岡村さん、一週間ありがとうございました。
からだの不思議。
皮膚の不思議。
からだにふれさせていただい方から、
こんな言葉をいただきました。
ふれられて、信念が伝わってきました。
わかる人にはわかる、というのでもないんでしょうね。
やっていることが技術だけじゃないんでしょうね。
そんな言葉が生まれてくる皮膚には、
どんなことばが宿っているのでしょう。

岡村さん、一週間ありがとうございました。
からだの不思議。
皮膚の不思議。
からだにふれさせていただい方から、
こんな言葉をいただきました。
ふれられて、信念が伝わってきました。
わかる人にはわかる、というのでもないんでしょうね。
やっていることが技術だけじゃないんでしょうね。
そんな言葉が生まれてくる皮膚には、
どんなことばが宿っているのでしょう。

「ここに在る」という安心感は、「いきもの」にとっての「快」。
そんなふうにおもえることも、また愉しい。
空間と腔󠄂間のマを、丁寧にふれていると、「快」という「たべもの」をたべているかのよう。
そんなことを感じながら、今日も「食べ物」をいただく。
おかえしできるじぶんで在りたいから。

一週間のお付き合いありがとうございました。
寺本さん、明日からよろしくお願い致します。
「感動」や「感謝」を「たべもの」といったら、おかしいだろうか。
皮膚がひらいていると、度々そう感じることがある。
自然や「からだ」の営み、また、それらの背景にある空間の「メッセージ」。
その熱と圧に、腔󠄂間のマは変化し、体液はふるえ、涙することもある。
共振することさえ、その素朴な感触で自覚させてくれる。
その素朴な感触は、「ここに在る」という安心感に通ずる。

受け入れる、から、迎え入れる。
ひらく皮膚から生まれてくる、半歩前に踏み出すような感触。
「いきもの」としての、根の張り方が変わると、素直になる。
自然なことは、自然なこととして。
無理なことは、無理なこととして。
言い訳をせず、それがいいワケを、「からだ」と共に感じ続けたい。

うごく「いきもの」として、一日「からだ」をつかわせていただく。
生かされながら生きている息づかいを味わえる、空間と腔󠄂間のマがある。
立ち上がる軸の感触と、一点におさまる重心の感触。
お蔭さまで、作業は所作を学ぶ機会になる。
すり減らず、満ちていく、不思議なながれ。

季節が巡り、空気の質が変わりはじめる。
そのちょっとした変化もまた、想像以上にききわけている「からだ」がある。
目に見える美しい現象に、こころ惹かれるだけではない。
その背景にあるモノ・コト・ナリに意識が向く皮膚感覚と、腔󠄂間の圧と呼吸。
理屈ではなく、素朴な感触で受けとるとき、それは「たべもの」になる。

朝の日光にふれる。
空間の広がりを皮膚が迎え入れ、腔󠄂間の広がりが生まれる。
そこに満ちるように、吸気が入り、循環する。
空腹感で満たされる。
矛盾するようなことも、自然なこととして感じられる空間と腔󠄂間の圧のマがある。

岡村さん、一週間のメッセージをありがとうございました。
ハンジャラゲでひろがる「からだ」主語の可能性。
「からだ」の外に広がる空間と、「からだ」の内に広がる腔󠄂間。
そのマを、感覚と意識で丁寧にふれていく。
続けていると、ある瞬間から、皮膚がひらく感触が生まれてくる。
すると、不思議なことに、目の当たりにする現象が「たべもの」のように感じられることがある。
「食物」ではない「たべもの」を、接触(摂食)する。
よりかるく、よりふかく、よりすきとおった「いきもの」になったかのようだ。

ある朝、早くに目が覚めて、歩きたくなりました。
まだ布団に潜っている子供を誘うと、「歩くのもいいけど、このもふもふ感覚もいいなあ」とのこと。
「じゃあ、ひとりで外の空気を味わってくるかな」というと、「空気感覚だね」と。
何かを感じるということは、とても素朴で、とても大切なことだと想うんです。
「感覚」できること、「意識」できることが、その人の世界観をつくっていくのだろうから。
そうやって考えると、何を感覚し、何を意識するかによって、「いきもの」のすがたは変わっていくのかもしれない。
できれば、目に見えることだけじゃなく、目に見えない繋がりも「いきもの」って感じられる、そういう世界の「いきもの」でありたいと想う。
なぜなら、「自然」であることも、「ゆたか」であることも、「健康」であることも、みんな同じ次元の現象として感じられるようになるから。
いつも共に生かされ、共に生きている、「からだ」という「いきもの」のお蔭でね。
一週間「なぞなぞ」にお付き合いいただき、ありがとうございました。
明日からは、寺本さんです。
どうぞお愉しみに!

目には見えないけど、何かと繋がっている。
その感触をこそ、素直に受けとり、大事にしていく。
すると、その感触は、感動と感謝の芽生えであったことに気づき始める。
それを丁寧に育んでいくと、目には見えない繋がりもまた、「からだ」なんだと想えてくる。
そんな「からだ」観からみえてくる「いきもの」ってなんだろうね。
