がっている。

     

    その感触をこそ、素直に受けとり、大事にしていく。

     

    すると、その感触は、感動と感謝の芽生えであったことに気づき始める。

     

    それを丁寧に育んでいくと、目には見えない繋がりもまた、「からだ」なんだと想えてくる。

     

     

    そんな「からだ」観からみえてくる「いきもの」ってなんだろうね。