カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • ご縁は突然やってくる

    たまに近所のコーヒー屋さんに遊びに行く。美味しい
    コーヒーはもちろん、そこでつながるご縁もありがた
    いのだ。

    先日、某有名ラッパーが隣村でライブを行った。会場
    となったのはとある南部曲り家民宿。主催者からそこ
    で出店する機会をいただいたのだが、彼らとの出会い
    もそのコーヒー屋さんだった。

    当日は六畳間をお借りし、そこで施術を行った。安全
    面を考慮し、お酒の入った方にはご遠慮いただいたの
    であるが、よくよく考えてみればライブにお酒はつき
    ものである。

    結局後半は休憩所みたいになってしまったが、それは
    それでいい体験だった。

    帰りに民宿のおかみさんから施術のお礼だからと、手
    作りのパンをいただいた。雑味のないパンで、オリー
    ブオイルとバジル、塩をつけて食べたが、これが美味
    しかった。雑味がない分、好きな味付けで食べられる
    白米みたいなパンだと感じた。

    こんな感じで日々人とつながっている。良縁に感謝し
    たい。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム速報

  • 多少の好き嫌いはあるけれど

    今年は例年以上にコーヒーを飲んでいる。特に夏の暑
    い盛りの頃には、ほぼ毎日ペースでアイスコーヒーを
    飲んでいた。

    元来コーヒーを飲み過ぎると胸焼けする性質なのだが
    今年はそれがない。美味しさだけを味わえる。からだ
    の中で何かが変わったのだろうか。

    職業柄のせいか、見た目のせいか(痩せ型である)、
    食事に関して質問を受けることがある。「何か食事制
    限でもしているの?」「肉は食べないんですか?」

    そんなことはない。肉は食べるし、酒も飲む。炭水化
    物は大好きだし、オーガニック志向でも何でもない。
    冒頭のコーヒーのように好きなものは好きなように摂
    取する。

    それでも、お陰さまで健康を維持できているのは、少
    しは操体的なからだになってきたということか。食の
    営みは食だけにあらず。

    羽目を外さない範囲で食を愉しめるのはありがたいこ
    とだ。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
    2017年秋季東京操体フォーラム速報

  • それって「からだ」のお陰では?

    いつかの個人レッスンで、師匠のおっしゃっていたこ
    とが忘れられない。

    「治療して良くなれば、『先生のお陰で良くなりまし
    た』って言われるだろ?じゃあ、良くならなければど
    うなんだ?あの先生は良くなかったっていうことにな
    るのか?」

    この仕事をしていると、人に感謝されることも多い。
    以前は、「先生のお陰で良くなりました」と言われる
    ことに喜びを感じていた。得意気な顔にさえなってい
    たことだろう。

    今は「良かったですね」と思うものの、当時ほどの嬉
    しさはない。それよりも「からだって面白いですね」
    とからだに意識を向けてくれる方がよっぽど嬉しい。

    ひねくれてしまったわけでも、自分を戒めているわけ
    でもない。世界観が変わったのだ。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
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  • 体感を通して世界観を上書きする

    操体の勉強を始めると、目に見えるものも、目に見え
    ないものも同じように愉しめるようになる。自分の世
    界観がどんどん上書きされていくのだ。

    そんな世界観の根っこにあるのは「なんてありがたく
    できているんだろう」という感謝のきもちだ。「感謝
    しなさい」というお説教ではなく、そう感じずにはい
    られないことを体感して知ってしまうのだ。

    操体はどんなことをするんですか?」という質問を
    受けることがある。加えて、鍼やマッサージ、整体と
    どう違うのか、ということに興味を持たれる方も少な
    くない。

    確かに、どんなことをするのか気になるきもちも分か
    る。ただ、手段の違いを伝えることはできても、施術
    者一人ひとりの世界観まで伝えることはできない。

    何もない空間や空っぽのからだに何を見ているのか。
    手段よりも、その世界観の方がずっと大切だと思う。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
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  • 何でできているでしょうか?

    近所の公園で、親子の会話を耳にした。

    風船を手にした子供が「風船は何でできているでしょ
    うか?」と母親に聞く。母親は「ゴム」と答える。そ
    の答えに対して子供は「ぶっぶー、空気だよ」。

    それを聞いてなるほどと頷かずにはいられなかった。
    確かに風船はゴムという素材からできている。母親は
    決して間違ったことは言っていない。

    ただ、子供は風船を風船たらしめている「何か」に意
    識を向けていたのだ。見方によって、その世界観は変
    わる。「何か」に対して意識が向けられるようになる
    と、そこには感謝の念が生まれてくる。

    操体の臨床は、この子共の世界観に近いのではないだ
    ろうか?

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
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  • こっぱずかしくなることもしばしば

    香さん、一週間ありがとうございます。
    今週担当の瀧澤です。よろしくお願い致します。

    今回のテーマは「感謝」。

    日々を顧みると、なんと感謝の多いことか。瞬間的に
    感じる感謝もあれば、後々まで心に残る感謝もある。
    感謝の対象は概ねポジティブなものに対してだが、時
    としてネガティブなものにも及ぶことがある。

    ふとした時に、過去の失敗や負の感情を思い出してし
    まうことがある。自分のふがいなさが、その時の心情
    と共にリアルに蘇ることがある。

    こっぱずかしくなることもしばしばだが、今があると
    いうことは、「なるようになっている」という証明の
    ような気がしてならない。

    そんな時は、その思い出したくない記憶に心の中でそ
    っと手を合わせる。あれがつながって今があると。

    2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
    テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
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  • 「診立て」の前の「見立て」

    空間に余白があるように、自分自身の内側にも余白が
    あります。空間の余白に見立てたものは、自分自身の
    内側の余白にも息づいている、そんなふうに感じてい
    ます。

    意識飛びという現象(瞬間的におちる深い眠り)を体
    験すると、空間の余白も自分自身の内側の余白も同時
    に「息」で満たされているような感覚になります。

    それが治癒に、健康維持につながっていると実感して
    います。

    「診立て」の前には「見立て」があるのです。

    一週間ありがとうございます。
    明日からは寺本実行委員の「ミタテ」です。
    どんな世界が広がるのでしょうか。
    よろしくお願い致します。

  • 空白

    臨床における空間の空白を空白として生かすというこ
    とに関心があります。

    「これだけ勉強してきた」「これだけ臨床してきた」
    という想いから生まれる診立てや「治してほしい」と
    いう欲求で空白を埋め尽くしたくはありません。

    「自分はこうしたい」、「自分はこうされたい」とい
    う「想」の前に、あるがままを受け取る「息」で空間
    を満たしたいと思っています。

  • 「何もない」空間

    「何もない」ということは「何もないということでは
    ない」ということ、「何もしない」ということは「何
    もしないということではない」ということ。

    臨床を行ううえで、最近感じることです。

    見えているものの裏側で支えている空間に何を見立て
    るのか。

    見立てによってウンと空間が生きてくるように思いま
    す。

  • 真実

    からだを通してききわけた感覚や無意識は、そんなに
    やわじゃないと思います。少なくとも意識を変えるく
    らいの力はあると思います。

    ですから、「なんだかよくわからない」でも心配する
    必要はありません。

    「なんとなくいい」というあなたの真実があれば、そ
    れでいいと思うのです。

    「なんだかよくわからない」の裏側には「なんとなく
    いい」につながる見立てがあります。